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ウェブ上には
安全で効果があり既に一般の医療として通用しているとの謳い文句で
幹細胞治療を提供するクリニックがサイトを連ねているが
それらの治療は決して科学的なエビデンスに裏付けられたものではなく、
安全性に疑問があると
The Journal Cell Stem Cell の12月号に掲載の論文が警告。

この記事によると
近年、脊髄損傷やパーキンソン病、視覚障害など
治療の選択肢が少ない人たちが中国その他へ出かけて
幹細胞治療を行うクリニックを尋ねるケースが増えているとのこと。

研究者らがインターネット上のそうしたクリニックのサイトを調べたところ、
幹細胞治療が有効として挙げられていたのは
多発性硬化症、パーキンソン病、アルツハイマー病、脊髄損傷、脳卒中と心臓麻痺。

しかし、これまでの研究で有望とはされているものの
今の段階でこれらの病気に明確な治療効果のエビデンスがあるわけではない、と。


ちなみに、国際幹細胞学会は同じジャーナルの同じ号で
幹細胞研究のガイドラインを発表。

限定的なケースではわずかの数の重病患者に対して
公式の研究外で治療を行うことは認めているものの
その際にはその治療に利益の絡んでいない専門家のグループが承認することなど
一定のスタンダードを作るように勧告しているとのこと。
2008.12.08 / Top↑
2007年初頭の“Ashley療法”論争の時から
米国でAshleyのような重症児への介護支援がどの程度整備されているものか
ずっと知りたいと思っていたのですが、
11月の末にWPに以下の記事があり、
ある程度の目安になるかと思われます。

Caught by a Change in Health Care
The Washington Post, November 27, 2008

記事そのものは
連邦政府の官僚ですら職員向け医療保険の給付条件が変わって
これまで受けられていた医療サービスを受けられなくなっている実態を報じたものですが、

ここで取材されているJohn Rogers氏の11歳の娘Shelbyさんは脊髄性筋萎縮症。
彼女の在宅生活への支援のあり方を見ると、
ちょっと日本では考えられないほどの充実振りなのです。

車椅子生活で、寝ている間も含めて24時間介護を必要とするShelbyさんの自室には
次のものが整備されています。

自室のベッド周りに
鼻に装着する呼吸器
脈と酸素レベルのモニター
咳を助ける装置
天井には電動リフト
壁には移動補助の吊りベルト(スリング)

そして、毎日朝7時から夜7時まで12時間の看護サービス。
毎日看護師が派遣されて12時間、付きっ切りで看護・介護に当たってくれるというものです。

こちら外部からの看護サービスについては
連邦政府の職員向け医療保険で賄われていたもので、
このサービスを保険会社が打ち切ったことが記事のテーマ。

記事の書き方からすれば
医療・介護機器はメディケアで支給されているように思われます。

もちろんメディケアについては州によって条件が違っているし
それなりの自己負担も生じているのでしょうが
Shelbyさんのケースはある程度Ashleyのケースを考える参考になります。


Microsoftの役員と思われるAshleyの父親には
娘の健康上の必要のない(elective)外科手術までカバーしてくれるほど
充実した被用者医療保険があったわけだから、
(これ自体、並みの被用者保険ではないことの証左でもありますが)
上記Shelbyさんの例を基準にすれば毎日何時間かの看護サービスは
保険で賄われると考えてもいいのではないでしょうか。

また、天井の電動リフトや壁のスリングも同様に整備できる可能性が高い。

父親のブログに掲載されたAshleyの写真を見ると、
ベッドでの座位保持や車椅子のシーティングが完璧に行われていたり、
庭のブランコの1つがAshley用に改造されていたりと
Ashleyの家庭生活にOTまたはPTが直接的に関与していることは明らかです。
それも、もしかしたら父親の医療保険の対象なのかもしれません。
(もちろん自腹で専門職を何人でも雇える財力の持ち主でしょうが)

担当医らが
「リフトは人間的でないから、いつまでも親がトランスファーできるように」
「家族以外の人間の手を借りると家庭内の力動が変わるから親がそれを望まなかった」
などと述べていることから考えても、
家族が望んでも介護機器が手に入らないとか
家族が望んでも介護・看護サービスが受けられないといった
日本の我々がつい前提としてしまうような状況ではなく、
望めば上記記事のShelbyさんと同等か、恐らくはもっと充実したサービスだって
メディケアと医療保険で受けることができる状況のはず。

多くの人がAshley事件を介護支援の不足との関係で考えてきましたが、
Ashleyのケースに関して言えば、それは的外れなのではないでしょうか。

この特定のケースについては、むしろ、
個人的には十分な介護支援を調達できる親が
敢えてこうしたドラスティックな手段を考案、実行したことそのものに
時代の文化を象徴する事件の特異さがあるのでは──?

そして、やはり何より気になるのは
そのような事件の特異さが十分に認識されないまま
介護支援の不足の問題に一般化されてしまえば
前例となるべきではない事件が前例を作ってしまうこと。

“Ashley療法”論争から2年──。

その間に
障害児・者にかかる社会的コストを云々し
社会に支援を整備するのではなく、
むしろ当人たちを切り捨てて問題を解決しようとする声が
どんどん大きくなっているだけに。

あの事件は結局、後から振り返ったら、
「障害児には健常児と同じ尊厳を認める必要はない」との認識に
一定の市民権を与えてしまうきっかけを作った事件……ということになるのかも。
2008.12.08 / Top↑