以下の4行は当初 「何が行われたのか」のエントリーの最後に括弧で付記していたものですが、その後、この点に関してエントリーを立てることとし、こちらに移しました。
論争の途中で気になったことの1つに、この件では「成長」、「発達」、「成熟」、「背が伸びる」という、似ているけれども微妙にニュアンスが違い、人によっては意味していることが違う可能性のある言葉や概念が無造作に使われているのではないか、という点がありました。これは1つには grow という単語の多義性・幅広さによるのかもしれません。
たとえば、growth attenuation 「成長抑制」の「成長」を広い意味でとってしまうと、乳房が大きくならないように処置したことも、その中に含まれるような印象になります。生理が大人の女性であることを意味するのであれば、生理をなくすための処置まで「成長抑制」の中に含んでしまうことも、無理なことではないのかもしれません。そのためか、論争の中で、”アシュリー療法”全体がすなわち「成長抑制療法」のように語られている文脈というのもあったように思います。
その意味では、まさしくWUでの5月16日のシンポのタイトルも The Ethical and Polcy Implications of Limiting Growth in Children with Severe Disabilities となっており、やはり「成長制限」が一体どこまでを含んでいるのか曖昧です。それとも、まさか病院は子宮摘出での手続きの違法性を認めた5月に至っても、まだ論文と同じようにホルモン療法のみを主役に押し出しておきたかったのでしょうか。
これまでも何度か指摘してきたように、この事件には「よく考えてみたら曖昧なまま誰も確認していないことが、いつの間にか事実のように扱われている」という傾向が顕著に見られるのです。論文の中身しかり、倫理委員会の人数・メンバー構成しかり、そしてアシュリーの知的レベルしかり。きちんと事実関係を確認することが、この事件を理解するためには非常に大切なように思います。
両親がブログで明確に主張しているように、行われたことは2つではなく3つの医療処置だったこと、growth attenuation はその中の1つに過ぎないことをあやふやにしないためには、「成長抑制」のgrowth は正しくは両親の定義のように単純に「身長」のみを意味すると理解すべきと思われます。このブログでも「成長抑制」という言葉を便宜上使う場合がありますが、英文を訳している以外の場合は、両親のブログの定義と同じ「エストロゲン大量投与療法による身長抑制」の意味で使うこととします。
2007.06.11 / Top↑
前回のエントリーでアシュリーに対して具体的には何が行われたのかを確認しましたが、行われたことの内容に関する両親と医師らの発言や表現の違いについて、眺めてみたいと思います。
既に指摘したように、医師らの論文は成長抑制のみをタイトルに謳い、アブストラクトや本文においても、行われたのは成長抑制のみであったかのような書き方がされています。また成長抑制についての論文でありながら、その肝心の成長抑制がどこにも定義されていません。
定義はされていないものの、内容と書き方からすると、論文の言う「成長抑制」とは「副作用軽減のための治療前子宮摘出を伴う、エストロゲン大量投与による身長抑制」との意味と読めます。さすがに、こう定義するわけにはいかなかったのでしょう。何よりもそれではウソになります。さらに定義に含まれてしまうと、子宮摘出がホルモン療法とほぼ同じ大きさで表舞台に出てしまい、注目を避けられません。注目されてしまうと、身長抑制の目的のために手段として子宮を摘出することの是非も問題になりそうです。(また、2つが定義に含まれることで、もう1つの不在が際立ってしまう、ということも考えられます。)
論文の書き方では、表舞台に堂々と登場する主役はあくまでホルモン療法。子宮摘出は、いかにも副作用軽減のための必要悪であったかのような顔をして、なるべく目立たないように、わずかに登場する端役となっています。いわば、このような配役を成功させるための舞台設定として、ホルモン療法だけを意味しているようにも、子宮摘出までを含んでいるようにも(勝手に読者が含むと読んだ場合には、それがあたかも副作用軽減のためだったとの誤解も伴うように?)、どちらにも読めるべく、「成長抑制」は曖昧である必要があったのでは? だからこそ、「成長抑制」を定義することも、「アシュリーに行われたこと」を整理・総括して提示することも、できなかったのでは?
いずれにせよ、医師らの論文を通し読みして「ところで、成長抑制とは?」とか、「結局は何が行われたの?」という点を振り返ってみると、なんだか曖昧模糊としているのです。論文なら、もっと論理的にビシッ、ビシッと明快に書いてほしい。そんな苛立ちを覚えるほど、ぬらりくらりとしています。
それに対して、「大量エストロゲン投与療法による最終身長の抑制」と、極めて明快な定義をビシッと示しているのは、両親のブログです。前回のエントリーで引用したように、両親はアシュリーのQOLを向上させるための3つのゴールの1つを「大量エストロゲン投与療法により最終身長を制限すること」と明快に書いています。
さらに、医師らがホルモン療法を主役に、子宮摘出を目立たない端役に設定し、乳房芽については登場させることすらしなかったのに対して、両親は3者を対等に並べています。
行われた3つの医療処置それぞれの、論文と両親のブログでの関係をここで図示してみると、以下のようになります。
論文
○ 。
両親のブログ
○ ○ ○
最初のマルが「ホルモン療法」、次が「子宮摘出」です。読む人によっては、論文の小さなマルは大きなマルの中にあるようにも読めるかもしれません。3つ目のマルは論文にはありません。乳房芽については一切書かれていないからです。それに対して、両親の認識では3つは対等に並んでいます。
そして、次の1文は大いに注目すべき発言だと私は考えているのですが、ブログの中で自分たちがこれら一連の医療介入を“アシュリー療法”と呼ぶ理由を述べた際に、両親は次のように付け加えています。
成長抑制はアシュリー療法の一側面に過ぎません
こんなことを、わざわざ断る意図は何なのでしょうか?
ブログが立ち上げられる2ヶ月前に、医師らのあの論文が既に発表されていることを思い出してください。これは、医師らが成長抑制だけを主役に論文を書いたことを意識したうえでの発言ではないでしょうか。つまり、上記に○で図示したような論文の位置づけを、両親は認めていないということにならないでしょうか。上の図ではない、下の図の3つの関係が正しいのだと、両親はここで明示しているのではないでしょうか。
ブログが立ち上げられる2ヶ月前に、医師らのあの論文が既に発表されていることを思い出してください。これは、医師らが成長抑制だけを主役に論文を書いたことを意識したうえでの発言ではないでしょうか。つまり、上記に○で図示したような論文の位置づけを、両親は認めていないということにならないでしょうか。上の図ではない、下の図の3つの関係が正しいのだと、両親はここで明示しているのではないでしょうか。
医師らが論文に書いたことを、両親はブログで否定していることになります。「医師らと両親の言うことは同じ」だとの予見はやはり危険なようです。
2007.06.11 / Top↑
さて、このような障害像をもつアシュリーに対して、具体的には何が行われたのかを確認してみましょう。
一番単純明快に分かりやすいのは、両親のブログに箇条書きにされた部分でしょう。「以下の3つのゴールを達成することにより、大人になったアシュリーのQOLを大きく向上させることができることは明らか」と書かれている3つのゴールとは、
①大量エストロゲン投与療法により最終身長を制限すること。
②子宮摘出術により、生理と生理痛を取り除くこと。
③初期の乳房芽の切除により、乳房の生育を制限すること。
②子宮摘出術により、生理と生理痛を取り除くこと。
③初期の乳房芽の切除により、乳房の生育を制限すること。
このゴールに従って、太字部分の医療処置が行われました(太字はspitzibara。) また、一般に5%の確率で炎症が起きるが盲腸炎になってもアシュリーは苦痛を訴える術がないとの理由で、手術の際に外科医が盲腸も切除しています。
まず①の最終身長を制限する目的で行われた大量エストロゲン投与療法とは、どういうものでしょうか。論文には次のように書かれています。
エストロゲンの大量投与によって成長を抑止し、それと同時に比較的短期間の治療で骨端線の成熟を促進して、それにより体の大きさを永続的に抑制することが可能となる
骨端線というのは骨の先端の一部分で、我々の背が伸びるのはこの骨端線が延びることによるのですが、骨端線は一定のところまで成熟するとそれ以上は伸びなくなるようです。我々の身長の伸びがある年齢で止まるのは、このようなメカニズムによるもの。したがって、論文のこの箇所に書かれていることは、人間の背が伸びるメカニズムの進行をホルモンの大量投与でいわば“早送り”し、アシュリーの身長の伸びを早々と“あがり”に至らせることで抑制しようという話です。
ただし実際に行われた処置の順番は、外科手術が先でした。(「医師らの論文にはマヤカシがある その3」 を参照してください。)2004年の7月にまず4日間の入院で子宮と乳房芽が摘出され、アシュリーは1ヶ月で回復。手術からの回復を待ってホルモン療法が始まり、ブログが立ち上げられた2007年新年当時、2年半の治療が終わったばかりのところだったといいます。
論文と両親のブログから具体的な内容を拾ってみると、
投与されたエストロゲンは1日400マイクログラム。3日ごとに交換するパッチで経皮的に投与。その間は3ヶ月ごとに身長と体重、骨年齢、インシュリン様成長ファクターⅠ、エストロゲンとプロラクチンのレベルと血栓症ファクターをチェック。ホルモン療法は順調に行われ、副作用は見られなかった。これによりホルモンを投与しなかった場合に比べて身長を20%、体重を40%減じることができると期待される。現在は4フィート5インチ(約135センチ)であり、9歳半の女児の平均身長に近い。骨年齢は15歳。身長の伸びは既にほぼ99%達成されたことになる。
両親は、「もっと早くにこの療法を開始していたら、アシュリーへのメリットはもっと大きかっただろう」と、ちょっと残念そうに書いています。
この「成長抑制」の内容については、センセーショナリズムに傾きがちなマスメディアの報道の中にも、それに続く論争の中にも誤解がありました。たとえば、1月4日のガーディアン紙のニュース・タイトル「時の中にフリーズされて」というのは、比喩としてはあり得るとしても、やはり正確な表現とは言えないでしょう。同記事の副題「生涯子どものままに」も同様。
Diekema医師は1月11日のCNNのインタビューと翌12日の「ラリー・キング・ライブ」で次のように述べています。
アシュリーはクラスメイトと同じレベルで成熟はしますよ。顔を見れば、年齢相応に年をとっていきますよ。別に外見を変えるためにやったことじゃないんです。本来なら伸びたであろう最終的な背よりも低くしただけです
「永遠に子どものままにしたわけじゃありません。15歳の時には15歳の外見、33歳になれば33歳の外見でしょう。生理がなくて胸が大きくならない。それ以外は(他の人と)同じように発達しますよ
このDiekema医師の発言に驚いた人もあるかもしれません。実は私も「あら?」と思った1人です。それまでは、私も「成長抑制」という言葉に引きずられて、成長そのものが止められてしまったようなイメージが先行していたので、ちょっと意表を突かれました。が、改めて処置の内容を冷静に振り返ってみると、確かにその通りなのです。背の伸びはストップしたけれど、アシュリーは年齢相応に成熟を続けるのです。ホルモン大量投与を通じて行われたのは、厳密に言えば、「成長抑制」というよりも、むしろ上記「3つのゴール」で両親が書いているように「最終身長の抑制」と呼ぶべきものです。
(「成長抑制」という表現には、医師らの論文でもともと定義されていないことなどの問題もあります。それについては「医師らの論文にはマヤカシがある その1」に。)
「何が行われたか」については、もう一つ、論争の中でよく見られた誤解がありました。摘出されたのは子宮だけで、卵巣は残されています。アシュリーには卵巣はあるので、普通の女性と同じようにホルモンは生成されます。そういう意味では、先のDiekema医師の言う「成熟」には女性としての成熟も含まれるのかもしれません。彼が「成熟」という言葉を使っているのは私の手元の資料ではここだけなので、ちょっと目を引かれるところです。
なお、乳房芽の摘出は何度も指摘したように論文の中では触れられていないので、詳細については両親のブログの説明しかありません。それによると、切除されたのはアーモンド大の皮下組織。その中には乳腺が含まれますが、乳輪と乳首はそのまま残されています。
以上が、当事者発言から私が確認した「アシュリーに行われたこと」の実際です。
このように行われたことの全体を把握し改めて冒頭に引いた両親の「ゴール」を見た場合に、科学的な正確さを別にすれば、ガーディアンの「生涯子どものままに」や「時の中にフリーズされて」という表現も、両親の動機という点では、本質をついた極めて鋭い比喩なのかもしれません。その点は、今後のエントリーでとりあげていく「なぜ」に繋がっていきます。
2007.06.11 / Top↑
| Home |