2ntブログ
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--.--.-- / Top↑
カリフォルニア州で
近親者による自殺幇助事件に実刑回避の温情判決が続いている。

① 11年に86歳の退役軍人の男性Jack Koencyに
ヨーグルトに致死量の麻薬Oxycontinを混ぜて手渡したとして、
自殺ほう助の罪に問われていたソーシャル・ワーカーElizabeth Barrettに、
有罪を認めるのと引き換えに1月18日、3年間の保護観察の判決。

Koencyさんはガンで化学療法を受けていたが
ターミナルな病状でもなければ寝たきりでもなかった。

(ここで「寝たきりかどうか」が問題とされていることや
別の場所で「動ける」ことmobile を問題視する記述と並んで、
「寝たきりや自分で動けなくなったら死にたくても当然」という
記事を書いた人の無意識を感じる)

http://lagunaniguel-danapoint.patch.com/articles/woman-gets-probation-in-assisted-suicide-case
http://www.reuters.com/article/2013/01/19/us-usa-assisted-suicide-idUSBRE90I01A20130119
http://lagunabeach.patch.com/articles/laguna-woods-woman-gets-probation-in-assisted-suicide-of-wwii-veteran

② 去年12月10日に、
自分が望む暮らし方ができなくなったら終わりに、と兼ねて交わしていた約束通り、
公園の駐車場に止めて車の後部座席で妻にポリ袋をかぶせて死なせたとして、
逮捕起訴された元消防士のGeorge Taylor(86)に、1月16日、
禁錮2日(逮捕後の拘留期間)+3年間の保護観察の判決。

Taylorさんは、妻と同様にポリ袋をかぶったが死にきれず、
こういうこともあるかと用意していた刃物で首と手首を切ったが、これにも失敗して、
駐車場を出ようとしたところでパーク・レンジャーに発見された。

12月の内に有罪を認めていた。

夫婦は故Kevorkian医師の信奉者だったと言い、
健康問題は抱えていたが、いずれもターミナルな病気ではなかった。

http://www.sfgate.com/news/article/Retired-firefighter-sentenced-in-assisted-suicide-4199860.php

③ 去年、サン・ディエゴ郡で不起訴となった事件。

84歳の病妻が30錠の睡眠薬を混ぜたアップルソースを食べ、
頭に袋をかぶって死ぬまでの間、側にいて手を握っていた夫 San Marcos(88)は
殺人罪を疑われ、検察が判断を下すには5カ月を要したが、最終的に不起訴に。

夫は「妻が死ぬまで手を握っていました。
見捨てられたと感じさせたくなかったんです。
私が愛していることを知ってほしかった」

④ リヴァーサイド郡のBill Bentinck(87)は
ホスピス・ケアを受けていた妻のLinda(77)さんが酸素補給のカテーテルを自ら抜き、
本人が救急車を呼ぶのを拒むまま、意識がなくなるまで手を握っていた。

逮捕・拘留されたものの、立件不能として3日後に釈放。

こうした事例が検察や全米の家族に突きつけるのは次のような問いだと
この記事は書く。

家族が自分の最後の望みを果たして命を終える手伝いをするという、
愛の他には動機が見当たらない人たちに対して、正義はどこにあるだろうか?


ソーシャルワーカーが自殺幇助を行った①のケースでは
検察官はKoencyさんの遺族の望みと同時に「事件の性格」を考慮して
保護観察を提言した、という。

また②のケースでも、捜査により夫の行為に「悪意」がないことが判明した、と
検察官代理が言っており、彼はさらに「殺人ではありません。
殺そうという意図ではなく、彼女の自殺を助けようという意図でした」

CA州自殺幇助法の下で起訴されたケースが裁判になることはめったにないという。

裁判になっても、
罪がないわけではないにせよ、既に愛する人を失った高齢の被告を
有罪とすることについては陪審員の意見が割れることが予測されるため。

「検察官は法の精神を遵奉することは必要だと思いつつ、
この人物を生涯、刑務所に送ることには意味がないと考えるのです」

法を侵して命を終わらせていると明らかなケースでも
陪審員が同情的になって無罪放免するリスクを冒してまで
検事は裁判に持ち込もうとはしない。

そうした判決が出ると「一種の文化的前例」となってしまうので、
むしろこうしたケースでは有罪を認めさせる取引に持ち込むのだと、
スタンフォード法科大学のRobert Weisberg教授。

「極めて重大な犯罪で起訴された人たちがいるという記録は残しつつ、
実際の罰則の判断では人間的な常識を用いるほうがベター」

Prosecutors going easier on assisted suicide among elderly
LA Times, January 20, 2013


【関連エントリー】
警察が「捜査しない」と判断する、英国「自殺幇助起訴ガイドライン」の“すべり坂”(2011/7/15)
検死官が近親者による自殺幇助は見て見ぬフリ(英)(2011/8/25)
要介護状態の夫が、大動脈瘤で倒れた妻を病院で射殺。「慈悲殺か殺人か」論争に(2012/8/24)


去年の秋に某所で「障害者の権利」というテーマで
アシュリー事件についてお話しさせてもらった時に、
私はこの問題に触れ、以下のように述べたことがある。

介護者による虐待が既に社会問題となっているのはご承知の通りです。最近、日本の介護業界でも介護者による高齢者への虐待は問題視されて、様々な調査や研究がおこなわれるようになりました。最近、男性介護者も増えてきていますが、虐待加害者となる比率が最も高い介護者は息子です。日本では、息子から母親への虐待が最も多いと言われます。

男性介護者が虐待に走りやすい要因としてよく上げられるのが、男性の家事能力、介護能力の低さだったり、身体的な力の優位性だったりします。もう一つ、男性介護者は介護を「仕事」にしてしまう、ということがよく言われます。目標に向かって頑張り、その目標を達成するという形で働いてきた男性が、介護者となった時に、介護をそれまでの仕事と同じように捉えて、機能を改善させる数値目標を立てて無理矢理に頑張らせたり、介護の成果に自分の達成感を重ねてがむしゃらになったりすることで、支配的な介護となってしまうというのです。私はそこにさらに「介護は本来女の仕事なのに」という意識もあるんじゃないかという気がしています。本来、自分は男だから世話をしてもらえる側のはずなのに、どうして男の自分がこんなことをしなければならないのか、という気持ちがあって、それが本来なら世話してくれるはずなのに自分に世話をさせている相手に向かうのではないか、というふうに思います。

実は、どこの国でも障害を負って自殺幇助を希望する人は圧倒的に女性が多いと言われています。またALSの患者さんは、症状が進行するとやがて呼吸をすることが難しくなるので、どこかの段階で呼吸器をつけて生きるか、付けずに緩和ケアを受けて亡くなるか、非常に厳しい選択を迫られることになります。この時、女性のALS患者さんには付けない選択をして亡くなる人が多いと言われています。これらの事実が一体何を意味しているのか。安易に安楽死や自殺幇助を合法化する前に、このことの意味をしっかり考えるべきではないか、と私は考えます。

英国でもその他の国でも、妻を何年間も介護してきた夫が、妻が死にたいと言うから手伝って死なせた、という事件が増えているような気がします。そういう夫たちが無罪放免されたというニュースを読むたびに、私が思うのは「家族介護は密室である」ということです。英国のガイドラインは、相手への思いやりからすることで、自分が直接的な利益を得るわけでないなら、自殺幇助の証拠はあっても起訴することは公益に当たらないとして無罪放免していますが、それで本当に殺人や慈悲殺と自殺幇助とを区別できるのだろうかという疑問を私はずっと持っています。


(この個所に続いて、ギルダーデール事件を紹介しました)
2013.01.22 / Top↑
補遺で追いかけてきたように、

アイルランドのMS患者 Marie Fleming さん(59)が
自殺幇助の全面禁止は違憲であると主張し、

症状が悪化した際には夫に自殺幇助してもらいたいが、
その際に夫に犯罪者になるリスクを侵させることはできないとして
公訴局長DPPに起訴判断の基準を示すガイドラインを求めて提訴した裁判で、

アイルランドの高裁がFlemingさんの訴えを退け、
Flemingさんは最高裁に上訴すると言っていますが、

そのFleming訴訟は、
英国でDebbie Purdyさんが08年に起こしたのと全く同じ趣旨のものです。
(詳細は文末にリンク)

そのFleming訴訟の高裁判決の内容について概要を取りまとめた記事があったのですが、
特に英国のPurdy訴訟との対比で印象的なので、概要を以下に。


判決は1月10日。

自殺幇助の全面禁止は
弱者を非任意の死から守る目的で正当化され、
憲法においても欧州人権条約においても個人の自律と平等を侵してはいない、

また法の変更ができるのは議会のみであり、
したがって自殺幇助で起訴するか否かの判断ファクターに関するガイドラインを出して
事実上の方の変更をDPPが行うのは憲法違反となる。

意思決定能力のある成人には、
それが死にいたる場合であっても治療を拒否する権利があるが、
第三者が他者の死をもたらす積極的な手段を取るのことは全く別の問題である。

どんなに厳格なセーフガードを設けたとしても、
「高齢者、障害者、貧しい人々、望まれない人々(the unwanted)、
拒絶された人々(the rejected)、孤独な人々、衝動を抱えた人々、
経済的に困窮する人々、情緒不安定な人々が、
自分は家族や社会の重荷になっているという思いから逃れるために、
この選択肢を利用するのを防ぐことは不可能であろう」

Flemingさんの求めに応じて全面禁止の紐をちょっとでも緩めることは
「一度開けたら、その後は二度と閉じることはできないパンドラの箱をあけるようなもの」

Absolute ban on assisted suicide is justified to protect the vulnerable
The Irish Times, January 21, 2013



英国ではPurdy訴訟の最高裁判決が
DPPに法の明確化として基準を示すよう命じ、
10年にガイドラインができました。

(もっとも高裁判決では同様に「法改正は議会の仕事」とPurdyさん敗訴だった)


【Debbie Purdy訴訟関連エントリー】
MS女性、自殺幇助に法の明確化求める(2008/6/27)
親族の自殺協力に裁判所は法の明確化を拒む(2008/10/29)
自殺幇助希望のMS女性が求めた法の明確化、裁判所が却下(2009/2/20)
Debby PurdyさんのBBCインタビュー(2009/6/2)
Purdyさんの訴え認め、最高裁が自殺幇助で法の明確化を求める(2009/7/31)
Purdy判決受け、医師らも身を守るために法の明確化を求める(2009/8/15)
法曹関係者らの自殺幇助ガイダンス批判にDebbie Purdyさんが反論(2009/11/17)


【ガイドライン関連エントリー】
DPPの自殺幇助に関する起訴判断のガイドラインを読む 1(2010/3/8)
DPPの自殺幇助に関する起訴判断のガイドラインを読む 2(2010/3/8)
英国の自殺幇助ガイドライン後、初の判断は不起訴(2010/3/26)
警察が「捜査しない」と判断する、英国「自殺幇助起訴ガイドライン」の“すべり坂”(2011/7/15)
2013.01.22 / Top↑
先月、CA州で妻の自殺をほう助したとして逮捕起訴されていた元消防士Geroge Taylor(86)に禁固2日+3年間の保護観察。
http://www.sfgate.com/news/article/Retired-firefighter-sentenced-in-assisted-suicide-4199860.php

11年に86歳の退役軍人の男性Jack Koencyにヨーグルトに致死量の麻薬Oxycontinを混ぜて手渡したとして、自殺ほう助の罪に問われていたソーシャル・ワーカーElizabeth Barrettに、有罪を認めるのと引き換えに3年間の保護観察。
http://lagunaniguel-danapoint.patch.com/articles/woman-gets-probation-in-assisted-suicide-case
http://www.reuters.com/article/2013/01/19/us-usa-assisted-suicide-idUSBRE90I01A20130119
http://lagunabeach.patch.com/articles/laguna-woods-woman-gets-probation-in-assisted-suicide-of-wwii-veteran

LATimesに「自殺幇助事件では検察が温情判断している」との記事。これは今夜これから読む。たぶん。同様の疑惑について書いたエントリーは以下に【関連】として。
http://www.latimes.com/news/local/la-me-suicide-assist-20130120,0,588699.story

【関連エントリー】
警察が「捜査しない」と判断する、英国「自殺幇助起訴ガイドライン」の“すべり坂”(2011/7/15)
要介護状態の夫が、大動脈瘤で倒れた妻を病院で射殺。「慈悲殺か殺人か」論争に(2012/8/24)


オレゴン州でロングフル・デス(過失致死?)の事件を扱う弁護士が、尊厳死法を利用して死んだ人については、司法の人間であっても情報公開がされないことを指摘し、モンタナ州の州民に対して「合法化は危険だ」と呼びかける内容の手紙。ざっと読んだけど、改めてもう一度読んでみて、なるべくエントリーに。
http://mtstandard.com/news/opinion/mailbag/oregon-assisted-suicide-law-is-not-safe-according-to-lawyer/article_329524a6-629a-11e2-bea8-0019bb2963f4.html

日本。延命治療「死にません、なかなか」=麻生副総理が発言、すぐに撤回「チューブの人間だって、私は遺書を書いて『そういう必要はない。さっさと死ぬから』と手渡しているが、そういうことができないと死にませんもんね、なかなか」「いいかげん死にたいと思っても『生きられますから』なんて生かされたんじゃかなわない。しかも政府の金で(高額医療を)やってもらっていると思うと寝覚めが悪い。さっさと死ねるようにしてもらわないと」:社会保障制度改革国民会議での副総理の発言が「個人の人生観を述べたということ」で済むのか?
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130121-00000064-jij-pol
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2013012101001752.html

カナダ政府はPAS合法化に反対のスタンスである中、ケベック州がPASを治療の一環と位置付けることで合法化しようとしている、とWesley Smithの批判。:これについてはOR州で配給医療制度とPASが併存すると、PASは緩和ケアの一環としてオファーされるに等しい、という面は既にあると思う。
http://www.nationalreview.com/human-exceptionalism/337800/quebec-redefine-suicide-medical-treatment

アイルランドのMarie Flemingさん、PAS禁止違憲訴訟で、最高裁へ上訴へ。
http://www.irishtimes.com/newspaper/ireland/2013/0117/1224328951547.html

以下の2つの補遺で拾った訴訟の続報で、ES細胞を使用した研究に連邦政府の助成可能に。
http://www.nytimes.com/2013/01/21/opinion/embryonic-stem-cell-research-gets-a-reprieve.html

10年10月6日の補遺
ES細胞研究への公的助成が裁判沙汰になって、自分の職は一体どうなるんだと不安を感じている科学者が沢山。
http://www.nytimes.com/2010/10/06/science/06stem.html?th&emc=th

11年5月3日の補遺
米国のES細胞研究への公的助成を巡る裁判の続報。上訴裁判所が、下級裁判所の判決までは現在の研究続行を認めたのだけれど、その下級裁判所はヒト胚を破 壊する研究の違法性を問うて訴訟を起こした原告寄りらしく、NYTの論説が「世論は脊損やパーキンソンや糖尿病の治療に結び付く有望な研究を進めろと言っ ているのだから、考え直せ」と。http://www.nytimes.com/2011/05/03/opinion/03tue2.html?nl=todaysheadlines&emc=tha211
 

ランス・アームストロングのドーピング事件を受けて、でも21世紀のドーピングはこんなものには留まらず、遺伝子ドーピングや幹細胞での組織再生と新たな領域に突入する、と予測するNYT記事。薬物のドーピングも、より検出不可能なものとなっていくだろう、と。
http://www.nytimes.com/2013/01/20/sunday-review/so-long-lance-here-comes-21st-century-doping.html

インド Ahmedabadでの代理母スキャンダル。緩やかな規制と官憲の腐敗で、代理母が実際は赤ちゃん売買に。
http://www.bioedge.org/index.php/bioethics/bioethics_article/10359#comments

そこでインドも重い腰を上げて、ようやく代理母の規制強化へ?
http://www.bioedge.org/index.php/bioethics/bioethics_article/10358#comments

英国政府の福祉カットで新たに20万人の子どもが貧困状態に突入。野党が示したデータを政府、事実と認める。
http://www.guardian.co.uk/society/2013/jan/17/benefits-squeeze-200000-children-poverty

日本語。シルク・ドゥ・ソレイユが社員400人解雇、コスト増などで:グローバル強欲ひとでなしネオリベ金融資本主義の世界で、いったい誰が生き残っていけるというのだろう。「そして誰もいなくなった」に向かって、ひたすら人と命の切り捨て合戦が続く。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130117-00000087-reut-ent

「間違いなら選挙で落とせ」橋下市長、予算を人質に圧力 桜宮高2自殺:結果的に教育委員会が独立性を自ら明け渡してしまったみたいだけど、この人がやっていることはパワハラであり、それこそが「体罰」の本質という皮肉。
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/event/crime/623059/
2013.01.22 / Top↑
16日の補遺で拾ったように、
カナダ、ケベック州政府が医師による自殺幇助の合法化の方向を打ち出したことで、
ケベック州での議論が再燃しているのだけれど、

どこの国の議論でも、賛否両論とも、
すでにあちこちで出尽くしたものばかりだと思っていたら、
これまでの反対論とは一味違うのが出てきた。

PASや安楽死合法化が、医療崩壊問題の打開策とされる危険性を指摘し、
それが医療が本来持っていたはずのヒューマニティを損ない、
医療の文化の変質が起きることを危惧している。

著者はSherif Emilというケベック州の小児外科医。

いかにケベック州の医療制度そのものが破たんしているか、その現状を描き、
医療界・政界が、その医療の崩壊自体に無策のままPASが合法化されていくことの
危うさを指摘している。

Opinion: Legalizing assisted suicide is wrong and dangerous
The Gazette, January 17, 2013


著者によれば「ケベックほど安楽死の合法化が危険な場所はない」。

なぜといって、
カナダ医療協会の調査(2010)で
カナダ人の大半が医療制度は破たんしていると答えたが、
中でもケベック州が最悪という結果が出たという。

で、現場の小児外科医の経験している崩壊とはどういうものかといえば、

著者の毎日の診療は常にトリアージ状態で、
日々どの患者から治療すべきか判断を迫られているという。

手術室の資源も、集中治療室のベッドも、入院ベッドも、看護師も
ありとあらゆるものが、足りない。

大人の病棟はもっとひどい状況にある。

過去25年間で、医療制度のヒューマニティはほとんど消滅してしまった。患者のためにこそ医療制度があるはずなのに、その患者が医療制度に対する負担とみなされるようになってしまった。最も弱い人たちのケアを託されている多くの人々のモラルを、資源の不足と政府のお粗末なマクロ政策がくじいてしまった。この腐敗に注意を喚起しようと声を上げる者もいるが、耳を傾ける者は少なく、声はかき消されていく。本当の意味で患者と家族中心のケアを、というのは、かつてのようにルールではなく、もはや例外である。こんな環境下で、我々は自殺幇助を導入しようというのか?

さらに、

……緩和ケアは今では在宅でもホスピスでも受けられ、家族や愛する人に見守られながら尊厳ある死に方ができるようになった。緩和医療は独自の専門領域にまで成熟し、痛みや苦痛を和らげる新たな治療や方法論を見つけるために、何十億ドルという資金が投資されている。医師が使えるツールは指数関数的に増えており、痛みのマネジメントや緩和ケアに特化した医学ジャーナルも新たに刊行されている。痛苦が命を終わらせる論拠になるのなら、殺すべきは痛苦であって患者ではない。痛みに対して十分な治療を行わずに自殺幇助を合法化するのは、うつ病に対して十分な治療を行わずに自殺幇助を合法化するに等しい。Mount医師を始め、多くの緩和ケア医らが安楽死に強く反対しているのは偶然ではない。


また、小児科医として著者が特に懸念するのは
ケベック州の同意可能年齢が14歳とされていること。
これは北米で最も低い。

一方、ケベックの選別的中絶率は北米で最も高い。
避妊と性教育は広く行き渡っているにもかかわらず、である。

また先天的欠損のある胎児の中絶率も最も高い。
中絶される胎児の障害の多くは治療可能なものであり、
予後もよいにもかかわらず、である。

ケベック州では妊娠後期に至っても、
先天異常が発見されれば中絶が認められている。
この段階では、まず殺してから出産させる方法をとる。

それならば、これらの異常を生まれた後になって親が知った場合は?
生まれたばかりの我が子の命を終わらせる法的権利が
親に認められることになるのだろうか?

次に著者が懸念するのは、
ケベック政府の法案がベルギーの安楽死法をモデルとしていること。

ベルギーの腫瘍科医誌で緩和ケアユニットのディレクターであるCatherin Dopchie医師が
ちょうどモントリオールとケベック・シティで講演したばかりだという。

Dopchie医師は、
ベルギーの10年前の安楽死合法化で「開いたパンドラの箱」がどういうものか語った。

痛みがコントロールされないことを恐れて、患者も家族も医師も
緩和ケアを試みることすらせず、その代わりに医師による安楽死に飛びつく。

安楽死を選ぶことは「勇気ある」行為となり、
あちこちで高齢者とターミナルな病気の人々には
明に暗に「勇気ある」選択へのプレッシャーがかかっている。

当初は極端なケースへの解決策として提案されたものが、
広く喧伝される「治療的選択肢」となってしまった、とDopchie医師。

同医師がケベックを去るや、耳に入ってきたのは
ベルギーでろうの双子の兄弟が安楽死したニュースだった。

(ベルギーの実態については以下の報告書が去年出ています ↓
ベルギーの安楽死10年のすべり坂: EIB報告書 1(2012/12/28))


著者は、
安楽死は社会にとって、より簡単な道だけれども、
破たんした医療制度の問題と取り組む、より困難な道を選ぶべきでは、
そのためには正直とリーダーシップが必要だ、と。

最先端の医療をもってしても治癒は時に可能という程度かもしれないが、苦痛をとり楽にしてあげることなら常に可能である。私は、医師が時に殺すけれど、苦痛をとり楽にしてあげることは滅多にしない、というような医療制度の下で、医療をやりたくない。



【ケベックのPAS合法化議論関連エントリー】
カナダ・ケベック州医師会が自殺幇助合法化を提言(2009/7/17)
スコットランド、加・ケベック州で自殺幇助について意見聴取(2010/9/8)
ケベックの意見聴取、自殺幇助合法化支持は3割のみ(2011/12/29)
ケベックの尊厳死委員会から24の提言:メディアは「PAS合法化を提言」と(2012/3/24)

【カナダのPAS合法化議論関連エントリー】
カナダの議会でも自殺幇助合法化法案、9月に審議(2009/7/10)
図書館がDr. Death ワークショップへの場所提供を拒否(カナダ)(2009/9/24)
カナダの議会で自殺幇助合法化法案が審議入り(2009/10/2)
自殺幇助合法化法案が出ているカナダで「終末期の意思決定」検討する専門家委員会(2009/11/7)
カナダ議会、自殺幇助合法化法案を否決(2010/4/22)
カナダの法学者「自殺幇助合法化は緩和ケアが平等に保障されてから」(2011/2/5)
カナダで自殺幇助合法化を求め市民団体が訴訟(2011/4/27)
カナダ王立協会の終末期医療専門家委員会が「自殺幇助を合法化せよ」(2011/11/16)
カナダBC州最高裁からPAS禁止に違憲判決(2012/6/18)
2013.01.22 / Top↑
第5章 細谷亮太「小児における終末期医療」

成人とは異なる小児の終末期医療について
欧米の小児の緩和ケアを手本に、チーム医療によるトータルケアの実践を日本にも導入し、
根付かせていこうと努力しておられる最先端の医師が概論的に紹介する、といった趣の章。

読んでいると、
チーム医療のみならず患者の生活全般への目配り、告知についての配慮の厚さなど、
こちらの方が、成人も含め本来の医療のあり方なんでは? と思えてくる。

病気の子どもへの話の3大原則「うそをつかない、わかりやすく、あとのことも考えて」も、
「最後まで痛くなく苦しくなくするという約束だけは絶対に守るからね。
怖いことのないように頑張るから、よろしくね」と
「説明」の最後に追加された細谷氏の言葉も、そうだ。

「過剰な医療より尊厳死や平穏死を」と言っている一般人の本当の願いは
実は「最後まで痛くなく苦しくなく怖くない、過不足のない医療」であって、
自分の主治医が細谷氏と同じ覚悟を示し、同じ約束をしてくれるなら、そこから先の願いはきっと
「もう医療はいらない」でも「死なせてほしい」でもないんじゃないだろうか。

私はずっとそんな気がしている。
ただ、みんな、そんな医療には出会えないと、もう絶望してしまっただけで。


第6章 西村ユミ「植物状態患者はいかに理解されうるか
――看護師の経験から生命倫理の課題を問う」

植物状態患者の専門病院で勤務する看護師たちが
患者を新たに担当する段階から直接的なかかわりを深めていく時間経過に沿って
患者の捉え方が「何も分からない人」から「分かっている人」へと変わっていく過程を、

1年間に渡って調査し、そこで何が起こっているか、それは植物状態の理解において何を意味するのかを
その結果から考察する、という内容。大まかな趣旨は、結論部分にまとめられているように以下。

……看護師による患者理解は、互いの身体の応答性から生起した経験によって成り立っていた。そのためであろう、患者を「分かっている人」として理解できるようになってきたとき、看護師たちは、患者が変わったのではなく、自分たちの方が患者を見る目を養われてきたのだと思うようになった。……(略)

……法律や生命倫理の議論における患者理解には、患者に関与しつつ、自らの理解の仕方を問うという再帰性が含まれていない。その再帰性は、患者の状態に促された行為的な経験から生み出されるものであるから、じかに患者の接しなければ生起してこないのである。…(中略)…植物状態にある患者たちと直に接する経験を持っていない者たちが、こうした患者たちの生に関わる法律や倫理の問題について議論を求められる際に、まず取り組めるのは、その時の自らの患者理解が何を手掛かりにして成り立っているかを問い直すことではないだろうか。
(p.105)

「植物状態」をさらに重症障害児者にまで拡げれば、これは、
アシュリー事件と出会い、パーソン論を知って驚愕した私が、
トランスヒューマ二ストや功利主義の生命倫理学者らの言葉に歯ぎしりしながら、
「『分かっていない』のはアンタらの方じゃっ」と心に叫ぶ思いで
このブログで書き続けてきた、正にその訴え、ズバリ。

このブログの「A事件・重症障害児者を語る方に」という書庫は
ひとえに、それを言うためだけに設けたものと言ってもいい。
この書庫を作った時に書いたメッセージ・エントリーで、私は以下のお願いをしている。

「自分はAshleyのような重症心身障害児を(について)知っているか」と、
まず自問してみていただけないでしょうか。

これまで、これを問うために、渾身の思いを込めて沢山のエントリーを書いてきた。例えば、

「意思疎通できない」という医療基準のコワさ(2009/2/9)
「分かる」の証明不能は「分からない」ではない(2009/9/10)
「コミュニケーションの廃用性について(2009/9/10)
重症障害児・者のコミュニケーションについて・整理すべきだと思うこと(2010/11/21)

それから、これらのことを、ミュウと共に暮らす生活の中から「描く」ことによって訴えようと、
書き続けてきたエントリーたちがある。例えば、

ポニョ(2009/7/23)
ぱんぷきん・すうぷ(2010/8/29)
納豆チーズ・トースト(2010/11/9)
お茶(2011/1/25)
ポテト(2012/3/4)
実習生(2012/3/22)
ミュウの試行錯誤(2012/6/25)
ミュウの”Nothing About Me Without Me”(2012/12/31)

また、直接処遇のケア職員からの証言が裁判で植物状態との診断を覆した
英国のMargoまたは女性Mの事件から、それを訴えようとしたエントリーもある ↓

「生きるに値しないから死なせて」家族の訴えを、介護士らの証言で裁判所が却下(2011/10/4)
「介護保険情報」1月号でカナダ、オランダ、英国の“尊厳死”関連、書きました(2012/2/6)

高谷清氏の『重い障害を生きるということ』を読んだ時にも、
こんな重心の医師もいてくださるんだと、驚きと深い感謝の念に打たれながら
ただ一つだけ、もどかしく感じたのは、親たちが「この子は分かっている」という時に
それが何を意味しているのか、という問題を巡る、「医療の中から生活を見ている人と、
生活の中に共にどっぷり浸かっている者の隔たり」だった ↓

高谷清著「重い障害を生きるということ」メモ 3(2011/11/22)

この時、私は以下のように書いた。

実際に自分の身体でその子(人)を直接ケアすることを通じて、あるいは一定の期間その子(人)と生活を共にすることによってしか、つまりは頭や理屈ではなく自分の身体で納得するしか知りようのないこと……というものが世の中にはある、ということなのかもしれない。重症児・者の「わかっている」というのは、そういう類いのことなのかもしれない。


これこそが西村氏の言う「身体の応答性」というものだろう。

そういう類の体験を、
「患者と直に接して身の回りのケアをしつつ、
声をかけてそのわずかな応答を確かめ続ける療養の日常、
その経験の内側に視点を置き、そこで経験されていること」という捉え方で、
研究し探ってくれる人が日本にはいるのだと、この章を読んで知ったこと、

その研究を通じて、私たち家族と同様の経験がこういう形で言語化してもらえていることに、
なんだか思いがこみ上げて、6章は読みながらボロボロ泣いてしまった。

特に、食事を持っていった時とケーキを持っていった時では笑顔が違う、という観察に続けて、
でもそれは「もしかして私たちが『わぁケーキだ、村口さんに食べさせよう』と思って、近づく」
その「私たちのワクワク心を彼女が察知」しているみたいだから、かも、と
「互いが互いの行為の反映になっている」ことへの気づきが語られる場面――。

それから、「一緒に笑う」ことなどの経験が、
同じ人間同士として「いわば共存の経験を実現させる」という考察――。

医学的知識が却って壁になっている、との指摘も興味深いと思う。
植物状態と診断されて、家族には「分かっている」「反応がある」と見えるのに、
それを訴えても「唯の反射にすぎない」と医師から相手にされなかったという声は
非常によく聞くけれども、医師はむしろ教科書的な医学的知識に縛られているために
患者さんの実際の姿を見ることができなくなっているだけなのかもしれない。

実際、そういう家族の強い声で「植物状態」の誤診が分かったり、「回復」につながったケースは
当ブログで拾ってきただけでも、かなりあって、こちらに取りまとめている ↓
Owen教授の研究で、12年以上「植物状態」だった患者に意識があることが判明(2012/11/13)

この後で出てきた回復事例はこちら ↓
デンマークで回復事例 不安からドナー登録取り下げる人も(2012/11/27)

担当としてケアすることを通じて看護師が「分かっている人」と思うようになった患者さんのことを
その病院の医師はどのように「評価」しているのか、担当看護師の「分かっている」という観察が
医師の診断にどのように生かされているのか、ちょっと興味があるなぁ……。

それにしても、西村氏によると、日本の「植物状態」の定義には
「最小意識状態(MCA)」も含まれているというから恐ろしい。

医療の世界の内外を問わず
ミュウのような人たちと日常的に接していない人の中には(時に日常接している人の中にも)
重症心身障害も最少意識状態も植物状態も区別があいまいで「どうせ何も分かっていな人たち」と
みんな一括りにするような「何も分かっていない人たち」が多いだけに。
2013.01.22 / Top↑
第3章 田村恵子「終末期医療の現場における意思決定
 ――患者および家族とのかかわりの中で」

内科病棟でのがんの患者さんとの関わりから
「病気って誰のものなのか」という疑問を持ち、ホスピスで働き始めた経歴を持つ
淀川キリスト教病院看護部ホスピスの主任看護課長。

終末期の、①輸液治療の差し控えと、②鎮静の開始を巡って
患者と家族の意思にズレがあったケースでの医療チームの対応が2例紹介されている。

非常に興味深く、考えさせられるのは、
「輸液をする/しない」「鎮静をする/しない」だけではなく、
揺れ動く本人と家族の思いの背景にあるものに洞察の目が向けられていること。

もはや本人には苦痛でしかない過剰な医療を強要する家族に
ただ「素人の無知・無理解」しか見ようとしない
尊厳死法制化推進論者の医師らの議論に決定的に欠けているまなざしが
ここにはある、という感じがした。

そこに「素人の無知」「医療への無理解」ではなく、
「この人を失いたくない」という家族の辛さや
「何もしてあげられないこと」への無力・自責、
「何かしてあげたい」という思いを読みとり、
その上で、家族とともにケアすることを通じて医療職が家族をケアする、という姿勢。

そうした取り組みの中からでてくる合意形成について
田村氏が「折り合う」という言葉を使っているのがとても印象的だ。

私自身、重症障害のあるミュウの幼児期に、
言語道断なほど身体が弱いミュウの健康への配慮と、
その中で少しでも豊かな生活を送らせてやりたいとの思いの間で葛藤しつつ
その両者のどこで「折り合いをつけるか」がずっと課題だった。

そこには簡単に白黒つけられる答えはないし、判断を間違うリスクが常に伴うし、
結果論で自責を背負わなければならないことの連続だった。
それでも簡単には答えが見つからないところで
なんとか折り合える地点を探して悶々とすることから逃げずに
その悶々の悩ましさを引き受けることが大事なんじゃないかと
ずっと感じてきた。

ミュウの施設で大きなバトルを闘った14年前からずっと
私が保護者として訴え続けているのも、そのことだ、と思うし、

田村氏の事例で最終的に「折り合い」がついたのは
医療チームがその悶々から逃げなかったからではないか、という気がする。

けど、医療の文化は
患者や家族の思いと正面から向き合ってこうした悶々を引き受けるよりも、
リスク(患者への、と当時に職員への)を回避し、悶々から逃れる方向に
一刀両断で単純明快な答えを出すことに向かいがちでもある、と

これもまた、私は同じくミュウの幼児期から多々体験して、思う。
(最初のミュウの主治医は、親と一緒に悶々してくれる稀有な人だったけれど)

ここのところにこそ、安藤氏の第1章の結語が意味するところがある、と思うし、
田村氏も結びのところで、以下のように書いている。

「倫理的課題を検討するために生み出された概念や原則」によって
「倫理的ジレンマを解決する医療の正当性が検討されている」議論だけでは「十分ではなく」

……むしろ医療者のまなざしが、常に、終末期を生きる患者および家族に向け続けられる必要があるだろう。
(p.57)


「終末期を生きる」患者および家族――。

ここにもNot Dead Yetの主張が
やんわりと遠慮がちに提示されている。


ちなみに、特記しておきたいこととして
燃え尽き傾向の高い医師ほど患者が苦痛を訴えた時に持続的で深い鎮静を行う傾向が強く、
終末期医療の経験が多い医師ほど、せん妄や鬱状態の患者に鎮静を行う傾向が強い、
との報告がある、とのこと。


第4章 横内正利「高齢者における終末期医療」

これは、ちょうど数日前に読んだ
「ヘブンズドアホスピタル」ブログの「眠られぬ当直(よる)のために―尊厳死・平穏死偏」の
「その5」までで指摘されていた、先の尊厳死議連の法案への疑問と重なり
私的にドンピシャでタイムリーだった。

例えば、
・多くの疾患を併せ持つ高齢者の終末期をがん患者の終末期を基準に語ることの危険性
・「適切な医療」が何であるかは、実際の医療現場では単純ではないこと
その他について、

「医療費抑制の流れの中で、高齢者の終末期とは何かという基本的な問題意識を欠いたまま、
終末期医療という言葉だけが独り歩きしてしまっていることに強い危機感」を抱き、
これまでも発言を続けてきた医師が、高齢者の終末期の現場から
詳細に解説し、以下のように警告するパワフルな論考。

……もし、社会が「生きるに値しない生」を認知するようなことになれば、「死ぬ権利」はやがて「死ぬ義務」へと変質していく可能性が高い。
(p.72)


横内氏は「弱い高齢者」について、
通常考えられているステレオタイプとは異なる実像を紹介する。

例えば、非高齢者や「元気な高齢者」から見ればみじめで尊厳がないと感じる状況でも、
過去と決別し老いを受容した「弱い高齢者」はそれなりに現状に満足している。

これについては当ブログの補遺にも調査データがあるはずだけど
高齢者以外でも以下のデータを拾っている ↓
ロックトインの人の7割が「幸せ」と回答(2011/2/24)
トリソミー13・18、医師が描くよりも子も親もハッピーで豊かな生活(2012/7/26)
(こちらは安藤氏の第1章で言及されている)

したがって、弱い高齢者が元気な高齢者だった時に書いたリビング・ウィルや事前指示書は
現在の自己意思を反映しているとは限らない。

さらに、弱い高齢者は
「他人に誘導されやすい」
薄弱な根拠で安易に「自己意思」を決定し表明してしまいやすい。
本人も家族も、ささいなことをきっかけに言動は揺らぐ。
意思決定は「くるくる変わる」。
その背景には入院生活の不自由や医療サイドの対応への不満が隠れていることもある。

著者は高齢者の終末期と言われているものには
「生命の末期」「老化の末期」「みなし末期」の3つが混在していると指摘し、

特に「不可逆的な摂食困難」は単なる「老化の末期」に過ぎず、「終末期」ではない、と主張。

……前述したように、高齢者が経口摂取困難に陥ることは日常茶飯事である。多くは、脱水あるいは急性疾患によるのであり、点滴など然るべき治療をすれば元に戻ることが多い。そして、点滴もせずに自然経過を見た場合には、いかにも「老衰による死への過程」のように見えてしまう。しかし本来、点滴などの治療もしないで、不可逆的な摂食困難と診断することは不可能である。まして「老衰で死が近い」と予見できることは考えにくい。
(p.66-67)


ところが一定の病態・障害像になったら
「生きるに値しない」終末期状態だという認識が広がることによって、
不可逆かどうかの吟味なしに治療の可能性を放棄することを「延命治療の放棄」とみなす
「みなし末期」が混入してくる。

「わずか500mlの補液が起死回生となることも決して少なくない」と書く著者は、
高齢者の特性に沿って医療内容を勘案しつつも治癒のための努力が続けられる「限定医療」を
「みなし末期」と区別することの必要を説き、以下のように論を閉じる。

……「自然死」の美名に隠れて、高齢者の「生きる権利」がないがしろにされることがあってはならない。
(p.73)


「みなし末期」の危険性については
認知症の人と家族の会顧問の三宅貴夫医師も
「終末期もどき」という表現で警告しておられました ↓
意思決定ができにくい患者の医療決定について、もうちょっと(2009/9/3)


その他、この問題について
介護にもできることがあるという点から考えてみたエントリーは以下 ↓
「老人は口から食べることができなくなったら死」……について(2009/11/4)
「食べられなくなったら死」が迫っていた覚悟(2009/11/5)

ついでに、
「医者が介護の邪魔をする!」に思うこと(2008/4/29)
2013.01.22 / Top↑
昨年末にこちらのエントリーで紹介した『シリーズ生命倫理学 第4巻 終末期医療』を
これはすごい本だ……と唸りつつ読んでいる。

各章ごとに内容が濃く、メモしておきたいことが少なくないので、
まだ4章までだけど、この辺で一度エントリーに。

第1章 安藤泰至「医療にとって『死』とはなにか?」

タイトルの問いと
「人間にとって医療とはなにか?」
「人間にとって『死』とはなにか?」とを
三位一体の問いとして考察することによって、

医療の専門知や、それに基づいた医療の枠組みや視線の限界を示し、

「全人的医療」や「スピリチュアルケア」など
医療がその限界に自覚的であろうとする試みにすら、
「それまでは医療の対象ではなかった生命の領域に医療の視線が向けられ、
それが医療的な枠組みの下にコントロールされていく、という負の側面がある」こと、

「死や死にゆく人をめぐるケアの医療化」という
もう一つのベクトルが働くリスクがあることが指摘される。

その上で、
「終末期医療という営みが単に医学や医療の一つの専門領域の中だけで問われるのではなく、
人間の文化、社会や私たちの生き方の問題として問われ」るためには、

「医療が既存の医療の専門知の枠組みで人間の生(死)を切り取ってそこに自足するのではなく、
その限界を自覚しながら、そのなかで医療に何ができるのかを模索していくことができるような
新しい医療の文化(原文は傍点)が必要だと説く。

……いま本当に求められるべきなのは、このように技術の力によって人間の悲しみや苦しみ、悩みを取り去ってしまう(ことを約束する)医療ではなく、悲しみ、苦しみ、悩みながら私たちが充実して生きることを助け、支える医療なのではないか。だとすれば、「死すべき定めにある人間」に向きあいつつ、その生を支える終末期医療こそが、実は本当の意味での「先端医療」であると言えるのではないだろうか。
(p.17)


障害者の立場から安楽死に反対している障害者団体Not Dead Yetの
「まだ死んでいない」という名称の意味するところが、
読みながら、初めて深く納得される気がした。


第2章 清水哲郎・会田薫子「終末期ケアにおける意思決定プロセス」

生命倫理学の原則を踏まえつつ、
日本の状況に即し、〈情報共有から合意へ〉というプロセス把握をした上で
家族の当事者性を織り込んで、患者と家族と医療職との「共同決定」としての
プロセス重視の意思決定プロセスが提案されている。

こうしたモデルの必要性の背景には
本来は患者が「与える」ものであり、望まない医療を受けない権利を保障するICが
日本では「説明と同意」と訳され患者と医療職との決定の分担論と化したことも
指摘されている。

家族の当事者性について、かなり突っ込んだ議論がされていること、

biological lifeに対して biographical life が
「物語られるいのち:いのちの物語の主題となるいのち」として対置されていて
提案されたモデルでは、患者の最善を考えるためには
医療者側は後者の情報を得なければならないとされていることなど、
かねて個人的に疑問に感じてきたところだったので興味深いのだけれど、

アシュリー事件に関する生命倫理の議論がそうなりがちであったことが思い返されて、
プロセスを問題とする学問として構えた時の生命倫理学の限界のようなものも感じる。

このモデルがまっとうに機能するためには
安藤氏の言う「新しい医療の文化」が先にあることが大前提なんじゃないかなぁ、と思うし、

プロセス・モデルというのは結局のところ「医療職性善説」でしかなく、
英国で現在問題になっているリヴァプール・ケア・パスウェイと同じく、
このモデルそのものが、1章で安藤氏の指摘するように
「共同決定という医療化」のリスクをはらんでいるんじゃないのかなぁ……。

そこのところに、
アリシア・ウ―レットが言う「医療の中にembeddedした生命倫理学」の限界を
そこはかとなく感じてしまう章だった。

(次のエントリーに続く)
2013.01.22 / Top↑
NJ州のCouncil on Developmental Disabilitiesのサイトに、Norman Reim氏による“Growth Attenuation and People with Developmental Disabilities”と題した論考。同カウンシルの機関紙People & Familiesにも、同じ趣旨の投稿。成長抑制や手術(つまり”アシュリー療法”)が一般化されていくことへの懸念として、社会からの支援により対応可能であることと、正当化論の背後にある「重症児は何も分からない」とのステレオタイプの指摘。
https://www.njcdd.org/index.php?option=com_easyblog&view=entry&id=21&Itemid=378

上記記事がアップされたのが14日。すると今日、Yahoo! Answersに、「成長抑制療法は倫理的か」と題して、「成長抑制の是非に関する倫理の研究プロジェクトがあるので、情報ください」という質問がアップされている。これも例の怪現象か?
http://answers.yahoo.com/question/index?qid=20130115100415AAKLdaf

カナダ、ケベック州の副保健大臣がPAS合法化を明言。
http://news.nationalpost.com/2013/01/15/quebec-to-legalize-assisted-suicide-death-a-medical-issue-health-minister-says/

【ケベックのPAS合法化議論関連エントリー】
カナダ・ケベック州医師会が自殺幇助合法化を提言(2009/7/17)
スコットランド、加・ケベック州で自殺幇助について意見聴取(2010/9/8)
ケベックの意見聴取、自殺幇助合法化支持は3割のみ(2011/12/29)
ケベックの尊厳死委員会から24の提言:メディアは「PAS合法化を提言」と(2012/3/24)

【カナダのPAS合法化議論関連エントリー】
カナダの議会でも自殺幇助合法化法案、9月に審議(2009/7/10)
図書館がDr. Death ワークショップへの場所提供を拒否(カナダ)(2009/9/24)
カナダの議会で自殺幇助合法化法案が審議入り(2009/10/2)
自殺幇助合法化法案が出ているカナダで「終末期の意思決定」検討する専門家委員会(2009/11/7)
カナダ議会、自殺幇助合法化法案を否決(2010/4/22)
カナダの法学者「自殺幇助合法化は緩和ケアが平等に保障されてから」(2011/2/5)
カナダで自殺幇助合法化を求め市民団体が訴訟(2011/4/27)
カナダ王立協会の終末期医療専門家委員会が「自殺幇助を合法化せよ」(2011/11/16)
カナダBC州最高裁からPAS禁止に違憲判決(2012/6/18)


病院で投薬ミスが起きた時、患者や家族に正直に知らされることはめったにない、という調査結果。
http://www.washingtonpost.com/national/health-science/when-hospitals-makes-mistakes-with-medications-they-rarely-tell-the-patient/2013/01/14/ffe918a0-5e5c-11e2-a389-ee565c81c565_story.html

日本。提供卵子の仲介団体、初日だけで41人申し込み。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130115-00001077-yom-soci

いわき市から東日本大震災と原発問題について発信する「日々の新聞」
http://www.hibinoshinbun.com/

安倍財政で日本は年内にも破たん、「ガラガラポン」早まる―藤巻氏
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130115-00000040-bloom_st-bus_all

大阪大、新出生前診断実施へ…倫理委が承認
http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/news/20130115-OYT8T00954.htm

イラン議会に独身女性が海外へ旅行するためには父親の許可を必要とする法案。
http://www.guardian.co.uk/world/2013/jan/15/iranian-women-fathers-permission-abroad

英国オックスフォードを拠点とするギャングが、少女らを薬漬けにして売春婦として売買していた、という事件。11歳の少女も。
http://www.guardian.co.uk/uk/2013/jan/15/oxford-gang-girls-prostitutes-bailey

中国の一人っ子政策以前に生まれた人と以後に生まれた人とで、経済活動の傾向がどのように異なっているか、の調査結果。
http://www.medicalnewstoday.com/releases/254840.php
2013.01.22 / Top↑
NICE(国立医療技術評価機構)が現在作成中の改定ガイドラインにより、
英国NHSにおける乳がん戦略は予防重視にシフトし、
家族歴や遺伝子情報から乳がん発症リスクが高・中等度とされる女性に対して
NHSで予防薬の投与が行われるよう提言されることに。

現在、イングランドとウェールズの30歳以上の女性のうち
家族の既往歴と、人によっては遺伝子変異情報から、
2%が乳がん発症に中等度のリスク、
1%が高リスクとされる。

新ガイドラインで予防薬投与の対象となるのは50万人で、

薬は既に治療薬として使われている tamoxifen と、
骨粗鬆症の治療薬として使われている raloxifeneの2剤。

更年期の前か後かによって、種類、期間とも使い分ける。

2剤とも、米国では
すでに乳がん予防薬としてFDAが認可している、とのこと。

また記事によると、
NICEの新ガイドラインはハイリスクの女性には
予防的両側乳房切除術も選択肢として認める可能性がある、とも。

500,000 women to be offered breast cancer drugs
The Guardian, January 15, 2013



【がん予防医療の関連エントリー】
今度は乳がん予防のワクチンだと(2008/9/15)
“乳がん遺伝子ゼロ”保証つき赤ちゃん英国で生まれる(2009/1/10)
「現代医学は健康な高齢者を患者にしている」(2009/3/8)
「40過ぎたらガン予防で毎日アスピリンを飲みましょう」って(2009/4/30)
発がんリスクが半減する薬だって言うのに、なんで飲まないの?(2009/12/16)
「私とは、私の遺伝子なのか?」(2012/4/4)

【乳房切除の関連エントリー】
A事件に「小児乳房切除の倫理」Dr,Sobsey再び(2008/7/22)
小児へのRisperdalの適応外処方で乳房切除術を受ける少年たち(2009/5/28)
遺伝子変異あれば乳房摘出、卵巣摘出が当たり前の“予防医療”に?(2010/9/3)

【骨粗鬆症の関連エントリー】
骨減少症も「作られた病気」?……WHOにも製薬会社との癒着?(2009/9/9)
更年期は、ビッグ・ファーマの提供でお送りしました……(2009/12/14)
ビッグ・ファーマが当てこむ8つの“でっちあげ病”(2010/4/17)

【グローバル強欲ひとでなしネオリベ金融資本主義の関連エントリー】
巨大ファーマがかつてのゼネコンなのだとしたら……(2009/9/29)
「必要を創り出すプロセスがショーバイのキモ」時代と「次世代ワクチン・カンファ」(2010/5/29)
事業仕分の科学研究予算問題から考えること(2010/12/12)
“プロザック時代”の終焉からグローバル慈善ネオリベ資本主義を考える(2011/6/15)
国家的権威から市場主義的権威による超国家企業の政治制度へ(2012/1/25)
2013.01.22 / Top↑
コネチカット州議会に自殺幇助合法化法案提出。
http://www.branfordseven.com/news/state/article_44485116-5a7d-11e2-8151-001a4bcf6878.html

上記の法案提出を受け、Peter Wolfgang氏のコメンタリー。ここ、ちょっと気になる情報だけど、ソースが明記されていないのが残念。 ⇒ Contrary to the image of peacefully resting in a chair or bed, surrounded by loved ones, after ingesting drugs prescribed by a trusted physician, the reality of physician-assisted suicides can be grim. Accounts of frantic relatives calling 911, hospitalization, vomiting and choking, panic attacks, terror and drug-induced assaultive behavior during physician-prescribed (and unattended) suicides have all been documented in the New England Journal of Medicine and other publications.
http://www.courant.com/news/opinion/hc-op-wolfgang-false-promise-assisted-suicide-1216-20130111,0,3077331.story

Heaven’s Door Hospitalブログの「眠られぬ当直(よる)のために―尊厳死・平穏死偏」(ここから現在、その5まで):いつもながら、たいそう面白く読めて、勉強になります。
http://tonjihdh.blog.shinobi.jp/Entry/19/

正統派ユダヤ教徒の脳腫瘍の患者Danielle Zfat(19)を巡って、米フロリダ州のJoe DiMaggio 子ども病院で無益な治療訴訟。11月25日に入院。元旦に病状が悪化し生命維持に。病院側が3日に取り外しの意向を告げた。:最近の無益な治療訴訟では、人工呼吸器を装着後、ほんの数日で病院から中止を言い渡されるという事例が増えている気がする。
http://medicalfutility.blogspot.jp/2013/01/zfat-v-joe-dimaggio-childrens-hospital.html

日本。海外で卵子提供を受ける女性急増「タイの産科婦人科学会の幹部によりますと、ここ数年、卵子提供のためタイを訪れる日本人が急増し、年間数百人が卵子の移植を受けているということです」
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130110/t10014719011000.html

日本。国内初「卵子バンク」 不妊治療、提供者募集を開始
http://sankei.jp.msn.com/life/news/130115/trd13011507060002-n1.htm
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130114-00000064-jij-soci

日本。医療機関調査“卵子提供の出産は高リスク”
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130111/k10014729541000.html

【関連エントリー】
インドの生殖医療ツーリズム(2008/8/12)
インドの70歳女性、体外受精で初産(2008/12/9)
グローバル化が進む“代理母ツーリズム”(2011/1/29)
インドで17歳の卵子ドナーが死亡(2012/7/16)

精子250㌦、卵子1000㌦で、どう?(2008/5/26)
生殖補助医療の“卵子不足”解消のため「ドナーに金銭支払いを」と英HFEA(2009/7/27)


日本語。世界の雑記帳:バイオ燃料が大気汚染の原因に、人間の寿命に影響も=研究
http://mainichi.jp/feature/news/20130108reu00m030013000c.html

日本語。<中国>深刻な大気汚染 呼吸器系疾患が急増
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130114-00000009-mai-cn

日本。高学歴プア 東大院卒就職率56% 京大院卒はごみ収集バイト
http://www.news-postseven.com/archives/20130110_165134.html

Lancetに日本の介護保険制度に関する論文。
http://www.thelancet.com/journals/lancet/article/PIIS0140-6736%2813%2960049-5/fulltext?elsca1=ETOC-LANCET&elsca2=email&elsca3=E24A35F

別府市:障害者暮らし条例 九州の市で初、制定目指す/ 大分
http://mainichi.jp/area/oita/news/20130111ddlk44010505000c.html

インドのバス強姦殺人事件を機に、他にも同様の事件が明らかになっている。
http://www.guardian.co.uk/world/2013/jan/13/indian-police-investigate-gang-rape

英国でも女性の5人に1人に性的虐待の被害経験。
http://www.guardian.co.uk/uk/2013/jan/10/sex-crimes-analysis-england-wales

途上国でHIV感染撲滅プログラムを実施しているグループが米国政府から資金援助を受ける場合には、売春と性的人身売買にも反対の立場をとるよう求められて、そうした立場を資金援助の条件とするのは途上国での活動を困難にすると同時に言論の自由権の侵害だと、支援グループが訴えていた問題で、最高裁の判決、間近。:途上国、エイズとくれば、どうしても気にはなる。
http://www.washingtonpost.com/politics/supreme-court-to-decide-restrictions-on-groups-fighting-hivaids/2013/01/11/a46b0c80-5c2d-11e2-9fa9-5fbdc9530eb9_story.html
2013.01.22 / Top↑
昨年12月14日に、
ベルギー、Jetteのブリュッセル大学病院で致死薬の注射により安楽死したのは
Antwerp地域出身の45歳の双子の兄弟。

2人は生まれつきのろう者で
これまでアパートで一緒に暮らし、靴職人として働いてきたが、
近いうちに視力まで失うことになると知り、
絶望して安楽死を望んだ。

記事は
「本人意思が明確で、耐え難い苦痛があることを医師が確認すれば
ベルギーの法律では安楽死が認められている」と書いているが、

別の個所では
「2人のいずれもターミナルな病状でもなければ
身体的に大きな苦痛があったわけでもないので、
このケースは異例」とも書いている。

2人の安楽死を手記したDavid Dufour医師は
「2人ともとてもハッピーでした。彼らの苦しみが終わるのを見てほっとしました。」
「ホールで2人はコーヒーを飲んで、良い時間、豊かな会話でした。
それから両親と兄弟との別れは、おごそかで美しいものでした。」
「最後に2人はちょっと手を振ってから、息を引き取りました」

また、この記事の末尾には、
以下のエントリーで紹介したように、
ベルギー与党の社会主義党から改正法案が出されたことにも触れられています。

提出は、双子の兄弟の安楽死の数日後だったとのこと。

ベルギー社会主義党「未成年と認知症患者にも安楽死を」(2012/12/22)


Twins granted assisted suicide
Deaf brothers, 45, feared going blind
OTTAWA CITIZEN, January14, 2013


ベルギーにはこんな声もある ↓
ベルギーで「知的障害者、子供と認知症患者にも安楽死を求める権利を」(2012/5/5)


また、
ベルギーの合法化以来10年間の安楽死の実態については
昨年、以下の報告書がすべり坂を指摘したばかり ↓

ベルギーの安楽死10年のすべり坂: EIB報告書 1(2012/12/28)
ベルギーの安楽死10年のすべり坂: EIB報告書 2(2012/12/28)


【その他、ベルギーの安楽死関連エントリー】
ベルギーでは2002年の合法化以来2700人が幇助自殺(2009/4/4)
幇助自殺が急増し全死者数の2%にも(ベルギー)(2009/9/11)
ベルギーにおける安楽死、自殺ほう助の実態調査(2010/5/19)

ベルギーで2年前にロックトインの女性、「安楽死後臓器提供」(2010/5/9)
ベルギーの医師らが「安楽死後臓器提供」を学会発表、既にプロトコルまで(2011/1/26)
ベルギーの「安楽死後臓器提供」、やっぱり「無益な治療」論がチラついている?(2011/2/7)

「安楽死後臓器提供」のベルギーで、今度は囚人に安楽死(2012/9/15)
2013.01.22 / Top↑