医療倫理学者Daniel SokolがKatieケースについて論評したもの。
主な論点は
・子宮摘出術が本人の最善の利益にかなうかどうか、全く不明。
・実際に生理が始まるのを待ち、Katieの様子を見てから判断するのがよい。
・人の幸福には心理的、情緒的な要因が関わっているので、ただ臓器の機能だけで考えてはならない。
・健康な人がそういう状態になった自分を想像してみた場合に比べて、慢性病の人や障害者は自分のQOLを高く評価するとの研究結果もある。
・我々の想像力は、未来を想像したり仮定的な状況を考える際に悲観的な図を描く傾向があることに気をつけなければならない。
・このような難しいケースで意思決定を行う人は、道徳的な問題やその他の選択肢などのすべてを検討し、なおかつ強力なジャスティフィケーションができる決定を行わなければならない。
・それらが満たされた場合には、いったん意思決定が下された後は決定者を批判するのではなく支持する方が良い。Katieの幸福は母親の幸福と完全に切り離されるものではないから。
・実際に生理が始まるのを待ち、Katieの様子を見てから判断するのがよい。
・人の幸福には心理的、情緒的な要因が関わっているので、ただ臓器の機能だけで考えてはならない。
・健康な人がそういう状態になった自分を想像してみた場合に比べて、慢性病の人や障害者は自分のQOLを高く評価するとの研究結果もある。
・我々の想像力は、未来を想像したり仮定的な状況を考える際に悲観的な図を描く傾向があることに気をつけなければならない。
・このような難しいケースで意思決定を行う人は、道徳的な問題やその他の選択肢などのすべてを検討し、なおかつ強力なジャスティフィケーションができる決定を行わなければならない。
・それらが満たされた場合には、いったん意思決定が下された後は決定者を批判するのではなく支持する方が良い。Katieの幸福は母親の幸福と完全に切り離されるものではないから。
最初の2点はこれまでにも当ブログで指摘してきた点で、全く同感。
最後の2点の代理の意思決定についての指摘には、
英国では10月1日に新しい成年後見法である
Mental Capacity Act 2005が全面施行になったばかり
という事情を考えさせられます。
英国では10月1日に新しい成年後見法である
Mental Capacity Act 2005が全面施行になったばかり
という事情を考えさせられます。
Sokolの考え方そのものは、
MCAの代理決定の理念に沿ったものなのかもしれませんが、
MCAの代理決定の理念に沿ったものなのかもしれませんが、
しかしMCAにおいても、
非治療的な不妊処置については裁判所の判断を仰ぐべきこととされているので、
KatieのケースについてはSokolの主張では十分ではないことになります。
非治療的な不妊処置については裁判所の判断を仰ぐべきこととされているので、
KatieのケースについてはSokolの主張では十分ではないことになります。
現にこの後、 Katieケースの判断は裁判所に持ち込まれました。
医療倫理学者が何故こうした法的な規定を知らないのか、
とても不思議です。
とても不思議です。
―――――― ――――――
しかし、この論評で最も印象的なのは太字にした真ん中3点の指摘でした。
健康な人が想像してみた場合には実際に障害のある人よりも不幸に感じるという研究結果が
具体的にどういうものかは分かりませんが、
これは私自身もずっとそうじゃないかと想像していたことで、
具体的にどういうものかは分かりませんが、
これは私自身もずっとそうじゃないかと想像していたことで、
例えば人はよく
「寝たきりになって家族に迷惑をかけてまで生きたくない」とか
「認知症でボケるくらいなら、いっそ死んだ方がまし」
などと、日常生活の中で軽い気持ちで口にします。
(当事者や家族が聞いたらさぞ不快でしょうが、もちろんそういう人が不在の場で。)
「寝たきりになって家族に迷惑をかけてまで生きたくない」とか
「認知症でボケるくらいなら、いっそ死んだ方がまし」
などと、日常生活の中で軽い気持ちで口にします。
(当事者や家族が聞いたらさぞ不快でしょうが、もちろんそういう人が不在の場で。)
が、それは非常に確率の低いこととして、
または起こるとしても、ずっと遠い先のことだとの前提で、
もしかしたら、心のどこかで自分だけはそんなことにはならないとタカをくくりつつ、
深く考えずに言っているだけなのではないでしょうか。
または起こるとしても、ずっと遠い先のことだとの前提で、
もしかしたら、心のどこかで自分だけはそんなことにはならないとタカをくくりつつ、
深く考えずに言っているだけなのではないでしょうか。
現実にそういう事態に陥ってしまった時に、
「本当に死んだ方がまし」とその人が思うかどうか……。
「本当に死んだ方がまし」とその人が思うかどうか……。
実際にそういう現実を生きている人たちの手記などを読むと、
障害を負った当初こそ死にたいと思うことがあっても、
それなりに生きる希望を見出していく人も沢山あるように思われ
人間とは案外したたかで強い生き物なのかもしれないと
思わせられたりもします。
障害を負った当初こそ死にたいと思うことがあっても、
それなりに生きる希望を見出していく人も沢山あるように思われ
人間とは案外したたかで強い生き物なのかもしれないと
思わせられたりもします。
健康な状態で想像するのと、
実際に障害を負ったり病気になって感じることとは、
本当はずいぶん違うのかもしれません。
実際に障害を負ったり病気になって感じることとは、
本当はずいぶん違うのかもしれません。
それを考えると、
知的機能が低いことに嫌悪をあらわにするトランスヒューマニストらや
Norman Fostらのように「生きるに値しない命」に線引きをしたがる「無益な治療」論者たちは、
実は「自分だったら、そんな状態になるより死んだ方がまし」と恐れる気持ちを、
現実にそういう状態にある人に勝手に投影しているだけ、なのかも?
知的機能が低いことに嫌悪をあらわにするトランスヒューマニストらや
Norman Fostらのように「生きるに値しない命」に線引きをしたがる「無益な治療」論者たちは、
実は「自分だったら、そんな状態になるより死んだ方がまし」と恐れる気持ちを、
現実にそういう状態にある人に勝手に投影しているだけ、なのかも?
2007.12.08 / Top↑
遅ればせながら、10月のBBCニュースからKatieケースに関する情報の追加を。
ゴーカート・レースを見ている一家の様子と、
母親Alisonが生理の不快が娘には耐えられないと訴えている映像があります。
母親Alisonが生理の不快が娘には耐えられないと訴えている映像があります。
前日のメディア各社の第一報に
即座に批判の声を上げた障害者団体Scopeの副会長Sandy Collington(61歳)が、
現在35歳になる重症障害を持つ娘の思春期を振り返って、
以下のように述べています。
即座に批判の声を上げた障害者団体Scopeの副会長Sandy Collington(61歳)が、
現在35歳になる重症障害を持つ娘の思春期を振り返って、
以下のように述べています。
子どものためになら何でもしてやりたいとのAlisonの気持ちには共感するが、
自分は同じことをできなかったし、同意はしない。
他にも不快や苦痛を回避する方法はあるし、
必要なのは社会福祉のサービスの方。
子どもの人権が何より大事。
15歳児から子宮摘出なんて、どんな悪影響があるか誰にも分からない。
自分は同じことをできなかったし、同意はしない。
他にも不快や苦痛を回避する方法はあるし、
必要なのは社会福祉のサービスの方。
子どもの人権が何より大事。
15歳児から子宮摘出なんて、どんな悪影響があるか誰にも分からない。
その主張の力点はもちろん後半にあるのですが、
なぜか記事のタイトルは「悲痛な決断に共感」……?
なぜか記事のタイトルは「悲痛な決断に共感」……?
やはり Katieケースを巡る英国メディアの報道姿勢は、大いに疑問。
2007.12.08 / Top↑
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