① <子宮頸がん>予防ワクチン副作用 被害者連絡会が発足 Yahoo!ニュース (2013年3月25日)
同会の池田利恵事務局長(東京都日野市議)は記者会見で「子宮頸がんワクチンが本当にがんを減らす効果があるのか疑問。救済制度も不十分だ」と指摘
「本当にがんを減らす効果があるのか疑問」という指摘は、
2011年7月8日の第17回厚生科学審議会感染症分科会予防接種部会で、
専門家によって以下のように指摘されていました(ゴチックはすべてspitzibara)。
みなさん無邪気に万歳しているようだけれども、これはあと20~30年ぐらいしないと、有効かどうかは全くわからないですよ。メーカーの人も、何十年経って有効だということは、どなたも全く保証していませんよ。
(倉田委員の発言)
先ほどの倉田先生のご意見、コメントに私も同感で、実際に今日見せていただいた実施要綱にも、「ヒトパピローマウイルスワクチン」と書いて、「以下、子宮頸がん予防ワクチン」と書かれています。一般の人がパッと見たときに、子宮頸がんがこれで予防できるのだと思いますが、それは期待されているとはいえ、まだ実証はされていないので、そのあたりの言葉の使い方についてどうかなと
(北澤委員の発言)
このワクチンはがん予防に100%の効果があるものではないということと、臨床的な効果、倉田先生のおっしゃった子宮頸がんそのものの効果については接種からの年数から見てデータとして不十分であるということを明記してあるので、……
(上記2委員の発言を受けて岡部委員の発言)
やり取りから見て「推進派」と思われる医師が
「データとして不十分である」と認めている。
認めたうえで、発言趣旨としては、
データは不十分ではあるが、その旨は明記してあるし
国も周知に留意するだろうから認可してもよかろう、の意。
その他、議論の詳細については ↓
日本でもガーダシル導入へ、厚労省当該部会の議論の怪 1(2011/8/5)
2(2011/8/5)
ついでに、日本では接種した人を登録する制度がなく、
したがって効果の評価が出来ないとする感染症専門家のブログの指摘もある ↓
このワクチンの効果評価は長期においかけるコホートデータになるので、
接種前からの登録・長期間のフォローアップが必要なんですが。
Registration Programがないですよ!
接種した人達が誰か、分母がわからないと、そもそも効果評価できないですよ!
http://blog.goo.ne.jp/idconsult/e/ae5bce73d04f4699ffd21277ecb28b19
これらの情報を総合すると、
子宮頸がんを予防する効果は未だ実証されていない一方で、
その効果について日本でデータを取って検証するつもりもない、ということでは――?
② 「接種 実態調査を」子宮頸がんワクチン 被害者連絡会 朝日新聞(2013年3月26日)
海外の被害を調べてきた宮城県の内科医佐藤荘太郎さんは、昨年12月末までに厚生労働省に届けられた88人の重い副反応について、「個人的意見」とした上 で「法定接種を進めれば、今健康な娘さんたちに間違いなく同じ症状が増える」と警告。「因果関係を認めない医師は届けないため、実際はこの数倍被害がある のでは」と指摘した。
③ 子宮頸がんワクチン問題 ワクチン推進の教授、副反応「なじみがない」産経新聞(2013/3/19)
接種を推進している「子宮頸がん征圧をめざす専門家会議」の今野良・自治医科大教授は18日、「診断の基準は海外でも一定しておらず、日本も厚生労働省の研究班が基準を提案している段階で、(医師の間で)なじみがない」と述べた。
今野良医師とは、
2011年8月4日に「子宮頸がん制圧を目指す専門家会議」が朝日新聞に打った全面広告で
以下のように発言している人物。
子宮頸がん予防ワクチンということで、特別なワクチンと考えられがちですが、基本的には他のワクチンと変わるところはありません。思春期の多感な女子への接種なので、緊張のあまりドキドキして失神する方もいますが、10万人当たり3人程度の頻度です。
この発言には
失神の原因をワクチンにではなく、女児の方に転嫁しているという重大な問題がある、と
私はこの広告を取り上げた以下のエントリーで指摘しました↓
子宮頸がんワクチンでの失神は「ドキドキするから」?(2011/8/5)
そもそも日本で最近
ワクチン、ワクチンと急に騒がしくなった背景にあるのは
実はワクチンの推進ではなくワクチン産業の推進だったりする ↓
日本の「ワクチン産業ビジョンの要点」の怪(2011/3/8)
で、さらにその背景には、
グローバル強欲ひとでなしネオリベ金融慈善資本主義がチラついている? ↓
「米国のワクチン不信と、そこから見えてくるもの」を書きました(2010/7/5)
ちなみに、誤解を招かぬようお断りしておきますが、
当ブログは特定のワクチンの是非を論じる立場にはなく、そのつもりもありません。
当ブログが問題にしているのは
グローバル強欲ひとでなしネオリベ金融慈善資本主義の暴走であり、
それによって、保健医療の問題が
実は政治経済の問題と化してしまっていると思われる構造的な問題。
つまり、こういう世界ができ上ってしまっているのでは? という問題意識です ↓
事業仕分けの科学研究予算問題から考えること(2009/12/12)
CDCの前ディレクターはHPVワクチン売ってるMerck社のワクチン部門トップに天下り(2010/3/9)
「次世代ワクチン・カンファ」の露骨(2010/5/28)
「必要を創り出すプロセスがショーバイのキモ」時代と「次世代ワクチン・カンファ」(2010/5/29)
“プロザック時代”の終焉からグローバル慈善ネオリベ資本主義を考える(2011/6/15)
やっぱり不思議な「ワクチン債」、ますます怪しい「途上国へワクチンを」(2011/9/4)
AJOB巡るスキャンダルには、幹細胞治療や日本の医療ツーリズムも“金魚のウンコ”(2012/2/15)
同会の池田利恵事務局長(東京都日野市議)は記者会見で「子宮頸がんワクチンが本当にがんを減らす効果があるのか疑問。救済制度も不十分だ」と指摘
「本当にがんを減らす効果があるのか疑問」という指摘は、
2011年7月8日の第17回厚生科学審議会感染症分科会予防接種部会で、
専門家によって以下のように指摘されていました(ゴチックはすべてspitzibara)。
みなさん無邪気に万歳しているようだけれども、これはあと20~30年ぐらいしないと、有効かどうかは全くわからないですよ。メーカーの人も、何十年経って有効だということは、どなたも全く保証していませんよ。
(倉田委員の発言)
先ほどの倉田先生のご意見、コメントに私も同感で、実際に今日見せていただいた実施要綱にも、「ヒトパピローマウイルスワクチン」と書いて、「以下、子宮頸がん予防ワクチン」と書かれています。一般の人がパッと見たときに、子宮頸がんがこれで予防できるのだと思いますが、それは期待されているとはいえ、まだ実証はされていないので、そのあたりの言葉の使い方についてどうかなと
(北澤委員の発言)
このワクチンはがん予防に100%の効果があるものではないということと、臨床的な効果、倉田先生のおっしゃった子宮頸がんそのものの効果については接種からの年数から見てデータとして不十分であるということを明記してあるので、……
(上記2委員の発言を受けて岡部委員の発言)
やり取りから見て「推進派」と思われる医師が
「データとして不十分である」と認めている。
認めたうえで、発言趣旨としては、
データは不十分ではあるが、その旨は明記してあるし
国も周知に留意するだろうから認可してもよかろう、の意。
その他、議論の詳細については ↓
日本でもガーダシル導入へ、厚労省当該部会の議論の怪 1(2011/8/5)
2(2011/8/5)
ついでに、日本では接種した人を登録する制度がなく、
したがって効果の評価が出来ないとする感染症専門家のブログの指摘もある ↓
このワクチンの効果評価は長期においかけるコホートデータになるので、
接種前からの登録・長期間のフォローアップが必要なんですが。
Registration Programがないですよ!
接種した人達が誰か、分母がわからないと、そもそも効果評価できないですよ!
http://blog.goo.ne.jp/idconsult/e/ae5bce73d04f4699ffd21277ecb28b19
これらの情報を総合すると、
子宮頸がんを予防する効果は未だ実証されていない一方で、
その効果について日本でデータを取って検証するつもりもない、ということでは――?
② 「接種 実態調査を」子宮頸がんワクチン 被害者連絡会 朝日新聞(2013年3月26日)
海外の被害を調べてきた宮城県の内科医佐藤荘太郎さんは、昨年12月末までに厚生労働省に届けられた88人の重い副反応について、「個人的意見」とした上 で「法定接種を進めれば、今健康な娘さんたちに間違いなく同じ症状が増える」と警告。「因果関係を認めない医師は届けないため、実際はこの数倍被害がある のでは」と指摘した。
③ 子宮頸がんワクチン問題 ワクチン推進の教授、副反応「なじみがない」産経新聞(2013/3/19)
接種を推進している「子宮頸がん征圧をめざす専門家会議」の今野良・自治医科大教授は18日、「診断の基準は海外でも一定しておらず、日本も厚生労働省の研究班が基準を提案している段階で、(医師の間で)なじみがない」と述べた。
今野良医師とは、
2011年8月4日に「子宮頸がん制圧を目指す専門家会議」が朝日新聞に打った全面広告で
以下のように発言している人物。
子宮頸がん予防ワクチンということで、特別なワクチンと考えられがちですが、基本的には他のワクチンと変わるところはありません。思春期の多感な女子への接種なので、緊張のあまりドキドキして失神する方もいますが、10万人当たり3人程度の頻度です。
この発言には
失神の原因をワクチンにではなく、女児の方に転嫁しているという重大な問題がある、と
私はこの広告を取り上げた以下のエントリーで指摘しました↓
子宮頸がんワクチンでの失神は「ドキドキするから」?(2011/8/5)
そもそも日本で最近
ワクチン、ワクチンと急に騒がしくなった背景にあるのは
実はワクチンの推進ではなくワクチン産業の推進だったりする ↓
日本の「ワクチン産業ビジョンの要点」の怪(2011/3/8)
で、さらにその背景には、
グローバル強欲ひとでなしネオリベ金融慈善資本主義がチラついている? ↓
「米国のワクチン不信と、そこから見えてくるもの」を書きました(2010/7/5)
ちなみに、誤解を招かぬようお断りしておきますが、
当ブログは特定のワクチンの是非を論じる立場にはなく、そのつもりもありません。
当ブログが問題にしているのは
グローバル強欲ひとでなしネオリベ金融慈善資本主義の暴走であり、
それによって、保健医療の問題が
実は政治経済の問題と化してしまっていると思われる構造的な問題。
つまり、こういう世界ができ上ってしまっているのでは? という問題意識です ↓
事業仕分けの科学研究予算問題から考えること(2009/12/12)
CDCの前ディレクターはHPVワクチン売ってるMerck社のワクチン部門トップに天下り(2010/3/9)
「次世代ワクチン・カンファ」の露骨(2010/5/28)
「必要を創り出すプロセスがショーバイのキモ」時代と「次世代ワクチン・カンファ」(2010/5/29)
“プロザック時代”の終焉からグローバル慈善ネオリベ資本主義を考える(2011/6/15)
やっぱり不思議な「ワクチン債」、ますます怪しい「途上国へワクチンを」(2011/9/4)
AJOB巡るスキャンダルには、幹細胞治療や日本の医療ツーリズムも“金魚のウンコ”(2012/2/15)
2013.03.29 / Top↑
有機的統合性に基づく脳死定義へのアラン・シューモンの批判といえば、
日本で臓器移植問題に興味のある人が思い出すのは小松美彦氏の「脳死・臓器移植の本当の話」(PHP新書)。
小松氏の「有機的統合性」概念批判の概要はこちらに ↓
有機的統合性は“脳死=人の死”の根拠にはなりえない?
そのAlan Shewmonの擁護論を、
Journal of Medicine and Philosophyの最新号で
E. Christian Bruggerという生命倫理学者が書いた。
長すぎて要約不能だとしてBioEdgeは結論のみ。
Cookの文章に沿ってなぞってみると、
生きている状態というのは
身体全体が有機的な統合体として生理的に機能できている状態であり、
その統合をつかさどっているのが脳であるとして
バーバード大学の脳死判定基準を認めた大統領生命倫理評議会の結論は、
その基準での脳死判定では脳死とされる状態でありながら
有機的統合体であり続ける症例を多数挙げて、
有機的統合性をつかさどるのは脳ではなく、
a property of the whole organism (生命体全体としての働き?)である、との
シューモンの疑念に論駁しきれていない、として、
Bruggerは
「脳死」は人の死ではなく一臓器の死に過ぎないのでは、と書き、
「これらの疑いが取り除かれるまで、慎重を期し、
脳死とされる人達を生きている者として扱うことが倫理的に妥当」と結論。
Questions hover over “brain death,” says US bioethicist
BioEdge, March 23, 2013
日本で臓器移植問題に興味のある人が思い出すのは小松美彦氏の「脳死・臓器移植の本当の話」(PHP新書)。
小松氏の「有機的統合性」概念批判の概要はこちらに ↓
有機的統合性は“脳死=人の死”の根拠にはなりえない?
そのAlan Shewmonの擁護論を、
Journal of Medicine and Philosophyの最新号で
E. Christian Bruggerという生命倫理学者が書いた。
長すぎて要約不能だとしてBioEdgeは結論のみ。
Cookの文章に沿ってなぞってみると、
生きている状態というのは
身体全体が有機的な統合体として生理的に機能できている状態であり、
その統合をつかさどっているのが脳であるとして
バーバード大学の脳死判定基準を認めた大統領生命倫理評議会の結論は、
その基準での脳死判定では脳死とされる状態でありながら
有機的統合体であり続ける症例を多数挙げて、
有機的統合性をつかさどるのは脳ではなく、
a property of the whole organism (生命体全体としての働き?)である、との
シューモンの疑念に論駁しきれていない、として、
Bruggerは
「脳死」は人の死ではなく一臓器の死に過ぎないのでは、と書き、
「これらの疑いが取り除かれるまで、慎重を期し、
脳死とされる人達を生きている者として扱うことが倫理的に妥当」と結論。
Questions hover over “brain death,” says US bioethicist
BioEdge, March 23, 2013
2013.03.29 / Top↑
カナダの生命倫理学者、カルガリー大の Walter Glennonが
Cambridge Journal of Healthcare Ethics 4月号で
デッド・ドナー・ルール(死亡提供ルール)に疑問を呈している。
アブストラクトはなく、最初の1ページは以下。 ↓
The Moral Insignificance of Death in Organ Donation
Cambridge Quarterly of Healthcare Ethics, Volume22 Issue 02, April 2013
BioEdgeによれば、Glennonは、
重症脳損傷の患者のケースを論じて、以下のように書いている。
What matters is not that the donor is or is not dead, or when death is declared, but that the donor or a surrogate consents, that the donor has an irreversible condition with no hope of meaningful recovery, that procurement does not cause the donor to experience pain and suffering, and that the donor’s intention is realized in a successful transplant.
問題なのはドナーが死んでいるかいないかとか、いつ死が宣告されるかではなく、ドナーまたは代理決定者が同意しており、ドナーが意味のある回復の見込みがまったくない不可逆な状態にあって、臓器摘出がドナーに痛みも苦しみも与えず、成功裏に移植が行われてドナーの意思が実現されることである。
むしろ、ドナーに臓器提供の意思があるにもかかわらず、
提供が認められなかったり、死亡提供ルールで死ぬまで待って臓器が使えなくなれば、
ドナーの利益が損なわれるのだ、と主張し、
臓器不足解消のため、
デッド・ドナー・ルールの撤廃を説いている。
ここまでは、これまでも説かれてきたデッド・ドナー・ルールの撤廃論とも
ほとんど同じ路線だろうと思うのだけど、
この後でBioEdgeがまとめている最後の段落はすごく気になる。
そうすると
健康な人が自殺の手段として臓器提供をすることも認めるのか? という問いに
Glennonは、否。全然そうではない、と答える。
そういう人は理性にもとづいた標準的な自己決定をしていないから
そういう臓器提供は認められない。
通常は、人が自分の生はもはや生きるに値しないと結論するのは
不可逆で望みのない状態を経験しているからだから。
Why wait until death for organ donation, asks Canadian bioethicist
BioEdge, March 23, 2013
提供意思があるのに提供がかなわないなら
それは提供意思があった人が可哀そうだから、
ちゃんとその意思を尊重してあげるために、
生きているうちから採ってもいいことにしよう、という理屈は
SavulescuとWilkinsonの臓器提供安楽死の論理でもあったけど ↓
「生きた状態で臓器摘出する安楽死を」とSavulescuがBioethics誌で(2010/5/8)
臓器提供は安楽死の次には”無益な治療”論と繋がる……?(2010/5/9)
Savulescuの「臓器提供安楽死」を読んでみた(2010/7/5)
こういうのって、
実は犠牲に供しようとするターゲットの人達に
犠牲にする/なることについての倫理判断の所在を転嫁するという意味では、
安楽死や自殺幇助の合法化にエマニュエルが指摘していた患者への責任転嫁と
同じカラクリなんでは――?
もう一つ、そういえばAshley療法論争でも、
議論の主要テーマは「重症障害児への成長抑制は倫理的に妥当か」だったはずが、
議論が繰り返され、
「重症児だからやってもかまわない」という自分たちの主張に
世論が一定の影響を受けたところまでくると、
シアトルこども病院成長抑制ワーキング・グループという妙な組織の煙幕に隠れて
FostやDiekemaらが書いたHCRの10年の正当化論文では、
「重症児にしかやらないのだから成長抑制療法は正当化できる」と
議論の論点そのものを正当化の論拠に使う、という
論理のアクロバットが演じられていた。
“科学とテクノの簡単解決バンザイ”文化の旗振り役の生命倫理学者って、
同じマヤカシの手口を使うんだろうか。
「意味のある回復の見込みのない不可逆な状態は
生きるに値しない命だから
殺しても構わない……
死なせても構わない……
臓器をとっても構わない……」
という議論を
自分たちで展開してきておいて、
その論理が正当化されたわけでも受け入れられたわけでもなくとも、、
そろそろ世論に一定の影響が広がってきたとみると、
「回復の見込みのない不可逆な状態の人が
生きるに値しないと自己決定するのは、筋の通った判断だけど」と
それを今度は別の論点の論拠として逆転してみせることで
あたかもそれ自体は既に正当化・合意されたステートメントであるかのように――。
そうして
既に受け入れられた判断であるかのような錯覚・洗脳が
さらに広げられていく――。
それにしても「意味のある回復」とか
「人と意味のあるやり取りができる」とか、
アシュリー療法論争でも繰り返されていたけど、
あの、meaningful ってな、一体何なんです?
【関連エントリー】
Navarro事件の移植医に無罪:いよいよ「死亡提供ルール」撤廃へ?(2008/12/19)
臓器移植で「死亡者提供ルール」廃止せよと(2008/3/11)
「重症障害者は雑草と同じだから殺しても構わない」と、生命倫理学者らが「死亡提供ルール」撤廃を説く(2012/1/28)
Cambridge Journal of Healthcare Ethics 4月号で
デッド・ドナー・ルール(死亡提供ルール)に疑問を呈している。
アブストラクトはなく、最初の1ページは以下。 ↓
The Moral Insignificance of Death in Organ Donation
Cambridge Quarterly of Healthcare Ethics, Volume22 Issue 02, April 2013
BioEdgeによれば、Glennonは、
重症脳損傷の患者のケースを論じて、以下のように書いている。
What matters is not that the donor is or is not dead, or when death is declared, but that the donor or a surrogate consents, that the donor has an irreversible condition with no hope of meaningful recovery, that procurement does not cause the donor to experience pain and suffering, and that the donor’s intention is realized in a successful transplant.
問題なのはドナーが死んでいるかいないかとか、いつ死が宣告されるかではなく、ドナーまたは代理決定者が同意しており、ドナーが意味のある回復の見込みがまったくない不可逆な状態にあって、臓器摘出がドナーに痛みも苦しみも与えず、成功裏に移植が行われてドナーの意思が実現されることである。
むしろ、ドナーに臓器提供の意思があるにもかかわらず、
提供が認められなかったり、死亡提供ルールで死ぬまで待って臓器が使えなくなれば、
ドナーの利益が損なわれるのだ、と主張し、
臓器不足解消のため、
デッド・ドナー・ルールの撤廃を説いている。
ここまでは、これまでも説かれてきたデッド・ドナー・ルールの撤廃論とも
ほとんど同じ路線だろうと思うのだけど、
この後でBioEdgeがまとめている最後の段落はすごく気になる。
そうすると
健康な人が自殺の手段として臓器提供をすることも認めるのか? という問いに
Glennonは、否。全然そうではない、と答える。
そういう人は理性にもとづいた標準的な自己決定をしていないから
そういう臓器提供は認められない。
通常は、人が自分の生はもはや生きるに値しないと結論するのは
不可逆で望みのない状態を経験しているからだから。
Why wait until death for organ donation, asks Canadian bioethicist
BioEdge, March 23, 2013
提供意思があるのに提供がかなわないなら
それは提供意思があった人が可哀そうだから、
ちゃんとその意思を尊重してあげるために、
生きているうちから採ってもいいことにしよう、という理屈は
SavulescuとWilkinsonの臓器提供安楽死の論理でもあったけど ↓
「生きた状態で臓器摘出する安楽死を」とSavulescuがBioethics誌で(2010/5/8)
臓器提供は安楽死の次には”無益な治療”論と繋がる……?(2010/5/9)
Savulescuの「臓器提供安楽死」を読んでみた(2010/7/5)
こういうのって、
実は犠牲に供しようとするターゲットの人達に
犠牲にする/なることについての倫理判断の所在を転嫁するという意味では、
安楽死や自殺幇助の合法化にエマニュエルが指摘していた患者への責任転嫁と
同じカラクリなんでは――?
もう一つ、そういえばAshley療法論争でも、
議論の主要テーマは「重症障害児への成長抑制は倫理的に妥当か」だったはずが、
議論が繰り返され、
「重症児だからやってもかまわない」という自分たちの主張に
世論が一定の影響を受けたところまでくると、
シアトルこども病院成長抑制ワーキング・グループという妙な組織の煙幕に隠れて
FostやDiekemaらが書いたHCRの10年の正当化論文では、
「重症児にしかやらないのだから成長抑制療法は正当化できる」と
議論の論点そのものを正当化の論拠に使う、という
論理のアクロバットが演じられていた。
“科学とテクノの簡単解決バンザイ”文化の旗振り役の生命倫理学者って、
同じマヤカシの手口を使うんだろうか。
「意味のある回復の見込みのない不可逆な状態は
生きるに値しない命だから
殺しても構わない……
死なせても構わない……
臓器をとっても構わない……」
という議論を
自分たちで展開してきておいて、
その論理が正当化されたわけでも受け入れられたわけでもなくとも、、
そろそろ世論に一定の影響が広がってきたとみると、
「回復の見込みのない不可逆な状態の人が
生きるに値しないと自己決定するのは、筋の通った判断だけど」と
それを今度は別の論点の論拠として逆転してみせることで
あたかもそれ自体は既に正当化・合意されたステートメントであるかのように――。
そうして
既に受け入れられた判断であるかのような錯覚・洗脳が
さらに広げられていく――。
それにしても「意味のある回復」とか
「人と意味のあるやり取りができる」とか、
アシュリー療法論争でも繰り返されていたけど、
あの、meaningful ってな、一体何なんです?
【関連エントリー】
Navarro事件の移植医に無罪:いよいよ「死亡提供ルール」撤廃へ?(2008/12/19)
臓器移植で「死亡者提供ルール」廃止せよと(2008/3/11)
「重症障害者は雑草と同じだから殺しても構わない」と、生命倫理学者らが「死亡提供ルール」撤廃を説く(2012/1/28)
2013.03.29 / Top↑
米国コネチカット州の夫婦が
超音波検査で胎児に脳や心臓に損傷があるなど重度の先天異常が複数見つかったために
それが最も人道的だとして代理母に1万ドルで中絶を要求。
代理母は最初は15000ドルなら中絶すると答え、夫婦はそれを拒否。
その後、代理母は気持ちをひるがえして全面拒否。
夫婦が雇った弁護士が脅すような手紙を送り付けたり
訴えると言ったりしたものの、
夫婦は最後には産むのであれば親権を州に明け渡す、と。
代理母は2人の子どもの母である29歳のCrystal Kellyさん。
十分な職を得られず、子どもを育てるのに困窮し、
仲介業者を通じて2200ドルで夫婦の代理母になることに。
州に親権を奪われることを恐れたKellyさんは
代理母に親権を認めているミシガン州へ移住。
その後、生まれた後にもらってくれる養親を探した。
日曜日にCNNで報道されるや、
激しい論争になっているとのこと。
以下に生まれてきた女の子の現在を含む、
CNNのニュース・ビデオあり。
Surrogate refuses $10,000 to abort child
BioEdge, March 7, 2013
2010年にもカナダで類似の事件がありました ↓
ダウン症らしいからと、依頼者夫婦が代理母に中絶を要求(カナダ)(2010/11/18)
超音波検査で胎児に脳や心臓に損傷があるなど重度の先天異常が複数見つかったために
それが最も人道的だとして代理母に1万ドルで中絶を要求。
代理母は最初は15000ドルなら中絶すると答え、夫婦はそれを拒否。
その後、代理母は気持ちをひるがえして全面拒否。
夫婦が雇った弁護士が脅すような手紙を送り付けたり
訴えると言ったりしたものの、
夫婦は最後には産むのであれば親権を州に明け渡す、と。
代理母は2人の子どもの母である29歳のCrystal Kellyさん。
十分な職を得られず、子どもを育てるのに困窮し、
仲介業者を通じて2200ドルで夫婦の代理母になることに。
州に親権を奪われることを恐れたKellyさんは
代理母に親権を認めているミシガン州へ移住。
その後、生まれた後にもらってくれる養親を探した。
日曜日にCNNで報道されるや、
激しい論争になっているとのこと。
以下に生まれてきた女の子の現在を含む、
CNNのニュース・ビデオあり。
Surrogate refuses $10,000 to abort child
BioEdge, March 7, 2013
2010年にもカナダで類似の事件がありました ↓
ダウン症らしいからと、依頼者夫婦が代理母に中絶を要求(カナダ)(2010/11/18)
2013.03.11 / Top↑
英国とオーストラリアの研究者らが
1995年から2012年の間に行われた生殖補助技術を使って生まれた子どもの調査報告82本の
集大成を行ったところ、
自然に生まれた子どもに比べて
生殖補助技術を利用して生まれた子どもでは
先天異常の確立が32%も高いことが明らかに。
深刻な先天異常に限ればその確率は42%に上がる。
単生児だけで言えば、36%。
その原因として論文著者らが推測しているのは
もともとの不妊の原因になっているもののほかに、
使われた薬や、培養液の成分、培養期間の長さ、冷解凍、
着床時のホルモン環境の変化、生殖子や胚の操作、それらのコンビネーション。
Birth defects more likely in IVF children
BioEdge, March 8, 2013
2009年にカナダの医師らの調査で
同様の報告が出てきている ↓
生殖補助医療で先天異常が増加?(2009/11/26)
【その他の関連エントリー】
IVFの遺伝子異常リスク、遅ればせの研究スタート(2009/2/18)
「試験管ベビーは先天異常の時限爆弾化?」とDaily Mail(2009/5/6)
IVFでの妊娠でダウン症を理由に中絶、5年間で123人(英)(2012/7/24)
1995年から2012年の間に行われた生殖補助技術を使って生まれた子どもの調査報告82本の
集大成を行ったところ、
自然に生まれた子どもに比べて
生殖補助技術を利用して生まれた子どもでは
先天異常の確立が32%も高いことが明らかに。
深刻な先天異常に限ればその確率は42%に上がる。
単生児だけで言えば、36%。
その原因として論文著者らが推測しているのは
もともとの不妊の原因になっているもののほかに、
使われた薬や、培養液の成分、培養期間の長さ、冷解凍、
着床時のホルモン環境の変化、生殖子や胚の操作、それらのコンビネーション。
Birth defects more likely in IVF children
BioEdge, March 8, 2013
2009年にカナダの医師らの調査で
同様の報告が出てきている ↓
生殖補助医療で先天異常が増加?(2009/11/26)
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IVFの遺伝子異常リスク、遅ればせの研究スタート(2009/2/18)
「試験管ベビーは先天異常の時限爆弾化?」とDaily Mail(2009/5/6)
IVFでの妊娠でダウン症を理由に中絶、5年間で123人(英)(2012/7/24)
2013.03.11 / Top↑