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優れた終末期ケアの手順書として日本でも採用されているリヴァプール・ケア・パスウェイ(LCP)が
高齢者を機会的に消極的安楽死へと導くツールと化しているとして
英国でここ数年問題となり、ついには保健省が調査に乗り出した流れについては
以下のエントリーで追いかけてきましたが、

“終末期”プロトコルの機会的適用で「さっさと脱水・死ぬまで鎮静」(英)(2009/9/10)
「NHSは終末期パスの機会的適用で高齢患者を殺している」と英国の大物医師(2012/6/24)
英国の終末期パスLCPの機会的適用問題 続報(2012/7/12)
LCPの機械的適用でNHSが調査に(2012/10/28)


以下の報道によると、
エジンバラで開催された英国医師会(BMS)会議で
LCPの理念の意義は再確認されたものの、
適用方法には問題がある、と。

指摘された問題点としては、

・一旦LCPの対象となると、
 再評価もないまま何週間もLCPが続行されている。

・患者がLCP適用となったことを
 家族が知らされていない。

・患者がLCPになったことを
 時には医師も知らされていない。

・チェックリスト文化が、機会的な思考につながっている。

・LCP対応になった患者のパーセントに応じて病院に報酬が支払われる
 金銭的なインセンティブが設けられている。

・その結果、患者と家族の間に、
 LCPを死への一方的なパスウェイ(細道)だという恐れが生じ、
 終末期医療そのものへの不信を招いている。

英国医師会は
医療職に向けてLCPの適切な用い方の研修が必要であること、
NHSの数値目標とインセンティブの廃止を求めることを決議。

自殺幇助合法化に一貫して反対してきた議員で、
緩和ケア医、次期BMA会長でもあるIlora Finlay氏は、

LCP対応となった患者の中にも
3%程度、症状が改善するケースがあるのに、
パスウェイという単語を含むLCPという呼称の
一方通行というイメージに患者も家族も怯えてしまっているので、
この呼称はやめた方が良い、と。

Doctors warn Livepool Care Pathway seen as ‘one-way ticket to death’
The Telegraph, June 28,2013

‘Don’t call it the Liverpool Care Pthway’: Doctors admit it sounds like a one-way ticket to the grave
The Daily Mail, June 28, 2013


【Finlay議員関連エントリー】
英国医師会、自殺幇助に関する法改正支持動議を否決(2009/7/2)
BMJの副編が「生きたい障害者が死にたい病人のジャマするな」(2009/9/6)
Campbellさん率いる障害者団体連合が自殺幇助ガイドラインを批判(2009/12/22)
Warnock, Finlay, Purdy他が自殺幇助で円卓討論(2010/1/31)
「PAS合法化なら年1000人が死ぬことに」と、英シンクタンクが報告書(2010/10/26)
英国上院に自殺幇助に関する検討委員会(2010/11/30)
Dignitasで英国人がまた自殺、今度は「老いて衰えるのが怖いから」(2011/4/3)
2013.07.01 / Top↑
最近、気になっている本の一つがこれ。

『ビッグ・ファーマ―製薬会社の真実』
マーシャ・エンジェル著 栗原千絵子、斉尾武郎訳 篠原出版新社 2005

著者は、New England Journal of Medicineの前編集長。

アマゾンのこの本のページに
京都大学医学部付属病院探索医療センター検証部教授の
福島雅典氏の「翻訳刊行によせて」という文章が掲載されており、

その一部に以下の下りがある。

科学はもはやかつてのそれではない。科学はビジネスと結びつき、その水面下では熾烈な特許戦争が繰り広げられている。今や販売戦争を勝ち抜くため研究結果を権威づける手段として世界中から競って論文が投稿されるトップ・ジャーナルは、ビジネスの僕と化しつつあるのではないか? モンスターのごとく肥大化した科学を奉じる共同体は、すでに善意によって制御しうる域を超えている。哲学のない科学は狂気(凶器)である。科学を妄信しトップ・ジャーナルを崇める状況は、何か、歪んだ宗教とでもいうべき様相を呈している。


これは正に当ブログが
日々のニュースの断片を拾い集ながら、
その断片の集合体として描かれていく「大きな絵」として指摘してきた
「グローバル強欲ひとでなしネオリベ金融(慈善)資本主義」の
「科学とテクノで簡単解決」利権構図そのもの。

例えば、
医学雑誌にも製薬会社がらみのバイアス、「ディスクロージャーを」と監視団体(2009/2/17)
「必要を創り出すプロセスがショーバイのキモ」時代と「次世代ワクチン・カンファ」(2010/5/29)
事業仕分の科学研究予算問題から考えること(2010/12/12)
“プロザック時代”の終焉からグローバル慈善ネオリベ資本主義を考える(2011/6/15)

そして、去年、
同じくNEJMの現編集長もまた、Avandiaスキャンダルに際して、

そうしたバイアスの排除に向けて努力してきたが、
最近ではNEJMに発表された論文であっても、
製薬会社資金の治験であれば医師らが信頼しなくなりつつあり、
医学研究そのものが崩壊の危機の様相を呈してきた、と発言している。

製薬会社資金に信頼性を失っていく治験データ……Avandiaスキャンダル(2012/11/30)

先週この本のことを知り、読もうかなぁ、と思っていたところ、
26日の毎日新聞の本田宏氏の連載「暮らしの明日 私の社会保障論」に、
『ビッグ・ファーマ』から以下の引用があった。

エビデンス(科学的証拠)に基づく医療が普及して久しいが、そのエビデンス自体が、世界をリードする米国製薬業界のマーケティング戦略によってゆがめられている。自社の薬に会う病気を宣伝し、病気と思いこませ、医師への薬の教育に大きな影響を与え、臨床試験も実質的に支配している。そして、資金提供した臨床試験の多くは結果的にゆがめられている根拠がある。


本田氏の連載記事の趣旨は、
バルサルタンのスキャンダルを巡って、
日本の医療費亡国論が医学研究分野の資金不足を招いていること、
その状況のままアベノミクスで医療研究での産学連携が進めば、
「新薬や新技術の開発時に同様の問題が繰り返される危険性」を指摘して、
低医療費政策の転換を訴えるもの。

で、私がすごく興味深いな、と思ったのは、
この本田氏の論考が掲載された翌27日のトップニュースが「iPS臨床承認」だったこと。

関連記事が他にも盛り沢山で、
それらから目についた情報を拾うと、

安倍政権は
iPS細胞をはじめとする再生医療研究に今後10年間で計1100憶円を拠出するという。

今年4月に京大のiPS細胞研究所に新らしくできた部署に
山中教授が「医療応用推進室」とネーミングしたのも、
そうした資金を獲得しやすくするための作戦だったのだろうし、

記事では山中教授と世耕弘成・内閣官房副長官の繋がりも指摘されているけれど、

そこにはもちろん
12年の260億円から30年に約1.6兆円、50年には約3.8兆円という国内市場規模予測と、
その予測に基づいて「再生医療を経済再生の目玉に」という政府の思惑がある。

つまり、このブログで何度も何度も書いてきたように、
先端医療の問題は薬やワクチンと同じく、
すでに保健医療の問題というよりも
政治経済の問題なんだということであり、

そこに本田氏の連載の内容を重ねて考えてみたら、
見えてくるのは、とても皮肉なことに、

グローバル強欲ひとでなしネオリベ経済の中で日本が生き残るためには、資金は、
国際競争に勝ち目があって国内的にもマーケット創出可能性が大きいところに重点配分……
という「政治経済」施策の方向性であって、

それ以外のところでは、
本田氏の主張の逆方向に向かうだろう、ということでは??

一方には、iPS細胞の臨床研究は「緒に就いたばかり」で
癌化や本来の細胞に戻ったりウイルス混入のリスクなど未解明な部分が多く、

研究者の間からですら、過剰な期待を抑えようとする声が上がっていて、
(でももちろん政府もメディアもマーケット創出のためには、
その「過剰な期待」をこそ煽るに決まっているのだけれど)

そんな中で「なぜこうも急ぐのか」という問いの答えとして、毎日の記事は、
「海外と日本が「一番乗り」を争ってしのぎを削る現状がある」ことを指摘し、
ある審査委員会委員の「海外でのiPS細胞を使った臨床試験の動きがあり、
事務局が結論を急いだのかもしれない」との発言を紹介する。

臨床応用で最も有望とされている
(毎日の記事には、あとは「ホープレス」だと言った研究者の発言も)
加齢黄斑変性の研究プロジェクト・リーダーですら微妙な発言をしている。

「世界初」でないと、今受けている支援が全部なくなるのではないかという危機感はある。米国でも二つの臨床試験計画が動いており、常に意識している。米国は企業主導なのに対し日本はアカデミア主導。ビジネスで突っ走るのではなく(新しい)治療を作ろうと頑張る日本の姿勢は(spitzibara注:「姿勢を」ではなく「姿勢は」)大事にしたい。

その一方で、

応用を目指す以上は戦略が必要。研究の最初の段階から企業も参画すべきだ。


で、冒頭に述べたように
本田氏は前日の連載で次のように書いている。

安倍晋三の経済政策「アベノミクス」は、医療による経済活性化を目指すが、産学連携が進めば、新薬や新技術の開発時に(spitzibara注:バルサルタンと)同様の問題が繰り返される危険性が高い。


結局、これらから透けて見えてくるのは、
グローバルな医学研究競争にかろうじて勝ち残ろうとするならば、
「ビジネスで突っ走る」グローバル強欲ひとでなしネオリベ世界に
なりふり構わず(国民の生命を守る責任すら放棄して)乗っかっていく以外にない事情……?

毎日新聞の記事によると、
日本政府は、再生医療の早期承認を可能にする薬事法改正案まで用意している。
合わせて不適切な再生医療を規制する再生医療安全確保法案も用意されているとはいえ、

これで海外企業が参入しやすくなるんだそうな。

再生医療に詳しい研究者の中からは
「海外企業が日本を治験の場に選び、
日本人がモルモットになる可能性がある」との指摘も。

これは今、途上国で起こっていることが日本で起こる、ということだろうけれど、
実は日本でも精神科薬の領域では既に起こっているようにも思われ、↓

GSKが日本で7~17歳を対象にパキシルの臨床実験、現在“参加者をリクルート”中(2010/6/12)

それだけに、
この「日本人がモルモット」という指摘はリアルに怖いなぁ、と思うけれど、

改めて考えてみれば、
緒に就いたばかりで、まだ分からないことだらけの再生医療を
「なぜこうも急ぐのか」というほどの見切り発車で国民に大盤振る舞いして
マーケット創出を狙おうという「成長戦略」って、

「世界初」を達成するために、日本政府が、
国民をモルモットとして研究に供するに等しい……ことない????
2013.07.01 / Top↑
医療の中にある、いかんともしがたい「届かなさ」について
先週、あるところにちょっと書いてから、ずっとそのことについて
というか、その「届かなさ」を超えるすべについて
考えるともなく考えていた。

そのことが、今朝のコメントを機に直前エントリーを書いた
背景にあるのだろうと思うのだけれど、

そのエントリーの原稿を午前中に書いて、
午後、数日前からちょっとずつ読み進んでいる本を手に取ったら、

そこにも、その「届かなさ」の典型のような、
痛切な体験が描かれていた。

その本は、まだほとんど読めていないけれど、
『患者追放 - 行き場を失う老人たち』
向井承子 筑摩書房 2003

著者の母親が入院中に急変した時の医師との会話。

 主治医ではない見知らぬ四○歳くらいの外科医が反論も質問も許さないような緊迫した口調で説明を始めた。

「いま、この人の体内になにか大変な異常が発生しているようです。腹膜に穴があいて糞便がもれた可能性もあります。即刻、手術をします。署名捺印していただけますか?」

……(中略)……

「九○歳の大手術ですが、その後、どうなるのですか?」

出端をくじかれたような表情が医師に見てとれた。とたんに、

「この人、歩いて帰れると思っているんですか? ぴんぴんしていたんですか? 生死は五分五分です。手術適応ですよ」

「でも、生きてても、今よりもっと悪くなるんでしょう?」

 たったいまこの時でさえ三界に家なくさすらう日々である。これ以上重くなったらだれがどう責任をとれるのか。いったい母は幸せになれるのか。疲れきってコントロールを失った私の口から反射的に言葉が飛び出す。医師は苦々しげな口調で言い切った。

「手術拒否ですか。でも、尊厳死の対象ではありませんよ。僕は安楽死は手伝いません。三分以内に判をついて下さい」
(p. 28-29)


手術後に出てきた別の、若い誠実そうな医師は
「ぼく自身は、この人への手術は正しかったとは思えないのですが」と言い、

著者の母親は結局、術後に目覚めないまま、
誰の目にも明らかな生から死への転換の表情が現われて、
家族みんなの納得を待って著者が「もういいです」といって、
生命維持装置が切られた。

過剰医療や尊厳死や安楽死を云々して
患者や家族に向かって「死に方くらい決めておけ」と恫喝する前に、

患者や家族が
真に「自己決定」や「自己選択」と呼べる意思決定ができるためには、

本当はどうにかしなければならないのは、
医療の中にある、この、いかんともしがたい「届かなさ」の方なんじゃないんだろうか……、

……という思いが、頭の中を最近グルグルし続けている。
2013.07.01 / Top↑
今朝、こちらのエントリーのコメント欄で、
患者が医療の「届かなさ」に挑むことに要する多大な勇気とエネルギーについて
ちょっと触れたら、

25年もの時の向こうから、ある情景と
そこにあったヒリヒリするような痛みの記憶が
思いがけない鮮烈さで蘇ってきたので、

いつか書きたいと思いながら、ずっと書けずにきた
その体験のことを書いてみたい。

        ――――――――

ミュウは生まれるなりNICUの保育器に入って、
生後3日目には胃穿孔の手術を受け、
人工呼吸器と連日の交換輸血とで肺炎と敗血症と闘う日が長く続いた。

NICUは産婦人科病棟の入り口にあり、
親の面会があると廊下側の大きな窓のブラインドが上がって
中が見える仕組みになっていた。

私たち夫婦も、ミュウがNICUに入って数日後からはブラインドを上げて
廊下側に移動してもらった保育器の中のミュウと「面会」させてもらったけれど、

出産後の私はまだ産婦人科病棟に入院中なものだから、
つい何度もNICUに足が向いた。

とはいえ、夫婦そろってもいないのに、
そう何度も「面会」を求める勇気もなくて、
昼間は受付の小さな小窓から中を覗いてみたり、
なんとなく立ち去りがたく、その辺りをホバリングしていたりするのが
産後の入院中の私の日課となった。

もう一つ、出産後に私に課された日課があった。

それは搾乳。

ミュウの状態が安定して飲めるようになる日に備えて
母乳を絞って冷凍しておくために、最初は出ないかもしれないけれど、
毎日決まった時間ごとに授乳室にいって搾乳しなさい、と
出産の翌日だったかに師長さんから指示された。

それで、指示された時間に授乳室に行くと、
今思えば私が「だいたい5分から10分前行動の人」だからだったのだけれど、
授乳室は無人だった。

隣の新生児室にいた看護師さんに声をかけると、
まだ時間には少し早かったからか、ちょっと迷惑そうな顔をしながらも出てきて
部屋の真ん中にある応接セットのソファーで搾乳の仕方を教えてくれた。

当然、すぐにうまく搾れるはずもないのだけれど、
練習しているうちに出るようになるから頑張れと言いおいて看護師さんが去った後で、
出もしない搾乳の努力をしていると、

いきなり廊下に賑やかなさんざめきが生じたと思うや、
ドアを開けて、ネグリジェ姿の若い女性たちが入ってきた。

考えてみれば、指定されたのは「授乳の時間」なのであり、
ここは「授乳室」なのだから当たり前のことなのだけれど、
私が入院していた6人部屋の他の5人はみんな婦人科の患者さんたちだったし
(私はその時まで気付かなかったのだけど、それは病院側の配慮だったのだろうと思う)
すぐそこで死にかけている我が子のことで頭がいっぱいだったので、

この病院でここ数日の間にそれほど多くの子どもが産まれていることも
子どもというのは普通はそんなふうに正常に生まれてくるものなのだということも
頭の片隅にちらりと浮かんだこともなかった。

わらわらと入ってきた新米ママたちは
みんな顔なじみの気安さで笑いさんざめきながら
新生児室から我が子を受け取っては、勝手知った授乳室で
赤ん坊の体重を量っては、増えたの減ったのとはしゃいだ声で賑やかにしゃべり、
てんでに応接セットや周辺の思い思いの場所に陣取り、
既に堂々の無造作さで胸をはだけて赤ん坊に吸いつかせる。
飲ませながら、また互いにそれぞれの子どもの様子を話題に騒々しくさんざめく。

私はあっという間に、
出産後の幸福と誇りではち切れそうなママたちに、ぐるりと取り囲まれてしまった。

本当はどうだったのか分からないけれど、
その女性たちはみんな、とても若く見えた。
彼女たちの真ん中で、一人だけほとんど空っぽの搾乳器を手に座っている自分が
ものすごい年寄りであるみたいに感じられた。

一人の時にはそんなには思わなかったのに、
急に自分だけがみすぼらしく薄汚い行為をしているように思えて、

無意識のうちにうつむき、肩をすぼめて胸を隠そうとしている自分を意識すると、
みじめさで胸がぎゅうっと締め付けられた。

「搾乳の練習」を続ける気力なんか、もうカケラも残っていないのだけれど、
中止して出ていくには、立ちあがり、このヒバリのような集団の中を横断して
新生児室へ行き、また看護師さんに声をかけなければならない。

そんな勇気もなく、ヒバリたちに取り囲まれた真ん中で、
じっとうつむいて身体を固くすくめたまま、
搾乳に熱中しているフリをして耐えた。

ママたちは授乳後にもう一度我が子の体重を測って記録すると、
子どもを新生児室に戻してから、部屋を出ていく。
一人出ていくたびに、ちょっとずつ呼吸がラクになった。

再び無人に戻っても、授乳室には薄桃色のざわめきの気配がまだ充満していて、
その中に一人で座ったまま、これを1日に何度も繰り返すのか……と呆然とした。

次の指定時間には20分ほど早く行った。

新生児室にいた看護師にはとても露骨に迷惑そうな顔をされたけれど、
ヒバリの集団が入ってくるのとちょうど入れ違いの形で部屋を出ることができた。

3度目は30分前に行った。

そして、「またか」という顔で出てきた看護師に、
「あの、ちょっと、お願いがあるんですけど」と切り出してみた。

それは、口にするには沢山の勇気が必要な言葉だった。

その勇気は、露骨に迷惑顔の看護師さんに切りだすことにも必要だったけれど、
一番たくさん必要だったのは、自分の弱さ、情けなさを自分で認めて、
それを他人の前に正直に晒すこと、その痛みを乗り越えるための勇気だったと思う。

私の子どもは生まれてきたけれど、
私の手元に来ることはできません。
今NICUで死にそうになっています。
この子のために搾乳はもちろんしてやりたいけれど、
無事に子どもを産んで、我が子を胸に抱いて授乳できるお母さんたちと同じ空間で、
その作業をすることは私には今ちょっと辛いです。
だから、忙しい看護師さんに迷惑をかけるのは申し訳ないんだけれども
今度から決められた時間の30分前に来させてもらえないでしょうか。

それを口にすることは私にとって
ものすごく屈辱的で、難しく、痛いことだった。

ただ、あの状況を繰り返すことにはもう耐えられなかったから、それなら、
涙ぐんだり感情的になったりせず、それを事実として淡々と伝えることで胸を張ろうと思った。

看護師さんは、一瞬、
それまで考えたこともなかったことに初めて気が付いたという顔をしたけれど、
余計なことは言わずに「いいですよ」と認めてくれた。

それまで暗くふさいでいた気持ちがそれで解放されて、
全身からふうっと力が抜け、ラクになった。
勇気を出してよかった、と思った。

20年以上経った今、勇気を出してよかった、と
あの時のことを振り返ると、やっぱり思う。

産まれたばかりの我が子が目の前で死に瀕しているという事態を
受け止めるだけで精いっぱいだった当時の私自身の精神衛生のためにも
それはもちろん良かったのだけれど、

その後の年月の間にいろんなことを考えながら今に至った私には、

医療の中にどうしても付きまとう、ある種の冷淡とか無関心を
変えていけるものが、もしもあるとしたら、その1つは、
これ以上は耐えられない、というギリギリのところから患者が
なけなしの勇気を振り絞って発する率直な声なんじゃないか、という気がするから。

そして、そんな患者の声には、
医療の中にある、いかんともしがたい「届かなさ」を超えてどこかに「届く」、
案外に大きな力があるんじゃないか、

それなら、その勇気こそが
医療の中にある冷淡や無関心を変えていける
希望でもあるんじゃないか、と思いたいから――。

だから、今この時にも日本中のあちこちの病院の片隅で、
目の前にある医療の冷淡や無関心や「届かなさ」に今にもくじけてしまいそうになりながら、
いや、それでもこれ以上は耐えられない、と必死の思いで口を開こうとして、

患者さんや家族一人一人が必死に振り絞っている勇気に、
心からのエールを――。
2013.07.01 / Top↑
高齢者の痛みとうつ病に認知行動療法で効果。
http://www.washingtonpost.com/national/health-science/new-ways-to-help-seniors-deal-with-pain-and-depression/2013/06/24/9d7a7e10-c6ea-11e2-9245-773c0123c027_story.html

プライマリー・ケアの開業医の診察時間を延長すると、子どものER利用件数が減る、という調査結果。
http://www.medicalnewstoday.com/releases/262264.php

Malawiで地域での母子保健プログラムと医療サービス改善によって、母子死亡率が改善。マラウィって、麻疹のワクチンを子どもに無料で打ってくれる代わりに全員接種が義務付けられていて、こんなことが起こっていたりもする ⇒ 「ゲイツ財団(の連携機関)が途上国の子どもに銃を突きつけワクチン接種」(2011/7/29)
http://www.medicalnewstoday.com/releases/262404.php

G8はアフリカ諸国に対して、もっと農業への投資を、と呼びかけ。:グリーン・レボリューションのモンサントGM版……。
www.farminguk.com/WorldNews/G8-urges-Africa-to-invest-more-in-farming-nutrition_7321.html

日本語サイト。フランス映画『世界が食べられなくなる日』のサイト。「人が自分の子どもたちに毒を盛るなど、史上初めてのことです」「原発と遺伝子組み換え。いのちの根幹を脅かす、2つのテクノロジー」
http://www.uplink.co.jp/sekatabe/

スコットランドヤードも、ロンドン警察の腐敗を問題視する活動を監視していた、とか。
http://www.guardian.co.uk/uk/2013/jun/24/metropolitan-police-spying-undercover-officers

テキサスで、全米で最も厳しい中絶規制が実現か。妊娠20週以降の中絶の全面禁止。
http://www.usatoday.com/story/news/nation/2013/06/24/texas-abortion-restrictions/2451189/

日本。大阪。給料最低・小規模校…民間人校長、謝罪なき退職:おそるべき生徒の不在と「ボクの力をどれだけ発揮できるか、ボクの力がどれだけ認められるか、ボクの力にどれだけの報酬が出るか……」。教育は市場原理とは無縁なところにあるものだと思うのだけれど、大阪の教育改革は米国のゲイツ教育改革と感覚が近い?
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130626-00000239-yom-soci

そのゲイツ財団が推進するCommon Coreカリキュラムが、現場教師らの戸惑いに。Cf. ビル・ゲイツの公教育改革に、米国の教師が突きつけ始めた“NO”
http://www.washingtonpost.com/local/education/montgomery-teachers-getting-ready-to-teach-tougher-math-curriculum-under-common-core/2013/06/19/ea9fe596-ca13-11e2-8da7-d274bc611a47_story.html

そのCommon Core カリキュラムについて、モンタナの共和党の党員から「IT導入で儲かる企業がカネで教育のスタンダードを買いにきている」との批判。
http://www.lewistownnews.com/articles/2013/06/24/opinion/letters/doc51c87dbddfe36566579675.txt

「数百万人の生死を左右するFTA」(ジャーナリスト堤未果のブログ)「たとえば、製薬会社から特許権や商標権侵害が指摘された場合、インド国内で生産されたジェネリック薬品を輸出するインド政府、そして医師など薬品を提供する人々も訴訟対象になる可能性がある。裁判はインド国内でなく世界銀行傘下の国際投資紛争解決センターで非公開に行われ、上訴もできない。企業が知的財産保護を掲げ、国際条約の相手国政府を訴えるケースは、年々増える一方だ。11年にはスイスと二国間条約を結ぶウルグアイ政府が「公衆衛生政策は企業利益を脅かす」とし、フィリップモリス社に損害賠償と政策廃止を申し立てられている」 :たぶんここで取り上げた記事だと思うのだけれど、ゲイツ財団に集められていく富裕層の資金が問題である一つに「知的財産権をスーパーリッチが独占していく」ことが挙げられていて、イマイチちゃんと理解できなかったんだけれど、なるほど、こういうことなんだ。つまり1%の力を背景に、モンサント流のショーバイが主流になっていく、ということ……。

「本当に怖いのは【暴言】より「法改正」」(ジャーナリスト堤未果のブログ)「ほとんどまともに報道されていませんが、環境省が、放射性物質の管理・規制する権限を自治体から環境省に一本化する「環境法改正案」が衆議院を通過しました」。「国民には知る権利があります。本当はこういう重要な法案は国会審議中に国民にもきちんと知らせ、ちゃんと国民も自分の事としてその是非を考えたい。でも「知らせる役」「権力の監視役」が機能していないなら、こうやってネットや口コミで広げるしかありません」
http://blogs.yahoo.co.jp/bunbaba530/67969151.html

「障害のある人の生活を脅かす生活保護章改正に反対する声明」きょうされん常任理事会
http://www.kyosaren.com/aboutKyosaren/2013/06/post-42.html

東京のどこかで東大の先生が作ったロボットのロックバンドが生身の歌手と一緒にライブ演奏した、というニュースがガーディアンに。:これって、人間に似せて精巧に作ったコンピューター制御の演奏マシーン、ハイテク人間型CDプレーヤーみたいなもんではないの? 私はこのエントリーで「だ~れがロボットの落語を聞いて愉快なものか。ロボットが弾くピアノやバイオリンに、だ~れが感動するものか」って書いたんだけど。
http://www.guardian.co.uk/technology/video/2013/jun/24/robot-rock-band-z-machines-stage-tokyo-video

スターバックスが5年ぶりに英国で法人税を支払ったそうな。
http://www.guardian.co.uk/business/2013/jun/23/starbucks-pays-corporation-tax

財政出動で経済成長を促すやり方は経済の安定を脅かす、と各国の中央銀行の会議で。
http://www.guardian.co.uk/global/2013/jun/23/kickstarting-growth-threaten-stability-central-bank

労基法違反:首都圏大学非常勤講師組合、早大を刑事告発へ。
http://mainichi.jp/select/news/20130407k0000e040126000c.html
2013.07.01 / Top↑
AARPの公共施策研究所から家族介護者支援に介護休暇の提言。
http://www.aarp.org/content/dam/aarp/research/public_policy_institute/ltc/2013/fmla-insight-keeping-up-with-time-AARP-ppi-ltc.pdf

米国のブーマーズは介護費用をねん出するために生命保険を売却し始めている。
http://seniorhousingnews.com/2013/06/23/boomers-cash-out-life-insurance-to-pay-for-long-term-care/

オーストラリアで、水に過剰な興味を示してすぐにいなくなることが懸念されていた自閉症の少年が介護事業所のスタッフと出かけた先で湖で溺死、母親がスタッフと事業所の過失を問うて提訴。そのスタッフが無資格・無研修の移民だったこともあり、いろいろ考えさせられる複雑な問題をはらんだ事件と思われ、ちょっと追いかけてから、できたらエントリーに。
http://www.abc.net.au/news/2013-06-24/family-gets-apology-over-death-of-disabled-son/4775626
http://www.bordermail.com.au/story/1593516/care-group-admits-deficiencies-over-boys-death/
http://www.bordermail.com.au/story/1596136/carer-wins-protection-at-autistic-boys-inquest/

米カリフォルニア州の研究で、ナーシング・ホームのチームに元々の患者の担当医と薬剤師を加えるとホームでの医療効果が上がる。:これは、ものすごく大事な情報だと思う。終末期医療で患者本人の利益が必ずしも最優先されていなかったり、入所前の本人の医療情報がホームに伝わらなかったり生かされなかったり、という問題が実はとても大きいという気がする。
http://www.upi.com/Health_News/2013/06/23/Nursing-home-patients-own-physician-plus-pharmacist-ups-care/UPI-87681372021711/

JAMA内科雑誌に、検査や投薬など日常的な医療を巡る意思決定にもっと患者本人を含める必要がある、と説く論文。著者は the Informed Medical Decisions Foundationとマサチューセッツ大所属。:へぇ。そういう財団もあるんだ。それはともかく、これは上の連携の問題に並んで大きな問題だし、「死の自己決定権」の前に、こっちが先だろう、といつも思う。日常的な医療があって、さらに大きな病気で受ける医療があって、その先に患者にとっては地続きなものとして終末期医療があるわけだから、大きな「自己決定」をできるためには、それ以前に小さな「自己決定」の経験を積み重ねておく必要があるんだって、これはミュウの施設でずっと言っていることなんだけど。だから説明してくださいって……。
http://www.medicalnewstoday.com/articles/261078.php

オーストラリアのDr. DeathことDr. Philip Nitschkeがまたぞろ自殺ワークショップのツアーに出ている。英国では入管で荷物の一部を没収されたらしいけれど、その後、アイルランドへも。
http://www.lifenews.com/2013/06/24/australias-dr-death-detained-at-british-airport-officials-confiscate-items/
http://www.independent.ie/irish-news/defiant-dr-death-to-give-suicide-tips-at-irish-euthanasia-workshop-29372477.html

そのDr. Nitschkeのワークショップに行こうと、カナダからロンドン空港に降り立ったMarie Flemingさん(死の自己決定権を求めて提訴し5月2日に敗訴)の夫が空港で警察の職質を受け一時足止め。
http://www.independent.ie/irish-news/dying-womans-partner-held-on-way-to-euthanasia-event-29369338.html

【Dr. Nitschke関連エントリー】
オーストラリアのDr. Death、安楽死のワークショップのため英国へ(2009/5/8)
Dr. Death の自殺ワークショップに聴衆100人(2009/5/11)
Dr. Death、今度はUAEの数人に「苦しまずに自殺するコツ」伝授(2009/6/9)
49歳全身麻痺の施設入所者が自殺を希望し栄養を拒否、判断が裁判所に(豪)(2009/8/7)
餓死する権利認められた四肢麻痺男性、Dr. Deathの指南で「やっぱりスイスへ行きたい」と(2009/8/20)
イエスが守ってくれるから死なないと絶食する統合失調患者の栄養補給は「非人間的な治療」(豪)(2009/8/28)
図書館がDr. Death ワークショップへの場所提供を拒否(カナダ)(2009/9/24)
Dr. DeathのExit Internationalに警察の家宅捜査(2009/11/12)
6万ドルの安楽死キャンペーン、オーストラリア全土に看板とTVコマーシャル攻撃(2010/9/7)
豪のDr. DeathがBBCで“自殺装置”による“自殺指南”を正当化(2011/2/25)
中高の授業でDr. Deathが自殺装置を披露する「教育ビデオ」(英)(2011/4/17)


米国160万人の囚人も高齢化で、刑務所内にもホスピス。
http://medicalfutility.blogspot.jp/2013/06/hospice-in-prison.html

カナダ、オンタリオの上訴裁判所がDNR指定には患者や家族の同意は不要、と判断。Cefarelli訴訟。
http://medicalfutility.blogspot.jp/2013/06/ontario-appeal-court-rules-no-consent.html

メディケアの患者には臓器移植を拒むべきか? :こういう議論を目にするたびに思うのだけれど、日本では生活保護の受給者や重症障害者から臓器移植を希望する声そのものが上がらないんでは? でも、それって生命倫理学の観点からすると、どうなんだろう? 議論そのものがないまま、なんとなく皆で「そんな厚かましいこと、誰も言えないよね」という雰囲気が行き渡っているってことが? これ、最近ちょっとずつ頭に形作られていきつつある、日本では安楽死や自殺幇助議論はさほどでもないように思われているけど、実は暗黙のうちに「患者の無益」論が広められて、実質は大して変わらない事態に向かっているんでは……みたいなところにも繋がっていく? 
http://www.physiciansnews.com/2013/06/21/should-medicaid-patients-be-denied-organ-transplants/

この前から米国でメディケアでの薬の悪質な過剰処方が問題になっているのだけれど、そういう処方が最も多い悪質な医師には製薬会社から講演料が渡っている、とProPublica.
http://www.propublica.org/article/top-medicare-prescribers-rake-in-speaking-fees-from-drugmakers

それ以前に、処方する資格のないセラピストやトレーナーなどが処方箋を書いているのに、それでもメディケアはちゃんと給付している、という問題も。
http://blogs.yahoo.co.jp/spitzibara/66452879.html

経口避妊薬でカナダ人女性23人が死亡か。
http://topics.jp.msn.com/life/lifestyle/article.aspx?articleid=1892123

ワクチンが糖尿病、肥満、メタボを引き起こしている、とする調査結果、2012年11月に Current Diabetes Reviewsに。
http://www.prnewswire.com/news-releases/vaccines-are-causing--the-epidemics-of-type-1-diabetes--obesity-and-type-2-diabetes-metabolic-syndrome-181513501.html
2013.07.01 / Top↑
今年1月の以下のエントリーを書いた時点では
作成中だったNICEのガイドラインが発表となり、
1月に報道された通り、乳がんのリスクが高い女性に
2種類の予防薬を5年間、NHSはオファーするように、と。

乳がん発症リスクの高い女性50万人に予防薬を(英国)(2013/1/16)


記事では、
アンジェリーナ・ジョリーのように予防的乳房切除に踏み切れない女性や
ジョリーほどにリスクが大きくない女性にも、
これで薬物予防治療という新たな選択肢ができる、と書かれている。

タモキシフェン と ラロキシフェンは共に抗エストロゲン剤

前者は既に乳がんになった患者の再発を抑える薬として、
後者は更年期後の女性の骨粗鬆症予防薬として使われているもの。

これらは乳がんリスクを30%から40%下げることが研究により分かっているが
乳がんの予防薬として米国では認可されているが英国では未認可。

NICEのガイドラインは
乳がんの発症率が 3/10 の全女性にオファーすべきであり、
発症率が 1/6 の女性にも検討すべきだ、と。

英国では毎年5万人の女性と400人の男性が乳がんを診断されており、
そのうち5人に1人が家族に乳がん、子宮癌、前立腺がんの病歴がある。

また、これら2剤を予防薬として使うと、
Tamoxifenで年間25ポンド、raloxifeneではもう少し高くつくものの、
乳がん患者の治療にかかる費用を考えれば、コスト・パフォーマンスが良い。

副作用として記事に書かれているのは、
エストロゲンをブロックすることからくる更年期症状で、
のぼせ、寝汗、気分の不安定、吐き気と体重増加。

そう書かれている一方で、
更年期とそれ以降の女性では、特に太ると、
脂肪からエストロゲンが生成されるために乳がんリスクが上昇する、と。

(でも、これらの薬の副作用の中に「太る」がある、という皮肉。
アシュリー療法でもエストロゲンの大量投与で身長を抑制するという発想そのものに
カナダのSobsey氏が「体重増加」の副作用があることの矛盾を指摘していたけど)

それから記事の最後に、ほんの2行、こう書かれている。

「しかしながら、乳がんリスクを下げる他の選択肢もある。」
それは薬に頼らない方法。体重を落とし、運動すること」

あ、それから
ガイドラインは50歳以下の女性に毎年MRIを受けるように推奨も。

Breast cancer: women at risk should be given daily pill, say NHS guidelines
Guardian, June 25, 2013



コスト・パフォーマンスがよいと言われても、
そこでは副作用が出た人への治療コストって、計算外にされていると思うし、

冒頭の1月のエントリーに縁さんから頂いたコメントによると、
実際にタモキシフェンを飲まれた体験から「副作用はきつい」とのこと。

上記にリンクしたウィキぺデイアによると
タモキシフェンの副作用は
無月経、月経異常、悪心・嘔吐、食欲不振等、ほてりや発汗、肺塞栓。

ラロキシフェンの副作用は、
乳房の張り、ほてり、吐き気(2~3ヶ月で身体が慣れると軽快)。
滅多にないが重いものとして、血栓症塞栓症のほか、
膣の分泌物、多汗、足のけいれん、体重増加、吐き気、食欲不振、皮膚のかゆみ。

そんな薬を5年間も飲むことの、女性の体への負担について
十分に慎重に検討されたんだろうか。

女性の身体に多少の負担があったとしても
ガンになってからの治療コストに比べれば
予防効果のコスト削減効率の方が良いから、というのでは、
それはちょっと違う話なんでは……と考えてしまう。

この記事が書いているように
まずアンジェリーナ・ジョリーのような予防的乳房切除という選択肢がありますよ、
でも、そこまでできないという人にだって、こちらの薬物予防法がありますよ、
というふうに話を持っていかれると、

予防できる方法があるなら予防するのが当たり前という前提がそこにはあって、

その上で、Aの予防法をとるかBの予防法をとるか、
あなたに最適な予防法はどちらから遺伝診断とカウンセリングで、
という話にいずれなっていきそうな気がする。

(そしてそこにはもちろん
マーケット創出のポテンシャルが沢山ある)

でも、そうすると
それは他の選択肢が予め排除された2者択一の話となり、
その排除が女性の側からはとても見えにくくなってしまって、
どちらかを選ばなければと感じさせられるだろうし、

「どちらも選ばない」とか、
「AでもBでもない予防法を検討する」とか
「予防そのものを考えない」という選択肢だってあることに
気付けなくなってしまう……なんてことはないのかなぁ。

そして、そういう「できる予防はするのが当たり前」文化が拡がってしまった時には
予防できる方法があるのに、どちらもせずに乳がんになってしまった人は
「自己責任を果たさず、社会に対して不当な医療コストを背負わせる厚かましい人」と
みなされ始める……いうことにならないのかな。


……そこで、なんとなく、いっそ懐かしいほどの気分で思い出すのは、
この論文の著者の一人、名郷直樹医師の9日の以下の2つのツイート。

一番健康なのは、健康に気を付ける暇がないことかな。あるいは暇でも健康に関心がないとか。

体にいいことだけで生きられる人はいないと思う。そんなことができるのは死んでる人だけ。


そういえば09年に、こんなオモロイ記事もあった ↓
「やれ何が癌の原因だ、やれ予防にはどうしろ、こうしろって、ウザい」と英国人(2009/5/26)
2013.07.01 / Top↑
『現代思想』5月号の特集「自殺論 対策の立場から」の一編、
大谷いづみ『「理性的自殺」がとりこぼすもの
続・「死を掛け金に求められる承認」という隘路』。

1970年代からの安楽死を巡る大きな事件での
一見すれば「理性的自殺 rational suicide」を求めていると見える人物たちの語りが
その実、聴く者に自分の声が届かないことからくるアイデンティティの揺らぎの中で、
「死を要請することで聞く耳を得られた体験」である可能性に着目しつつ、

理性的に首尾一貫できるためには
人は自分や他者の何かを切り捨てるしかないのでは、と問う。

エリザベス・ボービア、ラリー・マカフィ―、ケン・ハリソンのケースに
注目して書かれているのだけれど、

最初の実在の2人については
ウ―レットが事例研究で取り上げているので当ブログでも紹介しており、
大谷氏の解説からは、ウ―レットの解説では見えなかった事件の側面が見えてきて、
とても興味深い。

例えば、
Bouvia事件については ⇒ http://blogs.yahoo.co.jp/spitzibara/63783421.html

ウ―レットはこの事件を
ターミナルでなくとも生命維持を拒否することができた自己決定権の画期的な勝利であり、
またそこに一定のスタンダードを敷いた事件としても
生命倫理の界隈で称揚された事件だと位置づけて紹介している。

ところが大谷氏の論考によると、
エリザベスはその後翻意し、2008年時点で生存が確認されているという。

彼女が死を要請するに至った過程とは、大谷氏によれば

 重度の脳性麻痺でほぼ全身が麻痺しているエリザベス・ボービアはわずかに動く右手で電動式の車いすを操作し、たばこを吸うこともできた。食物の咀嚼も可能で話もできた(が、重度の脳性麻痺患者との意思疎通は双方に相応の訓練と慣れと忍耐力を必要とする)。彼女の人生の苦痛を倍加したものは、彼女の障害と深い関わりを持ってはいるが、しかし障害そのものではない、彼女をとりまくさまざまな条件である。両親が離婚し5歳から5年間は母親に養育されたが、その後は養護施設で育った。18歳になった彼女に、父親は彼女の障害ゆえに世話はできないと告げた。彼女は障害者向けの州の支援制度を受けて住み込みの看護婦と共に自立生活を始め、中退していた高校課程の勉学を再開し、大学を経て社会福祉系大学院に進んだが、実地研修をめぐるトラブルで退学した。文通相手の元受刑者リチャード・ボービアと結婚、妊娠するも流産。結婚したことで障害者への給付金は減額され、リチャードがやっとのことで得たパートタイムの収入では生活はたちゆかなくなる。極まって援助を頼み込んだエリザベスの父から拒絶され、疲れ果てたリチャードがエリザベスの元を立ち去ったその数日後、エリザベスは餓死による自殺を訴え出たのである。
(p. 167)


次にMcAfee事件については ⇒ http://blogs.yahoo.co.jp/spitzibara/64925979.html

こちらはウ―レットも、
本人が置かれていた状況の詳細を知らずに生命倫理学者らが
「自己決定権」の問題として論じていることについて
障害者サイドからの批判に沿って事件を紹介している。
例えばLongmoreの以下のような主張を引用。

こんな自由はフィクションに過ぎない。偽物の自己決定。
選択というレトリックが強制の現実を隠ぺいしている。


大谷氏によれば、ラリーもまた
裁判で認められた人口呼吸器の停止によって自殺することはなく、
1993年、採尿カテーテルがねじれていたために尿が逆流し高血圧症となって
何ヶ月もの昏睡状態を経て1995年に死亡。

ケン・ハリソンとは
1981年のアメリカ映画『この生命誰のもの』の主人公の彫刻家。
交通事故のために四肢マヒと腎臓障害となり、
理性的・合理的な判断として「尊厳のある死」を自ら選ぶべく、
「死ぬ権利」を求めて提訴する。

こうした映画が安楽死運動史上、大きな影響力を持ったこと、
ボービアやマカフィーにも影響を与えたことを指摘しつつ、

大谷氏はさらに、ケンの語りが当初、
「死への要請」を認めようとはしない医療スタッフによって黙殺されたことに注目する。
そこには聴く側のアイデンティティの問題が関わっていて、
自分のアイデンティティを中断しないためには聴く側は
自分が聴こうとするものだけを聞くからだ。

そこでケンの物語は
聴き手が聞きたいことしか聞こうとしないのならば
死にたいと語り続けた人の物語と見ることもできる。

エリザベス・ボービアもまた、
「死の要請で名を知られてはじめて、その物語が多くの聴き手を得、
マスコミをにぎわせ、彼女のための基金も作られて安定した生活が保障されたのである」(p.169)

この下り、私の頭には
英国で08年に自殺幇助に関する法の明確化を求めて提訴し、
その攻撃的な能弁で一躍メディアの寵児となったDebbie Purdyさんの姿が浮かんだ。

【Debbie Purdy訴訟関連エントリー】
MS女性、自殺幇助に法の明確化求める(2008/6/27)
親族の自殺協力に裁判所は法の明確化を拒む(2008/10/29)
自殺幇助希望のMS女性が求めた法の明確化、裁判所が却下(2009/2/20)
Debby PurdyさんのBBCインタビュー(2009/6/2)
Purdyさんの訴え認め、最高裁が自殺幇助で法の明確化を求める(2009/7/31)
Purdy判決受け、医師らも身を守るために法の明確化を求める(2009/8/15)
法曹関係者らの自殺幇助ガイダンス批判にDebbie Purdyさんが反論(2009/11/17)


さらに大谷氏が引いているのは
1993年に「終末期を心安らかに暮らすために」幇助自殺を望みながら、
それがプログラム化された自殺幇助の手順に乗せられてしまうことに
揺らぎ、迷いながらも、幇助を受けて死んだルイーズのケース。

『ニューヨーク・タイムズ・マガジン』で紹介された際、
記者は死の要請を聴く側の心理について考察しつつ、
マクベスの有名な一節を引いている。

「やってしまってそれで事が済むのなら、
早くやってしまった方がいい」

ここでは私には、Fins医師が最小意識状態の人の治療停止について言っていた
「早いところさっぱり決着をつけてしまおうと、
分からないことが沢山あるのに無視してしまっている」という発言が
頭に浮かぶ。

それでも、いったん行為が行われれば、

……残された遺族には、「これでよかったのだ」と自分自身を納得させることよりみちはない。その影で「あれで本当によかったのだろうか?」という問いは封じ込められてしまうかもしれない。自らの行為を他者にも理解してもらうために、何より、死を選んだ本人の選択を承認してもらうために。それだけではなく、本人と自分の死への選択を承認されるための問題提起を「世間」にむけて開始するかもしれない――。
(p. 173)


1993年に、生きているのが可哀想だからと言って
脳性まひの13歳の娘を殺し、08年に仮釈放になるや
慈悲殺正当化論の広告塔となって公の発言を続けるロバート・ラティマーのように――。

慢性疲労症候群で寝たきりの娘の血管に砕いたモルヒネと空気を注入して死なせて
愛からの行為だとして無罪判決を受けた後でメディアに連日登場しては
自らの献身と愛と苦悩を語り続けた、あのケイ・ギルダーデールのように――。


しかし、人はそんなふうに、「その時」までも、また「その時」になっても
揺らがず迷わずに「理性的」「合理的」に生きられるものなのか、というのが
大谷氏の論考を貫いている問いなのだと思う。

エリザベス・ボービアやラリー・マカフィーが
裁判所に認められた死の自己決定権を行使して死ぬことを選ばなかったように、
そもそも彼らの死の要請の背景が、実際は
尊厳死議論で描かれる「理性的自殺」の物語とは異なっているように、

(太田典礼もまた、脳梗塞で車いす生活となっても
自殺せず、リビング・ウィルに署名することもなく、手厚い介護を受け、
そうめんをのどに詰まらせて亡くなった、というエピソードが
論考の最後に紹介されている)

「首尾一貫しようとして、人は自分の、他者の、何を切り捨てようとするのか」
と問う大谷氏は、

首尾一貫せず、「ブレることにこそ希望の証を見」ようとしている。

そのためにも
社会にとってあまりにも都合のよい「理性的自殺」のフィクションには警戒し、

「その都合のよさに立脚した死の要請には、慎重でありすぎることはない」と。
2013.07.01 / Top↑
メルマガ 『やまのい和則の「軽老の国」から「敬老の国へ」』
第1704号(2013/6/24)より

報道によれば、政府は来年度の社会保障予算の高齢化による
自然増分を抑制する方針を8月に発表するとのこと。
自然増は年1兆円。
これを抑制するには、医療、年金、介護、子育て支援を
大幅にカットすることになります。
大胆なカットをせねばならない理由は、
1月の補正予算で5兆円の建設国債を発行し、
今後も10年間で200兆円も公共事業を増やすからです。

つまり、アベノミクスは大胆な財政出動で、
公共事業は大幅に増やしますが、
その財源は医療、年金、介護などをカットしてまかなうことになります。

サミットで日本は外国から巨額の財政赤字を批判されましたが、
公共事業は増やしたいので、
政府は増やす公共事業の予算を社会保障をカットしてまかなう形になります。

アベノミクスで金融を緩和し過ぎたので、
外国から今まで以上に財政健全化を求められたことも、
社会保障をカットせねばならない理由です。

つまり、アベノミクスの最大の副作用は、
社会保障の大幅カットを伴うことです。

しかし、8月以降に、医療、年金、介護などを大幅にカットすることは、
参議院選挙前には言わず、
アベノミクスよる公共事業増加や金融緩和だけを訴えるのは
フェアではありません。

アベノミクスは大幅な社会保障のカットがセットです、と、
正直に言うべきです。
2013.07.01 / Top↑
広間の外にひろがる庭園には、広間をかこむように宴席がしつらえられ、真王(ヨジェ)の誕生日を祝うためにおとずれた多くの貴族たちが、その身分に従って着席していた。

 つぎからつぎへと運び込まれるごちそうの香ばしいにおいと、咲き乱れる花々の香りとが入りまじって、宴席を包んでいる。

 中央の草の上には白い毛氈が敷かれ、楽師たちが明るい調子で笛を吹き鳴らし、その音に合わせて、舞姫たちが、薄赤い絹の帯を宙に舞わせながら、くるくると踊っていた。

 最近王都で評判になっている道化師たちの、ひょうきんなやりとりは、人々の笑いを誘い、大いに場がもりあがった。

 やがて、夕暮れが近づき、透明な金色の光があたりを照らす<黄金の刻(とき)>がおとずれた。

 夜明けと黄昏は、ともに<生の刻(とき)>と<死の刻(とき)>の境目であり、もっとも神気が満ちる刻(とき)であるとされている。

「獣の奏者 2」 上橋菜穂子 講談社青い鳥文庫 p. 42-43


ゴチックにした部分、読んだ瞬間に
ああ、これこそマジックアワーのマジック、
そのわずかな時間に漂う神秘を見事に捉えた表現だ……と。

たぶん、刻の境目というものには不思議なマジックがある。

生の刻と死の刻の境目――。
子どもの刻から大人の刻になる境目にも――。

刻の境目は一瞬で通り過ぎて、留まることがないからこそ、
そこにあるマジックにはえもいわれぬ美しさがあるのだろうな、とも。

ミュウが子どもから大人の女性になるあわいにいた時の
あの透明なパステルカラーの美しさについては『新版 海のいる風景』に書かせてもらった。


【関連エントリー】
天保山のマジックアワーに(2008/8/29)
2013.07.01 / Top↑
北アイルランドの保健省から2013年第1四半期の介護者統計が発表になっており、
以下の記事に、ケアラー・アセスメントについての概要が取りまとめられている。

今回が8回目ということなので、
2年前から四半期ごとに発表されていることになる。

私は最初、この記事を読み始めた時、
「ケアラー・アセスメントが断られたケース」というのを
HSCトラスト(英国のNHSトラストに当たると思われ)側が
ケアラーのアセスメント申請を断ったケースとしてイメージしてしまったのだけれど、

そうではなくて、
トラスト側が申し出たアセスメントをケアラーが断った、という話だった。

1.2013年1月1日から3月31日までの四半期に
 完了したケアラー・アセスメントは 1353件で、
 前の四半期よりも25%の増加。

 断られたケースは1342件で、
 こちらは前の四半期よりも5%の減少。

2.ケアラー・アセスメントの申し出の50%が断られた。

3.完了したアセスメントのうち、
 95%(1291件)は成人ケアラーのアセスメントで、
 5%(62件)が18歳未満のヤング・ケアラーのアセスメント。

4.アセスメントが完了したヤング・ケアラーは全員が16歳から17歳で、

 1291人の成人ケアラーのうち、
 71%は18歳から64歳、
 18%は65歳から74歳、
 11%が75歳以上。

5.アセスメントを受けたヤング・ケアラーのうち、
 29%は他の子どもの介護をしており、
 83%は成人の介護をしていた。

6.アセスメントを完了した成人ケアラーのうち、
 子どもを介護しているのは17%、
 成人を介護しているのは83%だった。

7.それらケアラーの介護を受けている人のうち、
 最も人数が多かったのはどのトラストでも高齢者。

8.アセスメントを断ったケアラーは1342人で
 ベルファスト・トラストの9%からサウス・イースタン・トラストの35%まで。

9.高齢の成人ケアラーのほうが若年層の成人ケアラーよりもアセスメントを断りがちで
 65歳以上では62%が断ったのに対して、18歳から64歳では断ったのは44%だった。
 断った65歳以上の619人のうち、40%が75歳以上だった。

10.アセスメントを断った理由について問うと、
 42%は、支援の必要はない、または現在の支援に追加は必要ない、
 17%は、アセスメントの時期が適切でない、
 13%は、自分をケアラーだとはみなしていない、
 9%は、受けてもメリットがない、
 7%は、介護者としての諸々はプライバシーにしておきたい、
 4%は、「その他」の理由、を
 それぞれあげた。

 また、1%は、福祉その他の給付への影響を懸念、
 7%は理由を挙げなかった。


高齢のケアラーがアセスメントを断っていること、
断った理由の中の「支援の必要がない」「自分はケアラーではない」
「(家族の)プライベートだから」など、とても興味深い。

断る人が減っているというのは
アセスメントが少しずつ浸透しているということでしょうか。

この後、Carers’ Review と 再アセスメントについてデータが示されているのですが、
その辺りの制度について分からないので、この後は省略しました。

Publication of ‘Carers’ Statistics for Northern Ireland (quarter ending 31 March 2013)
Debate NI, June 21, 2013
2013.07.01 / Top↑