http://www.nytimes.com/2011/11/23/business/merck-agrees-to-pay-950-million-in-vioxx-case.html?_r=2&nl=todaysheadlines&emc=tha25
マーケッティングだから被験者が死んでもスル―される「タネまき治験」(2011/8/12)
カナダ王立協会の自殺幇助合法化提言に対して、医療倫理の専門家から「安楽死合法化マニフェスト」「表面だけ取り繕った安楽死と自殺幇助プロパガンダ」との批判。
http://www.catholicregister.org/news/canada/item/13396-royal-society-of-canadas-assisted-suicide-report-disputed
南アの科学者Sean DavisonがNZで母親の自殺幇助で起訴されていた事件で、裁判所は5カ月の自宅謹慎。:2010年12月23日の補遺などで拾った事件。自殺幇助は違法行為とはいえ、ごく微罪なものとされていく。
http://www.bbc.co.uk/news/world-asia-15866983
英国の平等と人権コミッションから高齢者の在宅ケアに関して、スキャンダラスなほど劣悪なケア実態の報告書。
http://www.guardian.co.uk/society/2011/nov/23/elderly-care-failures-human-rights?CMP=EMCNEWEML1355
http://www.telegraph.co.uk/health/elderhealth/8910296/A-catalogue-of-neglect.html
http://www.independent.co.uk/life-style/health-and-families/health-news/scandal-of-elderly-facing-abuse-and-neglect-in-own-homes-6266363.html
http://www.guardian.co.uk/society/2011/nov/23/plight-older-people-home-care
http://www.independent.co.uk/opinion/letters/letters-good-home-care-costs-money-6266955.html
障害のある子どもを育ててきた親の方が子どもに介護してもらう時。
http://www.guardian.co.uk/publicservicesawards/when-roles-are-reversed?newsfeed=true
現在の米国のナーシングホームの点数評価制度では、特に認知症の優れたケアをやっている施設が評価されにくい。
http://www.medicalnewstoday.com/releases/238060.php
アルツハイマー病の母親を介護について書こうとして、ミステリーでしか書けなかったという英国の作家 Alice LaPlante。 作品は“Turn of Mind”.
http://www.guardian.co.uk/books/2011/nov/22/alice-laplante-alzheimers-turn-of-mind?CMP=EMCNEWEML1355
在宅介護の高齢者は入院や入所の高齢者よりも服薬ミスが起きやすい。
http://www.medicalnewstoday.com/releases/238034.php
09年に以下のエントリーで取り上げた「23年間も“植物状態”とされた男性」、ベルギーのHoubenさんのケースがドイツのメディアで話題になったとかで、Guardianが改めて取り上げている。
http://www.guardian.co.uk/world/2009/nov/23/man-trapped-coma-23-years?CMP=EMCNEWEML1355
【Houbenさん関連エントリー】
23年間“植物状態”とされた男性が「叫んでいたのに」(ベルギー)(2009/11/24)
「なぜロックトイン症候群が植物状態と誤診されてしまうのか」を語るリハ医(2009/11/25)
【09年当時のGuardianの関連記事】
http://www.guardian.co.uk/science/2009/nov/24/locked-in-syndrome-belgium-research?intcmp=239
http://www.guardian.co.uk/world/2009/nov/24/rom-houben-coma-doctor-mother?intcmp=239
http://www.guardian.co.uk/world/2009/nov/24/falsely-diagnosed-coma-rom-houben?intcmp=239
アーミッシュの分裂で、ヘイトクライムの逮捕者。:ちょっと、びっくりした。でも、その「暴行」とは「無理やり髭とか髪を切った」というもの。
http://www.guardian.co.uk/world/2011/nov/23/amish-arrested-haircut-attacks
Anesthesia & Analgesiaの同じ号に掲載された論説。
Donation After Cardiac Death and the Anesthesiologist
Anesthesia-analogesia, May 2010, Volume 110, Number 5
まず、米国のみならず国際的にも
DCDが推奨されている動向を解説する最初の部分で
the rather shameful lack of donors in the United States 、
ドナー不足を「shameful 恥ずべき」と形容していることから想像されるように
この論説の著者は米国に多々見かける「臓器不足解消が何よりも大切」論者の一人と思われます。
それでなのか、どうか、この論説、私には
元論文の趣旨が部分的に捻じ曲げられているようにも思えるのですが、
前半の論旨は概ね、以下のような感じ。
脳死概念には医療職の抵抗感は薄れてきたにもかかわらず、いまだ移植臓器を必要とする人に十分に臓器がいきわたらず、臓器を待ちながら死んでいく人が毎日19人もいるという「恥ずべき」臓器不足がある。
その解消に向け、米国保健省は以下の3つの方針を打ち出している。生体ドナーの増加。ドナー要件の緩和(例えば肝臓グラフトのための生体ドナーの対象年齢引き上げ)。DCDドナーの利用増加。
自立、平等、功利(autonomy, equity, utility)という倫理基準のバランスを考えると、これら3つはそれぞれに倫理的なグレー・ゾーンを含み、特にDCDはこれらのバランスを功利の側に傾斜させるが、国際的な移植医療界も米国医学院も米国集中治療学会もDCDの推進の方向性で一致している。(従って「グレー・ゾーン」は問題にならない?)
にもかかわらず、DCDが今だ臓器不足を解消するだけ普及しない理由の一つには医療職がDCDのプロセスに心理的抵抗を感じているということがある。(グレー・ゾーンの倫理問題ゆえにではなく?)
Auyongらのこの度の論文が反映しているのも、こうした医療職のDCDに対する違和感である。
Auyongらの論文で報告された症例の脳波の変化は、脳の活動が全面停止していないからドナーは脳死と診断されていないわけだから、それを考えれば、とりたてて驚くような現象ではないが、
ICUでの使用が継続する形で麻酔薬や睡眠薬がDCDのプロセスの間にも使われているケースも報告されてはおり、
その点は死を早める薬物の使用が禁じられたDCDプロトコルの間で整理が必要。そのためにも治療停止の際の脳機能のメカニズムについて更なる研究を、というのが著者らの指摘であろう。
なにやら私の耳には次のように聞こえる。
「もともと脳死と診断されていない患者なんだから
脳波に変動があったって騒ぐようなことじゃないのに、
こんな症例報告を書いて問題にされること自体が
医療職がDCDを受け入れられていない証拠。
著者らはDCDでは麻酔薬の使用は禁忌になっていると言うが
実際には使われているのだし、その辺りを整理して
「良質なドナー・ケア」をすることでその抵抗感が薄れるなら
DCDの推進をうたう各種機関の提言にも沿っていることなんだから、やれば?」
実際、この後、この論説の著者は例えば、以下の一文に見られるように、
……review of DCD cases with all personnel involved at the local level is critical for the quality of donor care for addressing the emotional concerns of the involved medical staff.
ドナーへのケアの目的を
「医療職が感じているDCDに対する抵抗」の解消という文脈に
無理やり(?)落し込んでしまっているような印象。
元論文の著者らが求めている「さらなる研究」の必要についても、同様に、
患者の意識状態を解明するためでも患者の苦痛を軽減する麻酔薬使用の基準を作るためでもなく、
例えばDCDドナーの2割は治療中止から1時間以内に死なず、
DCDドナー候補にしてみたものの実際に臓器が取れないケースがあるなど
DCDには未解明のことが多いのが医療職の違和感に繋がっているなら
(The unknown in DCD make us uncomfortable on many fronts)
DCDのプロセスで起こっていることが解明されれば
「不必要な介入を受けつつドナーにならない」候補の軽減につながり、
ひいては医療職のDCDに対する精神的な受け入れを促進するから、望ましい……と言っているのでは?
結論が非常に興味深くて、
For the moment, we are left in difficult ethical position of balancing the best possible end-of-life care (duty to the donor) with the optimal organ donation outcome for the good of several other patients. It will never be a comfortable position, but more knowledge about the dying process can only help us improve the necessary and important care of DCD donors.
最善の終末期医療を行うという(一人の)ドナーへの義務と、(複数の他の患者の利益となる)臓器提供の効果を最大に挙げることとの間のバランスがcomfortable(違和感・抵抗を感じない)になることはありえないが、死のプロセスをもっと理解する以外にDCDドナーへの「必要かつ重要なケア」を改善できる方法もない。
ドナーに対する医師としての義務を考えていたら倫理的なバランスなんて、あるわけないけどさ、そこは、
1人のドナーへの義務と複数の患者への利益のバランスというものを考えなさいよ。
あんたたちの心理的負担の軽減のためにドナー・ケアが「必要かつ重要」だというのは
一応は分かるからさ、そのために死のプロセスを解明するといわれたら、そりゃ、まあ、やったら?
で、この人、結論へ向かう直前に、さりげなく、
「ドナーに最善の終末期医療を行う」ことを保障するために、と言いながら
その倫理バランスをちぎってドブにでも棄てるような乱暴なことを提言してみせる。
ICUでそのドナー候補の患者を担当していて
家族とも既に面識もある終末期医療の専門医が、
(緩和ケア医なら麻酔の扱いだって分かっているわけだし)
そのまま手術室に同道して、その後のプロセスにも関われば
Auyongらが報告しているようなことも起こらなくなるのだから、
それをDCDのプロトコルにすればよい、と。
だって、麻酔科医とか麻酔の扱いの分かった同じ医師が
集中治療や終末期医療からDCDの臓器摘出までずっと関わってれば
治療停止やメスが入った時に脳波が跳ね上がるなんてことはちゃんと防いでくれるから、
死んでない人を臓器のために殺すみたいに感じて気分が悪い人がいなくなるじゃん?
そしたらみんながDCDをじゃんじゃんやるようになって臓器不足も解消できるから、いいじゃん?
【DCD関連エントリー】
心臓を停止から75秒で摘出・移植しているDenver子ども病院(2008/10/14)
Navarro事件の移植医に無罪:いよいよ「死亡提供ルール」撤廃へ? (2008/12/19)
森岡正博氏の「臓器移植法A案可決 先進国に見る荒廃」(2009/6/27)
「脳死でなくても心停止から2分で摘出準備開始」のDCDを、ERで試験的に解禁(米)(2010/3/17)
臓器提供は安楽死の次には“無益な治療”論と繋がる……?(2010/5/9)
Robert Truog「心臓死後臓器提供DCDの倫理問題」講演ビデオ(2009)(2010/12/20)
ベルギーの「安楽死後臓器提供」、やっぱり「無益な治療」論がチラついている?(2011/2/7)
Savulescuらが、今度はICUにおける一方的な「無益な治療」停止の正当化(2011/2/9)
「1つの流れに繋がっていく移植医療、死の自己決定と“無益な治療”」を書きました(2011/5/14)
WHOが「人為的DCDによる臓器提供を検討しよう」と(2011/7/19)
UNOSが「心臓は動いていても“循環死後提供”で」「脊損やALSの人は特定ドナー候補に」(2011/9/26)
―――――
ついでに、この論説からメモ。
Wisconsin大学のグループが
どういう患者だったらDCD候補にして無事に臓器摘出に至らしめられるか
その見分け方のツールを開発したそうな。
Wisconsin大学といえば
当ブログが注目してきたチョー過激な倫理学者 Norman Fost のお膝元。
Fostは「今でも脳死者は死んでいないんだから、
生きている間から採ったってかまわないことにしよう」と
死亡者提供ルールの撤廃を説いている一人。
【関連エントリー】
臓器移植で「死亡提供者ルール」廃止せよと(2008/3/11)
ある方から、以下の症例報告の論文をいただきました。掲載は去年5月、麻酔学の専門誌。
Processed Electroencephalogram During Donation After Cardiac Death
Anesth Analog 2010;110:1428-32
私は素人なので、
もしも間違っていたらどなたかご教示いただきたいのですが、
もともと脳波というものが微弱な電流であるために、その測定には
筋電図や心電図や眼球運動などの影響を受けやすいという問題があるが、
BISモニターが登場したことによって、そうしたノイズやアーティファクトといわれるものを
除外し記録することができるようになった、
論文タイトルにあるProcessed EEG というのは、従って、
このBISモニターで測定した脳波のことである……というのが、
論文を読んで、あれこれ検索してみてのspitzibaraの推理。
BISについては詳しい説明がこちらに ↓
http://www.maruishi-pharm.co.jp/med/libraries_ane/anet/pdf/37/37spe_1.pdf#search=%27BIS%20%E9%BA%BB%E9%85%94%27
この論文では3つのケースが報告されており、
それらのうち2例はDCDを前提にドナー候補の患者を手術室に運び、
そこで生命維持装置を取り外すという手順を経たもの。
それぞれの詳細なデータが報告されていますが、
エントリーに含めるために専門用語をいちいち確認するのが面倒だし、
私たち素人が理解するのにさして重要とも思えないので、ここでは省略しています。
読み間違いがあるかもしれませんので、お気づきの方があったら、ご教示お願いいたします。
この論文が述べていることは概ね以下と思われます。
あるDCDケースで、生命維持を中止した直後に脳波に大きな変動が見られた。
人口呼吸器装置取り外し後5分間で1だったBISの数値が92まで上がり、
30分間は85から95の間を維持(100~90は覚醒状態)。
同じく5分後に上がった心拍数がゼロに向けて低下するにつれて
BISも4にまで下がっていったという。
これは、通常、軽い麻酔をかけた場合に起こる変化だとされている。
そこで、再現されるかどうかを確認するために、
麻酔も睡眠薬も使用しないで生命維持中止を行う2人にBISモニターを装着してみたところ、
生命維持装置取り外し直後に、最初のケースと同様の大きな変化が出現した。
(2例目はDCDドナー候補、3例目は高齢でドナー対象外)
筋電図、心電図には変化がない状態で脳波だけが変化するケースもあった。
いずれの患者も脳死ではなかった。またいずれの患者も脳波が大きく変動している間に、
自発呼吸はもちろん身体がわずかでも動くということもなかった。
この現象をどのように考えるべきなのだろうか。
死を早める可能性があるためDCDプロトコルでは緩和薬の使用は認められないが
その一方、倫理的、道徳的な意味合いから、
死にゆく患者の苦痛を取り除くための介入は医師の判断で認められており、
DCDであるか否かを問わず、そのためには睡眠薬、麻酔薬の使用が適切ではないか。
この倫理問題を議論するためには、
終末期の患者の脳波の変動について、もっと研究がおこなわれ、
患者が死に至る過程についての理解を進めて
適切な対応が検討されなければならない。
(最初のケースで麻酔が使用されたとの記述はありません。
麻酔と関連するとされている変動だったので、再現性を確認するために、
さらに2つのケースでもBISを測定してみた、ということのようです)
3人のBISグラフが掲載されており、
いずれも生命維持停止直後に「跳ね上がっている」ことがはっきりと見て取れます。
上記リンクから、ぜひご確認ください。
読んで、ものすごく引っかかるのは
著者らはごく慎重に、心拍数との関連やノイズの影響の可能性に言及しているものの
言いたいことはどうやら「このBIS変動がいくらかでも意識がある可能性を意味するなら
DCDドナーの生命維持引き上げの際にも麻酔薬、睡眠薬を使用することが
道徳的・倫理的なのではないか」ということのように思われるのだけれど、
そもそもDCDプロトコルそのものに
「DCDドナーは本当に死んでいるのか」という倫理問題が議論されていることを考えたら
呼吸器取り外しで脳波が跳ね上がった……で問われるべきは
「DCDプロトコルそのものの倫理性」ではないの?
なんで「だからDCDドナーには苦しまないように麻酔を」になるの?
……と思ったら、
上記論文と一緒にいただいた論説にはもっとエゲツナイことが書かれていた。
こちらについては、次のエントリーで。
なお、この論文が取り上げている
終末期医療と臓器摘出との間にある倫理問題の相克についても、
臓器摘出の際の麻酔薬・沈静薬使用の問題についても、こちらの本に詳しい ↓
「脳死・臓器移植Q&A50 ドナーの立場からいのちを考える」メモ 1(2011/11/3)
「脳死・臓器移植Q&A50 ドナーの立場からいのちを考える」メモ 2(2011/11/3)