いずれも2月の記事ですが――。
遺伝子検査のコストが下がり、提供する会社も急増し
着床前、出生前遺伝子診断が普及するにつれ、
膵嚢胞繊維症(CF)、テイサック病、鎌状赤血球、筋ジスなど、
「人々に恐れられる病気 dreaded diseases」が減少、中には
ほとんど生まれなくなった病気もある、とのこと。
もちろん、出生前遺伝子診断で分かると中絶が選択され、
親自身の遺伝子診断で遺伝病の遺伝子変異が分かると、
そういう親は次世代にそれを引き継ぐまいとして
着床前遺伝子診断を受け、同じ変異をもたない胚を選別しているからだ。
特に民族など特定の属性が関係しているとされる遺伝病の場合には、
身近で死んでいく子どもたちを見てきた人も多く、
遺伝に関わる情報が伝わるにつれて
自分たちの遺伝子をチェックし、自分の代で終わらせようとする親が増えている。
そこには中絶、胚の廃棄、優生思想への懸念など
道徳上の深刻なジレンマがあるが、現実には遺伝子診断は広がる一方だ。
東ヨーロッパのユダヤ人の間で多いとされるテイ・サック病は、
この10年間に米国でわずか12症例程度しか認められておらず、
ほとんど撲滅状態だと医師らは喜ぶ。
CFの症例も、2000年の29例が、2003年には10例に減少、
しかし、06年にはまた15例に増加した。
米国以外にも、多くの国で遺伝子診断が始まって以来、
重病の発生が急速に減少している。
08年の遺伝学カンファでは半減したとの報告も。
一方、黒人に多いとされる鎌状赤血球は減っていない。
診断の結果、当該遺伝子のキャリアとして
鎌状赤血球になりやすい「傾向 trait」があると告げられても、
それが危険を感じさせないのではないかと、鎌状赤血球協会の医師は分析する。
新生児のスクリーニングでも
鎌状赤血球の遺伝子キャリアも実際の症例も見つかるケースが増えているにもかかわらず、
それが親の将来の家族計画には何ら影響しないようなのだ、と同医師。
(読み方によっては、
黒人の知識や判断力が白人よりも劣っていると
嘆いているように読めないこともない)
ハンチントン病も遺伝子診断の普及によってあまり変化していない。
ハンチントン病の人がいる家系であっても、検査に同意するのは15%以下なのだとか。
発症しないと考えて普通に生きていくという姿勢の人が多い、と専門医。
遺伝性の自律神経失調症やテイ・サック病など、
学齢期に至らずに死ぬことが多い病気では話も単純で(easier cases)
“遺伝子診断は命を救う努力”だと考える人も多いが、
例えばCF財団が指摘するように、
CFの寿命は今では37歳まで伸びており、
個々の症例によっても重篤さにばらつきが大きい。
病気を撲滅しようというのは崇高なゴールではあるが、
その一方で、ちょっと立ち止まるべきではないか、と
NEJMでコロンビア大学の歴史学者Lerner氏が書いている。
「社会がこれらの遺伝子にスクリーニングを積極的に行っては
そういう胎児を中絶していくのだとしたら、その社会は、
実際にその病気を抱えて生きている人たちの生の価値について、
一体どういうメッセージを送るのだろうか」
Dreaded diseases dwindle with gene testing
MSNBC, February 17, 2010
この記事を受け、
ペンシルバニア大学の生命倫理学者 Art Caplanが
翌日のMSNBCに論考を寄せている。
彼は、数年前にアイルランドに旅行した際に、
雑踏の中にダウン症と分かる人が多いことに衝撃を受けたという。
それはアイルランドに多いことに受けた衝撃ではなく、
逆に、米国ではダウン症の若者をめっきり見なくなったことに気付いた衝撃だった。
病気の負担を減ずることそのものは良いことなのだが、
親の遺伝子診断ばかりか胎児の診断までがこのように急増すると
倫理上のジレンマも生じてくる。
もちろん1つは明らかに、胚を壊すことの倫理性。
もう1つは、実際に遺伝の関わる障害を負っている人やその家族への影響だ。
ダウン症でも、子どもが減るにつれて、
行政によるダウン症プログラムも学校や住居への支援のための資源も減り、
支援しようとする政治的気運も薄れてきた。
遺伝子診断で数が減っていく病気や障害に対する支援を
社会は、これまでどおりに行うだろうか。
遺伝子診断を受けることを選択しなかった親が
無責任だと道徳性を疑われ非難を受けるようなことは起きないだろうか。
テイ・サックのように通常4歳までに苦しい死を遂げるような病気では
アグレッシブな遺伝子診断やその結果の中絶も道徳的に正当化され、
撲滅することにも広く合意があるかもしれないが、
それでは聾や小人症などの遺伝ではどうだろうか。
さらには親の遺伝子検査から
乳がんやウツ病、アルツハイマー病や依存症のリスクが高いことが分かった場合に、
発症するのは中年期以降かもしれないし、それまでに治療法も見つかっているかもしれないが、
そういう遺伝子変異についてはどう考えるのか。
もしも極端に走る企業が、
親になりたい人の遺伝子検査によって、
“ベターな子ども”が生まれるようなマッチ・メイキングを商売にするとしたら――?
Disability-free world may not be a better place
Arthur Caplan, February 18, 2010
この話、英国のカンファで
05年の自殺幇助合法化法案を検討した委員会の委員長さんが
オランダのすべり坂を例にとって言っていた
「不当に死なされる人が出る現実の“すべり坂”の他にも、
それによって社会の意識がそれを容認していく概念上の“すべり坂”も起きる」。
あれが、そっくりそのまま当てはまる話――。
子どもの病気や障害を知った上で、それでも生むことを選ぶなら、
それは親の自己選択だから、自己責任で育てなさいよ、という社会になるのでは、
という話は、こちらのエントリーで書きました。
ちなみに、Caplanの記事のタイトルは
「障害がなくなった世界は、今よりベターな場所ではないかも」
遺伝子検査のコストが下がり、提供する会社も急増し
着床前、出生前遺伝子診断が普及するにつれ、
膵嚢胞繊維症(CF)、テイサック病、鎌状赤血球、筋ジスなど、
「人々に恐れられる病気 dreaded diseases」が減少、中には
ほとんど生まれなくなった病気もある、とのこと。
もちろん、出生前遺伝子診断で分かると中絶が選択され、
親自身の遺伝子診断で遺伝病の遺伝子変異が分かると、
そういう親は次世代にそれを引き継ぐまいとして
着床前遺伝子診断を受け、同じ変異をもたない胚を選別しているからだ。
特に民族など特定の属性が関係しているとされる遺伝病の場合には、
身近で死んでいく子どもたちを見てきた人も多く、
遺伝に関わる情報が伝わるにつれて
自分たちの遺伝子をチェックし、自分の代で終わらせようとする親が増えている。
そこには中絶、胚の廃棄、優生思想への懸念など
道徳上の深刻なジレンマがあるが、現実には遺伝子診断は広がる一方だ。
東ヨーロッパのユダヤ人の間で多いとされるテイ・サック病は、
この10年間に米国でわずか12症例程度しか認められておらず、
ほとんど撲滅状態だと医師らは喜ぶ。
CFの症例も、2000年の29例が、2003年には10例に減少、
しかし、06年にはまた15例に増加した。
米国以外にも、多くの国で遺伝子診断が始まって以来、
重病の発生が急速に減少している。
08年の遺伝学カンファでは半減したとの報告も。
一方、黒人に多いとされる鎌状赤血球は減っていない。
診断の結果、当該遺伝子のキャリアとして
鎌状赤血球になりやすい「傾向 trait」があると告げられても、
それが危険を感じさせないのではないかと、鎌状赤血球協会の医師は分析する。
新生児のスクリーニングでも
鎌状赤血球の遺伝子キャリアも実際の症例も見つかるケースが増えているにもかかわらず、
それが親の将来の家族計画には何ら影響しないようなのだ、と同医師。
(読み方によっては、
黒人の知識や判断力が白人よりも劣っていると
嘆いているように読めないこともない)
ハンチントン病も遺伝子診断の普及によってあまり変化していない。
ハンチントン病の人がいる家系であっても、検査に同意するのは15%以下なのだとか。
発症しないと考えて普通に生きていくという姿勢の人が多い、と専門医。
遺伝性の自律神経失調症やテイ・サック病など、
学齢期に至らずに死ぬことが多い病気では話も単純で(easier cases)
“遺伝子診断は命を救う努力”だと考える人も多いが、
例えばCF財団が指摘するように、
CFの寿命は今では37歳まで伸びており、
個々の症例によっても重篤さにばらつきが大きい。
病気を撲滅しようというのは崇高なゴールではあるが、
その一方で、ちょっと立ち止まるべきではないか、と
NEJMでコロンビア大学の歴史学者Lerner氏が書いている。
「社会がこれらの遺伝子にスクリーニングを積極的に行っては
そういう胎児を中絶していくのだとしたら、その社会は、
実際にその病気を抱えて生きている人たちの生の価値について、
一体どういうメッセージを送るのだろうか」
Dreaded diseases dwindle with gene testing
MSNBC, February 17, 2010
この記事を受け、
ペンシルバニア大学の生命倫理学者 Art Caplanが
翌日のMSNBCに論考を寄せている。
彼は、数年前にアイルランドに旅行した際に、
雑踏の中にダウン症と分かる人が多いことに衝撃を受けたという。
それはアイルランドに多いことに受けた衝撃ではなく、
逆に、米国ではダウン症の若者をめっきり見なくなったことに気付いた衝撃だった。
病気の負担を減ずることそのものは良いことなのだが、
親の遺伝子診断ばかりか胎児の診断までがこのように急増すると
倫理上のジレンマも生じてくる。
もちろん1つは明らかに、胚を壊すことの倫理性。
もう1つは、実際に遺伝の関わる障害を負っている人やその家族への影響だ。
ダウン症でも、子どもが減るにつれて、
行政によるダウン症プログラムも学校や住居への支援のための資源も減り、
支援しようとする政治的気運も薄れてきた。
遺伝子診断で数が減っていく病気や障害に対する支援を
社会は、これまでどおりに行うだろうか。
遺伝子診断を受けることを選択しなかった親が
無責任だと道徳性を疑われ非難を受けるようなことは起きないだろうか。
テイ・サックのように通常4歳までに苦しい死を遂げるような病気では
アグレッシブな遺伝子診断やその結果の中絶も道徳的に正当化され、
撲滅することにも広く合意があるかもしれないが、
それでは聾や小人症などの遺伝ではどうだろうか。
さらには親の遺伝子検査から
乳がんやウツ病、アルツハイマー病や依存症のリスクが高いことが分かった場合に、
発症するのは中年期以降かもしれないし、それまでに治療法も見つかっているかもしれないが、
そういう遺伝子変異についてはどう考えるのか。
もしも極端に走る企業が、
親になりたい人の遺伝子検査によって、
“ベターな子ども”が生まれるようなマッチ・メイキングを商売にするとしたら――?
Disability-free world may not be a better place
Arthur Caplan, February 18, 2010
この話、英国のカンファで
05年の自殺幇助合法化法案を検討した委員会の委員長さんが
オランダのすべり坂を例にとって言っていた
「不当に死なされる人が出る現実の“すべり坂”の他にも、
それによって社会の意識がそれを容認していく概念上の“すべり坂”も起きる」。
あれが、そっくりそのまま当てはまる話――。
子どもの病気や障害を知った上で、それでも生むことを選ぶなら、
それは親の自己選択だから、自己責任で育てなさいよ、という社会になるのでは、
という話は、こちらのエントリーで書きました。
ちなみに、Caplanの記事のタイトルは
「障害がなくなった世界は、今よりベターな場所ではないかも」
2010.09.10 / Top↑
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