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1月12日以降、医師らはそれまでの隠蔽もゴマカシもウソもどこへやら、あたかも両親の主張する乳房芽の切除のメリットに最初から賛同していたかのような発言を繰り返しています。

ネットに流出したこの事件に関する情報は膨大なものでした。それを読む人にとっては、あらゆる情報が既に目の前に出揃っている形になるので、また情報操作があるなどという前提には立っていないので、どの時点の発言であるかにはさほど注意を払っていないものと思われます。しかし、これまで見てきたように、この事件では去年10月の時点、今年1月の時点が決定的に重要な分岐点となっています。私はそれに加えてWPASの調査によって病院サイドが手続きの違法性を認めざるを得なくなった5月時点が、さらに医師らを後に引けないところに追い詰めたという意味で、もう1つ大きな分岐点と見ています。

5月16日のWUのシンポでは、Diekema医師が「今だから乳房芽の切除で済むが将来病気になってからだとmastectomy(乳房そのものの切除)となる。だからmedical need からやったことだ」とまで発言しています。でも、これは時期の問題への摩り替えであり、はっきり言ってウソでしょう。「将来病気になる可能性があって、その際には乳房全体の大きな手術になるから先にとっておこう」というのがmedical need なのであれば、全女性から乳房芽を切除しなければならないことになります。

(追記:2004年5月5日の倫理委の時点では、医師らは両親の言う「乳房芽の切除」をmastectomyそのものと捉えていたという事実は既に指摘しました。)


Diekema医師のシンポでの発言は、1月当初に医師らがメディアで乳房芽の切除について説明していたよりも、さらに一歩踏み込んだウソだということができます。1月には彼らは両親の主張する範囲のことしか繰り返していません。ここに至って、彼は両親が言っている範囲を逸脱したウソをついてまで、乳房芽の切除の正当性を強調しようとしているのです。

そこで疑問になります。乳房芽の切除には気が進まなかったはずで、両親がプレゼンでいろいろ説得してやっと認めたはずで、それでも論文には書けなかったほど後ろめたかった乳房芽の切除について、なぜ1月の段階では両親に沿った発言へと転換し、今ではmedical need だったとまで苦しいウソをつくほどにさらに確信的になっているのか。

それは、両親がブログですべてを書いてしまうことも、WPASが調査に入って違法性を認めさせられてしまうことも、医師らにとっては想定外だったからではないでしょうか。

医師らにすれば隠しておきたかったことの全てが、あのブログで表に出てしまった。論文を書くに当たって知恵を絞って工夫し、必死で誤魔化したことも隠蔽したことも、一切があのブログで無に帰してしまった。そうなった以上、最初から両親と同じことを言っていたかのようなフリをする以外にはなくなった。当初試みていた隠蔽から人々の注意を逸らせるためにも、最初から両親の考えに全面的に賛成していたかのように装う以外になくなった……。そこへさらに思いがけず調査が入り、手続きの違法性を認めざるを得なくなってしまった。もう後には引けない、全力で誤魔化し抜いて我が身を守らなければならないところにさらに追い詰められてしまった……そう考えれば、つじつまが合うのではないでしょうか。

しかし、このように考えてくると、そこからまた無数の疑問が生じてきます。WPASの調査はともかくとして、1月年明け早々のブログは医師の意向に反して親が立ち上げたものなのか。医師らは知っていたのか。知っていたとすれば止めたかったのではないか。止めたかったとしたら、なぜ止められなかったのか。医師らが論文を書いてから親がブログを立ち上げるまでの2ヶ月間に、両者の間にはどんないきさつがあったのか。あの論文を医師らに書かせた事情とはなんだったのか。アシュリーの手術から医師らが論文を書くまでの2年間に何があったのか。

そして手術が行われた2004年に、本当は何があったのか。

多くの人がこれまで表に出た情報を確かな事実だと信じ、事実という強固な土で固められた土俵の上に立ってこの問題を議論していると考えている、その土俵が、実はベニヤ板でできたプロップに過ぎなかった……ということは、ないのでしょうか。

この事件には、まだ表に出ていない実相が隠されているのではないでしょうか。
2007.06.19 / Top↑