2ntブログ
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--.--.-- / Top↑
5年前にアシュリー事件と出会い、

アシュリーの写真を見た時、
最初に私が思ったのは、「あ、私はこの子を知っている。

この子の髪の匂いも、ひんやりした肌も、
布団にこもった甘ったるい体臭まで、私は知っている……」だった。

それから長い長い間、
頭からアシュリーのことが離れない、誰に会っても
口を開けばアシュリーのことしかしゃべらないような時間が続く中で、
アシュリーは私にとって我が子のような存在になった。

今日、気付いた。

私はアシュリーを守るべきところにいながら、それを自覚していながら、
その本分を果たさなかった人たちを心から軽蔑し、憎んですらいるんだ、と。

「アシュリー事件」の原稿の新しい個所を書こうとするたび、
花屋へ行ってその日一番きれいだと感じる花を買って来て、
机に飾ってから書き始める自分が、あの頃とても不思議だった。

それ以前に、そんなことをしたことはなかったのに、
なんでこんなことをしたいんだろう、と、ずっと不思議に思っていた。

あの本を書く作業を終えてから、
花なんか買わなくなったまま、なんとも思っていなかったし。

あれは、自分の中の憎しみが原稿に滲まないように、
花を買うことで自分を清める禊だったんじゃないかと、今日気付いた。

私が出会いがしらにぶつかった時、生命倫理は、
大人の世界の都合で6歳の子どもの健康な身体にメスを入れ、
自分たちがしたことを詭弁を弄してごまかそうとする人たちの学問でした。

そこに加担した人たちを、私は憎みます。
2012.03.14 / Top↑
Ashley事件に関するこれまでのリサーチを取りまとめて
「アシュリー事件:メディカル・コントロールと新・優生思想の時代」という本を上梓しました。

Ashley事件には、2011年の後半は情報がまったく引っかかってきませんでしたが、
それが実際に何の動きも起きていないということなのか、
何かが準備されているということなのか、
水面下に潜ったということなのか……。

WPASとの合意がいったん切れる来年5月が要注意ではないか、と
私はちょっと警戒しているのですが。

まさにその懸念を深めるような妙な抗弁が4月に
シアトルこども病院の弁護士から出てきました。

子ども病院弁護士が「治療で儲かる病院には利益の相反があり裁判所に命令求められない」と大タワケ(2011/4/27)


その他、2011年前半までに引っかかってきた情報は
やはり大半が事件をめぐる論文や発表などアカデミックなリアクション。

米小児科学会関連雑誌に成長抑制WGの論文巡るコメンタリー(2011/3/2)
A事件は「ネオリベ型の力の行使で、医療により不具にしたケース」(2011/4/24)
HCRの成長抑制論文にBill Peace, Clair Royらが反論の書簡(2011/9/2)

スコットランド国立劇場の“Girl X”、Facebookde“A療法”論争(2011/2/1)


特筆事項として、今年は
A療法を最も鋭く批判したAlicia Ouelletteがその批判を生命倫理に拡大した著書
“Bioethics and Disability”を上梓。

なかなか読み終えることができずにいますが、
これまでのエントリーは

Alicia Quelletteの新刊「生命倫理と障害: 障害者に配慮ある生命倫理を目指して」(2011/6/22)
エリザベス・ブーヴィア事件:Quellette「生命倫理と障害」から(2011/8/9)
Sidney Miller事件: 障害新生児の救命と親の選択権(2011/8/16)
Ouellette「生命倫理と障害」概要(2011/8/17)
Ouelletteの「生命倫理と障害」:G事件と“無益な治療”論について(2011/12/17)ここから3本。
Ouellette「生命倫理と障害」:人工内耳と“Ashley療法”について(2011/12/19)ここから2本。
2011.12.29 / Top↑
子育てをテーマにしたSNSと思われる babycenter. というサイトで
20日午前9時半現在、「2時間前」に立ち上げられたスレッドが成長抑制療法を扱っている。

タイトルは 「成長抑制療法についてどう思いますか?」

立ち上げた人は障害のある子どもの親。
現段階で入っているレスポンスは1つで、障害のある子どもの親からのもの。

やり取りは大まかには、以下のような感じ。

「息子のサイモンを永遠に(forever)私たちの手元に置いておけるよう、選択肢の一つとして成長抑制療法を調べ始め、時期が来たら相談してみようと思う医師の名前も2つほどゲットしました。息子は現在はまだ扱いやすい(manageable)サイズなので、すぐ急いでやりたいわけではないけど、親としては私は年を食っている方なので将来が不安なのです」

「成長抑制は将来的にもウチには関係がないけど、成長抑制に思うところはあって、サイモン君には最適、ぜんぜんOKだと思います。前にもここで話題になったことがあった記憶があるんだけど、介護者であるあなただけでなく結局はサイモン君にも利益になると思う。成長に伴って、移動させるのもお風呂に入れるのなんかも難しくなっていくし、扱いやすいサイズだと親は助かりますね。サイモン君も家族とずっと一緒にいられて家でケアしてもらえて、施設に入れられなくてもすむ。身近にやってくれる医師がいるかどうかが気になるところですね。どうもヨーロッパの方が成長抑制は許容されているとかどこかで読んだけど、まぁ、医療に関しては米国よりヨーロッパが進んでいるから」

What are your thoughts on growth-attenuation therapy?
Babycenter.com, September 19


2人それぞれの子どもの写真があって、
質問者の息子サイモン君は、写真では自転車で遊んでいるように、
少なくとも自転車につかまって立っているように見えます。

この人のこれまでの投稿履歴や写真を見る限り、
自力で立って、わずかなら歩ける子どもさんのようでもあり、

「寝たきりの重症児だけが対象なのだから」を論拠に
成長抑制療法の正当化論を展開しているシアトルこども病院の成長抑制WGのメンバーに
ぜひとも、このやりとりについての意見を聞いてみたいものです。


去年の成長抑制WGの論文については、以下の4本のエントリーに ↓
http://blogs.yahoo.co.jp/spitzibara/62625973.html
http://blogs.yahoo.co.jp/spitzibara/62626031.html
http://blogs.yahoo.co.jp/spitzibara/62636670.html
http://blogs.yahoo.co.jp/spitzibara/62650044.html


【午後追記】
その後、レスが増えていますが、いずれも
「施設やグループホームに入れるよりも、親が家庭でケアするのが何よりだから
やれるならやったらいい、または、自分もいずれ考えたい」などの路線。
2011.09.20 / Top↑
9月5日、世界医師会(WMA)と
健康と人権組織国際連盟(?)International Federation of Health and Human Rights Organisationsが
強制不妊は身体的、精神的な健康を甚だしく損ない、
生殖を巡る自己決定権と人権を侵害する暴力であると弾劾。

不妊手術はインフォームド・チョイスが保障される限り、
一定の年齢に達した人には避妊の選択肢の一つとして認められるべきではあるが、

その不可逆的な性格と結果の及ぼす重要性と同時に、
障害者や周辺化された人々に強制的に行われてきた歴史に鑑み、
インフォームド・コンセントを確実に保障する特別な配慮が必要である。

強制不妊は生殖権と人権の明らかな侵害であり、
被害者にはHIV感染者の女性、ルーマニア(?)や先住民の女性、
精神障害・知的障害のある女性、トランスジェンダーの人たち、麻薬中毒の女性や
その他、弱者とされる人々。

こういう人たちに形だけ同意させるために、その弱みにつけこんで
同意しなければ治療してやらないと交換条件にしたり、
カネやモノや心理的・社会的なインセンティブで釣ったり
不妊を受けなければ不利な扱いを受けるように思わせたりしてはならないし、

特に医療職にはこれらの義務を十分に周知・遵守させなければならない。

世界医師会の会長は

残念なことに世界中で強制不妊のケースは報告が続いています。本人の知らない内に行われていたり、コンセントの機会もなしに行われていたりしています。

これは医療の誤用であり、医療倫理違反、明らかな人権侵害です。我々は全ての医師と医療職とに、自国政府に対して強制不妊を禁じるよう働きかけることを求めます。



IFHHROのトップは

医療職には、いかなる医療行為についても自己決定権とインフォームド・コンセントの権利とを尊重する義務があります。また患者の尊厳、プライバシー、自己決定を尊重する責任があり、そこには家族計画を含めセクシュアリティーとリプロダクティブ・ヘルスに関するすべての事柄について、強要や差別や暴力を受けることなく決定を行う権利も含まれます。子どもを産むかどうか、いつ産むかを自分で決定する権利と、その権利を行使する方法へのアクセス権も含まれます。



Global Bodies call for end to Forced Sterilisation
WMA, September 5,, 2011


当ブログが詳細に追いかけてきたAshley事件も、また同事件が英国に飛び火したKatie事件も
知的障害児の強制不妊が関わっている事件です。

2つの事件を追いかける過程で出会って詳細を調べた同様のその他事件として以下のものがあります。

【イリノイのK.E.J.事件】
イリノイの上訴裁判所 知的障害助成の不妊術認めず(2008/4/19)
IL不妊手術却下の上訴裁判所意見書(2008/5/1)
ILの裁判からAshley事件を振り返る(2008/5/1)
ILの裁判から後見制度とお金の素朴な疑問(2008/5/1)
IL州、障害者への不妊手術で裁判所の命令を必須に(2009/5/29)

【オーストラリアのAngela事件】
豪で11歳重症児の子宮摘出、裁判所が認める(2010/3/10)
Angela事件(豪):事実関係の整理(2010/3/10)
Angela事件の判決文を読む 1(2010/3/11)
Angela事件の判決文を読む 2(2010/3/11)
重症児の子宮摘出承認でダウン症協会前会長・上院議員が検察に行動を求める(豪)(2010/3/13)

これらリサーチに引っかかってきた医療職サイドの見解などは ↓
知的障害者不妊手術に関するD医師の公式見解
女性の不妊手術に関する意見書(米国産婦人科学会)
不妊手術に関する小児科学会指針
英医師会の後見法ガイダンス
知的障害のある子どもへの不妊手術:06年オーストラリアの議論(資料)(2011/2/16)

また、これら当ブログのテーマの周辺で拾った強制不妊事件に関するエントリーは
去年3月の段階で一度、以下に取りまとめました ↓
知的障害・貧困を理由にした強制的不妊手術は過去の話ではない(2010/3/23)

その後、
ナミビアでHIV感染女性への強制不妊手術に抗議デモ(2010/6/2)
コンドーム生産国日本の家族計画国際協力がペルーの強制不妊に繋がった?(2010/8/17)
英国で知的障害女性に強制不妊手術か、保護裁判所が今日にも判決(2011/2/15)

また米国では、いくつかの州で過去の強制不妊の歴史に謝罪や賠償の動きがあり、
MN州、100年に及ぶ差別的施策を障害者に公式謝罪(2010/6/15)
MN州の公式謝罪から「尊厳は無益な概念」を、また考えてみる(2010/6/17)

NC州で、かつての強制不妊事業の犠牲者への補償に向け知事命令(2011/3/21)
NC州の強制不妊事業の犠牲者への補償調査委員会から中間報告書(2011/8/15)

なお、現在、人口抑制を国際的な課題とするゲイツ財団の気になる動きについては ↓
ゲイツ財団資金で超音波による男性の避妊法を開発、途上国向け?(2010/5/12)
ゲイツ財団がインドのビハール州政府と「革新的な家族保健」の協力覚書(2010/5/17)
2010年5月29日の補遺:G8での途上国の母子保健関連記事。ここでも「家族計画」に言及。
ゲイツ財団が途上国の「家族計画、母子保健、栄養プログラム」に更に150億ドルを約束(2010/6/8)
「途上国の女性に安価な薬で簡単中絶“革命”を」の陰には、やっぱりゲイツ財団(2010/8/3)

2011.09.12 / Top↑
当ブログは、2007年初頭にアシュリー事件と出会い、
その不可思議を追いかけるという作業に問答無用で引きずり込まれたことから始まり、
事件との出会いから既に5年近く、事件を検証すると同時に、
事件を通じて見えてきた英語圏の医療倫理の話題を追いかけ、
素人の徒手空拳であれこれと考えてきましたが、

このたび、これまでの作業を1冊の本にまとめ、
出版させていただけることになりました。

「アシュリー事件
メディカル・コントロールと新・優生思想の時代」といいます。

生活書院から9月22日刊行予定です。
各章の詳細などはこちらに。


この本の原稿を仕上げながら、
”Ashley療法”論争はこのまま尻すぼみで終わって
もう水面下に潜っていくのだろうかと、
ぼんやりとした空しさを感じていたのですが、

「アシュリー事件」という本を書いたことを
こうしてご報告できる段階までたどりついた今日、

私には同志のようにも感じられる
PeaceやRoyというお馴染みの人たちがまだまだ諦めずに闘い続けてくれていることを知り、
本当に嬉しく、新たに希望をもらう思いです。

私がAshley事件と出会うよりもはるかに前から
こうした闘い、もっと過酷な闘いを続けてきた人たちが世の中には沢山あることを、
私はこの事件との出会いによって学びました。

そうした闘いを必要とする世の中の現実についても
この事件との出会いによって初めて目を開かせられました。

英語圏の論争に直接参加するだけの力はありませんが、
遠い日本にいる、そしてその日本で我が子らが同じ時代の脅威に晒されようとしていることを恐れる
無力な一母親のささやかな闘いとして、私はこの本を書くことにしました。

アシュリー事件の検証と考察の他にも、
この事件を追いかける過程で見えてきた“無益な治療”論や
“死の自己決定権”、それらが“移植臓器不足”の問題と繋がっていく懸念など、
事件の周辺に見られる英語圏の医療倫理の問題についても
一つの章を割いて簡単にまとめました。

また最後の章「アシュリー事件を考える」では、
以下のエントリーなどで書かせてもらったことを
もうちょっと広げて(同時に深められているといいのですが)書いてみました。

成長抑制を巡って障害学や障害者運動の人たちに問うてみたいこと(2009/1/28)
親の立場から、障害学や障害者運動の人たちにお願いしてみたいこと(2010/3/12)

どうぞ、一人でも多くの方にお手に取っていただけると幸いです。
よろしくお願いいたします。


これまで当ブログにお付き合いくださった方々、
私には手に入れにくい論文や情報をゲットしてくださった方々、
私の知識不足をサポートしてくださった方々に。

みなさんに支えていただき、助けていただいたおかげで
これまでの作業をこうして形にすることが出来ました。

心からお礼申し上げます。

今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。
2011.09.04 / Top↑