昨日、癌の子どもの終末期の記事でDiekema医師がコメントしているのを見て、
急進的な生命倫理を説く彼の師匠、Norman Fost医師が同じく終末期医療に関して
いかにも“らしい”コメントをしている記事があったのを思い出したので、以下に。
急進的な生命倫理を説く彼の師匠、Norman Fost医師が同じく終末期医療に関して
いかにも“らしい”コメントをしている記事があったのを思い出したので、以下に。
記事のテーマそのものは、
日本ではFost医師以上に注目されているRobert Truog医師の発言。
日本ではFost医師以上に注目されているRobert Truog医師の発言。
The New England Journal of Medicine の2010年2月号に、
Harvard医科大のRobert Truog医師が
“Is It Always Wrong to Perform Futile CPR?”というタイトルで
個人的なエッセイを書いて、自分がかかわった2歳男児のケースを論じつつ、
Harvard医科大のRobert Truog医師が
“Is It Always Wrong to Perform Futile CPR?”というタイトルで
個人的なエッセイを書いて、自分がかかわった2歳男児のケースを論じつつ、
無益とされる心肺蘇生(CPR)について
それが親の気持ちのケアになるなら、実施に意味がある場合もあるのでは、と
問題提起している。
それが親の気持ちのケアになるなら、実施に意味がある場合もあるのでは、と
問題提起している。
米国では心肺蘇生は行うことがデフォルトとなっており、
やらないためには患者本人または患者の許可を必要とする唯一の医療行為。
やらないためには患者本人または患者の許可を必要とする唯一の医療行為。
しかし、患者への侵襲度が非常に高い行為が、
もはや救命が不可能で、どんな治療も無益だと分かり切っている患者に
行われてしまうことには疑問・批判の声が起きている。
もはや救命が不可能で、どんな治療も無益だと分かり切っている患者に
行われてしまうことには疑問・批判の声が起きている。
Troug医師が取り上げている症例は脳ヘルニアの2歳の男児。
手術を受けたが神経障害が重く、
将来的にも、なんら意味のある神経発達は起こらないと両親には知らされていた。
将来的にも、なんら意味のある神経発達は起こらないと両親には知らされていた。
男児の心臓が止まった時に、Truog医師はこの子はもう死んだと思った。
しかし、手を尽くしてほしいと両親が望んだので、
チームは心肺蘇生術(CPR)を施すことに決めた。
諦めるまで15分。
チームは心肺蘇生術(CPR)を施すことに決めた。
諦めるまで15分。
男児が死んだ後、医療チームは彼に心肺蘇生をしたことに気持ちが重かったが、
両親が感謝していて、お礼を言ってくれたことにTruog医師は驚いたのだという。
両親が感謝していて、お礼を言ってくれたことにTruog医師は驚いたのだという。
インタビューで次のように語っている。
最初は、間違った判断だった、CPRはすべきではなかったと考えました。
しかし、家族が小さな子どもを抱いてお礼を言ってくれた瞬間に、
いや、我々は正しいことをしたのだと驚くべき考えを持ったのです。
エッセイは、まだ仮の結論として提示してみたものです。
しかし、子どもに意識がなかったのだから、
CPRによって子どもを苦しめたとは思えません。
振り返って考えると、善し悪しはともかく、
手を尽くしてもらったと悔いのない気持ちで
家族は病院を後にすることができたのです。
:しかし、家族が小さな子どもを抱いてお礼を言ってくれた瞬間に、
いや、我々は正しいことをしたのだと驚くべき考えを持ったのです。
エッセイは、まだ仮の結論として提示してみたものです。
しかし、子どもに意識がなかったのだから、
CPRによって子どもを苦しめたとは思えません。
振り返って考えると、善し悪しはともかく、
手を尽くしてもらったと悔いのない気持ちで
家族は病院を後にすることができたのです。
それに対して、
Indiana医大の癌専門医で倫理センターのディレクター、Pul R. Heft医師は、
家族の利益のために子どもにCPRを行うのだから
子どもを彼自身の福祉には無関係な目的のための手段としている、と批判。
Indiana医大の癌専門医で倫理センターのディレクター、Pul R. Heft医師は、
家族の利益のために子どもにCPRを行うのだから
子どもを彼自身の福祉には無関係な目的のための手段としている、と批判。
患者はもう死んでいるとしても家族を癒すのだという医師はどこにでもいるが
家族を癒す方法は他にもたくさんある、と。
家族を癒す方法は他にもたくさんある、と。
また、もう一人、ここでコメントしているのが
「無益な治療」論者のFost医師で、
「無益な治療」論者のFost医師で、
効果のないことにNOが言えないとなったら、いったいどこに限度があるというのか。
家族のために蘇生してあげるという考え方は医療の目的を捻じ曲げている。
実に高価な心理療法ということになりますね。
家族の気持ちを楽にするために過酷なCPRをやりましょう、というんだから。
家族のために蘇生してあげるという考え方は医療の目的を捻じ曲げている。
実に高価な心理療法ということになりますね。
家族の気持ちを楽にするために過酷なCPRをやりましょう、というんだから。
記事には、もうひとつ、同じジャーナルに掲載された
同テーマの個人的なエッセイが紹介されており、こちらは、
同テーマの個人的なエッセイが紹介されており、こちらは、
New York -Presbyterian/WeillCornell病院心臓科フェロー
Dr. Lisa Rosenbaumが90歳の祖母が「老衰」と診断された際の体験から、
Dr. Lisa Rosenbaumが90歳の祖母が「老衰」と診断された際の体験から、
老衰で死を待つだけの患者にも、家族が望むなら
手を尽くすことが医療者の職務である、とするもの。
手を尽くすことが医療者の職務である、とするもの。
もちろん医療上の判断は合理的に行うべきだし、
無益な治療が過剰に行われることは制限しなければ医療制度がもたないので
どこかの時点で諦めなければならないものがあるのは分かるが、
無益な治療が過剰に行われることは制限しなければ医療制度がもたないので
どこかの時点で諦めなければならないものがあるのは分かるが、
EBMによる合理的な治療効果のみで医療上の判断をするのでは不十分で、
「その判断をめぐる情についても考慮のうちに入れなければ、
どんなにたくさんのデータを持ってきても何も変えられません」と。
「その判断をめぐる情についても考慮のうちに入れなければ、
どんなにたくさんのデータを持ってきても何も変えられません」と。
この記事で発言している人たちが、依って立つ立場はそれぞれであるにせよ、
CPRをめぐる医療判断が如何にあるべきか、あるべき論や倫理問題を論じている中で、
ひとりFost医師だけは「それじゃぁゼニが青天井だろーが、ゼニが」と
それだけを言っているようにも聞こえる……。
CPRをめぐる医療判断が如何にあるべきか、あるべき論や倫理問題を論じている中で、
ひとりFost医師だけは「それじゃぁゼニが青天井だろーが、ゼニが」と
それだけを言っているようにも聞こえる……。
ちなみに、Robert Truogといえば、
脳死を待たなくても本人の意志さえ表明されていれば
生きている内から臓器を採ってもいいことにしようと主張していることで
私は強烈な印象を受けた倫理学者で、
脳死を待たなくても本人の意志さえ表明されていれば
生きている内から臓器を採ってもいいことにしようと主張していることで
私は強烈な印象を受けた倫理学者で、
その主張については小松美彦氏も「脳死・臓器移植の本当の話」で書いておられますが、
意外なことに、2007年の重症障害乳児の無益な治療訴訟Gongales事件の際には
延命治療中止を決めたテキサスの病院の決定について批判しています。
延命治療中止を決めたテキサスの病院の決定について批判しています。
その際の論点3つは、以下のエントリーにまとめてありますが、
今それを振り返ると、なるほど、このエッセイの主張は
確かにGonzales事件の批判と同じ地平にあるなと了解できる気がします。
今それを振り返ると、なるほど、このエッセイの主張は
確かにGonzales事件の批判と同じ地平にあるなと了解できる気がします。
TruogのGonzales事件批判(2008/7/30)
2010.03.04 / Top↑
自殺幇助関連
スコットランドの自殺幇助合法化法案については、パブコメを募集することになった。来週から10週間。
http://news.scotsman.com/politics/Call-for-views-over-assisted.6118614.jp
http://news.scotsman.com/politics/Call-for-views-over-assisted.6118614.jp
3月2日の夜、Public Broadcasting Servicesが06年にDignitasで自殺したALS患者Ewert氏の映像を含む、Dignitasに関する特番を放送する、という記事。このリンクの記事の段階で、既にEwert氏の自殺場面の映像は20の国と州で上映されていたけど、今後もまだまだ流されるのでしょう。
http://www.culturekiosque.com/nouveau/news/suicide_tourist_dignitas472.html
http://www.culturekiosque.com/nouveau/news/suicide_tourist_dignitas472.html
Exit Internationalの創設者オーストラリアのDr. Death ことDr. Nitshkeがネット上で自殺指南書を販売しているサイト、the Peaceful Pillを見つけた。致死薬 Nembutalを手に入れる方法とか、それに関連した法律事項の解説もあるらしい。驚くことに、そのパンフレットだけでなく、ヘリウム自殺をする際に頭からかぶるフードのことではないかと思うのだけど、「Helium Fittingの購入はこちら」というボタンまである。もちろん、おとといの補遺で拾ったアイルランドでのワークショップのコマーシャルも。
http://www.peacefulpillhandbook.com/
http://www.peacefulpillhandbook.com/
Juristという法曹関係サイトにC&Cの会長Barbara Coombs LeeさんがDPPのガイドラインを歓迎する一文を投稿している。
http://jurist.law.pitt.edu/hotline/2010/03/uk-assisted-suicide-guidelines-move.php
http://jurist.law.pitt.edu/hotline/2010/03/uk-assisted-suicide-guidelines-move.php
Ashley事件関連
また、起きたぞ。Ashley事件で動きがあるとネット上で起こる怪現象。今度のタイトルは「以下のことがどのようにAshleyの発達を阻害するのだろう」。でも中身は、いつもと同じ2007年1月当初のAP通信記事のコピー。例の「親のブログを読もう。この問題を議論しよう」という一行がある記事、ね。今回も、いかにもそれらしい科学とテクノのサイトに。アップされたのは3月2日。近々、なにか動きでもあるのか?
http://www.kensjvprojects.com/coloncancersurvivability/cancer-risk-by-state/how-will-the-following-hender-the-normal-development-of-ashley
http://www.kensjvprojects.com/coloncancersurvivability/cancer-risk-by-state/how-will-the-following-hender-the-normal-development-of-ashley
その他
日本語情報。薬害オンブズパースン会議 というものを教えてもらった。覗いて見ていたら、SSRIとファルマゲドンという記事の、ファルマゲドンという造語が印象的だった。“ファルマゲドン”は現実にグローバルに起こっている、と私も感じるし。
英国NHSの赤字深刻。3分の1のプライマリートラストが赤字で、手術の数を減らしたり、外傷部門が閉鎖に追い込まれたり。
http://www.guardian.co.uk/society/2010/mar/02/nhs-primary-healthcare-trusts-cuts
http://www.guardian.co.uk/society/2010/mar/02/nhs-primary-healthcare-trusts-cuts
13人の女性を殺害したヨークシャーの切り裂き魔、Peter Sutcliffe に、釈放の可能性が浮上している。その場合は、終生、別の名前を与えられることになるのだとか。
http://www.timesonline.co.uk/tol/news/uk/crime/article7045967.ece
http://www.timesonline.co.uk/tol/news/uk/crime/article7045967.ece
14歳の少女に性的いたずらをして、それを明るみに出されそうになると嫌がらせをして少女を自殺に追い込み、その兄には濡れ衣を着せて逮捕して拷問し、自分は政治家のコネで着々と出世を続けたインドの警察官。こういうことが日常的にまかり通っているインド社会に、民衆の不満がくすぶっている。:それでも新興経済大国インド。
http://www.nytimes.com/2010/03/03/world/asia/03india.html?th&emc=th
http://www.nytimes.com/2010/03/03/world/asia/03india.html?th&emc=th
ノルウェイの研究で、生殖補助医療での出産は、出船のプロセスにも子どものアウトカムにも影響しない、と。
http://www.medicalnewstoday.com/articles/180735.php
http://www.medicalnewstoday.com/articles/180735.php
ついに米国議会のTOYOYA問題の公聴会で「日本車を禁止しよう」という声まで出たそうな。そういえば夕方のCNNで、日産もリコールとか、言ってたような。
http://www.usatoday.com/money/autos/2010-03-02-toyota-hearing-japanese-cars_N.htm?csp=DailyBriefing
http://www.usatoday.com/money/autos/2010-03-02-toyota-hearing-japanese-cars_N.htm?csp=DailyBriefing
2010.03.03 / Top↑
米国の小児科や癌治療に関連した複数のジャーナルが連携した特集の中に、
それぞれ子どもを癌で亡くした親と、脳腫瘍で子どもを亡くした親への
終末期医療に関する調査が報告されており、
多くのメディアが取り上げています。
それぞれ子どもを癌で亡くした親と、脳腫瘍で子どもを亡くした親への
終末期医療に関する調査が報告されており、
多くのメディアが取り上げています。
特に前者のDana-Farber癌研究所とボストン子供病院の緩和ケアのディレクター
Dr. Joanne Wolfeらの論文(Archives of Pediatrics & Adolescent Medicine)では
我が子の苦しむ姿を見るに忍びないので頼んだら
少ないながら一部の医師が「死を早め」てくれたという
親の証言が報告されている点が注目されているようです。
Dr. Joanne Wolfeらの論文(Archives of Pediatrics & Adolescent Medicine)では
我が子の苦しむ姿を見るに忍びないので頼んだら
少ないながら一部の医師が「死を早め」てくれたという
親の証言が報告されている点が注目されているようです。
アブストラクトはこちら。
調査は、1990年から1999年の間に癌で子どもを失った141人の親に、
子どもの終末期について聞いたもの。
子どもの終末期について聞いたもの。
19人(13%)が子どもの死を早めてほしいと頼むことを考えた、と言い、
9%は実際に、話題にしたことがあった。
9%は実際に、話題にしたことがあった。
また、34%が
振り返って、もしも我が子にコントロール不能な苦痛があったとしたら、
死を早めることを考えただろうと答えた。
振り返って、もしも我が子にコントロール不能な苦痛があったとしたら、
死を早めることを考えただろうと答えた。
肉体的な苦痛以外の苦痛に対しても死を早めることを考えたというものは
15%以下だった。
15%以下だった。
また、いくつかの癌末期の子どもの仮想事例について意見を聞いた質問では
集中的な痛みの管理に賛成した人が94%。
死を早めることに賛成した人が50%。
集中的な痛みの管理に賛成した人が94%。
死を早めることに賛成した人が50%。
昏睡状態よりも、苦痛がある場合に
死を早めることを認める人が多かった。
死を早めることを認める人が多かった。
また、介護負担を理由に死を早めることを考えると答えた親はいなかった。
一人だけ、医療費は考える材料かもしれない、と答えた。
一人だけ、医療費は考える材料かもしれない、と答えた。
少数ながら、実際に子どもの死を早めてほしいと医師に頼み、
医師がモルヒネの投与で応じてくれたと報告する親もあったが
著者らは医師が必ずしも慈悲殺を行っているとは考えていない。
痛みの緩和のためにモルヒネが増量されて、そのすぐ後に亡くなったので
親が要望通りにしてもらったと誤解したのではないか、と。
医師がモルヒネの投与で応じてくれたと報告する親もあったが
著者らは医師が必ずしも慈悲殺を行っているとは考えていない。
痛みの緩和のためにモルヒネが増量されて、そのすぐ後に亡くなったので
親が要望通りにしてもらったと誤解したのではないか、と。
Wolfe医師らは、
子どもが苦しんむことは考えるだけでも痛ましいので、
親も医師も終末期については口に出さないようにしているが、
どういう選択肢があるかを知らされていない親が
いざという時に苦しませないためには死を早めることしか考えつけないのではないか、
子どもが苦しんむことは考えるだけでも痛ましいので、
親も医師も終末期については口に出さないようにしているが、
どういう選択肢があるかを知らされていない親が
いざという時に苦しませないためには死を早めることしか考えつけないのではないか、
もちろん痛みを完全に取ってあげますと確約はできないにしても、
あらかじめ苦痛についても集中的な症状管理の可能性についても知らせておくことで
患者にとっても家族にとっても、終末期の耐え難さを減らせるのではないか、と。
あらかじめ苦痛についても集中的な症状管理の可能性についても知らせておくことで
患者にとっても家族にとっても、終末期の耐え難さを減らせるのではないか、と。
S-PiのAP通信の記事にDiekema医師のコメントがあり、
この調査結果は驚くにあたらない、と述べています。
この調査結果は驚くにあたらない、と述べています。
少数ですが、子どもの苦しみを終わりにしてやりたいという親の望みに
医師が応えてあげることはあると思います。
鎮静や痛みのコントロールのための薬には呼吸抑制の作用がありますから、
そういう薬を使うことも含めての話ですが。
たいていの医師は、呼吸を止めるほどの量を意図的に使うことはしませんが、
中には苦痛を緩和する過程で呼吸が止まったとしても
それに対しては介入しない方がいいと考える医師もいます。
医師が応えてあげることはあると思います。
鎮静や痛みのコントロールのための薬には呼吸抑制の作用がありますから、
そういう薬を使うことも含めての話ですが。
たいていの医師は、呼吸を止めるほどの量を意図的に使うことはしませんが、
中には苦痛を緩和する過程で呼吸が止まったとしても
それに対しては介入しない方がいいと考える医師もいます。
なんと、興味深いのだろう……と思うのですが、
USNewsの記事のコメントは、Kansas Cityの
Children’s Mercy HospitalのJack Lantos医師。
USNewsの記事のコメントは、Kansas Cityの
Children’s Mercy HospitalのJack Lantos医師。
この問題でも、二人の捉え方には微妙な差があって、
Lantos医師の方は、「死を早めた」と表現されているものの内容は
通常、安楽死や自殺幇助と考えられているものとは違うのだ、ということを言います。
Lantos医師の方は、「死を早めた」と表現されているものの内容は
通常、安楽死や自殺幇助と考えられているものとは違うのだ、ということを言います。
自殺幇助では命を終わらせる明確な目的を持って薬を使うのに対して、
この調査で「死を早めた」と語られているケースでは
子どもの苦痛の緩和を目的に使われた薬に
死を早める可能性が副作用としてあるということに過ぎない。
この調査で「死を早めた」と語られているケースでは
子どもの苦痛の緩和を目的に使われた薬に
死を早める可能性が副作用としてあるということに過ぎない。
死を早めるというのは、安楽死とも自殺幇助とも違います。
それは微妙だけれど、重要な違いなのです。
それは微妙だけれど、重要な違いなのです。
この2人のコメントの微妙な違いもまた重要。
そして、その違いが、また、なんと興味深いことだろう。
そして、その違いが、また、なんと興味深いことだろう。
Lantos医師は、医師の倫理観として、
親に頼まれて安楽死させることはあってはならないというところに明確に立っています。
だからこそ、苦痛緩和の結果として死が早められてしまうことと安楽死との微妙な差を
差として認識することの重要性を強調している。
親に頼まれて安楽死させることはあってはならないというところに明確に立っています。
だからこそ、苦痛緩和の結果として死が早められてしまうことと安楽死との微妙な差を
差として認識することの重要性を強調している。
それに対して、Diekema医師は
親に頼まれれば、消極的ながら、その親の気持ちに応えてあげる医師だって、
そりゃ、中にはいるでしょうね……と、事実上、言っているわけで、
苦痛緩和の結果と、目的としての安楽死に一線を引く必要を感じていないかのようだし、
一部の親の意向に沿う医師を容認しているとも受け取れるトーン。
親に頼まれれば、消極的ながら、その親の気持ちに応えてあげる医師だって、
そりゃ、中にはいるでしょうね……と、事実上、言っているわけで、
苦痛緩和の結果と、目的としての安楽死に一線を引く必要を感じていないかのようだし、
一部の親の意向に沿う医師を容認しているとも受け取れるトーン。
なんて象徴的なのだろう。
私が懸念するのは、
調査した緩和ケア専門医であるWolfe医師らの意図や結論や主張とは
まったく別のところで、この結果(の一部だけ?)が独り歩きして、
Diekema医師の恩師であるFost医師などが押し進めている「無益な治療」論の
正当化に使われてしまうのではないか……。
調査した緩和ケア専門医であるWolfe医師らの意図や結論や主張とは
まったく別のところで、この結果(の一部だけ?)が独り歩きして、
Diekema医師の恩師であるFost医師などが押し進めている「無益な治療」論の
正当化に使われてしまうのではないか……。
「今でも障害児は中絶されているのだから
生まれてきた障害児を死なせたからと言って何が悪い?」というのが
Fost医師やPeter Singerらの、開き直り的「無益な治療論」の正当化理論。
生まれてきた障害児を死なせたからと言って何が悪い?」というのが
Fost医師やPeter Singerらの、開き直り的「無益な治療論」の正当化理論。
そこから、
「今でも、ターミナルな小児がん患者は
苦しむのを見ていられない親の要望で死を早められているのだし、
そういう子どもたちの治療はもはや無益なのだから、安楽死させて、何が悪い?」
という論理への距離は、そう長くはない。
「今でも、ターミナルな小児がん患者は
苦しむのを見ていられない親の要望で死を早められているのだし、
そういう子どもたちの治療はもはや無益なのだから、安楽死させて、何が悪い?」
という論理への距離は、そう長くはない。
こちらの医療系のサイトなど、もう早速にも
「死に至る癌の子どもに医師と親が安楽死を選択している」と
論文の内容とはずいぶん違うタイトルでこの件を報じているし、
論文の内容よりもDiekema医師のコメントが記事の中心になっている。
「死に至る癌の子どもに医師と親が安楽死を選択している」と
論文の内容とはずいぶん違うタイトルでこの件を報じているし、
論文の内容よりもDiekema医師のコメントが記事の中心になっている。
――――――
ちなみに、脳腫瘍で亡くなった子どもの親への調査では、
最期に近づくにつれ、神経障害が重症化することが特徴的で、
特に意思疎通ができなくなることが親にとって1つのターニングポイントだった、と。
最期に近づくにつれ、神経障害が重症化することが特徴的で、
特に意思疎通ができなくなることが親にとって1つのターニングポイントだった、と。
また、親はそういう中でも希望を持ち子どもの回復力に期待を寄せつつ、
通常の生活を維持する努力を続けていた。
通常の生活を維持する努力を続けていた。
そのほか、親が共通して困難を感じていたのは、
家事、仕事、他の子どもの世話など、病気の子どものケア以外の責任とのやりくり。
家事、仕事、他の子どもの世話など、病気の子どものケア以外の責任とのやりくり。
また在宅での看取りを望んだ場合に、
十分なサポートが可能になる体制がないことも指摘されている。
十分なサポートが可能になる体制がないことも指摘されている。
こちらもまた、研究者らの意図は
問題のありかに気付き、対応を求めることにあるようなのだけれど、
意思疎通ができる・できないが親にとってのターニングポイントだったという部分などは、
やっぱり独り歩きするのでは……と、ちょっと不安も感じるところ。
問題のありかに気付き、対応を求めることにあるようなのだけれど、
意思疎通ができる・できないが親にとってのターニングポイントだったという部分などは、
やっぱり独り歩きするのでは……と、ちょっと不安も感じるところ。
2010.03.03 / Top↑
去年12月に行われた日本宗教連盟第4回宗教と生命倫理シンポでの
東大の島薗先生の挨拶と立命の立岩先生の発言部分が
立命館大学グローバルCOEプログラム「生存学」のサイトに公開されています。
立命館大学グローバルCOEプログラム「生存学」のサイトに公開されています。
立岩先生の発言から、日本尊厳死協会の井形昭弘会長の発言も容易に推測されて
たいへん興味深い内容です。
たいへん興味深い内容です。
感じたこと、考えること、言いたいこと、沢山ありすぎて
読んだのはずいぶん前のことなのに、まだまとまりがつかないので、
とりあえず、激しい不快を感じた井形会長の「ダンディな死」発言についてのみ。
読んだのはずいぶん前のことなのに、まだまとまりがつかないので、
とりあえず、激しい不快を感じた井形会長の「ダンディな死」発言についてのみ。
私は重い障害を持った子どもの母親としての個人的な体験から
障害や介護や医療を論じる際に不用意に美意識を持ち込むのはやめてほしい、と
ずっと考えて、ずっと、そう訴えてきました。
障害や介護や医療を論じる際に不用意に美意識を持ち込むのはやめてほしい、と
ずっと考えて、ずっと、そう訴えてきました。
私たち障害のある子どもの母親は
一人では到底担い切れない負担の重い子育てや介護を
ろくに支援もない社会から「あなたが母親なんだから」と背負わせられて
一人では到底担い切れない負担の重い子育てや介護を
ろくに支援もない社会から「あなたが母親なんだから」と背負わせられて
ぎりぎりのところに追い詰められながら、かろうじて日々を生き延びるのに必死になっていると
今度はその姿を指差して「なんて美しい母の愛」
「どんな苦難も愛があればこそ」と無責任に手をたたかれ、賛美されてきた。
今度はその姿を指差して「なんて美しい母の愛」
「どんな苦難も愛があればこそ」と無責任に手をたたかれ、賛美されてきた。
そうして「もう限界」「だれか助けて」との悲鳴を封じられてきた。
だから、「美意識の猿轡」は、もう、たくさん!
ずっと前に書いた2冊の本(詳細は「ゲストブック」に)のテーマも
結局はそういうメッセージだったし、
結局はそういうメッセージだったし、
また「介護保険情報」誌の2007年7月号でも
Ashley療法論争の続報としてダブルスタンダードについて書きましたが、
(arsviのAshley事件のページを担当してくださっている堀田さんのおかげで、
読み捨てられる宿命だった月刊誌の連載が復活し、こうして読んでもらえるようになりました)
Ashley療法論争の続報としてダブルスタンダードについて書きましたが、
(arsviのAshley事件のページを担当してくださっている堀田さんのおかげで、
読み捨てられる宿命だった月刊誌の連載が復活し、こうして読んでもらえるようになりました)
障害当事者も、障害児の家族も、世の中から
「にもかかわらず、弱音を吐かず、明るく強く生きる姿」を賛美され、それによって
無言のうちに「障害者らしく、障害児の親らしく、けなげに美しく生きよ」という
メッセージを送られています。
「にもかかわらず、弱音を吐かず、明るく強く生きる姿」を賛美され、それによって
無言のうちに「障害者らしく、障害児の親らしく、けなげに美しく生きよ」という
メッセージを送られています。
そのメッセージは、障害児・者や家族に向かって、あたかも
「人々に感動と勇気を与える社会のオアシスたれ」と言わんばかりで、
なんて勝手な言い草なんだろう……と、私はずっと反発してきました。
「人々に感動と勇気を与える社会のオアシスたれ」と言わんばかりで、
なんて勝手な言い草なんだろう……と、私はずっと反発してきました。
障害児・者や家族を社会のオアシスに祭り上げる人たちは
「愛と感動と勇気を、ありがとう。あなたのおかげで
自分がいかに恵まれて幸せかを教えてもらいました」と
たわけたことを平然とホザく。
「愛と感動と勇気を、ありがとう。あなたのおかげで
自分がいかに恵まれて幸せかを教えてもらいました」と
たわけたことを平然とホザく。
そして、妙にネチっこく「ぐわんばってね」と言って、肩を一つ、ぽん、と叩いたら、
しごく満足した顔になって、立ち去っていく。
しごく満足した顔になって、立ち去っていく。
でもね。
私たち親子は社会のオアシスになってあげるために生きているわけじゃない。
社会の方こそ、手前勝手に「ありがとう」なんてウルウルしていないで
それよりも、私たちが助けを必要とする時に現実の手を貸してください。
私たち親子は社会のオアシスになってあげるために生きているわけじゃない。
社会の方こそ、手前勝手に「ありがとう」なんてウルウルしていないで
それよりも、私たちが助けを必要とする時に現実の手を貸してください。
だいたい、障害があろうとなかろうと、
他人の目に美しく生きなければならない人なんて、いません。
人を感動させるような生き方をしなければならない人も、どこにもいません。
他人の目に美しく生きなければならない人なんて、いません。
人を感動させるような生き方をしなければならない人も、どこにもいません。
美意識とは、
その人の痛み・苦しみと無関係なところに立っている傍観者の贅沢に過ぎない。
その人の痛み・苦しみと無関係なところに立っている傍観者の贅沢に過ぎない。
だから、同じように、
他人の目に美しい死に方をしなければならない人なんて、どこにもいません。
他人の目に美しい死に方をしなければならない人なんて、どこにもいません。
私たちの誰ひとりとして、
その死に方がダンディかどうかを傍から云々される覚えはないはずです。
その死に方がダンディかどうかを傍から云々される覚えはないはずです。
日本尊厳死協会の会長が、安楽死議論の中に
「ダンディな死」という言葉で無責任な美意識を持ち込む――。
「ダンディな死」という言葉で無責任な美意識を持ち込む――。
それは、井形昭弘という個人が
「私は自分がダンディだと考える死に方をしたい」と
好き勝手な個人的理想を口にすることとは、決定的に違う――。
「私は自分がダンディだと考える死に方をしたい」と
好き勝手な個人的理想を口にすることとは、決定的に違う――。
そのことの意味に、井形会長が本当にまるきり無自覚だ……ということがあるだろうか。
Ashley事件でも「障害児の親の愛と献身」は
病院が世論を操作し、倫理委員会の機能不全を隠ぺいするための煙幕に使われました。
病院が世論を操作し、倫理委員会の機能不全を隠ぺいするための煙幕に使われました。
英国の慈悲殺擁護論でも「母親の愛と献身」が頻繁に振り回されて
そのウェットで甘ったるい情緒によって、
個々の事件の事実関係や当事者の実像をしっかり検証する必要から
多くの人の目を逸らせてしまいました。
そのウェットで甘ったるい情緒によって、
個々の事件の事実関係や当事者の実像をしっかり検証する必要から
多くの人の目を逸らせてしまいました。
障害や介護や医療の問題に無用な情緒と美意識が持ち込まれる時、
私は、そこには問題のすり替えや誘導の意図がぷんぷん臭うような気がする――。
私は、そこには問題のすり替えや誘導の意図がぷんぷん臭うような気がする――。
【関連エントリー】
「尊厳死を巡る闘争:医療機器の時代に」1(2008/3/2)
「尊厳死を巡る闘争:医療機器の時代に」2(2008/3/3)
「尊厳死を巡る闘争:医療危機の時代に」3(2008/3/3)
尊厳死協会の世界連盟(2008/3/13)
死ぬ権利協会世界連合がFENについて声明を発表(2009/3/10)
立岩真也氏の「死の変わりに失われるもの」から、改めて「分かっている」の証明不能は「分からない」の証明ではないことについて(2009/12/17)
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2010.03.02 / Top↑
自殺幇助関連
オーストラリアのDr. Deathこと Dr. Nitschkeが3月19日にアイルランドで初めてのワークショップを行うことに。
http://www.irishtimes.com/newspaper/ireland/2010/0301/1224265372224.html
http://www.irishtimes.com/newspaper/ireland/2010/0301/1224265372224.html
ジャーナリスト Zoe FitzGerald Carterが乳がんとなり自殺幇助を希望した母親の死について書いた本“Imperfect Endings: A Daughter’s Tale of Life and Death“が出版された。それについての記事。著者は合法化を支持する立場。
http://www.salon.com/books/feature/story/?story=/books/feature/2010/02/28/imperfect_endings_zoe_fitzgerald_carter_interview_ext2010
http://www.salon.com/books/feature/story/?story=/books/feature/2010/02/28/imperfect_endings_zoe_fitzgerald_carter_interview_ext2010
Final Exit NetworkのプロモDVDで、前身Hemlock Societyの創設者Derek Humphryが最初の妻が乳がんになって自殺した際に幇助したことを語っているのだけど、「理解のある医師から致死薬を手に入れた」と言っている。妻がいよいよそのつもりになる時まで、夫である自分が保管していた、最後に妻が時間を決めて家族と集め、お別れをした後で気持ちを変えなかったので、自分がコーヒーに混ぜて手渡した。妻はそれを一気に飲んで死んだ、と。それが事実だとすると、違法行為を行った医師がいるということなんだけれど、どうして捜査が入らないんだろう、と不思議でならない。
http://www.youtube.com/watch?v=wCqmj69XyGk&NR=1
http://www.youtube.com/watch?v=wCqmj69XyGk&NR=1
その他
安易な「無益な治療」論に傾かない、Abingdon病院(米)緩和ケアチームの努力を丁寧に取材した記事。
http://www.philly.com/inquirer/front_page/20100228_A_look_at_the_new_field_of_palliative_care.html?viewAll=y
http://www.philly.com/inquirer/front_page/20100228_A_look_at_the_new_field_of_palliative_care.html?viewAll=y
ターミナルな患者に在宅で終末期を過ごしてもらおうと英政府は言うけど、看護師不足と医師の個別計画策定能力不足で、そんなことは不可能だ、と癌患者の支援チャリティの調査。
http://www.timesonline.co.uk/tol/life_and_style/health/article7044550.ece
http://www.timesonline.co.uk/tol/life_and_style/health/article7044550.ece
リビアとスイスの間で紛争が起こっているらしい。というよりもガダフィ氏が個人的にスイスを目の敵にしているだけのようでも。
http://www.timesonline.co.uk/tol/news/world/africa/article7042017.ece
http://www.timesonline.co.uk/tol/news/world/africa/article7042017.ece
いまだに米国の親の4人に1人は自閉症はワクチンが原因だと思っているのだとか。10人に9人は、それでもやっぱり病気予防にワクチンを打つ方が大事だというそうだけど。
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2010/02/28/AR2010022804411.html
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2010/02/28/AR2010022804411.html
中絶が違法でないのなら、中絶以外の方法で女性がおなかの胎児を殺そうとすることも違法ではないのか。去年、17歳が通りすがりの男性にお金を払って流産目的でおなかをぼこぼこに蹴ってもらった事件で、判事が無罪としたことを受け、ユタ州議会に提出された法案(違法に妊娠中絶を起こそうとする行為を明確に違法と規定する)を巡る論争。:この論争、そのまま医師による自殺幇助にも適用できそうなのだけど、そうすると、英国の今回のガイドラインはやっぱり論理が転倒しているという気がしてくるところが興味深い。
http://www.nytimes.com/2010/03/01/us/01abortion.html?th&emc=th
http://www.nytimes.com/2010/03/01/us/01abortion.html?th&emc=th
グアンタナモの拷問の調査報告書で、関与した米国政府の弁護士が判断ミスを犯したとされた一方で、拷問に加担した医師や心理学者の過失は問われなかった。CIAやペンタゴンの医師や心理学者が効果的な拷問方法を編み出すプロセスに関わっているのは周知の事実なのに。という記事のタイトルは「モラルなき医師たち」。
http://www.nytimes.com/2010/03/01/opinion/01xenakis.html?th&emc=th
http://www.nytimes.com/2010/03/01/opinion/01xenakis.html?th&emc=th
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