健康な若者優先の腎臓分配制度を提言した3月1日のNYTの社説に対する反論が
5日に同じくNTYに掲載されています。
補遺で簡単に拾っておこうかと思ったら、
著者が、なんと Lainie Friedman Ross ――。
あのNorman Fostと並んでシアトルこども病院生命倫理カンファの常連、
Ashley事件でもメディアで早々に擁護発言をかました、病院のオトモダチの一人なのです。
Rossは、救済者兄弟や兄弟間の臓器提供について
「家族全体の幸せが子どもの幸せなので、家族のために
子どもの健康に最小限の不利益を及ぼす(minimally compromise)ことは可」とする
「親密なつながり原則」を謳っている人物。
そのRossの、「若い人優先」分配方式への批判の論点は、
そんなことをすれば生体からの提供腎臓が逆に若い人に回らなくなり、
移植を待ちながら死んでいく高齢者が増えるだけで、
臓器不足という本質的な問題解決にはならない、というもの。
じゃぁ、どうすればいいのか、Rossが提言しているのは、
まずネットワークがマッチングしている現在の調整地域を広げて、
広域でマッチングが行われるようにする。
次に、本人同意があれば家族の反対には応じない現在のルールは
ネットワークとして引き続き守らなければならないが、
臓器不足解消のためには、国民への教育が大切。
腎臓提供はほとんどの場合安全であることの周知を図ると同時に、
交通費や提供にかかる医療費など提供を阻む要因を見極め、対処すること。
生体ドナーの提供後の健康の長期に渡る追跡調査も
ネットワークはもっと熱心にやるべき。
さらに「腎臓ペア交換」など革新的なプログラムを推進すること。
How Not to Assign Kidneys
The NYT, March 5, 2011
「解決すべき本質的な問題は臓器不足そのもの」と本気で言っておられるらしいことには、
そりゃ、臓器のために誰かを殺すしかないんでは……? と強く反発を感じるけれども、
今の英語圏の「“臓器さま”が人間より大切」と言わんばかりで“臓器の亡者”じみた
“臓器不足”解消努力の流れを思うと、全体として、たいそう穏当な提言ではあります。
ただ、ドナーの長期追跡調査という個所が私には何より大事なことのような気がして
今の段階で十分な追跡調査が行われていないわけだから、それなら、
「ほとんどの場合安全」と国民に向かって“教育”するエビデンスは
一体どこにあるのか……? と疑問が沸いてくる。
それに最後に出てくる「腎臓ペア交換」システムは
以下のエントリーで紹介したように、既に動いているものですが、
「腎臓がほしければ、他人にあげられる腎臓と物々交換で」時代が始まろうとしている?(2010/6/30)
私は、このシステムは家族、特に女性家族に不当な提供圧力がかかり、
自発提供ルールを侵していると思う。
あ……、考えてみれば、ここでもまた
「名ばかり“自己決定”」が推し進められているだけなのかもしれませんが。
最近、「名ばかり“自己決定”」に「自己申告“自殺幇助”」に「植物状態もどき」……。
なにやら「似て非なるもの」が「そのもの」として処理されていくパターンが
増えつつありますね。
まるで、似て非なるものであることは本当は分かっているんだけど、
そんなことは、もう誰も構っちゃいないんだ……と言わんばかりに――。
5日に同じくNTYに掲載されています。
補遺で簡単に拾っておこうかと思ったら、
著者が、なんと Lainie Friedman Ross ――。
あのNorman Fostと並んでシアトルこども病院生命倫理カンファの常連、
Ashley事件でもメディアで早々に擁護発言をかました、病院のオトモダチの一人なのです。
Rossは、救済者兄弟や兄弟間の臓器提供について
「家族全体の幸せが子どもの幸せなので、家族のために
子どもの健康に最小限の不利益を及ぼす(minimally compromise)ことは可」とする
「親密なつながり原則」を謳っている人物。
そのRossの、「若い人優先」分配方式への批判の論点は、
そんなことをすれば生体からの提供腎臓が逆に若い人に回らなくなり、
移植を待ちながら死んでいく高齢者が増えるだけで、
臓器不足という本質的な問題解決にはならない、というもの。
じゃぁ、どうすればいいのか、Rossが提言しているのは、
まずネットワークがマッチングしている現在の調整地域を広げて、
広域でマッチングが行われるようにする。
次に、本人同意があれば家族の反対には応じない現在のルールは
ネットワークとして引き続き守らなければならないが、
臓器不足解消のためには、国民への教育が大切。
腎臓提供はほとんどの場合安全であることの周知を図ると同時に、
交通費や提供にかかる医療費など提供を阻む要因を見極め、対処すること。
生体ドナーの提供後の健康の長期に渡る追跡調査も
ネットワークはもっと熱心にやるべき。
さらに「腎臓ペア交換」など革新的なプログラムを推進すること。
How Not to Assign Kidneys
The NYT, March 5, 2011
「解決すべき本質的な問題は臓器不足そのもの」と本気で言っておられるらしいことには、
そりゃ、臓器のために誰かを殺すしかないんでは……? と強く反発を感じるけれども、
今の英語圏の「“臓器さま”が人間より大切」と言わんばかりで“臓器の亡者”じみた
“臓器不足”解消努力の流れを思うと、全体として、たいそう穏当な提言ではあります。
ただ、ドナーの長期追跡調査という個所が私には何より大事なことのような気がして
今の段階で十分な追跡調査が行われていないわけだから、それなら、
「ほとんどの場合安全」と国民に向かって“教育”するエビデンスは
一体どこにあるのか……? と疑問が沸いてくる。
それに最後に出てくる「腎臓ペア交換」システムは
以下のエントリーで紹介したように、既に動いているものですが、
「腎臓がほしければ、他人にあげられる腎臓と物々交換で」時代が始まろうとしている?(2010/6/30)
私は、このシステムは家族、特に女性家族に不当な提供圧力がかかり、
自発提供ルールを侵していると思う。
あ……、考えてみれば、ここでもまた
「名ばかり“自己決定”」が推し進められているだけなのかもしれませんが。
最近、「名ばかり“自己決定”」に「自己申告“自殺幇助”」に「植物状態もどき」……。
なにやら「似て非なるもの」が「そのもの」として処理されていくパターンが
増えつつありますね。
まるで、似て非なるものであることは本当は分かっているんだけど、
そんなことは、もう誰も構っちゃいないんだ……と言わんばかりに――。
2011.03.08 / Top↑
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