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以下のエントリーで紹介した訴訟の続報があり、
組織的な自殺幇助団体Final Exit Network側が勝訴とのこと。

FENが「GA州法の自殺幇助関連規定は言論の自由を侵す」と訴訟(2010/12/11)


ジョージア州の最高裁判所は全員一致の判決として、
公然と自殺幇助を宣伝することを禁じた1994年の州法は言論の自由を侵すものであり、
したがって憲法違反であると認定。

問題となった個所は以下の文言。
(訳文はたいして吟味したものではないのでご了解ください)

(犯罪行為を問われるのは)直接関与する行為(コミッション)によって意図的かつ積極的に他者の自殺を幇助する、または自殺幇助の目的が明白な何らかの行動をとる用意があるとして、公然と宣伝したり名乗り出ること。

この法文だと、自殺幇助そのものが禁じられているわけではなく、
やりますと謳って幇助した者は犯罪者になるが、
黙って幇助した者は罪に問われないではないか、
というのがFEN側の主張。

判決もその主張に沿って、

「言論の自由を制限することなく全ての自殺幇助を禁じることも
自殺を幇助しますという意思表示を全面的に禁じることもできたはずなのに
州はそのいずれもしないことを選択した」

ということは自殺幇助そのものを明確に禁じているわけではないにもかかわらず、

「宣伝さえしなければ合法である行いを公然と宣伝したり申し出ることが、
なぜ言論の自由の侵害を正当化するほど重大な問題行為であるか、
州は説明することもエビデンスを提示することもできなかった」。

検察側は、もともと州法ができた時には
Jack Kevorkianの自殺幇助ケースを防ぐことを目的に考えられたものだ、と。

当時は、社会全体に、自殺幇助そのものに
否定的な意識が共有されているという前提があった、ということなのでしょうか。

この判決が今後、
米国に広がる自殺幇助合法化の動きにどのように影響していくのか、
非常に気になるところです。

メディアの報道の仕方を見ても、
この判決はGA州では自殺幇助は合法との確認である、と書く記事もあり、
「死の自己決定権」サイドの勝利を謳う記事もあり。

Ga. court overturns assisted suicide restrictions
Fox News, February 6, 2012

その他の記事の一部 ↓
http://www.google.com/hostednews/ap/article/ALeqM5iMsFcAABrZ_7DUGOvIn5MvZs8bAA?docId=4b22f9cef7bb479f8dc6c17e9e92f44b

http://www.ajc.com/news/atlanta/court-strikes-down-georgias-1334712.html


私には、
1994年に、将来の社会の変化を見通せないまま
不用意な文言で法律を作ってしまった議会のうかつさの問題、という気がするのですが、

そのうかつな文言が修正されるよりも、
一気に自殺幇助そのものの実質的な合法化解釈へとなだれ込んでいくのでしょうか。


【FEN自殺幇助事件関連エントリー】
尊厳死アドボケイト団体の幹部4人を逮捕、他8週も自殺幇助容疑で家宅捜査(米)
精神障害者への自殺幇助でもthe Final Exit に家宅捜査
Final Exit 自殺幇助事件続報:130人の自殺に関与か?
Final Exit Networkの公式サイトを読んでみた
CA州の自殺幇助事件続報
自殺幇助合法化議論、対象者がズレていることの怪
Final Exit自殺幇助事件、週末の続報
「ホスピスだって時間をかけた自殺幇助」にホスピス関係者が激怒
FEN創設者GoodwinのAP通信インタビュー
FENの自殺幇助ガイド養成マニュアル
精神障害者の自殺幇助で新たにFEN関係者4人を逮捕
FENが自殺幇助合法化プロモビデオをYouTubeにアップ
OhioでもFENによる自殺幇助事件か(2009/6/18)
久々に Final Exit Network自殺幇助事件の続報(2009/10/16)
FEN事件で精神障害者の自殺を幇助したボランティア、有罪を認める(2010/1/13)
闇の自殺幇助機関FEN事件の4人を起訴(米)(2010/3/10)
FENが「Kevorkian医師の半生記映画見て“死ぬ権利”考えよう」(2010/4/22)

その後もいくつか続報はあり、補遺で拾っています。
たしか、いくつかの訴訟では無罪判決が出ていたような……。未確認でスミマセン。
2012.02.07 / Top↑
1月27日のLe Monde紙で、
左派のフランス大統領候補、Francois, Hollande氏が
当選の暁には積極的安楽死の法制化を目指すと語り、
安楽死論争が再燃している、とのこと。

I propose that all adults in an advanced or terminal phase of an incurable disease, which is causing unbearable physical or psychological suffering and cannot be treated, may request, under specific and strict conditions, medical assistance to end their life with dignity.

不治の病気のターミナル期で
肉体的にも心理的にも耐え難い苦痛のある人に限定して、
厳しい制約を設けた上で、医療職の助けを得て
尊厳のある命の終わり方を希望できるように。

文末にリンクしたように、
フランスでは去年、自殺幇助合法化法案が否決されたばかり。

Hollande氏は、その法案の提案者だったとか。

French presidential candidate backs euthanasia
BioEdge, January 31, 2012


この話題、補遺で拾おうと思ってブクマしておいたところ、
今日Peter SingerがLe Mondeの記事をリンクした上で
歓迎のツイートをしているのを見たものだから、
ちゃんとエントリーにしておきたくなった。


【フランスのPAS合法化法案関連エントリー】
フランス上院、25日に自殺幇助合法化を審議(2011/1/13)
フランスの安楽死法案、上院の委員会を通過(2011/1/19)
フランス上院が自殺幇助合法化法案を否決(2011/1/27)
2012.02.07 / Top↑
カナダ王立協会、自殺幇助合法化を提言
2010年4月に議会で自殺幇助合法化法案が否決されたばかりのカナダで、法改正を求める訴訟が相次いでいる。スイスの自殺幇助機関ディグニタスで自殺した脊柱管狭窄症の女性(89)の担当医と遺族とが、海外へ行かなくとも幇助が受けられるよう法改正を求めて提訴したり、ALS患者の女性グロリア・テイラーさん(63)がまだ自由が利くうちに死にたいと“死ぬ権利”を求めるなど、2011年は自殺幇助合法化を求める大きな訴訟が次々に起こされ、激しい議論が再燃した。
そんな中、テイラー裁判の審理開始から2日後の11月16日、芸術・科学アカデミー、カナダ王立協会から自殺幇助と自発的安楽死の合法化を提言する報告書が発表され、英語圏のメディアは騒然となった。09年11月に同協会が立ち上げた終末期の意思決定を検討する専門家委員会が、2年間の検討を経て提言をまとめたもの。報告書は、意思決定能力のある成人なら、たとえターミナルな状態でなくとも規制・監督された制度下で十分に説明を受けた後で死を選択する「道徳上の権利」があるべきだ、そうした制度によって弱者が脅かされる「すべり坂」が起こるエビデンスはない、と結論した。
法務相は、この報告書によって「議会がすぐに議論を再開する予定はない」とコメント。いくつもの裁判の行方と同時に、“死ぬ権利”をめぐる議論に注目が集まっている。

認知症が進行した女性に安楽死(オランダ)
一方、世界で初めて安楽死を合法化した“先進国”オランダでは、認知症が進行した女性に積極的安楽死が2011年3月に行われていたことが判明した。ナーシング・ホームで暮らしていた64歳の女性で、名前は明らかにされていない。認知症が軽症の頃に、自立した生活ができなくなったり我が子が見分けられなくなったら安楽死させてほしいと、事前指示書(リビング・ウィル)を書いていたという。
 報道によれば、オランダではこれまでに認知症初期の患者21人が致死薬の注射で安楽死したとの報告もあるものの、進行した人の安楽死は今回が初めて。オランダでも例外的なケースであるため、当該地域の5つの安楽死検討委員会が調査した。その結果、医師は女性と何度も話をしており、本人の意図をきちんと理解した上での適切な行動だったと全ての委員会が承認した。また、オランダ医師会は今年「安楽死法は明らかに認知症患者と精神障害者にも適用される」と立場表明したばかりでもある。しかし、安楽死当時には女性は意思確認ができない状態だったため、同意を拒んだ医師もいたという(安楽死法では2人の医師の同意が必要)。

介護職の証言で「植物状態」覆る(英国)
一方、英国では10月に、植物状態と診断されてケアホームで暮らしている女性(53)に夫と妹が望んだ“尊厳死”を、介護士など直接処遇職員の証言に基づいて高等裁判所が却下するという興味深いケースがあった。
女性は事前指示書を書いていなかったが、家族は「誇り高く美しかった妻がこんな姿になって、本人も尊厳死を望むはずだ」「生きていることで妹が何を得られるというんです? 何の喜びもないのに」と訴え、女性の状態は生きるに値しないと主張して尊厳死を求めた。
一方、女性を日々ケアしている介護士らから出てきた証言は、女性は「簡単な指示に従う」「外出の際、太陽の方向に顔を向け、頬に当たる日差しを楽しんでいるように見える。海がきれいよと声をかけると、海の方を向いた」「介護士に好みがあって、好きな介護士が入室すると目を開けてにっこりする」「夫の来訪の後に涙を流していたことがある」「特定の音楽を聴いたら涙を流す」「音楽を聴いて、その歌詞をつぶやくように口を動かしていた」……などなど。
これらの証言によって、女性は「最少意識状態」であることが確認され、それまでの「植物状態」との診断が覆った。裁判官は「このような状況下で生命維持治療を差し控えたり中止することは違法行為である。もしも意図的に行われるなら、それは違法な殺人となる」と述べ、家族の訴えを退けた。
言葉や文字によるコミュニケーションが困難な人の意識状態について、誰が最も詳しく分かっているかの指標は、専門性の高さでも権威でも続柄でもない。日々その人に直接触れながらケアしている介護職の証言を求めた裁判官の賢明さに、拍手を送りたい。きめ細かく丁寧なケアが一人の女性の命を救ったとも言える事件――。介護ならではの視点に大きな力と希望を感じさせる、嬉しいニュースだった。


【関連エントリー】
カナダ王立協会の終末期医療専門家委員会が「自殺幇助を合法化せよ」(2011/11/16)
「IC出せない男児包皮切除はダメ」でも「IC出せない障害新生児も認知症患者も殺してOK」というオランダの医療倫理(2011/11/12)
「生きるに値しないから死なせて」家族の訴えを、介護士らの証言で裁判所が却下(2011/10/4)
2012.02.07 / Top↑
前の2つのエントリーのPeter Singerの「道徳ピル」の話題は
いつもお世話になっているBioEdgeブログを経由して読んだもの。

BioEdgeには登録すると週一(たぶん)で届くニュースレターがあって、
管理者のMichael Cookからのちょっとしたメッセージや解説がくっついてくる。

今回はSingerの「道徳ピル」についてコメントしていて、
その中に引用されているNYTの記事への読者コメントに
「なるほど~。考えがそこまで及ばなかったなぁ」と感心してしまったので、以下に。

Give the morality pill to men; women, for the most part, don’t need it… How bit a pill do you think we’ need to swallow? …Would it work on Wall Street? … Too bad there was no morality pill around when Bush and Cheney were in office… The rick folks will never take it; it will cause them to lose their edge.”

道徳ピルは男に飲ませてやってね。たいていは女性には必要ないから。
道徳的になるピルって飲みにくくなくちゃね。どのくらいの大きさがいいと思う? 
道徳ピルって、ウォール街にも効く?
ブッシュとチェイニー政権の時にそのピルがなかったのが残念。
金持ちは飲まないよ。なにがなんでもゼニ儲けるぞ、という欲が失せるからね。


昨日エントリーを書くに当たって私自身がのぞいてみた時に目についたコメントは
「幼児殺しを提唱するシンガーの言いそうなこと」だったか
「幼児殺しを提唱するシンガーにそんなことを言われるこたぁ、ない」だったか、
なにしろ、そういうニュアンスで「幼児殺し」という言葉が使われたもの。

「障害児には道徳的地位なんかない」
「障害のある新生児は殺したって構わない」
「アシュリーのような重症児は犬や猫ほどの尊厳もない」
「重症児や認知症患者への医療費は無駄」などと
平然と言えることはそもそも“道徳的”なのか……というのが
シンガーの“道徳ピル”提案を読んだ時に真っ先に頭に浮かんだ考えだったし。


Cook自身のコメントは ↓

存命中の最も影響力のある哲学者と言われているシンガーと、オックスフォードの親分であるSavulescuには失礼ながら、私自身は少々疑問を覚える。
生活水準と可処分所得の大幅な改善で20世紀には人々の道徳性は大きく向上した。労働者はぎゅう詰めの不健康なスラムで汗水流して働かなくてもよくなった。それでもなお過去100年間には2つの戦争が起こり、おぞましい大量虐殺が繰り返された。
なのに、毎朝のオレンジジュースと一緒に道徳ピルを飲めば、みんなマザー・テレサになるというのだろうか?
そんなことが本当に実現できるなら、その逆に、兵士を(またはヘッジファンドのアナリストを)無慈悲で不道徳にするピルだって魅力的ではないだろうか? あなたの考えは? Peter Singerが言うのがアタリなのだろうか?


ちなみに、Cookの解説によると、
moral enhancementについて同じことを言っているSavulescuは
Singerよりもラディカルで、安全で効果があるなら義務化すべきだと主張しているとか。


今日、このエントリーを書くためにもう一度元記事へ行ってみたら、
ずいぶんコメントが増えていました。喧々囂々の議論になっている模様。
でも、いずれも、どこかちょっとピントがずれている感じが……。


【当ブログのSinger関連エントリー】
P.Singerの「知的障害者」、中身は?(2007/9/3)
Singerの“アシュリー療法”論評1(2007/9/4)
Singerの“アシュリー療法”論評2(2007/9/5)
Singerへのある母親の反論(2007/9/13)
Singer、Golubchukケースに論評(2008/3/24)
認知障害カンファレンス巡り論評シリーズがスタート:初回はSinger批判(2008/12/17)
知的障害者における「尊厳」と「最善の利益」の違い議論(2008/12/18)
What Sorts のSinger 批判第2弾(2008/12/22)
「障害児については親に決定権を」とSinger講演(2008/12/26)
Singerが障害当事者の活動家に追悼エッセイ(2008/12/29)
Sobsey氏、「知的障害者に道徳的地位ない」Singer説を批判(2009/1/3)
Peter SingerがQOL指標に配給医療を導入せよ、と(2009/7/18)
P.シンガーの障害新生児安楽死正当化の大タワケ(2010/8/23)
「障害者の権利と動物の権利を一緒にするな」とNDYのStephen Drake(2010/11/1)
「Kaylee事件」と「当事者性」それから「Peter Singer」(2010/11/3)
Peter SingerがMaraachli事件で「同じゼニ出すなら、途上国の多数を救え」(2011/3/22)


閻魔堂論議「なぜ人間が特別なのか?」シリーズ
「なぜ人間は動物と違って特別なのか?」種差別批判からの問い 1(2010/10/7)
「なぜ人間は動物と違って特別なのか?」種差別批判からの問い 2(2010/10/7)
「なぜ人間は動物と違って特別なのか?」種差別批判からの問い 3(2010/10/7)

P.シンガー「大型類人猿の権利宣言」シリーズ
①Singerらの「大型類人猿の権利宣言」って、あんがい種差別的?
②Peter Singerの”ちゃぶ台返し”
③SingerやTH二ストにとっては、知的障害者も精神障害者も子どもも、み~んな「頭が悪い人たち」?
2012.02.07 / Top↑
前のエントリーの続きです。

Are We Ready for a ‘Morality Pill’
Peter Singer and Agata Sagan
NYT, January 28, 2012


ざっと、この記事の概要を以下に。

去年10月、中国で車に轢かれた2歳の子をみんなが見て見ぬふりで放置していった事件があったが、こういう話が他にもある一方で、自分の命を顧みず他者を助ける人の話もいくつもある。前者と後者を分かつものは何なのか、科学者は60年代から研究している。

最近のシカゴ大の研究では、ラットの中にも自分の食いぶちが減ることを承知で仲間を助ける行動をとる者がいることが分かった。それはつまり、行動を分ける要因がラット個々のうちにある、ということだ。人間にも同じことが言えるのではないか。

もちろん、既にずいぶん行われてきた「精神異常者などアブノーマルな人間」の研究だけでなく、さらに多くのマジョリティを研究する必要はあるし、状況要因や道徳的信念が作用していることは間違いのないところだが、もしも道徳的行動が個人要因において決定づけられているとしたら、それを研究し解明しなければならない。

既に脳の化学的コンディションが人の気分と関わっていることが明らかになっていることを思えば、脳科学が進めば、より道徳的な行動を取らせる“道徳ピル”も可能となるだろう。そうなれば、犯罪者に刑務所に入る代わりに“道徳ピル”を飲むことを選択させることだってアリでは? 政府が脳のスクリーニングによって犯罪予備軍を発見し、最も犯罪を侵す可能性高いグループには“道徳ピル”を飲ませてやることだってできる。ピルを飲みたくなければ、常に居場所が分かるようにGPSをつけさせておけば、犯罪を犯した時にもすぐに分かる。

50年前に「時計仕掛けのオレンジ」が物議をかもした際に、どんな酷い犯罪の予防であっても人の自由意志を奪うことは正当化できないとの批判があった。“道徳ピル”にも同じ批判は出るだろうが、もしも脳によって生化学的に道徳的な人間とそうでない人間の差が生じているとしたら、そもそも誰かが倫理的な行動をとるかどうかはその人の自由意志とは無関係で、誰も自由意志など持っていないということだ。

いずれにせよ、我々は間もなく、どのような方法で人の行動を改善すべく介入する科の新たな選択に直面するかもしれない。



例によって
「状況や信念が作用する」と言いつつ、
また、もっと研究が必要だとも断りつつ、
「もしも脳内の生化学コンディションが決定要因なのだとしたら」と
あくまでも仮定として提示しつつ、

しかし何度もそれを繰り返すことによって、
読者にまるでそれが既に確定した事実であるかのように印象付けつつ、
決定要因であることを前提にした犯罪防止の話へとどんどん進めていく。

Singerが実際に説いているのは
脳決定論であり、Savulescuと同じ moral enhancementと、それによる犯罪防止。

いつも思うのだけど、この人たちの話の進め方には、
学者としての学問的誠実とでもいうべきものが感じられない。

この人たち、「学者」というよりも「アジテーター」?


他にも突っ込みたいところはいろいろあるけど、
週末のこととて余裕がないので、

とりあえず2人の言うことを読んで、
私の頭に浮かぶつぶやきは、

そもそもアンタたちが、道徳的でない、んでは――?
2012.02.07 / Top↑
まず、前置き段階の話。

1月6日、親戚のお通夜から帰ってきて
始めて間もないツイッターのTLをお気楽にざっと見していたら
森岡正博先生のツイッターでJulian Savulescuが東京に来ている、と知った。

どうやら翌7日に東大のカンファでSavulescuが講演し、
その後、森岡先生もmoral enhancementについて発言される、とのこと。

ということは、Savuちゃんが話題にするのは moral enhancement……。

これまでの彼の発言からすると、それはゼッタイに
科学とテクノで人に手を加えることを意味するのは間違いない。

このブログではどちらかというと
無益な治療と、それを臓器提供安楽死や安楽死後臓器提供へと誘導する路線の発言を
中心に追いかけてきたので、急ぎ、検索してみると、

去年5月13日の東大での講演の報告がネットに出ていた ↓

報告 ジュリアン・サバレスキュ教授講演会「未来に合ってるだろうか? - 現代テクノロジー、リベラル・デモクラシー、道徳的向上の差し迫った必要性」

まさに moral enhancementのことをしゃべっている。

それを読んで頭が俄かにチャカチャカし始めて、
わわわっと一人で騒いでツイートしたのが以下 ↓

「我々の制限された人間本性(humanity) が人類(humanity) に対する最大の脅威になっているため、道徳上の欠点を有し、不完全でもある人間は、その自然本性を変えるために道徳的なエンハンスメントを行う必要があ る」とSavuちゃん、去年5月に東大でしゃべってた……。
森岡先生のツイートにあったmoral enhancementって、これですね。
じゃねーや。bioenhancementだから、そういう目的で道徳上の欠点を有し、不完全でもある人間を遺伝子操作によってまっとうにしてあげようって話なんだ、きっと。
もひとつ去年5月の東大でのSavuちゃん発言。「人々の反社会的行動には幼児期の虐待とともに遺伝子が関与しているが、プロザック(SSRI)を投与することで協調性を増し、攻撃性を弱めることが可能である」
「技術によって我々の人間本性を変えてまで人類は存続する必要があるのか、同様に、技術によってより「道徳的」となることに何の意味があるのかという疑問 を抱かざるをえなかった」と5月の講演の報告者は書いているんだけど、それは違う、既にSavuちゃんの手口にノセられているよ、と思う。
Savuちゃんが言っている「制限された人間本性」って一体なによ? 「道徳上の欠点」を有した「不完全な人間」って、どういう人間のことよ? それを誰がいつどこでどういう基準で決めるのよ? それがその人の「自然本性」だとどうやったら証明可能なのよ? 
「技術によって人間本性を変えてまで」とノセられるんじゃなくて、Savuちゃんが言ってる「人間本性」を疑うべきじゃないの?
親戚のお通夜から帰ってきてツイッター見たらSavu来日中で、いきなりコーーフンしてしまった。この人もう一方で「安楽死臓器提供」なんか説いてますから。合体させたら、どんな世界よ。http://blogs.yahoo.co.jp/spitzibara/61036251.htm 
Savulescuが「反社会的な人間」の「本性」について言っていることって、昨日、kayukawaさんに教えてもらったロンブローゾと変わらないような気がするんですけど。
コーフンして間違えました。「臓器提供安楽死」でした。ちなみに「安楽死後臓器提供」はすでにベルギーで行われています。http://blogs.yahoo.co.jp/spitzibara/62619452.html
ダメだ。頭と口(手?)がとまらなくなってしまった。アシュリー療法論争でもそうなんだけど、そこに提示されているのは土台が穴ぼことマヤカシだらけで本 来なら議論として成立しないはずの「議論」。それが議論として成立、進行してしまうのは、そのデタラメな土台にノセられる人がゾロゾロ出るから。
Savulescuが言っている「グローバル・ジャスティス」って、またの名を「グローバル(薬とテクノロジーくさい)金融慈善(実は人でなし)資本主義」なんでは?


で、この後、Savulescuがこういうことを言っているとしたら、
Peter SingerやNorman Fostも、同じことをもう言っているな、
言っていないとしても、そのうちに言い始めるな、という気がしていた。

そしたら、やっぱり……。

Peter SingerがAgata Saganって人と共著で
NYTのオンライン・コメンタリーに以下の論考を寄せている。

タイトル、私の独断と偏見で日本語にすると、
そろそろ“道徳ピル”考えてもいいかな?

Are We Ready for a ‘Morality Pill’
Peter Singer and Agata Sagan
NYT, January 28, 2012

内容は次のエントリーで。
2012.02.07 / Top↑
豪の緩和ケア・ナースが、死に行く人がよく口にする最後の悔いについて本を書いている。①周りの期待に応えるんじゃなくて勇気を出して自分に正直な人生を生きればよかった、②あんなに働くんじゃなかった(特に男性)、③勇気を出して正直な気持ちを言えばよかった、④友達と疎遠になるんじゃなかった、⑤その気になれば、もっとハッピーに生きることだってできたのに。
http://www.guardian.co.uk/lifeandstyle/2012/feb/01/top-five-regrets-of-the-dying?CMP=EMCNEWEML1355

ゲイツ財団がシアトルの本部にビジター・センターと称する「ゲイツ財団慈善博物館」。写真多数。
http://www.dailymail.co.uk/news/article-2094972/Bill-Gates-Foundation-Inside-Microsoft-founders-National-Museum-Of-Philanthropy.html?ito=feeds-newsxml

ダボス会議とその周辺でビル・ゲイツのGM農業改革が話題になったことから、それに対する批判がちらほら。:ただ、いつも思うのだけど、例えばワクチンでゲイツ財団を批判する人はワクチンのことしか見ていない。ここでもGM農業改革に疑問を呈する人はゲイツ財団が他でやっていることを疑っているわけではない。
http://www.delawareonline.com/article/20120201/OPINION10/120131063/Gates-all-us-should-reject-GMOs?odyssey=mod|newswell|text|Opinion|s
http://planetsave.com/2012/01/31/bill-gates-missteps-on-climate-food/

1月31日、NYでモンサントへの大規模な抗議行動。
http://www.foodrepublic.com/2012/01/31/nyc-protestors-come-out-against-monsanto

殺虫成分を自ら作るよう遺伝子操作されたとうもろこしに発がん性がある、とする情報サイト。
http://panna.org/blog/24-d-corn-bad-idea-and-heres-why

ビッグファーマ Allergan(ボトックスのメーカー)が去年4月からウェブで公開していた医師への支払記録を2011年の一部を覗いて削除。でもウチのサイトにちゃんと残っているよ、とPruPublica.:イェイ。
http://www.propublica.org/article/allergan-erases-doctor-payment-records

I Had Asperger Syndrome. Briefly というタイトルで。不器用な子どもだっただけでアスペルガーと誤診された人の体験談。NYTのコラムニスト。

Op-Edにも、アスペルガーの過剰診断の問題。
Asperger’s History of Over-Diagnoses:People with social disabilities are not necessarily autistic, and giving them diagnoses on the autism spectrum often does a real disservice.

前立腺がんの抗がん剤abirateronは高価だからNHSでは使えないとの決定に批判。
http://www.guardian.co.uk/society/2012/feb/02/cancer-drug-too-expensive-nhs?CMP=EMCNEWEML1355

妊娠中に魚を食べると認知発達の良い子が生まれる。:近年の英語圏の科学研究の一大目的は「子どもの頭を良くすること」。そんな文化風土の中から、Savulescuのような「TDCSは根本的に人間の学習能力を向上させる第一歩」だとか「学習エイド」みたいな発想の人が出てくる。
http://www.medicalnewstoday.com/articles/241045.php

日本語の映画情報。天才医師が監禁&皮膚移植で亡き妻を再生、アルモドバル監督の最新作「私が、生きる肌」
http://www.cinra.net/news/2012/02/01/162424.php

英国の移民受け入れ、富裕層優遇策へ?
http://www.guardian.co.uk/uk/2012/feb/02/selective-immigration-policy-wealthy?CMP=EMCNEWEML1355

日本語。寛容の国オランダもブルカ禁止へ王手。
http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2012/01/post-2418.php
2012.02.07 / Top↑
昨日、今日と、また
ツイッターで「介護者の立場」で沢山つぶやいてしまったので、
以下に取りまとめ。

        ―――――――

「ケアの社会学」を読んでから、介護される者の権利と介護する者の権利には序列があるのか、そも「権利」が「優先順位」になじむのか、ということを考えて いる。それを考えていると、両者の権利がどこか被害者と加害者の権利みたいな2項対立の中に置かれてしまっているような気がしてくるのだけど

それぞれの権利やニーズを満たす責任を求める相手を、その2者関係の中に求めてしまう無意識が、そうした対立があるような錯覚を起こさせるのでは? 介護される者の権利やニーズを満たす責任は介護する者にのみ求めるべきではないし、

介護する者の権利やニーズを満たす責任も、その2者関係の外に求められるべきだという整理ができれば?

(ここへfiregardenさんから
「キテイさんの話はそういう整理ですよね」とのお返事をいただく。
この後、やり取りの中から介護者関連のspitzibara分のみ)

あー、結びついてなかったですが、そういえば・・・。と気づいて、ふっと思うんですけど、キテイさんが言っている「その人がおかあさんだから、おかあさんにも支援が必要」「みんなおかあさんの子だったんだから」の前に、「おかあさんは一人の人間」じゃダメなの?みたいな。

私のキテイさんの読み方が不十分だからかもしれないんですけど。70になっても80になっても我が子を家で介護し続けている親は「健康で文化的な生活」を送る権利を奪われている、というシンプルな事実は、どうして語られることがないのだろう、と。

おかあさんだから「おかあさん(介護者)の人権」の問題になってしまうけど、「おかあさんの人権」の問題はもともと「人の人権」の問題と何が違うのか、違わないはずじゃないのか、と。うぅ・・・まだ、うまく言えない。もうちょっと考えます。

介護者のニーズは二次的なものだというのが一度確認されてしまうと、生身の介護者の状態はうつろい変化するものだという当たり前の事実が見過ごされてしま いそうな気がする。自身が病や不自由を抱えても、それが「介護者の病」「不自由な介護者」の範疇に留まれば「2次的ニーズ」と扱われる、ような。

職場のストレスからうつ病になった人だと医師が診断書を書いて休職もあるけど、介護ストレスからうつ病になった介護者の、うつ病患者としてのニーズがとり あえず介護負担から離れて休むことにあるとしても、誰も「他に変わる人がいないから仕方がない」と考えて、それを疑わない。

そういう状態で自分でも「もうダメ」とはどうしても口にできず、そのホンネを周囲も察してあげることができないまま精神科受診だけでずるずる頑張っているうちに、自殺(未遂)にまでいってしまう人は実際にいる。子どもの殺害に至るプロセスにも、そういうことがあるんでは?

介護者の側から言えば、そして実際これは言いにくいことではあるけれど、「とにかくもう離して」と言うしかない心身の状況というのはある。介護される側へ の思いはあっても、それどころじゃなくなるほどに介護者の心身が擦り切れてしまう前に、程よく「小さなギブアップができる」支援があったら。

福岡で発達障害のある男の子が繊維筋痛症を患うお母さんに殺された事件の時に考えたことが「上手に小さなギブアップができる支援」だった。

上手に「小さなギブアップ」ができる支援(2008/10/1)
上手に「小さなギブアップ」ができる支援 2(2008/10/1)


それから、「小さなギブアップ」ではどうにもならない状況というものも現実問題としてある。親の老齢もその1。70になっても80になっても「小さなギブアップ」で頑張れというのは、80になっても90になっても「介護予防」励め、に近い。ならロボットスーツで?



【「ケアの社会学」関連エントリー】
上野千鶴子「ケアの社会学」を読む 1(2011/12/27)
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【エヴァ・キテイ関連エントリー】
哲学者エヴァ・キティ氏、11月に来日(2010/10/12)
サンデル教授から「私の歎異抄」それからEva Kittayへ(2010/11/25)
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【キティ氏のAshley事件に関する発言エントリー】
Eva KittayとMichael Berube:障害のある子どもを持つ学者からのSigner批判(2010/10/13)
Eva Kittayの成長抑制論文(2010/11/7)
Eva Kittayさんに成長抑制WGのことを聞いた!(2010/11/12)
「成長抑制でパンドラの箱あいた」とEva Kittay氏(2010/11/28)
2012.02.07 / Top↑