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7月にLancetに報告されたオランダの安楽死者の発生率のデータを詳細に見直したところ、実際には2003年から73%も増加している、とLifeNews.com。
http://www.lifenews.com/2012/07/31/euthanasia-rate-in-netherlands-has-increased-73-since-2003/

テネシー州で、在宅高齢者に年15000ドルまでの在宅ケアとデイケア・サービスを提供し、ナーシング・ホーム入所を回避する実験的なメディケア・プログラムがスタート。低所得高齢者が入所ケアを受けにくくなるのでは、との懸念も。
http://www.kaiserhealthnews.org/Stories/2012/July/29/tennessee-medicaid-long-term-care.aspx

英国の社会保障費削減で、給付を切られる障害者や高齢者に向けて苦情処理の方法をアドバイスする法務省作成のビデオに対して、雇用大臣が横やりを入れたとして、非難の的に。
http://www.guardian.co.uk/society/2012/jul/31/minister-accused-video-disability-claimants

ダウン症候群の人の知的機能向上のためのピル、開発間近?
http://www.washingtonpost.com/national/health-science/down-syndrome-researchers-see-hope-for-a-pill-to-boost-patients-mental-abilities/2012/07/30/gJQA1ntvKX_story.html

英国NHSで脳神経系の患者の医療が不十分なため、悪化してから救急を受診するケースが続発。
http://www.guardian.co.uk/society/2012/aug/01/nhs-neglect-neurological

「途上国に避妊を」キャンペーンでヴァチカンがメリンダ・ゲイツをmisinformed(状況等が正しくわかっていない)、confused(きちんと理解できておらずわかっていない)などと批判。
http://www.cathnews.com/article.aspx?aeid=32387

英国、専門家の提言受け、インフルエンザ・ワクチンをすべての子どもに。
http://www.medicalnewstoday.com/articles/248424.php

ウガンダでエボラ熱流行。少なくとも14人死亡。
http://www.guardian.co.uk/world/2012/jul/29/ebola-uganda-outbreak-patients-flee

地球の陸地の音頭は過去250年間で1.5度上昇。人間によって起こされたもの。
http://www.guardian.co.uk/science/2012/jul/29/climate-change-sceptics-change-mind?CMP=EMCNEWEML1355

日本。平日通院できる職場を 時間単位の有給導入要請 厚労省検討会報告書
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120731-00000087-san-pol

喫煙で停職1年「重すぎ」地下鉄運転手が市提訴
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120801-00000773-yom-soci

日本のゲノム創薬スキャンダル。<京大元教授逮捕>「研究の鬼がなぜ」同僚ら困惑
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120731-00000055-mai-soci
2012.08.02 / Top↑
英国で、知的障害のある子どもが国外で結婚させられるケースが相次いで
Mencapその他のチャリティが問題にしている。

例えば33歳の息子にパキスタン人の妻を見つけたという50代の母親は

「私も歳をとってきたし、
24時間介護が必要な息子のケアはたいへんになってきたけど、

嫁が来てくれれば息子の面倒を見てくれるでしょう。
なにしろ息子は何でもすぐに出てこないと気が済まないのよ。
食べ物だって着るものだって。

でも、息子が婚約したってことはまだ誰にも言ってないの」

知的障害のある子どもを結婚させてしまえば
家族が感じるスティグマは軽減され、
他の子どもたちの結婚に差し支えることもなくなる。

そうした家族は、結婚は本人の最善の利益だと主張するけれど、
専門家からは、破たんした時や、搾取の温床になるなどの懸念も。

実際、知的障害のある娘に、金目当てで
パキスタンの男性3人と次々に結婚させた一家も。

この問題を重視するMencapとFace the Factでは、
一般に知られ考えられている以上に実態は深刻、と対応を呼びかけている。

Fears for those with learning difficulties forced into marriages
Asian Image, August 1, 2012


この問題、英国では2008年から既に報告されていた ↓
知的障害者の強制結婚、相手はビザ目的、親は介護保障で(2008/7/29)


息子の介護のため、パキスタンから妻を迎えるという話に、思いだすのは、これ ↓
“現代の奴隷制“ 輸出入される介護労働(2009/11/12)


アジアの国々から介護労働、育児労働が輸出されているのは
もうずいぶん前からのことなのだけれど、

それが結婚として行われるということは、
介護労働者受け入れプログラムですら十分でない保護が
さらに全くない、密室の奴隷労働、になるのでは?

アジアから英国に迎えられる“妻”たちにせよ、
英国から余所の国に送り出される“妻”たちにせよ、

女性ゆえ、知的障害者ゆえに、
家族や男たちによって、何重にも重なった搾取を受ける。

これもグローバリゼーションの一つの顔……?

暗澹。
2012.08.02 / Top↑
NDRNの報告書の提言要旨を以下に。
(報告書関連エントリーは文末にリンク)


病院、医療機関に対して

倫理委員会と倫理相談だけでは患者の法的権利を守るには不十分。
特に障害者に成長抑制、不妊その他の医学的に不必要な医療が行われる場合には
デュー・プロセスによって権利を保護する手続きが必要。

倫理委員会には最低1名、
障害者または障害者の権利擁護の経験者を加えること。

障害者への成長抑制、不妊、治療の差し控えと中止について互いに助言できるよう、
米国小児科学会、子ども病院協会、米国医師会、米国臨床分泌医学会、米国病院協会、
米国知的・発達障害学会、NDRNその他の障害者セルフ・アドボカシー団体などの
関係団体が集まるワーキング・グループを作ること。


医療評価機構に対して

この提言に反し、現行の障害者の権利保護規定に違反している病院を認定しないこと。
それらの病院をインターネット上で公開すること。


保険会社に対して

本人同意のない成長抑制療法と不妊手術への支払いを拒むこと。
親の要望と障害者本人の市民権・人権との間に衝突がある、
医学的に緊急でも必要でもない医療については、
十分なデュー・プロセスを経るまで認めないこと。


州議会に対して

親やガーディアンの要望と、障害者本人の市民権・人権の間に衝突がある場合に、
障害を理由にした不妊手術、成長抑制療法、その他
医学的に緊急でも必要でもない医療に関して
デュー・プロセス保護を確立すべく法整備を行うこと。

必要な治療の差し控えについても、栄養と水分を含め(しかしそれに限らず)、
同様の法整備を行うこと。

その際、所定の代理決定スタンダードを用いて
障害者本人の利益を代理する法定代理人が
本人の市民権・人権を利益の衝突がある中でもゆるぎなく熱心に訴えることが必要。
法定代理人には障害者の市民権・人権に関する必要な情報アクセスを。


米国保健省に対して

上記に挙げた関連組織や団体によるサミットを開催し、
デュー・プロセス保護を含め、医療の意思決定が障害者に及ぼす影響について検討すること。

本人同意のない成長抑制療法や不妊手術、その他無用な医療が
親または代理人の要望と本人の市民権・人権が章とする状況で行われる場合には
病院その他の医療機関に、デュー・プロセス保護を義務付けること。
その際、義務違反のあった病院や医療機関には
すべての連邦政府の補助金を打ち切ること。

連邦政府の不妊規制を改正し、連邦政府の補助金を受けている機関に対して
本人同意のない不妊手術、障害を理由にした成長抑制を禁じること。

連邦政府の被験者への保護規定を改正し、
人を対象とする実験を行う組織にはIRB(組織内審査委員会)に最低一人、
障害者または障害者の権利擁護の経験者を含めるよう義務付けること。

連邦政府により多機関連携委員会を設定し、
支援テクノロジー、地域生活、医療・リハビリ用具、その他
障害者のニーズに応えることのできるサービスや支援について
障害児の親やガーディアンに提供できる情報を中央に一元化すること。


議会に対して

P&A機関をはじめ法的保護機関への予算を増額し、
病院その他医療機関へのモニター、医療職への研修、
障害者の市民権・人権侵害の可能性がある場合の調査を推進すること。

義務付けられているデュー・プロセス保護その他の市民権規定に従わない
病院その他の医療機関に対して、連邦政府の補助金を打ち切る法整備を行うこと。



【NDRN報告書関連エントリー】
障害者人権擁護ネットから報告書「“A療法”・強制不妊・生命維持停止は人権侵害(2012/6/20)
障害者の人権を侵害する医療への痛烈な批判: NDRNの報告書「まえがき」(2012/6/22)
障害者への医療の切り捨て実態 7例(米)(2012/6/26)
NDRN報告書:概要(2012/7/7)
NDRN報告書:WI州の障害者への医療切り捨て実態 2例(2012/7/9)
NDRN報告書: A療法について 1(2012/7/13)
NDRN報告書: A療法について 2(2012/7/13)
NDRN報告書:カルメンの強制不妊ケース(2012/7/14)
NDRNのCurt Decker、"アシュリー療法“、障害者の権利、医療と生命倫理について語る(2012/7/31)
2012.08.02 / Top↑
今年5月に米国の障害者保護と人権擁護ネットNDRNが
障害者への“アシュリー療法”、強制不妊、一方的な治療停止と差し控えについて
強く非難する報告書を刊行しましたが、

07年のアシュリー事件で調査報告書を書いたDRW(NDRNのメンバー)のサイトに、
5月22日付でNDRNトップのCurt Deckerのインタビュー・ビデオが
アップされていました。

NDRN’s Curt Decker on Ashley’s Rights
DISABILITY RIGHTS GALAXY, May 22, 2012

それぞれを要約する形で、全Q&Aを以下に。

Q:障害者にとってはアシュリー療法が選択肢となることそのものが問題なのだということが、生命倫理学者や医師にはどうして理解できにくいのでしょう?

A:一つには一般と同じく、重症障害者にはなんの可能性もないという偏見を彼らも共有していること。それから生命倫理学者、特に医師は、専門性に基づいて自分たちが人のことを決めてよいとする教育の影響があって、それらが無知と傲慢という最悪のコンビネーションとなって意思決定を間違える。

Q:A療法の問題を親にはどのように理解させればよいのでしょう?

A:大事なのは親を悪魔扱いしてはいけないということ。彼らは重症障害のある子どもの親になる準備をしてから親になるわけじゃないし、知るべきこともきちんと知らされていない、カウンセリングも受けていない、医師からの情報も間違っている、そんな中で不安から親は間違った選択をしてしまう。だから、どういう支援があるのか、ちゃんと情報提供をし、重症障害のある子どもがいる家族にも会わせて、重症障害のある子どもも成長して大人になれるし、家族と豊かな生活を送れるということを知らせていけば、親もまた違う選択をするようになる。

Q:なぜA事件は障害者の権利運動の今後にとって大事なのでしょう。

A:我々の社会が重症障害者を価値のないものとして扱っており、それがアシュリー療法の正当化の基盤になっているからだ。さらに身体を切り刻んだり他の形で手を加えることや、成長する権利の制限、DNR指定の問題などの差別につながっていく。これまで我々が闘い続けてきた結果、住居、就業、学校ではバリアがなくなってきたのに、こうしたメインストリーミングに反する動きが出てくるなら、社会の根底にある、障害者を価値の低いものとみなす意識と闘わなければ。

Q: セルフ・アドボカシーにおけるP&Aシステムの役割は? どのように活動を?

A:我々は法的根拠のあるシステムとして、全米で障害者の権利の問題に取り組んできて政策、手続き、法規制の重要性も十分わかっている。こうした医療介入が間違っていることについても子ども病院であれ行政機関であれ、出掛けていって問題を指摘しなればならない。

Q:A事件からの5年で、生命倫理学者や医師や医療界を変えること、重症障害者の権利擁護について学んだこととは?

A:彼らを変えることは難しいが、セルフ・アドボケイトで障害者自身の声をあげて行くことだと思う。障害者自身が自分で声をあげられないという問題ではなく、医療界のシンポや倫理システムそのものが障害者を議論から締め出して聞く耳を持っていないという問題。P&Aシステムと法的アドボケイトが支援して、障害者自身の声をそういう場に持ち込めば、医療の姿勢も変わる。

Q: A療法についてセルフ・アドボカシーには言いたいことが多いが、それが届かないのはなぜか。どうしたら変えられるのか。

A:世の中には障害者のことをよく知らないまま、関わりを避けようとする人が多い。特に性に関する問題は正面から取り組まれるのではなく、問題をないものとすることで回避されてきた。一般には、障害児を育てるのは金銭的にも心理的にも大変だろうと思われていて、一般の人たちはそこに自己同視し親に同情してしまうからでは。現実にはそうではないのだということ、重症障害者にも守るべき基本的人権があることを伝えて行く必要がある。

Q: なぜA事件のフォローアップ報告書が重要だと?

A:議論を続ける機会として。A事件以来の議論はあるが、今なお、アシュリー療法の問題は「家族の権利と負担」vs「本人の権利」のバランスの枠組みでとらえられている。議論を障害者の市民権、人権という基本の本題へとシフトしていく。議論を終わらせず、届くべき人の声を議論に届け、適切な手順と規制を作って医療界がアシュリー療法を重症障害者に押しつけさせないように、できると思う。



Decker氏と言えば、
NDRN報告書の前書きも胸を打つ文章です ↓

障害者の人権を侵害する医療への痛烈な批判: NDRNの報告書「まえがき」(2012/6/22)
2012.08.02 / Top↑
05年にスイスで幇助自殺したドイツ人女性の夫 Ulrich Koch氏が
自殺幇助を違法とするドイツの法律が個人のプライバシーと尊厳のある死の権利を侵していると
2010年に欧州人権裁判所に対して提訴した以下の裁判の続報。

欧州人権裁判所に「死の自己決定権」提訴(独)(2010/11/23)


以下のBBCの記事によれば、欧州人権裁判所は
自殺幇助に関する規定は各国で決めるべきことであるとして
死の自己決定権そのものについての判断は避けた一方で、

ドイツの裁判所がKoch氏の訴えの利点を検討すらしなかったことが
欧州人権条約の第8条(プライベートな家族生活を尊重される権利)違反であるとして、

ドイツ政府に対して、Koch氏に2500ユーロ(2460ドル)の賠償支払いを命じた。

Assisted suicide: Germany loses Strasbourg court case
BBC, July 19, 2012


判決文はこちら ↓
http://www.adfmedia.org/files/GermanyKochDecision.pdf

また、この判決を受けて、
プロ・ライフグループから出た批判を紹介した記事がこちら ↓
http://www.lifenews.com/2012/07/23/german-court-ruling-on-assisted-suicide-request-panned/


ちなみに、欧州人権裁判所はちょうど1年前に以下のような判決を出している。
双極性障害者の自殺希望に欧州人権裁判所「自殺する権利より、生きる権利」(2011/1/28)
2012.08.02 / Top↑
NDRNの報告書については、まだ最後の提言をエントリーにしたいと思っているのですが、そのNDRNのトップで前書きの著者 Curt Decker が、Ashley療法に関するNDRNの立場を明確に語るビデオがDRWのサイトに。:たいへん良い内容です。なるべくエントリーに取りまとめたいと思います。
http://disabilityrightsgalaxy.com/2012/05/22/ndrns-curt-decker-on-ashleys-rights/

同じくDRWのサイトに、NDRNが報告書を作るに当たって実施した当事者委員会でのA療法をめぐる話し合いの模様のビデオも。
http://disabilityrightsgalaxy.com/2012/05/22/ashleys-rights-2/

Not Dead Yet の会長 Diane Colemanが「自殺幇助法はADA違反」。自殺したいという希望に対して、自殺予防で対応される人と自殺幇助で対応される人とを作るダブルスタンダードが、前者が障害のない場合で後者が障害のある場合だとすることは明らかで、そこに自殺幇助合法化の差別性がある、と。
http://www.notdeadyet.org/2012/07/assisted-suicide-laws-violate-the-ada.html

介護者が仕事をやめなくてもよいための支援を。(英)
http://www.lgcplus.com/briefings/support-carers-to-stay-in-employment/5046665.article?blocktitle=Views-from-the-panel&contentID=2341

インドのJalandhar州で、親がわずかな医療費を払えなかったら、病院が生後3日目の女児の生命維持治療を拒否した、という事件。:無益な治療論が実際には貧しい患者や移民でよく持ち出されていて、実は治療の無益性とは無関係になりつつあることは既に言われていることだけれど、ここではインドという点が目を引く。
http://medicalfutility.blogspot.jp/2012/07/hospital-stops-life-support-after.html

NYTが先週に引き続き、メディケイド拡大を拒否している州に貧困層の無用な害と死に繋がる、と社説で批判。
Medicaid After the Supreme Court Decision: States that refuse to expand the program will cause needless harm and deaths to thousands of low-income people.

Slateの記者がブログでWHOやゲイツ財団がHIVなどの予防策としてアフリカ諸国に成人男性の包皮切除を広めようとしていることに、疑問を呈している。興味深いのは、米国小児科学会が中立を標榜しつつも、そのガイドラインでは利益の方が害よりも強調されている、との指摘。そのガイドラインの辺りについては、面白い情報がいろいろあるし。
http://open.salon.com/blog/judy_mandelbaum/2012/07/27/africas_male_circumcision_crusade_boon_or_boondoggle

【関連エントリー】
Gatesの一声で、男児包皮切除にエビデンスが出てくるわ、小児科学会もCDCも方針を転換するわ(2010/8/16)
包皮切除件数減少を反対運動のせいだと騒ぐDiekemaのポチ踊り(2010/8/23)
包皮切除でのDiekema発言でNPRラジオに抗議殺到(2010/9/14)


7月2日の補遺で拾った、ドイツの包皮切除論争の続報。
http://www.bioedge.org/index.php/bioethics/bioethics_article/10170

CA州で、正当な手続きを経ず脳のがんで死に瀕している患者3人に、頭の傷にバクテリアを入れる実験を行った脳外科医2人が、実験禁止処分に。:功利主義的な人体の資源化が、現在、臓器庫とみなされ始めている脳死者や重症障害者を実験に利用する方向に向かっていくだろうというのは、当然のこととして予想できること。私が知っているだけでも、2006年から既にそういう声は生命倫理学者の間から出ていた。
http://www.bioedge.org/index.php/bioethics/bioethics_article/10173

ドイツの高名な移植医が、自分の患者の待機リストの順位を上げるために書類を偽造していた、とのスキャンダル。
http://www.bioedge.org/index.php/bioethics/bioethics_article/10174

Journal of Medical Ethicsで、生命倫理学者Jessica Flaniganが「処方箋法は患者のセルフ・メディケーションの権利を侵している」から撤廃せよ、との提言。:Norman FostやJulian Savulescuのステロイド解禁論をさらに極論すると、こういうところへ行きつくわな。
http://www.bioedge.org/index.php/bioethics/bioethics_article/10172

久方ぶりに、また「ヤセ薬」が認可されるらしい。以下のエントリーで紹介している orlistat以来のことだとか。
http://www.thelancet.com/journals/lancet/article/PIIS0140-6736%2812%2961233-1/fulltext?elsca1=ETOC-LANCET&elsca2=email&elsca3=

【関連エントリー】
NHS新たにヤセ薬を解禁(2008/7/9)
6月解禁のヤセ薬、精神障害起こすと早くも販売中止(英)(2008/10/25)
EUがヤセ薬を解禁、「誰の最善の利益?」(2009/1/31)



日本語「黒人だから」と教会が結婚式拒む=米ミシシッピ州
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120729-00000045-jij-ent

日本語。日本人客らに「優先レーン」検討=入管審査短縮、「差別」批判も―英空港:世界中であらゆる差別が公然と行われ始めている、という気がしてならない。
http://www.jiji.com/jc/zc?k=201207/2012071100922&rel=&g=

日本。娘の自殺手伝った両親逮捕…首つるひもを準備
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120728-00000238
2012.08.02 / Top↑
2007年にAshley療法に関する調査報告書を書いたWPASは
その後、DRW(Disability Rights Washington)と名前を変えていますが、

最近、障害者の保護と権利擁護(P&A)全国組織NDRNと一緒になって
A療法、強制不妊、治療の一方的な差し控えと中止を糾弾する報告書を出したことは、
これまでにいくつかのエントリーで紹介してきました。
(詳細は文末にリンク)

そのDRWのサイトで、
現在、アシュリー療法に関するインターネット投票が行われています。

問いは、

Do you believe there should be more safeguards to prevent medical discrimination such as in the “Ashley Treatment”?

“アシュリー療法”に見られるような医療差別を防ぐために
今以上のセーフガードが必要だと思いますか?


7月29日21時現在の結果は、以下の通り。

Yes 95.45% (84票)
No 4.55%  (4票)
No Opinion  0% (0票)


私は84票目を入れました。

投票は、以下のサイトの左欄中ほど、CURRENT POLLから ↓
http://disabilityrightsgalaxy.com/



【NDRN報告書関連エントリー】
障害者人権擁護ネットから報告書「“A療法”・強制不妊・生命維持停止は人権侵害(2012/6/20)
障害者の人権を侵害する医療への痛烈な批判: NDRNの報告書「まえがき」(2012/6/22)
障害者への医療の切り捨て実態 7例(米)(2012/6/26)
NDRN報告書:概要(2012/7/7)
NDRN報告書:WI州の障害者への医療切り捨て実態 2例(2012/7/9)
NDRN報告書: A療法について 1(2012/7/13)
NDRN報告書: A療法について 2(2012/7/13)
NDRN報告書:カルメンの強制不妊ケース(2012/7/14)
2012.08.02 / Top↑
療育園との連絡ノートより

先日、ミュウさんとゆっくりお散歩へ行く時間があり、
売店へ行きました。

そこで雑誌をいろいろ見ながらお話しし、

余暇時間等を利用して、
ミュウさんの気に入ったものや興味あるものを雑誌などから選び、切り抜き、
ノートに貼るような遊びをしてみようかということになりました。

ミュウさんもその際はノリ気で、
「やる!!」と言わんばかりに口をあけたり手を挙げたりされていたので、

ノートと1冊雑誌を買いました。

まだそこまでですが、手箱へ置いて、
これから時々チャレンジしてみたいと思います。


すご~~~ぃ! ミュウに新しい趣味?

ありがとうございますっ!!

(その雑誌って、例の
ジャニーズのイケメン写真が満載のやつ……?)
2012.08.02 / Top↑
前のエントリーからの続きです。

著者はずっと母親の「主観的な経験」を重要視していながら
参考文献を見ると、この人、学者が「(母)親について」書いたものばかり読んでいる。

なんだか、
障害や病気についての知識は身につけているけど、
障害や病気そのものを生きている患者の体験にはまったく興味がなくて、
彼らから直接学ぼうとはしない医療職を思ってしまう。

この本の参考文献の中で、
親自身が書いたものは(たぶん)「ダウン症の子をもって」だけ。

確かに名著だけど、ついでに言えば有名な大学教授の書いた本でもあるけど、
でも、これって「父親」が書いたものなんですけど?

著者にとって最大の興味の中心であり、最重要事って
「母親」の「全体の人間としての」「主観的な体験」だったはずなのに……?

それから、以下のようなくだりが「あとがき」にあるのだけれど、

……女性として生まれてきて、恋愛をし、結婚をして……。テーブルには、レースのクロスをかけて、子どもの1歳のお誕生日にはケーキを焼いて、ハッピーバースデイソングを歌いながら一緒にろうそくを吹き消す笑顔と周囲からの拍手。七五三での晴れ着、家族でのハワイへの海外旅行など。
(p.207)


もしこれが、著者が想像する「障害児の母親」の内面なのだとしたら、
まずもって著者自身が母親を一人の「全体としての人間」としてではなく
ステレオタイプな「母」「女性」限定の枠内でしか見ていないんでは?


この本の中に引用されている障害児の親の研究で
書籍になっているものは私も何冊か読んでいる。

誰であれ、こういう研究をしてくれる研究者の方には、
いつも、まず素直に「ありがとう」と思う。

こうもボロカスに書いていたら信じがたいことかもしれないけど、
でも、それは本当に素直に、そう思うのです。

ああ、こうして、分かろう、理解しようとしてくれている人たちがいるんだ、と
いつも、本当に嬉しい。心から、ありがとう、と思う。

ただ、正直、この本に限らず、
読んでいると、いつも、どこかから気持ちがねじくれてくる部分がある。

いつのまにか「あなたに何が分かるというの?」と呟きたくなっている。

それは、たぶん、こういう研究に関する本を読むたびに経験する、
研究の対象や素材としてまなざされることへの違和感。

著者自身があとがきの最後に書いている。

……研究においても、実践レベルにおいても、支援の対象という視点が強まることによって失われるものに目を向ける必要があります。
(p.209)


これは重要な指摘だと思う。

だからこそ、著者自身が障害のある子どもの母親を
研究の対象や素材としてまなざしていることの限界に気づいてもらえたらなぁ、と思う。

気づいてもらえれば、
「一人の全体としての人」として分析するはずの「対象」を、
まず著者自身が「障害児の母親」と限定的にしか捉えていないことにも、
気づいてもらえそうな気がするのだけどなぁ。

例えば、
姑と「分かち合い」ができずに「傷つき」、「逃避パターンの母親」だと分類された人の、
暮らしの場に行って、そこで嫁として女として語られる言葉を聞いてみる気はないですか。

子どものために仕事をやめたらと言われて傷つき悩んでいるという人が
子どものこととはまったく別に職業人として存在している時間や空間で、その人と会い、
その仕事で何をしてきたのか、仕事にどういう思いを持っているのか、
それを聞いてみる気はないですか。

その人が親になる前に、何をしてどういう人生を生きてきたか、
親になる前のその人が、どういう人だったのかに、興味はないですか。

親としての傷つきや夢ではなく、
その人がその人自身の人生で負った傷や心に大切に描いてきた夢に、興味はないですか。

支援の対象や分析の対象として向かい合った「障害児の母親」の言葉ではなく、
同じ時代と社会を生きる人間同士として向かい合ったその人から、
そういうふうにこぼれ出る言葉を浴びて、初めて、
「全体としての人」としての障害児の母親について
何がしかのことが語れるんじゃないかと、

私は思うのだけれど。
2012.08.02 / Top↑
前のエントリーからの続きです。


その「あとがき」にあった結論とは、

一つは、
早期療育の家族支援の中心は「自己のポジショニング」中心に、という点。

もう一つは、以下の3行で、
私にとっては、この本で最重要なのはここだった。

子どもの発達支援という目的をいったん脇に置き、安全な構造で、障害のある子どもを持つ親が、子どもとの関係に限定せずに自分自身の内面を語ることのできる機能が、すべての療育システムに組み込まれることが必要です。
(p.208)

これ、本当によく書いてくださった……と思う。

「子どもの発達支援という目的をいったん脇に置き」
「子どもとの関係に限定せずに」「安全な構造で」というのは、

障害のある子どもを持つ母親であっても、
「障害のある子どもの母親でしかない存在」としてではなく
「私」として「私」のことを語っても、それを否定されないで、ということですね。

そして、まさに、このことを
障害のある子どもを持つ母親はずっと許されてこなかった、と私は思っているし、

それこそが、私が10年以上前に書いた2冊の手記で訴えたかったことであり、
今で言えば、それこそが私の介護者支援のメッセージの一つ。

いわゆる「専門家」と「世間サマ」に向けて、
「障害児の親でしかない」のではなく「障害児の親でもある私」なのだと
拙いなりに自分にできる表現で語ろうとしてきたような気がする。

だから、もうそろそろ「一人の人間である私」について語らせてください、と。

だから、私たち母親も、
もうそろそろ「こんなにしんどいけど、こんなに可愛い」と
世間サマに求められる順番でものを言うのをやめて、

勇気を出して、
「こんなに可愛いけど、こんなにしんどい」という順番で
自分の痛みを語り始めてみようよ、と。

それから10年経って、介護者支援と出会った時、
やっと日本でも「介護者でもある私」について語ることを許される場が
少しずつできてきたのだなぁ……と感慨があった。

でも、その頃、私は期せずして、何の予備知識も心構えもないままに、
障害学や障害者運動の周辺の人や情報に、急加速的に接近してもいて、

そして気づいたのは、
それまで私が言いたいことのある相手として意識してきた「専門家」でも「世間サマ」でもなく、
思いがけない別のところでも、親が「私」について語ろうとすることは
今なお非常に難しい、ということだった。

4月にツイッターをやめたきっかけとなったのも、
その新たな発見と、それを発見したことの衝撃と痛みだったんじゃないか、と
今は整理し始めている。(少なくとも私の主観的には)

そこで「敵でしかない」かのように言われている親だからこそ、
「親は加害者」「親はこういうもの」という抽象的な存在ではなく
それぞれに固有の人生を生きてきて今ここにこういう生を生きている「親でもある私」、
「介護者としての私」のことを語らないでいられない思いが切迫してきて、

だから時に勇気を振り絞って、
それを少しずつおずおずと書いてみようとするのだけれど、

「重症重複障害のある子を持つ親」の文脈で発言したことは
自立生活を切り開いてきた「身障者である本人」の文脈に引き戻されて受け止められる。

でも私は「身障者」や「自立」や「障害者運動」の話をしていたわけじゃない、
私は「重症障害」の文脈で「親である私」の話をしていたのに、と思う。

または、「そこには本人がいない」と返される。

でも私は「私」の話をしているのであって本人の話をしているわけじゃないのだから、
そこに本人がいないのは当たり前のことなのに、と思う。

逆に、なぜ親は自分のこと(だけ)を語ってはいけないの? と思う。

そして「介護者支援」を語ろうとすると
「でも介護者は加害者じゃないか」と返される。

かつて世間サマの勝手な美意識や母性信仰によって悲鳴を上げる声を封じられたのと同じように
今度は、加害者じゃないか、子どもの自立を邪魔してきたじゃないかと言って
「親や介護者は自分のことを語るな」と言われているような気分になった。


著者は1999年の発達援助と家族支援の対応カリキュラムについて
以下の批判をしている。

…子どもの障害への知識、対応方法が中心であり、母親のひとりの人間としての揺らぎや情緒的サポートという視点に注目しないのは不十分である。
(p.161)

また著者は165ページで中川(2003:5)からの引用として書いている

母親の感覚は専門職から療育最優先の圧力を認知し、これらに対して拘束観や負担感を感じている


なぜ、子どもに障害があるというだけで親は
周囲が(専門家が、世間が、支援者が)「こうあるべき」と押し付けてくる規範の中で生きることを
求められてしまうのだろう。

子どもが小さい頃には専門家が認める「優秀な療育者」であり、
その後もずっと世間が認める「愛と自己犠牲で献身する美しい介護者」であり、
子どもが長じてからは「子どもの自立のために尽力する正しい支援者」であれと、

なぜ、子どもに障害があるというだけで、誰かの物差しを勝手に当てられ、
一方的な評価の眼差しを向けられなければならないのだろう。

障害児の親であろうとなかろうと、
私たちは誰だってみんな、固有の環境に生まれ、固有の人生をこれまで生きてきて
それをみんな引きずって「今ここ」に、固有の歴史や事情やいきさつに絡みつかれ生きている。

だから、個々の人間にとっては、
「今ここ」からしか、どこへも足を踏み出せるはずもないのに、

どうして、そこに外から
誰かがてんでに信じる「こうあるべき」カタチの物差しを当てられて、

別の誰かには行けたのだから誰でも「そこ」へ行けるはずだし行くべきだと言わんばかりに、
評価され断罪されなければならないのだろう。

そういう人たちにとって、
なぜ、障害のある子どもを持つ人は「親」でしかないのだろう。

なぜ、障害のある子どもを持つ女は
「子どものために生きる母」以外であることを認められないのだろう。

なぜ母親は、子どものことを抜きに、
一人の人である「私」のこと(だけ)を語ることを許されないのだろう。

そんな、ミュウが生まれて以来ずっと抱えてきた問いが、
気づかない内に、また私の中で急速に膨らんでいたのだと思う。

その問いをその問いのままに受け取ってくれる人がいないことが私にはずっともどかしくて、
抱え続ける問いがだんだんと膨らんでいたのだと思う。

そして、ある時ささいな出来事を機に、パンパンの風船が破裂してしまった。

それがたぶん、あの自爆テロみたいな
「ツイッターをやめました」だったんじゃないだろうか。

(あの時たまたま私のそばを通りかかられたために爆風を浴びてしまった方々に、改めてお詫びします)

だから、私はあのエントリーを、
正しさの暴力で黙らされた昔の体験場面で書き始めたかったんだ、という気がする。

この本を読んで、
あぁ、なるほど、怒鳴りつけられた、あの時の体験のように
私は、この問題を巡って何度も「拒否」を受け「傷つき」を経験し
私の中にはこの本の著者が言う「傷つきの累積」があったのだなぁ……と改めて気付いた。

それだけでも、この本を読んだ甲斐があったと思うくらいに、
私には目からウロコの発見だった。


そうして気づいて、改めて思うから、
やっぱり私は書いてしまうのだけど、

ミュウが生まれた時からずっと、
「障害児の親になったら、なんで『障害児の親』でしかないの?」
「母親だって一人の人間……で、なんでいけないの?」
という問いをずっと抱えてきた私からみると、

申し訳ないけど、
この著者が母親に向ける目線にも、私はちょっと不満です。

次のエントリーに続きます。
2012.08.02 / Top↑
「障害のある乳幼児と母親たち その変容のプロセス」
一瀬早百合著 生活書院 2012

著者は田園調布学園大学準教授で精神保健福祉士、ソーシャルワーカー。

これまでの障害受容論、家族支援論、社会学における障害児・者家族研究を振り返り、

社会学における障害児・者の家族研究に共通する問題意識は、障害児の母親に対して「望ましい姿」や「役割規範」を押し付ける社会の持つ言説と、それを内面化せざるを得ない状況におかれた母親の葛藤である。
(P.24)

……家族の問題は家族で解決すべきという近代家族の言説のロジック……(中略)……を会議せず、個人の努力で克服すべき問題として無自覚に帰してきた「障害受容論」等への社会学研究の立場からの批判を十分に自覚したい。
(p.25)

と、先行研究を評価しつつ、

障害の種別や子どもの年齢段階による親子関係のあり方の違いが整理しきれていない、
母親と周囲の関係性の中で変容が捉えられていない、つまり

……親の経験を主観的、総合的にとらえた実証的研究はなされていない。
(p.188)
との批判から、

乳幼児期の障害のある子どもを持つ母親に限定し、子どもの障害別にグループ化して
母親を「全体としての人間」という視点で捉えつつ、

……早期の段階の母親の経験とは、≪自己のポジショニング≫の揺らぎをめぐる物語……(p.174)

として
育児支援グループでの語りと、フォローアップの個人面接での発言などから、
母親の「自己のポジショニング」の変容プロセスを分析しようと試みた、
たいへん意欲的な研究。

面白かったのは、
それらの語りをいくつかのキーワードで分析して
4パターンに分類されている変容の物語と、

Ⅰ「再生」パターン
Ⅱ「逃避」パターン
Ⅲ「獲得」パターン
Ⅳ「境界」パターン

それらを分析するために使われているキーワードとカテゴリー。

例えば
「自己全体の崩れ」「不安の開示」「再建の要請」「傷つきの累積」
「コミュニティの獲得」「心強い居場所」「孤立のスパイラル」
「わが子を守る」「アンビバレント」「自己の意味付け」などなど。

実際の障害像とは関わりなく、
母親が子どもの障害を「治らない障害のある子ども」と捉えている(障害モデル)か、
それとも「そのうち治る病気の子ども」と捉えているか(病気モデル)によって、
前者のモデルだとⅠまたはⅡのパターンになり、
後者のモデルだとⅢまたはⅣのパターンになる、とか、

それぞれのモデルでどちらになるかの大きな要因として、
思いを表現した時に「重要な他者」がそれを受け入れ「受容」してもらえるか
それを「拒否」され「傷つき」となったり、
それが「累積」されたり「関係の断絶」に至るかだ、とか。

分析とか解説が興味深い。
(すべてに頷けるわけではないけど)

あと個人的に目を引かれた個所として、

発達段階の重度~軽度といった客観的な子どもの状態だけが変容プロセスに直接関係するのではなく、母親がわが子と分かりあえる実感が持てているかどうかという主観に関連する病の特性が、強く影響していることが明らかとなった。
(p.138)

……重要な他者からの【拒否】は、何よりにもまして、障害のある乳幼児を持つ母親にとって大きなダメージとなることが明らかになった。
(p.140)


この本は、著者の博士論文がほぼそのまま本になったとか。そのためか、
すごく興味深いことに、結論がズバッと分かりやすく書かれているのは、
本文中ではなく「あとがき」だった。

次のエントリーに続く。
2012.08.02 / Top↑
Pediatrics誌に掲載された論文の調査報告で、

トリソミー13と18の子どもは
たいてい生後1年以内に亡くなるし、
それ以上に生きた子でも重症障害を負い、短命であるとされており、
出生前に診断されると中絶する親が多いが、

いくつかのオンラインの親の会のメンバーを募って
272人のトリソミー13または18の子どもの親(すでに子どもを亡くした人も含む)
332人に調査を行ったところ、

医師らが一般に描いてみせる子どもと親の生活像とは違い、
子どもとの生活は総じて幸福で、報いの多い生活だった、と答えた、という。

親が医療職から言われていたのは、
87%の親では、その子は生活が成り立たない、
50%の親では、その子は「植物」になる、
57%の親では、その子はずっと生きている間苦しむ、
23%の親では、こういう障害のある子どもは「夫婦や家族の生活をめちゃくちゃにする」。

一方、回答した親の97%が
子どもが生きた期間の長さにかかわらず、
子どもはハッピー・ベイビーだった、家族や夫婦の生活を豊かにしてくれた、と答えた。

主著者で新生児科医、
モントリオール大の小児臨床倫理マスター・プログラムのAnnie Janvier医師は、

「我々の研究が示しているのは、
医師と親とではQOLとは何かという点で考え方が違う可能性」

また
「あらゆる障害についての医学文献(the なので論文中で触れたもののことか)でも、
障害のある患者またはその家族は、障害者のQOLを医療職よりも高く評価していた」とも

この論文の2人目の著者は
トリソミー13の娘を亡くした母親でMSc(?)のBarabara Farlowさん.

この人、名前を見た瞬間に「あ、あのBarbaraさん……?」と思った。

カナダのトロント子ども病院で娘のAnnieちゃんが親の同意なくDNRにされたとして
訴訟を起こして、ブログでキャンペーンを張っていた、
あのFarlow事件の母親、Barbaraさん。たぶん。 ↓

親が同意する前からDNRにされていたAnnie Farlow事件(2009/8/19)

この研究でのFarlowさんの結論は、

「私たちの研究が明らかにしたのは、親の中には
どんなに短い期間しか生きられなくても障害のある子ども受け入れ、愛することを選び、
幸福で豊かな人生を経験した人もいる、ということ。

私の希望は、
こうした親を理解し、親とコミュニケートし、親と共に意思決定を行う医師の能力を
この知見が高めてくれること」

Quality of Life Of Children With Trisomy 13 and 18 May Be Better Than That Predicted By Physicians
MNT, July 25, 2012


そうかぁ。

Barbaraさん、その後も頑張ってたんだなぁ……。

私は事件が公になった頃に、ある人からの情報で
Annieちゃんに行われた子ども病院の不正を訴えるために彼女が書いた長文の手紙を読ませてもらい、
そこに添付された死後のAnnieちゃんの写真を見たことがある。

全身に異様な赤い斑点があり、
それがフェンタニ―ルを過剰に投与された証拠だ、
勝手にDNRにしただけでなく薬で死なされたのだ、と
手紙は必死に訴えていた。

その後Farlowさんご夫婦は訴訟を起こしたけれど、
結局は資金の問題から途中で諦めざるを得なかったし、

それら一連の出来事の間はもちろん、
その後も長い間、さぞ悔しく、はらわたの煮える思いをしたことだろう。

でも、そのBarbaraさんが、
今、こうしてAnnieちゃんのような子どもをこれ以上出さないために
学者と一緒になって、こういう仕事をしてくれているのだと思うと、

Barbaraさん、ほんと、嬉しいよ。
spitzibaraも勇気がわいてくるよ。

ありがとう。

     ――――

ついでに、この論文には3人目の著者がいる。
この人も私にはインネンの人物。

Benjamin S. Wilfond.

シアトルこども病院、トルーマンカッツ生命倫理センターのディレクター
……でした。少なくとも数年前までは。

Ashley事件の担当医、あのDiekemaの同僚。

Ashley事件の途中から、
一般化に向けてシンポやWGを一応、表向きは引っ張っている人ですが、

彼自身は、もともとは
Fostのラディカルな無益な治療論にやんわりと反論するような穏健な倫理学者です。

そのWilfondが、ここに名前を連ねているのも、
私には、ちょっと嬉しい発見でした。
2012.08.02 / Top↑