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前回のエントリーで読んだNBICレポートの
主要6テーマのひとつ「人類の健康と身体能力の改善」の中で
具体的に項目として挙げられている6テクノロジーとは


1.ナノ・バイオ・プロセッサー
 NBICのテクノロジーを統合して人類の健康と身体機能の改善に役立てるためには
 脳と体の反応をチップ上に再現してモデルを作り、
 それを使って複雑なナノ・バイオ・レベルの実験を行う。
 
2.ナノ・インプラントによる身体状態と機能不全のセルフ・モニター
 体の中にナノ・サイズのインプラントを埋めておくことによって
細胞レベルで定期的なスクリーニングを行って
異常を感知したり修繕することができる。

3.ナノ医学研究、介入モニタリングとロボット工学
 多機能のナノ・ロボットを脳に入れることによって
脳のモニタリングが可能になり、
(例えば脳卒中のリスクの高い人の脳血管状態のモニター)
外科手術に比べると格段に侵襲度の低い治療が可能になる。

4.視覚・聴覚障害者のために多様な情報処理モード
 NBICの統合テクノロジーによって
 視覚・聴覚障害者にもコミュニケーション、モチベーションが高められ、
 彼らを活用することができる。
たとえば音声でしゃべる環境とか3Dのタッチパネルによるネット利用など。

5. 脳と脳、脳とコンピューターの接続
 主たる目標は、現在のニューロン・レベルでの接続段階から
神経系レベルでのインターフェースの開発。
 この研究が進むことによって、
 ただのモノが人間の体の一部として自分に同化して使いこなせるようになる。

6.ヴァーチャルな環境
 顧客に遠く離れた場所をリアルに体験してもらえる技術で
娯楽業界、旅行業界などで活用できる。

       ―――――――

4の「視覚・聴覚障害者のための多様な情報処理モード」の項目に
次のような箇所があります。

統合テクノロジーは障害者の役に立つだけでなく、障害者の方もテクノロジー開発に貢献することが大となるため、統合テクノロジーはあらゆる人を利するのである。この事実にかんがみ、研究チームや企画チームには障害のある科学者やエンジニアが加えられるべきである。NBICは正常と異常の境界、倫理的と非倫理的の境界を曖昧にするため、あらゆるレベルにおいて検討委員会に障害のある人やアドボケイトが参加することが重要。これは民、学、官、そして国際的な委員会のいずれにおいても同様である。


こういうの、どう受け止めたらいいのか……。

トランスヒューマニスティックなことを言う人が「障害者」を云々する時、
その意味するところを常に「どういう障害像の人のこと?」と確認しつつ聞かないと
場面によって都合よくイメージを使い分けられて
妙なことになることが多いような気がするし、

ここでも比較的テクノロジーで機能を補いやすい視覚・聴覚障害者だけを
取り上げているに過ぎないのに、


上記のように耳障りの良いことをいう時には
あたかも障害者全般のことを言っているかのように聞こえるあたりも
なにやら胡散臭い。

項目4の「障害者のコミュニケーションとモチベーション……」の部分も、
読み方によっては
「社会にとって使い物にならない障害者も、
 コミュニケーションが取れるようにしてやって、やる気を出させれば
なんとか使えるようになる」というニュアンスなのかもしれないし。


そういえば、
トランスヒューマニストのKurzweilが障害者とテクノロジー会議に登場した際も
感覚障害と身体障害だけを取り上げて
それでも講演タイトルは大きく出て「ハンディキャップの終わり」だった。


もう1つ気になることとして、
このセミナーが行われた2001年にはまだ出てきていなかったかもしれないけど、
その後、ナノ・インプラントには発がん性が指摘されているんじゃなかったっけ。
2008.11.09 / Top↑
米国商務省と国立科学財団の共催で2002年にまとめた
ナノ、バイオ、インフォ、コグノの4テクノロジー (NBIC)の統合に関するセミナーのレポート
少しずつ読んでいるところですが、

今回は、NBIC統合の主要6テーマの2番目、
「人類の健康と身体能力改善」の章のテーマ・サマリーを読んでみました。

まず最初に整理されていることとしては、
NBICの統合を通じて健康と身体能力の改善を目指すのに最も重要なのは、
やはり脳の解明であり、脳と身体の機能のつながりを理解して、
健康増進と身体能力向上につなげることだ、と。

その次に触れられていることが、ちょっと興味深くて、

「こうした技術統合によって基本的な生命体のメカニズムが解明されれば
それと同時に生命とは、身体能力とは、という定義の問題も生じてくる。
今後の10年から20年の間に人類の健康と身体能力増強のために
このテーマのパネルは具体的に6つの重要な技術を挙げたが、
それら技術を優先させて実現していく中で不可欠なのは
人間の問題に関しては技術的解決と社会的解決の間に
“健康的な”バランスを維持することである」

この最後の1文は
これまで読んだこのレポートの中で
最も知恵のある言葉だと思うのですが、
しかし、“健康的な”バランスは既に失われつつあるのではないでしょうか。

“Ashley療法”の考え方がまさにその典型で
あそこで行われた正当化の議論には社会的解決という視点がまったく存在していないし、

最近よく目に付く自殺幇助の合法化に向けた議論でも、
死の自己決定権が云々される前にきちんと緩和ケアが受けられる体制づくりができているのかどうか
という検証が必要なんじゃないかと感じてしまう。

その他、科学と技術による簡単解決に傾斜しがちな英米のニュースを読むにつけ、
もはや社会的解決なんて一顧だにしない科学とテクノの専横に向かって、
常識も知恵もなげうった社会がもんどりうって
坂道を転げ落ちていっているんじゃないかと恐ろしいし、

世の中全体が科学とテクノロジーの万能幻想に踊らされて
時間とお金と手間がかかる社会的解決を放棄していこうとしているような、

そして、そのことが、そのまま
社会的解決を必要とする問題を抱えた人を社会のお荷物と見なして
簡単に切り捨ててしまおうとする意識に繋がっているんじゃないかとも思えて。


でも、どこまで行っても人は社会的な存在として生きているのだから、
技術的解決が社会的解決の補助として機能するならともかく、
技術的解決の方が優先されたり
技術的解決だけで問題解決ができるような幻想のままに突っ走る社会では
たとえ、すぐには切り捨てられる対象にならないに人だって
心の平安や本当の幸福というものは保証されないような気がするのだけど。


原文はこちら
これまで読んだ部分については「米政府NBICレポート」の書庫に。
2008.11.09 / Top↑