ちょっと話が横道に逸れますが、アシュリーの知的レベルに対するDiekema医師の認識レベルを示唆する、非常に興味深い問答を1月11日のCNNのインタビューから、紹介します。
インタビューアーの質問
アシュリーに会って、彼女が家族とやり取りしているのを見て、気持ちが傾いたと言っておられますね?
Diekema医師の答え
とても頭のいい人たちなんです。思慮も深い。家族思いで、アシュリーのことを一生懸命に大事にしています。障害のある子どもは家族にとって本当に大変な場合があるのですが、娘の生活を出来る限りよくしてやることに自分たちの生活をささげているご家族です。
インタビューアーはここでアシュリーについて聞いているのですが、Diekema医師はそのことに気づいていません。彼は両親について答えています。まるでアシュリーが透明人間ででもあったかのように。
なぜ、こんなに答えが質問からずれてしまうのでしょうか。そのヒントは、このインタビューでの最初の質問「最初にアシュリーを見た時の印象は?」に対するDiekema医師の答えに伺われます。(インタビューアーはもしかしたら「アシュリーに会った時」と聞いているのかもしれません。)
When you see Ashley, it's like seeing a baby in a much larger body.
アシュリーを見ると、赤ちゃんがずいぶん大きな体の中にいるのを見ているような感じ
アシュリーを見ると、赤ちゃんがずいぶん大きな体の中にいるのを見ているような感じ
その後の問答でアシュリーの様子を聞かれているのに気がつきもせず、当たり前のように両親の様子を答えているのは、どうせ赤ちゃん、家族とのやり取りなどアシュリーの方は出来るはずがないと決め込んで、親の方しか見ていなかったのでしょう。
Diekema医師はまた1月4日のBBCのインタビューその他において、「アシュリーには、人と意味のある、いかなる交流も持つことはできない」とも語っています。彼はこの場面で、いかなる交流も持ち得ないアシュリーを相手に、親が一方的に「やり取り」を装っていた、とでも考えていたのでしょうか。
この問答から伺われるDiekema医師の知的障害に対する認識、知的障害のある子どもに関わる医師としては、あまりにもお粗末なのではないでしょうか? 「「重症障害児」を巡る思い込み」で触れた、重症児のことなど知らないから「重症児なんだから、どうせ何も分からないんだろう」、「どうせ赤ちゃんみたいなもの」、「どうせ人間らしい反応なんかしない」と思い込んで、現実のアシュリーの姿を確認しようともしなかった(目の前にいても見ようともしなかった)一般の人たちと、どこか違っているでしょうか。
そして、「親と医師は言うことが違う ①知的レベル」で指摘したように、このような意識の医師がアシュリーの知的レベルを、ある時は「生後6ヶ月」だといい、ある時は「生後3ヶ月」だといい、またある時は「乳児並み」と、コロコロと言うことを変えているのです。それでも医師が言うことだから、いつのまにか、それが科学的に証明された事実ででもあるかのように、メディアの報道やブロガーたちの議論で一人歩きをする……とても恐ろしいことではないでしょうか。
さらに、今後「うちの子にもやって」というケースが出てきた場合に、その子の知的レベルを彼のように最初に会った時から「体だけ大きな赤ちゃん」としか見ないような医師が判定するのだとしたら……? 2007.06.08 / Top↑
私が事実関係を確認する作業を行った1点目は、
アシュリーがどのような子どもであるかを正確に把握することでした。
アシュリーがどのような子どもであるかを正確に把握することでした。
まず最初に、論文の症例報告でアシュリーの障害について書かれた部分を確認してみます。
小児内分泌科に紹介されてきた時点で、アシュリーは6歳と7ヶ月だった。通常の妊娠と出産で問題なく産まれた白人女児。生後1ヶ月を過ぎてから、筋肉の低緊張、授乳困難、舞踏用動作、発達の遅れの兆しが見られた。神経、遺伝、発達小児科の専門医の診察を受けたが、原因は特定できなかった。最終的にはstatic encephalopathy with marked global developmental deficits と診断された。
最後の部分の「診断名」には、いかめしい単語が並んでいるので、
ややこしい難病をイメージする人もあるかもしれません。
が、実は意味は案外にシンプルで「顕著で広範な発達障害を伴う脳障害」ということ。
ややこしい難病をイメージする人もあるかもしれません。
が、実は意味は案外にシンプルで「顕著で広範な発達障害を伴う脳障害」ということ。
論文から、その他の該当部分を抜き出すと、
「診断の後、彼女の発達が乳児以上に進むことはなかった。
6歳当時、上体を起こすこと、歩くこと、言葉を使うことができない。栄養は胃ろう依存。
しかし、世話をしてもらったり優しくしてもらうと、
それに応えて声を出したり微笑み、他者にははっきりと反応する。
専門家の意見をまとめると、認知と神経の基本ラインは将来大きく改善されることはないとされる」。
6歳当時、上体を起こすこと、歩くこと、言葉を使うことができない。栄養は胃ろう依存。
しかし、世話をしてもらったり優しくしてもらうと、
それに応えて声を出したり微笑み、他者にははっきりと反応する。
専門家の意見をまとめると、認知と神経の基本ラインは将来大きく改善されることはないとされる」。
また
「内分泌医の診察を受けた時点で、既に1年前から陰毛が生え、3ヶ月前から胸が膨らみ始めていた」
とも書かれています。
「内分泌医の診察を受けた時点で、既に1年前から陰毛が生え、3ヶ月前から胸が膨らみ始めていた」
とも書かれています。
両親のブログでは、最初に現在9歳のアシュリーの様子が詳しく語られています。
それによると、アシュリーは頭を上げておくことも、
寝返りをうったり睡眠中に自分で体位を変えることも、
おもちゃを持ったり、自分で上体を起こすことも、歩いたり話したりも出来ない、
いわゆる全介助状態です。
それによると、アシュリーは頭を上げておくことも、
寝返りをうったり睡眠中に自分で体位を変えることも、
おもちゃを持ったり、自分で上体を起こすことも、歩いたり話したりも出来ない、
いわゆる全介助状態です。
「びっくりしやすい」とか「常に腕を動かし足を蹴っている」と書かれているのは、
中枢神経系に異常がある子どもによく見られる特徴でしょう。
アシュリーには外見的な体の変形はなく、
身体的には正常に発達しており健康状態は安定しています。
また意識ははっきりしており、自分の周囲のことを分かっています。
家族のことも判っているようだけれど、確信は持てない。
これは
「そばに人がいることには明らかに気づいているのに目を合わせることは滅多にない」
からかもしれません。
中枢神経系に異常がある子どもによく見られる特徴でしょう。
アシュリーには外見的な体の変形はなく、
身体的には正常に発達しており健康状態は安定しています。
また意識ははっきりしており、自分の周囲のことを分かっています。
家族のことも判っているようだけれど、確信は持てない。
これは
「そばに人がいることには明らかに気づいているのに目を合わせることは滅多にない」
からかもしれません。
別のところには
「家族の声を聞くと落ち着く」、
「家族の声かけにはよく微笑み、喜びを表す」ともあります。
「家族の声を聞くと落ち着く」、
「家族の声かけにはよく微笑み、喜びを表す」ともあります。
また、頭が枕からずり落ちたり、髪の毛が顔に落ちかかったりして困った時には、泣いて訴えます。
アシュリーは学校のspecial education のクラスにも通っています。
熱心にテレビを見ているようにみえることもあるし、音楽が大好き。
気に入った音楽を聴くと、声を出して足を蹴り、
手で踊るような指揮を取るような動きを見せてはしゃぐといいます。
お気に入りのオペラ歌手がいて、
家族はその歌手を「アシュリーのボーイフレンド」と呼んでいます。
また、
「生後3ヶ月の時から認知と精神発達能力はずっと同じレベルにある」とも書かれています。
熱心にテレビを見ているようにみえることもあるし、音楽が大好き。
気に入った音楽を聴くと、声を出して足を蹴り、
手で踊るような指揮を取るような動きを見せてはしゃぐといいます。
お気に入りのオペラ歌手がいて、
家族はその歌手を「アシュリーのボーイフレンド」と呼んでいます。
また、
「生後3ヶ月の時から認知と精神発達能力はずっと同じレベルにある」とも書かれています。
なお、両親はともに大学教育を受けた専門職。
アシュリーには弟と妹が一人ずつあり、
彼女のケアを担っているのは両親と祖母2人。
アシュリーには弟と妹が一人ずつあり、
彼女のケアを担っているのは両親と祖母2人。
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以上が、論文と両親のブログから拾ったアシュリー像です。
これらの記述をきちんと読めば起こるはずのないことですが、
論争の中では彼女が植物状態にあるかのような誤解をした人たちが非常に多く見かけられました。
論争の中では彼女が植物状態にあるかのような誤解をした人たちが非常に多く見かけられました。
日本では最初に報道したニュースサイトの中に
「アシュリーの知的機能は既に失われており」との事実誤認があったので、
その影響は確かにあったと思いますが、
「アシュリーの知的機能は既に失われており」との事実誤認があったので、
その影響は確かにあったと思いますが、
「こういう子は静かに死なせてやるほうが本人のため」など、
英語圏のブロガーたちの議論の中にも相当見られた誤解でした。
英語圏のブロガーたちの議論の中にも相当見られた誤解でした。
私の身近でも、植物状態に近いイメージで議論している方があったので、
上記の記述を抜き出して「アシュリーはこういう子どもですよ」と提示してみました。
返ってきた言葉が非常に象徴的です。
「送っていただいた資料を見ると、確かに人間らしい反応が見てとれます」。
上記の記述を抜き出して「アシュリーはこういう子どもですよ」と提示してみました。
返ってきた言葉が非常に象徴的です。
「送っていただいた資料を見ると、確かに人間らしい反応が見てとれます」。
いかに多くの人が事実を確認せず、
「重症児だから、どうせ人間らしい反応などないのだろう」とか
「どうせ何も分からないのだろう」との思い込みの上に立って、この問題を議論したかを考えると、
非常に恐ろしいものがあります。
「重症児だから、どうせ人間らしい反応などないのだろう」とか
「どうせ何も分からないのだろう」との思い込みの上に立って、この問題を議論したかを考えると、
非常に恐ろしいものがあります。
ひとつには、
世の中の多くの人たちはアシュリーのような重症障害のある人たちに直接触れる機会がないので、
単純に「分からない」、「知らない」、または「想像もつかない」のでしょう。
世の中の多くの人たちはアシュリーのような重症障害のある人たちに直接触れる機会がないので、
単純に「分からない」、「知らない」、または「想像もつかない」のでしょう。
けれど、もう1つ、このような誤解や混同を生んだ原因として、
論文にも両親のブログにもメディアの報道にも登場した、
あの”診断名”static encephalopathy with marked global developmental deficits
も寄与したのではないかと、私は推察しています。
論文にも両親のブログにもメディアの報道にも登場した、
あの”診断名”static encephalopathy with marked global developmental deficits
も寄与したのではないかと、私は推察しています。
2007.06.08 / Top↑
医師らと両親の発言の食い違いの中で、私が重大だと思うものの1つはアシュリーの知的レベルに関する点です。
両親のブログにはアシュリーの知的レベルについて、「生後3ヶ月の時から認知と精神発達能力はずっと同じレベルにある」と書かれています。アシュリーの知能レベルには多くの人が論争の中で触れていて、ほとんどの人がブログのこの箇所をそのまま採用しています。一番多いのは、アシュリーに行われた医療処置について賛成・賛同・擁護・容認する立場の人たちが、それぞれ是とする根拠の一つとして「アシュリーのメンタルレベルは生後3ヶ月なのだから」と言及する場合。アシュリーの知的レベルがどの程度かという点は、この論争の非常に重要なポイントと言ってもいいでしょう。
では、論文ではアシュリーの知的能力について、どう書かれているでしょう。論文では「他者への反応はある」という趣旨の1文がある他、「重度の認知障害」、「重篤な認知の損傷」といった抽象的な表現しかありません。月齢で捉えるということそのものをしていないのです。
しかし、論文執筆者の1人であるDiekema医師はメディアで発言する際には、ほぼ一貫してアシュリーのメンタル・レベルを生後6ヶ月と述べています。「ほぼ」というのは、2月9日付けのSalon.comの記事では、今度は「生後3ヶ月」と語っているからです。そしてシンポでは、完全に断言するほど確かな記憶ではありませんが、彼は月齢を使わず「乳児並」という言葉を使っていたように思います。
しかし、論文執筆者の1人であるDiekema医師はメディアで発言する際には、ほぼ一貫してアシュリーのメンタル・レベルを生後6ヶ月と述べています。「ほぼ」というのは、2月9日付けのSalon.comの記事では、今度は「生後3ヶ月」と語っているからです。そしてシンポでは、完全に断言するほど確かな記憶ではありませんが、彼は月齢を使わず「乳児並」という言葉を使っていたように思います。
メンタル・レベル生後3ヶ月と生後6ヶ月との間の差は、そんなに大きな違いはないのかもしれないので、ここでは問わないことにします。気になるのは、その根拠です。
両親のブログにある、生後3ヶ月の頃から知的発達が止まったという見解は、ともに暮らしてきた中での観察を率直に述べたものでしょう。つまり、両親はそういうふうに感じている、という主観的観察です。ブログの他の箇所には、実験的なものまで含めて可能な限りの検査を行ったと書いてあるのですが、特に触れてないことを考えると、その中に発達検査や知能検査は入っていなかったのでしょうか。
両親のブログにある、生後3ヶ月の頃から知的発達が止まったという見解は、ともに暮らしてきた中での観察を率直に述べたものでしょう。つまり、両親はそういうふうに感じている、という主観的観察です。ブログの他の箇所には、実験的なものまで含めて可能な限りの検査を行ったと書いてあるのですが、特に触れてないことを考えると、その中に発達検査や知能検査は入っていなかったのでしょうか。
次に、Diekema医師がアシュリーのメンタル・レベルを生後6ヶ月とする根拠は一体どこにあるのでしょう。
1月12日のCNN「ラリー・キング・ライブ」での当人の発言によると、彼がアシュリーに初めて会ったのは、シアトル子ども病院内分泌科に紹介されてきたアシュリーの6歳7ヶ月時以降なのだから、彼には両親のような観察をすることはできなかったはずです。では、彼はどこからこの生後6ヶ月という数字を持ってきたのでしょう。そして、なぜそれが後では3ヶ月に変わったのでしょうか。
1月12日のCNN「ラリー・キング・ライブ」での当人の発言によると、彼がアシュリーに初めて会ったのは、シアトル子ども病院内分泌科に紹介されてきたアシュリーの6歳7ヶ月時以降なのだから、彼には両親のような観察をすることはできなかったはずです。では、彼はどこからこの生後6ヶ月という数字を持ってきたのでしょう。そして、なぜそれが後では3ヶ月に変わったのでしょうか。
WPASの報告書に添付された2004年5月の倫理委の資料では、「発達レベル6ヶ月以下?」と、どういう意味なのか疑問符がつけられています。論文が発表されたのが2006年の10月。両親のブログが立ち上げられたのが2007年1月1日深夜。そしてDiekema医師がメディアで発言しているのが、それ以降です。これらを時期によって順に書いてみると、以下のようになります。
2004年5月 「生後6ヶ月以下?」
2006年10月 「他者への反応はある」「重度の認知障害」、「重篤な認知の損傷」
2007年1月1日 「生後3ヶ月で知的機能の発達が止まった」
1月11日 「アシュリーの脳が生後6ヶ月なのだったら、6ヶ月として扱われるべきなんじゃないでしょう か。……アシュリーを大人として扱うことが適切かどうか、私にははっきりとは分かりません。 本人がどう扱われたいかでしょう。生後6ヶ月の世界に反応するのであれば、6ヶ月として接 するのが尊厳ある接し方じゃないですか」
1月12日 「理解する能力で言えば、彼女は6ヶ月児のままでしょう」
2月9日 「アシュリーの生活というのは、生後3ヶ月の生活です」
太字が両親の観察です。他はすべて医師らの発言。倫理委で6ヶ月以下とされていたはずが、論文を書いた時点では漠然と「重度」、「重篤」。両親のブログの「生後3ヶ月」を挟んで、また「生後6ヶ月」。そして2月にはまた生後3ヶ月……。
このようなDiekema医師の表現の変化は、一体どこから来るのでしょう。倫理委の段階で、発達検査を行って生後6ヶ月以下との判定結果が出ていたのでしょうか。では論文では、それを書かずに「重度」とか「重篤」としたのは? それとも、論文を書いた後に発達検査を行って生後6ヶ月と判定したので、疑問符が取れて発言し始めたものでしょうか。しかし、いずれにしても1月2日以前に受けた検査であれば、当然のことながら両親のブログに登場するはずなので、受けていたとしても、それ以後のことになります。では、メディアが沸騰し、病院にも取材が押し寄せているはずの1月3日から11日までの間に受けたのでしょうか。仮にそんなことがありえたとしたら、医師は番組で批判的なニュアンスの質問を受け、それに応えているのですから、具体的な検査名と検査の日をきちんと述べた方が説得力があるはず。さらに言えば、検査を受けて出た結果であれば、その後6ヶ月から3ヶ月とぐらつくことも考え難いのですが。
彼は「3ヶ月ないし6ヶ月」と一貫して言っているのではなく、「6ヶ月」と言っていたものが「3ヶ月」に変わっているのです。
彼は「3ヶ月ないし6ヶ月」と一貫して言っているのではなく、「6ヶ月」と言っていたものが「3ヶ月」に変わっているのです。
コトは「アシュリーへのクリスマス・プレゼントには、月齢何ヶ月の子を対象にした玩具がふさわしいでしょう」というような他愛ない話ではありません。多くの人が、このような医師の発言から「アシュリーの知的レベルは生後3ヶ月または6ヶ月だと医学的に証明されている」という前提に立って、“アシュリー療法”の是非を云々しているのです。そのことの重大さを念頭に、もう一度上記の時系列での発言の変化を見た時に、私には納得できないものが残ります。アシュリーの知的レベルは、実は、専門的な発達検査で判定されていないのではないでしょうか。
ちなみに私自身は、発達検査も含め、知的障害のある人の知能レベルについて安易に評価を下すことには、あまり意味を認めたくない立場をとっています。特に月齢で評価することはむしろ危険だとも考えています。「わかっていると証明できない」ことは、「分からないことが証明できた」ことと同じではないからです。
しかしながら、Diekema医師はあちこちで発言し、シンポでも言っていたように、今後適応を検討するケースの条件として「乳児並の知能」と「歩かないこと」の2点をあげているのです。広く使われている発達検査が複数あることは、障害児医療にかかわっている医師なら知らないはずはありません。知的レベルを根拠とする以上、少なくとも発達検査を行い、用いた検査の名前、検査方法、検査日時、観察者、などが明らかにされるべきでしょう。アシュリーのケースのように医師がなんら実証もせず、「この子の知的レベルは生後6ヶ月くらい」と言えば倫理上の問題がクリアされてしまうのであれば、こんな危険なことはありません。
しかしながら、Diekema医師はあちこちで発言し、シンポでも言っていたように、今後適応を検討するケースの条件として「乳児並の知能」と「歩かないこと」の2点をあげているのです。広く使われている発達検査が複数あることは、障害児医療にかかわっている医師なら知らないはずはありません。知的レベルを根拠とする以上、少なくとも発達検査を行い、用いた検査の名前、検査方法、検査日時、観察者、などが明らかにされるべきでしょう。アシュリーのケースのように医師がなんら実証もせず、「この子の知的レベルは生後6ヶ月くらい」と言えば倫理上の問題がクリアされてしまうのであれば、こんな危険なことはありません。
それに、「乳児並み」とは彼は何ヶ月相当で線を引くつもりなのか。いったい誰が、どういう方法で実証したら、その線を引けるというのか。が、この点はまた別の問題になるでしょう。
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