④子宮摘出があたかもホルモン療法の副作用軽減のために必要だったかのように書かれている。
論文の中で子宮摘出が触れられているのは、ごくわずかです。
初出は「症例報告」という項目の後半。
両親と医師とが話し合った結果、
「エストロゲンの大量投与によって成長を抑制し、
治療前の子宮摘出によって思春期一般の長期的な問題と特に治療の反作用を軽減するという計画ができた」
という文です。
このセンテンスが原文でも日本語でもややこしくて分かりにいのは、
この中に、いくつものマヤカシが仕掛けられているためです。
ここでは子宮摘出に関連した点だけに絞りますが、
それでも2つのマヤカシがあります。
まず「思春期一般の長期的な問題」というのは、
両親がブログで書いていることで言えば「生理と生理痛」のことでしょう。
それとも、もしかしたら子宮を摘出する副次的なメリットとして両親が挙げている
「レイプされた場合の妊娠予防」までを含めたつもりなのでしょうか。
いずれにしても、両親が子宮摘出を望んだ本来の目的を隠蔽する巧妙な表現です。
ざっと読んだ人は、あまり気にも留めずに通り過ぎてしまう箇所でしょう。
「思春期一般の長期的な問題」とは、よくも考えたものです。
確かにウソではない。でも、何も言っていないに等しい。
これは、特にDeikema医師の発言には非常によく見られる傾向です。
2つ目のマヤカシは、
ここで初めて登場する「子宮摘出術」という単語に「治療前の」という形容詞がくっついていること。
論文には子宮摘出術という言葉が全部で8回使用されていますが、
そのうち半分の4回には「治療前」または「予防的」という形容がついています。
箇所でいうと「症例報告」で2回、「治療のリスク」の項目で6回。
つまり論文の中での子宮摘出は、ほぼホルモン療法のリスク予防のコンテクストで語られているわけです。
実際にネット上の論争で、生理をなくすための摘出を批判した人に対して、
「それは違う。子宮の摘出はホルモン療法の副作用を防ぐために必要だった。論文にそう書いてある」
と書いた人もありました。
確かに論文から受ける印象は
「ホルモン療法の反作用防止のために、前もって子宮をとっておくことが必要だったのだ」
というものです。
実はDeikema医師は、
5月16日にワシントン大学で行われたこの件に関するシンポジウムでも同じことをやっています。
会場から「将来トラブルとなる可能性があるからというだけで、
体の一部を摘出するというのは納得できない」という指摘があった際、
彼は論文と同じ論理の摩り替えトリックを使って反論しました。
もちろん乳房芽の切除は既にバレていますから、隠すことはできません。
「今やるからリスクの少ない乳房芽の切除手術で済むが、
将来病気になってからだと乳房の切除になって手術のリスクも大きくなる。
子宮摘出もホルモン療法の反作用を防ぐためにはこのタイミングでやらなければならなかった。
いずれも、このような医療上の必要があってやったことだ」
といった内容のことを言っていました。
が、会場からの指摘は摘出そのものの必要を疑問視していたのに対して、
彼が言っているのは摘出を前提とした、あくまでタイミングと順番の問題に過ぎません。
明らかに論文で使ったトリックと同じ、論理の摩り替えです。
論文で、実際には生理と生理痛を回避するために行われた子宮摘出を、
あたかもホルモン療法のために必要だったかのように書くのは、
やはりマヤカシではないでしょうか。
もっとも、逆に考えれば、
将来の生理と生理痛を回避するために子宮をとってしまうということに
倫理上の問題があると分かっていたからこそ書けなかった、とも言えるかもしれません。
しかし、この論文には、もっと巧妙かつ悪質なマヤカシが潜んでいます。
倫理委員会についてのものです。
報道だけを鵜呑みにしていたのでは見えない実相がこの問題には隠れているのでは……と
私が考えるようになったきっかけの1つが、次に指摘する⑤の、
さらに手の混んだ仕掛けでした。
追記: 1月5日のSeattle Post-Intelligencer紙の記事Controversy rages around stunting girl's growth のインタビューにおいて、Gunther 医師も「アシュリーは治療中の出血を避けるため、子宮がんのリスクと生理の不快をなくすために子宮摘出術を受けた」と、やはり副作用軽減が主な目的であるかのような発言をしています。
引き続き、論文のおかしな点について。
③乳房芽の切除については、一切触れられていない。
この点は既に多くの人が指摘しているところですが、論文は乳房芽については一切触れていません。倫理委員会の検討について書かれた一説でも、倫理委員会は「成長抑制と子宮摘出術の要望はいずれも、この症例については倫理的に妥当とのコンセンサスに至った」と書かれて、乳房芽の切除を省いています。もちろん書き忘れたわけではないでしょう。
ところで、アシュリーの両親はブログの中で「担当医にとっても病院内の倫理委員会にとっても、一連の処置の中で最も判断が難しかったのが、この乳房芽の切除だった」と書いています。さらに、乳房芽の切除でどんな利点があるかを述べた後で、「上記の利点を詳しく説明することで私たちは彼ら(担当医や倫理委のメンバーを指す)のreluctanceを乗り越えた」とも書いています。アシュリーの親は倫理委員会の会議の冒頭でパワーポイントを使ってプレゼンを行っているので、その際に特に乳房芽の切除については利点を力説したのでしょう。それでようやく説得できた、というニュアンスです。
また5月8日のWPASの調査報告書に添付されたExhibit L(アシュリーの症例を検討した倫理委の報告書)にも、話題になった点の1つとして「乳房切除がどのようにQOLに結びつくのか」という問題が挙げられています。
病院サイドはホルモン療法による身長抑制と子宮摘出についてはともかく、乳房芽の切除には最後まで倫理的な問題を感じて躊躇していたことが想像されます。論文で乳房芽の切除が伏せられていることと無関係ではないでしょう。
さらに論文執筆者の1人Deikema医師はメディア報道が沸騰した直後の1月11日と12日に立て続けにCNNに登場した際に、非常に興味深い発言をしています。
11日に放送されたインタビューでは「2004年にアシュリーに行われたことを説明してください」という質問に対して、成長抑制と子宮摘出の2つについてのみ答え、やはり乳房芽の切除については触れていません。ところが翌12日に「ラリー・キング・ライブ」に衛星中継で生出演した際には、キングに「何が行われたのですか」と問われ、ちゃんとホルモン療法、子宮摘出、乳房芽の切除の3つについて答えているのです。
内容だけではなく、答え方も微妙に変わっています。11日の答えは「成長抑制は……子宮摘出は……」と処置の方法について説明する形をとっているのに対して、12日の答え方では3つの処置全てについて「両親が求めたのは……」という表現を使っているのです。もちろん乳房芽の切除についても「そして最後に両親は乳房芽が切除されるよう求めました」と言っています。
人間の無意識というのは興味深い作用をするものです。両親に責任を転嫁する表現を選択させたのは、Deikema医師の中のいかなる無意識だったのでしょう……?