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これまた例によって「かもしれない」、「その可能性がある」という話ですが、

3年後には、恐らくは最初は腎臓から、
遺伝子組み換えによるブリーディングで作られたブタの臓器が人間に移植可能となる、
臨床試験さえ上手くいけば、
2018年には広く使われるようになっている可能性もある、
そうなれば移植リストの待機期間は短縮されますよ、と。

英国のImperial Collegeと米国のthe Institute of Technologyの共同研究で
英国では遺伝子組み換え動物の扱いに規制が厳しいので、
研究チームがブリーディングで育てているブタは
近く規制の緩やかな米国に送られる予定。

ブタは生理的な組成が人間に似ていて、
糖尿病など人間と同じ病気にかかることから
もともとは治療法の研究を目的に始まった研究だが、
同じ理由でブタは移植臓器を作る動物として最適で

人間への臓器移植用に適するように遺伝子を組み換えた新種のブタは
一旦作ってしまうと後は世代から世代へとその遺伝子が受け継がれていくとされ、

それを作るのに要する費用は今後5年間に300万ポンド。




ブタの心臓の弁は既に心臓病の治療に使われているとか
こんな論文は10年も前に発表されているとか、
記事の寄せられたコメントは「何をいまさら」といわんばかりですが、

安全性が確認されるどころか、
まだ臨床実験に使える臓器すらできていないのに
「近々できますよ。腎臓移植の待機リストは短縮されますよ」と
先走りもいいところのニュースが流れるのは

もしかしたら、腎臓病患者の期待を早くから高めておいて
臨床実験が可能になった時に手をあげてくれる人を
増やしておきたいから……なんてことは──?




【追記】
その後、このブログでも何度も触れてきた生命倫理学者Wesley Smithが
自分のブログSecondhand Smokeの11月7日の記事で
この話題を取り上げているのに気付きました。

移植臓器の不足は早急に対処すべき由々しき問題だからいっそ脳死を待たずに殺してしまおう、と
とんでもないことを言い出している人たちが出てきたから、
まだ死んでもいない人を臓器のために殺してしまうことを考えれば、
動物の臓器が使えるようになる方がよいとこのニュースを歓迎しています。

私はSmithの考えには、ちょっと抵抗があって、
科学とテクノロジーの進歩による世の中の変化があまりにも速いために
慎重にものを考えようとする人すら既成事実を後追いせざるを得なくなっているんじゃないかと
そちらの方の危うさを感じてしまうのですが、

かといって、じゃぁ、Smithの意見のどこにどういう抵抗を感じるのかということは
すぐには頭が整理できない……。
2008.11.08 / Top↑
カナダの医師会雑誌 CMAJの11月号に
気になる論文が「分析」として掲載されています。

簡単に言えば、
2007年の染色体異常の出生前診断に関する診療ガイドラインで
年齢を問わず全ての妊婦に行うよう勧告されているので、
出生前診断を提供しないと訴訟を起こされて負けることになりますよ、と
産科医に向けた警告。

同時に
ガイドラインが結果的に
ロングフル・バース訴訟とその背景にある障害に対する否定的な捉えかたを追認する
危険性などについても考察されています。

Wrongful birth litigation and prenatal screening
Mark Pioro MA, Rozanne Mykitiuk LLB LLM, Jeff Nisker MD PhD
CMAJ, November 4, 2008


wrongful birth 訴訟というのは日本ではまだないためか
オフィシャルな訳語というのがないようで
そのまま「ロングフル・バース訴訟」とされているのが通例のようです

wrongful(ロングフル)は、「不当な」とか「本来あるべきでない」。
birthは出産なので、合わせて「本来避けられるべきだった不当な出産」。

先天的な障害や病気のある子どもが生まれた場合に親が
その出産はwrongful birth であると主張し
回避する選択を与えるよう的確な情報提供の義務を怠ったとして
産科医を訴える、というもの。

ちなみに、生まれた当人から訴えるケースというのもあって、
その場合は wrongful life訴訟といわれます。
自分は生まれなかった方がよかったのに生まれさせられてしまったと主張し、
苦痛に満ちた自分の人生は損害であるとして
損害賠償を求める訴訟のこと。

くわしくはこちらなどに。

上記のカナダの医師会誌の論文が警告しているのが
こうしたロングフル・バース訴訟。

それというのも最近では英国でも米国でもオーストラリアでもNZでも、
全ての妊婦にダウン症候群のスクリーニングを行うように勧めていて
カナダでも新しい診療ガイドラインが生殖の自己決定権と障害者を尊重して
そういう方向を打ち出している以上、
ロングフル・バース訴訟において
ガイドラインが基準として使われる恐れがありますよ、と。

(自己決定権はともかく、なぜそれが「障害者の尊重」になるのか不思議ですが
 ロングフル・ライフの考え方から尊重ということなら
ガイドラインが既にしてロングフル・バースの考え方に立っているということ?)

カナダの医師会倫理綱領によれば
自分の良心に基づいて検査を拒否したい医師は拒否することが出来ますが、
その際には他の医師への紹介が必要となります。

問題点として論文が指摘しているのは、概ね以下のあたり。

・自己決定権と訴訟へのガイドラインの訴訟の法的根拠化が重なると、
障害のある子どもを生む選択をする女性は
子どもに害をなした親だと見なされることになる。
ある学者は「出生前診断の時代だからといって
いずれの妊娠も確実なものではないのに」と。

・ガイドラインには障害者の人権に配慮することや
妊婦に誘導的なカウンセリングを行わないことなどが注記されているが、
出生前スクリーニングそのものが、
障害者が直面する社会的なバリアを取り除くよりもむしろ
障害者そのものを取り除くべき存在と見なす考えを蔓延させる。
同時に、一定の条件をクリアできる人以外は生まれてはならないとの考えにも繋がる。

・ロングフル・バースの主張は、
障害のある子どもの出生がその子ども自身にとっても親や社会にとっても
負担(お荷物? burden)であるとの認識に繋がる。

・法がロングフル・バース訴訟を認めることそのものが
障害の多くが社会的に作られたものである事実を否定しかねない。


総じて、眼前の現実問題として、
臨床現場の医師たちは気をつけましょうね、と警告しつつ、

しかし、こうしたガイドラインと出生前診断の慣行化には
障害者の権利擁護を巡って権利の相克があり
様々な立場の間に緊張関係が生じるので

カナダの臨床家、妊婦、障害者、一般の国民それぞれに及ぼす影響について
研究することが必要だと主張している、といった内容。


しかし、まだまだ研究が必要、慎重な議論が必要とされながら、
現実世界での既成事実はものすごい速度で着実に作られていく……。
2008.11.08 / Top↑