②冒頭で、在宅化を進めようとする政府の障害児福祉施策から論を起こしながら、2度とその問題に戻っていかないことの不思議。
「イントロダクション」は、脱施設をうたう政府の障害児福祉施策と、それに対してアメリカ小児科学会障害児セクションが賛意を表したことから話が始まります。後者の「障害の有無を問わず子どもは本来家族のもとで育つべきであり、多くの親がそれを望んでいる」とのコメントも紹介されます。それに続く部分でも、成長抑制療法を、在宅ケアを続行するための難問のひとつを解決し、親が家庭でケアできる期間を延ばす方策としています。
論文の副題も「古くからのジレンマへの新たなアプローチ」。ここでいう「ジレンマ」とは、親が在宅でケアしたいと望んでも介護負担からそれが難しくなっていくことを指していると思われます。やはり論文の姿勢としては、重症障害児の在宅ケアの負担軽減策として成長抑制療法を提唱しているのでしょう。
しかし、その割には在宅サービスの現状についてデモグラフィックな情報は一切出てこないし、何の言及もありません。その後のメディアでの発言でもシンポでの発言でも、医師らは介護サービスの現状については、ほとんど興味がないように(もしかしたら知識もないのかも?)思えます。論文でも、イントロダクションの冒頭の後、本文では脱施設をうたう障害児福祉施策の話には2度と戻りません。
しばらく脱線してしまいましたが、話を2人の医師が書いた論文に戻します。
いまさら、何故まだ去年の論文の話なのかと思われるかもしれません。が、この論争の非常に際立った特徴の1つとして事実誤認の多さがあげられます。倫理委のメンバーが40人という広くメディアが報じた事実誤認は、シンポのパネリストにすら見られました。日本では1月にネットでニュースがブレイクした際に、あるニュースサイトから「アシュリーの知的機能はすでに失われている」という事実誤認が広まりました。もちろん、この事件の背景が非常に複雑だということも影響していますが、もう1つ見逃せない傾向として、これまでも指摘してきたように、元になる情報、特にその提出の仕方に大いに問題があるように思われます。
「何故そんなことになっているのか」という疑問は、そのまま「何故こんなことが許されてしまったのか」という疑問にも直結します。私はその疑問を解く大きな鍵の1つが、まだ親がその後ブログを書くことなど予想されていなかったであろう段階で医師らによって書かれた論文だと考えています。
Gunther医師とDiekema医師によって発表された論文について、明らかに問題があると思われる点はこれまでに指摘した3点です。が、マヤカシと呼ぶほどではないにせよ、それ以外にも“不思議”がいくつかあります。主に以下の5点です。
①幼い子供では前例がないので、この療法の効果もリスクも科学的に検証されていないことに何度も触れながら、それでもリスクと利益を秤にかけたら利益が上回ると結論する非論理性の不思議。
②冒頭で、在宅化を進めようとする政府の障害児福祉施策から論を起こしながら、2度とその問題に戻っていかないことの不思議。
③親のアイディアが具体的な計画となった場面に居合わせたのがGunther 医師である事実を伏せていることの不思議。
④倫理カウンセラーであった医師が論文執筆者であることの不思議。
⑤発表時期の不思議。
まず①については、シンポでもAnita Silversさんが、論文における「リスク対利益」という論理の枠組みは一貫していないといった指摘を行い、Diekema医師と思われる人が会場から「それだけではなく、もっと多様な枠組みを使い、広い枠組みの中で論じている」と反論していたように思います。しかし、これは論文が掲載されたのと同じジャーナルの同じ号で、Jeffery P. Brosco医師(シンポでも歴史的背景について講演しています)らの編者がEditorialを書いて指摘している第1点めでもあります。効果とリスクについて細部が十分に検証されていないとの指摘。the highly speculative aspect to the medical strategy proposed by Gunther and Diekema という表現さえ使っています。
実際、過去に背の高い少女に行われたホルモン療法を検討し、いくつかの副作用があったことも、さらにエストロゲン大量投与には血栓症のリスクがあることも書かれている「治療のリスク」という項目には、以下のような記述があります。
「エストロゲンの大量投与が成長を抑制するメカニズムについては完全に解明されていない」
「エストロゲン大量投与を使って、幼い子どもでどれほど成長抑制が期待できるか? これまでの経験がないので、reasonablyに推測する以外にない」
「幼い子供では前例がないので、副作用とリスクを明確に評価することは難しい」
「エストロゲンが血栓症の確率を上げるメカニズムは完全には分かっていない」
「発達に遅れがある子どもたちにおける血栓症の実際のリスクは、評価が難しい」
こう書いておきながら、効果が検証されていない療法がもたらす利益を、どうして認めることができるのか。明確に評価できない副作用とリスクの大小を、どうして論じることができるのか。
また、その一方で「倫理の議論」の結論部分は「こういう(乳幼児の精神レベルから成長しない)人たちにとって、単に体が小さいということから生じる害というものが、想像できるだろうか?」というナイーブな問いかけで始まり、一気に飛躍して、知能が低い人には背が高いことのメリットがなく、むしろ精神年齢相応に子ども扱いしてもらうことが本人の幸せなのだから、「医学的なリスク以外に害はない」と強引に結論付けるのです。
これらが「もっと多様な論理の枠組み」であり、「もっと広い枠組み」なのでしょうか。むしろ、この論文を読んだ人の中には、あまりの論理性の欠如、論文としてのあまりのお粗末に首をかしげた人も少なくなかったのではないかと、私は推測しています。しかしもちろん、執筆者たちが論理的思考が不得手だとか、文章を書くのが極度にヘタクソだったというわけではないでしょう。
ちなみに、Diekema医師は11日のCNNのインタビューでは、血栓症のリスクについて問われ、エストロゲン大量投与のリスクは経口避妊薬と似たようなもので、「多くの女性が喜んで引き受けているリスク」だと述べています。論文では、アシュリーのような幼い子どもへのリスクも発達障害児へのリスクも不明だとしていたのに、ここでは障害のない成人女性の避妊のリスクで話が摩り替えられて、リスクが小さいことの根拠とされているのです。
②以下は次回に。