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へースティング・センターのガイドラインについては、
どこかで言及されているのを読んだ記憶があるかなぁ……という程度だし、
Ashley事件からこちらのあれこれから、へースティング・センター自体に対しても、
思うことはいろいろあるのだけれど、

Thaddeus Popeがブログで紹介してくれている
改訂ガイドラインの目次を眺めてみただけでも、

一口に生命維持、終末期医療といっても
議論すべきことはこんなにも多岐に渡るんだなぁ……ということを、改めて認識させられる思い。

全部コピペしようと思ったら文字数オーバーになったので
興味ある方には以下にリンクしたPopeのブログへ行ってもらうことにして、

障害者とのコミュニケーション関連の個所だけ紹介すると、

パート3、セクション2
「障害のある患者とのコミュニケーションと協働」では

A. 生命維持治療と固まった障害または進行性の障害への配慮
B. 患者の障害が発話に関わっている場合のコミュニケーション
C. 患者の障害が認知に関わっている場合のコミュニケーション
D. 障害を負って間もない患者との生命維持治療に関するコミュニケーションと協働

NEW Hastings Center Guidelines for Decisions on Life-Sustaining Treatment and Care Near the End of Life
Medical Futility Blog, May 7, 2013


もちろん、内容をちゃんと読んでみれば、
目を剥くようなことが書かれていないとも限らないのだけれど、

ざっと目を通して、やっぱり頭に浮かぶのは、
メディアに流れている米国の自殺幇助議論や無益な治療論との距離感――。

それから、翻って、
日本の医師による、尊厳死・平穏死議論のあまりの粗雑さ――。
2013.05.08 / Top↑
以下の昨日のエントリーに、
今朝Moritaさんからコメントをいただき、
そのコメントに誘発されてお返事を書いていたら、
頭のグルグルが止まらなくなったので、

【論文】研修医は<説得の儀式>や<希望つぶし>で誘導する(2013/5/6)

いま一つ、きちんと整理できていないのが申し訳ないのですが、
今の段階で考えたことのメモとして。

-------------------

おはようございます。いろいろありがとうございます。
いただいた引用から既に頭がグルグルし始めているのですが、
私はなんでもまず卑近な自分の体験を連想することから始まるので、
子どもの障害を知らされた直後の親の混乱した心理状態を思い浮かべました。

生まれた直後に「将来、障害が出ますよ」と言われても、
いったいどういう種類の、どの程度の障害になるかということは誰にもわからない。
だから、その先の「この子の人生はどうなるんだろう」とか
「私はちゃんと育てられるんだろうか」という問いにも、
いくら考えても、ちゃんと考えてみるための、とっかかりすら、どこにもない。

何もかもが未知で不透明で、ただ「たいへんなことになった」と。
確かなことなど誰にもわからない中で将来への不安と怯えばかりが膨らんでいく――。
それはただただ恐ろしい、暗い穴の中に一人でどんどん沈み込んでいくような気分だった。

だから、多くの親は
「この子は治る」と言ってくれる人を求めてドクター・ショッピングをしたり、
「奇跡の療法」にのめり込んだりする。その心理って、ある意味、
確かなものを求めてオウムにすがった信者と似ているかもしれない。

でも本当の意味で生きていくための希望って、
確かなもの、すがりつけるものを探しているうちは見つからなかった……と、
あの頃のいろんな親たちの姿を思い返して、思う。

確かなものなどどこにもない、先がどうなるかなんて誰にもわからない。
それを事実として受け入れられた時に、初めて、
その先が全く見通せない不安に耐えながら、
目の前の「今日ここにある現実」と向かい合い、
その現実を生きていくことができ始めた。

そして希望は、
そんなふうに毎日を自分の身体で生きてみることの中にしか
見いだせなかった、と思う。

「今ここにいる、この子」という目の前の現実と向かい合うことによって、
そこには障害があろうとなかろうと愛おしい我が子がいて、
その子のためにしてやれることが自分にあり、親子それぞれの笑顔や泣き顔があり、
日々の雑事にジタバタしながら共に暮らす生活の時間がある。

そんな日常を身体で生きることを通して、
幸不幸は障害の有無だけで短絡的に決められるものじゃないということを、
私たちは「身体で知って」いったのだと思う。そして、
「この子の障害は治らないのかもしれない」「寝たきりになるのだろうな」というふうに、
受け入れがたい現実が、不思議なことに、少しずつ受け入れられていった。
受け入れながら、共に生きていこう、と思えるようになっていった。

もちろん、そう思えるようになったからといって、
もう迷いがないとか不安がない、辛いことなどなくなった、というわけじゃない。
いつも悩ましいことを抱え、何度も深く傷つきながら、
それでも心の奥底に悲しみや傷を抱えたままでも、
日々を楽しく幸せに生きていくことはできる、と
私たちは少しずつ知っていった。

日々を幸せに生きていながら、ある時ほんのわずかなことを機に、
人の心は一瞬にして暗く閉ざされてしまうことがあるんだ、ということも知った。

子どもの障害を受容できたと思っては、
また何かが移り変わるたび、何かが起こるたびに、
新たな受容を迫られては苦しみ、ぐるぐると同じところを巡りながら、
少しずつ障害のある子どもの親として成長していった。

そうして、人が生きている日常も人の気持ちも、
単純な幸・不幸で割り切れるような単色ではなく、常にいろんな色が混じり合っていて、
色だけじゃなく微妙なグラデーションとシェードの間で常に移ろっているものなんだ、
ということを知った。

昨日の補遺で拾った中に、
英国の障害者運動の活動家が、自殺幇助合法化推進ロビー団体のトップに向けて書いた
公開書簡があって、その中で「あなたがやっていることは
未知なるものへの恐怖をかきたてるキャンペーンだ」
という意味の一節がとても印象的だった。

「未知なもの」「見通せないもの」「自分でコントロールできないもの」は怖い。
「分からない」まま生きるということは、不安定な足場の上に立っているのと同じで、
その不安定な感じは、誰にとっても、たまらなく恐ろしい。だから人は
その不安定さに耐えられなくて、確かなものを求めようとする。
不安定なものを排除してしまおうとする。

「治る」のでなければ、いっそ「終わりに」してもらえれば、
不安定なところに立ち続けている恐ろしさも終わる。
崖っぷちに立ち続ける恐ろしさに、自ら飛んでしまう人のように――。

その気持ちは、私も自分の中に抱えている
「どうせ」であり「いっそ」という自棄的な気分でもある。

でも、本当は一番怖いのは、その不安定さに魅入られて、
そこから目を離せなくなること、そこに立ちすくんで動けなくなってしまうことじゃないんだろうか。

障害の問題に限らず、人間が生きていることにまつわる問題は
「Aか否か」や「AかBか」とはっきり答えが出せるところにあるのではなく、
「AでもありBでもありCでもあるけれど、AのみでもBのみでもCのみでもないなかで、
どうするか」というところにあって、その問いの答えは、
曖昧で不安定で分からないことだらけであることの恐怖に耐えながら、
目の前の個々の現実と惑いつつ、取り乱しつつ、向かい合い続け、
その現実の一回性を自分の身体で生きることからしか
見つからないのではないか、と思う。

たぶん、希望も、強引に割り切ろうとすることからは見つけられなくて、
そんなふうに答えが簡単に見つからなくて、見苦しくグルグル・ジタバタしながら、
矛盾だらけの割り切れなさを生きることの中にしか
見つけられないのだろう、とも思う。

説明はできにくいのだけれど、
「割り切れなさ」というものが、実は「かけがえのなさ」というものと
とても密接につながり合っているんじゃないか、という気がする。

科学とテクノロジーが
何もかもを「分かるもの」「コントロール可能なもの」にしてくれそうな幻想に
多くの人が操られ始めている今の世の中だからこそ、逆に
未知なもの、不安定なもの、割り切れないものへの恐怖心が
より一層高まっていくのかもしれない。

「身体も命もいかようにも操作・コントロール可能なもの」という
“コントロール幻想”がはびこっていく今の世の中の、
最も大きな不幸の一つが、その幻想の反作用としての、
「分からないこと」「自分でコントロールできないもの」への許容度の低下と、
未知なものへの恐怖心の増悪なのかもしれない。

それが「どうせ治らないなら、いっそ」というような、
一方の極端から一気にもう一方の極端に簡単に振れてしまうような
短絡的なものの考え方を広げているんじゃないだろうか。

でも、たぶん人が生きるということは、
その両極端の間のどこかを見苦しく右往左往することでしかないんじゃないだろうか。
希望も生きることの豊かさも、その右往左往の中にしか見いだせないんじゃないんだろうか。

“コントロール幻想”の世界の救いのなさは
何もかもが整合して割り切れすぎていて、だからそこには
かけがえのないものがないこと――。

そこには人知を超えるものが存在しない。
人知を超えるものへの畏れがない――。

かけがえのないものがない、人知を超えるものがない、そこは
「祈りをなくした世界」なんじゃないだろうか。

そんな気がする。

だから、
人の世が向かう先にあまりに希望が見出せなくて、
「どうせ」「いっそ」と、今にも崖から飛んでしまいたい気分に駆られそうになっては、
なんとか踏みとどまろうと自分に言い聞かせつつ、

信仰というものを持たない私なりの精いっぱいの祈りを込めて、
こんなエントリーを書いてみる。
2013.05.08 / Top↑
日本。「胃ろう=悪」というイメージの果てに起きていること
http://apital.asahi.com/article/kasama/2013042600011.html

日本。地域包括ケアのコスト 猪飼周平の細々と間違いを直すブログ
http://ikai-hosoboso.blogspot.jp/

自殺幇助合法化を訴えて最高裁で敗訴したアイルランドのMarie Flemingさんが、「政府は私に死ぬなと言う一方で、社会福祉の予算をカットしては、そのたびに私のQOLを奪って行くではないか」と。:だから「自殺させろ」という理屈はどうかとは思うけど、この発言は、ある意味、コトの本質を見事に突いている一面がある、という気もする。だから、本当は「生きさせろ」と言いたい人達が、生きられない、生きづらい世の中に絶望して、「死なせろ」と言っているんじゃないか、という気が私はしている。
http://insideireland.ie/2013/05/05/terminally-ill-woman-says-while-government-does-not-want-her-to-die-its-cuts-chips-away-at-her-quality-of-life-98805/

一方で、Marieさんは「自分はどっちにしたって絶対に自殺するんだ」と宣言。
http://www.independent.ie/irish-news/terminallyill-marie-has-already-decided-on-way-to-end-her-life-29241457.html

英国でまた著名人が「80歳になった時にアルツハイマーの兆候があったら、自殺する」と公言して、メディアが次々に取り上げる騒ぎに。73歳の元テレビキャスター? Melvyn Bragg氏。母親がアルツハイマーで亡くなったのを見て、そう決めたんだとか。
http://www.express.co.uk/news/showbiz/397365/Melvyn-Bragg-vows-to-commit-suicide-rather-than-be-destroyed-by-dementia

米国で過去10年間に中年層の自殺者が急増。ブーマー世代の自殺増が危ぶまれている。:こういう記事が自殺増を憂う一方で、上記のように「自殺する」と公言する人の発言が美化され、支持されてメディアによって広められていくことの不思議。
http://www.nytimes.com/2013/05/03/health/suicide-rate-rises-sharply-in-us.html?_r=0

英国の障害者運動の活動家 Nikki Kenwardさんが、Dignity in Dyingの会長、Sarah Woottonさんに向けて、公開書簡を送り、正面から論争を挑んでいる。トーンがbitterながら、この一節、特に「未知なものへの恐れ」は突いている、と思う。You’re hooking in to people’s worst fears and using them for a campaign that will generate only more hatred and visceral fear of the unknown.
http://www.indcatholicnews.com/news.php?viewStory=22451

日本語。オンデマンド殺人 中国の「死刑囚」臓器奪取の実態(一)~(三)
http://www.epochtimes.jp/jp/2013/03/html/d63728.html
http://www.epochtimes.jp/jp/2013/03/html/d47347.html
http://www.epochtimes.jp/jp/2013/04/html/d80930.html

【関連エントリー】
A・Caplanが、死刑囚の臓器に依存する中国の移植医療ボイコットを呼びかけ(前)(2011/10/12)
A・Caplanが、死刑囚の臓器に依存する中国の移植医療ボイコットを呼びかけ(後)(2011/10/12)
「囚人を臓器ドナーに」は実施面からも倫理面からもダメ、とCaplan論文(2011/10/14)
政治犯から生きたまま臓器を摘出する「新疆プロトコル」(2011/12/13)


コソボの大規模な組織的臓器売買で5人に有罪。
http://www.bioedge.org/index.php/bioethics/bioethics_article/10497#comments

ペンシルベニア大学の犯罪学の教授、Adrian Raineが、4年間の監獄での心理職としての経験をもとに、the Anatomy of Violenceという本を出版。「悪い脳が悪い行動に帰結する」として、脳科学による犯罪予防、「犯罪神経学」の必要を説く。
http://edition.cnn.com/2013/05/03/health/biology-crime-violence/index.html

【関連エントリー】
SavulescuとSingerが「犯罪者は脳が決める。科学とテクノで犯罪予防を」1(2012/2/4)
SavulescuとSingerが「犯罪者は脳が決める。科学とテクノで犯罪予防を」2(2012/2/4)
SavulescuとSingerが「犯罪者は脳が決める。科学とテクノで犯罪予防を」3:リアクション(2012/2/5)
脳刺激法のエンハンスメント利用を巡ってSavulescu(2012/2/2)
「将来の凶悪犯は幼児期から分かる」と刑法改革を提唱するドイツの脳神経科医(2013/2/10)
「道徳エンハンスメント」論文一覧(2013/4/25)


インドの生殖補助センターで性別により中絶が行われていることが明らかに。
http://articles.timesofindia.indiatimes.com/2013-05-01/hyderabad/38956766_1_ivf-centre-test-tube-baby-centre-female-foetus

2011年にノバルティスの元社員Oswald Bilottaが同社を訴えた訴訟で、同社が架空のイベントを設定しては医師らに違法なキックバックを払っていた実態が明らかに。Bilotttaは“Novartis corrupted the prescription drug dispensing process with multi-million dollar ‘incentive programs’ that targeted doctors who, in exchange for illegal kickbacks, steered patients toward its drugs” ProPublicaのDollars for Docsシリーズ。
http://www.propublica.org/article/pay-to-prescribe-two-dozen-doctors-named-in-novartis-kickback-case

ノバルティスと言えば、2日の補遺でも詳細記事を拾ったけれど、日本でもドル箱降圧剤の論文撤回事件が問題となっているところ。なので、もう一度その記事を拾っておく。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/35629

BBCに「ワクチン忌避は根拠のない不安によるもの」と「グローバル・ヘルスの主要な専門家」による論考が掲載されていると思ったら、なんだ、GAVIのCEO、Seth Berkleyが書いたものだった。世界中のワクチン推進の大元締めがこれを言えば、余計に信憑性がなくはないか? 逆に言えば、GAVIがこんな記事を書く必要があるほど、世界中にワクチン忌避が広がっているということでもありそう。
http://www.bbc.co.uk/news/health-22384788

日本。政府、10代から「女性手帳」導入 骨太の方針で調整 何歳で妊娠? 人生設計考えて 「子宮頸がん予防ワクチンを接種する10代前半時点や、20歳の子宮がん検診受診時点での一斉配布を想定している」
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130505/plc13050511030006-n1.htm

改憲バスに乗る前に (江川紹子): 必読。
http://bylines.news.yahoo.co.jp/egawashoko/20130503-00024690/

日本。新人市職員を自衛隊体験入隊へ:自民の圧勝からこちら、この国はもう崖を転がり落ちるような勢いでおかしくなりつつあるという気がするんですけど、先の衆院選で自民に投票した人達、本当にこれでいいと思っておられるのでしょうか。
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20130430/4178431.html
2013.05.08 / Top↑
またまた医師による自殺幇助(PAS)に、
新たなパターンが登場。

ペースメーカー、ICD(埋め込み型除細動機)、LVAD(左室補助装置)を埋め込んでいる患者さんが、
それらがまだ機能しているのにスイッチを切ってほしいと
医師に要望するケースが増えているんだとか。

フロリダ大学の法学者、Lars Noahが法学ジャーナルに論文を書き、
法的検討の必要を問題提起している。

医療倫理学者らはこうした装置の停止について、
その他の外からの医療介入で既に中止を認められているものと同じとみなしているが、

心臓補助装置の停止は、
生命維持処置を最初から拒否することと、
一旦始めた後になって中止を求めることを同じとみなすことそのものに、
重大な疑義を呈する問題である、として、

こうした形態の医師による死の幇助の合法性について
今なお曖昧なままになっている問題の数々に、法的な議論が必要、と。

Noahの論文アブストラクトはこちら ⇒http://papers.ssrn.com/sol3/papers.cfm?abstract_id=2250471

Legality of Deactivating Implanted Cardiac-Assist Devices
Medical Futility Blog, May 5, 2013
2013.05.08 / Top↑
ある方から、大変興味深い論文をお知らせいただきました。
(Mさん、ありがとうございました)

研修医は医療行為をすべきか悩み、誘導する - ポートフォリオ相談事例の質的分析から
副士元春、名郷直樹
日本プライマリ・ケア連合学会誌 2012, vol. 35, no. 3, p. 209-215


インターネットで全文が読めますが、アブストラクトは以下。

目的:後期研修医から相談された事例を分析することで,研修医が直面する臨床上の問題を分析・構造化し,ポートフォリオを用いた指導・評価のための方法論を模索する.

方法:ポートフォリオ作成支援のための個別面談でのやりとりを音声記録したものをデータとし,Steps for Coding and Theorization(SCAT)を一部改変した方法にて質的分析を行った.

結果:研修医は<医療行使主義>と<医療虚無主義>の両極端の間に立たされ迷う場面に遭遇する.その両極端に悩みながら,<説得の儀式>や<希望つぶし>といった,どちらかの極端に誘導するための方法を用いる傾向がみられる.

結論:ポートフォリオを介した研修医との面談から,臨床現場で起きている問題構造の一端を明らかにできた可能性がある.臨床上の決断の傾向を構造化することで,臨床現場での指導に役立つ可能性が示唆された


研修医の指導に「ポートフォリオ」?? と
まず基本的なところでspitzibaraと同じ疑問を持たれた方は、こちらへ ↓

研修医ポートフォリオ
http://www.igaku-portfolio.net/ken/ken.htm

ポートフォリオについて(砂川市立病院)
http://www.med.sunagawa.hokkaido.jp/training/clinical01/clinical17.html


この論文が言う<医療行使主義>とは、

「早くから介入しといたら」「気管切開を選んでもらう」「診断を下すっていうことが,医学的に何か,私ができることなんじゃないか」などのテキストデータに代表されるように,患者本人や家族の希望に関わらず,治療や診断行為などの医療的介入は行われることが前提であるという研修医の傾向が,抽出されたやりとりの中では頻繁に垣間見られた.…(中略)…そこで、どんな医療介入も行使されることが前提, という研修医の傾向を<医療行使主義>と言い換えた。

<医療虚無主義>とは

「してもしょうがない」「ここまでしなくても」「もしその場にいたら, おそらく「挿管しよう」って, 私は言わなかった」などのテキストデータに代表されるように, 患者本人や家族の希望に関わらず、治療や診断行為などのどんな医療介入も行われないことが前提であるという研修医の傾向が、一部のやり取りの中で垣間見られた。<医療行使主義>とは対極に位置づけられるこのような特徴的な現象は、解析には重要であると考えられたため、<医療虚無主義>と言い換えた。


その上で、以下のように概念化。

……研修医が記述に困難さを感じる局面では、<医療行使主義>と<医療虚無主義>の【両極端の間に立たされ迷う】という現象が見られていると概念化した。
 本来、治療方針の判断は最終的に決定されるべきことではあるが、患者本人や家族の意向なくしてあらかじめ方向性が示されていることは、研修医にとっては葛藤や不安感を軽減する作用が期待されているのだろう。


<説得の儀式>とは

……治療方針を協議するプロセスであるはずの家族カンファレンスの場面における相談では、在宅医療の準備をして退院、精査のため広報病院へ紹介など、研修医がすでに決められた方針へ積極的に誘導しようとする言動がうかがえた。……やりとりからは研修医が日常的に慣習化した手順として誘導していることが推察された。このような無意識に慣習化した現象をグループ化して<説得の儀式>と言い換えた。

<希望つぶし>とは

 また、患者や家族が治療や今後の予後に対して過度の期待を持っている事例における相談では、「人間の死亡率は100%」「ちょっと厳しい感じで言って」など、期待を諦めさせようとする言動が見られた。このような現象をグループ化して<希望つぶし>と言い換えた。


で、先ほど指摘された【両極端の間に立たされ迷う】場面に直面した研修医は、
<説得の儀式>や<希望つぶし>という【いずれかの極端に誘導するための方法】を
用いる傾向がある、と分析。

しかし、この論文のデータが非常に興味深いのは、一部の例外で、
患者に<振り回されてみよう>と【両極端の間に耐える】という行動へ至った事例があること。

それから、結論の以下の部分。

特に治療方針の決断については、倫理的な葛藤として取り扱われることがあるが、さらに視野を広げ、医師や医療従事者の行動全般を構造化することによって、医療現場で起きている問題を異なる次元で記述することができるのでは何かという可能性も示唆された。


これ、次元の違いというよりも、
「倫理的な葛藤」という哲学的な問いであるとされる問題の背景に
実際は潜んでいるものを解明することのような気がする。

「倫理的な葛藤」への答えを見つけようと試みられるのではなく、
医療職側の「葛藤や不安を軽減する」ために、
どちらか一方に誘導して決めてしまおうという心理が働いている、と。

この論文を読んで私が思い出したのは、
ワイルコーネル大の脳神経科医、Joseph J. Finsが
植物状態や最少意識状態の患者で、医師らが最悪の予後を予測して
家族に治療の中止を勧めがちなことについて言っていた、

「早いところさっぱり決着をつけてしまおうと、
分からないことが沢山あるのに無視してしまっているが、
そんなに早くから一律に悪い方に決めてしまうのは間違っている」という発言。

睡眠薬による「植物状態」からの「覚醒」続報(2011/12/7)
(このエントリーの中では上記の発言は訳していませんが、このNYT記事での発言)


Fins医師は、時間をかけて待ち、様子を見るべきだと言っているのだけれど、
希望とも絶望とも、どちらとも先が見えない状態で「待つ」のは苦しいこと。
それが、この論文の「耐える」という言葉によく表現されていると思う。

実際、この論文の言葉を使えば
日本の尊厳死・平穏死議論を含め、安楽死・自殺幇助議合法化議論は
<医療行使主義>を批判しつつ、包括的な<医療虚無主義>へと
短絡的に誘導しているという気がするし、

また日本の「平穏死」本の著者らによる誘導の方法が、まさに、
この論文の著者が絶妙なネーミングを与えているように
<希望つぶし>による、医師の権威に基づいた<説得の儀式>。

でも、仮に<医療行使主義>が行き過ぎているのだとしても、
それに対する問題解決の解は、決して、一気に<医療虚無主義>へと振れることじゃない、と思う。

解は、その両者のどちらでもないところで、
「早いところさっぱりと決着をつけてしまいたい」衝動に耐えて、踏みとどまり、
「さっぱりしない」悩ましさや重苦しさを引き受けつつ、
個々のケースの個別性の中で、関係者みんなが尊重されつつ
丁寧に考えて判断すること、なのでは?


【関連エントリー】
日本の尊厳死合法化議論を巡る4つの疑問(2010/10/28)
「平穏死」提言への疑問 1(2013/2/11)
2013.05.08 / Top↑
Daily Mailがソースみたいなのだけれど、
どこのサイトからもMailのリンクが効かなくなっているので、
こちらのサイトから。


アルツハイマー病を患っていたフロリダ在住のRichard Floraさん(76)。
娘のEllen Wilsonさんの家でガラガラヘビ(Eastern Diamondback Rattlesnake)に噛まれた。

Floraさんの側にレンガがあったことから、
ヘビを殺そうとしたのではないか、と。

「何かおかしいと思っていたんです。
症状が揃っていました。……心拍が早かったし、汗をかいて吐いて」とEllenさん。

家族は病院へ運んだ。
医師らが家族に解毒剤を打って救命しますか、と尋ねる。

この事件の数日前に家族はDNR(蘇生無用)オーダーに署名していたのだ。

Ellenさんは他の姉妹と電話で相談。

父親はアルツハイマー病の最終段階にあり、
アルツハイマー病になったことを苦々しく思っていたから、
もし本人に選べるなら、アルツハイマー病で死ぬよりも
ヘビ毒で死ぬ方を選んだはずだ、と決めた。

Floraさんは噛まれてから11時間後に死亡。

Ellenさんは、
「私たちは祈りました。そして、
神様が、父に尊厳のある死に方ができるようにと
この事故を起こしてくださったように感じました」

Family Lets Alzheimer’s sufferer Richard Flora Die Of Snake Bite So He Can ‘Die With Dignity’
Opposing Views, May 01, 2013


Medical Futility Blogには、
作為の可能性はないのか、というコメントが入っている。

http://medicalfutility.blogspot.jp/2013/05/alzheimers-sufferer-dies-from-snake.html?utm_source=feedburner&utm_medium=feed&utm_campaign=Feed:+MedicalFutilityBlog+%28Medical+Futility+Blog%29
2013.05.08 / Top↑
アイルランドのMarie Fleming訴訟の上訴審で、Flemingさん敗訴。「自殺する明示的な権利などというものは存在しない」。
http://www.upi.com/Top_News/World-News/2013/04/29/Irish-court-rules-woman-has-no-right-to-be-assisted-in-ending-her-life/UPI-63081367251179/

今日のエントリーで書いた英国の世論調査について、ちょっと面白い記事。「どうせ終末期医療に期待できないから自殺幇助に賛成」というけど、新しい心臓病の知見も有望だし、乳がんの薬だって効いてるんだから希望を棄てないで……。:いや、でも、そんなふうに「治る」ことにしか希望が見いだせない、医療的操作万能主義みたいな文化そのものに、限界があるんでは??
http://www.pulsetoday.co.uk/news/daily-digest/support-for-assisted-dying-novel-trial-for-heart-treatment-and-tamoxifen-can-reduce-breast-cancer/20002803.article#.UYJc1krOeJI

日本。<終末期を考える> 認知症に「末期」の定義 尊厳死協会が提案:病態ごとに「末期」を定義するという発想って、欧米の安楽死議論でも、少なくとも私は見たことない気がする……。
http://iryou.chunichi.co.jp/article/detail/20130424145828793

生活書院のHPでの福井公子さんのWeb連載、5月分4本。最初の「心配」は新型出生前遺伝子診断について。悩ましさも違和感も丁寧に、しかし果敢に書かれている。
http://www.seikatsushoin.com/web/fukui08.html

日本。障害者に寄り添い治療 おおやま歯科医院 大山吉徳さん:Mencapの知的障害者への医療差別ビデオを見た直後に見つけたこの記事に、ものすごく救われた。
http://iryou.chunichi.co.jp/article/detail/20130424150159138

日本。ドル箱降圧剤の論文撤回「有名教授(京都府立医大)と製薬会社(ノバルティスファーマ)の闇」:この記事、必読と思う。米国の「ファーマゲドン」は既に海の向こうの話ではなくなっている。英語圏のファーマゲドンの実態が手近に分かりやすい最近の話題は、当ブログではAvandiaスキャンダル。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/35629

ちなみに、こちらのエントリーで拾ったWPの記事によると、昨今、科学論文「撤回エピデミック」が起こっていて、不正を理由に撤回される論文の数は1975年に比べて10倍。デジタル画像の時代にはデータ操作が簡単なのと、成果主義やグラント獲得競争の熾烈化。
http://blogs.yahoo.co.jp/spitzibara/66167499.html

米国の大学でADHDの治療薬のスマート・ドラッグ仕様が問題となっている件で、大学の保健室を通じた規制強化。これ、10年以前から問題になっていた ⇒ ADHD治療薬の“スマート・ドラッグ”利用を解禁せよ、とNorman Fost(2010/12/28)
http://www.nytimes.com/2013/05/01/us/colleges-tackle-illicit-use-of-adhd-pills.html?pagewanted=all

アラブの首長さんや王族やチャリティや財団が続々とゲイツ財団のワクチン・プログラムに資金提供を約束。:これみんな単純素朴な善意の行い、アラブのお金持ちがいきなりこぞって途上国の子どもたちのポリオ撲滅の必要に目覚めたんだなって考える人、いるだろうか。
http://www.sacbee.com/2013/04/29/5380484/alwaleed-foundation-supports-global.html
http://www.arabianbusiness.com/abu-dhabi-crown-prince-pledges-120m-in-polio-drive-499478.html
http://www.arabianbusiness.com/prince-alwaleed-pledges-30m-bill-gates-fight-polio-499949.html

ザッカ―バーグ、ビル・ゲイツらのロビー団体の最初のターゲットは、IT分野で移民労働者が働きやすい方向での規制緩和。
http://www.usatoday.com/story/news/nation/2013/04/29/tech-companies-lobbying-immigration-facebook-family-visas/2121179/
http://www.infopackets.com/news/business/industry/2013/20130429_ballmer_gates_help_push_for_immigration_reform.htm

でも、その一方でビル・ゲイツとゲイツ財団の幹部は、グローバルな貧困を大幅に削減する、と言っている。移民労働に出ていかなくても、みんなが自分の国でそこそこの暮らしができるように、してくださるんでしょうか。そうしたら、米国がITビジネスで国際競争力を維持できるように移民法の改正をめざすザッカ―バーグさんとの活動とは齟齬をきたしますが?
http://www.radioaustralia.net.au/international/radio/program/pacific-beat/gates-foundation-executive-upbeat-about-dramatic-poverty-reduction/1123426

また新手のビルダーバーグ会議? ブレア元英国首相、ルワンダ大統領、ビル・ゲイツ、マジック・ジョンソン他がビバリー・ヒルズに結集して、Milken会議。
http://beverlyhills.patch.com/articles/tony-blair-bill-gates-magic-johnson-to-attend-milken-conference-in-beverly-hills

シカゴの貧困地域から人を集めて最低賃金以下で大企業に送り込む、raiterosと呼ばれる労働者ブローカーについて、ProPublicaが。:う―。読みたい。けど、たぶん読めない。
http://www.propublica.org/article/taken-for-a-ride-temp-agencies-and-raiteros-in-immigrant-chicago

オレゴン・ヘルス・プランと呼ばれるOR州のメディケイドの効果について、受給できた人とそうでない人を2年間かけて比較研究したOregon Health Studyの結果がNEJNに。身体的な健康度が特に上がっているわけではないが、鬱状態は改善されていることと、経済的に安定度が高くなったことは成果。この先は、まだ読めていない。
http://www.nytimes.com/2013/05/02/business/study-finds-health-care-use-rises-with-expanded-medicaid.html

英国の介護者週間、今年は6月10日から16日。テーマは「介護の準備は?」。ブーマー世代の老いと介護に、英国の介護制度は対応できるのか、と問う。
http://southdownsliving.blogspot.jp/2013/04/prepared-to-care-carers-week-asks-can.html

カナダの看護師らがナーシング・ホームの人員配置基準は70年代のままで、アップデイトが必要、と訴え。
http://www.cbc.ca/news/canada/nova-scotia/story/2013/04/30/ns-long-term-staffing.html

1609年にヴァージニア州の飢饉でカニバリズムがあったという記録があるらしいのだけれど、このほど発掘された当事のゴミ捨て場から14歳の少女の骨が見つかり、カニバリズムが実証された、とのこと。
http://www.washingtonpost.com/national/health-science/skeleton-of-teenage-girl-confirms-cannibalism-at-jamestown-colony/2013/05/01/5af5b474-b1dc-11e2-9a98-4be1688d7d84_story.html
http://www.nytimes.com/2013/05/02/science/evidence-of-cannibalism-found-at-jamestown-site.html

日本語。インドでまた集団レイプ事件、母と娘が6人から 家族のトラブルで報復か
http://www.xinhua.jp/socioeconomy/photonews/343362/2/

安倍普三首相の「天皇陛下万歳」、中国CCTVがその意味探る「日本政府は公式ウェブサイトでこの式典の模様を公開したが、最後に会場の人々が万歳三唱をしたシーンでは「天皇陛下」と叫ぶ音声が消され、「万歳」しか聞こえない。日本政府は「マイクのトラブルであり、意図したわけではない」と釈明」
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130502-00000011-xinhua-cn

上の件、ガウタマ・シンラン・ソリドゥスさんがビデオをアップしてくださっている。
http://blogs.yahoo.co.jp/solidussolidarity/37042526.html

日本。定期接種化は大問題!子宮頸癌ワクチンは打たないで! 日本消費者連盟。
http://nishoren.net/flash/4352
2013.05.08 / Top↑