まったく、もう呆れ果ててモノも言えない気分なのだけれど、
1月にシアトル子ども病院がまたもや「成長抑制」に関するシンポを行うのだとか。
1月にシアトル子ども病院がまたもや「成長抑制」に関するシンポを行うのだとか。
タイトルと病院の当該サイトへのリンク。
Evaluating Growth Attenuation in Children with Profound Disabilities: Interests of the Child, Family Decision-Making and Community Concerns
(重症障害のある子どもにおける成長抑制を評価する:子どもの利益、家族の意思決定と地域の問題)
(重症障害のある子どもにおける成長抑制を評価する:子どもの利益、家族の意思決定と地域の問題)
1月23日の午後1時から4時。
場所はWashington大学法学部。
場所はWashington大学法学部。
スポンサーはUWの
The Simpson Center for the Humanities。
The Simpson Center for the Humanities。
さらに「成長抑制プロジェクト・スポンサー」という不思議なものがあって
上記センターのほかに
The Greenwall Foundation
Treuman Katz Center for Pediatric Bioethics(Diekema医師の所属先でもあります)
UWの障害学プログラム
上記センターのほかに
The Greenwall Foundation
Treuman Katz Center for Pediatric Bioethics(Diekema医師の所属先でもあります)
UWの障害学プログラム
呆れることに、上記ページのどこにも、
Ashleyに行われた子宮摘出の違法性については触れられていません。
Ashleyに行われた子宮摘出の違法性については触れられていません。
しかし、もっと仰天するのは、
20人ものメンバーから成る
「シアトル成長抑制と倫理ワーキング・グループ」というワケの分からないものが
いつのまにやら作られていること。
20人ものメンバーから成る
「シアトル成長抑制と倫理ワーキング・グループ」というワケの分からないものが
いつのまにやら作られていること。
そのメンバーはこちら。
もちろん、真っ先に確かめましたが、
当ブログが要注意人物(マスターマインドかも?)とみなしてきたNorman Fostがやはり入っています。
小児科医はもちろん生命倫理分野の医師は、
この両分野の大ボスによって首根っこを抑えられたも同然でしょう。
当ブログが要注意人物(マスターマインドかも?)とみなしてきたNorman Fostがやはり入っています。
小児科医はもちろん生命倫理分野の医師は、
この両分野の大ボスによって首根っこを抑えられたも同然でしょう。
なぜ当事者を入れるのか理解に苦しむのだけれど、Diekema医師も入っています。
Trueman Katzセンターの長、Wilfond医師も。
Trueman Katzセンターの長、Wilfond医師も。
その他に目に付いたところでは、
Ashleyの赤ん坊の頃からの主治医だった発達小児科医のCowan医師。
(06年2月のSalonの記事ではAshley療法に反対できなかった苦悩を語っていたし
07年のシンポでも司会として行間にいっぱい思いをこめた慎重な発言をしていましたが
なにしろ組織の利害の中で敢えて抵抗できるほどの強いキャラではなさそうなので
この人には何も期待できないような気がします。)
(06年2月のSalonの記事ではAshley療法に反対できなかった苦悩を語っていたし
07年のシンポでも司会として行間にいっぱい思いをこめた慎重な発言をしていましたが
なにしろ組織の利害の中で敢えて抵抗できるほどの強いキャラではなさそうなので
この人には何も期待できないような気がします。)
06年のAshley論文の掲載誌でエディトリアルを書いた Jeffrey P Brosco。
(この人も07年5月のシンポの最初に講演しましたが
総論的に障害者と医療の問題をざっと撫でて終わって、
批判的に論点を挙げたエディトリアルの鋭さはどこへやら
妙に中立的なところに逃れた感じがしました。
前のエントリーで紹介した9月の認知障害カンファにもBroskoは登場しており、
抄録によると医学モデルでのみ認知障害を語ることに疑問を呈したようです。)
(この人も07年5月のシンポの最初に講演しましたが
総論的に障害者と医療の問題をざっと撫でて終わって、
批判的に論点を挙げたエディトリアルの鋭さはどこへやら
妙に中立的なところに逃れた感じがしました。
前のエントリーで紹介した9月の認知障害カンファにもBroskoは登場しており、
抄録によると医学モデルでのみ認知障害を語ることに疑問を呈したようです。)
Ashley事件について調査報告書をまとめたDisability Rights WashingtonのCarlson弁護士。
(DRWは真相を知っていて病院と取引したのでは、というフシがあるので……)
(DRWは真相を知っていて病院と取引したのでは、というフシがあるので……)
Eva Kittay
(前のエントリーでWilson氏のSinger批判にコメントを入れたとして触れた人。
9月のNYでの認知障害カンファをお膳立てした人の1人で
認知障害のある子どもの母親でもあります。)
(前のエントリーでWilson氏のSinger批判にコメントを入れたとして触れた人。
9月のNYでの認知障害カンファをお膳立てした人の1人で
認知障害のある子どもの母親でもあります。)
Hilde Lindermann
(これも前のエントリーで触れたように認知障害カンファに出ていた人。
育児負担を負う母親に選択的中絶の権利があるとする意見の持ち主。)
(これも前のエントリーで触れたように認知障害カンファに出ていた人。
育児負担を負う母親に選択的中絶の権利があるとする意見の持ち主。)
その他の人については
私にはこのブログを始めて以後の知識しかないので
リストを見られて、どういう人物かをご存知の方があったら、ご教示ください。
私にはこのブログを始めて以後の知識しかないので
リストを見られて、どういう人物かをご存知の方があったら、ご教示ください。
1月23日当日は
このワーキング・グループのオーガナイザー5人が
グループがまとめている報告書について最初に1時間ほど語り、
その後2時間の自由討議。
このワーキング・グループのオーガナイザー5人が
グループがまとめている報告書について最初に1時間ほど語り、
その後2時間の自由討議。
なにやらUW挙げて、とりあえず正当化しやすい「成長抑制」を急ぎ一般化して
Ashley事件の特異性をうやむやにしてしまおうと躍起みたいですが、
Ashley事件の特異性をうやむやにしてしまおうと躍起みたいですが、
第3者のフリして「評価」などしないでいいから、
きちんと当事者として事実関係を「説明」し、事件を「釈明」しろってば。
きちんと当事者として事実関係を「説明」し、事件を「釈明」しろってば。
2008.12.17 / Top↑
9月にニューヨークで認知障害関連の大きなカンファレンスが開かれました。
テーマは「認知障害:道徳哲学へのチャレンジ」
テーマは「認知障害:道徳哲学へのチャレンジ」
Ashley論文を掲載したジャーナルで
Gunther & Diekema論文に批判的な論説を書いた Jeffrey Brosco や
同事件に関して「重症児には動物ほどの尊厳も無用」と過激な擁護論を展開したPeter Singer、
07年5月のUWのAshley事件に関するシンポに登場したAnita Silvers
Gunther & Diekema論文に批判的な論説を書いた Jeffrey Brosco や
同事件に関して「重症児には動物ほどの尊厳も無用」と過激な擁護論を展開したPeter Singer、
07年5月のUWのAshley事件に関するシンポに登場したAnita Silvers
また、これまで当ブログで紹介した人としては
「選択的中絶の権利は子育ての負担を背負う女性にある」と主張する論文を
Hasatings Center Reportに発表したHilde Lindermann など、
「選択的中絶の権利は子育ての負担を背負う女性にある」と主張する論文を
Hasatings Center Reportに発表したHilde Lindermann など、
多彩なスピーカーが25人も勢ぞろい。
(認知症を論じたプレゼンもあります。)
(認知症を論じたプレゼンもあります。)
1月ほど前にこのカンファについて知ってから
とりあえず抄録だけは読み通してから紹介したいと
常にコピーを持ち歩いているのですが、
なかなか全部を読み通せずにいたところ
とりあえず抄録だけは読み通してから紹介したいと
常にコピーを持ち歩いているのですが、
なかなか全部を読み通せずにいたところ
今後、火曜・金曜に新しいエントリーをアップしながら
数ヶ月続けるとのこと。
数ヶ月続けるとのこと。
14日の初回はカナダAlberta大学の哲学の教授 Robert A. Wilson氏が
カンファでのPeter Singer のプレゼンの一部を取り上げて批判しています。
カンファでのPeter Singer のプレゼンの一部を取り上げて批判しています。
Wilson氏の14日のポスト
Peter Singer on Parental Choice, Disability, and Ashley X
(親の選択、障害、Ashley Xに関するPeter Singer の発言)
の中にカンファでのSinger講演の一部のクリップがありますが、
Peter Singer on Parental Choice, Disability, and Ashley X
(親の選択、障害、Ashley Xに関するPeter Singer の発言)
の中にカンファでのSinger講演の一部のクリップがありますが、
ここでSingerが主張していることは概ね以下のようなあたりで、
これまで当ブログで紹介してきた内容とあまり変わりません。
これまで当ブログで紹介してきた内容とあまり変わりません。
・ 子どもの障害を巡る親の考えには分断があり、親によって思いは様々なのだから、親の選択権が尊重されるべきである。
・我々が動物に尊厳を云々しないように重症の障害児にも尊厳を考えるのは正しくない。それよりも障害児の最善の利益は何かということを問題にすべきである。(その例としてSingerが挙げたのがAshley のケース。)
・我々が動物に尊厳を云々しないように重症の障害児にも尊厳を考えるのは正しくない。それよりも障害児の最善の利益は何かということを問題にすべきである。(その例としてSingerが挙げたのがAshley のケース。)
Wilson氏の批判も、だいたい当ブログが指摘してきた点と同じで
・「重い精神遅滞」を云々するプレゼンにおいて、Singerはダウン症候群から話を起こし、次いで脳性まひに触れながら最後にAshley問題を取り上げているが、この中で「重い精神遅滞」を伴う障害は最後のAshleyのみである。それぞれの障害の形態や程度の多様性を自分の話の論点にあわせて使い分けることで巧妙に話を進めている。
・Singerが主張していることは基本的には「親の意見や望みには耳を傾け尊重しなければならない」ということであり、障害のない子どもの親と同じことに過ぎないように聞こえてしまうが、ここで論じられているのは障害児の身体を侵襲することや命を切り捨てることの是非である。そのギャップが見えないまま話が飛躍してしまうことの危うさ。
・障害のある子どもの親が自分の子どもと同じ障害が世の中に広まることを願って、敢えて障害のある子どもを産もうと働きかけることも、Singerは親の選択権として認めている。これは聾の親が聾の子どもを産みたいと望むケースにまで繋がるという意識がSingerにあるのか。本当にSingerはそこまで親の決定権が強いものだと主張するつもりなのか。
・SingerはいともたやすくAshleyケースを取り上げて本人利益にかなうとして承認し、重症児が尊厳に値しない存在であることと、親の選択権が承認されるべきであることの証左として解説している。病院の倫理委がプロトコルを踏み外し、ほとんど医学的根拠のない、すべての子どもの人権である成長する権利を侵害した重大なケースであるという認識が欠けている。
・Singerが主張していることは基本的には「親の意見や望みには耳を傾け尊重しなければならない」ということであり、障害のない子どもの親と同じことに過ぎないように聞こえてしまうが、ここで論じられているのは障害児の身体を侵襲することや命を切り捨てることの是非である。そのギャップが見えないまま話が飛躍してしまうことの危うさ。
・障害のある子どもの親が自分の子どもと同じ障害が世の中に広まることを願って、敢えて障害のある子どもを産もうと働きかけることも、Singerは親の選択権として認めている。これは聾の親が聾の子どもを産みたいと望むケースにまで繋がるという意識がSingerにあるのか。本当にSingerはそこまで親の決定権が強いものだと主張するつもりなのか。
・SingerはいともたやすくAshleyケースを取り上げて本人利益にかなうとして承認し、重症児が尊厳に値しない存在であることと、親の選択権が承認されるべきであることの証左として解説している。病院の倫理委がプロトコルを踏み外し、ほとんど医学的根拠のない、すべての子どもの人権である成長する権利を侵害した重大なケースであるという認識が欠けている。
このエントリーには
上記カンファの主催者の1人で
障害のある子どもの親でもあるEva Kittay氏からコメントが入っており、
さらに2点を指摘しています。
上記カンファの主催者の1人で
障害のある子どもの親でもあるEva Kittay氏からコメントが入っており、
さらに2点を指摘しています。
正常な認知機能レベルを下回る人はみんな
”生きていることそのものが疑われるに十分なだけ重度の”認知障害があるという
暗黙の見解がSingerの考えには存在している。
Singerに限らず、
現実の経験的な問題から離れた哲学の世界に隔絶して
知識と理論だけで障害者の問題を考えている人たちは
現実の障害に関して呆れるほど無知である。
”生きていることそのものが疑われるに十分なだけ重度の”認知障害があるという
暗黙の見解がSingerの考えには存在している。
Singerに限らず、
現実の経験的な問題から離れた哲学の世界に隔絶して
知識と理論だけで障害者の問題を考えている人たちは
現実の障害に関して呆れるほど無知である。
全く同感。
このカンファについては
Singerをスピーカーに招いたこと自体への批判が出ていたのですが、
Singerをスピーカーに招いたこと自体への批判が出ていたのですが、
Kittay氏は
無知だからこそ障害者が実際に暮らしている場に来て欲しかった、
そして学んで欲しかったのだと述べています。
無知だからこそ障害者が実際に暮らしている場に来て欲しかった、
そして学んで欲しかったのだと述べています。
この「知識と理念だけで実像についてあまりにも無知」だという点については
私も重症児の親として、いつも同じもどかしさを感じている点です。
私も重症児の親として、いつも同じもどかしさを感じている点です。
「Ashleyのような重症児」について議論するのであれば、
実際にAshleyのような重症児がいる施設や家庭を訪ねて、
彼らが本当はどういう子どもたちなのか
その息遣いや顔や目の表情に触れ、
その声のトーンに耳を済ませてほしい。
実際にAshleyのような重症児がいる施設や家庭を訪ねて、
彼らが本当はどういう子どもたちなのか
その息遣いや顔や目の表情に触れ、
その声のトーンに耳を済ませてほしい。
彼らを最も身近にケアしている人たちから
「彼らにできること」「好きなもの」「嫌いなもの」を聞かせてもらって欲しい。
「彼らにできること」「好きなもの」「嫌いなもの」を聞かせてもらって欲しい。
そして、できることなら、しばらく一緒に過ごしてみてほしい。
彼らの体臭を嗅ぎ、肌に触れてから、
重症児について論じるということをして欲しい。
重症児について論じるということをして欲しい。
「Ashleyのような重症児」は
日本でも多くの人が混同して論じたような「植物状態」でもなければ
Singerが弄んでいるような「ただの観念」でもないのだから。
日本でも多くの人が混同して論じたような「植物状態」でもなければ
Singerが弄んでいるような「ただの観念」でもないのだから。
「重症児・者」を論じる場合には
自分が具体的にどういう種類と程度の障害像の人のことを論じているのかを明確にし、
そこからブレることなく議論を進めてもらいたい。
自分が具体的にどういう種類と程度の障害像の人のことを論じているのかを明確にし、
そこからブレることなく議論を進めてもらいたい。
【当ブログのSinger関連エントリー】
P.Singerの「知的障害者」、中身は?(2007/9/3)
Singerの“アシュリー療法”論評1(2007/9/4)
Singerの“アシュリー療法”論評2(2007/9/5)
Singerへのある母親の反論(2007/9/13)
Singerの“アシュリー療法”論評1(2007/9/4)
Singerの“アシュリー療法”論評2(2007/9/5)
Singerへのある母親の反論(2007/9/13)
【その後 tu_ta9さんのご指摘を受けて、誤解をさけるべく以下を追加】
「わかる」の証明不能は「わからない」ではない(2007/9/5)
2008.12.17 / Top↑
| Home |