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アデノ随伴ウイルス由来のベクターを使った関節炎の遺伝子治療の第2フェーズの治験で
反作用による死者が出たことが7月26日(AP)に報道されています。

治験を行っていたのはTargeted Genetics社(シアトル)。

開始は2005年10月ですが、去年FDAが使用するウイルスの増量を認めたとのこと。

7月20日に被験者の一人に深刻な反作用が出たことがFDAに報告され治験は即刻中止されましたが、
その4日後に被験者は死亡したというもの。

詳しくは

ワシントンポスト(一定期間後、有料になります。)
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2007/07/27/AR2007072700226.html?sub=AR





ワシントンポストの続報(7月28日)によると、
2003年に治験が国立衛生研究所内の連邦遺伝子組み換え諮問委員会に諮られた際に、
専門家から以下のような疑問の声が上がっていたとのこと。

・標準的な治療すら受けたことのない人も含め、それほど重症ではない患者に、
 なぜこのような新しくてリスクのある治療法を受けさせなければならないのか。

・動物実験で治療と症状改善との間にわずかな相関関係しか見つかっていないのに、
 この研究はジャスティファイされるのか。

・使用されたウイルスが全身に広がることはないのか。

・参加者のインフォームド・コンセント用の書類に、
 この研究は参加者の治療の目的ではなく新しい治療方法の安全性の実験に過ぎない事実について
 説明が不足している。

2003年9月17日の委員会の記録によると、
最後のICの説明不足については委員の一人は
「こういう情報を強調すると、参加してくれるかもしれない人を尻込みさせてしまう」
と発言しています。

それでも32人が参加した第1フェーズが深刻な副作用なしに行われたことから、
さらに20箇所127人の第2フェーズが承認されたもの。

     ―――――――――――――――――――――――

ところで唖然としたのは、

この委員会の委員長であった
カリフォルニア大学サンディエゴ校医学部の遺伝子治療プログラムのディレクター、
Theodore Friedmann医師の発言。

その委員会のことは記憶にないのだそうですが、

難しい技術なんですよ。まだ始まったばかりだし。未成熟でもある。
でもいくつか悪質な病気にも効いているし、メリットがある症例だって中にはあるんです。

反作用で死者が出たと知らされて、それでもこう言ってのけられる医師の意識とは、一体……?

ここ数年、日本で非常によく耳にする
「マクロで経済がよくなればミクロで個々の国民にも還元されるのだから、
今はそのための痛みに耐えろ」という理屈。
あの理屈をバイオテクノロジーにそのまま滑らせたら、
もしや、この医師の言葉の背景にある意識になるのでは……?

つまり、「人類全体へのバイオテクノロジーの恩恵が大きくなれば、
それは個々に還元されるのだから、今はそのための痛みに耐えろ」と。

マクロでのバイオテクノロジーの発展のためには、
個々の人間がその過程の実験で健康を損なったり命を失うことなど、
コラテラル・ダメージに過ぎない……と?

【追記】次のエントリーに 続報があります。
2007.08.06 / Top↑
もう1つ、Nancy GraceとDr.Hughesのやり取りを以下に。

G:(static encephalopathyという診断名とアシュリーの状態を両親のブログから一部紹介した後に) Dr. Hughes、どういうところが彼女特有の症状なんですか?

H:(診察せずに診断はできないと述べた後に) しかしこの症例で大事なのはそういうことではありません。精神機能がどうであれ、この患者が自分の医療に関する決定に参加できる日は決してこないのです。その状態が変わることはありません。

G:でも、ドクター! そういうハンディキャップのある患者は沢山いますよ。

H:その通りです。そういう人はみんな、誰かにケアしてもらわなければならない。医療に関する決定も、誰か他の人にしてもらわなければなりません。

G:でも、だからといって子宮や乳房をとられたり、成長を抑制されなければならないんですか?

H:それによって寿命が延びるとかQOLが向上するのであれば、そうです。例えば癌のある患者だと、その種の手術に関する決定は親や介護者によって行われることはありますよ。

「医療に関する決定」と「延命とQOL向上」という言葉をキーワードに、Hughesはアシュリーに行われた医療処置とガン治療とを同列に扱い、「重い知的障害のために自分で決定できない人は、延命やQOL向上のためなら健康な臓器を摘出する代理決定をされてもやむをえない」との判断を示しています。

ここで思い出すのは、両親が相談した弁護士の見解でしょう。

WPASの調査報告書に添付された手紙の「結論」部分の冒頭、彼もまたガンの場合の子宮摘出を例に引いています。

参考になる比較としては子宮癌の例を引くことができる。現在アシュリーが癌だと診断されているとすれば、裁判所の関与なしに子宮摘出が行われることに誰からも疑問はないはずである。それならば、ワシントン州の3つの判例は以下のように解釈されるべきである。すなわち、他の差し迫った医療上の理由によって行う外科手術がその副産物として不妊手術になってしまうというに過ぎない場合には、不妊手術は許されるのである。

しかし両親がアシュリーの子宮摘出を望む主たる理由とは「生理と生理痛の回避」でした。それが子宮がんに匹敵する「差し迫った医療上の理由」に当たるのでしょうか? 

この手紙の冒頭、裁判所の命令は不要とする判断を述べた部分では弁護士は以下のようにも書いています。

その医療処置の目的が不妊手術にあるのではなく、他の医療上必要なメリット(medically necessary benefit)を得るためである以上、不妊手術について裁判所にヒアリングを求めることは不要。

ここでも「生理と生理痛の回避」のことを「医療上必要なメリット」であると、この弁護士は呼ぶのです。

そういえば、Diekema医師もシンポでアシュリーに対する医療処置は「あくまでもmedical needsがあってやったこと」だと主張していました。

「医療上の必要」、「医療上必要なメリット」、「差し迫った医療上の理由」、「延命とQOLの向上」------- これらの言葉を操ることで、3人は「生理と生理痛を回避するために健康なアシュリーから健康な子宮を摘出する」ことを、重病の治療と同列に並べるわけです。

これらはやはり、ためにする強引極まりない詭弁、初めにありきだった結論に無理やり後付けした合理化に過ぎないのではないでしょうか。気になるのはやはり、Diekema医師と弁護士はともかく、なぜHughesまでが……? ということ。

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両親と医師ら、そして擁護に登場した人たちには、ありふれた重症障害に過ぎないアシュリーの状態を実際よりも過酷で特異なものに見せたがっている傾向があります。冒頭の引用におけるGraceの質問はその点を鋭く突いているのですが、ここでもHughesははぐらかして逃げています。
2007.08.06 / Top↑