(前のエントリーからの続きです)
② 食べ物として誰かのために誰も死ななくても良い世界は
これも、誰も動物を食べないことにしましょう、と決めることで実現できる。
人間がいっさい動物を食べてはいけない世界を作って種差別を解消しようと
主張することは可能なはず。
皆で合意して、種差別をしないために
世界中みんな納豆や豆腐を食べましょう、というなら、
私は、まぁ、それでもいいよ。
でも、それはできんわ、ということで
食べ物として誰かのために誰かが死ななければならない世界を前提に
その世界において、人間は特別ではないとしたら、どうなるのだろう?
上の実験動物での論理を、この問いにそっくり当てはめて、
予測されているように人類の将来に深刻な食糧不足が訪れた時には、
人間と動物が生きるために、一部の人間は人間にも動物にも食べられてもよい、と
主張しなければならないことになるのでは?
じゃぁ、シンガーは
「中絶胎児や障害新生児や脳死者を食べましょう」と
その場合には言うのだろうか?
「ゴリラにも食べてもらいましょう」って?
そう言わないと一貫性がないことになると思うんだけど
ただ、そうすると、イワシはイワシを食べない、
ライオンはライオンを食べない、けど、
人間は人間を食べることになって、やっぱり人間が特別になってしまう?
……てなことを考えて
「われわれはこうして豚を殺して食べているが、
なぜ人間にはそれが許されているのか、なぜ人間は特別なのか」という問いに対して、
「特別でないとすると、人間の角煮を食べなければならないことになるから。
それは、私は嫌だから」と答えるのは? ダメダメ?
まぁ、誰も私に問うたわけではないし、
立岩先生が「よい読み手ではないから」というなら
私は「もともと何も知らない、ただの素人だから」と言うしかないから、
最初から無知なオバサンのザレ言なんだけど。
ザレ言ついでに、もう1つ、ここまで書きながら考えたこと。
我々が素ッ裸の未開の人間として、動物と一緒にサバンナのど真ん中で(関東平野でもいいけど)
これから何らかのシステムを1から作り上げようとしているのならともかく、
既に複雑・高度に出来上がってしまった社会システムの中に、
人間も動物も囚われてしまっていて、我々がその中で生きている現実は変えられないのに、
我々を取り囲むそういう世界とか社会システムとは無縁に、その問いが
ただ抽象的な種としての人間と抽象的な種としての動物について問えるものなんだろうか。
種差別を解消するために我々にできることがあるとしたら、それは、せいぜい
我々の社会システムが人間だけに都合のよいように出来上がっているのは事実だから、
人間だけに都合よくできているそのシステムを、
動物にも都合のよいシステムへと修正することくらいじゃないんだろうか。
人間を特別だとする前提で出来上がっている社会システムから
誰も逃れることなどできないのに、あたかも、そこから逃れ出ることができたり、
人間と動物がそういう環境とは無縁に存在できるかのようなフリをして
人間は特別ではないと主張することで、
そこから導き出される結論が、
だからシステムを見直して、動物にも生きやすい社会システムに、という方向に向かうのではなく
だから一部の人間だけをそのシステムから(特にその一部である医療から)弾き出そうという方向に
向かっていくというのは、やっぱり、どこかが、おかしくない?
それ、ゲイツ財団の私設WHOと言われるIHMEが
「健康で5年生きる」のと「重症障害を負って15年生きる」のとどっちがいい?って、
本当は誰にも選べないことを、あたかも選べるかのようなフリをして問うて、
その答えを何らかの施策を正当化する論拠に使おうとするのと
どこか似通ったマヤカシがあるような気がする。
ちがうかなぁ。
これ、けっこう、健全なフツー人の感覚だと思うんだけどなぁ。
② 食べ物として誰かのために誰も死ななくても良い世界は
これも、誰も動物を食べないことにしましょう、と決めることで実現できる。
人間がいっさい動物を食べてはいけない世界を作って種差別を解消しようと
主張することは可能なはず。
皆で合意して、種差別をしないために
世界中みんな納豆や豆腐を食べましょう、というなら、
私は、まぁ、それでもいいよ。
でも、それはできんわ、ということで
食べ物として誰かのために誰かが死ななければならない世界を前提に
その世界において、人間は特別ではないとしたら、どうなるのだろう?
上の実験動物での論理を、この問いにそっくり当てはめて、
予測されているように人類の将来に深刻な食糧不足が訪れた時には、
人間と動物が生きるために、一部の人間は人間にも動物にも食べられてもよい、と
主張しなければならないことになるのでは?
じゃぁ、シンガーは
「中絶胎児や障害新生児や脳死者を食べましょう」と
その場合には言うのだろうか?
「ゴリラにも食べてもらいましょう」って?
そう言わないと一貫性がないことになると思うんだけど
ただ、そうすると、イワシはイワシを食べない、
ライオンはライオンを食べない、けど、
人間は人間を食べることになって、やっぱり人間が特別になってしまう?
……てなことを考えて
「われわれはこうして豚を殺して食べているが、
なぜ人間にはそれが許されているのか、なぜ人間は特別なのか」という問いに対して、
「特別でないとすると、人間の角煮を食べなければならないことになるから。
それは、私は嫌だから」と答えるのは? ダメダメ?
まぁ、誰も私に問うたわけではないし、
立岩先生が「よい読み手ではないから」というなら
私は「もともと何も知らない、ただの素人だから」と言うしかないから、
最初から無知なオバサンのザレ言なんだけど。
ザレ言ついでに、もう1つ、ここまで書きながら考えたこと。
我々が素ッ裸の未開の人間として、動物と一緒にサバンナのど真ん中で(関東平野でもいいけど)
これから何らかのシステムを1から作り上げようとしているのならともかく、
既に複雑・高度に出来上がってしまった社会システムの中に、
人間も動物も囚われてしまっていて、我々がその中で生きている現実は変えられないのに、
我々を取り囲むそういう世界とか社会システムとは無縁に、その問いが
ただ抽象的な種としての人間と抽象的な種としての動物について問えるものなんだろうか。
種差別を解消するために我々にできることがあるとしたら、それは、せいぜい
我々の社会システムが人間だけに都合のよいように出来上がっているのは事実だから、
人間だけに都合よくできているそのシステムを、
動物にも都合のよいシステムへと修正することくらいじゃないんだろうか。
人間を特別だとする前提で出来上がっている社会システムから
誰も逃れることなどできないのに、あたかも、そこから逃れ出ることができたり、
人間と動物がそういう環境とは無縁に存在できるかのようなフリをして
人間は特別ではないと主張することで、
そこから導き出される結論が、
だからシステムを見直して、動物にも生きやすい社会システムに、という方向に向かうのではなく
だから一部の人間だけをそのシステムから(特にその一部である医療から)弾き出そうという方向に
向かっていくというのは、やっぱり、どこかが、おかしくない?
それ、ゲイツ財団の私設WHOと言われるIHMEが
「健康で5年生きる」のと「重症障害を負って15年生きる」のとどっちがいい?って、
本当は誰にも選べないことを、あたかも選べるかのようなフリをして問うて、
その答えを何らかの施策を正当化する論拠に使おうとするのと
どこか似通ったマヤカシがあるような気がする。
ちがうかなぁ。
これ、けっこう、健全なフツー人の感覚だと思うんだけどなぁ。
2010.10.07 / Top↑
(前のエントリーの続き)
① 実験動物として誰も殺されなくてもよい世界なら、
実験をやめることでできる。
そのかわり科学とテクノの進歩も止まる。
でも、それはそれでいい、そういう世界にしよう、それで種差別を回避しようと
主張することは論理的には可能。
(コンピューター上にマウスや人間のDNAを再現して、
それで動物実験を減らすという話も聞くけど、
それが実際に生体での実験と同じであるという保証もない。)
一方、誰かがどうしても実験のために死ななければならない世界を前提にして、
人間はなんら特別ではなく動物と違わないと決め種差別を禁じるとしたら、
マウスやチンパンジーの代わりに人間が実験に供されてもよいと認めることになる。
実際、植物状態の人を人間のブリーディング・タンクとして使おうと提案した倫理学者はいるし、
胚や中絶胎児は既に実験に供されている。
種差別を否定して人間も動物も一緒だとしたうえで、
知的機能や意識のあり方による序列を設けるという
シンガーやトランスヒューマニストの考え方でいけば、
(無知でスミマセン。私の知識はほとんどA事件つながりなので、
クーゼなんて人は名前すら知らず、センティエントがどうだこうだと言うのが大好きな
TH二ストさんたちの方がSingerに近い感じになってしまうので。)
頭の良いチンパンジーの“パンくん”や、その仲間を実験に使うよりも
脳死者、中絶胎児(なるべく生かして?)、障害新生児、
植物状態や最小意識状態の人、重症障害児・者、認知症患者の方を使いましょう、と
主張されることになる。
もともと人間のための研究を行うには人間で実験できるのが理想的なわけだし。
それだけ殺される動物も減る。
(で、すべての研究が人間のために行われるのは種差別ではない?)
シンガーは「脳死者を実験利用しよう」と、なぜ言わないんだろう?
(私はモノを知らないので、もし言っていたら、スミマセンが教えてください。)
この問題に限らないけど、
ある主張をもっともらしく見せるために
都合の悪いことは見えないままに止め置いて
都合のよいことだけを引っ張ってきてみせるという芸当を
たいていの人間よりもはるかに頭が切れて弁の立つ人間がやってみせれば、
たいていの人は、その人のペースに飲まれ、
ただ、相手がいうことについていってしまう。
すると、ないものは、それがないこと自体が見えにくくなって、
そこには、ないものがあるということも、
なぜ、それがないのか、ということも、気付かれないスル―状態になる。
(これは、Ashley事件で Diekema が散々使ったヤリクチ)
よく知りもしないことでも、権威をカサに着て堂々と語れば
世の中の人はたいてい、その人は知って言っているのだと思いこむのと同じように。
(長くてスミマセン。さらに次のエントリーに続きます。次で終わり)
① 実験動物として誰も殺されなくてもよい世界なら、
実験をやめることでできる。
そのかわり科学とテクノの進歩も止まる。
でも、それはそれでいい、そういう世界にしよう、それで種差別を回避しようと
主張することは論理的には可能。
(コンピューター上にマウスや人間のDNAを再現して、
それで動物実験を減らすという話も聞くけど、
それが実際に生体での実験と同じであるという保証もない。)
一方、誰かがどうしても実験のために死ななければならない世界を前提にして、
人間はなんら特別ではなく動物と違わないと決め種差別を禁じるとしたら、
マウスやチンパンジーの代わりに人間が実験に供されてもよいと認めることになる。
実際、植物状態の人を人間のブリーディング・タンクとして使おうと提案した倫理学者はいるし、
胚や中絶胎児は既に実験に供されている。
種差別を否定して人間も動物も一緒だとしたうえで、
知的機能や意識のあり方による序列を設けるという
シンガーやトランスヒューマニストの考え方でいけば、
(無知でスミマセン。私の知識はほとんどA事件つながりなので、
クーゼなんて人は名前すら知らず、センティエントがどうだこうだと言うのが大好きな
TH二ストさんたちの方がSingerに近い感じになってしまうので。)
頭の良いチンパンジーの“パンくん”や、その仲間を実験に使うよりも
脳死者、中絶胎児(なるべく生かして?)、障害新生児、
植物状態や最小意識状態の人、重症障害児・者、認知症患者の方を使いましょう、と
主張されることになる。
もともと人間のための研究を行うには人間で実験できるのが理想的なわけだし。
それだけ殺される動物も減る。
(で、すべての研究が人間のために行われるのは種差別ではない?)
シンガーは「脳死者を実験利用しよう」と、なぜ言わないんだろう?
(私はモノを知らないので、もし言っていたら、スミマセンが教えてください。)
この問題に限らないけど、
ある主張をもっともらしく見せるために
都合の悪いことは見えないままに止め置いて
都合のよいことだけを引っ張ってきてみせるという芸当を
たいていの人間よりもはるかに頭が切れて弁の立つ人間がやってみせれば、
たいていの人は、その人のペースに飲まれ、
ただ、相手がいうことについていってしまう。
すると、ないものは、それがないこと自体が見えにくくなって、
そこには、ないものがあるということも、
なぜ、それがないのか、ということも、気付かれないスル―状態になる。
(これは、Ashley事件で Diekema が散々使ったヤリクチ)
よく知りもしないことでも、権威をカサに着て堂々と語れば
世の中の人はたいてい、その人は知って言っているのだと思いこむのと同じように。
(長くてスミマセン。さらに次のエントリーに続きます。次で終わり)
2010.10.07 / Top↑
以下、立命館大学の立岩真也氏のつい最近の文章。
http://www.arsvi.com/ts2000/20100038.htm
実は、たまたま、この場に居合わせて、このやりとりを聞いてしまった。
江口氏が目の前の豚の角煮を指差して、
「人間はホラ、こうして豚を食べる。では、なぜ人間は豚を殺して食べてもいいのか。
人間を動物とは違う特別な存在にする根拠は何か?」と迫り、
Singerの考えは部分的には支持できるという立場の堀田義太郎氏が
基本的にシンガーが考えていることというのは、
(動物・人間含めて)殺されるものを総体としては減らし
生きられるものを増やそうと意図したものだと補足解説をし、
立岩氏が、どこかで既に書いた答えとして
とりあえず「人間は人間から生まれるから」としておこうと回答し、
トートロジーにならない答えはあるのだろうか……などと
いろいろ、やり取りが続く中で、
じゃぁ、黒人は黒人から生まれ白人は白人から生まれるんだから
黒人と白人の違いは、人間と豚の違いと同じなのか違うのか、と江口氏が畳みかけ、
そこで有馬斉という若手の研究者氏が、
ちょっとすごい(と私は思った)ことを思いつき、
黒人と白人は性交してハーフが生まれるが、
人間と豚は性交してもハーフは生まれないから
黒人と白人の違いは、人間と豚の違いとは違うんではないか、とか
あ、でも今ならキメラ胚とかできるけど(これは堀田氏)とかなんとか
正直、なにそれワケわかんないからどーでもいいわアタシ状態だったけど、
そんなものを、よく分からないままであれなんであれ、ともかく聞いてしまった。
その場でもその後にも自分で考えるつもりは毛頭なかったのだけれど、
なぜだろう、なぜか、今日ふと、頭に浮かんでしまった。
人間は人間を食べないから……?
でも、それを言ったらサルだってサルを食べない。
イワシもイワシ同士は食べない。たぶん
ライオンもライオン同士、食べないんじゃないかな。たぶん。
それなら、ライオンから見れば、
ライオン以外の動物は人間も含めて食べ物だけど、
ライオンだけは食べ物ではないという意味で
ライオンにとっては人間なんか特別でも何でもなくてライオンだけが特別なわけだから、
人間は人間を食べないから、
人間にとっては人間が特別だ、というのでは……?
これは、ただ、江口先生が何度も豚の角煮を指差した手つきからの
単純な連想にすぎないのだけど、いったん頭に浮かんでしまったら、
そこから、あれこれ金魚のウンチ的に連想が働いて、
人間は特別で動物とは違うのか、と問う時は、
それは誰かのために誰も死ななくてもよい世界も認める前提に立って問うのと、
どうしても誰かのために誰かが殺されなければならない世界を前提に問うのとでは
話が違うんでは……?
だって、人間は特別じゃない、動物と違わないと主張することで
殺されるものを総体としてより少なく、生きられるものをより多くしようというなら、
いっそ人間も動物も誰も殺されないでいいことにすればいいだけでは……?
(これは、実はあの酒の席で、ちょろっと頭に浮かんだこと。すぐ消えたけど)
で、誰かが誰かのために殺されなければならない理由を、
「実験動物として」と「食物として」と2つ考えてみた。
(次のエントリーに続く)
http://www.arsvi.com/ts2000/20100038.htm
実は、たまたま、この場に居合わせて、このやりとりを聞いてしまった。
江口氏が目の前の豚の角煮を指差して、
「人間はホラ、こうして豚を食べる。では、なぜ人間は豚を殺して食べてもいいのか。
人間を動物とは違う特別な存在にする根拠は何か?」と迫り、
Singerの考えは部分的には支持できるという立場の堀田義太郎氏が
基本的にシンガーが考えていることというのは、
(動物・人間含めて)殺されるものを総体としては減らし
生きられるものを増やそうと意図したものだと補足解説をし、
立岩氏が、どこかで既に書いた答えとして
とりあえず「人間は人間から生まれるから」としておこうと回答し、
トートロジーにならない答えはあるのだろうか……などと
いろいろ、やり取りが続く中で、
じゃぁ、黒人は黒人から生まれ白人は白人から生まれるんだから
黒人と白人の違いは、人間と豚の違いと同じなのか違うのか、と江口氏が畳みかけ、
そこで有馬斉という若手の研究者氏が、
ちょっとすごい(と私は思った)ことを思いつき、
黒人と白人は性交してハーフが生まれるが、
人間と豚は性交してもハーフは生まれないから
黒人と白人の違いは、人間と豚の違いとは違うんではないか、とか
あ、でも今ならキメラ胚とかできるけど(これは堀田氏)とかなんとか
正直、なにそれワケわかんないからどーでもいいわアタシ状態だったけど、
そんなものを、よく分からないままであれなんであれ、ともかく聞いてしまった。
その場でもその後にも自分で考えるつもりは毛頭なかったのだけれど、
なぜだろう、なぜか、今日ふと、頭に浮かんでしまった。
人間は人間を食べないから……?
でも、それを言ったらサルだってサルを食べない。
イワシもイワシ同士は食べない。たぶん
ライオンもライオン同士、食べないんじゃないかな。たぶん。
それなら、ライオンから見れば、
ライオン以外の動物は人間も含めて食べ物だけど、
ライオンだけは食べ物ではないという意味で
ライオンにとっては人間なんか特別でも何でもなくてライオンだけが特別なわけだから、
人間は人間を食べないから、
人間にとっては人間が特別だ、というのでは……?
これは、ただ、江口先生が何度も豚の角煮を指差した手つきからの
単純な連想にすぎないのだけど、いったん頭に浮かんでしまったら、
そこから、あれこれ金魚のウンチ的に連想が働いて、
人間は特別で動物とは違うのか、と問う時は、
それは誰かのために誰も死ななくてもよい世界も認める前提に立って問うのと、
どうしても誰かのために誰かが殺されなければならない世界を前提に問うのとでは
話が違うんでは……?
だって、人間は特別じゃない、動物と違わないと主張することで
殺されるものを総体としてより少なく、生きられるものをより多くしようというなら、
いっそ人間も動物も誰も殺されないでいいことにすればいいだけでは……?
(これは、実はあの酒の席で、ちょろっと頭に浮かんだこと。すぐ消えたけど)
で、誰かが誰かのために殺されなければならない理由を、
「実験動物として」と「食物として」と2つ考えてみた。
(次のエントリーに続く)
2010.10.07 / Top↑
| Home |