去年のちょうど今ごろ、
ミュウは生まれて初めてのぜんそく発作を起こして、
久しぶりに「今度こそダメかと思ったぁぁ」エピソードを更新した。
ディズニー・オン・アイスに行くことにしていたのだけれど、
酸素マスクにサチュレーション・モニター装着ではどうにもならない。
園に入所している方の中で誰か連れて行ってもらえる人があったら、差し上げてください、と、
スタッフにチケットを託すことにした。
ベッドのミュウは「えーっ!!」と、顔で盛大に抗議したけれど、
「この状態じゃぁ、どうしたって行かれまー。
今年は誰か行かれる人に行ってもろーて、ミュウは来年いこうや。
その代わり、来年は必ずいこうね」というと、
しぶしぶ「ハ」と納得した。
なので、今年は春にチラシを見た時に
すぐさま事務局に「車いす席を!」と勢い込んで電話して、
冷たく「チケットの売り出しはまだ先です」と返されるくらいに、
「今年は行くぞ!」気分満々だった。
無事にチケットを買い、
中休みには、おむつ交換のために
授乳室を使わせてもらえるよう段取りもちゃんとつけた。
そして、先週末にミュウが帰ってきた時に
「いよいよ来週じゃねー。去年いけんかった分、楽しもうぜぇ」と盛り上げたところだったんである。
で、つい3日前のこと――。
「突然、全身にじんましんが出て、顔までむくんでいるので点滴をしたい」と
療育園から電話がかかってきた。「本人はいたって元気なので、ご安心を」とのこと。
電話を受けた父親の談では、ドクターの声の背後で
テレビだかDVDだかに大騒ぎしている娘の歓声が響き渡っていたというから、
まぁ、さほど心配はしなかったけれど、
あっちゃ~。ディズニーがぁぁぁ……。
いやいや、まだ日にちはある。大丈夫。
イヤな予感は、そう考えて宥めた。
……で、今朝。
どうやら、まだ、じんましんは出たり引っ込んだりしているらしい。
むくみのために採血も大変だったという。そうか。まだむくんでいるか……。
帰省はドクターからOKが出そうだけれど、
ディズニーを、どうする……?
間の悪いことに、日曜日には台風の暴風圏に入るとの情報もある。大雨はまず間違いなし。
もしも諦めて、誰か園の入所者の方に行ってもらうとしたら、
明後日のこととて決断を急ぎ、行ける人を当たってもらわなければならない。
私の頭には、
去年のまさにこの時期のぜんそくで
酸欠となり白目を剥いた娘の姿がよみがえっている。
じんましんが収まりきっていない状態で連れて行き、
台風で予測不能な事態もあり得る中、万が一にもぜんそくでも起こしたら……。
やめよう。来年にしよう。
夫婦で話し合って、そう決めた。
園に電話をかけ、
誰か、行ける方があれば行ってもらってください、と当たってもらうよう依頼した。
「家族が連れて行ける人がなかったらチケットは捨てますから」と言ったら、
電話に出た園の幹部は「家族に聞いてみてダメなら、あとは、
こちらから連れて行ってあげるか、ですね」と応えてくれた。
その言葉が嬉しかった。
もしもスタッフが出てくれるのなら(ボランティアになるのかもしれないけど)
日頃あまり外出できない子どもさんを連れて行ってあげてもらえたら、と思った。
よかった。……と、電話を切って、しばし……。
この間ずっと、「なにか」重苦しいものが心に引っかかっていた。
意識の上にはなかなか上ってこないけど、心がザワついてしまう「なにか」――。
……!
ミュウだ!
去年は、命が危ぶまれる状況もあって毎日通っていた。
だから「ディズニー中止」を決めたのもミュウのベッドサイドでのことだった。
スタッフとその話をしながらミュウの抗議を受けて、その場で説明し、ミュウも納得した。
でも、さっき私たちは
ミュウには断りも相談もなく勝手に決めてしまった!!
いかん!!
「今からミュウのところへ話をしに行ってくる。
親が勝手に決めてしもーたけん」
夫にメールを入れ、急ぎパソコンをシャットダウン。
今日の仕事の予定なんぞ、くっそぉ。このさいチャラよ。
夫からも
「たしかに。じゃぁ、ミュウによろしく!」と即座の返信。
そだ。“病人部屋”でテレビを独占させてもらっているなら
「おかあさんといっしょ ファミリーコンサート」DVDの新しいのを持っていってやろう。
そそくさと着替えて、車に飛び乗る。
ちょうど、お昼前でもある。
どうせ行くなら、お昼ごはんに間に合って食べさせてやりたい。
なんだか急いで取り返さなければならない者があるみたいに気持ちがせいて、
コンビニで買ったおむすびをかじりながら園に急ぐ。
着いたら、
看護師さんの介助でもう8割がた食べ終えていたけれど、食欲は旺盛。
足はまだむくんでいるものの、顔のむくみも赤みも引いていた。
あー、えかったぁ。顔見たら安心したぁ~。
いきなり現れた母親に、ミュウは固まっている。
ふっふ、ええもの持ってきたでぇ。ジャーン。
DVDを取り出すと、ミュウはいっそう驚愕の表情で固まる。
(これが喜びの表情だというのは、慣れぬ人にはたいそう分かりにくい)
食事介助を代わって、2人になってから、
おもむろに本題を切り出してみる。
ミュウちゃん、明後日のディズニー、
すっごく残念じゃけど、またまた来年ってことにせん?
ちょっと、この状態じゃぁ、行かれんじゃろーじゃない。
ミュウは気抜けするほど素直に「ハ」と言った。
自分でもこりゃダメだと思っていたのかもしれない。
その代わり、来年こそ絶対に行こうな。「ハ」。
ゴハンの後、ベッドにくっついて寝ころび、
親の方はとっくに見飽きた「おかあさんといっしょ ファミリーコンサート」を見る。
昼下がりの療育園の詰め所奥の部屋は、
親子でそっとしておいてくださる皆さんの心遣いで、
立ち働く職員の方々の声や気配をうっすらと感じつつ、眠くてのどかな時空間。
時々まぶたが閉じそうになっているくせに、
誰かが新たに舞台に登場すると「わ、出たよ、おかあさん」と
イチイチ感動とともに振りむいて知らせてくれるミュウに付き合いながら、
私も時々うとうとする。
コンサートが終わった後、
本格的なお昼寝の体制を整えてやり、
「明日の晩、お父さんと迎えに来るけんね」。
眠気でぼお――としたミュウは、
それでもバイバイの腕を振り上げてみせた。
―――――
自分から求めたつもりは全然ないのに、
いつのまにか気が付いたら、障害者自立生活運動の人たちの世界の
真っただ中みたいなところに、迷い込んでしまっていた。
それ以来、私の頭の中はなんだかわけがわからないまま、
痛くてならないことだらけになった。
一体なんの祟りかと思うほどに
この人たちと出会ってから私は苦しくてならない。
この人たちは重心のことなんか何も知っていなくて分かっていなくて、
知らないし分からない人には自分は分かってないということが分からないのが常だから
そこのところが、なかなか分かってはもらえなくて、通じなくて、
重心の話をしているのに平気で身障の文脈で返されて、否定されて、
別にそんなこと言っていないのに単に運動を批判していると決めつけられて、
だから、この人たちの言うことは私にはイチイチ気にくわないことばっかりで、
その通じなさに一人で悶絶しては「もう知らんわっ!」と何度ブチ切れたか分からない。
でも、この人たちの言葉と出会わなかったら、
私はたぶん「いかん! 勝手に決めてしもた!」と気付くことはなかったと思う。
父親の方だって即座に「たしかに」と返すことはなかったと思う。
だから、今も気に食わないことはいっぱいあるんだけど、
だから、これからも「もう知らん!」と何度も思うのはゼッタイ間違いないのだけれど、
だから、もしかしたら、
自分の心身の安定を守るためにも、他人さまに迷惑をかけないためにも
そろそろ「さようなら」と言う方がよいのでは、という気がしてもいるのだけれど、
でも、出会えたことに、感謝している。
ミュウは生まれて初めてのぜんそく発作を起こして、
久しぶりに「今度こそダメかと思ったぁぁ」エピソードを更新した。
ディズニー・オン・アイスに行くことにしていたのだけれど、
酸素マスクにサチュレーション・モニター装着ではどうにもならない。
園に入所している方の中で誰か連れて行ってもらえる人があったら、差し上げてください、と、
スタッフにチケットを託すことにした。
ベッドのミュウは「えーっ!!」と、顔で盛大に抗議したけれど、
「この状態じゃぁ、どうしたって行かれまー。
今年は誰か行かれる人に行ってもろーて、ミュウは来年いこうや。
その代わり、来年は必ずいこうね」というと、
しぶしぶ「ハ」と納得した。
なので、今年は春にチラシを見た時に
すぐさま事務局に「車いす席を!」と勢い込んで電話して、
冷たく「チケットの売り出しはまだ先です」と返されるくらいに、
「今年は行くぞ!」気分満々だった。
無事にチケットを買い、
中休みには、おむつ交換のために
授乳室を使わせてもらえるよう段取りもちゃんとつけた。
そして、先週末にミュウが帰ってきた時に
「いよいよ来週じゃねー。去年いけんかった分、楽しもうぜぇ」と盛り上げたところだったんである。
で、つい3日前のこと――。
「突然、全身にじんましんが出て、顔までむくんでいるので点滴をしたい」と
療育園から電話がかかってきた。「本人はいたって元気なので、ご安心を」とのこと。
電話を受けた父親の談では、ドクターの声の背後で
テレビだかDVDだかに大騒ぎしている娘の歓声が響き渡っていたというから、
まぁ、さほど心配はしなかったけれど、
あっちゃ~。ディズニーがぁぁぁ……。
いやいや、まだ日にちはある。大丈夫。
イヤな予感は、そう考えて宥めた。
……で、今朝。
どうやら、まだ、じんましんは出たり引っ込んだりしているらしい。
むくみのために採血も大変だったという。そうか。まだむくんでいるか……。
帰省はドクターからOKが出そうだけれど、
ディズニーを、どうする……?
間の悪いことに、日曜日には台風の暴風圏に入るとの情報もある。大雨はまず間違いなし。
もしも諦めて、誰か園の入所者の方に行ってもらうとしたら、
明後日のこととて決断を急ぎ、行ける人を当たってもらわなければならない。
私の頭には、
去年のまさにこの時期のぜんそくで
酸欠となり白目を剥いた娘の姿がよみがえっている。
じんましんが収まりきっていない状態で連れて行き、
台風で予測不能な事態もあり得る中、万が一にもぜんそくでも起こしたら……。
やめよう。来年にしよう。
夫婦で話し合って、そう決めた。
園に電話をかけ、
誰か、行ける方があれば行ってもらってください、と当たってもらうよう依頼した。
「家族が連れて行ける人がなかったらチケットは捨てますから」と言ったら、
電話に出た園の幹部は「家族に聞いてみてダメなら、あとは、
こちらから連れて行ってあげるか、ですね」と応えてくれた。
その言葉が嬉しかった。
もしもスタッフが出てくれるのなら(ボランティアになるのかもしれないけど)
日頃あまり外出できない子どもさんを連れて行ってあげてもらえたら、と思った。
よかった。……と、電話を切って、しばし……。
この間ずっと、「なにか」重苦しいものが心に引っかかっていた。
意識の上にはなかなか上ってこないけど、心がザワついてしまう「なにか」――。
……!
ミュウだ!
去年は、命が危ぶまれる状況もあって毎日通っていた。
だから「ディズニー中止」を決めたのもミュウのベッドサイドでのことだった。
スタッフとその話をしながらミュウの抗議を受けて、その場で説明し、ミュウも納得した。
でも、さっき私たちは
ミュウには断りも相談もなく勝手に決めてしまった!!
いかん!!
「今からミュウのところへ話をしに行ってくる。
親が勝手に決めてしもーたけん」
夫にメールを入れ、急ぎパソコンをシャットダウン。
今日の仕事の予定なんぞ、くっそぉ。このさいチャラよ。
夫からも
「たしかに。じゃぁ、ミュウによろしく!」と即座の返信。
そだ。“病人部屋”でテレビを独占させてもらっているなら
「おかあさんといっしょ ファミリーコンサート」DVDの新しいのを持っていってやろう。
そそくさと着替えて、車に飛び乗る。
ちょうど、お昼前でもある。
どうせ行くなら、お昼ごはんに間に合って食べさせてやりたい。
なんだか急いで取り返さなければならない者があるみたいに気持ちがせいて、
コンビニで買ったおむすびをかじりながら園に急ぐ。
着いたら、
看護師さんの介助でもう8割がた食べ終えていたけれど、食欲は旺盛。
足はまだむくんでいるものの、顔のむくみも赤みも引いていた。
あー、えかったぁ。顔見たら安心したぁ~。
いきなり現れた母親に、ミュウは固まっている。
ふっふ、ええもの持ってきたでぇ。ジャーン。
DVDを取り出すと、ミュウはいっそう驚愕の表情で固まる。
(これが喜びの表情だというのは、慣れぬ人にはたいそう分かりにくい)
食事介助を代わって、2人になってから、
おもむろに本題を切り出してみる。
ミュウちゃん、明後日のディズニー、
すっごく残念じゃけど、またまた来年ってことにせん?
ちょっと、この状態じゃぁ、行かれんじゃろーじゃない。
ミュウは気抜けするほど素直に「ハ」と言った。
自分でもこりゃダメだと思っていたのかもしれない。
その代わり、来年こそ絶対に行こうな。「ハ」。
ゴハンの後、ベッドにくっついて寝ころび、
親の方はとっくに見飽きた「おかあさんといっしょ ファミリーコンサート」を見る。
昼下がりの療育園の詰め所奥の部屋は、
親子でそっとしておいてくださる皆さんの心遣いで、
立ち働く職員の方々の声や気配をうっすらと感じつつ、眠くてのどかな時空間。
時々まぶたが閉じそうになっているくせに、
誰かが新たに舞台に登場すると「わ、出たよ、おかあさん」と
イチイチ感動とともに振りむいて知らせてくれるミュウに付き合いながら、
私も時々うとうとする。
コンサートが終わった後、
本格的なお昼寝の体制を整えてやり、
「明日の晩、お父さんと迎えに来るけんね」。
眠気でぼお――としたミュウは、
それでもバイバイの腕を振り上げてみせた。
―――――
自分から求めたつもりは全然ないのに、
いつのまにか気が付いたら、障害者自立生活運動の人たちの世界の
真っただ中みたいなところに、迷い込んでしまっていた。
それ以来、私の頭の中はなんだかわけがわからないまま、
痛くてならないことだらけになった。
一体なんの祟りかと思うほどに
この人たちと出会ってから私は苦しくてならない。
この人たちは重心のことなんか何も知っていなくて分かっていなくて、
知らないし分からない人には自分は分かってないということが分からないのが常だから
そこのところが、なかなか分かってはもらえなくて、通じなくて、
重心の話をしているのに平気で身障の文脈で返されて、否定されて、
別にそんなこと言っていないのに単に運動を批判していると決めつけられて、
だから、この人たちの言うことは私にはイチイチ気にくわないことばっかりで、
その通じなさに一人で悶絶しては「もう知らんわっ!」と何度ブチ切れたか分からない。
でも、この人たちの言葉と出会わなかったら、
私はたぶん「いかん! 勝手に決めてしもた!」と気付くことはなかったと思う。
父親の方だって即座に「たしかに」と返すことはなかったと思う。
だから、今も気に食わないことはいっぱいあるんだけど、
だから、これからも「もう知らん!」と何度も思うのはゼッタイ間違いないのだけれど、
だから、もしかしたら、
自分の心身の安定を守るためにも、他人さまに迷惑をかけないためにも
そろそろ「さようなら」と言う方がよいのでは、という気がしてもいるのだけれど、
でも、出会えたことに、感謝している。
2012.09.29 / Top↑
オランダ政府の「安楽死委員会」への医師からの報告によると、
2010年から2011年でオランダでの安楽死件数は559件も増加。
全死者数に占める割合で言うと、
2.3%から2.7%への増加。
委員会の幹部は、
医師が合法的な安楽死を行ったかどうかを調査する機関だが、
急増の理由については推測する以外にないとしたうえで、
以下の4つを上げている。
① 医師が前よりもちゃんと報告するようになってきた。
② 終末期の患者の安楽死が増えている。
③ 人口の高齢化の結果。
④ 倫理観の変化。
Number of assisted suicide cases reported by Dutch doctors rose in 2011
AP, September 27, 2012
でも、何度か書いたけど、
安楽死法の施行の後でオランダの緩和ケアは崩壊した、と
当時の保健省が認めた、という情報があるし、
王子の事故で
オランダには25歳以上の重症脳損傷患者の治療機関が存在しないことも
報道されている。
そういうなかで、
治療を受けられない状況ができていて、
それならば痛み苦しむよりは安楽死を、と自己決定する人たちの意識を
「倫理観の変化」と括ってしまうって、どうなの……?
―――――――
ところで、
この記事で「医師による自殺幇助(PAS)」と書かれているのは
スイスや米国オレゴン州、ワシントン州のPASと必ずしも同じではなく、安楽死のこと。
それは記事冒頭で
「安楽死はオランダでは2002年に、ターミナルな病状で、多大な苦痛があり、
死にたいと望む人に対して合法化された」と書かれていることや、
その法律に基づいて医師らが安楽死を報告する「安楽死コミッション」のデータが
この記事に使われていることからも明らか。
それなのに、APはタイトルとリードでは
「オランダで医師による自殺幇助件数が増加」という
事実と異なった書き方をしている。
10年にもAPは、
ドイツで消極的安楽死が合法化された時に
それを自殺幇助合法化だと報じ、詳細まで偽ったことがあった ↓
AP通信がドイツの「自殺幇助合法化」報道を訂正(2010/7/3)
英国で「合法化ロビー」と非難されているBBCも
似たようなことをやっている ↓
BBC「世論は慈悲殺を支持」の怪(2010/2/1)
「BBCは公金を使って安楽死を推進している」と議員らが批判(2010/2/5)
幇助合法化を訴えて自殺した健康な夫婦の続報を新たな事件のように書くBBCの怪(2010/4/1)
2010年から2011年でオランダでの安楽死件数は559件も増加。
全死者数に占める割合で言うと、
2.3%から2.7%への増加。
委員会の幹部は、
医師が合法的な安楽死を行ったかどうかを調査する機関だが、
急増の理由については推測する以外にないとしたうえで、
以下の4つを上げている。
① 医師が前よりもちゃんと報告するようになってきた。
② 終末期の患者の安楽死が増えている。
③ 人口の高齢化の結果。
④ 倫理観の変化。
Number of assisted suicide cases reported by Dutch doctors rose in 2011
AP, September 27, 2012
でも、何度か書いたけど、
安楽死法の施行の後でオランダの緩和ケアは崩壊した、と
当時の保健省が認めた、という情報があるし、
王子の事故で
オランダには25歳以上の重症脳損傷患者の治療機関が存在しないことも
報道されている。
そういうなかで、
治療を受けられない状況ができていて、
それならば痛み苦しむよりは安楽死を、と自己決定する人たちの意識を
「倫理観の変化」と括ってしまうって、どうなの……?
―――――――
ところで、
この記事で「医師による自殺幇助(PAS)」と書かれているのは
スイスや米国オレゴン州、ワシントン州のPASと必ずしも同じではなく、安楽死のこと。
それは記事冒頭で
「安楽死はオランダでは2002年に、ターミナルな病状で、多大な苦痛があり、
死にたいと望む人に対して合法化された」と書かれていることや、
その法律に基づいて医師らが安楽死を報告する「安楽死コミッション」のデータが
この記事に使われていることからも明らか。
それなのに、APはタイトルとリードでは
「オランダで医師による自殺幇助件数が増加」という
事実と異なった書き方をしている。
10年にもAPは、
ドイツで消極的安楽死が合法化された時に
それを自殺幇助合法化だと報じ、詳細まで偽ったことがあった ↓
AP通信がドイツの「自殺幇助合法化」報道を訂正(2010/7/3)
英国で「合法化ロビー」と非難されているBBCも
似たようなことをやっている ↓
BBC「世論は慈悲殺を支持」の怪(2010/2/1)
「BBCは公金を使って安楽死を推進している」と議員らが批判(2010/2/5)
幇助合法化を訴えて自殺した健康な夫婦の続報を新たな事件のように書くBBCの怪(2010/4/1)
2012.09.29 / Top↑
ずっと気になりながら、まとめることができていないカナダのBaby M“無益な訴訟”事件。無益な治療の続行を望んだ親が暴行罪だかに問われた。治療続行を巡る裁判が終わり、今度は親の犯罪が裁かれる? 気になる。
http://medicalfutility.blogspot.jp/2012/09/baby-m-appeals-court-affirms-ruling.html
http://medicalfutility.blogspot.jp/2012/09/baby-m-treatment-case-ends-criminal.html
オランダで医師による自殺幇助が11年から10年で559件も増加。死者全体に占める割合で2.3%から2.7%へ。:記事は自殺幇助と書いているけど、これは安楽死のことと思う。できたら明日エントリーに。
http://www.washingtonpost.com/world/europe/number-of-assisted-suicide-cases-reported-by-dutch-doctors-rose-in-2011/2012/09/26/89be3168-07ec-11e2-9eea-333857f6a7bd_story.html
オレゴンの医師が語る自殺幇助の実態。
http://www.thebostonpilot.com/article.asp?ID=15125
英国でNicklinsonさんと一緒に訴訟起こしていた男性Martinさんが、上訴へ。Nicklinsonさんについてはこちらにリンク一覧 ⇒http://blogs.yahoo.co.jp/spitzibara/65474511.html
http://www.guardian.co.uk/society/2012/sep/20/locked-in-syndrome-appeal-court
スイス議会、自殺幇助の規制強化案を否決。:去年とっくに諦めたのかと思ったけど、まだ諦めていない議員さんたちもいるんだ……。関連はこちらにリンク一覧 ⇒http://blogs.yahoo.co.jp/spitzibara/63558038.html
http://www.reuters.com/article/2012/09/26/us-swiss-politics-suicide-idUSBRE88P15320120926
スウェーデンで母から娘へ子宮提供、2件。
http://www.bioedge.org/index.php/bioethics/bioethics_article/10244#comments
【関連エントリー】
2年以内に世界初の子宮移植ができる、と英国の研究者(2009/10/23)
英国女性が娘に子宮提供を決断、OK出ればスウェーデンで移植手術(2011/6/14)
未来の医療はバイオ・バンク依存型に?
http://www.medicalnewstoday.com/releases/250506.php
小児が脳損傷から負った障害は2年で固まる。:こういう情報がどういう方向に利用されていくのか……と、つい考えてしまう。“無益な治療”論を追いかけたりしていると。
http://www.medicalnewstoday.com/releases/250422.php
米国在住の人のブログで、子どもに5分間に8本ものワクチンが打たれた、という経験談。
http://www.kohara.ac/blog/author1/2009/08/
新刊本。「ジフテリア予防接種禍事件―戦後史の闇と子どもたち」田井中克人、和気正芳著 かもがわ出版:この事件、全然知らなかった。読みたい。
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4780305691?tag=hatena-bu-22
GatesとBuffetの“Giving Pledge”スーパー・リッチ慈善資本主義クラブに、続々と超富裕層が集まっている。
http://www.huffingtonpost.com/2012/09/19/warren-buffett-giving-pledge-new-members_n_1896882.html
毒性廃棄物投棄への規制できていない、とアムネスティとグリーンピースが警告。「Trafigura事件の教訓は生かされていない」:毒性廃棄物が象牙海岸に投棄されて3万人を超える被害者を出したTrafigura事件は、当ブログでも追いかけた事件。
http://www.guardian.co.uk/environment/2012/sep/25/trafigura-lessons-toxic-waste-dumping
象牙海岸の悲惨(2007/12/15)
「象牙海岸で先進国の有害ゴミによる死傷者多数」事件:続報(2008/10/24)
先進国の有害廃棄物でアフリカから3万人超える集団訴訟、最近はマフィアが核廃棄物を海に(2009/9/19)
NZで、ダウン症候群の人の親たちが、出生前遺伝子診断導入で保健省を提訴。
http://www.savingdowns.com/press-release-down-syndrome-parents-take-ministry-of-health-to-the-international-criminal-court/
日本。「出生前診断に対する DPI女性障害者ネットワークの意見」
http://dl.dropbox.com/u/28020767/%E5%87%BA%E7%94%9F%E5%89%8D%E8%A8%BA%E6%96%AD%E3%81%AB%E5%AF%BE%E3%81%99%E3%82%8B%E6%84%8F%E8%A6%8B_DWNJ20120924.pdf
日本の映画「39窃盗団」「ダウン症の兄と発達障害のある弟が、心神喪失者は罰せられないという刑法39条を悪用した振り込め詐欺のボスにだまされ、泥棒の旅に出る異色コメディー」
http://www.cinematoday.jp/movie/T0015746
22日にあったシンポ。「子どもを育てない親への支援 親が育てない子どもへの支援」:たぶん、この話題の流れなんだと推測しているのだけど、ツイッターで「ケアに向いていない女性」という表現が目について、なんだ、その個人モデル発想は? と。
http://www.kojoken.jp/ivent/contents/120922mizyushin.html
日本。出生前、血液で父子判定 国内2業者、1年で150件
http://www.asahi.com/national/update/0924/TKY201209230471.html
ヨーロッパの高齢者ケアの危機。
http://www.bioedge.org/index.php/bioethics/bioethics_article/10242#comments
ワシントンDC郊外の高所得層地域で貧困が広がっている。
http://www.washingtonpost.com/local/poverty-grows-in-high-income-washington-suburbs/2012/09/21/271af814-0406-11e2-8102-ebee9c66e190_story.html
原爆資料館開館当初、「原子力の未来」というコーナーがあった??という件に対する、学芸員さんからの回答をいただきました。ブログsakichokomemoから。
http://sakichokomemo.blogspot.jp/2012/09/blog-post_1526.html
http://medicalfutility.blogspot.jp/2012/09/baby-m-appeals-court-affirms-ruling.html
http://medicalfutility.blogspot.jp/2012/09/baby-m-treatment-case-ends-criminal.html
オランダで医師による自殺幇助が11年から10年で559件も増加。死者全体に占める割合で2.3%から2.7%へ。:記事は自殺幇助と書いているけど、これは安楽死のことと思う。できたら明日エントリーに。
http://www.washingtonpost.com/world/europe/number-of-assisted-suicide-cases-reported-by-dutch-doctors-rose-in-2011/2012/09/26/89be3168-07ec-11e2-9eea-333857f6a7bd_story.html
オレゴンの医師が語る自殺幇助の実態。
http://www.thebostonpilot.com/article.asp?ID=15125
英国でNicklinsonさんと一緒に訴訟起こしていた男性Martinさんが、上訴へ。Nicklinsonさんについてはこちらにリンク一覧 ⇒http://blogs.yahoo.co.jp/spitzibara/65474511.html
http://www.guardian.co.uk/society/2012/sep/20/locked-in-syndrome-appeal-court
スイス議会、自殺幇助の規制強化案を否決。:去年とっくに諦めたのかと思ったけど、まだ諦めていない議員さんたちもいるんだ……。関連はこちらにリンク一覧 ⇒http://blogs.yahoo.co.jp/spitzibara/63558038.html
http://www.reuters.com/article/2012/09/26/us-swiss-politics-suicide-idUSBRE88P15320120926
スウェーデンで母から娘へ子宮提供、2件。
http://www.bioedge.org/index.php/bioethics/bioethics_article/10244#comments
【関連エントリー】
2年以内に世界初の子宮移植ができる、と英国の研究者(2009/10/23)
英国女性が娘に子宮提供を決断、OK出ればスウェーデンで移植手術(2011/6/14)
未来の医療はバイオ・バンク依存型に?
http://www.medicalnewstoday.com/releases/250506.php
小児が脳損傷から負った障害は2年で固まる。:こういう情報がどういう方向に利用されていくのか……と、つい考えてしまう。“無益な治療”論を追いかけたりしていると。
http://www.medicalnewstoday.com/releases/250422.php
米国在住の人のブログで、子どもに5分間に8本ものワクチンが打たれた、という経験談。
http://www.kohara.ac/blog/author1/2009/08/
新刊本。「ジフテリア予防接種禍事件―戦後史の闇と子どもたち」田井中克人、和気正芳著 かもがわ出版:この事件、全然知らなかった。読みたい。
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4780305691?tag=hatena-bu-22
GatesとBuffetの“Giving Pledge”スーパー・リッチ慈善資本主義クラブに、続々と超富裕層が集まっている。
http://www.huffingtonpost.com/2012/09/19/warren-buffett-giving-pledge-new-members_n_1896882.html
毒性廃棄物投棄への規制できていない、とアムネスティとグリーンピースが警告。「Trafigura事件の教訓は生かされていない」:毒性廃棄物が象牙海岸に投棄されて3万人を超える被害者を出したTrafigura事件は、当ブログでも追いかけた事件。
http://www.guardian.co.uk/environment/2012/sep/25/trafigura-lessons-toxic-waste-dumping
象牙海岸の悲惨(2007/12/15)
「象牙海岸で先進国の有害ゴミによる死傷者多数」事件:続報(2008/10/24)
先進国の有害廃棄物でアフリカから3万人超える集団訴訟、最近はマフィアが核廃棄物を海に(2009/9/19)
NZで、ダウン症候群の人の親たちが、出生前遺伝子診断導入で保健省を提訴。
http://www.savingdowns.com/press-release-down-syndrome-parents-take-ministry-of-health-to-the-international-criminal-court/
日本。「出生前診断に対する DPI女性障害者ネットワークの意見」
http://dl.dropbox.com/u/28020767/%E5%87%BA%E7%94%9F%E5%89%8D%E8%A8%BA%E6%96%AD%E3%81%AB%E5%AF%BE%E3%81%99%E3%82%8B%E6%84%8F%E8%A6%8B_DWNJ20120924.pdf
日本の映画「39窃盗団」「ダウン症の兄と発達障害のある弟が、心神喪失者は罰せられないという刑法39条を悪用した振り込め詐欺のボスにだまされ、泥棒の旅に出る異色コメディー」
http://www.cinematoday.jp/movie/T0015746
22日にあったシンポ。「子どもを育てない親への支援 親が育てない子どもへの支援」:たぶん、この話題の流れなんだと推測しているのだけど、ツイッターで「ケアに向いていない女性」という表現が目について、なんだ、その個人モデル発想は? と。
http://www.kojoken.jp/ivent/contents/120922mizyushin.html
日本。出生前、血液で父子判定 国内2業者、1年で150件
http://www.asahi.com/national/update/0924/TKY201209230471.html
ヨーロッパの高齢者ケアの危機。
http://www.bioedge.org/index.php/bioethics/bioethics_article/10242#comments
ワシントンDC郊外の高所得層地域で貧困が広がっている。
http://www.washingtonpost.com/local/poverty-grows-in-high-income-washington-suburbs/2012/09/21/271af814-0406-11e2-8102-ebee9c66e190_story.html
原爆資料館開館当初、「原子力の未来」というコーナーがあった??という件に対する、学芸員さんからの回答をいただきました。ブログsakichokomemoから。
http://sakichokomemo.blogspot.jp/2012/09/blog-post_1526.html
2012.09.29 / Top↑
園との連絡ノートより
今日の昼食後、更衣し、
ミュウさんとゴロゴロ(添い寝)しました。
TVをつけると右頬が下になり、
(塗ったばかりの)軟膏がとれるかと思ったので。
ミュウさ―ん!
「は―――い」
口パク&右手挙上。
ミュウちゃん
「は―――い」
口パクのみ。
コダマ ミュウさーん。
「は……」
もう、いいよ。何回も……。
ちゃんと返事してくれるのが嬉しくて、
何度も呼んでしまいました。
すごくニコニコされていて、
声掛けにすごく反応してくれて……。
嬉しかったです。
ありがとう!!
元気な週末をお過ごしください。
今日の昼食後、更衣し、
ミュウさんとゴロゴロ(添い寝)しました。
TVをつけると右頬が下になり、
(塗ったばかりの)軟膏がとれるかと思ったので。
ミュウさ―ん!
「は―――い」
口パク&右手挙上。
ミュウちゃん
「は―――い」
口パクのみ。
コダマ ミュウさーん。
「は……」
もう、いいよ。何回も……。
ちゃんと返事してくれるのが嬉しくて、
何度も呼んでしまいました。
すごくニコニコされていて、
声掛けにすごく反応してくれて……。
嬉しかったです。
ありがとう!!
元気な週末をお過ごしください。
2012.09.29 / Top↑
(前のエントリーの続きです)
私がこの問題にこだわらないでいられないのは、先に拙著からの引用部分に書いたように
アシュリー事件という窓から私が今という時代の世界のありようを見てきたから。
そこに今という時代の底知れない恐ろしさを感じるから。
70年代は中絶の問題を挟んで
障害者は「女性により殺し殺される関係」を問題とし、
リブは「女性と障害者が殺し殺される関係として対立させられる社会」を問題としたけど、
今度は、
生まれる時と死ぬ時の間の問題(端的に言えば介護の問題)を挟んで、
親と障害当事者は対立させられ、その挙句に殺し殺される関係へと
また追い詰められようとしているんじゃないか、と思う。
在宅介護の重症児・者が親に殺される事件が起こると、
「殺した」「殺された」とツイッターやブログが騒がしくなるけれど、
その時に「殺した」一人の親の背後には、
今この時にも寝たきりの重症児者を家で介護している何千人という親たちがいる。
その多くは既に高齢だ。親の方が要介護の障害者になっていることもあり得る。
(たしか去年奈良で寝たきりの娘を「殺した親」は自身が車いすの障害者だった)
必ずしも支援やサービスの整った都会で暮らしている人ばかりではない。
私には、世の中の動きは「地域移行」という名目で、
そういう暮らし方をする親子をさらに増やしていこうとしているように思えてならない。
「殺した」「殺された」と言っている人たちは、
そういう何千組もの、今この時にもどこかでそうして暮らしている親子が
共に人権を侵害されて日々を暮らしているという事態の方には
なぜ、あまり興味がないのだろう。
今この時に一番苦しみ痛んでいる人の声は社会の表には出てこない。
今この時に苦しみのさなかにいる人は社会に向かって声を上げる余裕も気力もないから。
だから介護の問題で言えば、一番過酷な介護を担っている人の声は私たちには届かない。
そういう人の介護の中に抱え込まれてしまっている、
もともと言葉を持たない重症心身「障害者」の声も、
私たちには届いてこない。
でも、だからといって、
そういう親子が今この時に存在していないわけじゃない。
聞こえてくるのは、なぜ
「親は抱え込むからダメだ」という声(これが何を解決する?)ばかりで、
「親はなぜ抱え込まざるを得なくなるのだろう」と問うてみる声ではないのだろう。
障害者運動の側も「親が一番の敵」と
親だけは個人モデルに置き去りにした捉え方から
「なぜ親が一番の敵にならざるを得ないのか」と
親をも社会モデルに含めた捉え方へと、一歩を踏み出してもらえないだろうか。
そうでなければ、介護の問題を挟んで対立させられているうちに、
親はそれ以外に自分が生きられないところに追い詰められて「殺させられる」だけではなく、
殺したことを称賛されるところまで連れて行かれてしまう。
あのケイ・ギルダーデールのように。
(ギルダーデール事件の詳細は文末にリンク)
「死の自己決定」や「尊厳死」さらに例えば「慈悲殺」といった概念が、
そのツールとして巧妙に利用されていくのだとも思う。
そこでは「自己決定」や「自己選択」という名目で
障害当事者だけでなく親や家族介護者も一緒に「自己責任」の中に廃棄されようとしている。
ギルダーデール事件の時に、
あるME患者さんが書いたように、
「介護者が助けてほしいといっても、その願いは無視されますよ、
でもね、もしも、どうにもできなくなって自殺を手伝うのだったら、
同情をもって迎えてあげますよ」という社会からのメッセージを通じて――。
そのことを、最近ずっと考えている。
考え込んでしまっては、
ミュウを抱いて崖っぷちに追い詰められていくようで、怯えてしまう。
こんなに酷薄な時代だと知りながら、いったい何ができるというのだろう、と
無力感に打ちひしがれ、絶望しそうになる。
森岡先生は、生命学の営みについて、
以下のように書いていた。
……私は何も強制せず、ただ、問いを発し続けるだろう。そうやって、私は、この社会の支配的価値観を担った人々を、世界の一隅から、執拗に揺さぶり続けていくのである。
(p.352)
私には森岡先生やリブの人たちのような「揺さぶ」るほどの力はないけれど、
これまでも殺されてきたし今も殺されている重症障害のある人の一人を娘に持ち、
これまでも殺させられてきたし、今からまさに殺させられようとしている親の一人として、
障害者運動も女からの声、親からの声に一度とり乱してみては、と思うのだから、
例えば、「親は障害児を邪魔だと言って施設に入れたり殺すから敵だ」と言う人は、
その一方で自身の人生では、自分が社会的存在として生きるのに邪魔だから
子育ても年寄りの介護も身近な誰か(例えば背負わせやすい女)に背負わせてきた、
または、状況によっては背負わせる可能性があるのではないか、と
自分をまず問うてみてはどうか? と思うのだから、
そう思うなら、私はそう思うと言うしかないんだな、と
この本を読みながら、思った。
そんなふうに、70年代の米津さんと同じことを
私は私自身の言葉で、呼びかけていくしかないのだな、と思った。
「私はそうして行きたいと思っています」という
米津さんの言葉が、すがしい。
私も、そうして行きたいと思います。
【Gilderdale事件関連エントリー】
Gilderdale事件:「慈悲殺」を「自殺幇助」希望の代理決定として正当化する論理(2008/4/18)
慢性疲労症候群の娘を看護師の母親がモルヒネで殺したGilderdale事件(2010/1/19)
Gilderdale事件から、自殺幇助議論の落とし穴について(2010/1/22)
Gilderdale事件で母親に執行猶予(2010/1/26)
Gilderdale事件:こんな「無私で献身的な」母親は訴追すべきではなかった、と判事(2010/1/26)
「Gilderdale事件はダブルスタンダードの1例」とME患者(2010/1/29)
私がこの問題にこだわらないでいられないのは、先に拙著からの引用部分に書いたように
アシュリー事件という窓から私が今という時代の世界のありようを見てきたから。
そこに今という時代の底知れない恐ろしさを感じるから。
70年代は中絶の問題を挟んで
障害者は「女性により殺し殺される関係」を問題とし、
リブは「女性と障害者が殺し殺される関係として対立させられる社会」を問題としたけど、
今度は、
生まれる時と死ぬ時の間の問題(端的に言えば介護の問題)を挟んで、
親と障害当事者は対立させられ、その挙句に殺し殺される関係へと
また追い詰められようとしているんじゃないか、と思う。
在宅介護の重症児・者が親に殺される事件が起こると、
「殺した」「殺された」とツイッターやブログが騒がしくなるけれど、
その時に「殺した」一人の親の背後には、
今この時にも寝たきりの重症児者を家で介護している何千人という親たちがいる。
その多くは既に高齢だ。親の方が要介護の障害者になっていることもあり得る。
(たしか去年奈良で寝たきりの娘を「殺した親」は自身が車いすの障害者だった)
必ずしも支援やサービスの整った都会で暮らしている人ばかりではない。
私には、世の中の動きは「地域移行」という名目で、
そういう暮らし方をする親子をさらに増やしていこうとしているように思えてならない。
「殺した」「殺された」と言っている人たちは、
そういう何千組もの、今この時にもどこかでそうして暮らしている親子が
共に人権を侵害されて日々を暮らしているという事態の方には
なぜ、あまり興味がないのだろう。
今この時に一番苦しみ痛んでいる人の声は社会の表には出てこない。
今この時に苦しみのさなかにいる人は社会に向かって声を上げる余裕も気力もないから。
だから介護の問題で言えば、一番過酷な介護を担っている人の声は私たちには届かない。
そういう人の介護の中に抱え込まれてしまっている、
もともと言葉を持たない重症心身「障害者」の声も、
私たちには届いてこない。
でも、だからといって、
そういう親子が今この時に存在していないわけじゃない。
聞こえてくるのは、なぜ
「親は抱え込むからダメだ」という声(これが何を解決する?)ばかりで、
「親はなぜ抱え込まざるを得なくなるのだろう」と問うてみる声ではないのだろう。
障害者運動の側も「親が一番の敵」と
親だけは個人モデルに置き去りにした捉え方から
「なぜ親が一番の敵にならざるを得ないのか」と
親をも社会モデルに含めた捉え方へと、一歩を踏み出してもらえないだろうか。
そうでなければ、介護の問題を挟んで対立させられているうちに、
親はそれ以外に自分が生きられないところに追い詰められて「殺させられる」だけではなく、
殺したことを称賛されるところまで連れて行かれてしまう。
あのケイ・ギルダーデールのように。
(ギルダーデール事件の詳細は文末にリンク)
「死の自己決定」や「尊厳死」さらに例えば「慈悲殺」といった概念が、
そのツールとして巧妙に利用されていくのだとも思う。
そこでは「自己決定」や「自己選択」という名目で
障害当事者だけでなく親や家族介護者も一緒に「自己責任」の中に廃棄されようとしている。
ギルダーデール事件の時に、
あるME患者さんが書いたように、
「介護者が助けてほしいといっても、その願いは無視されますよ、
でもね、もしも、どうにもできなくなって自殺を手伝うのだったら、
同情をもって迎えてあげますよ」という社会からのメッセージを通じて――。
そのことを、最近ずっと考えている。
考え込んでしまっては、
ミュウを抱いて崖っぷちに追い詰められていくようで、怯えてしまう。
こんなに酷薄な時代だと知りながら、いったい何ができるというのだろう、と
無力感に打ちひしがれ、絶望しそうになる。
森岡先生は、生命学の営みについて、
以下のように書いていた。
……私は何も強制せず、ただ、問いを発し続けるだろう。そうやって、私は、この社会の支配的価値観を担った人々を、世界の一隅から、執拗に揺さぶり続けていくのである。
(p.352)
私には森岡先生やリブの人たちのような「揺さぶ」るほどの力はないけれど、
これまでも殺されてきたし今も殺されている重症障害のある人の一人を娘に持ち、
これまでも殺させられてきたし、今からまさに殺させられようとしている親の一人として、
障害者運動も女からの声、親からの声に一度とり乱してみては、と思うのだから、
例えば、「親は障害児を邪魔だと言って施設に入れたり殺すから敵だ」と言う人は、
その一方で自身の人生では、自分が社会的存在として生きるのに邪魔だから
子育ても年寄りの介護も身近な誰か(例えば背負わせやすい女)に背負わせてきた、
または、状況によっては背負わせる可能性があるのではないか、と
自分をまず問うてみてはどうか? と思うのだから、
そう思うなら、私はそう思うと言うしかないんだな、と
この本を読みながら、思った。
そんなふうに、70年代の米津さんと同じことを
私は私自身の言葉で、呼びかけていくしかないのだな、と思った。
「私はそうして行きたいと思っています」という
米津さんの言葉が、すがしい。
私も、そうして行きたいと思います。
【Gilderdale事件関連エントリー】
Gilderdale事件:「慈悲殺」を「自殺幇助」希望の代理決定として正当化する論理(2008/4/18)
慢性疲労症候群の娘を看護師の母親がモルヒネで殺したGilderdale事件(2010/1/19)
Gilderdale事件から、自殺幇助議論の落とし穴について(2010/1/22)
Gilderdale事件で母親に執行猶予(2010/1/26)
Gilderdale事件:こんな「無私で献身的な」母親は訴追すべきではなかった、と判事(2010/1/26)
「Gilderdale事件はダブルスタンダードの1例」とME患者(2010/1/29)
2012.09.29 / Top↑
(前のエントリーからの続きです)
第6章の「障害者と『内なる優生思想』」では、
もう一度青い芝の会とリブとの衝突を振り返りつつ、
内なる優生思想問題が掘り下げられていくのだけれど、
青い芝の会の考え方が簡潔に取りまとめられている個所は、例えば以下。
健全者のエゴイズムは、一般の健常者の心の中にあるだけではない。それは、障害児の世話をしている親の心の中にも存在する。親は、障害児の世話という重い荷物を背中からおろして安心したい、心の平安がほしいと思っている。これこそが、健全者のエゴイズムである。さらに悪いことには、親は、「障害児が死んでしまえば自分が楽になる」という思いを、「障害児が死んでしまうことが障害児にとって幸せになる」とごまかしていくのだ。
障害者は、社会に広く蔓延している「健全者のエゴイズム」と闘わなければならない。それと同時に、そのようなエゴイズムにまみれた親からの「解放」が必要なのである。彼らが自立生活を始めた一つの理由は、親から解放されることだった。
「青い芝の会」は、社会に向かって訴える。なぜあなたたちは、障害者を不幸と決めつけるのか。障害者は生まれてこなかった方が幸せだと言うのか。障害者はこの社会に存在しない方がいいと考えるのか。……
(p.292)
「青い芝の会」のすごさは、
「健全者幻想」がほかならぬ障害者自身の心の中にもあることに気付いたこと。
……彼らは、健全者たちを仮想的にして、彼らを叩きつぶせばいいとする闘いの欺瞞に気づいてしまったのだ。闘うべき敵は目の前の相手だけではない。闘おうとする自分自身の内部にも、敵は潜んでいる。だから、障害者解放運動は、自己との闘いを不可避的に含まざるを得ない。このきわめて「生命学的」な状況から目を逸らさなかったのが、「青い芝の会」の治世の深さだ。そこから目を逸らさなかったがゆえに、彼らは、後にウーマン・リブの女性たちと、深い次元でのやりとりをすることができ、彼女たちの大きなインパクトを与えたのであろう。
(p.299-300)
リブの側からも重要な呼びかけがされている。
米津知子(このまえ福島菊次郎さんの映画で見た人だ)の発言。
確かに殺される側の障害者とそして殺す側の女というのはこの世の中で対立させられていると思うし……(spitzibaraによる中略)……
…… 女が殺したのだと言うところで女が糾弾されると言うのは、一面では正当だけれども、でもやっぱり何故女に障害児殺しをさせたのだと言うところで権力に対する恨みとして怒りとしてそれを向けていってほしいと言う気がします。私はそうして行きたいと思っています。
(p.308)
こうしたリブからの応答について、
森岡先生は以下のように書く。
障害者と女性の対立というのは、権力によって仕掛けられた図式であり、表面上の対立を超えて両者は共闘できるという考え方が、ここにあらわれている。
(p.309)
……すなわち、女性と障害者は権力によって対立させられているのであるから、われわれは、われわれをそのような対立に追い込もうとする権力に対して、共に闘わなければならないという「女性と障害者の共闘パラダイム」が成立したのである。
(p.309)
でも、私はこのパラダイムは本当は成立していない、と思う。
なぜなら、
70年代に、
「障害理由での中絶は女性の権利の中でどうなんだ?」という障害者運動からの問いを
リブは正面から受け止め、少なくとも応えようとその痛みを引き受け考えた、
(解決は今だにしていないとしても)と思うのだけれど、
「母親は殺すんじゃない、殺させられているんだ」というリブからの問い返しを
70年代にも障害者運動は受け止めなかったし、今だに受け止めていないのでは?
実は、この疑問こそが、
この本をどうしても読みたいと私が思った理由だった。
ものすごく僭越なのかもしれないけれど、
「アシュリー事件」で以下のように書いた時、
私は米津さんと同じことを呼び掛けたのだと思う。
(これを書いた時の私は、優生保護法改悪反対運動についても、
そこでのリブと障害者運動の対立についても米津知子についても何も知らなかった。
田中美津も名前くらいしか知らなかったけど)
……「親が一番の敵」とは、本当に、逃れようもなくズバリと真実を突いた言葉だ。親はその真実にまず気付かなければならないのだと思う。抑圧する者としての自分を自覚しているべきなのだろうと思う。一方、「親が一番の敵」だという指摘が真実だというのは、「親が敵になってしまう一面が確かにある」ということであって、「全面的に敵だ」ということでも「敵でしかない」ということでもないはずだ。「親が一番の敵だ」と対立的なところから責めて終わるのではなく「親が一番の敵にならざるを得ない社会」にも目を転じることによって、親とも共に考え闘う障害学や障害者運動というものはありえないだろうか。そんなおずおずとした問いかけをしてみないでいられなかった。
アシュリーの父親やディクマらが描いて見せる「親の愛」vs「障害者運動のイデオロギー」という対立の構図を乗り越えていく方策がどこかにあるとしたら、そこから探し始めることができるのではないか。そして、実はそれは非常に切迫した急務ではないのか……。
拙著「アシュリー事件」(p.253-254)
でも、この呼びかけは
障害者運動からは「障害者運動を批判した」と受け止められて、
「だから障害者は自立生活を目指したんじゃないか」と返されてしまう。
そこに、私が感じるのは、
障害者運動という運動がもつ男性性に対するやりきれなさ、とでも言ったもの。
それは例えば、
重症重複障害のある子どもの親としての立場で
「ピーター・シンガーには重症児・者の現実が見えていない」と言っているのに対して、
「おまえにはシンガーが分かっていない」と学者から返されてしまうことに感じる
やりきれなさと、とても似ている。
じゃぁ、私がシンガーの本をもっと読み、シンガーを正しく理解すれば
シンガーに重症児・者の現実が見えるようになる、というのだろうか、というような。
それは単に「もっと勉強して出直してこい」と聞く耳もたず
高いところから門前払いを食らわせているだけではないのか、というような。
そんな中で悶々としながら頭の中でグルグルしてきたことが
「アシュリー事件」の後で田中美津と出会い、それからこの本を読んで
やっと、くっきりとした言葉になってきた気がする。
それが先の疑問。
障害者運動はリブに問題提起をしたけれど、
女性の側からの問い返しと共闘の呼び掛けには、いまだ応えていないのではないか――。
(次のエントリーに続く)
第6章の「障害者と『内なる優生思想』」では、
もう一度青い芝の会とリブとの衝突を振り返りつつ、
内なる優生思想問題が掘り下げられていくのだけれど、
青い芝の会の考え方が簡潔に取りまとめられている個所は、例えば以下。
健全者のエゴイズムは、一般の健常者の心の中にあるだけではない。それは、障害児の世話をしている親の心の中にも存在する。親は、障害児の世話という重い荷物を背中からおろして安心したい、心の平安がほしいと思っている。これこそが、健全者のエゴイズムである。さらに悪いことには、親は、「障害児が死んでしまえば自分が楽になる」という思いを、「障害児が死んでしまうことが障害児にとって幸せになる」とごまかしていくのだ。
障害者は、社会に広く蔓延している「健全者のエゴイズム」と闘わなければならない。それと同時に、そのようなエゴイズムにまみれた親からの「解放」が必要なのである。彼らが自立生活を始めた一つの理由は、親から解放されることだった。
「青い芝の会」は、社会に向かって訴える。なぜあなたたちは、障害者を不幸と決めつけるのか。障害者は生まれてこなかった方が幸せだと言うのか。障害者はこの社会に存在しない方がいいと考えるのか。……
(p.292)
「青い芝の会」のすごさは、
「健全者幻想」がほかならぬ障害者自身の心の中にもあることに気付いたこと。
……彼らは、健全者たちを仮想的にして、彼らを叩きつぶせばいいとする闘いの欺瞞に気づいてしまったのだ。闘うべき敵は目の前の相手だけではない。闘おうとする自分自身の内部にも、敵は潜んでいる。だから、障害者解放運動は、自己との闘いを不可避的に含まざるを得ない。このきわめて「生命学的」な状況から目を逸らさなかったのが、「青い芝の会」の治世の深さだ。そこから目を逸らさなかったがゆえに、彼らは、後にウーマン・リブの女性たちと、深い次元でのやりとりをすることができ、彼女たちの大きなインパクトを与えたのであろう。
(p.299-300)
リブの側からも重要な呼びかけがされている。
米津知子(このまえ福島菊次郎さんの映画で見た人だ)の発言。
確かに殺される側の障害者とそして殺す側の女というのはこの世の中で対立させられていると思うし……(spitzibaraによる中略)……
…… 女が殺したのだと言うところで女が糾弾されると言うのは、一面では正当だけれども、でもやっぱり何故女に障害児殺しをさせたのだと言うところで権力に対する恨みとして怒りとしてそれを向けていってほしいと言う気がします。私はそうして行きたいと思っています。
(p.308)
こうしたリブからの応答について、
森岡先生は以下のように書く。
障害者と女性の対立というのは、権力によって仕掛けられた図式であり、表面上の対立を超えて両者は共闘できるという考え方が、ここにあらわれている。
(p.309)
……すなわち、女性と障害者は権力によって対立させられているのであるから、われわれは、われわれをそのような対立に追い込もうとする権力に対して、共に闘わなければならないという「女性と障害者の共闘パラダイム」が成立したのである。
(p.309)
でも、私はこのパラダイムは本当は成立していない、と思う。
なぜなら、
70年代に、
「障害理由での中絶は女性の権利の中でどうなんだ?」という障害者運動からの問いを
リブは正面から受け止め、少なくとも応えようとその痛みを引き受け考えた、
(解決は今だにしていないとしても)と思うのだけれど、
「母親は殺すんじゃない、殺させられているんだ」というリブからの問い返しを
70年代にも障害者運動は受け止めなかったし、今だに受け止めていないのでは?
実は、この疑問こそが、
この本をどうしても読みたいと私が思った理由だった。
ものすごく僭越なのかもしれないけれど、
「アシュリー事件」で以下のように書いた時、
私は米津さんと同じことを呼び掛けたのだと思う。
(これを書いた時の私は、優生保護法改悪反対運動についても、
そこでのリブと障害者運動の対立についても米津知子についても何も知らなかった。
田中美津も名前くらいしか知らなかったけど)
……「親が一番の敵」とは、本当に、逃れようもなくズバリと真実を突いた言葉だ。親はその真実にまず気付かなければならないのだと思う。抑圧する者としての自分を自覚しているべきなのだろうと思う。一方、「親が一番の敵」だという指摘が真実だというのは、「親が敵になってしまう一面が確かにある」ということであって、「全面的に敵だ」ということでも「敵でしかない」ということでもないはずだ。「親が一番の敵だ」と対立的なところから責めて終わるのではなく「親が一番の敵にならざるを得ない社会」にも目を転じることによって、親とも共に考え闘う障害学や障害者運動というものはありえないだろうか。そんなおずおずとした問いかけをしてみないでいられなかった。
アシュリーの父親やディクマらが描いて見せる「親の愛」vs「障害者運動のイデオロギー」という対立の構図を乗り越えていく方策がどこかにあるとしたら、そこから探し始めることができるのではないか。そして、実はそれは非常に切迫した急務ではないのか……。
拙著「アシュリー事件」(p.253-254)
でも、この呼びかけは
障害者運動からは「障害者運動を批判した」と受け止められて、
「だから障害者は自立生活を目指したんじゃないか」と返されてしまう。
そこに、私が感じるのは、
障害者運動という運動がもつ男性性に対するやりきれなさ、とでも言ったもの。
それは例えば、
重症重複障害のある子どもの親としての立場で
「ピーター・シンガーには重症児・者の現実が見えていない」と言っているのに対して、
「おまえにはシンガーが分かっていない」と学者から返されてしまうことに感じる
やりきれなさと、とても似ている。
じゃぁ、私がシンガーの本をもっと読み、シンガーを正しく理解すれば
シンガーに重症児・者の現実が見えるようになる、というのだろうか、というような。
それは単に「もっと勉強して出直してこい」と聞く耳もたず
高いところから門前払いを食らわせているだけではないのか、というような。
そんな中で悶々としながら頭の中でグルグルしてきたことが
「アシュリー事件」の後で田中美津と出会い、それからこの本を読んで
やっと、くっきりとした言葉になってきた気がする。
それが先の疑問。
障害者運動はリブに問題提起をしたけれど、
女性の側からの問い返しと共闘の呼び掛けには、いまだ応えていないのではないか――。
(次のエントリーに続く)
2012.09.29 / Top↑
「生命学に何ができるか 脳死・フェミニズム・優生思想」
森岡正博 勁草書房 2002
冒頭の脳死関連の章も大変面白いのだけれど、
今回はとりあえず、ウーマン・リブと障害者運動との間にあったことを知り、
そのうえで考えてみたいことがあってこの本を手にした事情があるので、
脳死関連はここではパスして、以下もほぼ自分のためのメモとして。
まず最初にメモしておきたいこととして
パーソン論批判。
ちなみに29歳の森岡先生が書いたパーソン論批判についてはこちらに ↓
森岡正博氏(29歳)による「パーソン論の限界」(2009/8/22)
それを読んでspitzibaraが書いたパーソン論批判はこちら ↓
Spitzibaraからパーソン論へのクレーム(2009/8/23)
…パーソン論には大きな罠がある。それは、われわれが見失ってはならない人間観や、われわれが引き受けなければならないはずの倫理性というものを、巧妙に隠ぺいしてしまう働きがあるのだ。そのことを明らかにし、パーソン論の発想を批判しなければならない。われわれの課題とは、パーソン論を綿密に展開することにあるのではなく、パーソン論とは別要に考えてゆく可能性を模索することにある。
(p.109-110)
森岡先生は、パーソン論は見かけだけはラディカルだけど
実は保守主義であり、免責、免罪のイデオロギーだ、と看破する。
すなわち、パーソン論とは、われわれの多くがこの社会で実行しているところの、生命に価値の高低をつける差別的な取り扱いを、あからさまに肯定する理論なのである。それは、社会の現実というものを見据えたうえで、さらにそれを乗り越えていこうという思想ではない。それは、現実社会で行われている差別的な行為に、理論のお墨付きを与える、保守主義的な思想なのだ。(p.110)
パーソン論にあるのは、自分が悪いことをしないためには、どのように「悪」を定義すればよいかという視点だ。裏返せば、パーソン論には、悪い行いをしてしまった自分が、それを引き受けてどのように生き続ければいいのかという視点がない。悪の「責め」を自らに引き受けながら、いかに人生を生き切ればよいのかという視点がない。
(p.118)
パーソン論が、われわれの目をふさいで見えなくさせているもの、それが〈揺らぐ私〉のリアリティである。〈揺らぐ私〉のリアリティとは何か。
(p.127)
この〈揺らぐ私〉のリアリティが、
次の章でフェミニズムを経て、さらに次の章で田中美津の「とり乱し」と、
そのとり乱しを通して他者と出会おうとした彼女の思想へと繋がっていく。
第3章のキモは
70年代の優生保護紹介悪反対運動で障害者運動から投げかけられた
女性の選択権と選別的中絶における命の選別の相克の問題について
リブの側でどれほどの思索が深められていったか、というところ。
私がこの本で一番読みたかったのも、そこだった。
田中美津は、
胎児は人間ではない、と理屈で正当化されただけでは済まないものが自分の中にある、
それは何かと問い、
女は好んで中絶しているのではなく、中絶させられているのだ。それを確認したうえで、田中は、中絶する自分を殺人者としてとらえる。胎児の生命を絶つという事実から目をそらすことなく、その行為を殺人としてとらえる。そのうえで、自分が殺人者とならざるをえないようになっているこの社会の構造と、そしておそらくはこの声明世界の構造の真相を、殺人者の目からとらえ直そうとしているのである。そしてこの問いのさらに背後には、殺人や生命の殺戮なしには生きていけない人間存在とはいったい何なのかという根本的な問いが、ゆるくつながる形で存在していると私は思う。
(p.169)
……中絶は道徳的に悪ではないから許される、というふうには村上(spitzibara注:節子)や田中は考えない。そうではなく、中絶を子殺しだと認めたうえで、そういう子殺しをしてしまう自分を見つめ、自分の生のあり方を見つめ、自分が子殺しをしてしまうのはなぜか、子殺しをさせられてしまうのはなぜかというふうに思索を展開し、みずからの生きる道を定めていく。このような思索のパラダイム転換こそが、七〇年代ウーマン・リブの生命倫理の革新性なのである。
(p.176-7)
村上は、
女の生理にのっとって「衝動的に」子どもを生める日のために、
命の管理としての中絶=子殺しを女自身の手でやるべきだと主張している。
(私はここはまだよく理解できない)
中絶についての森岡先生のスタンスも、
分かったような気がするのだけど微妙で分かり切っていない気もするので
ここではパスしておく。
結局のところ、70年代に障害者運動から問われた、
女性の中絶の権利の中に障害を理由にした中絶の権利も含まれるのか、という問題は
「リブの言説の内部では決着が付かず、八〇年代を経て現在にまで持ち越されている」(p.190)
で、森岡先生が田中美津の思索の先に構想している「生命学にできること」とは
例えば
……単純で一面的でもいいから、どちらかの立場で一刀両断してすっきりしたい、という誘惑に最後まで抵抗すること。これらの難問に直面したときにわれわれを襲う「とり乱し」の状況に、まずは耐えること。そして、自分のなかのとり乱しの内部へと深く入り、なぜ私がこんなにもとり乱しているのかを、私自身の人生と経験を断層検査しながら解体していくこと。
(p.243)
あるいは
「悪ではないもの」の内容を記述して「そのように行動せよ!」と指令する倫理学ではなく、「悪」を背負った者同士が、自らの存在を自己肯定しつつ、どのようにして「悪ではないもの」をめざして歩んでいけるのかを、とり乱しと出会いのプロセスのなかで学び合い、伝達し合っていく営み。……
(p.248)
それは森岡先生自身の中では、以下のような
矛盾する男としての自分の「とり乱し」の自覚と、
その「とり乱し」の苦しさから逃げない覚悟となっている。
……私の中には、女たちの声を聞きそれと出会ってゆきたい自分があると同時に、いままでどおり身近な女たちに苦しみと辛さを押し付けて、男の権力性の上にあぐらをかいたまま、自分の快適さと欲望追求にいそしみたい自分とが同居している……
(p.237)
(次のエントリーに続く)
森岡正博 勁草書房 2002
冒頭の脳死関連の章も大変面白いのだけれど、
今回はとりあえず、ウーマン・リブと障害者運動との間にあったことを知り、
そのうえで考えてみたいことがあってこの本を手にした事情があるので、
脳死関連はここではパスして、以下もほぼ自分のためのメモとして。
まず最初にメモしておきたいこととして
パーソン論批判。
ちなみに29歳の森岡先生が書いたパーソン論批判についてはこちらに ↓
森岡正博氏(29歳)による「パーソン論の限界」(2009/8/22)
それを読んでspitzibaraが書いたパーソン論批判はこちら ↓
Spitzibaraからパーソン論へのクレーム(2009/8/23)
…パーソン論には大きな罠がある。それは、われわれが見失ってはならない人間観や、われわれが引き受けなければならないはずの倫理性というものを、巧妙に隠ぺいしてしまう働きがあるのだ。そのことを明らかにし、パーソン論の発想を批判しなければならない。われわれの課題とは、パーソン論を綿密に展開することにあるのではなく、パーソン論とは別要に考えてゆく可能性を模索することにある。
(p.109-110)
森岡先生は、パーソン論は見かけだけはラディカルだけど
実は保守主義であり、免責、免罪のイデオロギーだ、と看破する。
すなわち、パーソン論とは、われわれの多くがこの社会で実行しているところの、生命に価値の高低をつける差別的な取り扱いを、あからさまに肯定する理論なのである。それは、社会の現実というものを見据えたうえで、さらにそれを乗り越えていこうという思想ではない。それは、現実社会で行われている差別的な行為に、理論のお墨付きを与える、保守主義的な思想なのだ。(p.110)
パーソン論にあるのは、自分が悪いことをしないためには、どのように「悪」を定義すればよいかという視点だ。裏返せば、パーソン論には、悪い行いをしてしまった自分が、それを引き受けてどのように生き続ければいいのかという視点がない。悪の「責め」を自らに引き受けながら、いかに人生を生き切ればよいのかという視点がない。
(p.118)
パーソン論が、われわれの目をふさいで見えなくさせているもの、それが〈揺らぐ私〉のリアリティである。〈揺らぐ私〉のリアリティとは何か。
(p.127)
この〈揺らぐ私〉のリアリティが、
次の章でフェミニズムを経て、さらに次の章で田中美津の「とり乱し」と、
そのとり乱しを通して他者と出会おうとした彼女の思想へと繋がっていく。
第3章のキモは
70年代の優生保護紹介悪反対運動で障害者運動から投げかけられた
女性の選択権と選別的中絶における命の選別の相克の問題について
リブの側でどれほどの思索が深められていったか、というところ。
私がこの本で一番読みたかったのも、そこだった。
田中美津は、
胎児は人間ではない、と理屈で正当化されただけでは済まないものが自分の中にある、
それは何かと問い、
女は好んで中絶しているのではなく、中絶させられているのだ。それを確認したうえで、田中は、中絶する自分を殺人者としてとらえる。胎児の生命を絶つという事実から目をそらすことなく、その行為を殺人としてとらえる。そのうえで、自分が殺人者とならざるをえないようになっているこの社会の構造と、そしておそらくはこの声明世界の構造の真相を、殺人者の目からとらえ直そうとしているのである。そしてこの問いのさらに背後には、殺人や生命の殺戮なしには生きていけない人間存在とはいったい何なのかという根本的な問いが、ゆるくつながる形で存在していると私は思う。
(p.169)
……中絶は道徳的に悪ではないから許される、というふうには村上(spitzibara注:節子)や田中は考えない。そうではなく、中絶を子殺しだと認めたうえで、そういう子殺しをしてしまう自分を見つめ、自分の生のあり方を見つめ、自分が子殺しをしてしまうのはなぜか、子殺しをさせられてしまうのはなぜかというふうに思索を展開し、みずからの生きる道を定めていく。このような思索のパラダイム転換こそが、七〇年代ウーマン・リブの生命倫理の革新性なのである。
(p.176-7)
村上は、
女の生理にのっとって「衝動的に」子どもを生める日のために、
命の管理としての中絶=子殺しを女自身の手でやるべきだと主張している。
(私はここはまだよく理解できない)
中絶についての森岡先生のスタンスも、
分かったような気がするのだけど微妙で分かり切っていない気もするので
ここではパスしておく。
結局のところ、70年代に障害者運動から問われた、
女性の中絶の権利の中に障害を理由にした中絶の権利も含まれるのか、という問題は
「リブの言説の内部では決着が付かず、八〇年代を経て現在にまで持ち越されている」(p.190)
で、森岡先生が田中美津の思索の先に構想している「生命学にできること」とは
例えば
……単純で一面的でもいいから、どちらかの立場で一刀両断してすっきりしたい、という誘惑に最後まで抵抗すること。これらの難問に直面したときにわれわれを襲う「とり乱し」の状況に、まずは耐えること。そして、自分のなかのとり乱しの内部へと深く入り、なぜ私がこんなにもとり乱しているのかを、私自身の人生と経験を断層検査しながら解体していくこと。
(p.243)
あるいは
「悪ではないもの」の内容を記述して「そのように行動せよ!」と指令する倫理学ではなく、「悪」を背負った者同士が、自らの存在を自己肯定しつつ、どのようにして「悪ではないもの」をめざして歩んでいけるのかを、とり乱しと出会いのプロセスのなかで学び合い、伝達し合っていく営み。……
(p.248)
それは森岡先生自身の中では、以下のような
矛盾する男としての自分の「とり乱し」の自覚と、
その「とり乱し」の苦しさから逃げない覚悟となっている。
……私の中には、女たちの声を聞きそれと出会ってゆきたい自分があると同時に、いままでどおり身近な女たちに苦しみと辛さを押し付けて、男の権力性の上にあぐらをかいたまま、自分の快適さと欲望追求にいそしみたい自分とが同居している……
(p.237)
(次のエントリーに続く)
2012.09.29 / Top↑
lessorさんによる「障害のある乳幼児と母親たち―その変容プロセス」一瀬早百合著 生活書院の書評。
http://d.hatena.ne.jp/lessor/20120918/1347984805
lessorさんが最後に「この本を「障害児の親」が読んだらどう思うのだろう、というのは個人的な興味としてある」と書いておられるので、私は既に「児の親」ではないし、lessorさんのように研究の文脈に位置付けては読めていないけれど、7月にこの本を読んで書いたエントリーを以下に ↓
「障害のある乳幼児と母親たち その変容のプロセス」から「なぜ障害のある子どもの母親は『親でしかない』のか」へ 1(2012/7/27)
「障害のある乳幼児と母親たち その変容のプロセス」から「なぜ障害のある子どもの母親は『親でしかない』のか」へ 2(2012/7/27)
「障害のある乳幼児と母親たち その変容のプロセス」から「なぜ障害のある子どもの母親は『親でしかない』のか」へ 3(2012/7/27)
―――――
スコットランドのマクドナルド議員、執念の自殺幇助合法化法案再提出へ。Nicklinson事件で議員の意識も高まったはず、と。
http://www.google.com/hostednews/ukpress/article/ALeqM5j6AOXpOV8m5ZNaVbL1hrf5-GXd5Q?docId=N0251691348023545977A
【スコットランド自殺幇助合関連エントリー】
スコットランドでも自殺幇助合法化法案か(2009/2/20)
スコットランドでも「死の自己決定権」アドボケイトの医師が高齢障害者の餓死を幇助(2009/3/11)
スコットランドの自殺幇助合法化法案に倫理団体から批判(2009/4/22)
スコットランド議会で自殺幇助合法化案、提出へ(2009/4/25)
自殺幇助希望のスコットランドの女性、腎臓透析やめるよう医師に”命じ“る(2009/6/14)
英国看護学会、スコットランドの自殺幇助法案提出議員と会談へ(2009/7/28)
スコットランドの世論調査で3分の2以上が自殺幇助合法化を支持(2009/11/8)
「自立生活できない身障者も可」スコットランド自殺幇助合法化法案(2010/1/22)
ローマ法王がスコットランドの自殺幇助合法化法案を批判(2010/2/6)
スコットランド自殺幇助合法化法案を「死の自己決定権」アドボケイトが批判(2010/2/9)
スコットランドのパブコメは、87%が自殺幇助合法化法案に反対(2010/6/20)
スコットランド、加・ケベック州で自殺幇助について意見聴取(2010/9/8)
スコットランド自殺幇助合法化法案から「自立できない障害者」要件は外される見通しに(2010/9/22)
スコットランドの自殺幇助合法化法案、否決(2010/12/2)
【Nicklinson事件関連エントリー】
“ロックト・イン症候群”の男性が「妻に殺してもらう権利」求め提訴(英)(2010/7/20)
自殺幇助希望の“ロックト・イン”患者Nicklinson訴訟で判決(2012/3/13)
自殺幇助訴訟のNicklinsonさん、ツイッターを始める(2012/7/2)
「死ぬ権利」求めるロックト・イン患者Nicklinsonさん、敗訴(2012/8/17)
Nicklinsonさん、肺炎で死去(2012/8/29)
オーストラリア政府、障害者の家族への介護者手当カットへ?
http://www.radionz.co.nz/news/national/116162/payments-for-family-carers-could-be-restricted
在宅で終末期の患者をケアする介護者には看護師の支援が有効。
http://www.medicalnewstoday.com/releases/250310.php
英国の頭痛持ちの原因は鎮痛剤の飲みすぎ?
http://www.guardian.co.uk/society/2012/sep/19/headaches-painkillers
英国の空港で、“high value(価値の高い)”富裕層の乗客は一般と同じようにパスポートチェックに並ばなくてもスイスイ通り過ぎられるよう制度化する、とか。
http://www.guardian.co.uk/uk/2012/sep/18/high-value-fasttrack-passport-checks?CMP=EMCNEWEML1355
NYT. 米国では、公教育で優秀児をもっと大切に育てろ、というOp-Ed。:9月14日の補遺で拾ったニュースでは、米国の子供の5人に1人が貧困状態だというのもあった……ということをなぜともなく考えてしまう。
Young, Gifted and Neglected: Public education’s neglect of high-ability students doesn’t just deny individuals opportunities they deserve. It also imperils the country’s future supply of scientists, inventors and entrepreneurs.
日本語。5回目の新型核実験=X線使用、爆発伴わず―米
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120919-00000036-jij-int
http://d.hatena.ne.jp/lessor/20120918/1347984805
lessorさんが最後に「この本を「障害児の親」が読んだらどう思うのだろう、というのは個人的な興味としてある」と書いておられるので、私は既に「児の親」ではないし、lessorさんのように研究の文脈に位置付けては読めていないけれど、7月にこの本を読んで書いたエントリーを以下に ↓
「障害のある乳幼児と母親たち その変容のプロセス」から「なぜ障害のある子どもの母親は『親でしかない』のか」へ 1(2012/7/27)
「障害のある乳幼児と母親たち その変容のプロセス」から「なぜ障害のある子どもの母親は『親でしかない』のか」へ 2(2012/7/27)
「障害のある乳幼児と母親たち その変容のプロセス」から「なぜ障害のある子どもの母親は『親でしかない』のか」へ 3(2012/7/27)
―――――
スコットランドのマクドナルド議員、執念の自殺幇助合法化法案再提出へ。Nicklinson事件で議員の意識も高まったはず、と。
http://www.google.com/hostednews/ukpress/article/ALeqM5j6AOXpOV8m5ZNaVbL1hrf5-GXd5Q?docId=N0251691348023545977A
【スコットランド自殺幇助合関連エントリー】
スコットランドでも自殺幇助合法化法案か(2009/2/20)
スコットランドでも「死の自己決定権」アドボケイトの医師が高齢障害者の餓死を幇助(2009/3/11)
スコットランドの自殺幇助合法化法案に倫理団体から批判(2009/4/22)
スコットランド議会で自殺幇助合法化案、提出へ(2009/4/25)
自殺幇助希望のスコットランドの女性、腎臓透析やめるよう医師に”命じ“る(2009/6/14)
英国看護学会、スコットランドの自殺幇助法案提出議員と会談へ(2009/7/28)
スコットランドの世論調査で3分の2以上が自殺幇助合法化を支持(2009/11/8)
「自立生活できない身障者も可」スコットランド自殺幇助合法化法案(2010/1/22)
ローマ法王がスコットランドの自殺幇助合法化法案を批判(2010/2/6)
スコットランド自殺幇助合法化法案を「死の自己決定権」アドボケイトが批判(2010/2/9)
スコットランドのパブコメは、87%が自殺幇助合法化法案に反対(2010/6/20)
スコットランド、加・ケベック州で自殺幇助について意見聴取(2010/9/8)
スコットランド自殺幇助合法化法案から「自立できない障害者」要件は外される見通しに(2010/9/22)
スコットランドの自殺幇助合法化法案、否決(2010/12/2)
【Nicklinson事件関連エントリー】
“ロックト・イン症候群”の男性が「妻に殺してもらう権利」求め提訴(英)(2010/7/20)
自殺幇助希望の“ロックト・イン”患者Nicklinson訴訟で判決(2012/3/13)
自殺幇助訴訟のNicklinsonさん、ツイッターを始める(2012/7/2)
「死ぬ権利」求めるロックト・イン患者Nicklinsonさん、敗訴(2012/8/17)
Nicklinsonさん、肺炎で死去(2012/8/29)
オーストラリア政府、障害者の家族への介護者手当カットへ?
http://www.radionz.co.nz/news/national/116162/payments-for-family-carers-could-be-restricted
在宅で終末期の患者をケアする介護者には看護師の支援が有効。
http://www.medicalnewstoday.com/releases/250310.php
英国の頭痛持ちの原因は鎮痛剤の飲みすぎ?
http://www.guardian.co.uk/society/2012/sep/19/headaches-painkillers
英国の空港で、“high value(価値の高い)”富裕層の乗客は一般と同じようにパスポートチェックに並ばなくてもスイスイ通り過ぎられるよう制度化する、とか。
http://www.guardian.co.uk/uk/2012/sep/18/high-value-fasttrack-passport-checks?CMP=EMCNEWEML1355
NYT. 米国では、公教育で優秀児をもっと大切に育てろ、というOp-Ed。:9月14日の補遺で拾ったニュースでは、米国の子供の5人に1人が貧困状態だというのもあった……ということをなぜともなく考えてしまう。
Young, Gifted and Neglected: Public education’s neglect of high-ability students doesn’t just deny individuals opportunities they deserve. It also imperils the country’s future supply of scientists, inventors and entrepreneurs.
日本語。5回目の新型核実験=X線使用、爆発伴わず―米
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120919-00000036-jij-int
2012.09.29 / Top↑
11月にマサチューセッツ中で予定されている住民投票の
質問2は、医師による自殺幇助(PAS)合法化の賛否を問うもの。
MA州医師会から、この質問に対して反対のスタンスを取ることが表明された。
反対の理由は、
・PASは癒すものとしての医師の役割に根本的にそぐわない。
・余命6カ月の診断はできないし、そうした予測は不正確である。
数か月で死ぬと診断された患者がそれ以上、時には何年も生きるケースも少なくない。
・投票の質問には、不十分な説明で患者が意思決定してしまうことへの予防策も
患者が死ぬよう教唆を受けて意思決定することへの予防策も盛り込まれていない。
NEW: Mass Medical Society Takes Stance on Physician Assisted Suicide and Medical Marijuana
GOLOCAL Worceter.com, September 18, 2012
【関連エントリー】
MA州で自殺幇助合法化めぐり住民投票を求める動き(2011/8/25)
MA州医師会が自殺幇助合法化反対を確認(2011/12/6)
WA州の高齢者施設経営者からMA州住民への手紙「PAS合法化したら滑ります」(2012/5/29)
質問2は、医師による自殺幇助(PAS)合法化の賛否を問うもの。
MA州医師会から、この質問に対して反対のスタンスを取ることが表明された。
反対の理由は、
・PASは癒すものとしての医師の役割に根本的にそぐわない。
・余命6カ月の診断はできないし、そうした予測は不正確である。
数か月で死ぬと診断された患者がそれ以上、時には何年も生きるケースも少なくない。
・投票の質問には、不十分な説明で患者が意思決定してしまうことへの予防策も
患者が死ぬよう教唆を受けて意思決定することへの予防策も盛り込まれていない。
NEW: Mass Medical Society Takes Stance on Physician Assisted Suicide and Medical Marijuana
GOLOCAL Worceter.com, September 18, 2012
【関連エントリー】
MA州で自殺幇助合法化めぐり住民投票を求める動き(2011/8/25)
MA州医師会が自殺幇助合法化反対を確認(2011/12/6)
WA州の高齢者施設経営者からMA州住民への手紙「PAS合法化したら滑ります」(2012/5/29)
2012.09.29 / Top↑
どこかで拾っているはずなのに、
すぐには探しだせないのだけど、
英国で遺伝病を回避する手段として研究開発中の技術について、
生まれてくる子どもが遺伝的な親を3人もつことになる倫理問題が
ちょっと前から問題になっていた。
それについて、
英国のヒト受精胚機構(FHEA:the Human Fertilisation and Embryology Authority)が
パブリック・オピニオンの募集を行う、というニュース。
現在英国では遺伝子変異による遺伝病の人が約12000人。
その原因の多くはミトコンドリアの変異だが、
ミトコンドリアそのものは
200人に1人の割合で何らかの変異が起こる。
問題は、その変異が重大な遺伝病として
母親から次世代に伝えられてしまうこと。
そこで、それを避けるために
母親のミトコンドリアを健康なドナー卵子のものと置き換える技術が開発されている。
卵子段階で核を入れ替える方法と、
早期の胚段階でそれを行う方法とがある。
卵子ドナーの遺伝形質が子どもに受け継がれるため、
生まれてくる子どもは遺伝的に3人の親を持つこととなる。
実際にはいまだ開発途上の技術で、
Newcastle 大学のDoug Turnbullが有名どころ。
法改正によって、この技術が利用可能となれば、
クリニックごとにHFEAなどに認可を求めることとなる。
HFEAでは、
ネットでのアンケートによって募集した意見を春に保健大臣に答申する予定で
アンケート実施は9月17日から12月7日まで。
問いの一つは、
ドナーの匿名性の問題で、
血液提供のように匿名とするか
生殖子ドナーのように生まれた子どもから連絡を取ることを可能とするか。
子どものアイデンティティにかかわる問題。
またこうした遺伝子操作は次世代に影響するという問題も。
Turnbull博士の共同研究者 Mary Herbertは
「ミトコンドリア病の患者さんたちの人生を変えてあげたいのです。
こうした変異は患者さんとその家族のQOLに深刻な影響を与えます。
何世代にも渡って影響することも少なくありません。
それを止めることができれば、
こうした病気に苦しむ何百人という人たちにとって
大きな救いとなるでしょう」
「現在はこうした新技術の安全性と効果を検証する実験を行っているところです。
この実験でHFEAの意思決定プロセスには十分な情報が提供されると思います。
完了には3年から5年かかるかもしれませんが」
Regulator to consult public over plans for new fertility treatments
The Guardian, September 17, 2012
英国では2008年にヒト受精・胚法改正を巡って
非常に大きな国民的議論が行われました。
それについては、以下に ↓
遺伝子診断で障害も重病も弾くつもり?(英国)
「障害児はnon-person」と英国上院で
「聾の子どもを産む権利」論争
医学進歩しても24週未満未熟児は救命できない?
”救済者兄弟”
英国の”救済者兄弟”事情 追加情報
英国ヒト受精・胚法関連ニュース(2008/5/13)
英国ヒト受精・胚法関連ニュース2(2008/5/13)
英国議会ハイブリッド胚と救済者兄弟を認める(2008/5/20)
すぐには探しだせないのだけど、
英国で遺伝病を回避する手段として研究開発中の技術について、
生まれてくる子どもが遺伝的な親を3人もつことになる倫理問題が
ちょっと前から問題になっていた。
それについて、
英国のヒト受精胚機構(FHEA:the Human Fertilisation and Embryology Authority)が
パブリック・オピニオンの募集を行う、というニュース。
現在英国では遺伝子変異による遺伝病の人が約12000人。
その原因の多くはミトコンドリアの変異だが、
ミトコンドリアそのものは
200人に1人の割合で何らかの変異が起こる。
問題は、その変異が重大な遺伝病として
母親から次世代に伝えられてしまうこと。
そこで、それを避けるために
母親のミトコンドリアを健康なドナー卵子のものと置き換える技術が開発されている。
卵子段階で核を入れ替える方法と、
早期の胚段階でそれを行う方法とがある。
卵子ドナーの遺伝形質が子どもに受け継がれるため、
生まれてくる子どもは遺伝的に3人の親を持つこととなる。
実際にはいまだ開発途上の技術で、
Newcastle 大学のDoug Turnbullが有名どころ。
法改正によって、この技術が利用可能となれば、
クリニックごとにHFEAなどに認可を求めることとなる。
HFEAでは、
ネットでのアンケートによって募集した意見を春に保健大臣に答申する予定で
アンケート実施は9月17日から12月7日まで。
問いの一つは、
ドナーの匿名性の問題で、
血液提供のように匿名とするか
生殖子ドナーのように生まれた子どもから連絡を取ることを可能とするか。
子どものアイデンティティにかかわる問題。
またこうした遺伝子操作は次世代に影響するという問題も。
Turnbull博士の共同研究者 Mary Herbertは
「ミトコンドリア病の患者さんたちの人生を変えてあげたいのです。
こうした変異は患者さんとその家族のQOLに深刻な影響を与えます。
何世代にも渡って影響することも少なくありません。
それを止めることができれば、
こうした病気に苦しむ何百人という人たちにとって
大きな救いとなるでしょう」
「現在はこうした新技術の安全性と効果を検証する実験を行っているところです。
この実験でHFEAの意思決定プロセスには十分な情報が提供されると思います。
完了には3年から5年かかるかもしれませんが」
Regulator to consult public over plans for new fertility treatments
The Guardian, September 17, 2012
英国では2008年にヒト受精・胚法改正を巡って
非常に大きな国民的議論が行われました。
それについては、以下に ↓
遺伝子診断で障害も重病も弾くつもり?(英国)
「障害児はnon-person」と英国上院で
「聾の子どもを産む権利」論争
医学進歩しても24週未満未熟児は救命できない?
”救済者兄弟”
英国の”救済者兄弟”事情 追加情報
英国ヒト受精・胚法関連ニュース(2008/5/13)
英国ヒト受精・胚法関連ニュース2(2008/5/13)
英国議会ハイブリッド胚と救済者兄弟を認める(2008/5/20)
2012.09.29 / Top↑
スイス式の自殺幇助合法化を求めてきた団体
Verein Sterbehilfe Deutschland(StHD)は、
ドイツで商業的自殺幇助を禁止する法改正が起こなわれる見込みとなったことを受け、
スイスに事務所を移すことを決めた。
関係者がメディアに語ったところでは
StHDは300人の会員を擁し、これまで60件の自殺幇助を行った、とのこと。
会費は年ごとに200ユーロ、または終身会費として2000ユーロ。
ただし自殺幇助の後には会費は返還される(誰に、かは不明)ので
営利目的ではない、と創設者のKusch氏。
2008年に別の名称で立ちあげた時には
自殺幇助1件につき8000ユーロをチャージしたため
違法行為であるとして禁じられた。
そのため会費の身の制度に改めて
2010年に新たに立ちあげたのがStHDだという。
このたび、商業的自殺幇助を明確に違法とする法改正が確実視されることから
活動拠点をスイスに移すことに。
ただし、以下のニュース以外をざっと眺めてみた中には
スイスで自殺幇助を行う予定はない、との情報も。
New rules drive suicide firm to Switzerland
The Local, September 15, 2012
Verein Sterbehilfe Deutschland(StHD)は、
ドイツで商業的自殺幇助を禁止する法改正が起こなわれる見込みとなったことを受け、
スイスに事務所を移すことを決めた。
関係者がメディアに語ったところでは
StHDは300人の会員を擁し、これまで60件の自殺幇助を行った、とのこと。
会費は年ごとに200ユーロ、または終身会費として2000ユーロ。
ただし自殺幇助の後には会費は返還される(誰に、かは不明)ので
営利目的ではない、と創設者のKusch氏。
2008年に別の名称で立ちあげた時には
自殺幇助1件につき8000ユーロをチャージしたため
違法行為であるとして禁じられた。
そのため会費の身の制度に改めて
2010年に新たに立ちあげたのがStHDだという。
このたび、商業的自殺幇助を明確に違法とする法改正が確実視されることから
活動拠点をスイスに移すことに。
ただし、以下のニュース以外をざっと眺めてみた中には
スイスで自殺幇助を行う予定はない、との情報も。
New rules drive suicide firm to Switzerland
The Local, September 15, 2012
2012.09.29 / Top↑
9月14日の毎日新聞の「小児移植 課題重く 検証 6歳児未満 脳死臓器提供」という記事の最後の辺りで、聖隷三方原病院院長補佐の岡田真人氏が「終末期を迎えた患者の家族の精神的なケアに対応できる体制を全国的に整えるべきだ」「臓器提供は、あくまでも終末期医療の選択肢の一つ。終末期を迎え、悩む家族に寄り沿うチームを整備することが求められる」と語っている。同氏は、改正臓器移植法に基づく脳死臓器提供のマニュアル作りに携わった人物。:検索してみたら、岡田氏は09年に小児臓器提供 小児終末期医療の一つのオプションとしての臓器提供に対する医療者の対応の仕方というタイトルの論文を書いておられました。臓器提供は終末期医療の選択肢の一つ」というのは持論なのでしょう。でも分からないのは、「終末期医療」というのは、あくまでも患者さん本人のために行われる医療を言うのではないんだろうか、ということ。「臓器提供」そのものは医療ではなく、他者の「臓器移植」への協力行為でしかない。「臓器移植」は医療だとしても、それはレシピエントの利益のために行われる、レシピエントにとっての医療であって、臓器提供する側の利益のための、ドナーにとっての医療とは言えないはず。したがって、誰かが終末期に「臓器提供」を選択するとしても、それをドナーにとっての「終末期医療」に含まれる選択であるかのように言うことはできないはずだと思うのだけど? もしも、それをあたかも本人のための「終末期医療の選択肢」であるかのように言いなしてしまう人が「終末期を迎えた患者の家族への精神的なケア」を言うなら、その「精神的ケア」とは臓器提供への誘導を意味するのでは?
アイルランドで自殺幇助合法化を求める夫婦が訴訟を起こすらしい。
http://www.irishexaminer.com/breakingnews/ireland/wicklow-couple-to-challenge-assisted-suicide-laws-567105.html
ドイツで自殺幇助を行ってきた団体が、法改正による訴追のリスクから事務所をスイスに移した、というニュース。この団体、これまでに60人のドイツ人に自殺幇助を行ってきた、という情報もあるんだけど?
http://www2.wsls.com/news/2012/sep/15/german-assisted-suicide-group-opens-swiss-office-ar-2208178/
http://www.thelocal.de/society/20120915-44991.html
カナダのイスラム教徒の親が治療続行を訴えた無益な治療訴訟 Baby M事件で、裁判所が親の宗教的信条が子どもの最善の利益に沿っていないとして治療停止を命令。イスラム圏の
http://medicalfutility.blogspot.jp/2012/09/alberta-court-orders-baby-ms-life.html
上記に関連して、イスラム教のシャリア法が“無益な治療”論のターゲットとされつつある気配はRasouli訴訟の前半からあった ↓
「“治療停止”も“治療”だから同意は必要」とOntario上位裁判所(2011/5/17)
8月27日の補遺で拾った、同じくカナダのMr.Lをめぐる無益な治療事件でも、Mr.Lはイスラム教徒。
http://blogs.yahoo.co.jp/spitzibara/65501693.html
来週、途上国の農業改革めざしthe African Green Revolution Forum(AGRF)のカンファ。基調講演は前国連事務局長のコフィ・アナン氏、メリンダ・ゲイツ氏、ビル・ゲイツ氏など。
http://dailynews.co.tz/index.php/local-news/9626-agricultural-meet-set-for-next-week
グリーン・レボリューションの背景についてはこちらに ↓
ゲイツ財団がインドで目論んでいるのはワクチン普及だけでなくGM農業改革も(2011/4/16)
「アグリビジネス」の後ろにはワクチン推進と同じ構図が見える(2011/10/5)
“大型ハイテクGM強欲ひとでなし農業”を巡る、ゲイツ財団、モンサント、米国政府、AGRAの繋がり(2011/10/27)
米国テネシー州の2つのスクール・ディストリクトが教師の効率化を図るために合併するから、もっと資金を提供して、とゲイツ財団に要望。:公教育関連の資金を、スクール・ディストリクトが民間団体におねだりする構図。
http://www.wrcbtv.com/story/19552500/schools-asking-gates-foundation-for-more-funding
英国NHS、民営化に邁進?
http://www.guardian.co.uk/business/2012/sep/16/health-firms-nhs
日本語。子役のギャラは本人のもの? 親が子どもの扶養家族に? 子どもと親の法的な関係に迫る:親の権利・子の権利を考えるうえで、とても興味深い問題。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120916-00000301-bengocom-soci
2012.09.29 / Top↑
150人以上の議員への新たな調査で
医師による自殺幇助(PAS)合法化を支持すると回答したのは29%。
59%が反対で、12%は未定。
(スコットランドでは議員の86%が反対)
また72%が
医師が患者の求めによって致死薬を処方できることになったら
弱者に自殺を選択するよう圧力がかかる可能性がある、と考えている。
現在の経済状況では
弱者が家族の経済的な負担にならないよう自殺を選ぶリスクが増える、
と考える議員も、ほぼ60%。
MP’s ‘oppose assisted suicide move’
UKPA, September 15, 2012
Recession strengthens case against assisted suicide, MPs say
The Telegraph, September 15, 2012
まぁ、この記事だけを読めば、
英国の政治家の良識に安心してしまいそうだけれど、
医師による自殺幇助は認めないでも
「近親者による自殺幇助はおとがめなし」がすでに定着しているし、
英国の医療現場では
高齢者は機械的に「死ぬまで鎮静、さっさと脱水」で死なされているし、
障害者も入院すれば本人も家族も知らない内に「蘇生無用」指定されてしまうし、
そういう国で議員さんたちが
「この不況下でPAS合法化したのでは弱者に圧力が」と言ったって、なぁ……。
英国の医療現場の実態はこちら ↓
“終末期”プロトコルの機械的適用で「さっさと脱水・死ぬまで鎮静」(英)(2009/9/10)
肺炎の脳性まひ男性に、家族に知らせずDNR指定(英)(2011/8/3)
高齢者の入院時にカルテに「蘇生無用」ルーティーンで(英)(2011/10/18)
高齢者には食事介助も水分補給もナースコールもなし、カルテには家族も知らない「蘇生無用」……英国の医療(2011/11/14)
ケアホーム入所者に無断でDNR指定、NHSトラストが家族に謝罪(英)(2012/5/8)
「ダウン症だから」と本人にも家族にも無断でDNR指定(2012/9/13)
「NHSは助かるはずの知的障害者を組織的差別で死なせている」とMencap(2012/1/3)
ちなみにスコットランドで議員さんたちの警戒が高いのは、
もしかして、過去にこういうことがあったからかも? ↓
「自立生活できない身障者も可」スコットランド自殺幇助合法化法案(2010/1/22)
ローマ法王がスコットランドの自殺幇助合法化法案を批判(2010/2/6)
スコットランド自殺幇助合法化法案を「死の自己決定権」アドボケイトが批判(2010/2/9)
スコットランドのパブコメは、87%が自殺幇助合法化法案に反対(2010/6/20)
スコットランド自殺幇助合法化法案から「自立できない障害者」要件は外される見通しに(2010/9/22)
スコットランドの自殺幇助合法化法案、否決(2010/12/2)
医師による自殺幇助(PAS)合法化を支持すると回答したのは29%。
59%が反対で、12%は未定。
(スコットランドでは議員の86%が反対)
また72%が
医師が患者の求めによって致死薬を処方できることになったら
弱者に自殺を選択するよう圧力がかかる可能性がある、と考えている。
現在の経済状況では
弱者が家族の経済的な負担にならないよう自殺を選ぶリスクが増える、
と考える議員も、ほぼ60%。
MP’s ‘oppose assisted suicide move’
UKPA, September 15, 2012
Recession strengthens case against assisted suicide, MPs say
The Telegraph, September 15, 2012
まぁ、この記事だけを読めば、
英国の政治家の良識に安心してしまいそうだけれど、
医師による自殺幇助は認めないでも
「近親者による自殺幇助はおとがめなし」がすでに定着しているし、
英国の医療現場では
高齢者は機械的に「死ぬまで鎮静、さっさと脱水」で死なされているし、
障害者も入院すれば本人も家族も知らない内に「蘇生無用」指定されてしまうし、
そういう国で議員さんたちが
「この不況下でPAS合法化したのでは弱者に圧力が」と言ったって、なぁ……。
英国の医療現場の実態はこちら ↓
“終末期”プロトコルの機械的適用で「さっさと脱水・死ぬまで鎮静」(英)(2009/9/10)
肺炎の脳性まひ男性に、家族に知らせずDNR指定(英)(2011/8/3)
高齢者の入院時にカルテに「蘇生無用」ルーティーンで(英)(2011/10/18)
高齢者には食事介助も水分補給もナースコールもなし、カルテには家族も知らない「蘇生無用」……英国の医療(2011/11/14)
ケアホーム入所者に無断でDNR指定、NHSトラストが家族に謝罪(英)(2012/5/8)
「ダウン症だから」と本人にも家族にも無断でDNR指定(2012/9/13)
「NHSは助かるはずの知的障害者を組織的差別で死なせている」とMencap(2012/1/3)
ちなみにスコットランドで議員さんたちの警戒が高いのは、
もしかして、過去にこういうことがあったからかも? ↓
「自立生活できない身障者も可」スコットランド自殺幇助合法化法案(2010/1/22)
ローマ法王がスコットランドの自殺幇助合法化法案を批判(2010/2/6)
スコットランド自殺幇助合法化法案を「死の自己決定権」アドボケイトが批判(2010/2/9)
スコットランドのパブコメは、87%が自殺幇助合法化法案に反対(2010/6/20)
スコットランド自殺幇助合法化法案から「自立できない障害者」要件は外される見通しに(2010/9/22)
スコットランドの自殺幇助合法化法案、否決(2010/12/2)
2012.09.29 / Top↑
監獄の外で安楽死したとされるのは
強姦殺人2件で20年間収監されていた囚人、Frank V. D.B.
死んだ日は明らかになっていない。
そもそも、囚人に安楽死が行われていたこと自体が
公式に発表されていない。
この人については、
もともと監獄での福祉の欠落を問題にしてきた上院議員のLouis Ide氏に
監獄の職員がチクったことから、表に出たものらしい。
それを受けてベルギーのメディアで論争になっているというのだけれど、
どうやら問題になっているのは安楽死ではなく、むしろ
表に出たことが囚人のプライバシーの侵害だと問題になっているのだとか。
安楽死が問題視されないのは、
ターミナルな病気で、自ら希望し、3人の医師がその容貌を了解した、など
法的な要件を満たしているから、だとか。
もう一人、27年間収監されている囚人からも
安楽死の希望が出ていて、まだ認められてはいない、とのこと。
オーストラリアのDr. DeathことNitschke医師が
2005年に書いた著書 Killing Me Softly で囚人への安楽死を予測し、
「刑務所改革の最後のフロンティア」と称していたらしい。
BioEdgeのMichael Cookは、
「今回の展開を見ると、ベルギーはどうやら
安楽死法の革新的な応用で世界のリーダーとなろうとしている」と。
またCookは、今回表ざたになったいきさつからすると、
これまでにも内密理に行われてきたのでは、と考えている模様。
(これは以下の記事ではなく、ニュースレターの方に書かれている内容)
New first for Belgium: Prisoner euthanasia
BioEdge September 14, 2012
Cookも言及しているし、
彼が言う「革新的応用」というのもこのことを意味しているのだけど、
ベルギーでは既に安楽死後臓器提供が4件行われたことが報告されている↓
ベルギーで2年前にロックトインの女性、「安楽死後臓器提供」(2010/5/9)
ベルギーの医師らが「安楽死後臓器提供」を学会発表、既にプロトコルまで(2011/1/26)
ベルギーの「安楽死後臓器提供」、やっぱり「無益な治療」論がチラついている?(2011/2/7)
その他、ベルギーの安楽死関連エントリー ↓
ベルギーでは2002年の合法化以来2700人が幇助自殺(2009/4/4)
幇助自殺が急増し全死者数の2%にも(ベルギー)(2009/9/11)
ベルギーにおける安楽死、自殺ほう助の実態調査(2010/5/19)
ベルギーで「知的障害者、子どもと認知症患者にも安楽死を求める権利を」(2012/5/5)
ちなみに、米国ではこういう話も ↓
「執行後に全身の臓器すべて提供させて」とOR州の死刑囚(2011/3/6)
この時にCaplanがMSNBCに書いた論説がこちら ↓
Organs from inmates? That idea should be DOA
MSNBC, April 21, 2011
強姦殺人2件で20年間収監されていた囚人、Frank V. D.B.
死んだ日は明らかになっていない。
そもそも、囚人に安楽死が行われていたこと自体が
公式に発表されていない。
この人については、
もともと監獄での福祉の欠落を問題にしてきた上院議員のLouis Ide氏に
監獄の職員がチクったことから、表に出たものらしい。
それを受けてベルギーのメディアで論争になっているというのだけれど、
どうやら問題になっているのは安楽死ではなく、むしろ
表に出たことが囚人のプライバシーの侵害だと問題になっているのだとか。
安楽死が問題視されないのは、
ターミナルな病気で、自ら希望し、3人の医師がその容貌を了解した、など
法的な要件を満たしているから、だとか。
もう一人、27年間収監されている囚人からも
安楽死の希望が出ていて、まだ認められてはいない、とのこと。
オーストラリアのDr. DeathことNitschke医師が
2005年に書いた著書 Killing Me Softly で囚人への安楽死を予測し、
「刑務所改革の最後のフロンティア」と称していたらしい。
BioEdgeのMichael Cookは、
「今回の展開を見ると、ベルギーはどうやら
安楽死法の革新的な応用で世界のリーダーとなろうとしている」と。
またCookは、今回表ざたになったいきさつからすると、
これまでにも内密理に行われてきたのでは、と考えている模様。
(これは以下の記事ではなく、ニュースレターの方に書かれている内容)
New first for Belgium: Prisoner euthanasia
BioEdge September 14, 2012
Cookも言及しているし、
彼が言う「革新的応用」というのもこのことを意味しているのだけど、
ベルギーでは既に安楽死後臓器提供が4件行われたことが報告されている↓
ベルギーで2年前にロックトインの女性、「安楽死後臓器提供」(2010/5/9)
ベルギーの医師らが「安楽死後臓器提供」を学会発表、既にプロトコルまで(2011/1/26)
ベルギーの「安楽死後臓器提供」、やっぱり「無益な治療」論がチラついている?(2011/2/7)
その他、ベルギーの安楽死関連エントリー ↓
ベルギーでは2002年の合法化以来2700人が幇助自殺(2009/4/4)
幇助自殺が急増し全死者数の2%にも(ベルギー)(2009/9/11)
ベルギーにおける安楽死、自殺ほう助の実態調査(2010/5/19)
ベルギーで「知的障害者、子どもと認知症患者にも安楽死を求める権利を」(2012/5/5)
ちなみに、米国ではこういう話も ↓
「執行後に全身の臓器すべて提供させて」とOR州の死刑囚(2011/3/6)
この時にCaplanがMSNBCに書いた論説がこちら ↓
Organs from inmates? That idea should be DOA
MSNBC, April 21, 2011
2012.09.29 / Top↑
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