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前のエントリーに報告書の概要があります。
このエントリーは報告書本文 p.131-132 の全訳です。


2011年秋の本報告書の刊行は、政府の意見聴取キャンペーンthe Future of Care and Supportと期を一にするものである。2012年には保健相から介護と支援白書の刊行が予定されており、その後に実施となる新制度に向けて、本報告書によりDS事業から学ぶ重要な機会を提供する。

以下の政策提言は「介護者戦略2010」(セクション7.2)において定められた7つの原則に即したものである。

1. すべての地域で、地方自治体、NHS組織とボランティア団体とが連携して効果的な介護者支援を開発・提供する努力が強化されなければならない。連携の実際はさまざまで、心身の健康委員会(health and well-being boards)の位置づけも異なれば、地域の既存の連携のあり方に依拠する場合もあれば、それをさらに発展させる場合もあろうが、連携機関の間には適切なサービスの企画、開発、実施を可能とする未来志向の戦略と予算に関する合意がなければならない。このアプローチは「介護者戦略2010」によってプライマリー・ケア・トラストに通達されたガイダンスに沿うものである。

2.サービスの開発においては、適切な研修を提供しつつ、地域の関係者の連携の中に多様な介護者を含めなければならない。介護者ニーズの検討、介護者支援を開発するにあたっての地域の優先順位の把握、様々な形態の介護者サービスを届けるために必要な主導機関とサポート機関との選定には、連携に含めた介護者と協働して当たるべきである。

3. 広い範囲の介護者に支援を届け、まだサービスに繋がっていない介護者にも手を差し伸べるためには、地域の関係者の柔軟な連携が必要である。特定のターゲット・グループの介護者と関わりを作ろうとする場合には、時にはグループの特性に応じた特別体制を組むことも必要である。グループの特性によっては、介護者の信頼を得ている機関や実際に介護している人たちと関わっている機関が医療と社会ケア制度の枠組みの外にあるならば、支援を確立・維持するためにそれらの機関との柔軟なネットワークが求められる場合もある。

4. 「この支援だけが最善」という支援策も「これだけであらゆる介護状況、あらゆる介護者への解決策を提供できる」支援策もあり得ない。どの地域レベルにおいても、効果的な介護者支援のためには介護者支援に多様なメニューがあり、それらが個々のニーズに合わせて応用可能であることが必要。柔軟かつ個別的なサービスだからといって必ずしも高価なものにする必要はなく、予測も予想もできない形で生じる介護者のニーズにもタイムリーに素早く利用可能なものでなければならない。

5. 介護者支援のメニューについては地方自治体とNHS組織とボランティア・セクターや、また地域の状況に応じてその他の団体との間での合意形成が必要である。介護者に支援が必要なのは、健康問題とストレス;適切な支援、サービスと要介護者用の用具と住宅改造へのアクセス情報;所得維持と介護期間およびその後の年金保護;セルフケア、健康的な生活スタイルと介護以外の生活の維持;教育、研修、仕事と余暇へのアクセス;緊急時に備えた計画と介護者役割から時々または定期的に休息する手段

6.新規診断や退院や外来受診時など患者に介護者が付き添うことの多い病棟を中心に、病院は新たな介護者を見つけ出しサポートするメカニズムを定常的に提供しなければならない。介護者となったばかりの人や介護責任に変化が生じた人へ支援が、フォロー・アップ・サービスに繋ぐことも含めてタイムリーにうまくコーディネートされるには、それら支援が全ての急性期病院で利用可能となっており、全ての外来クリニックで告知されていることが必要である。

7. 個々の現場で必ずしも認識されているとは限らないが、全てのGPは診療を通じて介護者と接触している。全てのGPの診療所に対して、介護者支援のキー・パーソンとなる担当スタッフを置くよう求めるべきである。キー・パーソンの役割はGPをサポートして介護者を見つけ出し、地域の適切なサービスに繋げ、介護していることによって介護者自身が病院予約を取りにくかったり治療を受けにくくなることがないよう保証すること。こうしたスタッフに介護者理解と介護者支援の研修が必要な場合もある。具体的な進め方については、2010年10月にプリンセス・ロイヤル・トラスト・フォー・ケアラーズと英国家庭医学会が刊行したガイドブック”Supporting Carers”がGPとそのチームに向けて詳細な提言を行っている。

8. 病院、GP診療所、地方自治体、ボランティア・セクターにおいて介護者と接する全てのスタッフは、介護責任が介護者の心身の健康におよぼす影響に配慮できるよう研修を積み、介護者が心身の健康チェックを受けられるようアドバイスできなければならない。今回のDSプログラムで専門家や支援スタッフ向けに開発・検証されたチェックリスト、手法、ガイドラインが医療と社会ケア制度の関係者に広く提供され、研修に生かされて、関係スタッフ全員が介護者のストレスや健康悪化のサインに気付き、適切な支援へのアドバイスができなければならない。

9. 特にNHS(だけとは限らないが)を中心に医療と社会ケア制度の多くの職員が、介護者理解の研修を受けることができないために、介護者支援を効果的に提供できないでいる。すべての関係機関がスタッフに対して定期的に介護者理解の啓発研修を行わなければならない。必ずしもコスト高な研修を行う必要はなく、対象スタッフによってはオンライン研修や、インターネットを利用した研修方法も安価で適切な選択肢であろう。


キャンペーン
http://caringforourfuture.dh.gov.uk/

介護者戦略2010
http://www.dh.gov.uk/en/Publicationsandstatistics/Publications/PublicationsPolicyAndGuidance/DH_122077

(これ以外にはヒットしないのですが、この文書は6章までで7.2というセクションがないので、
同種の別モノのような気もします)


            ------

これまで当ブログが介護者支援について書いてきたエントリーは相当数に上ったため、
以下のエントリーに一度リンクを取りまとめています ↓

「クローズアップ現代」が英国の介護者支援を紹介(2010/10/14)

オマケとして
母に殺させるな……「介護者支援」への思い(2012/1/12)


介護者支援について「介護保険情報」の連載で書いたものはこちらに ↓
介護者支援シリーズ 1: 英国の介護者支援
介護者支援シリーズ 2: 英国の介護者週間
介護者支援シリーズ 3: 英国のNHS憲章草案と新・全国介護者戦略
介護者支援シリーズ 4: 米国 家族介護者月間
介護者支援シリーズ 5: 障害のある子どもを殺す母親たち
介護者支援シリーズ 6: NHSの介護者支援サイト Carers Direct

【Marriotさんの著書に関するエントリー】
「“身勝手な豚”の介護ガイド」1: セックスもウンコも“殺してやりたい”も(2011/7/22)
「“身勝手な豚”の介護ガイド」2: あなた自身をもう一人の“子豚”に(2011/7/22)
「“身勝手な豚”の介護ガイド」3: “専門家の世界”に心が折れないために(2011/7/22)
「“身勝手な豚”の介護ガイド」3のオマケ: だって、Spitibaraも黙っていられない(2011/7/22)
「“身勝手な豚”の介護ガイド」4: 「階段から突き落としてしまいたい」で止まるために(2011/7/23)
「“身勝手な豚”の介護ガイド」5: ウンコよりキタナイものがある(2011/7/23)
「“身勝手な豚”の介護ガイド」6: セックスを語ると“子豚”への愛が見えてくる“ケアラー哲学”(2011/7/24)
2012.03.14 / Top↑
英国政府は1990年の「全国介護者戦略」を08年に見直し(08年8月号の当欄で既報)たが、その際に介護者支援の新事業や既存事業の拡大など大規模なモデル事業をスタートさせた。1年半にわたって行われた全英25か所でのモデル事業について、保健省の資金提供を受けたリーズ大学の介護・労働・平等国際研究機関(CIRCLE)がアンケートや資料分析による調査を実施。このほど報告書“New Approach to Supporting Carers’ Health and Well-being: Evidence from the National Carers’ Strategy Demonstrator Sites programme”を刊行した。要約版から要点を紹介する。

概要
モデル事業には「休息(レスパイト)」「健康チェック」「NHSの枠組みでの介護者支援策改善」の3つのテーマがあり、それぞれ12か所、6か所、7か所が参加。「休息」テーマのモデル事業サイト(以下DS)では、在宅での代替えケアやオンライン予約など柔軟なアプローチによる個別レスパイトの提供、認知症と精神障害者の介護者に特化した短期レスパイト事業などが実施された。健康チェック」DSでは、多機関の連携によって多様な場所で心身の健康チェックが行われた。「NHSの介護者支援」では、各種サービスの改善、ピア・サポート活動やスタッフの啓発に加えて、GP(家庭医)や病院で未支援の介護者を見つけ出し支援に繋げる方法を模索した。

パートナーシップと多機関アプローチ
 新サービスの開発を通じてチームワークが良好となり、介護者支援への意識が高まり、新たな活動や新たなスキルの開発に繋がるなど、組織間、組織内での協働関係には概ね良い影響が見られた。いずれのDSでも事業内容に応じてボランティア・セクター、NHS組織と地方自治体がそれぞれの役割と責任を担ったが、3者の連携によりモニタリング、医療と福祉の意思疎通が改善され、スタッフへの新たな介護者支援の啓発研修の機会も生れた。一方、手続きの違いや取り組みへの温度差、それぞれの資源へのアクセスの問題など、連携に向けて越えるべき課題も明らかとなった。

介護者を見つけ、関わり、活動に加えていくこと
 25のDSで支援を受けた介護者は18653人で、サービスは利用しなかったが他に28899人の介護者に接触した。多くは長年介護をしている高齢女性で、マイノリティ・コミュニティの介護者や、多様な病気や障害のある人の介護者と関わることができた。関わりを作るカギは、ターゲットに応じた柔軟なアプローチ、連携とネットワーク。マイノリティ・グループにはボランティアによるアウトリーチが有効で、ヤング・ケアラー支援では学校やユース・センターとの連携が役立った。未支援の介護者にアプローチする際は「介護者」という言葉は避ける方がよいとの発見もあった。全DSがサービスの企画や展開、評価などに介護者自身を参加させており、それによって福祉や医療の専門家には欠けた視点がもたらされた。

介護者への影響
モデル事業のサービスを利用した介護者の内、27%に当たる5050人からアンケートによって得た情報を分析した。回答者の8割は、それ以前には数時間以上のレスパイトの経験がなかった。「休息」DSでレスパイトを利用した介護者の3分の1が新たな余暇活動を始めており、「『自分自身の生活』を送れるようになり自信が持てた」「心身の健康のために始めたことがある」「専門職とのコミュニケーションが良好になった」などの報告があった。一方、レスパイトを利用しなかった介護者では心の健康スコアが悪化した。
健康チェックでは特にマイノリティの介護者への影響が大きく、4分の1が「自分の健康に対する見方が変わり運動量が増えた」と回答。ほとんどがその他のサービスにも申し込んだ。

コスト・パフォーマンス
 モデル事業の目的の一つは、最もコスト・パフォーマンスのよいサービス提供方法を探ることだった。報告書は正確な測定はできないとしながらも、モデル事業で導入された介護者支援の多くには医療と福祉でのコスト削減につながる可能性があるとのエビデンスが得られた、と結論づけている。削減効果として挙げられているのは「入院・施設入所の予防」「支援により介護者役割の維持が可能」「心身の健康問題の早期発見」「介護者の心身の健康の改善」「「連携・協働ができやすい」「GP診療の効率化」「介護者の再就労または離職の防止」「介護者間でのインフォーマルな支援ネットワークの構築」。

 これらの分析を踏まえ、報告書は右ページに示した9つの政策提言を行った。

「介護保険情報」2012年1月号
連載「世界の介護と医療の情報を読む」

詳細は ↓
英「全国介護者戦略」モデル事業の総括報告書 リーズ大から 1(2011/12/28)
英「全国介護者戦略」モデル事業の総括報告書 リーズ大から 2(2011/12/28)


なお、右ページに掲載された政策提言は
サマリーではなく報告書本文を全訳したものです。

こちらは次のエントリーに。
2012.03.14 / Top↑
3月1日からオランダで始まった新制度。

特別に訓練を受けたパートタイムの医師と看護師が
Life-end クリニックと称するチームを組んで、

安楽死法に沿って安楽死を希望する患者の元へ
車で駆けつけ、自宅で安楽死させてくれる。

実施主体は安楽死ロビーのNVVEで、

起動チームは6台が稼働。
オランダ国内のどこへでも来てくれる。

だから、自分の主治医が安楽死に手を染めるのは嫌だと言ったり、
やってくれる医師を自分で探せなかったりしても、もう大丈夫。

条件はその他の場合と変わらず、
死にたいとの意思表明をする際に意識が清明であること。

耐え難く、終わりのない苦痛が続くと見られること。
患者も、セコンドオピニオンを経て医師も、不治であると認識していること。

安楽死ケースとして、
実施後に5つのコミッションのいずれかに報告し、
詳細が合法的に行われたか審査の対象となる。

移動安楽死チーム計画は
保健相の認可を受けてはいるものの、

オランダ医師会では
そうした安楽死を専門とする医師では、
患者との関係が希薄で正しいアセスメントができないと懸念。

Assisted-Suicide Squads Launched in Holland
NewsMax, March 1, 2012


オランダでは2年前から、
自分の主治医が安楽死に協力的でないという人のために、
安楽死に特化した医療施設を、との声が出ていたけど ↓

幇助自殺者が毎年1割ずつ増えるオランダで「安楽死クリニック」求める声(2010/8/12)

なるほど、こういう形で、ご要望にお応えしてしまうわけか。


この記事の中で
要望した時点で意識が清明であることという条件に言及されているのが
かなり引っかかるのは、

オランダでは既に意思表明ができなくなっていた認知症患者が
既に安楽死させられているから。↓

「IC出せない男児包皮切除はダメ」でも「IC出せない障害新生児も認知症患者も殺してOK」というオランダの医療倫理(2011/11/12)


となると、“オランダ坂”が次にもんどりうってなだれ込んで行く先は、
やっぱり、ここかな ↓

オランダで「70以上の高齢者には自殺幇助を」と学者・政治家ら(2010/2/10)


ちなみに英国では、こんな提案もあった ↓

「高齢者がいつでも死ねるよう街角ごとに“安楽死ブース”を」と英国作家(2010/2/10)


【その他オランダ関連エントリー】
去年の安楽死・幇助自殺2300人のオランダで自殺幇助アドボケイトに10カ月の禁固刑(2009/5/3)
オランダで安楽死が増加し保健相が調査。緩和ケアの崩壊も(2010/6/21)
2012.03.14 / Top↑
27日に中絶してもいいなら“出生後中絶”と称して新生児殺してもOKのエントリーで紹介した論文に、非難ごうごう巻き起こり大騒ぎに。掲載誌BMJの編集長としてSavulescuが掲載を擁護しつつ、「中絶反対の狂信者どもにより著者らの命を脅かすような脅迫が行われている」などと大げさな非難。なんだか、読んでいると、功利主義のトンデモ御用倫理学者さんたちと、どんどん原理主義的になる保守層の間に、実は全く筋違いな対立の構図が描かれてしまいそうで、それが一番イヤだ。
http://blogs.bmj.com/medical-ethics/2012/02/28/liberals-are-disgusting-in-defence-of-the-publication-of-after-birth-abortion/
http://www.guardian.co.uk/world/2012/feb/29/abortion-ethics-threat-free-speech

上で、Savulescuに「今回の“出生後中絶”論文の主張そのものは、シンガー、トゥリー、ハリスが擁護してきた新生児殺しと同じで、ただ家族利益でもOKとしたところだけが新しい」と書かれたJohn Harrisが「はっきりしておきたいが、自分は知的議論をしただけで、政策提言をしたことはない」と、すばやくセコイ言い訳。
http://blogs.bmj.com/medical-ethics/2012/02/29/john-harris-clarifies-his-position-on-infanticide/

この問題でTauriq Moosaという人の元論文の擁護論。
http://bigthink.com/against-the-new-taboo/killing-infants-the-right-to-argue

BMJに、英国の医師らが男女産み分けのために中絶を行っている、との疑惑。:こういうことで警察が捜査を始めるなら、Savulescuが書いている「広く受け入れられた前提に基づいて議論している」というのは、「今でも中絶は認められているんだから家族利益のために殺したってOK」という上記の論文には当てはまらないことになるんでは?
http://www.bmj.com/content/344/bmj.e1479.short

上記で懸念される対立の構図と絡めて気になるProPublicaの報道で、NYポリスがイスラム教徒を監視しているとの疑惑。
http://www.propublica.org/article/nypd-surveillance-on-muslims-qa

2010年にNYの実践が報じられていた腎臓のペア交換移植を全米に、という主張がNYTに。2010年の報道については⇒「腎臓がほしければ、他人にあげられる腎臓と物々交換で」時代が始まろうとしている?(2010/6/30)
http://www.nytimes.com/2012/02/19/health/lack-of-unified-system-hampers-kidney-transplants.html?_r=3&ref=health

Oxford大の科学者らが、ドナーから取り出した肝臓を移植まで新鮮に保存する装置を開発。最大24時間まで。
http://articles.timesofindia.indiatimes.com/2012-02-28/science/31107035_1_liver-transplants-pig-livers-human-livers

DPI日本会議から「尊厳死」法制化に反対する緊急アピール
http://www.arsvi.com/2010/1202dpij.htm

尊厳死宣言書(リビングウィル)作成相談サポートを謳っている行政書士さんの事務所名が「家族愛法務事務所」。『延命措置の拒否』を医療機関へ、『人の本質の最高峰』 である『ありがとう。そして、愛してる。』を のこされる愛すべき家族へ:なに、この意味不明な文章は。だから家族愛って、気持ち悪いんだよ。
http://www.kazokuai.jp/

家族介護者の医療感、道徳観によって、植物状態の患者の代理決定がどのように影響されるかというドイツの質的調査。:これは一度ゆっくり読みたい。
http://jme.bmj.com/content/early/2012/02/27/medethics-2011-100373.full.pdf+html?rss=1

FENが言論の自由訴訟で勝利したGA州では、自殺幇助を明確に違法とする法案が下院の委員会を通過。:いいぞ。
http://www.gpb.org/news/2012/02/28/assisted-suicide-bill-moves-forward

27日の朝日新聞「カオスの深淵」に出ていた「アップルトピア」に関する英文ブログ記事。:富裕層狙いの人工島・微小国家。自由競争論理でビジネスとして国家を運営。「『貧困からの自由』は視野にない」が「カオスの深淵」の締めくくり。
http://www.geneveith.com/2011/08/24/libertarian-micro-nations/ 
http://www.archerytalk.com/vb/showthread.php?t=1554851
http://andrewsullivan.thedailybeast.com/2011/08/libertarian-colony-on-an-island.html

ロンドンのオキュパイのテントが強制排除された。
http://www.guardian.co.uk/uk/2012/feb/28/occupy-london-camp-police-clearance?CMP=EMCNEWEML1355

英国での社会サービス白書の刊行を前に、NHS Confederation, Age UK、地方自治体協会が作る Commission on Imporoving Dignity in Careから中間報告。独居高齢者が福祉サービスなしに放置されている実態が明らかに。
http://www.guardian.co.uk/society/2012/feb/29/care-older-women-delivering-dignity?CMP=EMCNEWEML1355
http://www.guardian.co.uk/society/2012/feb/29/dignity-in-care-report-staff-selection?CMP=EMCNEWEML1355

英国NHSにはさらなる配給医療の拡大が必要?
http://www.guardian.co.uk/politics/2012/feb/27/nhs-treatment-rationing-gp-warning?CMP=EMCNEWEML1355

米国でもERで歯科医療を受ける人が増えている。貧困の拡大はそのまま医療格差の拡大。
http://hosted.ap.org/dynamic/stories/U/US_MED_DENTAL_ER?SITE=NCKIN&SECTION=HOME&TEMPLATE=DEFAULT

階級社会の英国で、階級が上の人ほど行動が利己的との調査結果。:昔は違っていたのかしら。ノーブル・オブリージュなんて、もうネオリベ文化が死語にしてしまったのかな。あ、なんだ、それを装って旨い汁を吸ってるのがネオリベ慈善資本主義か。ショーチョ―的。
http://www.guardian.co.uk/science/2012/feb/27/upper-class-people-behave-selfishly?CMP=EMCNEWEML1355

Bill Gatesがエネルギー研究にもっとゼニ出せ、と米政府に向けて。
http://gigaom.com/cleantech/bill-gates-the-lack-of-energy-funding-is-crazy/

Bill Gates, IT革命で食べ物を変え、農業を変え、飢餓を「治療しよう」と。
http://naturalresourcereport.com/2012/02/bill-gates-digital-revolution-to-change-food-farming-to-cure-hunger/

Bill GatesのGM農業改革批判が、ちょっと面白いところに出ている。Seattle Times.ここって、アシュリー事件での経緯から推測するに、どう考えてもゲイツ財団の御用新聞なんだけど。
http://seattletimes.nwsource.com/html/opinion/2017612869_guest28ashton.html

HPVワクチンは男児にも、と米国小児科学会。:AAPは、科学とテクノで簡単解決文化と慈善資本主義とのコングロになったのかしら。
http://www.medicalnewstoday.com/articles/242202.php
http://www.reuters.com/article/2012/02/27/us-hpv-shot-recommendation-boys-idUSTRE81Q0NZ20120227?feedType=RSS&feedName=healthNews

NYTのOp-Edで予防医療批判。
http://www.nytimes.com/2012/02/28/opinion/overdiagnosis-as-a-flaw-in-health-care.html?_r=1&partner=rss&emc=rss

子どもの頃に虐待にあったりすると、遺伝子の発現に影響がある。
http://www.plosone.org/article/info%3Adoi%2F10.1371%2Fjournal.pone.0030148
http://online.wsj.com/article/SB10001424052970204653604577249294233751760.html?mod=rss_Health

黒人は白人よりも寿命が短い。
http://www.medicalnewstoday.com/articles/242252.php

青年期は成人や児童に比べてスポーツでの脳しんとうを起こしやすい、との調査結果。:科学で解明されることが多いと言われるけど、その知見がむしろ人の活動を制約する結果に繋がっているように思われることの不思議。
http://www.medicalnewstoday.com/releases/242267.php
2012.03.14 / Top↑
後段は昨日2月28日。

たまたま私がフォローしている方からリツイートされてきた、
知的障害者の地域生活の支援をしておられる方のツイートに
以下のような一節があり、これが頭に噛みついてしまった。

施設入所を希望している保護者から彼の地域生活を守りたい。
施設送りの為に働いてはいない。


思わず血がのぼった頭を冷やそうと思って、
いったんPCを離れて、お昼ごはんを食べてみたのだけど、
頭の中で反論の独り言がどうにも離れなくなった。

で、熱くなった頭のままで、つい連続ツイート。

「よりあい」の下村恵美子さんが、「あれは自分ではなかったか」という本に収録された講演で:通所で来ている昼間だけの、つきあいの時は、家族の余裕のなさを、なかなか理解できないこともあります。泊まりでそういう夜を自分が体験すると(略)「次々に大変なことが起きて、長いことようつきあいんしゃったですね」って、心から共感して、家族に言えるようになりました。

下村さんは、苦しい夜勤を耐えられるのは明けない夜はないと知っているからだと言い、早出の職員がやってきた気配に救われると書いている。家族の介護では救いになる早出の職員はやってこない。それは明けない夜を繰り返すということ。

人はみんなそれぞれに固有の環境と固有の人との繋がりの中で、固有の歴史としがらみといきさつと事情を背負い、その中の誰彼との相互の恨みつらみやゴタゴタに絡みつかれて暮らしている。その固有の現実からスタートせず、「これが正解」からスタートして「支援」になるわけがない。

「親から守る」と敵対するのではなく、そこまで追いつめられ限界を感じている親を理解し支えながら、本人と親とも一緒に解決を探るといった姿勢にはなれないものでしょうか。何年間また日々の何時間その人と関わってきたのかしらないけど、「自分だけが支えている」姿勢は「支援者」の傲慢では?

固有の事情が状況に目を向けて丁寧に考えるべきところで、「施設は絶対悪」「施設に入れようとする親は敵」から、まず姿勢を固めてかかるのも、私には一種の思考停止に思える。

……と、「施設」「親は敵」にまた過剰反応している私。


その後も頭の中の独り言は止まらず、
ものすごい量の思考の断片が豪雨の後の濁流みたいな勢いで流れ続けたのだけど、
コーフンしているものだから、あまり記憶に留まっていなくて、
そのうちのごく一部を、

・親もその人の地域生活を一緒に支えているのではないのでしょうか。
 親も支えているのに、その事実が全く念頭から消えているのは、
親はやって当たり前と思われているからなんでしょうか。

・私だったら、こんなふうに何かの時には「親から守る」と
敵対の目を向けられるような事業所には、とても子どもを通わせる気になれない。
苦しんでおられるところに、こういう冷たい視線を浴びせられる親御さんが気の毒でならない。

・障害者運動が、「親という存在」に対して警戒の念を持っているのは理解できる。
だけど、それは目の前の個々の親である一人ひとりの人間を敵視してかかることや
施設入所を希望するか自立生活を目指すかによって個々の親を仕分けてかかることと同じではないはず。

・親にとっては、目の前で起こっている事態というのは常に
子どもが生まれた時を起点に、その後の長い年月にあったあれやこれやの先に
さらに追加されてくっついて起こっていることなんだけれど、

専門家は、目の前で起こっている事態だけを単独で問題にする。
または、自分が親子と出会った時に親子がそこで初めて地球上に発生したかのように、
自分が関わるようになった時を起点にものを考える。

自分が出会うまでに親子がどういう道をたどってきたかまで
想像力を及ぼして考えてみてくれる専門家はとても少なかった。

そして、その想像力を及ぼしてくれる数少ない専門家からしか、下村さんのような
「よくここまで来られましたね。よく頑張ってこられましたね」という心からの共感は出てこない。

・想像力のないところに共感はない。
想像力のない人には人を助けることはできない。
共感がなければ信頼関係は作れない。

・親が施設入所を望むのが気に入らないなら、
あなたの事業所で支援してきた子どもの親が施設入所を希望しているのだから、
あなたがやってきたはずの支援がもしかしたら十分ではなかったのでは、と
これまでのやり方を振り返ってみようとするつもりはないの?

・それとも、もしかして、この人はとても若いの?
単に未熟な職員さんが気負いこんでいる、というだけ?

・医師は治療が思うように行かないと、どこかで「この患者は○○だから」と言い始める。
学校の先生は生徒がいつまでも自分の思うようにならないと、
いつか「この子の親が○○だから」と言い始める。
「支援者」を名乗る人たちも、結局は同じなんですか?
障害のある子どもの親は、そういう専門家の
結局は「自分のプライドのため」には、ほとほとウンザリなんですけど。

・「施設送りの為に働いていない」も、結局のところ
あなたにとって最も大切だと意識されているのは自分の仕事のスタンスであり、
自分のプライドなのでは? 

・自分たちが支援するのは本人であって、
親に支援は必要ないという意識をそこに感じるのですが、それは一体なぜ? 

・親の支援を考えると、そこに本人の利害との相克が生じるからですか?
家庭の成員のそれぞれの利害には当然のこととして相克がありますが、
障害者を支援する人は、本人以外の事情も権利も利益も丸無視して、
ただ本人の代弁者となるべきだからですか?

・親に代弁するなといいながら
なぜ支援者と名乗る人なら代弁できるのですか。

・もしも、自分たちのことを勝手に決めるな、と訴えてきた障害者運動が
地域生活だけが普遍的に正しくて「施設送り」は絶対悪だというなら、
それもまた、他人がそれぞれ自分の暮らし方について考えたり決めたりするべきところで
勝手に決めていることにはならないのですか?


以上は、まぁ、感情的な反発から頭に浮かんだ
ほとんど言いがかりレベルの断片たちですが、

そんなこんなを考えた先に出てきたのが、
今日、「くつした泥棒」のエントリーに
yaguchiさんから頂いたコメントへのお返事に書いた、以下。

その前のコメントからのつながりで。

Y:「誰ひとりとして自ら望んでそこで暮らしているわけではない施設」なんですよね。幾度も児玉さんの『アシュリー事件』のレビューブログに書きたくてトライしていたのですが、下書き書いては消して書けなかった。自分がその施設に勤めていた人間として書けなかった。

S:yaguchiさん、読んだ瞬間、どばっと涙が……。yaguchiさんも赤剥けでヒリヒリする傷と正面から向かい、自分でそこに手を突っ込んで書きまわ すようなことをしておられる。私もそこのところの果てのない自問が苦しくてならない。「アシュリー事件」を書き、新たに障害学の周辺の方と出会いをいただ いたことから、問いが深まり、余計に苦しくなってもいます。

S:でも、私はその問いに苦しみながら、施設でのミュウの生活を守り少しでも良いものにするために、目の前の具体的な問題解決を目指して微力ながら闘ってもい る。ミュウの施設のスタッフだって、みんなその人なりに闘ったり努力してくださっていると思う。現にそこに生きて暮らしている人がいるのだから、施設をよ り良い場所にする努力も必要だし、その努力をしている人やその人たちの努力が否定されることもないはずだ、と思うのです。この頃。

S:だから、「施設なんて、どうせ何もかもダメだよね」とか「養護学校だから、どうせ分かっていないよね」と全否定してかかってもいいんだ、最初から叩く構え で捉えていいんだ、という論調には、その逆も含めて加担したくない。たぶん実際に自分に課すとしたら案外に難しいことなんだろうと思うけど、そんなことを 最近、強く感じてもいます。

Y:若いころにM新聞のある記者の方(おそらくいまは論説委員をなさっている)のあるML上での(私からしてみれば)一方的な施設批判、施設イコールすべて悪 の論調に、若気のいたりでDMを出し、すごいやりとりとなってしまったことがあります。それが退職したいまでもトラウマになっていて、施設イコール悪論者 とはやりとりできない状態で、私はその手の論戦にはもうついていけなくなってます。施設はある時点で完全に脱施設論に完敗しているわけで、必要悪として 残っているだけなのでしょう。とはいえグループホームの現状もspitzibaraさんが昨日アップされたところにあり、結局携わる人が問題なんだ。「精 神ある道徳」ということが求められることにおいては施設サービスも在宅サービスもある意味それは同じ、と思うところにいます。

S:私もその問題で昨日つい熱くなっていくつか思い切ったツイートをしてしまったので、取りまとめエントリーを立てようと思っています。ある時代に「親が一番 の敵だ」と鮮やかに声を上げた日本の障害者運動の先駆性は素晴らしいと思うけれど、そこから親との関係を前向きな方向に再構築していくのでも、様々な障害 像の人たちへと想像力を広げるのでもなく、今は一部の支援者までが仲間内で「施設は絶対的に悪だよね」「親は敵なんだよね」と立場が共有されている居心地 の良さに安住して、思考停止の正当化に使っているんじゃないか、という気がしてきました。


最後のところで書いたことについては
ずっと前に以下のエントリーでGKチラベルトさんとのやり取りの中で
そういうことがちょっと出てきた記憶があるので、その後、行ってみました。

親の立場から、障害学や障害者運動の人たちにお願いしてみたいこと(2010/3/12)

たぶん、ここだと思う ↓ 

安易に正義の立場にいようとする、その後の障害学者も、障害者運動も、彼らを正義に奉り(彼ら自身は正義を否定したのに!)、その錦の御旗の下にいるだけで、彼らの地平には、全く達していないんです。
(「彼ら」とは当時の青い芝の会)


それにしても、もう一度GKチラベルトさんのコメントを全部読み返してみると、
この当時の私には、GKチラベルトさんが言っておられることがよく分からず、
分かったふりで応対しているだけ。

ここしばらくのツイッターでの煮詰まって焦げ付きそうな密度のグルグルを経て、
GKチラベルトさんが言っておられることの一部は、今度はすっすっと理解されてきた。
が、もちろん、まだ私には学びが足りない。たぶん親としての煩悶も思索も覚悟も足りない。

でも、深くものを考えることもせず「親から守る」などと安易に言える人にも、言いたいことがある。

あなたたちが苦しんできたからといって、あなたたちが闘ってきたからといって、
そのことが、あなたたちに人を断罪する資格を与えるわけじゃない。
2012.03.14 / Top↑
ここしばらく、
たまたま身近で交わした会話やその他あれこれから、
ミュウを施設へ入れてしまった親としての自責を巡って
ツイッターで過剰反応をしているので、

あまり感心した内容でもないのだけど、
今後もうちょっと冷静になって生産的に考えられる日のために、2段に分けて、メモ。

まずは前段の2月24日

私が一番苦しかったミュウの幼児期というのは、今から20年も前。田舎のことで、ヘルパーといえば市全体でもまだ20人数人だとか聞いたし、みんな高齢者 向けだった。ショートステイもなく、親の病気と冠婚葬祭だけに認められる緊急一時保護制度があっただけ。

施設に緊急一保利用登録する時、施設の担当者から「ミュウちゃんを預かるために職員が増やせるわけではないので、そこのところを分かっておいてもらわないと」と暗に「登録はしても、よほどのことでなければ利用するな」と釘を刺されたのを覚えている。基本的には1週間だったと思う。

その後、母親が限界を超えているのに気付いた主治医の計らいで2週間の「短期的な入所」をさせてもらったけど、その時にはまだ「短期入所」が制度になっていなかったような気がする。制度になってはいても、使うことを考えにくい時代だったのかもしれない。

その後その施設に入所となって今に至っているので、私にはこの間の時代の変遷が全く分かっていないのだ、ということに今日初めて気づかさせてもらった。頭で分かったつもりでも自分の体で知らないとは、ここまで分かっていないということ。人と話すって、やっぱり大事だなぁ。


これをツイートした直後、思いがけず、ある方から返信をいただいた。

とても温かい内容で、
親として苦しんでいる私の思いに、
同じ親として手を差し伸べてくださっていることが伝わってきて、
読んだ瞬間に、胸に熱いものが込み上げた。

特に、今その方が知的障害者の地域生活のために
どんなに奔走しておられ、お忙しいかということもツイッターで知っていただけに、
その合間に、こうしてコメントくださったことが、なおのこと胸に沁みた。

ただ、レスポンスをまったく想定していなかったこと、
私には行動を起こせと迫られているように感じられてしまったこと、
その方が本人の自己決定を重視しておられることから、
重症知的障害と重症重複障害での自己決定の問題の差を
どう説明したらいいか、どうにも途方に暮れ、

同時に、ずっと頭にぐるぐるとしていた自責がどっと募ったものだから
一瞬で惑乱してしまった。

たぶん、その方が言われていないことまで言われているかのように感じて
独りよがりの激白めいたツイートになってしまった、私の部分のみを以下に。

ありがとうございます。お気持がありがたくて胸に迫るものがありました。ただ、その方向に頭を振り向ける前に、私の中にも整理しなければならないものが沢山あって、整理すればその方向に向けるのかどうかも分からないまま、今はただ引き裂かれている状態です。

このことを考えようとすると、私自身が「正しくない」と指差されることの痛みと、重症重複障害について「頭で分かったつもりでも自分の体で知らないとは、ここまで分かっていないということ」ということに気づいてもらえない痛みの間で、真っ二つ。

どうにも言葉にできない思いや、言葉にしても通じていかない思い、「正しさ」の前に跳ね返されてしまう言葉や思いで窒息してしまいそうになる。考えるだけでも苦しくてならない。正直、断罪もされず何を迫られることもなしに、考えたいです。

他意はなく、私自身のグルグルをそのままつぶやくものです。「いずれミュウが決める」ということを考えた時に、頭にまずパッと浮かんだのは「ミュウが死 ぬ」ということだった。それほど、「重症身体障害のみ」「重症知的障害のみ」「いずれかが軽度の重症重複」と「重症心身障害」との距離は大きい。

それとは別に、今日、拾った問い。「ヘルパーを入れれば解決するのか」。それはヘルパーと訪問看護でも同じ。

だめだ。とりあえず、明日の朝からミュウといい時間を過ごすことに専念する。


実際、ミュウと一緒に過ごしていると、
この子も親も、こうして生きている。
今は笑顔で過ごせている。それでいいじゃないか、と思えたし、

他人の誰にも分からなくても、
今こうして生き伸びて、ここに生きているだけで
自分を許してやってもいいくらいのところを、かろうじて通り過ぎてきたんじゃないか、
今はこうして生きている自分を許してやろう、と考えてみたりもした。

その他にも、あれこれがあって、
この件では、週末の間に心がすうっと楽になった。


次のエントリーに続きます。
2012.03.14 / Top↑
2005年2月11日に石川県で起きた
グループホームのスタッフによる利用者への虐待致死事件を受けて、
7月に東京と大阪で開催されたセミナーでの、

下村恵美子、高口光子、三好春樹3氏の講演内容をまとめた本、

「あれは自分ではなかったか グループホーム虐待致死事件を考える」
下村恵美子、高口光子、三好春樹、ブリコラージュ


いろいろ考えたこと、書きたいこともあるのですが、
ちょっと余裕がなく、図書館への返却期日も迫っているので、
特に家族介護者・介護者支援に関係した部分を中心に、メモとして。
(ゴチックは全てspitzibara)

まず、前書きで三好春樹氏が、
この事件に関する報道のなさや事件への介護職の沈黙について書いた後で、
次のように書いていることが印象的だった。

 さらに言うと、その深層には、痴呆性老人は生きていても意味のない存在だ、という無意識があると思います。
 なにしろ「尊厳死」を訴える人たちが「尊厳死」してほしい状態として「痴呆」を挙げていたくらいです。これは抗議によって撤回されましたが、そう考える人は多いはずです。
 もちろん私たち介護関係者はそんな考えは論外です。なぜなら痴呆性老人に「尊厳死」ではなく、「尊厳生」を作りだす方法論を持っているからです。
(P.5)


【関連エントリー】
「米国で認知され始めた『介護の力』を書きました(2011/3/5)
「生きるに値しないから死なせて」家族の訴えを、介護士らの証言で裁判所が却下(2011/10/4)


以下、下村さんの講演から。

トイレももちろんなんですけど、「寝らんボケ」ほどつらいものはありません。寝ないお年寄りにつきあうことで、みんなほとほと疲れ果てるわけです。家族もここでほとんど限界がきます。
(略)通所で来ている昼間だけの、つきあいの時は、家族の余裕のなさを、なかなか理解できないこともあります。
 泊まりでそういう夜を自分が体験すると、ご家族が冷たい目でお年寄りを見ていることがあっても、「次々に大変なことが起きて、長いことようつきあいんしゃったですね」って、心から共感して、家族に言えるようになりました。そういうふうに、誰からも言ってもらったことがない介護者が多いわけです。
(略)
 たった一人で介護し続け、孤立し、立派な介護者であることを求められる家族。逃げ場のない家族ほど、同じ立場を共有し、共感してもらえる人がいることで救われます。それは仕事として取り組んでいる私たちが替われることではありません。当事者としての「家族の会」が担える役割であり、その存在意味はとても大きいと思います。
(p.21-22)


私もミュウの施設入所を決断する時に、
師長さんから「いままでよく頑張ってきたね。
これからは一人で頑張らなくてもいいよ。一緒にやろうよ」と言ってもらい、
「やっと許してもらえた……」と何年もの間に凝り固まった心のこわばりが
温かく解け出していくのを感じた。

それまで、誰からもそんなことを言ってもらったことがなかった。


 夜に眠らないと人はおかしくなります。自然の体のリズムに逆らい、起き続けているわけですから。お年寄りだけではなく、職員も同じようにおかしくなっていきます。私はいっしょに右往左往しながら、朝が来るのを本当に待ち焦がれて、しらっと明るくなってくると、「ああ、よかった、朝が来た」という思いを何度もしました。早出の職員が来た物音に救われ、気持ちを切り替えることができます。
 明けない夜はないと言われますけれど、確実に朝が来ることがわかっているから夜中の仕事を乗り切れているように思います。夜の仕事がどれだけしんどいか。睡眠がとれないということは、人を狂わせていくんです。先ほどの3日寝ないと殺人が起こせるという家族の言葉はとても真実味があります。人生を共にし、なくてはならない大切な家族であっても、眠れない夜が続き余裕がなくなれば、普通でいられなくなるわけです。ましてや、赤の他人である私たちの理性など、まったく、当てにならない、もろいものです。
(p.26)


これだけは、直接我が身で体験した人でないと分からないだろうと思う。

それだからか、世間サマは
「2日でも3日でも寝ずに優しく看病する母親の深い愛」などとウルウルしながらホザく。

一生のうちに1度か2度なら、それだってできるかもしれない。
そういうことが毎週のように続いても、やり続けられる母親が、
一体どこにもいるというのか。

その時には、世間サマだけでなく母親自身までが
それができない自分を責めることになるというのに、
その残酷がどうして顧みられないのだろう?


最後に下村さんが紹介した谷川俊太郎の詩「願い」の、
以下の一節に、胸をえぐられた。

全世界が一本の鋭い錐でしかないとき
せめて目をつむり耐えてください
あなたも私の敵であるということに

(p/39)


高口さんの講演から。

 臭い、汚い、わずらわしいと感じるのはあるがままの自分の姿です。そのことが語れないのでは困るのです。あるがままの自分を語れるのは、受け入れてくれる仲間がいるからです。あるがままの自分を語ってもよい職場が前提にあるので、臭い、汚い、わずらわしい、と言うことが言えるのです。
(p.57)


もちろんそれだけがすべてではないけど、
介護は誰にとっても時にしんどいものなのだという事実を
世の中みんなが事実として共有してくれたら、
世の中の介護者はどんなに救われるだろう、と、いつも思う。
2012.03.14 / Top↑
医療倫理のジャーナルに
イタリアの学者さん2人の共著で
乳児の障害の有無を問わず「出生後中絶」を正当化する論文。

After-birth abortion: why should the baby live?
Alberto Giubilini, Francesca Minerva
Journal of Medical Ethics, February 23, 2012

アブストラクトは以下。

Abortion is largely accepted even for reasons that do not have anything to do with the fetus' health. By showing that (1) both fetuses and newborns do not have the same moral status as actual persons, (2) the fact that both are potential persons is morally irrelevant and (3) adoption is not always in the best interest of actual people, the authors argue that what we call ‘after-birth abortion’ (killing a newborn) should be permissible in all the cases where abortion is, including cases where the newborn is not disabled.

中絶は胎児の健康とはまったく無関係な理由であっても広く受け入れられている。

そこで以下の3点を指摘することによって、著者らは
新生児に障害がない場合も含め、中絶が許容されるケースのすべてにおいて
「出生後中絶(新生児の殺害)」が認められるべきである、と説く。

(1) 胎児も新生児も共に実際の成人と同じ道徳的地位を持たない。
(2) いずれにも人格となる可能性があるという事実はこの問題と道徳的には無関係である。
(3) 養子縁組は必ずしも実際の関係者の最善の利益とは限らない。

(actual personの細かいニュアンスが分かりません。
どなたかご教示いただけると幸いです)


この論文について、BioEdgeのMichael Cookが取り上げている ↓
Ethicists give thumbs-up to infanticide
BioEdge, February 25, 2012


Cookの解説によると、著者2人は功利主義の倫理学者で、

上記アブストラクトの結論部分に当たる本文では、
以下のように書かれてもいるとのこと。

Such circumstances include cases where the newborn has the potential to have an (at least) acceptable life, but the well-being of the family is at risk.

このように許容される状況には、新生児には少なくとも許容範囲の人生を送りうる可能性があるが、家族の福祉が危うくなるケースも含まれる。


新生児の利益ではなく、関係者の利益のために行われるものなので
出生後中絶は安楽死ではない、とも著者らは明言。

私もすぐにこれを思ったけど、
「こんなの“すべり坂”じゃん」との批判に対しては
中絶の正当化論をそのまま新生児に拡大すればこうなる、と主張し、

「じゃぁ、出生後どれくらいの期間なら殺してもいいと?」との問題には
神経医学や心理学に下駄を預けつつ、

自意識が生じる数週後に新生児は
「パーソンになる可能性」から「パーソン」になる、とも。


いつも思うのだけど、
倫理問題の最先端の問題が議論されている時に、
その議論の決着が既に着いたかのように装って、
さらにその先の問題を先取りして提示することによって
ゴリ押しに倫理の線引きを先に移動させてしまおうとするのが
功利主義の学者さんたちのヤリクチ……?

「障害があるという理由だけでなく
障害がなくても親や家族の利益のために殺してもよい」と説く人が出てきて、

その人たちが提示した問題が
そこに提示された形で議論に持ち込まれることによって、
そこでは、「障害のある新生児は殺しても構わない」が
未決着の議論から結論を先取りする形で前提されてしまう。

ちょうどSavulescuらの説く「臓器提供安楽死」が
今だに合法化されていない国が大半である積極的安楽死を勝手に前提にして
「今でも安楽死は認められているのだから」と正当化されるように、

また「重症障害児にしかやらないのだから構わない」と正当化される成長抑制が
「重症障害児はその他の障害児とは倫理検討を別扱いして構わない」を
検証されないまま結論先取りで前提し、議論を進めることによって、
その議論が前提を既成事実としていくように。

慎重な議論によって、ギリギリの折り合いが見つけられ、
危ういバランスを保っているような難しい倫理問題を、
「今でもどうせ(実はごく一部またはグレー・ゾーンでのみにせよ)やっているのだから」の
「どうせ」論で、ドヤドヤと無神経に無造作に、さっさと先へ進めていこうとするなら、

それは正に「すべり坂」以外の何でもないじゃないか、と思う。

そして、こういうことを言う人たち、
ここで提示した議論が十分に尽くされない内に
きっと次には言い始めるんでは?

「そうして殺した新生児からの臓器提供や研究利用を認めよう」って。
2012.03.14 / Top↑
Journal of Medical Ethicsにイタリアの功利主義者2人の共著論文で「出生後中絶」の正当化論。一人はSavulescuと同じウエヒロ実践倫理センター所属。
http://jme.bmj.com/content/early/2012/02/22/medethics-2011-100411.abstract
http://www.bioedge.org/index.php/bioethics/bioethics_article/9950#comments

FEN事件でFENのボランティアの幇助で自殺した男性の未亡人が起こしていたロングフル・デス訴訟で、FEN側と和解。
http://www.wrcbtv.com/story/17004030/ga-widow-settles-lawsuit-against-suicide-group

「ヤセ薬Quexa、13歳から認可を」と連邦諮問委員会がFDAに勧告。
http://www.nytimes.com/2012/02/23/business/fda-advisory-panel-backs-diet-drug.html

ちなみに、Qnexaについては、2011年8月9日の補遺で ↓

時間差で phentermine と topiramateが効いていくQNEXAというカプセル薬を飲むと、食欲が減退して、肥満や糖尿病、睡眠時無呼吸症候群の人でQOLが有意に上がった……って。:あの~、フェンタミンって向精神薬だったんでは……? 【追記】検索してみたらトピラマートって、抗てんかん薬だった!
http://www.medicalnewstoday.com/releases/232383.php
【その他、関連エントリー】
NHS新たにヤセ薬を解禁(2008/7/9)
6月解禁のヤセ薬、精神障害起こすと早くも販売中止(英)(2008/10/25)
EUがヤセ薬を解禁、「誰の最善の利益」?(2009/1/31)


メキシコの科学者らがヘロイン中毒ワクチンを開発中。マウスで効果を確認し、これから人体実験の段階で、米国ではすでに特許取得済み。接種すると、ヘロインを打っても快感を得られなくなるんだとか。
http://www.reuters.com/article/2012/02/24/us-mexico-heroin-idUSTRE81N01I20120224?feedType=RSS&feedName=healthNews

子ども向け混合ワクチンに熱性けいれんのリスク。
http://www.medicalnewstoday.com/articles/241961.php

途上国の飢餓対策やイノベーションに絡めてBill Gates農業改革に発言しきり。
westernfarmpress.com/management/gates-says-future-begins-revolution-agricultural-productivity

ゲイツ財団が、干ばつ耐性のある穀物開発、家畜向けワクチンや技術研究などに2億ドルを約束。
http://www.guardian.co.uk/global-development/2012/feb/24/bill-gates-smallholder-farmer-productivity?newsfeed=true

ビル・ゲイツが途上国の農業改革で国連のFAOを批判。:これまでに既に20億ドル出し、今後5年間にさらに20億ドルを出すと言っているからこその発言力。
http://ibnlive.in.com/news/gates-attacks-outdated-un-food-agencies/233407-70.html

前にも補遺で拾った栄養を強化したバナナの開発、ゲイツ財団と組んでいるのはオーストラリアのクイーンズランド大学。:HIMEのMurrayとのつながりも強いしね。
http://www.freshplaza.com/news_detail.asp?id=93189

栄養強化バナナと並んでビル・ゲイツが力を入れているのが、途上国向けトイレのイノベーション。
http://www.businessinsider.com/bill-gates-makes-progress-on-reinvented-toilets-2012-2

NYTのビデオと記事で、囚人の高齢化で認知症患者が増加。CA州の刑務所では重罪の囚人に研修を受けさせて介護を担わせている。
Dementia Behind Bars: Dementia is a fast-growing phenomenon in prisons that many are not prepared to handle. The California Men’s Colony is using convicted killers to care for inmates who can no longer care for themselves.
http://video.nytimes.com/video/2012/02/25/health/100000001367225/dementia-behind-bars.html?nl=todaysheadlines&emc=thab1

抗精神病薬の中には認知症患者に命の危険を伴うものがある。
http://www.medicalnewstoday.com/articles/242094.php

米国の大学生は血液や遺伝子などをバイオ・バンクに提供することに抵抗を感じていない。
http://www.medicalnewstoday.com/releases/241987.php

養子関係腎臓移植5例、問題なかったと学会。:移植学会だもの。
http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20120215-OYT1T00286.htm

人体の不思議点訴訟:原告の訴え棄却地裁「嫌悪感は主観的な感情」/京都。
http://mainichi.jp/area/kyoto/news/20120217ddlk26040420000c.html

【関連エントリー】
死体の展覧会(2008/2/22)
「人体の不思議展」中止要望書への緊急署名(2008/5/5)
2011年5月30日の補遺
2012.03.14 / Top↑
ミュウを送っていって、
詰め所で看護科の男性職員Aさんとしゃべっていたら、

その人が急に何かを思い出して、一人で大笑いしながら
「この前、ミュウちゃんが思わず『ど』って言いそうになってね~」。

これまで重症心身障害者も入所が認められていたので(この春から制度が変わるが)
ミュウが暮らしている重症心身障害児施設にも様々な年齢の人がいる。

ミュウとちょうど40歳ちがうBさん(男性)は
身体障害と知的障害が重複しているが、その他の入所者に比べるとさほど重度ではない。
言語障害もあるが、慣れれば全く理解できないことはない。

容貌がたいそう渋く「無口で気難しい大工の棟梁」タイプであるうえに、
しゃべる時にはなぜか必ず怒ったような口調で怒鳴るので
ちゃんと知り合う前だと、かなり本気で怖い。

が、実は毎日どこかに赤いものを身につけないと機嫌が悪いとか
若い女性職員にはめっぽう甘いなど、可愛げのあるオモロイ人である。

入所した時からミュウのことをずいぶん可愛がってくれて、
小さい頃はよく抱っこしてくれていた。

ミュウが帰省して夕食時にいないと
「“ちっこいの”はどうした?」と、よくスタッフに聞いてくれるらしい。

デイルームでミュウが「番組替えて~」とか
「DVD見たい~」などとスタッフを相手にワガママを言っているのを
Bさんは時々、遠くから目を細めて見ていたりもする。

私たちがミュウを迎えに行くと、
車いすに乗ったBさんと玄関あたりや廊下で会うことがあり、そんな時Bさんは、
「ぎゃっじっ!」と私たちに向けて大声で激しく怒鳴る。

親切に「ミュウなら、あっちにいるよ!」と
指差しながら教えてくれるんである。

とはいえ、ミュウが4年前に成人を祝ってもらった時に
一緒に還暦を祝ってもらったBさんは、さすがに最近は弱ってきて、
デイルームでみんなと一緒に過ごすことが多くなってきた。

そんなBさんが
知的な刺激の不足からか年齢ゆえか、両方からか、
時々ぼ~っとするようになったことを
看護科の幹部職員であるAさんは心配しているのらしい。

ぼ~っと停止状態になっているBさんに気付くと、
そっと近付いていって、靴下をひっぱってやるのだそうだ。

ツンツンと引っ張りながら靴下を少しずつ脱がしていくと、
Bさんは、はっと、いつものBさんに戻り、
抵抗しつつ、「ごらぁ、どどぼー!」と大声で怒鳴る。

そういう2人のやりとりが繰り返されるのを、
ミュウはいつも興味しんしんで眺めているのらしい。

ついには、
ぼ~っとしているBさんに気付いたAさんが、
こそ~っと近づいていくのを見ると、

これから何が起こるかを予想して
ミュウの方が先に胸を弾ませてしまった。

目は、Bさんの脚に伸びるAさんの手に釘付けで
ミュウはワクワクを募らせていく。

Aさんもミュウのそんな視線を意識しながら、
ついにBさんの靴下の先を掴んだ……その瞬間、

ミュウは募る期待がピークに達し、
思わず「どろぼー!」と……

言葉を持たないミュウが、
その瞬間、本当に「ど」と言いそうだったのだという。

いや~、もうちょっとでミュウちゃんが「ど」と言うところでした。
本当に言うかと思いましたよ~。

Aさんが大笑いしながら語ってくれる。

ねー、ミュウちゃん、
「どろぼー!」って、思わず言ったんだよね~。

ミュウはそれにニヤニヤ顔で応えていた。


誰ひとりとして自ら望んでそこで暮らしているわけではない施設の、
なんてことない普通の生活の一場面――。
2012.03.14 / Top↑
もう10年以上前から、年に数回、
県北の町へ”独りドライブ”に行っている。

ミュウを施設に入れてしまった罪悪感と闘いながら、
人間としての機能停止状態 から回復途上だった頃、
夫に「仕事でちょっと遠くへ行くけど、ドライブがてら乗ってく?」と連れだされた。

その町には、山があり、田んぼが広がり、川が流れていて、

その川沿いの、ポツポツ花を開きかけた桜並木の下に車を止めて、
コンビニで買ったおむすびを2人で食べた。

しばらくして、
あの桜が満開になったところを見たいと思い立ち、
それまで一人で運転したことのない道と距離を、
ずっと心臓をバクバクさせながら運転して行った。

県北の桜はもう満開を少し過ぎていて、
川沿いに車を止めてドキドキが収まるのを待ってから、
桜吹雪の中で、タッパーに詰めてきた前の晩の残り物を食べた。

それから年に何回か、ふいと思い立っては通っている。

行くたびに距離が延び、そのうちに、
お気に入りのCDと、気が向けばカメラを積んでいくことを覚えた。

山肌を霧がまるで巨大な生き物のように這い伝う姿に
息を飲んで見入った日があった。

国道沿いには毎夏、
真っ赤なサルビアのプランターがずらっと並ぶし、

ここを行くと、
正面の山がパワフルな緑にわんわんと燃え立って迫ってくるんだ……と、
夏にはいつも期待に胸を躍らせて曲がる大きなカーブがある。

文字通り黄金色のカーペットになって、ゆさゆさと波打つ田んぼも、
稲刈りが終わると、ずらりと整列した稲藁の三角帽子が可愛らしい。

寒暖の差が大きかった秋には、紅葉があまりに豪華で、
山が目に入った瞬間に熱いもの込み上げてきたことも。

もちろん、あの川沿いの桜並木は、
いつ行っても、その季節ごとの風情を漂わせてくれる。

そんなふうに何度も何度も通ううちに、美術館や博物館のありかを知り、
お昼のメニューも、コンビニのおむすび+デザート(某観光名所の見晴らしの良い駐車場で食す)、
絶品ラーメン、美味しいパスタ、たまにちょっと贅沢な美術館のレディス・ランチ……と選択肢が増え、

お昼ごはんの後には
焼き立てパンやフキノトウ味噌やヒレハムをお土産にゲットしてから
ゆったりと満ち足りて、帰途に着く。

あの町へ行こう! と思い立つ時というのは、だいたい
往きのドライブで頭の中に激しい感情ややこしい物思いがグルグルを続けるのだけど、

目の前がドーーン!と開けていて
山があって、田んぼが広がり、そこに川が流れている景色は
行くたびに鮮やかで、なにやら懐が深く、

その景色の中を走り続けているうちに、いつのまにか心が平たくなっている。
行き詰っていた仕事や問題が、不思議なことに帰り道では必ずふいと解ける。

川沿いの桜吹雪の中で残り物のお弁当を食べた10年以上前のあの日から、
それまでは何の縁もゆかりもなかった遠い町を、
そんなふうにして数えきれないほど訪れてきた。

今では、私の幾多の喜怒哀楽を見知ってくれている、
自分の布団の中みたいな、親しく懐かしい場所だ。

あの遠い日に車の中に座っていた自分を思うと
今でも胸の奥がちょっとジンとなるけれど、

長い年月を経た今、
そういう場所が自分にあることを、何よりの幸せだと思う。
2012.03.14 / Top↑