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続いて、「初期の乳房芽の切除による乳房の生育の防止」。(3つの項目の堂々たる厳密さにも注目してください。)

ここでも冒頭、両親は明快に書きます。

授乳するということがないので、アシュリーには発達した乳房は必要ありませんし、そういう乳房の存在はアシュリーにとっては不快の元でしかありません。

両親それぞれに胸の大きな女性が多い家系で、アシュリーもそうなることが予想されました。しかし、横になった姿勢に大きな乳房は不快だし、車椅子やシャワーチェアに座る時に安全のために胸の位置にベルトを締める際に
乳房は邪魔になります。

この部分に続き、「手術前に、アシュリーは既に乳房の感じやすさを示していました」という記述があるのですが、これがベルトを締められることへの不快を示していたという意味なのかどうか、私は確信が持てません。これだけ明確に厳密な文章を書く人なのだから、それならそうと具体的に書くのではないかと思われ、そう考えると、「乳房の感じやすさ(感受性)を示していた」という表現はもしかしたら性的な感覚の意味なのかもしれません。

乳房芽切除のその他のメリットとしては、

①繊維のう胞ができやすい家系なので、将来つらい繊維のう胞が起きて手術をしなければならなくなることを予防する。(この手術は複数形になっているので、何度も繰り返すという前提で書かれているのかもしれません。)

②家系に乳がんの人がいるので、乳がんの予防。

③移動したり体を動かす際に介護者が体に触れるので、大きな胸は介護者に対してアシュリーを“性的な存在にする”可能性がある。

さらに乳房芽の切除については最後に付け加えられた一説が非常に興味深いので、以下に引用してみます。

アシュリーが将来に渡って体が楽であるように、またQOLが維持できるようにと我々が望んだことの中で、アシュリーの担当医と倫理委員会にとって最も大きな難題となったのは乳房芽の切除でした。上記の利点を詳細に説明し、乳房の病気が多い家系であることを話し、同じ処置が外見を理由に男性に行われていることやホルモンの関係で男性の乳腺が発達した場合にも行われていることを指摘することによって、我々は医師と倫理委のreluctance(気が進まないこと)を乗り越えました。将来、エストロゲン療法を受ける男児には、胸が膨らんでしまう副作用が気になりますが、アシュリーのケースと同じように対処することができます。

引用はすべて両親のブログ(1月22日のもの)より

倫理委の冒頭で行ったプレゼンでは、両親は多くエネルギーを乳房芽の切除について医師や倫理委員会のメンバーを説得するために費やしたようです。それはそのまま、医師らや倫理委員会の抵抗感の強さを表しています。

また医師らが論文で乳房芽の切除に一切触れず、1月11日のテレビインタビューではウソまでついて隠したのに対して、両親は無邪気なほどの率直さで、乳房芽の切除が低身長の男児へのホルモン療法の副作用への対応策として有効だと提唱しています。この点もまた、医師らと両親の発言の食い違いの中でも非常に重要なものの1つでしょう。

両親は嘘をついたり誤魔化したりする必要など微塵も感じていないのです。それどころか名案なのだから、広く使えばいいじゃないかと言っているのです。ホルモン療法で胸が膨らむ副作用に悩む男児にはアシュリーと同じように対処すればいいと語るこの最後の下りに感じられるのは、こんな名案を自分が思いついた誇らしさと、それによって誰かのためになればという善意なのではないでしょうか。
2007.06.18 / Top↑
次に「子宮摘出術による生理の不快回避」の理由とメリット。

両親は非常に明快です。短いので直接引用します。

子どもを生むことはないのでアシュリーには子宮は必要ありません。この処置によって、生理と生理に通常伴う出血/不快/苦痛/生理痛がすべて取り除かれます。

この処置はアシュリーの子宮を取り除くものですが、卵巣は残っているので生来のホルモンは維持されます。

決めた後でたまたまついてきた追加のメリットには、妊娠の可能性がなくなるということがあります。障害女性に対するレイプは、驚くことに実際に起こっている虐待なのです。また子宮摘出は、子宮がんやその他、女性特有のつらい問題も取り除きます。大人になってからこのような問題が起きたら、いずれにしても子宮摘出術を受けることになります。

子宮摘出については、それだけです。
2007.06.18 / Top↑
両親のブログでは、医療処置ごとに項目を立てて、それを望んだ理由とその処置がいかにアシュリーのQOLの維持向上に貢献するかが詳細に説明されています。これから3回に分けてそれぞれの説明を眺めていきますが、個々の点について医師らが論文で書いていたこと、メディアで述べていたことを思い出しながら読んでみて下さい。医師と両親の発言内容だけでなく、情報を提示する姿勢にも、くっきりとした対比が感じられると思います。

まず最初は「エストロゲン大量使用による最終身長の制限」。

この処置を望んだ理由として先ず挙げられているのは、現在のアシュリーの体重65ポンド(約34キロ)は、両親が抱え挙げられる限界に近いという事実。さらに50ポンド体重が増えると状況は大いに違ってくる。(成長抑制によって減じられる見込みの身長分の体重が50ポンドです。)さらに、両親以外に介護を託されているのは2人の祖母で、彼女たちにとってはアシュリーの体重は両親以上の負担になる。探してはみたけれども、「有資格者で、信頼するに足り、なおかつ経済的にまかなえる範囲の介護者を見つけることは不可能です」とも。

現在の状態なら介護者一人で抱え上げられるが、この先もっと大きくなったとすると、2人がかりになったり器具を使う必要も生じてくる。小さいままだと、アシュリーも直接家族の腕で抱いて移動させてもらえるし、1日中寝たままテレビを見ているよりも旅行や家族行事にも参加しやすい。また体を頻繁に動かしてもらえれば、血行がよくなり消化器の機能も活発になる。体が伸びて関節も柔軟になる。

さらに子どもサイズの体であることの現実的な利点として箇条書きで挙げられているのは、以下の2点。

①座位がとれない子どもなので、通常サイズの浴槽で入浴させるのは今が限界であり、このまま背が伸びたら入浴方法を考え直さなければならない。

②アシュリーは横になっている方がラクなので、家の中の移動には双子用のベビーカーを改造し、そこに横にならせて使用しているが、このベビーカーの体重制限が限界にきている。

特に③として項目を立ててあるわけではありませんが、「最近になって、ある医師から聞いた」として、体が小さい方が感染症のリスクも低下することが付け加えられています。寝たきりの人は感染症を起こしやすいが、体が小さいことそのものもリスクを減じるし、動かしやすいと、それだけ動きが増えて血行がよくなるため、リスクが低下する。体が小さいことでリスクが低下するとして挙げられている感染症は、辱そう、肺炎、膀胱炎の3つ。ただし、現時点で裏付けるデータはないとの但し書きもあります。

(なお、その後の更新によってこの箇所にはかなりの分量の追加が行われ、その他のメリットも紹介されていますが、当事者の発言を検証するに当たっては、2006年10月の時点と、2007年1月時点という時期に非常に重要な意味があるため、両親のブログの内容については1月22日時点のものを使用しています。)

(また追加部分では、その後ほかの重症児の親のメールの内容から、在宅介護の期間を延ばせることも成長抑制の大きなメリットの1つだと考えるようになったと書かれています。しかし、この検証では論文が書かれた時点と、両親のブログが立ち上げられてメディアに両者の発言が報じられていた1月時点のそれぞれで両者が何を言っているかということが重大な問題なので、この両親の考えの変更については検証の対象外としました。今後も触れませんが、追記の中にそう書かれていることは、ここで紹介しておきます。)
2007.06.18 / Top↑
「医師の言うことを否定して見せる親」で述べたように、両親はブログで、これら一連の処置を行ったのは本人のQOLの維持向上のためであり、それ以外は付随的な問題に過ぎないと繰り返しています。いかなる状況であっても自分たちは家でアシュリーをケアし続けるのだから、在宅介護の“期間“など、初めから問題にならないというのです。他人の手を借りるということもありえないのだから、そのことへの不安からしたことでもない。一連の処置は、ひとえにアシュリー本人のQOLのため。2004年5月5日に倫理委員会の冒頭でプレゼンを行った際にも、そう強く力説したことでしょう。

以上のことから、次のような疑問が生じます。

そのような親の主張を当然知っていたはずの医師らは、何故それとは違うことを論文に書いたのでしょうか。詳しくは「医師らの論文のマヤカシと不思議」という書庫にある記事を参照してもらいたいのですが、論文ではまずアブストラクトで家族介護の負担軽減というメリットを前面に打ち出しています。さらに本文冒頭では、連邦政府の障害児福祉施策の施設入所から在宅重視への転換が紹介されます。それに続く本文も、成長抑制は家族介護の負担軽減につながり、家庭でケアできる期間を延ばすことに繋がるとの趣旨のように読めます。副題もその線に沿ったものです。

このような論文の内容について、在宅介護の期間を延ばすためにやったことではないとゴチック体にしてまで否定する両親は、「自分たちの考えや言っていることを医師らが十分に分かっていない」と不満なのでしょう。が、医師らは本当に分かっていなかったのでしょうか。Gunther医師は最初に相談を受け、親のアイディアを具体的な計画にした人物です。その後の実施にも責任者として携わっています。Diekema医師もその時期から倫理カウンセラーとしてこのケースを担当しています。さらに倫理委ではパワーポイントを使っての1時間近いプレゼンも聞いたのですから、親の言っていることは分かっていたはず。それならば、自分たちが論文に書こうとしていることが親の主張と異なっていることも、十分知っていたのではないでしょうか。

それでもなお親の主張と違うことを書いたのは、なぜか。

それは医師らが、もうひとつ別のことも知っていたからではないでしょうか。本人のQOL向上のためだけにこのような医療介入を行ったと書いたのでは、世の中には受け入れられないということ。

ここに両親のもうひとつの否定が関わってきます。両親はブログで3つの医療処置をその目的と合わせて明快に挙げ、成長抑制のみを主に書いた医師らの論文の書き方を否定しています。確かに、もともと両親のアイディアであり、両親の主張と説明を医師らが受け入れ認めたうえで実施に至ったという経緯でした。両親にすれば、自分たちの主張を受け入れたのだから、その通りに書いてくれるものと思ったのでしょう。では、両親の認識の通りに書かれたとすると、論文の趣旨はどうなったでしょうか。成長抑制と子宮摘出と乳房芽の切除をそれぞれの目的とともに列挙し、それらすべてを「本人のQOL向上のため」に実施したという症例報告を行い、これは倫理委員会が承認したことである、同じ処置によって世の障害児のQOLも向上させることができる、よって広く提唱したい、という内容の論文になります。そんな論文は世の中には受け入れられない、と医師らは知っていたのではないでしょうか。

「重症児の身長をストップすれば介護負担が軽減されて在宅介護で親がケアできる期間が延長できる。QOLの向上など本人へのメリットもあるし、なによりも政府の在宅化推進という施策の方向にも合致している」とでも言いたそうな書き方は、論文を書くに当たって、なんとか世の中に受け入れてもらえそうな(誤魔化せそうな?)範囲を必死で探った執筆者が、かろうじて見つけたギリギリの線だったのではないでしょうか。だから、両親がブログで書いていることと、医師らの論文とは、いわば“ヴァージョン”が違わざるを得なかったのではないでしょうか。

ここからはさらに2つの疑問が浮かんできます。

1.そうまでして、なぜ論文を書いたのでしょうか。この点は既に「まだある論文の不思議 その5」   
の中でも簡単に触れましたが、論文発表まで、すでに2年以上もアシュリーに行われたことは表に出ていませんでした。医師らはその2年間ずっと口をつぐんでいたのです。もしかしたら、そのまま表に出ないことを望んでいた、本当は医師らは論文発表などしたくなかったのではないでしょうか。事実のままに書くわけにいかないと知っていたからこそ、上記のような工夫をしたはずです。既に詳しく述べましたが(「医師らの論文のマヤカシと不思議」の書庫を参照してください)、相当に苦しいゴマカシの工夫をしています。そこまでしなければ書けなかったということは、医師らが自ら望んで書いたというよりも、書かざるを得ない事情が何かあったから、そのような工夫をする以外にはなかったということなのではないでしょうか。

2.親が言っている通りに論文に書くわけにいかないと医師らが考えていたとすれば、親の言う理由で親の望んだ通りのことをアシュリーに行った自らの行為には倫理上の問題があると、実は知っていたことにならないでしょうか。そして、それは、倫理委員会がコンセンサスによって親の要望を承認したという医師らの主張と矛盾するのではないでしょうか。

  
2007.06.18 / Top↑