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10月19日、ロンドンのRoyal Geographical Societyにおいて、自殺幇助合法化に関する討論会が開かれ、反対側が、Oxfordの前ビショップのRichard Harris、Alex Carlile 卿と、Patric Paddy Stone 卿、賛成側がロンドン大学経済学部の法学教授Emily Jacksonとお馴染みDebbie Purdyさん、それから哲学者のMary Warnock。 
http://www.indcatholicnews.com/news.php?viewStory=16968

WarnockはGuardianでも、この前「弱者へのプレッシャーがかかる」と反対のスタンスで報告書を書いた政策研究所のCristina Odoneと、激しいデベイトを繰り広げている。なにしろ、「認知症患者には死ぬ義務がある」と平気で言う人だから。
http://www.guardian.co.uk/society/2010/oct/23/assisted-dying-mary-warnock-cristina-odone

4月にスイスへ行って自殺した64歳の男性(すい臓がんと糖尿病があった)の件で、警察が自殺幇助容疑の捜査を開始。:Dignitasについて「自殺幇助センター」とこの記事は書いている。Dignitasはよく「クリニック」と書かれているけど、運営しているMinelliは弁護士。提携医は6人いるらしいけれど、常駐の医師はおらず、クリニックではない。Dignitasの公式サイトにもクリニックだとは書かれていない。ただ、そういうところで、どうして毒物を保管したり扱えるのか、私はずっと不思議なんだけど。
http://www.bbc.co.uk/news/uk-england-somerset-11604892

障害のある子どもは、ない子どもに比べて虐待のターゲットとなる可能性が7割も高い。親や養育者への啓発を、と豪の障害者アドボケイト。
http://news.smh.com.au/breaking-news-national/disabled-children-targets-for-abuse-mp-20101025-16zvc.html

Bad CrippleことWilliam Peaceのブログによると、NYで71歳の母親が31歳の脳性マヒの娘を連れて無理心中。自分が末期がんと診断されたことが理由らしい。FENの自殺指南書が見つかったとのこと。FENの直接の関与については不明。「自殺のための情報よりも、必要なのは支援。障害のある人には必要な介護を得る権利がある、という認識」とPeace。
http://badcripple.blogspot.com/

米国医師会新聞の記事で、06年に一時的であれメディケアでナーシング・ホーム等の介護サービスを利用した人は全体の3%の220万人なのだけど、費用でいうと全体の5%になるのだそうな。:でも、先端医療を受けた人の人数と金額のパーセンテージって、一体どういうことになっているのだろう? 3%の人で5%の金額よりも、はるかに圧倒的に少ない人数で金額が圧倒的に多いんじゃないのかな。あ、それとも、そういう医療は自腹の人だけで、メディケアでは最初から受けられないのか。
http://www.ama-assn.org/amednews/2010/10/25/gvbf1025.htm

小山エミさんのブログ、「消極的義務」の倫理――哲学者フィリパ・フットとその影響。:すごく勉強になった。功利主義のいかがわしさって、白人知的エリート男性の傲慢とどこかでつながっているような気が前からしていた。それはTH二ストにも通じる気がするんだけど、ちゃんと説明できない。
http://macska.org/article/280
2010.10.25 / Top↑
9月11日、カトリーナの上陸から13日後に、
病院から引き上げられたのは45の腐乱した遺体だった。
警察の捜査では、24人に安楽死が行われたと判断されたが、
立証可能なのは目撃証言がある7階の4人のみと考えられた。

約一年後のPou逮捕の翌日、Foti地方検察局長は
「これは安楽死ではない。明らかな殺人だ」と。

Everett氏の未亡人はTenet, LifeCare, Pouその他を相手取って
ロングフル・デス訴訟を起こした。

「誰があの人たちに神を演じる権利を与えたというの? 一体だれが?」

8月31日にCookがモルヒネ投与を看護師に指示した女性患者のカルテには
午後2:10から3:35の間に15ミリのモルヒネを7回投与されたと記されている。
それまで女性が苦痛除去の目的で投与されていた7倍の量になる。
しかし、それ以前に既に投与されていたことや末期がんだったことから
Cookの関与したケースは因果関係が立証できないとされ、立件が見送られた。

LifeCareの7階に最後に残った9人については
カルテ、解剖報告、毒物検査の結果を中立の立場で検証した
3人の専門家のうち2人が「殺人」と断定。

「それまでの数日間に渡って被災状況を生き延びた患者たちが、
1つのフロアで3時間半の間に毒物中毒で死ぬというのは偶然を超えている」

PouらがCBSの人気番組“60 Minutes”に出演し、
安楽死ではなかったと主張した直後、米国医師会は声明を発表した。

「米国医師会はハリケーン・カトリーナ被害のなか、
自らを犠牲にし、素晴らしい仕事を成した多くの英雄的な医師や医療職を誇りに思う」

(記事には、この後、さらに裁判での諸々が描かれていますが、疲れたので省略)

           ――――――


この記事を読んで、押さえておきたいのは、

・“安楽死”はあった。

・“安楽死”させられた患者の中には、
医師や看護師が主張するように「そこから助けてあげるべき苦痛」を
感じていなかった人たちが含まれていた。

・一旦カテゴリー3と分類されてしまうと、カテゴリーの方が独り歩きをし、
個々の患者が実際にどういう状態にあるかという事実の把握や丁寧なアセスメントが
おろそかになってしまう可能性。

・7階がLifeCareという外部の会社にリースされていたことが、
避難を主導したメモリアル側の対応を巡って事態を複雑にしたこと。

・特にそのフロアが重症者ケアに特化した病棟であったことが、
潜在的な意識のレベルで何人もの人の判断に影響したのではないか。

Pou医師の言葉に見られるように、
「LifeCareの患者はどうせ意識のない重症患者」という先入観が
メモリアルの医師らにはあったのでは?

・メモリアルのICUの巨漢の患者Scottが
Day 4の午後9時になって無事に避難させられた事実は大きい。

もしも彼が入院していたのが7階であったり、
Day 3に、まだメモリアルのICUに残されていたとしたら
Scottにも“安楽死”させられるリスクはあった。


その他、頭に浮かんだ疑問としては

・Pouから話を聞いた看護師が、戒厳令で軍が命じたことだと誤解したように、
混乱状態の中、多くの人が事態を正しく把握せず行動してしまったことが
1つの要因になったのでは? 

Pou医師自身も自らの信念によって行動したというよりも、
むしろCookから方法を教えられた際に、Pouは
病院上層部が方針決定し実施の指示を出したのだと誤解したのでは? 

・確固とした信念があってやったことではなくとも、
一旦その行為が公になって自分の行為を正当化する必要が生じると、
メディアと世論が求める英雄的役割を引き受けることが最も自然な(有利な?)選択となり、
Pouが災害時の医療職免罪アドボケイトを自ら引き受けたのだとするなら
それは射水の呼吸器外し事件と構図が全く同じなのでは?

・混乱状態の中で、人が様々な状況把握を自分なりにする際には
その人がもともと持っている偏見や思いこみが、
そこに重大な偏りを産むのではないか。

例えば「置いていく」と聞かされた看護師が
「黒人がやってきたら」この人たちはひどい目にあわされる、と考えたように。

例えばCookがDNRの患者は失うものが最も少ないと考えたり、
PouがLifeCareの患者はどうせ意識がないと思い込んでいたように。

・そう考えてくると、この事件の背景にあった
医療経営上の力関係(株式会社経営でのフロア・リース)
重症者ケアに対する、一部医師らの「資源の無駄」との捉え方、
重症者に対する「どうせ意識などない」との無知と偏見、
「痛みから助けてあげる」と痛みも不快もない患者が死なされていくこと、
「看護師を他で使える」など医療側の都合が「患者のため」と言い替えられること……

安楽死合法化議論に潜む危うさの多くが、
この事件で“安楽死”を起こしてしまった要因として存在しているようにも――?
2010.10.25 / Top↑
Day 4 (9月1日 木曜日)

Tenet社が何台ものヘリコプターを手配。
軍のヘリや警察も来て、救助活動が一気に活発化する。
が、ニューオリンズの治安は悪化する一方で、
警察は病院の警備を午後5時で打ち切るとして、
それまでに患者の避難を終えるよう病院に通知した。

この頃 Cook は洪水で家に取り残されている息子を助けに行くため、
病院を去る準備をしていた。病院を出る前に、彼は2階で
Pou とカテゴリー3の患者の扱いについて相談している。

その中には、まだ7階に残っている9人も含まれていた。
Cook が Fink に語ったところでは、彼がこのとき考えたのは

・LifeCare の患者はもともと「慢性的な寝たきり状態」で、この暑さで参っているだろう。
・メモリアルのスタッフは疲れていて、とても今日中に9人を下に運べない。
・外から協力が得られない限り、そんなことは無理だ。

Cook は Pou に、モルヒネとベンゾジアゼピンの配合を教え、
それで患者は「眠りに落ちて死ぬ」と教えた。

その後、7階の看護責任者の Mendez は、
取り乱した様子の Pou から相談を受けたという。

LifeCare の患者は助からないと思う、と Pou が言い、
その通りだと思う、と Mendez が答えた。

言い淀んだ後で、モルヒネなどを注射することが決まったのだと Pou が打ち明け、
それは LifeCare の患者だけか、と Mendez が問い、
そうではない、どこまで広がるかは分からない、と Pou。

Pou はさらに、LifeCare の患者の責任はメモリアルに移ったので、
LifeCar eの看護師は関わらず立ち去るように、と言い、Mendez はそれを
町に戒厳令が敷かれていて、Pou は軍の命令に従って行動しているのだと誤って解釈した。
(ただし、これは Mendez 証言。Pou はこの会話を否定している)

もう一人、7階の責任者 Robichaux も
他の LifeCare職員と共に Pou と協議をしたと証言している。
彼女の記憶では「安楽死」という言葉は出なかった。
「安楽に comfortable」という言葉はあった。

LifeCare の患者は「意識がないか低いか、どっちにしてもそういう人たち」だと Pou が言い、
Robichaux がそれは違う、と患者個々の状態を説明した。

今朝も朝食を持って行くとジョークを飛ばした61歳の男性患者 Everett氏は
380ポンドの巨漢で、11年前に脳卒中で四肢まひとなったが、
いつもユーモアのセンスがあり前向きだった。
腸の手術のために入院してきただけで DNR でもない。
今朝もめまいがする他は異常もなく、
「置いて行くと言われてもそうはさせないでくれ」と頼んでいた。

それを聞いた Pou が Oh, my goodness と答えたのを LifeCare職員が記憶している。
この会話にはメモリアルの看護師2名と LifeCare の看護師2名も加わり、最終的に
Everett は重すぎて下に運べないとの結論に達した。

(当時ボートやヘリへの患者割り当てを担当した職員は
自分たちには Everett の存在は知らされていなかった、
知っていたら、運び出す手はあったと証言している)

避難させられない事情を Everett 本人に説明に行くように
Pou に命じられたのは LifeCare の看護師の Gremillion だった。
午前11時、Gremillion が「自分には出来ない」と泣いているのを見た上司の看護師が
Robichaux に確認に行くと、「ウチの患者は避難しない。置いて行かれる」との答えだった。

Pou がモルヒネの瓶を沢山7階に持ってきた。
LifeCare の薬剤師がさらにモルヒネとミダゾラムを追加。
Pou と2人の看護師が薬液を注射器に吸い取るのが、
LifeCare の幹部職員 Kristy Johnson に目撃されている。
それから Johnson が3人を Everett のいる7307号室に案内。

医師があんなに緊張しているのを見たことはなかったと
その時の Pou について Johnson は後に証言している。
歩きながら「めまいを良くする」薬を打つのだと Pou は言い、
部屋に入ってドアを閉めた。

Johnson は7階を案内して歩きながら、Pou とメモリアルの看護師が注射をする間
患者の手を取り、お祈りをした。Pou は患者に「気分のよくなるお薬をあげますね」と言っていた。

Johnson はメモリアルの看護師一人を7305室に案内した。
その看護師が2人の高齢女性患者に注射し、Johnson はやはりお祈りをした。
Johnson が後に証言したところによると、その2人は意識があり容態も安定していた。

2階のロビーにも、カテゴリー3の患者がまだ残っていた。
お昼ごろ、Pou が注射器を手に現れ、その何人かに
「気分が良くなる薬を」と言っているのを聞いたと証言するのは King医師。
King ともう一人、病院内で話が出るたびに安楽死に反対し続けていた医師が
何が行われようとしているかを知り、この時、病院を去る。

2階には Pou を含め3人の医師と数人の看護師だけが残った。
カテゴリー3の患者は避難させないと Pou に聞かされた看護師の一人 Thiele は
みんなが立ち去った後で病院に黒人が武器を持って入ってきたら、
この人たちはどうなるのかと考えてゾッとしたという。
厳密にはこれは「犯罪」だとも知りながら、彼は自発的に手伝い、
窓際の4人の点滴にモルヒネなどを注入した。
 
ICUの看護師で倫理委のメンバーでもある Wynn は
安楽死が行われているとの噂を聞いてはいたが、
自分たちがやっていることは患者を楽にするための与薬だと考えていた。
あの時、スタッフにしてあげられることは「安楽と平穏と尊厳」だけだった、
「できるかぎりのことをしたんです。あの状況では正しいことだったのです」
また「あれが安楽死だったとしても、毎日の勤務でやっていないことでもありません。
ただ、別の名前で行われているだけで」と、Wynn は Fink へのインタビューで語っている。

注射されても死ななかった患者もいた。体格のいい黒人男性だった。
Thiele はモルヒネを追加し、手をとって早く死ねるように祈ったが死ななかった。
Wynn の記憶では、この男性は機械室の壁の穴から避難のヘリコプターへと運ばれていったという。
Thiele の記憶では、みんなでタオルで口をふさいで死なせた、という。

午後9時。
Cook医師が前日2階で死んでいると間違えた巨漢の Rodney Scott が
車いすのままヘリコプターに乗せられていった。生きて病院を出る最後の患者だった。
2010.10.25 / Top↑
Day 3  (8月31日 水曜日)

カトリーナの上陸から48時間。メモリアルの補助発電機が止まる。
7階ではバッテリー作動となった7人の呼吸器のモニターからアラームが鳴り響いた。
約30分後にメモリアルの看護師がやってきて、急いでヘリパッドまで連れてこいと告げる。
呼吸器をつけたまま患者はボランティアによって運ばれた。

80歳の男性患者に付き添った看護師は1時間近くアンビュー・バッグを押し続けた。
通りかかった医師に、もう手遅れだ、この患者に使う酸素はない、と告げられて中止。
看護師は患者を抱き、息を引き取る間、頭をなで続けた。

この頃、Pou医師も2階で看護婦と交代でアンビュー・バッグを押していた。

その朝、医師と看護師は、撤退を迅速化すべく
7階も含め残った100人以上の患者を階下に移し3つのグループに分けることを決定。

最初は、自力で起き上がったり歩いたりできる患者で、避難では最優先。
次のグループが、移動に助けが必要な患者。
最後が重症だったりDNR指定になっている患者のグループ。

このグループ分けに特に担当者は決まっていなかったが
Pou医師は看護師2人と一緒に率先してこの仕事を担った。
看護師がカルテを読み上げ、Pou医師が決めたカテゴリーを書いた紙が
患者の胸にテープで止められた。

Pouも同僚にもトリアージについて研修を受けた経験はなく、
9つあるトリアージのプロトコルのいずれかを用いたというわけでもなかった。
またトリアージの方法論そのものがいまだに確立されているわけでもない。

最初のグループの患者は救急の出入り口ランプに(エア・ボートが来ていた)
第2グループは2階の駐車棟へ続く機械室の壁穴の近くに集められた。
最後のグループは2階ロビーに。そこでおむつ交換や水分補給のケアは続けられたが
点滴や酸素は少なかった。

マットレスに病人を乗せて洪水の中を運んできたり、泳いできた怪我人も
治療はできないと追い返された。それに抗議する医師もいたが、幹部医師Cookは
外部の人間が病院に入り込んで、薬物や貴重品を略奪することを警戒したという。

Cook医師は肺疾患の専門医。07年12月のFinkのインタビューで、
この日、死なせる目的で患者へのモルヒネを投与したことを告白している。

患者が階下に移されたことを確認するため、
Cookは心臓病のある身で熱気のこもった階段を8階まで上がり、フロアを見回った。
ICUに体重が200キロほどもありそうな進行がんの女性患者(79)が残っていた。
安楽ケアのみを受けており、既にモルヒネで意識は落とされていた。

ここでCook医師が考えたことは3つ。

① 心臓病のある自分は2度とここには上がってこれない。
② 患者は重すぎて運べない。
③ この患者のためにICUに残っている4人の看護師は他で使える。

その患者自身は鎮静されて不快感を感じているわけではなかったが
Do you mind just increasing the morphine and giving her enough until she goes?
(亡くなるまでモルヒネを増量してくれないか?)と看護師に指示し、
Cookは時刻を白紙にしたままカルテに「死亡を宣告」と書き入れ、
サインしてから階下に降りた。

インタビューでは次のように語っている。
「後悔はありません。自分のしたことに気が差したこともありません。
投薬したのは早く片付けるためでした(get rid of her faster)。
看護師を他のフロアに行かせるためです。患者の死を早めたことに相違ありません」

当時、救助はなかなか進まず、患者は弱っていく一方だった。
Cookにとっては、患者の死を早めるか、見捨てていくかの絶望的な状況に思われたという。
「もしも置き去りにするのなら、死なせてやるのが人間的だろうという事態だった」

2階ではPou医師らが治療を指揮していた。
ICUの患者Rodney ScottがCookの目についた。
心臓疾患で何度も手術を受けた巨漢だ。自力歩行が出来ない。
300ポンドを超す巨体が壁の穴につっかえるかもしれないので
避難は最後にしようということになっていた。
汗にまみれ身動きもせず横たわっているので、
死んだのかと思ってCookが触ってみたら、寝返りを打ち、Cookの顔を見て
「私は大丈夫だから、先生、他の人を診てやって」と言った。

頭で考えてはいたが、こんなにたくさん人がいるところではできない、とCookは思った。

後にCookは「目撃者が多すぎるから、やらなかった。それが神に誓って真実だ」と
Finkへのインタビューで語っている。

Deichmann も他の医師からDNR患者の安楽死について意見を求められたことを
06年に出版した回想録に書いている。誰も安楽死させる必要はない、
DNR の患者を最後にしたにせよ全員が救助されるのだから、計画通りで、と答えたという。
(回想録に書かれた医師はその会話を否定している)

その晩、町の治安が悪化し、救助が難航しているとの噂が流れる。
2階では、ポータブル発電機の弱い明りの中、
医師も看護師もほとんど睡眠もとれないまま3日ぶっとおしの勤務を続けていた。
2010.10.25 / Top↑
Day 1 ( 2005年8月29日 月曜日)

カトリーナが迫りくるニューオリンズでも最も標高の低い地域に建つメモリアルには、
200人以上の患者と600人の職員を含む2000人近くが避難していた。

午前4:55、電気が断たれ、病院の補助発電機が作動。
医療機器のための発電であり、空調システムは機能を停止する。
しかし夜には町を浸した水も引き、メモリアルにも被害はあったものの
病院機能を維持したまま嵐を乗り切ったかに思えた。


Day 2 (8月30日 火曜日)

カトリーナが通過したばかりの朝、通りに濁った水があふれ出てきたのを見て、
幹部は病院閉鎖を検討する。

病院機能の命綱ともいえる緊急用の送電スイッチが
かろうじてグラウンド・レベルを上まわった高さにあり、
浸水すると病院機能が停止する恐れがあった。

病院の緊急時対応マニュアルは完全な停電まで想定しておらず、
医療スタッフのチーフは当時病院に不在だったため
医療部長の Richard Deichmann が医師らを率いた。

午後12:28、病院幹部が
同じTenet社系列のニューオリンズ外の病院にメールで助けを求め、
180人以上の患者をさせる必要があると訴える。

看護師の研修室が対策本部となり、
20数名いた医師の多くと看護責任者らが Diechmann の元に集まる。

NICの乳児、妊婦、ICUの重症者が最優先だとの意見はすぐに一致した。

それから Deichmann は、病院の災害時計画にはないことを提案した。
DNR(蘇生処置拒否)の患者の避難は最後にしてはどうかというのだ。

DNRは、患者の心臓や呼吸が停止した際に蘇生を不要とするものであり
「ターミナルで不可逆な」症状の患者に法的に認められるリビング・ウィルによって
あらかじめ生命維持措置の差し控えまたは中止を希望することとは異なる。

しかし Deichmann が Fink に語ったところでは、
最悪の場合にもDNRの患者は失うものが最も少ないのだから
最後にするべきだと考えたのだという。

もっとも医師らは、この時の決定をそれほど重視していたわけではなかった。
数時間の内には救助が来て全員が無事に避難できると誰も疑っていなかったからだ。

しかし、実はこの時、協議から漏れている人たちがいた。

数年前からメモリアルの7階はLifeCare Hospital of New Orleansにリースされており、
長期的に24時間介護と集中医療を要する重症患者のフロアとなっている。
Life Careは呼吸器をつけた患者のリハビリテーションに力を入れ、
呼吸器外しや在宅復帰に取り組んできた。ホスピスではない。

高齢患者や重症障害のある患者も死なせない独自の方針を貫いている。
これについては以前から医師の間で議論があり、
「望みのない患者に資源の無駄遣いだ」との批判もあった。

82床で、独立した運営体制で独自に看護師、薬剤師を雇っているが
医師の多くはメモリアルとの兼務。

当時入院していた52人の多くは寝たきりで7人が呼吸器依存。
停電すれば命が危ういが、Deichmann が招集した会議で
7階のLifeCareの患者の避難は話題にならなかった。

午後になり、病院に隣接する駐車棟8階屋上にコースト・ガードの救援ヘリが到着。
まず病院8階のICUから患者が車椅子で2階に下ろされ(動いていたエレベーターは1基)
ストレッチャーに乗せ換えた上で、機械室の壁に開けた穴から駐車棟へ移動。
そこから駐車棟屋上の8階へと運ばれていった。

当初、7階のLifeCareのスタッフは
自分たちの患者も退避計画に含まれていると安心していたが、
テキサスのLifeCare本部と連絡を取ると、
LifeCareの患者を一緒に避難させてもらうには
メモリアルの運営母体Tenetの了解が必要とわかる。その交渉が難航した。
(Tenetの方ではLifeCareが退避の申し出を何度も断ったと証言している)

暗くなる頃には、メモリアルが最優先と決めた患者全員が避難を完了。
メモリアルの患者は187人から130人に減った。

LifeCareには依然として52人。
「Tenetと電話している。朝にはうちの患者も」と本部からのメールが残っている。
2010.10.25 / Top↑
この疑惑に関する05年当時のCNNニュースを翻訳紹介してくださっている方のブログ記事。

カトリーナ直撃の病院で重症患者に安楽死?2005.10.13(2006/9/23)
ニューオリンズから、アメリカを学ぶ


当時、私は英語ニュースをチェックし始めたばかりで、
まだ今のような明確な問題意識を持っていない頃だったので、
Pou医師について、最後まで残って患者を思いやった素晴らしい医師だと捉えたまま
「介護保険情報」で連載記事を書きました。(いま読み返してみると忸怩……)

調査報道を守ろうと奮闘している貴重なネットメディアとして
当ブログでも何度か記事を紹介したProPublicaが、去年、
このメモリアル病院の事件を詳細に調査して以下の記事を書いた時、

メモリアル病院では1つのフロアだけが外部の会社に貸し出されており
7階が日本でいうところの「療養型病床」とか「回復期病棟」に当たるものだったことが、
この事件では大きな要因であったらしいことに特に大きな興味をひかれつつ、
余りにも長大な記事だったので、ひるんだままになっていました。

すると、今年に入ってProPublicaがこの記事でピューリッツァ賞を受賞。

たまたま先日、安楽死のシンポに行って、
やはり何かを論じるには、まず基本的な事実関係をきちんと知ることが
なにより大事だと痛感してきたこともあって、

(このシンポで、あの射水の呼吸器外し事件が
安楽死正当化の資料として使われていたのには、ちょっと唖然としたし)

「心やさしい医師が極限状態の中、患者の苦しみを見かねて安楽死させた」と
つい単純化して捉えてしまいがちなメモリアル病院の事件の事実関係を
この長大な記事「メモリアルでの死の選択」から取りまとめてみることにしました。

Deadly Choices : Memorial Medical Center After Katrina
ProPublica, August 27, 2009


まず事件の概要を。

ハリケーン・カトリーナ襲来時、ニューオリンズのメモリアル病院では
電気も水道も断たれ、院内の温度は40度を超える過酷な状況下にあった。

しかし、事後、
メモリアルの臨時遺体安置所から引き上げられた遺体の数は45。
ニューオリンズの同じ規模の病院と比べると、突出して多かった。

1年後、4人の患者の死に関連してAnna Pou医師と看護師2人が逮捕される。
しかし頸部癌を専門にする外科医、Pou医師(事件当時49歳)は、
自分は患者が苦しみ続けないように help しただけだと主張、
陪審員は起訴しなかった。

その後Pou医師は、災害、テロ、パンデミックなど緊急時の医療職の行為は
民事訴訟の対象から外され、守られるべきだと訴え、実際にルイジアナ州では
Pou医師も直接かかわって、そうした法律が制定されてきた。

また、同医師は、災害時にはインフォームドコンセントはとれないとし、
医師は蘇生不可(DNR)の患者と最も重症度の高い患者の避難を最後に回すべきだ
とも主張している。



しかし、あの数日間に、世の中から孤絶したメモリアル病院では何があったのか、
その詳細は今だに明らかにされていない。

記事の著者 Sheri Finkは、以前は非公開だった記録を入手するとともに
メモリアルでの出来事やその後の調査に関わった何十人もにインタビューを行い、
それによって、何が起こったかを検証する作業を重ねてきた。

そこで明らかになったのは、
致死薬の注射の判断には3人以外の医療職も関わっていたこと。
注射されたのは、これまで思われていた以上の人数の患者で、

モルヒネまたは鎮静薬またはその両方を、本格的な避難が始まった後になって、
注射された患者が少なくとも17人いた可能性。

その中には、あの状況下では助からなかった可能性のある極めて重症の患者もいたが、
注射時に死に瀕していたわけではない患者も含まれていた。

Finkは昨年、Pou医師の自身にもインタビューを行っている。
ただしPou医師は個々の患者について語ることを拒否。
カトリーナに関連した自らの講演にもジャーナリストらの出席を認めず、
裁判所に対して、この事件の5万ページにも及ぶ調査報告書の公開差し止めを求めている。
2010.10.25 / Top↑
NZの介護者支援議論で、家族介護者の交通機関利用は無料に、という声が出ている。
http://www.stuff.co.nz/manawatu-standard/news/4267298/Carers-should-get-free-ticketa

英国Backinghamshireには約44000人の介護者がおり、そのうち約500人が5歳から18歳の若年介護者。:日本でもそろそろ調査くらいはやった方がいいのでは?
http://www.mix96.co.uk/news/review.php?article=299108

大ウツ病に遺伝子治療がたいそう有望なんだと。
http://www.medicalnewstoday.com/articles/205509.php

癌たんぱくの解明が進んで、いろいろな癌のワクチンが有望になってきた。:それが全部できたら、理想的には全身の臓器の数だけ癌予防ワクチンを打つことになるの????
http://www.medicalnewstoday.com/articles/205453.php

CYなんとかっていう遺伝子が個々のアルコール感受性に関係しているらしい。:ってことは、将来的にアル中も遺伝子治療で……?
http://www.medicalnewstoday.com/articles/205224.php

サブ・サハラ地域でマラリアの感染の媒体となっていた蚊には2つの系統があったのだけど、遺伝的に進化を遂げ、今や全く別の種となったらしい。:前にNHKで立花隆が世界中の癌研究の最前線を歩く番組で、治療の方が進めば、癌の方もそれに負けじと進化しているという話があったのを思い出した。
http://www.medicalnewstoday.com/articles/205599.php

地震後の復興ままならぬハイチでコレラが流行。
http://www.nytimes.com/2010/10/23/world/americas/23cholera.html?_r=1&th&emc=t
2010.10.25 / Top↑
以下の「作業療法研究室」というブログによると、
10月27日は「世界作業療法の日」なんだそうだ。

http://blogs.yahoo.co.jp/editorasiajot/32495371.html

娘を通じて様々な医療の職種の人たちと出会ってきた中で、
OTさんは医療の中で患者の“生活”に最も近い職種の1つだと私は感じていて、

娘の施設でも、もちろん個々人のキャラはあるとしても、
リハ職の人たちが活躍できて存在感が大きくなっている時というのが
そこで暮らしている入所者の生活が最も生き生きと営まれていて、
そこで働いている多職種の人たちの連携も関係も一番上手くいっている状態という気がする。

(もうここ数年、それを制度が一番邪魔していることにムカついてならない)

昔、ほんのちょっとの間
各領域で活躍しているOTさんを取材して紹介するシリーズを
「OTジャーナル」でやらせてもらったことがあって、その仕事でも、
やはりOTさんの視点が医療の中にあるということは大きいと感じたし、
地域と医療を繋げるポテンシャルの大きさも毎回、痛感した。

そんなこんなで、OTさんをはじめセラピストの役割が
もっと認知・活用されてほしいと常々願っている。

早い時期からちゃんとポジショニングしてもらえるかどうかで、
その後の身体の変形はずいぶん違うと思うのだけど、
小規模のディだとOTさんの関わりがないまま、
重症者がただバギーに座らされていたりする。

次の介護保険の改定で訪問リハの推進が論点になっているらしいので、
もっと地域に出ていけるように制度整備がどんどんされていくといいと思う。

「介護保険情報」10月号の特集「訪問リハを推進するために」の
日本作業療法士協会会長、中村春基氏のインタビュー
「地域に5割の作業療法士を配置し訪問リハなどを推進」によると、
訪問リハに従事しているOT協会の会員は1838人。
全会員数から休業者を引くと訪問リハに従事しているのは5%。

日本作業療法士協会は08年から「作業療法5カ年計画」を展開し
拠点整備と人材育成を通じて地域に作業療法士を配置する計画を進めているとのこと。

中村氏は、病院に5割、地域に5割という配置を目指すとして、以下のように語っている。

地域にはいろいろな方がいます。難病、うつ、発達障害、高齢者など。そうした中にあって、リハを行う作業療法士が介護保険と医療保険にとどまらず、障害を持っているすべての方にサービスを提供することを考えています。

……(中略)……

作業療法士は日常生活上の様々な障害に対してアプローチしますので、訪問リハのように身近なところにいることはとても重要です。

「介護保険情報」2010年10月号 p.13




また同じ特集の中のインタビュー
「地域での暮らしを支えるために言語聴覚士の活用を」で
日本言語聴覚士協会・副会長の長谷川賢一氏と理事の山口勝也氏が
失語症などコミュニケーションや嚥下障害の問題を抱える人への支援に
STが関わることのポテンシャルについて語っている。

例えば

摂食・嚥下障害については、終末期の方へのアプローチも大切であると痛感しています。状態が悪化していく中でも、安全で楽しみとなる食事ができるように、食事の形態や解除方法などの工夫を具体的にアドバイスできるのがSTです。

「介護保険情報」2010年10月号 P.17



この前のシンポでもそうだったのだけど、
安楽死や終末期医療の問題を議論する人の多くは、
なぜか在宅医療・訪問看護やリハ、介護にあまり興味を示さないように感じるのは
私の気のせいなんだろうか。

病院死と、医師にできること・できないことだけを念頭に
「苦痛がある」とか「ない」とかが議論され「安楽死の是非」が語られていくような気がする。
「口から食べられなくなったら死」についても同じ。

安楽死の是非を語る前に、
もっと興味を持つべきこと、知るべきこと、考えてみるべきこと、
まだまだいっぱいあると思うのだけど――。


関連エントリーとして、
以下のワークショップも、カナダ・アルベルタ大学の作業療法学科から。

「認知症の人の痛みに気付く」ワークショップ(2009/9/9)

こういう視点すらないまま痛みがあるなしを語り安楽死を語るより、
まずは謙虚に、こういう視点や姿勢から学ぶことを始めるべきでは? と私は思うのですが。
2010.10.25 / Top↑