(前のエントリーの続き)
① 実験動物として誰も殺されなくてもよい世界なら、
実験をやめることでできる。
そのかわり科学とテクノの進歩も止まる。
でも、それはそれでいい、そういう世界にしよう、それで種差別を回避しようと
主張することは論理的には可能。
(コンピューター上にマウスや人間のDNAを再現して、
それで動物実験を減らすという話も聞くけど、
それが実際に生体での実験と同じであるという保証もない。)
一方、誰かがどうしても実験のために死ななければならない世界を前提にして、
人間はなんら特別ではなく動物と違わないと決め種差別を禁じるとしたら、
マウスやチンパンジーの代わりに人間が実験に供されてもよいと認めることになる。
実際、植物状態の人を人間のブリーディング・タンクとして使おうと提案した倫理学者はいるし、
胚や中絶胎児は既に実験に供されている。
種差別を否定して人間も動物も一緒だとしたうえで、
知的機能や意識のあり方による序列を設けるという
シンガーやトランスヒューマニストの考え方でいけば、
(無知でスミマセン。私の知識はほとんどA事件つながりなので、
クーゼなんて人は名前すら知らず、センティエントがどうだこうだと言うのが大好きな
TH二ストさんたちの方がSingerに近い感じになってしまうので。)
頭の良いチンパンジーの“パンくん”や、その仲間を実験に使うよりも
脳死者、中絶胎児(なるべく生かして?)、障害新生児、
植物状態や最小意識状態の人、重症障害児・者、認知症患者の方を使いましょう、と
主張されることになる。
もともと人間のための研究を行うには人間で実験できるのが理想的なわけだし。
それだけ殺される動物も減る。
(で、すべての研究が人間のために行われるのは種差別ではない?)
シンガーは「脳死者を実験利用しよう」と、なぜ言わないんだろう?
(私はモノを知らないので、もし言っていたら、スミマセンが教えてください。)
この問題に限らないけど、
ある主張をもっともらしく見せるために
都合の悪いことは見えないままに止め置いて
都合のよいことだけを引っ張ってきてみせるという芸当を
たいていの人間よりもはるかに頭が切れて弁の立つ人間がやってみせれば、
たいていの人は、その人のペースに飲まれ、
ただ、相手がいうことについていってしまう。
すると、ないものは、それがないこと自体が見えにくくなって、
そこには、ないものがあるということも、
なぜ、それがないのか、ということも、気付かれないスル―状態になる。
(これは、Ashley事件で Diekema が散々使ったヤリクチ)
よく知りもしないことでも、権威をカサに着て堂々と語れば
世の中の人はたいてい、その人は知って言っているのだと思いこむのと同じように。
(長くてスミマセン。さらに次のエントリーに続きます。次で終わり)
① 実験動物として誰も殺されなくてもよい世界なら、
実験をやめることでできる。
そのかわり科学とテクノの進歩も止まる。
でも、それはそれでいい、そういう世界にしよう、それで種差別を回避しようと
主張することは論理的には可能。
(コンピューター上にマウスや人間のDNAを再現して、
それで動物実験を減らすという話も聞くけど、
それが実際に生体での実験と同じであるという保証もない。)
一方、誰かがどうしても実験のために死ななければならない世界を前提にして、
人間はなんら特別ではなく動物と違わないと決め種差別を禁じるとしたら、
マウスやチンパンジーの代わりに人間が実験に供されてもよいと認めることになる。
実際、植物状態の人を人間のブリーディング・タンクとして使おうと提案した倫理学者はいるし、
胚や中絶胎児は既に実験に供されている。
種差別を否定して人間も動物も一緒だとしたうえで、
知的機能や意識のあり方による序列を設けるという
シンガーやトランスヒューマニストの考え方でいけば、
(無知でスミマセン。私の知識はほとんどA事件つながりなので、
クーゼなんて人は名前すら知らず、センティエントがどうだこうだと言うのが大好きな
TH二ストさんたちの方がSingerに近い感じになってしまうので。)
頭の良いチンパンジーの“パンくん”や、その仲間を実験に使うよりも
脳死者、中絶胎児(なるべく生かして?)、障害新生児、
植物状態や最小意識状態の人、重症障害児・者、認知症患者の方を使いましょう、と
主張されることになる。
もともと人間のための研究を行うには人間で実験できるのが理想的なわけだし。
それだけ殺される動物も減る。
(で、すべての研究が人間のために行われるのは種差別ではない?)
シンガーは「脳死者を実験利用しよう」と、なぜ言わないんだろう?
(私はモノを知らないので、もし言っていたら、スミマセンが教えてください。)
この問題に限らないけど、
ある主張をもっともらしく見せるために
都合の悪いことは見えないままに止め置いて
都合のよいことだけを引っ張ってきてみせるという芸当を
たいていの人間よりもはるかに頭が切れて弁の立つ人間がやってみせれば、
たいていの人は、その人のペースに飲まれ、
ただ、相手がいうことについていってしまう。
すると、ないものは、それがないこと自体が見えにくくなって、
そこには、ないものがあるということも、
なぜ、それがないのか、ということも、気付かれないスル―状態になる。
(これは、Ashley事件で Diekema が散々使ったヤリクチ)
よく知りもしないことでも、権威をカサに着て堂々と語れば
世の中の人はたいてい、その人は知って言っているのだと思いこむのと同じように。
(長くてスミマセン。さらに次のエントリーに続きます。次で終わり)
2010.10.07 / Top↑
以下、立命館大学の立岩真也氏のつい最近の文章。
http://www.arsvi.com/ts2000/20100038.htm
実は、たまたま、この場に居合わせて、このやりとりを聞いてしまった。
江口氏が目の前の豚の角煮を指差して、
「人間はホラ、こうして豚を食べる。では、なぜ人間は豚を殺して食べてもいいのか。
人間を動物とは違う特別な存在にする根拠は何か?」と迫り、
Singerの考えは部分的には支持できるという立場の堀田義太郎氏が
基本的にシンガーが考えていることというのは、
(動物・人間含めて)殺されるものを総体としては減らし
生きられるものを増やそうと意図したものだと補足解説をし、
立岩氏が、どこかで既に書いた答えとして
とりあえず「人間は人間から生まれるから」としておこうと回答し、
トートロジーにならない答えはあるのだろうか……などと
いろいろ、やり取りが続く中で、
じゃぁ、黒人は黒人から生まれ白人は白人から生まれるんだから
黒人と白人の違いは、人間と豚の違いと同じなのか違うのか、と江口氏が畳みかけ、
そこで有馬斉という若手の研究者氏が、
ちょっとすごい(と私は思った)ことを思いつき、
黒人と白人は性交してハーフが生まれるが、
人間と豚は性交してもハーフは生まれないから
黒人と白人の違いは、人間と豚の違いとは違うんではないか、とか
あ、でも今ならキメラ胚とかできるけど(これは堀田氏)とかなんとか
正直、なにそれワケわかんないからどーでもいいわアタシ状態だったけど、
そんなものを、よく分からないままであれなんであれ、ともかく聞いてしまった。
その場でもその後にも自分で考えるつもりは毛頭なかったのだけれど、
なぜだろう、なぜか、今日ふと、頭に浮かんでしまった。
人間は人間を食べないから……?
でも、それを言ったらサルだってサルを食べない。
イワシもイワシ同士は食べない。たぶん
ライオンもライオン同士、食べないんじゃないかな。たぶん。
それなら、ライオンから見れば、
ライオン以外の動物は人間も含めて食べ物だけど、
ライオンだけは食べ物ではないという意味で
ライオンにとっては人間なんか特別でも何でもなくてライオンだけが特別なわけだから、
人間は人間を食べないから、
人間にとっては人間が特別だ、というのでは……?
これは、ただ、江口先生が何度も豚の角煮を指差した手つきからの
単純な連想にすぎないのだけど、いったん頭に浮かんでしまったら、
そこから、あれこれ金魚のウンチ的に連想が働いて、
人間は特別で動物とは違うのか、と問う時は、
それは誰かのために誰も死ななくてもよい世界も認める前提に立って問うのと、
どうしても誰かのために誰かが殺されなければならない世界を前提に問うのとでは
話が違うんでは……?
だって、人間は特別じゃない、動物と違わないと主張することで
殺されるものを総体としてより少なく、生きられるものをより多くしようというなら、
いっそ人間も動物も誰も殺されないでいいことにすればいいだけでは……?
(これは、実はあの酒の席で、ちょろっと頭に浮かんだこと。すぐ消えたけど)
で、誰かが誰かのために殺されなければならない理由を、
「実験動物として」と「食物として」と2つ考えてみた。
(次のエントリーに続く)
http://www.arsvi.com/ts2000/20100038.htm
実は、たまたま、この場に居合わせて、このやりとりを聞いてしまった。
江口氏が目の前の豚の角煮を指差して、
「人間はホラ、こうして豚を食べる。では、なぜ人間は豚を殺して食べてもいいのか。
人間を動物とは違う特別な存在にする根拠は何か?」と迫り、
Singerの考えは部分的には支持できるという立場の堀田義太郎氏が
基本的にシンガーが考えていることというのは、
(動物・人間含めて)殺されるものを総体としては減らし
生きられるものを増やそうと意図したものだと補足解説をし、
立岩氏が、どこかで既に書いた答えとして
とりあえず「人間は人間から生まれるから」としておこうと回答し、
トートロジーにならない答えはあるのだろうか……などと
いろいろ、やり取りが続く中で、
じゃぁ、黒人は黒人から生まれ白人は白人から生まれるんだから
黒人と白人の違いは、人間と豚の違いと同じなのか違うのか、と江口氏が畳みかけ、
そこで有馬斉という若手の研究者氏が、
ちょっとすごい(と私は思った)ことを思いつき、
黒人と白人は性交してハーフが生まれるが、
人間と豚は性交してもハーフは生まれないから
黒人と白人の違いは、人間と豚の違いとは違うんではないか、とか
あ、でも今ならキメラ胚とかできるけど(これは堀田氏)とかなんとか
正直、なにそれワケわかんないからどーでもいいわアタシ状態だったけど、
そんなものを、よく分からないままであれなんであれ、ともかく聞いてしまった。
その場でもその後にも自分で考えるつもりは毛頭なかったのだけれど、
なぜだろう、なぜか、今日ふと、頭に浮かんでしまった。
人間は人間を食べないから……?
でも、それを言ったらサルだってサルを食べない。
イワシもイワシ同士は食べない。たぶん
ライオンもライオン同士、食べないんじゃないかな。たぶん。
それなら、ライオンから見れば、
ライオン以外の動物は人間も含めて食べ物だけど、
ライオンだけは食べ物ではないという意味で
ライオンにとっては人間なんか特別でも何でもなくてライオンだけが特別なわけだから、
人間は人間を食べないから、
人間にとっては人間が特別だ、というのでは……?
これは、ただ、江口先生が何度も豚の角煮を指差した手つきからの
単純な連想にすぎないのだけど、いったん頭に浮かんでしまったら、
そこから、あれこれ金魚のウンチ的に連想が働いて、
人間は特別で動物とは違うのか、と問う時は、
それは誰かのために誰も死ななくてもよい世界も認める前提に立って問うのと、
どうしても誰かのために誰かが殺されなければならない世界を前提に問うのとでは
話が違うんでは……?
だって、人間は特別じゃない、動物と違わないと主張することで
殺されるものを総体としてより少なく、生きられるものをより多くしようというなら、
いっそ人間も動物も誰も殺されないでいいことにすればいいだけでは……?
(これは、実はあの酒の席で、ちょろっと頭に浮かんだこと。すぐ消えたけど)
で、誰かが誰かのために殺されなければならない理由を、
「実験動物として」と「食物として」と2つ考えてみた。
(次のエントリーに続く)
2010.10.07 / Top↑
米国のテレビ・アニメ“Family Guy”といえば、
今年3月にWesley SmithがTerry Schiavoさんを笑い物にしているのを問題視し、
その内容を当ブログでも紹介しましたが、
そのFamily Guyが今度は2月に
「ダウン症ガール」という歌を作り、
ステレオタイプそのものの男女を登場させてコケにした。
その歌がYouTubeにアップされて視聴回数が増え、
さらにエミー賞のオリジナル音楽賞にノミネートされるに至って、
The National Down Syndrome Congress of the U.S.が抗議。
「人種、性的志向、障害というのは人のアイデンティティの核であって、
変えることのできないものです。
人が自分には変えることのできないものを笑いものにすることからは
そういう人を見下だして、社会から排斥することしか生まれません」
ダウン症の息子のいる、元大統領候補Sarah Palin氏も、
歌が登場した際にすぐさま抗議したという。
ただし当事者の間でも意見は分かれていると以下の記事は言い、
何でも笑いのめす番組なのだから
他の諸々と一緒にダウン症が対象として取り上げられることも
またインクルージョンなのだ、とコメントするのは、
LAのダウン症協会スポークスマン。
Down Syndrome group slams Emmys
The CBC News, August 27, 2010
お馴染み、What Sorts of Peopleブログがこの問題を取り上げており、
以下のエントリーに、その歌のYou Tubeがあります。
私自身は、この歌とかアニメのニュアンスが今一つ、ちゃんと分からないのがもどかしい。
Disability on Television: Family Guy
What Sorts of People, August 30, 2010
この記事を書いている mworkman氏自身は
否定的に描かれる障害者像が世の中の人に差別意識を植えつけ強化すると考える一方で、
白人中流階級と同じようにエイズ患者や癌患者がジョークの対象になるなら
特定の属性のある人だけがこういう番組でタブーになるよりは、
こうしてジョークの対象となるのはインクルージョンの一つではあるとも思う、といい、
視聴者の方がこういう番組は所詮これだけのものだと受け止めるだろうし、
ステレオタイプそのものを笑いのめすことの意義を認めるなら
特定の人たちだけに触れるなと闘うことはそれほど価値があるのか、と
疑問を投げかけている。
それにしても、08年のTropic Thunderの差別発言問題では、
当事者からこういうアンビバレントな声は聞こえてこなかったけど、なぁ……。
【Thunder関連エントリー】
ハリウッド映画に障害者団体が抗議
映画Tropic Thunderの知的障害者差別問題続報
「アメリカだぜ、言いたいこと言って何が悪い」とJack Black
AAPDが“Tropic Thunder”に抗議文:ネット署名求める
‘Thunder’批判のメディア記事
「障害者いじめてもいい」というメッセージ送るとThunder批判
批判の火付け役BauerさんのThunder 批判
Thunder ボイコットで“ちょっといい話”
ハリウッド、障害者の人権キャンペーンを発表(2008/10/9)
Thunderは「本年度アホデミー賞候補」だと(2008/11/1)
―――――――
私自身は、まず、
その他の議論とか今の世の中の空気とかと切り離して
この問題だけを考えていいのかなぁ……という気がする。
例えば、あちこちで、それぞれ別個の議論として進んでいる
ロングフルバース訴訟、選別的中絶、無益な治療論、
自殺幇助や障害児・者の慈悲殺擁護論などが世の中全体に、
障害のある人の生は生きるに値しないという価値意識を広めていて、
同時に暴走型のグローバル資本主義の閉塞感に晒されている人々が
そのやり場のない不安感や憤りのはけ口を求めるかのように
障害者へのヘイト・クライムも、女性や子ども、総じて弱い立場にある者への虐待も
急激に増え、広がっている。
そんな世の中に、
自分の責任でどうにもできないことを巡っては、良識と節度の範囲で
今までは公然と言われることが控えられてきた差別的な言辞に対して、
その良識をかなぐり捨て、言論の自由だと開き直ることが許容される空気が
生まれ広がりつつある……というだけのことではないのだろうか。
例えば、日本でも公的な立場の人の障害者や女性、外国人、老人に対する露骨な差別発言が
以前ほど厳しい批判の対象にならなくなっているように思えること
社会全体が他者の立場に立つ想像力と寛容を失いつつあることと
通じていくものが、そこにはあるような。
例えば、上記記事のダウン症アドボケイトの全国組織の人が
「人種、性的志向、障害というのは……」と批判のコメントをするにあたって、
わざわざ「言論の自由を否定するつもりはありませんが」と敢えて断らなければならないような
そういう空気――。
それに、私はこの番組を直接は知らないけれど、
シャイボさんを笑いものにした回の内容が
(「とてつもなく高価な野菜」「マッシュポテト脳」だとか)
Family Guyという番組の意識の程度を物語っているのだとしたら
とうていステレオタイプそのものを笑い倒すことで否定しているわけではなく、
人間なら誰でもが持っている「誰かを見下して笑いものにしたい」という下劣な欲求に
単に媚びているだけのような気がする。
番組が訴えていくところが視聴者の欲求であって思考でない以上、
視聴者がmworkman氏が言うように賢明な距離感で番組を捉えるとも思えない。
視聴者の多くが子どもや若者たちであるとしたら、なおのこと。
それにしても、
コケにされることにおける平等という方向性でインクルージョンが持ち出されるというのは、
私には全く思いがけないことだったので、ちょっと、おたおたしてしまう。
なんとなく、Tom Shakespeareが自殺幇助議論の中で
障害者だからこそ死の自己決定権を保証しろと言っていたことと、
論理の構図がどこか似ているような気がするのだけど、
どこか、どういうふうに、と今はうまく説明できない。
前にこちらのエントリーで、Shakespeareの主張を
社会での平等を求めるあまり家庭での差別の温存を許し、
社会でも悪平等を引きかぶることになってしまったフェミニズムの失敗に
なぞらえてみたことがあるのだけど、
言ってみれば、そんなふうなこと。
コケにされることにおける平等がインクルージョンだと当事者が言うのは、
女の権利を声高に唱える女は魅力的じゃないとかスマートじゃないとか賢くないとか、
そんなふうに思わせようとする空気にノセられて、
「あたしはそういう女じゃないから」と言ってみせることに
とても近いことのような気がするのだけど……違うかな……。
【障害者へのヘイトクライム関連エントリー】
想像力と寛容をなくしていく社会(2008/5/20)
“社会浄化”同性愛者、知的障害者の殺人を検察が黙認(コロンビア)(2009/9/7)
若者ギャングの10年に及ぶ軟禁・嫌がらせで母が障害のある娘と無理心中(2009/9/18)
英国内務省から「ヘイト・クライム政府横断行動計画」(2009/10/9)
車いす男性に10代の子ども2人が鉄バイプで殴る蹴る(豪)(2010/3/15)
知的障害男性の殺害容疑で13歳少女を含む7人を逮捕(英)(2010/6/7)
【Shakespeare関連エントリー】
ShakespeareのAshley療法批判(1月 Ouch!)(2007/12/14)
Tom Shakespeareが「自殺幇助合法化せよ」(2009/3/15)
Campbell/Shakespeare・Drake:障害当事者による自殺幇助論争 1(2009/7/9)
Campbell/Shakespeare・Drake:障害当事者による自殺幇助論争 2(2009/7/9)
ダウン症スクリーニングでShakespeare「技術開発と同じ資金を情報提供に」(2009/11/1
今年3月にWesley SmithがTerry Schiavoさんを笑い物にしているのを問題視し、
その内容を当ブログでも紹介しましたが、
そのFamily Guyが今度は2月に
「ダウン症ガール」という歌を作り、
ステレオタイプそのものの男女を登場させてコケにした。
その歌がYouTubeにアップされて視聴回数が増え、
さらにエミー賞のオリジナル音楽賞にノミネートされるに至って、
The National Down Syndrome Congress of the U.S.が抗議。
「人種、性的志向、障害というのは人のアイデンティティの核であって、
変えることのできないものです。
人が自分には変えることのできないものを笑いものにすることからは
そういう人を見下だして、社会から排斥することしか生まれません」
ダウン症の息子のいる、元大統領候補Sarah Palin氏も、
歌が登場した際にすぐさま抗議したという。
ただし当事者の間でも意見は分かれていると以下の記事は言い、
何でも笑いのめす番組なのだから
他の諸々と一緒にダウン症が対象として取り上げられることも
またインクルージョンなのだ、とコメントするのは、
LAのダウン症協会スポークスマン。
Down Syndrome group slams Emmys
The CBC News, August 27, 2010
お馴染み、What Sorts of Peopleブログがこの問題を取り上げており、
以下のエントリーに、その歌のYou Tubeがあります。
私自身は、この歌とかアニメのニュアンスが今一つ、ちゃんと分からないのがもどかしい。
Disability on Television: Family Guy
What Sorts of People, August 30, 2010
この記事を書いている mworkman氏自身は
否定的に描かれる障害者像が世の中の人に差別意識を植えつけ強化すると考える一方で、
白人中流階級と同じようにエイズ患者や癌患者がジョークの対象になるなら
特定の属性のある人だけがこういう番組でタブーになるよりは、
こうしてジョークの対象となるのはインクルージョンの一つではあるとも思う、といい、
視聴者の方がこういう番組は所詮これだけのものだと受け止めるだろうし、
ステレオタイプそのものを笑いのめすことの意義を認めるなら
特定の人たちだけに触れるなと闘うことはそれほど価値があるのか、と
疑問を投げかけている。
それにしても、08年のTropic Thunderの差別発言問題では、
当事者からこういうアンビバレントな声は聞こえてこなかったけど、なぁ……。
【Thunder関連エントリー】
ハリウッド映画に障害者団体が抗議
映画Tropic Thunderの知的障害者差別問題続報
「アメリカだぜ、言いたいこと言って何が悪い」とJack Black
AAPDが“Tropic Thunder”に抗議文:ネット署名求める
‘Thunder’批判のメディア記事
「障害者いじめてもいい」というメッセージ送るとThunder批判
批判の火付け役BauerさんのThunder 批判
Thunder ボイコットで“ちょっといい話”
ハリウッド、障害者の人権キャンペーンを発表(2008/10/9)
Thunderは「本年度アホデミー賞候補」だと(2008/11/1)
―――――――
私自身は、まず、
その他の議論とか今の世の中の空気とかと切り離して
この問題だけを考えていいのかなぁ……という気がする。
例えば、あちこちで、それぞれ別個の議論として進んでいる
ロングフルバース訴訟、選別的中絶、無益な治療論、
自殺幇助や障害児・者の慈悲殺擁護論などが世の中全体に、
障害のある人の生は生きるに値しないという価値意識を広めていて、
同時に暴走型のグローバル資本主義の閉塞感に晒されている人々が
そのやり場のない不安感や憤りのはけ口を求めるかのように
障害者へのヘイト・クライムも、女性や子ども、総じて弱い立場にある者への虐待も
急激に増え、広がっている。
そんな世の中に、
自分の責任でどうにもできないことを巡っては、良識と節度の範囲で
今までは公然と言われることが控えられてきた差別的な言辞に対して、
その良識をかなぐり捨て、言論の自由だと開き直ることが許容される空気が
生まれ広がりつつある……というだけのことではないのだろうか。
例えば、日本でも公的な立場の人の障害者や女性、外国人、老人に対する露骨な差別発言が
以前ほど厳しい批判の対象にならなくなっているように思えること
社会全体が他者の立場に立つ想像力と寛容を失いつつあることと
通じていくものが、そこにはあるような。
例えば、上記記事のダウン症アドボケイトの全国組織の人が
「人種、性的志向、障害というのは……」と批判のコメントをするにあたって、
わざわざ「言論の自由を否定するつもりはありませんが」と敢えて断らなければならないような
そういう空気――。
それに、私はこの番組を直接は知らないけれど、
シャイボさんを笑いものにした回の内容が
(「とてつもなく高価な野菜」「マッシュポテト脳」だとか)
Family Guyという番組の意識の程度を物語っているのだとしたら
とうていステレオタイプそのものを笑い倒すことで否定しているわけではなく、
人間なら誰でもが持っている「誰かを見下して笑いものにしたい」という下劣な欲求に
単に媚びているだけのような気がする。
番組が訴えていくところが視聴者の欲求であって思考でない以上、
視聴者がmworkman氏が言うように賢明な距離感で番組を捉えるとも思えない。
視聴者の多くが子どもや若者たちであるとしたら、なおのこと。
それにしても、
コケにされることにおける平等という方向性でインクルージョンが持ち出されるというのは、
私には全く思いがけないことだったので、ちょっと、おたおたしてしまう。
なんとなく、Tom Shakespeareが自殺幇助議論の中で
障害者だからこそ死の自己決定権を保証しろと言っていたことと、
論理の構図がどこか似ているような気がするのだけど、
どこか、どういうふうに、と今はうまく説明できない。
前にこちらのエントリーで、Shakespeareの主張を
社会での平等を求めるあまり家庭での差別の温存を許し、
社会でも悪平等を引きかぶることになってしまったフェミニズムの失敗に
なぞらえてみたことがあるのだけど、
言ってみれば、そんなふうなこと。
コケにされることにおける平等がインクルージョンだと当事者が言うのは、
女の権利を声高に唱える女は魅力的じゃないとかスマートじゃないとか賢くないとか、
そんなふうに思わせようとする空気にノセられて、
「あたしはそういう女じゃないから」と言ってみせることに
とても近いことのような気がするのだけど……違うかな……。
【障害者へのヘイトクライム関連エントリー】
想像力と寛容をなくしていく社会(2008/5/20)
“社会浄化”同性愛者、知的障害者の殺人を検察が黙認(コロンビア)(2009/9/7)
若者ギャングの10年に及ぶ軟禁・嫌がらせで母が障害のある娘と無理心中(2009/9/18)
英国内務省から「ヘイト・クライム政府横断行動計画」(2009/10/9)
車いす男性に10代の子ども2人が鉄バイプで殴る蹴る(豪)(2010/3/15)
知的障害男性の殺害容疑で13歳少女を含む7人を逮捕(英)(2010/6/7)
【Shakespeare関連エントリー】
ShakespeareのAshley療法批判(1月 Ouch!)(2007/12/14)
Tom Shakespeareが「自殺幇助合法化せよ」(2009/3/15)
Campbell/Shakespeare・Drake:障害当事者による自殺幇助論争 1(2009/7/9)
Campbell/Shakespeare・Drake:障害当事者による自殺幇助論争 2(2009/7/9)
ダウン症スクリーニングでShakespeare「技術開発と同じ資金を情報提供に」(2009/11/1
2010.08.31 / Top↑
英国で新しく導入する自治体が増えているダイレクト・ペイメント制度
(個別ケアプランに応じた費用が直接サービス利用者に支給される)で
障害者の買春費用の支払いまで認められるべきかどうかが、論争になっている。
ある自治体が21歳の知的障害のある男性のケアプランに
オランダのアムステルダムへの買春旅行を入れたと報じられたのがきっかけ。
男性のソーシャルワーカーは、
ソーシャルワークとはクライアントのニーズを汲んでそれに応えること、
この人の場合は怒りとフラストレーションを抱えており、
セックスにお金を使うだけのニーズがあると考えた、と。
障害者のセックスは人権だとも。
The Sunday Telegraphなどの調査によると、
ストリップ・クラブとかインターネットの出会いサイトの費用くらいは
認めるという自治体が多い中で、4つの自治体が
本人の心身の福祉になるなら障害者による性労働者への支払いを認めている。
中には、知的障害者が不当な搾取を受けないよう、
ワーカーが介入して支払い料金の確認を行う、というところも。
違法行為でない限り使い道の道徳性を云々することはしない、という自治体もあり、
大半は、この問題に特に明確な方針はなく、
違法行為でない限り、ソーシャルワーカーの個別判断に任せるのが基本姿勢の様子。
メディアの取材に対して、
障害者から性労働者への支払いに使われたかどうかは知らないと回答した自治体も。
Disability Allianceの幹部Neil Coyle氏は
「大半の障害者は性サービスの料金を国に払ってもらおうなんて考えていない。
自治体に支援を求める時には着替えだとか入浴など、
求めているのは尊厳のある暮らしを維持するために不可欠なサービス。
自治体がこのところ、
そういう基本的な支援を、必要とする人から引き上げていることを考えると、
障害者にとってセックスはそれほど重大な問題ではない」
Councils pay for prostitutes for the disabled
The Telegraph, August 14, 2010
女性の立場からいえば、ここにはいくつもの差別が重なっていて、
気にかかる問題ではあるものの、どう考えたらいいのか、今のところ、まとまらない。
(「売春」はいつのまにか「性労働」になったんですね。
知らなかった……。その言葉、なんとなく女性の自己選択を匂わせている気がするのだけど、
昨日だったかGuardianに世界規模での子ども・女性の人身売買について報じる記事があって
その実態はホロコーストに匹敵する今世紀最悪の道徳的犯罪だ、と。)
Telegraphの報道は、まずまず冷静だし、
各自治体の姿勢もそれなりにまっとうだとも思う。
それよりも、
連立政権になって社会保障がずいぶん圧縮されようとしているようだから、
Coyle氏が言う通りに、問題は実は別のところにあるんじゃないのか、という気がして、
そっちの方が気がかりな感じ。
なにしろ、
以下の2本のMailの記事は、明らかに世論の反発を煽っている。
文章のトーンや不正確で誘導的な表現が不快なのでロクに読んでいないけれど、
タイトルに登場している5億2000万ポンドは
高齢者と障害者を対象にしたダイレクト・ペイメントの予算総額だというのに、
わざわざ、それを「こんな巨額な納税者の資金から」とタイトルに書くというのも、
「障害者に買春させるために納税者はこんなに沢山のゼニを使わされているのか!」
というメッセージがそこには仕掛けられているようにも思え、
障害者がセックスするのが問題なのか、
障害者が買春するのが問題なのか、
それとも買春のために海外まで行くのが問題なのか
(アムステルダムには障害者専門の売春婦がいるとのこと)
障害者がタダで、または自分の金でセックスするのは構わないけど、
障害者がセックスすることに社会サービスの費用を使うことが問題なのか、
買春に社会サービスの費用を使うことが問題なのか、
それが海外というのは贅沢だという問題なのか、
それとも、そもそも5億2000万ポンドという金額が
納税者が高齢者と障害者の社会サービスのために出してあげる額として気に食わないから
そんな不謹慎かつゼイタクな目的で使われているんだったら
いっそ取り上げてしまおう……という、
一見、障害者のセックスを問題としているようでありながら、
実は全く無関係な問題をみんな考えてみろ……と言外に言われている、ということなのか。
Councils pay for disabled to visit prostitutes and lap-dancing clubs from ₤520m taxpayer fund
The Daily Mail, August 16, 2010
The madness of offering the mentally disabled sex with prostitutes at taxpayers’ expense
The Daily Mail, August 18, 2010
そういえば、コイズミ政権の頃、
日本でも、こういう路線の話を聞いたよなぁ……。
私があの当時あれこれの検討に参加していた人から直接聞いたことがあるのは、
「生活保護を受けている家庭というのは何代にも渡って保護を受け続けていて、
保護で暮らすのが当たり前という感覚がもうライフスタイルになっているから、
その一家では最初から誰も働く気などない。
生活保護に寄生している、そういう家族が結構ある」
有名な重心施設の名前を出し、
「重心施設なんて、子どもにバンバン薬を飲ませて、
ただ眠らせておいて福祉の予算を沢山せしめてボロ儲けしている」
真偽すら分からないし、仮に事実だとしても、
悪質な例外ケースに過ぎない。
しかし、制度が見直され
本当に保護を必要とする人が拒否されたり、
高齢者や母子家庭の保護費が減額されたり、
重心施設全体の経営が圧迫されるような制度変更が行われていく前には、
なるほど、ああいう話が
「みんな、そういう、とんでもない連中なんだ」と言わんばかりに
誇張して流されるものなのだなぁ……ということを私はあの時に学んだ。
きっと、
「それじゃ、私たちは損じゃないか」という不平等感というのは
それほど火をつけやすく、報復感情を呼び寄せやすいものなのだろう。
「あいつらだけ得しやがって。
そんなの、こっちばっかり損じゃないか」という国民感情が芽生えれば、
そこには自ずと「どうにかしろよ」という報復・処罰感情が伴って、
“得している人たち”のための予算が削られることは
不平等や損得の是正に過ぎない、しごく正当なことのように感じられて、
障害者にとって、それは生きていくのに基本的なケアを削られることなのだという事実は
そういう感情を持ってしまった人からは見えにくくなる。
そういえばMencapが連立政権の社会福祉制度改革で
DLA(障害者手当)を打ち切られる人が出ることを心配している。
Reforming the welfare system
Mencap, August 18, 2010
以下のソーシャル・ケアのサイトの掲示板では
ワーカーさんたちの議論もあって、ちゃんと読めば勉強になりそうなのですが、
ここは障害者のセックスの問題を議論させられることそのものが
戦略にまんまと乗せられることになるんじゃないのか、という感じも。
Sex and social work
Care Space – The online community for social care
その掲示板で、障害者と性の問題に詳しい人が、
みんなもっと勉強しろと言って張っていた関連サイトのリンクを、
一応、メモとして以下に。
http://www.outsiders.org.uk/news/sex-workers
www.touchingbase.org/about.html
sexuality.about.com/b/2007/01/19/sex-work-and-disability.htm
sexuality.about.com/b/.../sex-work-and-disability-reconsidered.htm
www.outsiders.org.uk/news/sex-workers
www.field.org.au/events/resources/disability_sexuality/
www.tlc-trust.org.uk/
women.timesonline.co.uk/tol/life_and_style/.../article5716226.ece
www.rsm.ac.uk/academ/sej101.php
www.pickledpolitics.com/archives/6533
www.bbc.co.uk › Home › Features
www.independent.co.uk › News › UK › This Britain
www.zoomerang.com/Survey/WEB228BX3BZR3X
www.informaworld.com/index/780900864.pdf
(個別ケアプランに応じた費用が直接サービス利用者に支給される)で
障害者の買春費用の支払いまで認められるべきかどうかが、論争になっている。
ある自治体が21歳の知的障害のある男性のケアプランに
オランダのアムステルダムへの買春旅行を入れたと報じられたのがきっかけ。
男性のソーシャルワーカーは、
ソーシャルワークとはクライアントのニーズを汲んでそれに応えること、
この人の場合は怒りとフラストレーションを抱えており、
セックスにお金を使うだけのニーズがあると考えた、と。
障害者のセックスは人権だとも。
The Sunday Telegraphなどの調査によると、
ストリップ・クラブとかインターネットの出会いサイトの費用くらいは
認めるという自治体が多い中で、4つの自治体が
本人の心身の福祉になるなら障害者による性労働者への支払いを認めている。
中には、知的障害者が不当な搾取を受けないよう、
ワーカーが介入して支払い料金の確認を行う、というところも。
違法行為でない限り使い道の道徳性を云々することはしない、という自治体もあり、
大半は、この問題に特に明確な方針はなく、
違法行為でない限り、ソーシャルワーカーの個別判断に任せるのが基本姿勢の様子。
メディアの取材に対して、
障害者から性労働者への支払いに使われたかどうかは知らないと回答した自治体も。
Disability Allianceの幹部Neil Coyle氏は
「大半の障害者は性サービスの料金を国に払ってもらおうなんて考えていない。
自治体に支援を求める時には着替えだとか入浴など、
求めているのは尊厳のある暮らしを維持するために不可欠なサービス。
自治体がこのところ、
そういう基本的な支援を、必要とする人から引き上げていることを考えると、
障害者にとってセックスはそれほど重大な問題ではない」
Councils pay for prostitutes for the disabled
The Telegraph, August 14, 2010
女性の立場からいえば、ここにはいくつもの差別が重なっていて、
気にかかる問題ではあるものの、どう考えたらいいのか、今のところ、まとまらない。
(「売春」はいつのまにか「性労働」になったんですね。
知らなかった……。その言葉、なんとなく女性の自己選択を匂わせている気がするのだけど、
昨日だったかGuardianに世界規模での子ども・女性の人身売買について報じる記事があって
その実態はホロコーストに匹敵する今世紀最悪の道徳的犯罪だ、と。)
Telegraphの報道は、まずまず冷静だし、
各自治体の姿勢もそれなりにまっとうだとも思う。
それよりも、
連立政権になって社会保障がずいぶん圧縮されようとしているようだから、
Coyle氏が言う通りに、問題は実は別のところにあるんじゃないのか、という気がして、
そっちの方が気がかりな感じ。
なにしろ、
以下の2本のMailの記事は、明らかに世論の反発を煽っている。
文章のトーンや不正確で誘導的な表現が不快なのでロクに読んでいないけれど、
タイトルに登場している5億2000万ポンドは
高齢者と障害者を対象にしたダイレクト・ペイメントの予算総額だというのに、
わざわざ、それを「こんな巨額な納税者の資金から」とタイトルに書くというのも、
「障害者に買春させるために納税者はこんなに沢山のゼニを使わされているのか!」
というメッセージがそこには仕掛けられているようにも思え、
障害者がセックスするのが問題なのか、
障害者が買春するのが問題なのか、
それとも買春のために海外まで行くのが問題なのか
(アムステルダムには障害者専門の売春婦がいるとのこと)
障害者がタダで、または自分の金でセックスするのは構わないけど、
障害者がセックスすることに社会サービスの費用を使うことが問題なのか、
買春に社会サービスの費用を使うことが問題なのか、
それが海外というのは贅沢だという問題なのか、
それとも、そもそも5億2000万ポンドという金額が
納税者が高齢者と障害者の社会サービスのために出してあげる額として気に食わないから
そんな不謹慎かつゼイタクな目的で使われているんだったら
いっそ取り上げてしまおう……という、
一見、障害者のセックスを問題としているようでありながら、
実は全く無関係な問題をみんな考えてみろ……と言外に言われている、ということなのか。
Councils pay for disabled to visit prostitutes and lap-dancing clubs from ₤520m taxpayer fund
The Daily Mail, August 16, 2010
The madness of offering the mentally disabled sex with prostitutes at taxpayers’ expense
The Daily Mail, August 18, 2010
そういえば、コイズミ政権の頃、
日本でも、こういう路線の話を聞いたよなぁ……。
私があの当時あれこれの検討に参加していた人から直接聞いたことがあるのは、
「生活保護を受けている家庭というのは何代にも渡って保護を受け続けていて、
保護で暮らすのが当たり前という感覚がもうライフスタイルになっているから、
その一家では最初から誰も働く気などない。
生活保護に寄生している、そういう家族が結構ある」
有名な重心施設の名前を出し、
「重心施設なんて、子どもにバンバン薬を飲ませて、
ただ眠らせておいて福祉の予算を沢山せしめてボロ儲けしている」
真偽すら分からないし、仮に事実だとしても、
悪質な例外ケースに過ぎない。
しかし、制度が見直され
本当に保護を必要とする人が拒否されたり、
高齢者や母子家庭の保護費が減額されたり、
重心施設全体の経営が圧迫されるような制度変更が行われていく前には、
なるほど、ああいう話が
「みんな、そういう、とんでもない連中なんだ」と言わんばかりに
誇張して流されるものなのだなぁ……ということを私はあの時に学んだ。
きっと、
「それじゃ、私たちは損じゃないか」という不平等感というのは
それほど火をつけやすく、報復感情を呼び寄せやすいものなのだろう。
「あいつらだけ得しやがって。
そんなの、こっちばっかり損じゃないか」という国民感情が芽生えれば、
そこには自ずと「どうにかしろよ」という報復・処罰感情が伴って、
“得している人たち”のための予算が削られることは
不平等や損得の是正に過ぎない、しごく正当なことのように感じられて、
障害者にとって、それは生きていくのに基本的なケアを削られることなのだという事実は
そういう感情を持ってしまった人からは見えにくくなる。
そういえばMencapが連立政権の社会福祉制度改革で
DLA(障害者手当)を打ち切られる人が出ることを心配している。
Reforming the welfare system
Mencap, August 18, 2010
以下のソーシャル・ケアのサイトの掲示板では
ワーカーさんたちの議論もあって、ちゃんと読めば勉強になりそうなのですが、
ここは障害者のセックスの問題を議論させられることそのものが
戦略にまんまと乗せられることになるんじゃないのか、という感じも。
Sex and social work
Care Space – The online community for social care
その掲示板で、障害者と性の問題に詳しい人が、
みんなもっと勉強しろと言って張っていた関連サイトのリンクを、
一応、メモとして以下に。
http://www.outsiders.org.uk/news/sex-workers
www.touchingbase.org/about.html
sexuality.about.com/b/2007/01/19/sex-work-and-disability.htm
sexuality.about.com/b/.../sex-work-and-disability-reconsidered.htm
www.outsiders.org.uk/news/sex-workers
www.field.org.au/events/resources/disability_sexuality/
www.tlc-trust.org.uk/
women.timesonline.co.uk/tol/life_and_style/.../article5716226.ece
www.rsm.ac.uk/academ/sej101.php
www.pickledpolitics.com/archives/6533
www.bbc.co.uk › Home › Features
www.independent.co.uk › News › UK › This Britain
www.zoomerang.com/Survey/WEB228BX3BZR3X
www.informaworld.com/index/780900864.pdf
2010.08.21 / Top↑
首都キャンベラ在住の、
知的障害のある75歳の男性 Allan McFarlaneさんは
去年5月に癌の疑いが濃厚で、2週間以内に手術することになると告げられた。
しかし1年たっても腎臓にステントを挿入する手術も生体検査も待機状態のまま。
ついに先月、McFarlaneさんとガーディアンのFay Arroldさんは
その状況をメディアに訴えた。
Canberra Timesの報道は政治論争を巻き起こし、
即座に手術の予定が組まれた。
月曜日の手術では麻酔があまり効かず、
回復もしんどいものだったが、
21年間、Dicksonのお店でボランティアとして働き、
客から「Dicksonの市長」と呼ばれ親しまれてきた笑顔が、やっとMcFarlaneさんに戻ってきた。
退院後はArroldさんの自宅で療養している。
Arroldさんは1978年にMcFarlaneさんの父親が亡くなって以来
ずっとMcFarlaneさんのケアをしてきた人。
生検の結果は数週間後になるのだとか。
他にも、30日以内に手術が必要なカテゴリー1の緊急度と診断された
前立腺がんの患者さんが、なかなか受けられないので問い合わせたら
カテゴリー2a に格下げされていた、という話もあり、
選択的手術を始めとする治療の待機患者リストを
監査当局が調査することに。
英国のNHSに当たる、首都圏のACT Healthの方で
医師の決めたカテゴリーを勝手に捜査しているのでは、との疑いが浮上しているが、
一方には、自分の患者を待たせないために、
それほど深刻でない病状でもカテゴリー1として届ける医師も後を絶たないという指摘も。
Mayor gets his day in surgery, at last
The Canberra Times, July 1, 2010
記事全体としては、
医療が崩壊しつつあり、長い待機期間が当たり前になってしまった
オーストラリアの医療の一般的な問題として書かれてはいるのですが、
McFarlaneさんのケースで、
知的障害があるから1年も待たされて、なお放置されていたのか、
それとも障害とは無関係だったのかがはっきりしません。
しかし、手術時に麻酔が効かなかったという点も、
回復過程がラフだった(困難だった、辛かった)という記述も、
私は個人的に、ものすごく気がかりでした。
私自身、日本の総合病院の外科の直接体験として、
娘が重症児で「痛い」と言えないというだけで
本人は目でも音声でも必死に訴えていたし、
親も施設の医師や看護師も一緒に訴えていたにもかかわらず、
腸ねん転の手術の後、痛み止めの座薬を入れてもらえなかったことが
いまだに大きなトラウマとなっています。
また、英国では知的障害者のアドボケイトMencapの訴えで医療オンブズマンが調査に入り、
医療現場の無知、無理解によって、死ななくてもよかった知的障害者が
死に至ったケースが認められ、改善が勧告されました。
ウチの娘の体験と、非常に似通った事情のケースでした。
(詳細は以下のエントリーに。)
まさか、障害児・者だから「治療しなくてもいい」とか
「痛みがあろうと放っておいて苦しませておけばいい」という意識があるのだとしたら、
それは障害者差別というよりは、非人道的な残虐行為――。
【関連エントリー】
「医療における障害への偏見が死につながった」オンブズマンが改善を勧告(2009/3/31)
オンブズマン報告書を読んでみた:知的障害者に対する医療ネグレクト
Markのケース:知的障害者への偏見による医療過失
Martinのケース:知的障害者への偏見による医療過失
(ウチの娘の体験については「Markのケース」のエントリー後半に)
知的障害のある75歳の男性 Allan McFarlaneさんは
去年5月に癌の疑いが濃厚で、2週間以内に手術することになると告げられた。
しかし1年たっても腎臓にステントを挿入する手術も生体検査も待機状態のまま。
ついに先月、McFarlaneさんとガーディアンのFay Arroldさんは
その状況をメディアに訴えた。
Canberra Timesの報道は政治論争を巻き起こし、
即座に手術の予定が組まれた。
月曜日の手術では麻酔があまり効かず、
回復もしんどいものだったが、
21年間、Dicksonのお店でボランティアとして働き、
客から「Dicksonの市長」と呼ばれ親しまれてきた笑顔が、やっとMcFarlaneさんに戻ってきた。
退院後はArroldさんの自宅で療養している。
Arroldさんは1978年にMcFarlaneさんの父親が亡くなって以来
ずっとMcFarlaneさんのケアをしてきた人。
生検の結果は数週間後になるのだとか。
他にも、30日以内に手術が必要なカテゴリー1の緊急度と診断された
前立腺がんの患者さんが、なかなか受けられないので問い合わせたら
カテゴリー2a に格下げされていた、という話もあり、
選択的手術を始めとする治療の待機患者リストを
監査当局が調査することに。
英国のNHSに当たる、首都圏のACT Healthの方で
医師の決めたカテゴリーを勝手に捜査しているのでは、との疑いが浮上しているが、
一方には、自分の患者を待たせないために、
それほど深刻でない病状でもカテゴリー1として届ける医師も後を絶たないという指摘も。
Mayor gets his day in surgery, at last
The Canberra Times, July 1, 2010
記事全体としては、
医療が崩壊しつつあり、長い待機期間が当たり前になってしまった
オーストラリアの医療の一般的な問題として書かれてはいるのですが、
McFarlaneさんのケースで、
知的障害があるから1年も待たされて、なお放置されていたのか、
それとも障害とは無関係だったのかがはっきりしません。
しかし、手術時に麻酔が効かなかったという点も、
回復過程がラフだった(困難だった、辛かった)という記述も、
私は個人的に、ものすごく気がかりでした。
私自身、日本の総合病院の外科の直接体験として、
娘が重症児で「痛い」と言えないというだけで
本人は目でも音声でも必死に訴えていたし、
親も施設の医師や看護師も一緒に訴えていたにもかかわらず、
腸ねん転の手術の後、痛み止めの座薬を入れてもらえなかったことが
いまだに大きなトラウマとなっています。
また、英国では知的障害者のアドボケイトMencapの訴えで医療オンブズマンが調査に入り、
医療現場の無知、無理解によって、死ななくてもよかった知的障害者が
死に至ったケースが認められ、改善が勧告されました。
ウチの娘の体験と、非常に似通った事情のケースでした。
(詳細は以下のエントリーに。)
まさか、障害児・者だから「治療しなくてもいい」とか
「痛みがあろうと放っておいて苦しませておけばいい」という意識があるのだとしたら、
それは障害者差別というよりは、非人道的な残虐行為――。
【関連エントリー】
「医療における障害への偏見が死につながった」オンブズマンが改善を勧告(2009/3/31)
オンブズマン報告書を読んでみた:知的障害者に対する医療ネグレクト
Markのケース:知的障害者への偏見による医療過失
Martinのケース:知的障害者への偏見による医療過失
(ウチの娘の体験については「Markのケース」のエントリー後半に)
2010.07.01 / Top↑