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前のエントリーの最後に簡単に紹介した
William Saletanが“Ashley療法”を批判したWPの記事(1月21日)について。

Saletanはオンライン・マガジンSlateの科学と技術担当執筆者。
Washington Postの記事は既に有料となっていますが、
Slateに別タイトルで同じ記事(1月20日)があります。


むかしむかし、
あるところにAshleyという名前の女の子がいました。
いつまでも小さいままの女の子でした。

……と始まるこの文章でSaletanが言っていることは

We don’t have to make the world fit people anymore. We can shrink people to fit the world.

もう世の中を人間に合わせる必要はない。世の中に合わせて人を縮めることができるんだから。

という皮肉にほぼ集約できるのですが、
いくつか面白い指摘を以下にまとめてみると、

・これまでアメリカでは人間のサイズが大きくなるのに連れて、家や車を始めモノも大きくしてきたが、これから先を考えれば、経済の点からも環境の点からも流れはAshley療法の方向だろう。人間が小さければ消費する資源も少なくて済むし、運ぶにも安上がりだから。

・現に今でも多くの人が社会に適応するために体に手を加えており、中国人は出世のために手術で足を伸ばすし、アメリカの男性はステロイドを使ってジムで見栄を張る。女性は豊胸、レーザー脱毛、処女膜再生……。

・両親がAshleyについて sweet, pure, innocent という形容を使い、また彼女のことを pillow angel と呼んでいるが、これらがcognitiveな単語ではなく moralな言葉だという点は興味深い。

cognitive とmoralの対比については、
「事実を述べる言葉」ではなく「感情を表す言葉」
または
「理とか知の言葉」ではなく「情の言葉」
 と、私自身は解釈したのですが……。

さらに、

しかし、もしも人を縮ませたり、少なくとも臓器を摘出するのに、そういう(病気予防との)説明が通るのであれば、ことはAshleyでは留まらないだろう。だって我々はそういう患者の大流行に直面しているではないか。身体的にも認知力においても障害を負い、抱き上げるのが大変で、癌になる確率が高く、本人もたいそう不快で、しかも子どもを産むことができない。高齢者と呼ばれる人たちだ。

今日では、アメリカの高齢者の7%に深刻な認知機能の障害がある。親の介護をしているアメリカ人は1500万人。アルツハイマー病の患者の大半は家族や友人の助けを借りて家で暮らしている。最もアルツハイマー病にかかりやすいとされる85歳以上が、アメリカで最も急増している年齢層だ。彼らの生殖臓器は役に立たないだけではなく、危ない。なにしろ75歳までにたいていの男性は前立腺がんになるし、80歳までに女性の10人に1人は乳がんになるのだから。

そして締めくくりに、極めつけの皮肉。

Ashleyの親は、しかし高齢者を思いやっているのだ。
Ashleyを縮めることによって
介護を手伝う祖母らの負担を軽減しようというのだから。

だから、彼女ら介護者が介護される側に転じた時にも、
きっと同じような目を向けるのだろう。
負担を担う側の人が一転して負担になった時にも、
軽くすればいいだけのことだから。
めでたし。めでたし。


それにしても、こうして何度目かにこの記事を読み返しながら、
1月にネットに百出した議論を振り返ると
改めて気になってくるのですが、

英国のKatieのケースでは、もう誰も
これほど熱心に力をこめて批判の文章を書かなくなってしまったような……。

同じことの繰り返しになるから?

それとも
「重症障害児の体に健康上の必要もないのに医療的に手を加える」という考えに、
もう誰も驚かなくなったから?

しかし、それは、とても怖いことなのでは?


(ということを考えると、

 批判の声をあげるのは障害者団体ばかりのように思える
 Katieケースをめぐる議論のあり方への抗議をこめて、

 このエントリーは
「英国Katieのケース」の書庫に入れておこう。)
2007.12.13 / Top↑
アフリカ人はヨーロッパ人よりも知的レベルが低いとする
James Watsonの人種差別発言騒動はもう終わったと思っていたら、

「いや、確かにWatson発言には科学的裏づけがある」という声が出たり
それに対する反論がネットでは続いているらしく、

なんのことはない、
Watson発言が人種間のIQ差を巡る論争にまた火をつけたことになったのかも。

目に付いたところでは、

Created Equal
By William Saletan
Slate, November 18, 2007

The Secret to Raising Smart Kids
By Carol S. Dweck,
Scientific American, December, 2007


さらに
ミシガン大学心理学教授Richard E. Nisbettが
NYTimesに「脳はみな同じ色」と題する文章を書き、
人種によるIQの差は遺伝子よりも後天的な環境要因によると
結論付けているのですが、

All Brains Are the Same Color
the New York Times, December 9, 2007


これまで人種間のIQ差に関して行われてきた様々な調査・研究や
その差が起因するところに関する議論を振り返り、
長い記事になっています。

そういうことを言い合ってる人たちがいることは漠然と聞き及んでいる
という程度の認識(つまり、何も知らない)だったので、
この記事で改めて人種間の知的優劣論争の歴史を概観させてもらうと、

そもそも、それだけ多くの学者サンたちが
白人と黒人の間には知的な優劣があると証明することに
エネルギーを注いできたという事実に
ちょっと唖然とするというか……。

人種間でIQに差があることを証明しようというエネルギーが
世界の人々の間でこれだけ使われているということは、
男女間でもIQの差を証明しようとするエネルギーも
きっと同じくらい消費されているのだろうし……。

そういう研究の前提にある仮説というのは
一体どういう意識から芽を出すのだろう。

そうした調査・研究を思いつく時、
彼らはその仕事によって何をなそうと考えているのだろう。


当ブログの関連エントリー



【注】
William Saletanは1月のAshley論争に際して
Washington Postに”Arresting Development”と題して
皮肉のこもった論評を書いた人物。

同紙の記事は既に有料となっていますが、
別タイトルで同じ文章がSlateに掲載されています。

基本的には「社会に合わせて人を変えるべきではない」という主張ですが、
1月当時に面白く読んだ記事なので、
この後、別エントリーで紹介しようと思います。
2007.12.13 / Top↑
前回のエントリーで取り上げたDisabilities Now の記事の中に、
保健省のスポークス・ウーマンのコメントが載っていましたが、

そのコメントから判断すると、
Katieケースに関する英国保健省の見解とは、

本人の理解と意思表示の能力に応じて
担当医師らと本人の介護を担っている人たちが決めることであり、
可能な限り本人の意向を尊重するにせよ
未成年なので最終的には親が決めること、

といったものです。

自分で決定することができにくい人の非治療的不妊処置については
裁判所の判断が必要だとする法の規定があるのに、
この見解ではそれが考慮されていないという問題を
前回のエントリーで既に指摘しましたが、

仮に一般的な重症児に関する医療の問題として考えても、
この見解ではあまりにも無責任だと思う点がもう1つあって、

それは医師の専門性の問題です。


スポークス・ウーマンは doctors と簡単に言いますが、
重症障害児の医療は特殊な専門知識を要する分野のはず。

ところが、

AshleyのケースでいえばGunther医師の立場にあたる、いわば“総監督”は、
Katieのケースでは Phil Robarts医師

Gunther医師は重症障害児を診てきた小児内分泌医でしたが、
Roberts医師は婦人科医です。

これまでの報道からすると、
Katieの母親が子宮摘出について相談したGPに紹介されて
Robarts医師のところを訪れたのは2年前
同医師は母親の子宮摘出の希望を巡ってのみKatieに関与しているだけで、
彼女の障害を巡る医療に関与しているわけではありません。

保健省のいう「短期長期的に見たKatieの健康上の最善」について
そういう婦人科医に、どうして的確に判断できるでしょうか。

その判断には重症児医療の専門家で、
なおかつKatie本人をずっと診てきた発達小児科の医師が関わることが不可欠だ
と私は思うのですが、

この点に疑問を呈する声はいまだに聞きません。

保健省は本当に
「何科の医師であれ医師であれば判断してさしつかえない」と考えているのでしょうか。

それでは、あまりにも無責任ではないかと
私は非常に大きな疑問を感じるのですが。


【追記】
13日午前まで、
「同医師がKatieに初めて会ったのは8月」としていましたが、
その後、時期の間違いに気づいたので訂正しました。
2007.12.13 / Top↑