Dr. James J. Hughes は1月4日にCNNのNancy Graceの討論番組に出演し、
アシュリーの両親を強く擁護した人物です。
アシュリーの両親を強く擁護した人物です。
番組の中で紹介される所属は、あのGeorge Dvorskyと同じ、
the Institute for Ethics and Emerging Technologies。
the Institute for Ethics and Emerging Technologies。
そのDvorskyも同じ4日にBBCテレビに登場して、
やはり両親を擁護していることは非常に興味深い事実でしょう。
やはり両親を擁護していることは非常に興味深い事実でしょう。
DvorskyもHughesも、共にIEETの幹部であるだけでなく、
世界トランスヒューマニズム協会の創設メンバーであり幹部。
2人は極めて特異な思想を共有する非常に近しい仲間、いわば同志なのです。
世界トランスヒューマニズム協会の創設メンバーであり幹部。
2人は極めて特異な思想を共有する非常に近しい仲間、いわば同志なのです。
(Dvorskyについては、
両親がブログに引用していることからメディアが引っ張り出したことが
容易に想像がつくのですが、
両親がブログに引用していることからメディアが引っ張り出したことが
容易に想像がつくのですが、
Hughesの方はどのような経緯で擁護派として番組に登場することになったのか、
ちょっと気になるところです。)
ちょっと気になるところです。)
彼はGraceから紹介され水を向けられるや開口一番、
sanctimonious (聖人ぶった、正義ぶった、独善的な)という非常に激しい言葉を使って
アシュリーの両親に向けられる批判を攻撃します。
sanctimonious (聖人ぶった、正義ぶった、独善的な)という非常に激しい言葉を使って
アシュリーの両親に向けられる批判を攻撃します。
両親が受けているsanctimoniousな批判には唖然としますね。
だって、両親のブログを読めば、
この意思決定が多大な、尋常ではないほどの慎重さでもって行われたことは分かりますよ。
40人もの倫理委員会に相談しているし、弁護士にも相談している。
行った治療については医師らにも相談している。
だって、両親のブログを読めば、
この意思決定が多大な、尋常ではないほどの慎重さでもって行われたことは分かりますよ。
40人もの倫理委員会に相談しているし、弁護士にも相談している。
行った治療については医師らにも相談している。
まず、批判する人たちを強く非難している点。
そして、批判に当たらないとする根拠が倫理委員会、
特に40人という大きな人数に力点があるらしい点。
そして、批判に当たらないとする根拠が倫理委員会、
特に40人という大きな人数に力点があるらしい点。
しかし、シアトル・タイムズの方には、
もしかしたら最初から倫理委がどのようなものであったかを知っていて
敢えてあの社説を書いた可能性があるわけです。
もしかしたら最初から倫理委がどのようなものであったかを知っていて
敢えてあの社説を書いた可能性があるわけです。
(「シアトル・タイムズの不思議」の書庫を参照してください。)
社説であるにもかかわらず、あれほどヒステリックなトーンになったのも、
それならば肯けるというものでしょう。
それならば肯けるというものでしょう。
では、そのシアトル・タイムズと全く同じことを、なぜDr.Hughesは言うのか。
Sanctimoniousという言葉に感じられるのは、
シアトル・タイムズの社説に滲んでいたのと同じ、
アシュリーの両親を批判する人たちへの非常に強い苛立ちです。
シアトル・タイムズの社説に滲んでいたのと同じ、
アシュリーの両親を批判する人たちへの非常に強い苛立ちです。
彼が何故そこまでヒステリックにならなければならないのか。
このようなケースで医師に相談するのも倫理委員会に諮るのも
ごく尋常な当たり前のことである事実を考えれば、
「多大な、尋常でないほどの慎重さ(the tremendous and quite extraordinary care)」という表現も、
何故これほど大げさな言葉で言わなければならないのか、
不思議であり不自然ですらあります。
ごく尋常な当たり前のことである事実を考えれば、
「多大な、尋常でないほどの慎重さ(the tremendous and quite extraordinary care)」という表現も、
何故これほど大げさな言葉で言わなければならないのか、
不思議であり不自然ですらあります。
Dr.Hughesはこの直後にも、以下のように言います。
胸の組織を取り除いたことについては、
体をそんなふうに切り取るなんて間違っていると思うかもしれませんが、
家族に乳がんが出ているんです。
それに乳房があったらうつぶせになるのも、乳房があるのも……
大きな胸をして体を支えられるのも本人に苦痛(painful)だったでしょう。
体をそんなふうに切り取るなんて間違っていると思うかもしれませんが、
家族に乳がんが出ているんです。
それに乳房があったらうつぶせになるのも、乳房があるのも……
大きな胸をして体を支えられるのも本人に苦痛(painful)だったでしょう。
身体障害のある女性で乳房の大きな人は世の中にいくらでもいますが、
彼女たちから「うつ伏せが辛い」とか「大きな乳房があるのは苦しい」、
「介助されると胸が苦痛」だとか聞いたことがあるでしょうか。
彼女たちから「うつ伏せが辛い」とか「大きな乳房があるのは苦しい」、
「介助されると胸が苦痛」だとか聞いたことがあるでしょうか。
しかも、その苦痛は「だから胸の組織を外科的に切除する」までして防ぐに値するほど耐え難いと?
乳房芽切除の理由の正当性については、担当医もほぼ同じようなことを繰り返しています。
しかし、これはあまりに論理が飛躍しすぎているでしょう。
しかし、これはあまりに論理が飛躍しすぎているでしょう。
50歩譲って仮に多少の痛みがあったとしても、
「だから組織の一部を取り除いて乳房が大きくならないように」と一直線に繋がるはずのない話です。
「だから組織の一部を取り除いて乳房が大きくならないように」と一直線に繋がるはずのない話です。
担当医らもHughesもそこを無理やりつなげてしまうのですが、
いくらなんでも、それは別次元の話だろう……と感じるのが正常なのでは?
いくらなんでも、それは別次元の話だろう……と感じるのが正常なのでは?
生命倫理の専門家として、客観的な立場でコメントするべく出てきているはずのDr.Hughesが、
なぜシアトル・タイムズやDr.Diekemaと全く同じことを言うのか?
なぜシアトル・タイムズやDr.Diekemaと全く同じことを言うのか?
彼の発言には、何もかも本当は分かったうえで敢えて言っている人たちと同じ胡散臭さが、
何故こんなにも強く漂っているのか?
何故こんなにも強く漂っているのか?
2007.08.02 / Top↑
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