(昨日から父の人工呼吸器装着という非常に生々しい同時進行の体験について書いており、
受け止めたりお答えする余裕があるかどうか自信がないため、
申し訳ありませんがコメント不可とさせていただいております。)
受け止めたりお答えする余裕があるかどうか自信がないため、
申し訳ありませんがコメント不可とさせていただいております。)
父親が胃穿孔・腹膜炎の手術後に思いもかけない事態の急展開で
人工呼吸器を装着することになって今日までの3日間に考えたことの1つに、
家族一人ひとりの思いの微妙な違い、があります。
人工呼吸器を装着することになって今日までの3日間に考えたことの1つに、
家族一人ひとりの思いの微妙な違い、があります。
20日に呼吸器を装着して中心静脈にラインをとられた直後の父親と対面した際、
父の意識があったことについては、母からも兄からも特に感想は出ませんでした。
父の意識があったことについては、母からも兄からも特に感想は出ませんでした。
母については、
父が呼吸停止を起こすのを目撃してしまったショックに加えて、
その直後に部屋を追い出されてからは
夫が医療サイドに完全に「持っていかれてしまった」ことが
大きく作用したように思います。
父が呼吸停止を起こすのを目撃してしまったショックに加えて、
その直後に部屋を追い出されてからは
夫が医療サイドに完全に「持っていかれてしまった」ことが
大きく作用したように思います。
それまでは家族が付き添っていて、
医療者の方々が「失礼します」と入ってこられていた空間が
一瞬にして家族には立ち入ることのできない高度医療の現場に変わりました。
気を使って何度も説明にはきてくださるし、
処置が一段落した後で家族皆に詳しい説明もしてくださったのですが、
それはどんなに気を使ってもらっても避けがたい救急場面の必然として、
患者は家族の手の届かないところに「拉致されてしまう」のです。
説明を聞けば聞くほど事態の深刻さに「お任せするしかない」気分にもなる。
ヘンな表現ですが、母はいわば医療に対して
夫の「親(妻)権を明け渡してしまった」とでもいった心理状態に入ったように思います。
やっと部屋に入れてもらっても、医療職だらけ、機材だらけ、床中コードだらけで、
そこにいることすらジャマなような申し訳ないような。
もちろん母には怖いから敢えて見たくない、知りたくない、考えたくないという意識も
あるかもしれません。
医療者の方々が「失礼します」と入ってこられていた空間が
一瞬にして家族には立ち入ることのできない高度医療の現場に変わりました。
気を使って何度も説明にはきてくださるし、
処置が一段落した後で家族皆に詳しい説明もしてくださったのですが、
それはどんなに気を使ってもらっても避けがたい救急場面の必然として、
患者は家族の手の届かないところに「拉致されてしまう」のです。
説明を聞けば聞くほど事態の深刻さに「お任せするしかない」気分にもなる。
ヘンな表現ですが、母はいわば医療に対して
夫の「親(妻)権を明け渡してしまった」とでもいった心理状態に入ったように思います。
やっと部屋に入れてもらっても、医療職だらけ、機材だらけ、床中コードだらけで、
そこにいることすらジャマなような申し訳ないような。
もちろん母には怖いから敢えて見たくない、知りたくない、考えたくないという意識も
あるかもしれません。
私がずっと気になっていたのは、むしろ兄の気持ちでした。
兄は某都市に住んでおり、帰ってくるには半日近くかかります。
手術の連絡は水曜日当日についていましたが、帰省については翌日主治医に相談して
「予断は許さないが今日明日にどうこうということはないだろうから週末でも」という判断をしたのでした。
兄は金曜日の午後の飛行機に乗り、その到着を心待ちにしていた父も
「今夜はみんなで美味しいものを食べにいけ」と母に指図したりしていたのです。
兄は某都市に住んでおり、帰ってくるには半日近くかかります。
手術の連絡は水曜日当日についていましたが、帰省については翌日主治医に相談して
「予断は許さないが今日明日にどうこうということはないだろうから週末でも」という判断をしたのでした。
兄は金曜日の午後の飛行機に乗り、その到着を心待ちにしていた父も
「今夜はみんなで美味しいものを食べにいけ」と母に指図したりしていたのです。
父が呼吸困難に陥ったのは、
兄が地方空港に到着した直後のことでした。
父の容態は落ち着いているものだとばかり考えて病院にたどり着いた兄にとっては、
分からないことだらけ、納得できないことだらけだったろうと思います。
兄が地方空港に到着した直後のことでした。
父の容態は落ち着いているものだとばかり考えて病院にたどり着いた兄にとっては、
分からないことだらけ、納得できないことだらけだったろうと思います。
ショックが大きくならないように、我々夫婦がロビーで待ちうけて
ざっとした説明をした上で父の部屋のある階に上がったのですが
私の説明を黙って聞いた兄の最初の一言は
「もうちょっと早く帰ればよかった……せめて午前の飛行機に乗っていれば」。
ざっとした説明をした上で父の部屋のある階に上がったのですが
私の説明を黙って聞いた兄の最初の一言は
「もうちょっと早く帰ればよかった……せめて午前の飛行機に乗っていれば」。
フロアのデイルームで待機する間も、
一体何がどうなってこうなったのか納得できないらしい疑問を口にする合間に
「昨日の仕事さえ休んでいれば」などの自責や後悔の言葉が漏れていました。
一体何がどうなってこうなったのか納得できないらしい疑問を口にする合間に
「昨日の仕事さえ休んでいれば」などの自責や後悔の言葉が漏れていました。
兄の到着を待って、みんなで揃って説明を聞かせてもらいました。
私と母が非常に詳しく受けた術前術後の説明を
主治医は兄のためにもう一度繰り返してくださったのですが、
どうしても今回の説明は急変以降と今後の予後に重点が置かれます。
黙って聞き終えた兄が立ち上がる時に
「もうちょっと早く帰ればよかった」とつぶやいたのは、
週末に帰ってくればよいとの医師の判断を責めたかったのでしょうか。
私と母が非常に詳しく受けた術前術後の説明を
主治医は兄のためにもう一度繰り返してくださったのですが、
どうしても今回の説明は急変以降と今後の予後に重点が置かれます。
黙って聞き終えた兄が立ち上がる時に
「もうちょっと早く帰ればよかった」とつぶやいたのは、
週末に帰ってくればよいとの医師の判断を責めたかったのでしょうか。
が、医師の意見を聞いて判断したのは私と母であり、最終的には兄本人の選択です。
もちろん兄も誰の責任でもないことは百も承知なのでしょうが、
もちろん兄も誰の責任でもないことは百も承知なのでしょうが、
こういう状況で「ついさっきまで冗談を言っていたのに」
「何時につくのかと聞いて、楽しみにしていたのに」などと聞かされて、
物言えぬ父と対面した兄としては、父の意識があると分かれば分かるほど、
切ないものがあったのだろうとも思うのです。
「何時につくのかと聞いて、楽しみにしていたのに」などと聞かされて、
物言えぬ父と対面した兄としては、父の意識があると分かれば分かるほど、
切ないものがあったのだろうとも思うのです。
父に意識があったことを悲惨だと受け止める私の言葉に特に反応はしませんでしたが
「なんで眠らせるんだ? 麻酔はしてあるんだろう? それでいいんじゃないのか」
という疑問は何度か口にしていました。
「なんで眠らせるんだ? 麻酔はしてあるんだろう? それでいいんじゃないのか」
という疑問は何度か口にしていました。
兄にはむしろ眠らせてもらいたくない気持ちがあったのでしょう。
翌日、父が完全に眠らせてもらっていたのを見て私がやっと安心した時、
兄は「オマエは昨日からずっとそれを言っていたものな」とだけ言いました。
兄は「オマエは昨日からずっとそれを言っていたものな」とだけ言いました。
―――――
思いがけない急展開に翻弄されて「まさか、こんなはずでは……」と戸惑いつつ、
引き離された患者と家族はそれぞれに死を思う。
引き離された患者と家族はそれぞれに死を思う。
あと2時間早く到着していたらちゃんと言葉を交わせたはずの兄と
兄の声かけに、呼吸器をつけた頭を必死でうなずいて見せた父の姿を思うと、
あれが最後になるのかも……と考えるのは、どちらにとってもあまりにも切ない。
兄の声かけに、呼吸器をつけた頭を必死でうなずいて見せた父の姿を思うと、
あれが最後になるのかも……と考えるのは、どちらにとってもあまりにも切ない。
別れができるということの大切さと、
それでも人は死に際して別れができるとは限らないのだという事実の重さとを
同時に痛感します。
それでも人は死に際して別れができるとは限らないのだという事実の重さとを
同時に痛感します。
昨日、病院を出る時に兄は、自分の中にある気持ちを吹っ切るように、
「まぁ、呼吸器が外れて、また親父が元に戻ればいいことだからな」とつぶやいていました。
「まぁ、呼吸器が外れて、また親父が元に戻ればいいことだからな」とつぶやいていました。
そして今日、
私たち夫婦よりも一足早く病院に着いた母と兄がドクターから聞いたところでは
父はその後の経過がよくて、今日は管が1本外れ、2,3日中には呼吸器も外れるかもしれない、
との説明だったとのこと。
私たち夫婦よりも一足早く病院に着いた母と兄がドクターから聞いたところでは
父はその後の経過がよくて、今日は管が1本外れ、2,3日中には呼吸器も外れるかもしれない、
との説明だったとのこと。
兄は今日また都会に戻っていきましたが、
その説明が聞けて帰るのと、聞けずに帰るのとでは
足取りが天と地ほどに違っていたろうと思います。
その説明が聞けて帰るのと、聞けずに帰るのとでは
足取りが天と地ほどに違っていたろうと思います。
2008.06.22 / Top↑
突然、81歳の父親が人工呼吸器をつける事態になりました。
以下に書いていることについては、
自分では冷静なつもりですが、
未整理なままの部分があったり、矛盾することを書いているかもしれません。
患者家族の揺らぎとしてご寛容いただければ。
自分では冷静なつもりですが、
未整理なままの部分があったり、矛盾することを書いているかもしれません。
患者家族の揺らぎとしてご寛容いただければ。
また万が一、表現の拙さから誤った印象を与えることがあったとしても、
医療スタッフを批判する意図は全くありません。
医療スタッフを批判する意図は全くありません。
(このエントリーについては悪しからずコメント不可とさせていただきました。)
基本的には私が自分自身の頭と心の整理のために必要としている自問自答に過ぎませんので。
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父が胃潰瘍から穿孔・腹膜炎をおこして緊急手術を受けたのは17日のことです。
この病院には全く責任のない諸々の事情から、
栄養状態が非常に悪く脱水も極度に進んだ状態での手術となったために、
術後の全身状態は当然ながら非常に悪かったのですが、
術後2日目の20日には顔色もよくなり、声にも話しぶりにも力がこもって
なんとなく安堵の空気が漂い始めたところでした。
それが突然「息が苦しい」というなり、みるみる青ざめて呼吸停止。
あれよあれよという間に人工呼吸器が装着される事態。
栄養状態が非常に悪く脱水も極度に進んだ状態での手術となったために、
術後の全身状態は当然ながら非常に悪かったのですが、
術後2日目の20日には顔色もよくなり、声にも話しぶりにも力がこもって
なんとなく安堵の空気が漂い始めたところでした。
それが突然「息が苦しい」というなり、みるみる青ざめて呼吸停止。
あれよあれよという間に人工呼吸器が装着される事態。
もちろん主治医は部屋を出された家族のところまで同意を求めにこられました。
執刀医だけではなく、心臓の専門医もこられました。
「息ができない状態だから、呼吸器をつけて呼吸を助けてあげる」と言われたと思います。
ついさっきまで冗談を言っていた病人の急変に、
「つけない」という選択肢はありえない状況でした。
あまりの急展開に母は動転し、私は呆然としていました。
執刀医だけではなく、心臓の専門医もこられました。
「息ができない状態だから、呼吸器をつけて呼吸を助けてあげる」と言われたと思います。
ついさっきまで冗談を言っていた病人の急変に、
「つけない」という選択肢はありえない状況でした。
あまりの急展開に母は動転し、私は呆然としていました。
手術前の説明の中で、今後起こり得ることの最後に
人工呼吸器の装着の可能性も触れられてはいたのですが、
私は、術後の転機がよほど悪くて、だんだんと悪化していった場合には
その選択を迫られることもあるかもしれないから、父の様子によっては、
そのうち母と話し合っておかなければ……という程度に考えて、
タカをくくっていたのです。
人工呼吸器の装着の可能性も触れられてはいたのですが、
私は、術後の転機がよほど悪くて、だんだんと悪化していった場合には
その選択を迫られることもあるかもしれないから、父の様子によっては、
そのうち母と話し合っておかなければ……という程度に考えて、
タカをくくっていたのです。
まさか、こんな急展開で……と呆然とする一方で、
諸々の悪条件が重なっている高齢の父親の全身状態のことを考えると
あの一瞬で父はターミナルな状態に陥ったのだ……と、
どこかでぼんやりながら覚悟しようとする自分もいました。
諸々の悪条件が重なっている高齢の父親の全身状態のことを考えると
あの一瞬で父はターミナルな状態に陥ったのだ……と、
どこかでぼんやりながら覚悟しようとする自分もいました。
現在、酸素濃度が100%。
しかし酸素は細胞を傷つけもするので、
今後1週間程度の間にこれを下げられるかどうかが山場と。
しかし酸素は細胞を傷つけもするので、
今後1週間程度の間にこれを下げられるかどうかが山場と。
我々夫婦は重症心身障害のある娘が生まれてからの21年間に、
ありとあらゆる修羅場をかいくぐってきました。
生まれるや呼吸器がついたし、その後も胃穿孔も腸ねん転も骨折もあったし、
麻疹で数日間意識がなくなったこともあれば、肺炎や敗血症など何度あったか分かりません。
ありとあらゆる修羅場をかいくぐってきました。
生まれるや呼吸器がついたし、その後も胃穿孔も腸ねん転も骨折もあったし、
麻疹で数日間意識がなくなったこともあれば、肺炎や敗血症など何度あったか分かりません。
だから、もうたいていのことが「いつか来た道」なのです。
そして、正直な話、親の苦痛は我が子の苦痛に比べれば、まだしも見ている耐え難さも我慢できます。
(さらに正直な話、私は親との関係が決してよい方ではありません。)
そして、正直な話、親の苦痛は我が子の苦痛に比べれば、まだしも見ている耐え難さも我慢できます。
(さらに正直な話、私は親との関係が決してよい方ではありません。)
が、その私にして、
ドクターの説明の後で病室に戻った時は衝撃を受けました。
その時の感触のまま正直に言葉にすると、
「散々拷問を受けて惨死体と化した親」に対面したような気分。
そのくらい、ベッドの上には“医療のムゴさ”が剥き出しになっていました。
ドクターの説明の後で病室に戻った時は衝撃を受けました。
その時の感触のまま正直に言葉にすると、
「散々拷問を受けて惨死体と化した親」に対面したような気分。
そのくらい、ベッドの上には“医療のムゴさ”が剥き出しになっていました。
家族が人工呼吸器をつけた患者の姿を見ていられない気持ちになると聞くのが、
「わかる」とその瞬間に思いました。
「わかる」とその瞬間に思いました。
そして、ぎょっとしたのは、父の手が動いていたこと。
しかも、意思のある動き方をしていたこと。
思い切って声をかけたら、はっきりとうなずくのです。
挿管されて極限までのけぞった頭で、目をテープで閉じられ、モノと化したような姿のまま。
鎖骨の下に太い穴を開けられたばかりの生々しい傷口をガーゼで覆われて。
しかも、意思のある動き方をしていたこと。
思い切って声をかけたら、はっきりとうなずくのです。
挿管されて極限までのけぞった頭で、目をテープで閉じられ、モノと化したような姿のまま。
鎖骨の下に太い穴を開けられたばかりの生々しい傷口をガーゼで覆われて。
私に続いて、母と兄が声をかけると、やはりしっかりうなずきます。
それは恐ろしい事態でした。
今のこの状態は本人には間違いなく地獄のような苦しみのはずなのです。
もっと意識レベルをしっかり落としてやって欲しい、と痛切に願いました。
それは恐ろしい事態でした。
今のこの状態は本人には間違いなく地獄のような苦しみのはずなのです。
もっと意識レベルをしっかり落としてやって欲しい、と痛切に願いました。
そして、そう願った瞬間に、それは
家族と父とのコミュニケーションの断絶を意味してもいるのだということを強く意識しました。
事態の深刻さからすれば、
今まだ意識のある父に家族との永遠の断絶を強いることにもなりかねないのだろうか、とも。
家族と父とのコミュニケーションの断絶を意味してもいるのだということを強く意識しました。
事態の深刻さからすれば、
今まだ意識のある父に家族との永遠の断絶を強いることにもなりかねないのだろうか、とも。
ほんの2時間前には家族はもちろん父自身、
まさか、こんな事態など予想もしていなかったはずです。
まさか、こんな事態など予想もしていなかったはずです。
今、凄まじい苦痛の中で、父はどういう思いで家族の声を聞いたのか。
もう、こんな目に合うくらいなら、いっそ殺してくれと願っているのか、
それとも家族の声かけに必死でうなずく父は、
呼吸停止で一旦失った意識が戻ったことを喜んでいるのか、
この苦痛に耐えて無事に生還したいと心に念じているのか、
それともまた目が覚めることを疑わず、苦しいから早く眠らせてくれと思っているのか。
もう何も考えられないほどの苦痛の中で、
ただ聞こえているということを家族に知らせようとうなずいているのか。
それとも家族の声かけに必死でうなずく父は、
呼吸停止で一旦失った意識が戻ったことを喜んでいるのか、
この苦痛に耐えて無事に生還したいと心に念じているのか、
それともまた目が覚めることを疑わず、苦しいから早く眠らせてくれと思っているのか。
もう何も考えられないほどの苦痛の中で、
ただ聞こえているということを家族に知らせようとうなずいているのか。
いきなり、こんな事態に投げ込まれてしまった本人は一体どういう気持ちになり、
何を考えるものなのか、私には想像もつかない。
何を考えるものなのか、私には想像もつかない。
ただ、父が生きながら肉を刻まれるほどの耐えがたい苦痛を、
ただ抵抗できないがゆえに耐えさせられているのであれば、
家族の気持ちなどどうでもいいから、父をそこから今すぐ逃がしてやってくれ、
意識を完全に落としてやってくれ、と私はたまらない思いで願ったのです。
ただ抵抗できないがゆえに耐えさせられているのであれば、
家族の気持ちなどどうでもいいから、父をそこから今すぐ逃がしてやってくれ、
意識を完全に落としてやってくれ、と私はたまらない思いで願ったのです。
しかし、家族それぞれの思いは微妙に違っていたのかもしれません。
そのことを、昨日からずっと考えています。
そのことを、昨日からずっと考えています。
今日の父は、完全に眠らせてありました。ほっとしました。
声をかけ、触れれば、必ず意識にも触れると思う。父の夢の中に届くと信じる。
声をかけ、触れれば、必ず意識にも触れると思う。父の夢の中に届くと信じる。
ただ、昨日、苦痛の中でも必死で声かけにうなずいた父は
まだ家族の手の届くところにいたのだけれど、
今日の父は家族の手の届かないところにいってしまっていました。
まだ家族の手の届くところにいたのだけれど、
今日の父は家族の手の届かないところにいってしまっていました。
私は今まで医療における本人と家族の意思のバランスの中で、
本人が苦痛を味わっているのに家族のエゴでそれを長引かせるのは残酷だ
という方向ばかりで考えてきました。
本人が苦痛を味わっているのに家族のエゴでそれを長引かせるのは残酷だ
という方向ばかりで考えてきました。
でも、今日の父を見てからずっと頭からはなれないのは、
もしかしたら、このままになる可能性が少しでもあるのだとしたら、
苦痛があるからという周囲の判断だけで意識を奪われることを
果たして本人は望んだのかどうかということ。
もしかしたら、このままになる可能性が少しでもあるのだとしたら、
苦痛があるからという周囲の判断だけで意識を奪われることを
果たして本人は望んだのかどうかということ。
昨日、まだ意識があった父が死を意識していたとしたら、
もしかしたら最も恐ろしかったのは凄まじい苦痛ではなく、
このまま家族との意思疎通を奪われてしまうことだったのだろうか、ということ。
自分の意思を確認してもらえないまま眠らされてしまうことが
父には恐怖だったか、苦痛からの救いだったか、どちらだったのだろうか、ということ。
もしかしたら最も恐ろしかったのは凄まじい苦痛ではなく、
このまま家族との意思疎通を奪われてしまうことだったのだろうか、ということ。
自分の意思を確認してもらえないまま眠らされてしまうことが
父には恐怖だったか、苦痛からの救いだったか、どちらだったのだろうか、ということ。
もちろん、現実にどういう選択肢があるかということとは無関係な物思いなのですが。
2008.06.22 / Top↑
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