自殺幇助合法化に向かってまっしぐら……とすら思えるカナダで、Calgary Heraldが「殺される権利なんかない」と勇気ある社説を書いている。:カナダのメディアだって、まだすべてが「あちら側」にとりこまれてしまったわけではない。拍手。
http://www.calgaryherald.com/opinion/Editorial+right+killed/5740036/story.html?cid=megadrop_story
カナダの Rasouli事件をめぐって、「終末期の医療の決定権は医師にあるのか」と問う弁護士のブログ記事。
http://www.estatelawcanada.ca/end-of-life-decisions-%E2%80%93-do-doctors-have-the-right-to-decide/
【Rasouli裁判関連エントリー】
「“治療停止”も“治療”だから同意は必要」とOntario上位裁判所
「患者に選択や同意させてて医療がやってられるか」Razouli裁判続報(2011/5/19)
2011年8月12日の補遺(Rasouli訴訟、最高裁へ)
英国の訪問介護が15分とされていることについて「短すぎて十分なケアが出来ていない」との批判。:日本でも24時間訪問巡回で15分が一つの目安とされているみたいなので、ちょっと気になる記事。
http://www.guardian.co.uk/commentisfree/2011/nov/20/old-disabled-trapped-social-care?newsfeed=true
韓国の夫婦が、ネット上でヴァーチャルな子育てに熱中するあまり、現実の1歳の我が子の世話を放棄して餓死させるという事件が起こっている。
http://www.guardian.co.uk/world/2010/mar/05/korean-girl-starved-online-game?CMP=EMCNEWEML1355
19日の補遺で拾ったシドニーの職員によるナーシング・ホーム放火(5人死亡、31人が負傷)事件の詳細。
http://www.dailymail.co.uk/news/article-2062950/Sydney-nursing-home-Carer-Roger-Dean-charged-5-die-31-injured.html
http://www.calgaryherald.com/opinion/Editorial+right+killed/5740036/story.html?cid=megadrop_story
カナダの Rasouli事件をめぐって、「終末期の医療の決定権は医師にあるのか」と問う弁護士のブログ記事。
http://www.estatelawcanada.ca/end-of-life-decisions-%E2%80%93-do-doctors-have-the-right-to-decide/
【Rasouli裁判関連エントリー】
「“治療停止”も“治療”だから同意は必要」とOntario上位裁判所
「患者に選択や同意させてて医療がやってられるか」Razouli裁判続報(2011/5/19)
2011年8月12日の補遺(Rasouli訴訟、最高裁へ)
英国の訪問介護が15分とされていることについて「短すぎて十分なケアが出来ていない」との批判。:日本でも24時間訪問巡回で15分が一つの目安とされているみたいなので、ちょっと気になる記事。
http://www.guardian.co.uk/commentisfree/2011/nov/20/old-disabled-trapped-social-care?newsfeed=true
韓国の夫婦が、ネット上でヴァーチャルな子育てに熱中するあまり、現実の1歳の我が子の世話を放棄して餓死させるという事件が起こっている。
http://www.guardian.co.uk/world/2010/mar/05/korean-girl-starved-online-game?CMP=EMCNEWEML1355
19日の補遺で拾ったシドニーの職員によるナーシング・ホーム放火(5人死亡、31人が負傷)事件の詳細。
http://www.dailymail.co.uk/news/article-2062950/Sydney-nursing-home-Carer-Roger-Dean-charged-5-die-31-injured.html
2011.11.21 / Top↑
前のエントリーの続きです。
② Katherineのケース
ケースの概要は以下。
妊娠32週目の出産。1680グラム。
早産による呼吸障害で
生後4日目まで人工呼吸器、その後4日間鼻チューブ。
その後も夜間無呼吸症候群。腸ろうによる栄養摂取。
生後25日目に腹腔内出血。
開腹により、腹腔内に後半に広がった悪性腫瘍を認めるも、
切除は不能と判断し、閉じる。
その病院の小児がんの専門家の診断では余命は2カ月程度。
長期生存の例はなく、抗がん剤に効果は見込めず、むしろ出欠を悪化させる。
別施設の小児がん専門医の意見を聞くも、同じ診断。
両親は病院側の説明を納得し抗がん剤治療の差し控えに同意した。
しかし病院が提案したDNR指定は拒否し、少しでも長く生きさせてほしいと
人工呼吸器の装着と心肺蘇生(CPR)を求めた。
その後、3週間に渡ってKatherineの様態は悪化し続け、
アグレッシブな鎮痛剤投与にも関わらず、本人が苦しむことが増える。
病院は人工呼吸器の取り外しを提案するが両親は拒否。
新生児医が何度もDNR指定を勧めるが、
両親はそのたびに蘇生の手を尽くしてほしいと希望。
ローテーションで診察した別の新生児医が倫理委員会の検討を求める。
倫理委はまず、両親と両親が同席を求めた母方の祖母を交え、
さらにNICUの看護師らも同席の上で約1時間の話し合いの場をもつ。
看護師らはKatherineが顔をしかめるなど苦痛の表情を見せることから
彼女のケアを続けることに「道徳的な苦悩」を感じていると口々に表明。
こうした場をもつことが、この話し合いの主な目的の一つでもあった。
両親と祖母は熱心なキリスト教徒としての立場から
奇跡を信じて、少しでも長く生きさせてほしいと重ねて要望。
医療サイドはCPRは効果がなく本人の利益にならないため
全員がCPRは倫理的に適切ではないとの立場。
むしろ、ろっ骨骨折のリスクなどCPRは本人の苦痛となる、
抗がん剤の差し控えと同じように考えられないかと説得を試みるが
両親と祖母の考えは変わらなかった。
その後、倫理委のみで検討。
まず、無益性を根拠に医師が治療を拒否することの倫理的正当性について
近年、疑いが投げかけられている'''。その根拠とされているのは、
治療の無益性の根拠としてどれだけのデータが必要とされるかが曖昧、
医師によっては無益性概念を不当に濫用している懸念がある、など。
しかし、このケースはそのいずれでもない、極端なケースであり無益性が明らか。
それでは蘇生はともかく、痛み止めの使用についてはどうか。
全員が、死を早めることになってもアグレッシブに使用することを是とする立場。
では親の決定権は?
本人への負担が大きすぎて利益がないことでクリアできる。
などと議論が進む中で、
このケースでの問題は、実は意外なところにあったことが炙り出される。
最初に当直医がDNR指定を提案した際に、
DNR指定をするかしないかの選択が両親に提示されたことになった。それは同時に
明らかに効果のないCPRをするかしないかの選択まで親に提示されてしまったこと、
その提示によってCPRに効果があるかのように思わせてしまったを意味する。
このケースの本当の問題はそこにあった。
以後、CPRの効果があるかどうかが
まず新生児科内または倫理委で検討されるべき必要が確認されたが
それは今後のこととなる。このケースではどうするか。
両親を納得させるために、形だけの蘇生をやって見せる slow code はどうか?
いや、それは正直な医療ではないだろう、とこれは却下。
最終的に倫理委の勧告は
本人への利益がなく負担が大きすぎるためCPRは倫理的に妥当ではない。
この勧告でも両親が意思を変えない場合は、医療チームは
病院が定めるConscientious Practice Policy (良心的医療の方針 CPP)に基づく
所定の手続きによって行動する、というもの。
CPPは米国医師会の勧告によって意見の衝突時の手続きを病院ごとに定めたもので
医療職に法的な保護を提供するものではないが、
転院やセカンドオピニオンなどが盛り込まれている。
両親はこの通知を受けても、CPRを求める気持ちを変えなかったが
法的な措置まではとらなかった。
Katherineは倫理委から7日後に死亡。
蘇生は行われなかった。
-----------
2つのケースを元に、
「ほら、こんなふうに倫理委はNICUでの"無益な治療"争議で役割を果たせるでしょ」と説かれても……
だって、それって、言いたいことを言いやすくするために都合よく選んで持ってきた
分かりやすくて、でき過ぎのケースじゃないの……と思ってしまう。
倫理委が必ずこれだけのクオリティの丁寧で良心的な検討をすることが
一体どうやって保証されると――?
著者のMercurio医師自身、Katherinのケースについて書いた部分の冒頭で
無益性概念を不当に振りかざす医師がいることについて言及している。
病院の文化によっては個々の医師どころか倫理委が
不当に振りかざすことだって、ないとは言えないのでは?
実際、カナダでは、その危うさを痛感させる事件が同じ病院で相次いで起こっている。
(文末に2つの事件の関連エントリーをリンク)
それに、この著者はDiekema医師の害原則を引用しているけど、
そのDiekemaが主導した、あのAshley事件を知らないのかな?
倫理委がいかに危うい正当化装置として機能し得るか、
ちょいと、あの事件の資料を読んで考えてみたらいいのに――。
【Kaylee事件関連エントリー】
心臓病の子の父に「うちの子の心臓をあげる」と約束してヒーローになった父、呼吸器を外しても生きる我が子に困惑(再掲)(2009/6/19)
Kaylee事件について障害者人権アドボケイトからプレスリリース(2009/4/14)
Kaylee事件から日本の「心臓が足りないぞ」分数を考えた(2009/4/15)
What Sorts ブログのKaylee事件エントリー(2009/4/15)
【Kaylee事件と同じ病院で起こったFarlow事件関連エントリー】
親が同意する前からDNR指定にされていたAnnie Farlow事件(2009/8/19)
② Katherineのケース
ケースの概要は以下。
妊娠32週目の出産。1680グラム。
早産による呼吸障害で
生後4日目まで人工呼吸器、その後4日間鼻チューブ。
その後も夜間無呼吸症候群。腸ろうによる栄養摂取。
生後25日目に腹腔内出血。
開腹により、腹腔内に後半に広がった悪性腫瘍を認めるも、
切除は不能と判断し、閉じる。
その病院の小児がんの専門家の診断では余命は2カ月程度。
長期生存の例はなく、抗がん剤に効果は見込めず、むしろ出欠を悪化させる。
別施設の小児がん専門医の意見を聞くも、同じ診断。
両親は病院側の説明を納得し抗がん剤治療の差し控えに同意した。
しかし病院が提案したDNR指定は拒否し、少しでも長く生きさせてほしいと
人工呼吸器の装着と心肺蘇生(CPR)を求めた。
その後、3週間に渡ってKatherineの様態は悪化し続け、
アグレッシブな鎮痛剤投与にも関わらず、本人が苦しむことが増える。
病院は人工呼吸器の取り外しを提案するが両親は拒否。
新生児医が何度もDNR指定を勧めるが、
両親はそのたびに蘇生の手を尽くしてほしいと希望。
ローテーションで診察した別の新生児医が倫理委員会の検討を求める。
倫理委はまず、両親と両親が同席を求めた母方の祖母を交え、
さらにNICUの看護師らも同席の上で約1時間の話し合いの場をもつ。
看護師らはKatherineが顔をしかめるなど苦痛の表情を見せることから
彼女のケアを続けることに「道徳的な苦悩」を感じていると口々に表明。
こうした場をもつことが、この話し合いの主な目的の一つでもあった。
両親と祖母は熱心なキリスト教徒としての立場から
奇跡を信じて、少しでも長く生きさせてほしいと重ねて要望。
医療サイドはCPRは効果がなく本人の利益にならないため
全員がCPRは倫理的に適切ではないとの立場。
むしろ、ろっ骨骨折のリスクなどCPRは本人の苦痛となる、
抗がん剤の差し控えと同じように考えられないかと説得を試みるが
両親と祖母の考えは変わらなかった。
その後、倫理委のみで検討。
まず、無益性を根拠に医師が治療を拒否することの倫理的正当性について
近年、疑いが投げかけられている'''。その根拠とされているのは、
治療の無益性の根拠としてどれだけのデータが必要とされるかが曖昧、
医師によっては無益性概念を不当に濫用している懸念がある、など。
しかし、このケースはそのいずれでもない、極端なケースであり無益性が明らか。
それでは蘇生はともかく、痛み止めの使用についてはどうか。
全員が、死を早めることになってもアグレッシブに使用することを是とする立場。
では親の決定権は?
本人への負担が大きすぎて利益がないことでクリアできる。
などと議論が進む中で、
このケースでの問題は、実は意外なところにあったことが炙り出される。
最初に当直医がDNR指定を提案した際に、
DNR指定をするかしないかの選択が両親に提示されたことになった。それは同時に
明らかに効果のないCPRをするかしないかの選択まで親に提示されてしまったこと、
その提示によってCPRに効果があるかのように思わせてしまったを意味する。
このケースの本当の問題はそこにあった。
以後、CPRの効果があるかどうかが
まず新生児科内または倫理委で検討されるべき必要が確認されたが
それは今後のこととなる。このケースではどうするか。
両親を納得させるために、形だけの蘇生をやって見せる slow code はどうか?
いや、それは正直な医療ではないだろう、とこれは却下。
最終的に倫理委の勧告は
本人への利益がなく負担が大きすぎるためCPRは倫理的に妥当ではない。
この勧告でも両親が意思を変えない場合は、医療チームは
病院が定めるConscientious Practice Policy (良心的医療の方針 CPP)に基づく
所定の手続きによって行動する、というもの。
CPPは米国医師会の勧告によって意見の衝突時の手続きを病院ごとに定めたもので
医療職に法的な保護を提供するものではないが、
転院やセカンドオピニオンなどが盛り込まれている。
両親はこの通知を受けても、CPRを求める気持ちを変えなかったが
法的な措置まではとらなかった。
Katherineは倫理委から7日後に死亡。
蘇生は行われなかった。
-----------
2つのケースを元に、
「ほら、こんなふうに倫理委はNICUでの"無益な治療"争議で役割を果たせるでしょ」と説かれても……
だって、それって、言いたいことを言いやすくするために都合よく選んで持ってきた
分かりやすくて、でき過ぎのケースじゃないの……と思ってしまう。
倫理委が必ずこれだけのクオリティの丁寧で良心的な検討をすることが
一体どうやって保証されると――?
著者のMercurio医師自身、Katherinのケースについて書いた部分の冒頭で
無益性概念を不当に振りかざす医師がいることについて言及している。
病院の文化によっては個々の医師どころか倫理委が
不当に振りかざすことだって、ないとは言えないのでは?
実際、カナダでは、その危うさを痛感させる事件が同じ病院で相次いで起こっている。
(文末に2つの事件の関連エントリーをリンク)
それに、この著者はDiekema医師の害原則を引用しているけど、
そのDiekemaが主導した、あのAshley事件を知らないのかな?
倫理委がいかに危うい正当化装置として機能し得るか、
ちょいと、あの事件の資料を読んで考えてみたらいいのに――。
【Kaylee事件関連エントリー】
心臓病の子の父に「うちの子の心臓をあげる」と約束してヒーローになった父、呼吸器を外しても生きる我が子に困惑(再掲)(2009/6/19)
Kaylee事件について障害者人権アドボケイトからプレスリリース(2009/4/14)
Kaylee事件から日本の「心臓が足りないぞ」分数を考えた(2009/4/15)
What Sorts ブログのKaylee事件エントリー(2009/4/15)
【Kaylee事件と同じ病院で起こったFarlow事件関連エントリー】
親が同意する前からDNR指定にされていたAnnie Farlow事件(2009/8/19)
2011.11.21 / Top↑
前のエントリーの続きです。
Daniel君のケースでの心臓手術について検討された利益は、
① 延命。
② 長らえた命を生きる間に本人が感じる喜び
③ VSDで死ぬと苦しい死になるので、その軽減になる。
④ 親にとって息子が生きることは喜び
⑤ 2人の子どもにとって弟が生きることは喜びでもあり、
重い障害のある子どもの命について学ぶ良い経験にもなる(と親が主張)
この中の④と⑤については
委員の中から「本人ではなく他者の利益である」との指摘があり、
それに対して「家族全体の利益も検討して然り」との意見も。
検討された負担は、
① 手術の痛み
② 手術による合併症のリスク
③ 重い障害のある生が引き延ばされること
④ 2人の子どもにとって重い障害のある弟の存在は負担になる可能性
⑤ 社会にとっての負担
この中の①と②については、軽減できることが確認され、
主たる負担は障害だということになる。
ここでPECは
好きな人を連れて来てよいとの条件で両親にも出席を求め、委員会を開く。
関係者すべてがそれぞれの意見を聞いておくため、
オープンで正直な議論が補償されるため。
なお両親は裕福な専門職で、息子の障害や治療についても
また医療倫理の検討についてもインターネットで詳細情報を身につけている。
そこで両親が語ったことは
ダニエル君への介護支援も兄弟に対して必要な支援も十分に賄えること、
障害は重くとも生きられるだけ生きることが本人のためだと思うこと、
ダニエル君の存在とケアが他の子ども達の教育上も望ましいと思っていること、
ここで拒否されたら別の病院を探して手術してもらう考えであること。
外科医は手術の実施に前向き。
親がいるためか、この段階であからさまな反対意見は出ない。
次に委員会は、委員だけの検討に進むが
そこで出た疑問と議論はたいそう今日的で興味深い。
「公平な医療資源の分配という観点から、この手術はどうなのか、
それだけの費用を他に回せば、もっと多くの子どもの命を救うことができるのでは?」
との疑問が上がり、
それに対して議論の末のPECの結論は
「通常、どの患者でも医療判断は本人のニーズと利益に基づいて行われており、
この患者だけに別基準を適用するのは公平ではないので、このケースでも
患者本人のニーズと利益胃の検討のみによって判断する」というもの。
最終的に、PECは利益と負担を明確に把握することは困難だとして、
本人利益については親の判断を良しとすることになった。
Daniel君の手術は行われ、
彼は現在4歳。自宅で暮らしている。
--------------
このケースを読んで私が思ったこととしては、
・この論文のケース報告以前の倫理委そのものについての概要説明の部分でも触れられているけど、
倫理委の議論がどういう姿勢のものになるかは、なるほど委員長の姿勢に左右されるんだな、と。
・負担の⑤として挙げられた「社会への負担」について
どのように検討されたのかを論文は個別に言及していないのだけれど、
裕福で介護費用を賄える親だったから手術が認められた、というのは明らかだし、
・じゃぁ、親が裕福でなかった場合に認められない可能性があるとしたら、その異なった結論は、
この一連の議論のリスク利益の比較考量や公平性に関する部分とどのように整合し、
どのように正当化されるのか?
・そもそも倫理委の最善の利益検討で「社会への負担」が指摘されることそのものが
「障害児・者の存在は社会への負担」だという認識が共有されていることを物語っている。
この論文は、
倫理委が良心的かつ模範的な検討を行ったケースとしてDaniel君のケースを紹介し、
「無益な治療」判断で倫理委が役割を果たせると主張していると思われるのだけれど、
病院内倫理委員会という装置そのものがそうした優生思想を織り込んでいること自体、
それって、どうなの?
・もしも社会全体に「障害児・者の存在は社会への負担だ」という認識が
いまだに一般的なものとして受け入れられていないのに
医療倫理においてのみ織り込まれてしまうとしたら、
倫理委員会の検討は、それを問うところから始まるべきなのでは?
・NICUでの「無益な治療」判断をめぐって病院内倫理委に大きな機能を持たせようとするのは
結局はTruogがGlubchuk事件で言っていたように
医療の価値意識の中で重症障害のある子どもの治療やQOLを云々するだけ、
結局、医療の価値意識のなかでの「良心的かつ模範的」でしかないし、
それですら倫理の検討の質を保障するすべがないわけだから
思考停止による機械的「すべり坂」が起こる懸念は払しょくできないし、
そうなれば、倫理委は結局、
メディカル・コントロールの正当化装置にしかならないのでは?
――――――
また、Ashley事件に関連して考えたこととして、
① 親を倫理委の会合に出させて、自分たちの主張について説明させることそのものは
さほど特例的なことではないのかもしれない。
もっとも、
親にパワーポイントを使ったプレゼンまでさせるかどうかはまた別問題だろうし、
しかも倫理的に問題のある療法を親が提案したからといって、そういう場を設けるのも別問題で、
Ashley事件の場合には他の諸々の状況から、やっぱり「特例」としか思えないのではあるけど。
② それにしても、アシュリー事件の04年の倫理委の議論には
この論文に報告されているような論理的な段階を踏んで行われたエビデンスが全く出てこない。
③ とりわけ、その後の正当化において
リスク・ベネフィット検証の中で何が議論されたかが
このように具体的に説明されたことがないことの異様さを改めて痛感させられる。
④ Diekema医師も、こうした論文に引用されるほどの生命倫理学者なら
あの04年の倫理委の議論の内容について、これくらい具体的な報告を出してみたらどうよ、
と、またも考えるし、
それだけの学者にして、それができないこと自体が
十分な倫理検討が行われなかったことを自ら認めるに等しいではないか、とも、改めて強く思う。
もう1つのケースについて次のエントリーに続きます。
Daniel君のケースでの心臓手術について検討された利益は、
① 延命。
② 長らえた命を生きる間に本人が感じる喜び
③ VSDで死ぬと苦しい死になるので、その軽減になる。
④ 親にとって息子が生きることは喜び
⑤ 2人の子どもにとって弟が生きることは喜びでもあり、
重い障害のある子どもの命について学ぶ良い経験にもなる(と親が主張)
この中の④と⑤については
委員の中から「本人ではなく他者の利益である」との指摘があり、
それに対して「家族全体の利益も検討して然り」との意見も。
検討された負担は、
① 手術の痛み
② 手術による合併症のリスク
③ 重い障害のある生が引き延ばされること
④ 2人の子どもにとって重い障害のある弟の存在は負担になる可能性
⑤ 社会にとっての負担
この中の①と②については、軽減できることが確認され、
主たる負担は障害だということになる。
ここでPECは
好きな人を連れて来てよいとの条件で両親にも出席を求め、委員会を開く。
関係者すべてがそれぞれの意見を聞いておくため、
オープンで正直な議論が補償されるため。
なお両親は裕福な専門職で、息子の障害や治療についても
また医療倫理の検討についてもインターネットで詳細情報を身につけている。
そこで両親が語ったことは
ダニエル君への介護支援も兄弟に対して必要な支援も十分に賄えること、
障害は重くとも生きられるだけ生きることが本人のためだと思うこと、
ダニエル君の存在とケアが他の子ども達の教育上も望ましいと思っていること、
ここで拒否されたら別の病院を探して手術してもらう考えであること。
外科医は手術の実施に前向き。
親がいるためか、この段階であからさまな反対意見は出ない。
次に委員会は、委員だけの検討に進むが
そこで出た疑問と議論はたいそう今日的で興味深い。
「公平な医療資源の分配という観点から、この手術はどうなのか、
それだけの費用を他に回せば、もっと多くの子どもの命を救うことができるのでは?」
との疑問が上がり、
それに対して議論の末のPECの結論は
「通常、どの患者でも医療判断は本人のニーズと利益に基づいて行われており、
この患者だけに別基準を適用するのは公平ではないので、このケースでも
患者本人のニーズと利益胃の検討のみによって判断する」というもの。
最終的に、PECは利益と負担を明確に把握することは困難だとして、
本人利益については親の判断を良しとすることになった。
Daniel君の手術は行われ、
彼は現在4歳。自宅で暮らしている。
--------------
このケースを読んで私が思ったこととしては、
・この論文のケース報告以前の倫理委そのものについての概要説明の部分でも触れられているけど、
倫理委の議論がどういう姿勢のものになるかは、なるほど委員長の姿勢に左右されるんだな、と。
・負担の⑤として挙げられた「社会への負担」について
どのように検討されたのかを論文は個別に言及していないのだけれど、
裕福で介護費用を賄える親だったから手術が認められた、というのは明らかだし、
・じゃぁ、親が裕福でなかった場合に認められない可能性があるとしたら、その異なった結論は、
この一連の議論のリスク利益の比較考量や公平性に関する部分とどのように整合し、
どのように正当化されるのか?
・そもそも倫理委の最善の利益検討で「社会への負担」が指摘されることそのものが
「障害児・者の存在は社会への負担」だという認識が共有されていることを物語っている。
この論文は、
倫理委が良心的かつ模範的な検討を行ったケースとしてDaniel君のケースを紹介し、
「無益な治療」判断で倫理委が役割を果たせると主張していると思われるのだけれど、
病院内倫理委員会という装置そのものがそうした優生思想を織り込んでいること自体、
それって、どうなの?
・もしも社会全体に「障害児・者の存在は社会への負担だ」という認識が
いまだに一般的なものとして受け入れられていないのに
医療倫理においてのみ織り込まれてしまうとしたら、
倫理委員会の検討は、それを問うところから始まるべきなのでは?
・NICUでの「無益な治療」判断をめぐって病院内倫理委に大きな機能を持たせようとするのは
結局はTruogがGlubchuk事件で言っていたように
医療の価値意識の中で重症障害のある子どもの治療やQOLを云々するだけ、
結局、医療の価値意識のなかでの「良心的かつ模範的」でしかないし、
それですら倫理の検討の質を保障するすべがないわけだから
思考停止による機械的「すべり坂」が起こる懸念は払しょくできないし、
そうなれば、倫理委は結局、
メディカル・コントロールの正当化装置にしかならないのでは?
――――――
また、Ashley事件に関連して考えたこととして、
① 親を倫理委の会合に出させて、自分たちの主張について説明させることそのものは
さほど特例的なことではないのかもしれない。
もっとも、
親にパワーポイントを使ったプレゼンまでさせるかどうかはまた別問題だろうし、
しかも倫理的に問題のある療法を親が提案したからといって、そういう場を設けるのも別問題で、
Ashley事件の場合には他の諸々の状況から、やっぱり「特例」としか思えないのではあるけど。
② それにしても、アシュリー事件の04年の倫理委の議論には
この論文に報告されているような論理的な段階を踏んで行われたエビデンスが全く出てこない。
③ とりわけ、その後の正当化において
リスク・ベネフィット検証の中で何が議論されたかが
このように具体的に説明されたことがないことの異様さを改めて痛感させられる。
④ Diekema医師も、こうした論文に引用されるほどの生命倫理学者なら
あの04年の倫理委の議論の内容について、これくらい具体的な報告を出してみたらどうよ、
と、またも考えるし、
それだけの学者にして、それができないこと自体が
十分な倫理検討が行われなかったことを自ら認めるに等しいではないか、とも、改めて強く思う。
もう1つのケースについて次のエントリーに続きます。
2011.11.21 / Top↑
17日の補遺で拾ったMedical Futility Blogの記事で紹介されていた
NICUでの“無益な治療”判断において倫理委の役割を提唱する論文。
The role of a pediatric ethics committee in the newborn intensive care unit
M.R. Mercurio, Department of Pediatric, Yale Pediatric Ethics Program,
Journal of Perinatology (2911) 31, 1-9
全文がウェブで読めます。
アブストラクトは以下。
Institutional Ethics Committees are commonly available in hospitals with newborn intensive care units, and may serve as a valuable resource for staff and parents dealing with difficult ethical decisions. Many clinicians may be unaware of when the committee might be helpful, or how it functions. After a brief historical introduction, two cases are presented as illustrations of pediatric ethics committee function. The first involves consideration of cardiac surgery for an infant with ventricular septal defect and Trisomy 13. The second involves disagreement between staff and parents regarding possible provision of cardio-pulmonary resuscitation in a terminally ill newborn. Principles and considerations often brought to bear in committee deliberations are reviewed for each case. Neonatologists, staff and families should be aware of this potentially valuable resource, and are encouraged to use it for situations of moral distress, conflict resolution or ethical uncertainty.
以下の2つのケースが紹介されており、
① トリソミー13の新生児Danielの心臓手術。
② 未熟児で生まれて呼吸障害のある新生児Katherineに腹腔内に広がったがんが見つかり、
両親の蘇生希望に反して倫理委がDNR指定を勧告。
Danielのケースについてこれから2つ、Katherineのケースについて1つ、
計3つのエントリー・シリーズで取りまとめてみます。
---------------
①Danielのケース。
概要は以下。
妊娠38週で2300グラムで生まれた男児 Danielくん。
トリソミー13と、心室中隔欠損症(VSD)があったため、
両親は予後が非常に悪く乳児の内に死ぬだろうと説明を受けた。
ここで非常に気になる表現があって、
They were offered termination of the pregnancy but declined.
過去完了になっていないし文脈からしても、これは生まれた後のことのはずなので
生まれてきて障害が分かったら「妊娠中絶」ということにして死なせましょうか、と
問われて、それを両親が断ったということでは……?
Daniel くんはNICUへ。
生後4週間目くらいから呼吸が怪しくなってきたので
医師はVSDの子どもはだいたいこういう転機をたどって亡くなることが多いと両親に説明。
両親は心臓の手術を望んだ。
この病院では
VSDを伴うトリソミー13の障害児には緩和ケアのみで
手術も行わないし呼吸器装着などの積極的な治療も行わないのがスタンダードで
これまでトリソミー13の子どもに心臓手術は行ったことがなかったため、
インターネットで詳細な情報収集をした上での両親の強い希望を受けて
担当医は病院の小児科倫理委員会(PEC)に検討を依頼した。
PECがまず重要視したのは判断の根拠となるデータの信頼性。
「トリソミー13の子どもは生後1年以内に死ぬことが多い」とされているのは
そもそも治療されないからではないのか。治療した場合の生存率はどうなのか。
そこで調べてみたところ、データからは治療すれば延命できるケースもあると思われた。
では「延命できるとして、その場合の障害の重さはどの程度になるのか」。
私はこのケースで最も興味深い点の一つだと思うのだけど、
ここでPECはトリソミー13の子どもの親の会の情報にインターネットで当たっている。
すると、中には
周囲で起こることが分かり喜びや幸せを感じていると見える子ども、
他者と関わりをもったり、ごく基本的な言葉を話すことができる子どもまでいた。
そこで、PECは遺伝学の専門家に、これらが事実かどうかの確認を求める。
この専門家の答えが、これまた私には非常に興味深いのだけれど、
「トリソミー13の子どもが言葉を喋ったという話は聞いたことがあるが
自分自身はそういうケースは知らない。
この子は周りのことが分かっているしやりとりもできるという親はいるが、
自分はそれが事実かどうか分からない」。
PECは次に「親の決定権」と「子どもの最善の利益」との相克について検討する。
小児科医療では「親の決定権」が重視されるが、かといって絶対的なものではない。
子どもの最善の利益に反する場合にはその判断が親の決定権を凌いでしかり。
ここで参照されるのが、これまた興味深いことに
我らが倫理学者Douglas Diekemaの「最善の利益よりも害原則」説。
しかし、これは親が治療を拒否している場合の話なので、
親が希望し主治医もやってよいと言っているこのケースにはそぐわない。
PECはDaniel君の手術について
「単にスタンダードだからやらないということでもいけないし
単に親が希望しているからやるということでもいけない」とのスタンスを確認。
そこまでを抑えた上で、PECの議論は最終的に
手術が本人にもたらす利益と負担(害)の比較考量へと進む。
次のエントリーに続きます。
【Diekema医師の「害原則」関連エントリー】
「最善の利益」否定するDiekema医師(前)(2007/12/29)
「最善の利益」否定するDiekema医師(後)(2007/12/29)
Quellette論文(09)2:Diekemaの「害原則」(2011/6/22) (QuelletteはOuelletteの間違いです)
エントリーにしたばかりのDiekemaの「害原則」に新ヴァージョン登場(2011/6/23)
NICUでの“無益な治療”判断において倫理委の役割を提唱する論文。
The role of a pediatric ethics committee in the newborn intensive care unit
M.R. Mercurio, Department of Pediatric, Yale Pediatric Ethics Program,
Journal of Perinatology (2911) 31, 1-9
全文がウェブで読めます。
アブストラクトは以下。
Institutional Ethics Committees are commonly available in hospitals with newborn intensive care units, and may serve as a valuable resource for staff and parents dealing with difficult ethical decisions. Many clinicians may be unaware of when the committee might be helpful, or how it functions. After a brief historical introduction, two cases are presented as illustrations of pediatric ethics committee function. The first involves consideration of cardiac surgery for an infant with ventricular septal defect and Trisomy 13. The second involves disagreement between staff and parents regarding possible provision of cardio-pulmonary resuscitation in a terminally ill newborn. Principles and considerations often brought to bear in committee deliberations are reviewed for each case. Neonatologists, staff and families should be aware of this potentially valuable resource, and are encouraged to use it for situations of moral distress, conflict resolution or ethical uncertainty.
以下の2つのケースが紹介されており、
① トリソミー13の新生児Danielの心臓手術。
② 未熟児で生まれて呼吸障害のある新生児Katherineに腹腔内に広がったがんが見つかり、
両親の蘇生希望に反して倫理委がDNR指定を勧告。
Danielのケースについてこれから2つ、Katherineのケースについて1つ、
計3つのエントリー・シリーズで取りまとめてみます。
---------------
①Danielのケース。
概要は以下。
妊娠38週で2300グラムで生まれた男児 Danielくん。
トリソミー13と、心室中隔欠損症(VSD)があったため、
両親は予後が非常に悪く乳児の内に死ぬだろうと説明を受けた。
ここで非常に気になる表現があって、
They were offered termination of the pregnancy but declined.
過去完了になっていないし文脈からしても、これは生まれた後のことのはずなので
生まれてきて障害が分かったら「妊娠中絶」ということにして死なせましょうか、と
問われて、それを両親が断ったということでは……?
Daniel くんはNICUへ。
生後4週間目くらいから呼吸が怪しくなってきたので
医師はVSDの子どもはだいたいこういう転機をたどって亡くなることが多いと両親に説明。
両親は心臓の手術を望んだ。
この病院では
VSDを伴うトリソミー13の障害児には緩和ケアのみで
手術も行わないし呼吸器装着などの積極的な治療も行わないのがスタンダードで
これまでトリソミー13の子どもに心臓手術は行ったことがなかったため、
インターネットで詳細な情報収集をした上での両親の強い希望を受けて
担当医は病院の小児科倫理委員会(PEC)に検討を依頼した。
PECがまず重要視したのは判断の根拠となるデータの信頼性。
「トリソミー13の子どもは生後1年以内に死ぬことが多い」とされているのは
そもそも治療されないからではないのか。治療した場合の生存率はどうなのか。
そこで調べてみたところ、データからは治療すれば延命できるケースもあると思われた。
では「延命できるとして、その場合の障害の重さはどの程度になるのか」。
私はこのケースで最も興味深い点の一つだと思うのだけど、
ここでPECはトリソミー13の子どもの親の会の情報にインターネットで当たっている。
すると、中には
周囲で起こることが分かり喜びや幸せを感じていると見える子ども、
他者と関わりをもったり、ごく基本的な言葉を話すことができる子どもまでいた。
そこで、PECは遺伝学の専門家に、これらが事実かどうかの確認を求める。
この専門家の答えが、これまた私には非常に興味深いのだけれど、
「トリソミー13の子どもが言葉を喋ったという話は聞いたことがあるが
自分自身はそういうケースは知らない。
この子は周りのことが分かっているしやりとりもできるという親はいるが、
自分はそれが事実かどうか分からない」。
PECは次に「親の決定権」と「子どもの最善の利益」との相克について検討する。
小児科医療では「親の決定権」が重視されるが、かといって絶対的なものではない。
子どもの最善の利益に反する場合にはその判断が親の決定権を凌いでしかり。
ここで参照されるのが、これまた興味深いことに
我らが倫理学者Douglas Diekemaの「最善の利益よりも害原則」説。
しかし、これは親が治療を拒否している場合の話なので、
親が希望し主治医もやってよいと言っているこのケースにはそぐわない。
PECはDaniel君の手術について
「単にスタンダードだからやらないということでもいけないし
単に親が希望しているからやるということでもいけない」とのスタンスを確認。
そこまでを抑えた上で、PECの議論は最終的に
手術が本人にもたらす利益と負担(害)の比較考量へと進む。
次のエントリーに続きます。
【Diekema医師の「害原則」関連エントリー】
「最善の利益」否定するDiekema医師(前)(2007/12/29)
「最善の利益」否定するDiekema医師(後)(2007/12/29)
Quellette論文(09)2:Diekemaの「害原則」(2011/6/22) (QuelletteはOuelletteの間違いです)
エントリーにしたばかりのDiekemaの「害原則」に新ヴァージョン登場(2011/6/23)
2011.11.21 / Top↑
自殺幇助合法化をめぐる住民投票に向け、署名活動が進むマサチューセッツ州で、ショッピング・モールなどで「ターミナルな人への思いやりを」などと曖昧な文言での署名活動が行われているらしい。
http://www.thebostonpilot.com/article.asp?ID=14014
NY大学のDiane Ravitch教授が、成果主義による教師の評価制度などビル・ゲイツの教育改革案を批判。:ビル・ゲイツの考え方って、橋下元大阪知事とモロ通じていくんだけど、なぜゲイツを悪く言う人はこんなに少ないんだろう。
http://kuow.org/program.php?id=25146
ビル・ゲイツって日本の原発事故の直後には「再生可能エネルギーみたいな“可愛らしい”ものでは、お話しにならない」とか言っていたはずなんだけど、今度は一転して、その“可愛らしい”エネルギーへの投資を呼び掛けている。
http://www.independent.co.uk/environment/green-living/gates-pushes-for-green-investment-6264043.html
HPVワクチンをCDCが男児にも推奨したことで、またぞろ論争になっている。
http://www.bioedge.org/index.php/bioethics/bioethics_article/9838#comments
フロリダ州でメディケアの患者に無茶苦茶な向精神薬の処方をしてボロ儲けしていた医師に、ついに州当局から処分。ただ、メディアに叩かれた後で。
http://www.propublica.org/article/florida-sanctions-top-medicaid-prescribers-but-only-after-a-shove
効果よりも副作用の害の方が大きいとして、FDAが乳がんの治療薬Avastinの認可を取り消し。
http://www.washingtonpost.com/national/health-science/fda-revokes-avastins-approval-for-breast-cancer-treatment/2011/11/18/gIQAOTuRYN_story.html?wpisrc=nl_cuzheads
米で医療保険の保険金がどんどん上がっていく。
http://www.washingtonpost.com/national/health-science/new-study-shows-health-insurance-premium-spikes-in-every-state/2011/11/16/gIQAhBl7SN_story.html?wpisrc=nl_cuzheads
カナダでナーシング・ホームでの職員による虐待があまりにひどいため、タスク・フォースが調査に乗り出す。
http://www.guelphmercury.com/news/canada/article/627457--task-force-to-tackle-abuse-in-nursing-homes
オーストラリア、シドニーで4人死亡、31人の負傷者を出したナーシング・ホームの火災、当夜勤務していた看護師の放火だったことが判明。
http://www.dailymail.co.uk/news/article-2062950/Sydney-Man-held-4-die-31-injured-nursing-home-suspicious-blaze.html
オーストラリアでコカイン所持による逮捕者が急増。
http://www.canberratimes.com.au/news/local/news/general/cocaine-busts-at-record-level-report/2363440.aspx?src=enews
http://www.thebostonpilot.com/article.asp?ID=14014
NY大学のDiane Ravitch教授が、成果主義による教師の評価制度などビル・ゲイツの教育改革案を批判。:ビル・ゲイツの考え方って、橋下元大阪知事とモロ通じていくんだけど、なぜゲイツを悪く言う人はこんなに少ないんだろう。
http://kuow.org/program.php?id=25146
ビル・ゲイツって日本の原発事故の直後には「再生可能エネルギーみたいな“可愛らしい”ものでは、お話しにならない」とか言っていたはずなんだけど、今度は一転して、その“可愛らしい”エネルギーへの投資を呼び掛けている。
http://www.independent.co.uk/environment/green-living/gates-pushes-for-green-investment-6264043.html
HPVワクチンをCDCが男児にも推奨したことで、またぞろ論争になっている。
http://www.bioedge.org/index.php/bioethics/bioethics_article/9838#comments
フロリダ州でメディケアの患者に無茶苦茶な向精神薬の処方をしてボロ儲けしていた医師に、ついに州当局から処分。ただ、メディアに叩かれた後で。
http://www.propublica.org/article/florida-sanctions-top-medicaid-prescribers-but-only-after-a-shove
効果よりも副作用の害の方が大きいとして、FDAが乳がんの治療薬Avastinの認可を取り消し。
http://www.washingtonpost.com/national/health-science/fda-revokes-avastins-approval-for-breast-cancer-treatment/2011/11/18/gIQAOTuRYN_story.html?wpisrc=nl_cuzheads
米で医療保険の保険金がどんどん上がっていく。
http://www.washingtonpost.com/national/health-science/new-study-shows-health-insurance-premium-spikes-in-every-state/2011/11/16/gIQAhBl7SN_story.html?wpisrc=nl_cuzheads
カナダでナーシング・ホームでの職員による虐待があまりにひどいため、タスク・フォースが調査に乗り出す。
http://www.guelphmercury.com/news/canada/article/627457--task-force-to-tackle-abuse-in-nursing-homes
オーストラリア、シドニーで4人死亡、31人の負傷者を出したナーシング・ホームの火災、当夜勤務していた看護師の放火だったことが判明。
http://www.dailymail.co.uk/news/article-2062950/Sydney-Man-held-4-die-31-injured-nursing-home-suspicious-blaze.html
オーストラリアでコカイン所持による逮捕者が急増。
http://www.canberratimes.com.au/news/local/news/general/cocaine-busts-at-record-level-report/2363440.aspx?src=enews
2011.11.21 / Top↑
"今日は個別活動(スタッフと1対1で好きなように過ごせる時間)でした。
最初、売店に行くのはどうする? と尋ねると、「行く~~!」という返事だったので、散歩がてら売店へ行きました。
雑誌売り場の前で眺めていると、TV雑誌(表紙がキムタク)に目が止まったようなので、買おうかどうか相談し、ミュウさんとしては「まぁ、買ってみようかねー」といった様子でしたが、せっかくでしたので購入しました。
その後、病棟に帰って、「ピコ or DVD or メロディ絵本」を提示したところ、「絶対 DVD!」との返事で、何枚か並べたDVDの中からお気に入りの「おかあさんといっしょ」(2002年の懐かしいもの)を選ばれ、職員と一緒に歌ったり踊ったりと楽しみ、昼食になり止めるのが非常にさみしい様子だったので、結局、PMの入浴後にも観て、上機嫌でした
療育園との連絡ノートより。
なお、以下の写真つきでした。
①車いすのテーブルの上に
手持ちのDVD(「おかあさんといっしょファミリーコンサート」と「氷川きよしコンサート」とか)を
ずらりと並べてもらって、迷いまくり、目移りしまくっているミュウ。
②その中の一枚を手に、まだ他のにも未練がありそうな目つき、
真剣な顔で悩んでいるミュウ。
③心を決めたらしく、「それでいいですか」「はーい!」と
片手をあげて、すっきりした顔で答えているミュウ。
この③の顔と、カメラの向こうの人に向けた目線が、すごく、いいんです。
とりたてて、大きな笑顔、というのじゃないんだけど、
カメラの向こうにいる人と日々の生活の中で普通につながった信頼関係があって、
ミュウが安心しきって、普通にくつろいで過ごしている日常――。
療育園のみなさん、ありがとうございます
2011.11.21 / Top↑
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