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最初にビデオを見て目と耳を疑い、
ニュースの全容が掴めるにつれて絶句し、

次にギャラリーの写真を1枚ずつクリックするにつれ
息を飲み、かたまり、
憤りで体が震えた、
ナイジェリアのニュース。

「ナイジェリアの魔女狩り、子どもが標的に」

Children are targets of Nigerian witch hunt
The Observer, December 9, 2007/12/10

ビデオはこちら

ぜひとも見て欲しい20枚の写真はこちら

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9歳の少年。
頭のてっぺんに打ち込まれた5本の釘がまだそのまま。

10歳の少女。
弟が病気になったのは彼女が魔女だからだと指差され、
親が連れてきた男たちに殴られ、
親に毒草を無理やり食べさせられ、
苛性ソーダ入りの熱湯を頭から浴びせられ、
野に打ち捨てられた。

13歳の少女。
父親と教会の長老たちに木にくくりつけられた。
足首を縛ったロープはきつく縛られて肉に食い込み、
そのまま一人で一週間放置される間に骨に達した。

家族が病気になるのも父親が失業するのも、
彼らが「魔女だから」だと。

そう指差すのはキリスト教会の牧師たち。

子どもたちはある日突然、彼らに「この子は魔女だ」と指差されて、
親から虐待され、村人から迫害され、打ち捨てられているのです。

川や森から死体が沢山発見されていて、
殺された子どもは既に何千に達するのではないかと。

牧師たちは気まぐれに「この子は魔女」と言い歩いては
親に月収の何倍もの料金を払わせて教会で魔女払い。
同じ子どもにまた魔女が戻ってきたと言えば、何度でも搾取は可能で、
数多くの魔女を見つければ見つけるだけ
優秀な牧師だとあがめられ商売が繁盛するそうだから、
こんなにオイシイ商売はないでしょう。

この胸が悪くなるニュースの唯一の救いは、
牧師たちの言うことを信じず、
子どもたちを集めては癒し養う人がわずかながらいること。
けれど、130人もの子どもたちがあふれ返る粗末なシェルターも村中から敵視され、
襲撃も起きかねないような不穏な空気も感じられて。

          ――――

一見、親たちは牧師に払う金がないから子どもを捨てているようにも、
本当に子どもに悪霊がついたと恐れ憎んでいるようにも見えます。

でも、本当はそうじゃないと思う。
彼ら自身、虐げられて貧困に苦しみ、
誰かにぶつけないではいられない思いを抱えた大人たちが
衝動に任せて子どもを虐待し、憂さ晴らしをしているだけだと思う。
その口実を作ってやることで、キリスト教会の牧師が富み肥えていく仕組み。

強い者に踏みつけられている者が、さらに弱い者を虐げて憂さを晴らす仕組み。
強い者たちが弱い者を相手に、どんなひどいことだってできる仕組み。

大人たちが寄ってたかって、そういう世界を作ってしまったら、
どこに子どもたちの居場所があるというのか。


子どもたちが、みんな同じ表情をしているのです。
感情を失うことで身を守ろうとする無表情。
その中で、どの子も目が異様なおびえを湛えて。

その目がたまらない。

これほど救いのない孤独を生きなければならない子どもが、
こんなにもいるという事実も。


世界がよりよい場所になっていくなんて、
やっぱりタワゴトだとしか思えない。
2007.12.14 / Top↑
“Ashley療法”の成長抑制部分を皮肉って
shrink(縮める)という表現を使った批判には、
前のエントリーで紹介したSaletanの他にも、
BBCの障害者問題ブログ Ouch!に
同サイト・コラムニストのTom Shakespeareが書いた文章があります。
 
Saletanが
「”介護の便宜”や”病気予防”が正当化としてアリなら、高齢者にも同じ理屈が通るじゃないか」
と批判したのと同じように、

Shakespeareは「他の障害児・者や一般の人にも当てはまるではないか」と批判しています。

例えば、
歯軋りがうるさい人からは奥歯を抜けばいいし、

多動の子どもには、頭にスイッチを仕込んで
手に負えなくなったらスイッチでちょっと静かになってもらう。
そうすれば家族みんながテレビの前で静かな夜を過ごせるわけだし。

よだれも見た目が悪いし服が汚れるから、
バイオ工学でちょちょっと手を加えてカテーテルを通し、
お口の余分な水分は涎バッグへ。

やっかいでデカくて周りの迷惑になる障害児たちにしてやれることは、まだまだ沢山ある。我々にはそれだけの技術があるのだし。それが親の利益になれば、当然子どもの利益にもなるというわけ、だよね? だって、考えてごらんよ。親が世話をしやすければ、子どもだってハッピーで満ち足りているはずだ。こういう解決策があれば、子育ての悩みなんてなくなって、子どもの世話をするたびに感じるのは喜びだけさ! それに、いまさら外見が人間の価値を決めるなんて信じる人はいないよね? だから成長を抑制して外見が大人にならないようにしたからって、中身の人間を変えることにはならない。

しかし同時に我々は他の選択肢があることも知っている。違いに対して、もっと許容もできるはずだ。もっとアクセスの容易な住宅を提供し、予算をつけてパーソナル・アシスタンス制度を整え、障害者が地域で暮らせるように在宅ケアのサービスを保証する。しかし、それはコストがかかることだ。それに、投資として面白くもないんだろうね。福祉にお金をつぎ込むというのはね。

Shakespeareは最後に、
Ashleyに行われた医療処置については
組織内倫理委員会で関連事項のすべてを慎重に議論し、
生命倫理の4つの原則を適用するという
「正しいプロセスと手続きthe right processes and procedures」を
経て決められたことに注意を促し、暗に警告を発しています。

彼はここで、
そうしたプロセスが正当化にも使われ得る社会の欺瞞を
警戒しているのだろうと思われますが、

もう少し丁寧に原資料を読み込めば、
実は「関連事項のすべて」など議論されていないし、
生命倫理の原則など適用もされていない
この事件固有の欺瞞についても
見抜けたのではなかったろうか……と残念。

他にもShakespeareは
あの論理性というものがとことん欠落した論文について、
「担当医らの論理には非の打ち所がない」と(皮肉だとしても)書いており、
いったい、どれほど丁寧に読んだのだろうか、とちょっと疑問です。

「中身に相応したサイズ」論の倒錯を指摘する部分でも、
サイズが相応でなくたって当人には気にならないはずだと主張する際に
「でも、いいかい。Ashleyはどっちにしたって自己意識は欠いたままなのだ」
と書き、Peter Singerと同じ誤りを犯しています。


Ashley事件を論じる多くの人の中には、
Ashleyの両親のブログが長大なためか、
ざっと目を通す程度で済ませてしまう人が案外に多いようですが、

せめて最も重要な資料である担当医論文と親のブログの2つだけはまともに読み、
基本的な事実関係くらいはきちんと押さえてほしい。

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それにつけても、
今度は自国でKatieのケースが起こり、
それについては BBC も報じているというのに、
Shakespeare は反応していない……。なんで?


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ちなみに、当ブログでまとめたAshley事件の事実関係は
「事実関係の整理」の書庫にあります。
2007.12.14 / Top↑