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米国で42歳の女性が20年間凍結していた胚を使って妊娠、健康な赤ちゃんを出産したそうな。:できるからといって、何でもやってもいいのか?
http://www.medicalnewstoday.com/articles/204658.php

オーストラリアの介護者週間
http://www.westernweekender.com.au/index.php?option=com_content&task=view&id=2218&Itemid=50

ネブラスカ州で、8月に自分と恋人の自殺用に致死薬のカクテルを作ったとして、34歳の女性Jennifer Petersさんが自殺幇助の罪に問われている。二人は実際にそれを飲んだらしく、不信を感じた親戚が2人が住んでいた家で発見し病院に運んだが、 Kyle Adamsさんの方は死亡。Petersさんは地域の病院で蘇生し、大きな病院に運ばれたとのこと。:この事件で使われた薬の名前は出ていないので、必ずしもこの事件についての疑問ではないのですが、それにしても、英米ではどうしてこんなに簡単に“致死薬”が手に入るのかが、私はずっと不思議。尊厳死法で患者に渡された致死薬のトラッキングについても。
http://www.omaha.com/article/20101013/NEWS97/710139904/1031464

世界中で体重が足りていない子どもの42%はインドにいる。:それでも新興経済大国。
http://www.medicalnewstoday.com/articles/204492.php

そのインド一のお金持ちMukesh Ambani氏がこれまでで世界で一番高価な家を立てたそうな。27階建て。資産価値180億ポンド。:なんてバカバカしいお金の使い方なんだろう。
http://www.guardian.co.uk/world/2010/oct/13/mukesh-ambani-india-home-mumbai?CMP=EMCGT_141010&

重症の転換と精神遅滞の原因となる遺伝子変異が分かったそうな。
http://www.medicalnewstoday.com/articles/204443.php

女性用バイアグラを開発していたドイツの製薬会社が、FDAに安全性と効果を疑問視されて諦めた。
http://www.medicalnewstoday.com/articles/204379.php

スコットランドで親族の誰かの子どもの面倒を見ている人が増えているが、養子を引き受けている人は対象になる子ども手当から、そういう人たちが外れているのはおかしい、と。
http://www.thecourier.co.uk/News/National/article/6243/scotland-s-kinship-carers-on-the-rise-but-lack-of-support-is-felt.html

米FDAがキレーション療法取り締まりへ。
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2010/10/15/AR2010101500002.html?wpisrc=nl_cuzhead

英国政府機関の急激な統廃合に、予算削減が却って経費増大につながるとの懸念。
http://www.guardian.co.uk/politics/2010/oct/14/quangos-cut-health-justice-consumer?CMP=EMCGT_151010&
2010.10.15 / Top↑
以下は2010年7月号の「介護保険情報」誌に
英国NHSの介護者支援サイト Cares Directについて書いたものです。


英国NHSの介護者支援サイトCares Direct

先月7日、介護者の権利擁護を進める「ケアラー連盟」が日本で誕生した。これまで介護者が「人権」という文脈に乗せられることは日本では少なかったが、ついに「介護者の人権」を求める声が上がった。英語圏の介護者支援については、これまでも何度か紹介してきたが、これを機に、今回は英国のNHS(国民医療サービス)がウェブ上に開設している介護者支援サービスCarers Directを覗いてみたい。

Carers Directのトップページは「ケアホーム情報」「介護を始めたばかりの人」「お金と法律」「介護ガイド」「若年介護者」「介護者の福祉」「仕事・勉強との両立」「介護者の体験談」「介護者手当て」「介護者アセスメント」の10テーマに分かれている。また地域ごとにサービス情報を検索する機能、関連サイトへのリンクも用意されている。

初めてこのサイトを訪れた人や介護を始めたばかりの人にお勧めなのは、ページ右下にある「誰かの介護をしていますか?」と題したQ&Aコーナーだろう。

以下の6つの質問に順次答えていくと、その人に応じたアドバイスと共に、サイト内のどの情報が参考になるか、どんな支援が使えるかを教えてくれる。6つの質問からはNHSの介護者支援が何を重視しているかが伺えて、たいへん興味深い。

① 介護者として必要な情報が手元にあり、必要な情報をどこで手に入れたらよいか知っていますか。

②介護ができにくい身体的不調がありますか。

③介護のために夜眠れなかったり、孤独を感じたり、自分には無理だと感じることがありますか。

④何があれば介護がしやすくなりますか。(経済的サポートや住宅改造、移動支援など6つのチェックリスト)

⑤介護から離れて介護者役割を休む時間はとれていますか。

⑥介護以外のところで生活上の困難を感じていますか。(通学、仕事、健康、自分の時間など6つのチェックリスト)

また個々の相談を受ける「ヘルプライン」も用意されている。直通電話相談は月曜日から金曜日は午前8時から午後9時まで、週末は午前11時から午後4時までで、英国内なら設置電話からでも携帯電話からでも無料。電話の他にもメールや手紙での相談も受け付ける。

相談窓口なので直接の支援を行う訳ではないが、相談者のニーズに応じた情報を提供したり、サービス受給に問題が生じている場合には不服申し立ての手続きを手ほどきしたり、自治体やNHSの担当者に繋ぐこともある。また、必要に応じて各種専門家も紹介する。

外国人、障害者向け電話通訳・翻訳サービス

 この介護者相談電話、特に目を引かれるのは、外国語にも聴覚・言語障害者にも対応ができていることだ。もっとも、ヘルプラインが独自に用意したものではなく、既に普及・定着した民間サービスが、民間企業はもちろんのことNHSを始めとする官による行政サービスにも導入されているということのようだ。

 Language Lineのサービスでは、加入すると通訳を入れ3方向の会話が可能となる。対応言語は170以上。25年も前から各種機関の行政サービスと契約しているというから驚く。

 聴覚・言語障害者向け電話通訳・翻訳サービスは、80年代に王立全国聴覚障害者協会が始めた取り組み。その後、同協会と英国の通信大手ブリティッシュ・テレコムがそれぞれ提供していたサービスが去年3月に統合されてTextRelayとなった。通常の電話番号の前に専用番号を入力するとオペレーターが介入し、キーボードのついた文字電話(現在はPCの転用も可)と通常の電話の間で、文字から音声へ、音声から文字へと通訳する。あらかじめの手続きも予約も不要。無料サービスで、通訳により通常よりもかかった時間分の料金も払い戻しを受けられる。

 こうしたサービスが介護者相談電話で当たり前に使えるとは……。人の多様性を認め尊重する英国社会の人権意識の歴史の厚みを、改めて見せつけられる気がした。もっとも、これを機に検索してみたところ日本にも電話通訳サービス企業はある。代理電話サービスや、手話による電話通訳も始まっているようだ。

そして、ここにまた、日本の人権意識においても介護者支援においても着実な一歩――。ケアラー連盟設立、おめでとうございます。


Cares Directの公式サイトはこちら
2010.10.15 / Top↑
以下は2008年12月号の「介護保険情報」誌に
既に当ブログにも掲載している「介護者の権利章典」と同時に書いた文章です。

障害のある子どもを殺す母親たち

 このところ、母親が障害のある子どもを殺す事件が気にかかっている。今年に入って記憶にあるニュースを振り返ってみると、2月にカナダで母親が17歳の 脳性まひの娘を殺す事件があった。複数の子どもを抱える46歳のシングルマザーだった(Global and Mail, 2月27日他)。米国では、2006年4月に障害のある34歳の娘を包丁で刺して殺害したシカゴの母親(59)が今年3月に懲役20年を言い渡されてい る。娘は2歳の時に脳性まひと発達障害を診断され、母親の方は事故の数年前から抑うつ状態だったとのこと。黒人母子家庭らしいが、単親で娘をケアし続けた 32年間とはどんな年月だったのだろう……と考えさせられる事件だった。(Cbs2chicago.com、3月14日他)。

 英国でJoanne Hillという35歳の女性が4歳の娘Naomiをバスタブに沈めて殺す、という衝撃的な事件が起きたのは去年の11月のこと。脳性まひの娘を恥じていた のが殺害動機だとか、娘の苦痛を見かねての行為だったとのニュアンスの報道もあったが、Naomiの障害はさほど重度ではなかったという。9月の末、 Hillに終身刑が言い渡された。それを機に改めて事件の詳細をたどってみると、「母親が障害のある娘を殺した」と見えるこの事件、実は「障害のある母親 が娘を殺した」事件なのでは、と思えてくる。Hillは10代の頃に精神障害を診断されている。事件当時も夫婦間に問題を抱えてアルコール依存、鬱病に苦 しみ、自殺未遂を繰り返していた。弁護側は心神耗弱を訴えたが、裁判官は「いかなる言い訳もありえない」と、最低でも15年という条件付きで終身刑を言い 渡した。

親なら、たとえ血反吐を吐いてでも……

 Hillに終身刑というニュースが舞い込んだのは、福岡で発達障害のある富石弘毅くん(6歳)が繊維筋痛症と鬱病を患う母親に殺害された痛ましい事件の 直後だった。事件の衝撃は大きく、ネットには「それでも親か」と非難の声が渦巻いていた。中には「親なら、たとえ血反吐を吐いてでも……」という“熱い” コメントもあった。もちろん殺害行為には「いかなる言い訳もありえない」。しかし各国の一連の事件の背景をたどりながらネットでの議論を読んでいると、考 えこんでしまった。障害児の親には、自らも障害や病気や様々な事情を抱えて支援を必要とする“ただの人”であることは、許されないのだろうか──。

読み人知らず「介護者の権利章典」

 米国の退職者団体AARPが1985年に出版した“CAREGIVING: Helping An Aging Loved One(介護:愛する人の老いを支える)”という本がある。著者はJo Horne。家族介護者向けのこの実践マニュアルを、Horneは一貫して「介護者には『できません』と言う権利がある」との理念で書いたという。その彼 が最後のページで紹介するのは「介護者の権利章典」だ。「私には次の権利があります」と始まり、「自分を大切にすること」「他の人に助けを求めること」な ど9項目が続く。多くの介護関連団体によって長年の間に作られてきた、いわば“読み人知らず”のようである。Horneは最後に白紙の項目を作り、介護者 それぞれが自由に書き込むよう勧めている。

 当欄ではこれまで数回にわたって英国や米国の介護者支援について紹介してきたが、いずれの国でも支援の対象となる「介護者」には障害児・者の親が含まれ ている。私たちもそろそろ、障害児の親をただ「親」とだけ捉えるのではなく「介護者」としても捉えるべきではないだろうか。そして、障害児の親も含めた介 護者には、自分の心身の健康を守り、人間らしい生活を送る正当な権利があるのだという共通認識を、介護者の間にも、医療職や福祉職の間にも、広げていくべ きではないだろうか。

 福岡の事件のあと、ネット上では、“世間”からの非難に混じって、自分にもあの母親になる可能性はあるのだと戸惑いながら自らの心の内をのぞきこむ障害 児の親たちや、母親がそこまで追い詰められた経緯を冷静に分析しようとする療育関係者らの声もあった。そういう人たちに届くことを願い、巻末に「介護者の 権利章典」を訳してみた。活用いただければ幸いである。

 10月19日から25日はオーストラリアの介護者週間だった。政府の福祉部局と共催した介護者支援団体Carers Australiaのサイトを覗いてみたら、介護者に向けて、こんな言葉が書かれていた。You are only human. あなただって、ただの人。そう──。介護者だって生身の人間なのだから──。



「介護者の権利章典」についてはこちらに。
2010.10.15 / Top↑
以下は2008年10月号の「介護保険情報」誌に
「米国 家族介護者月刊」と題して書いた文章です。

家族介護者月間 米国

 厚労省は先ごろ11月11日を介護の日とすることを決定した。また、NPO法人全国在宅医療推進協会(神津仁理事長)が介護者とかかりつけ医の双方を表彰する「ファミリーケア大賞」を創設するなど、このところ介護や介護者への理解を深める啓発に向けた動きが続いている。

 14年前から毎年6月に実施されている英国の「介護者週間」については2007年6月号の当欄で紹介したので、「介護の日」制定を機に米国ではどうか調 べてみた。英国ほど大きな規模ではないが、National Family Caregivers Association(NFCA:全国家族介護者協会)が毎年奇しくも同じ11月に「家族介護者月間」を開催している。

教育講演やメディアへの働きかけ

 今年の主な活動としては、11月6日と13日にそれぞれ1時間の家族介護者向け教育講演SpeakUp!(声を上げよう!)を行う。希望者が事前に登録 することによって電話またはウェブで聴くことができるテレ講演である。いずれも、介護を受けている家族や介護者である自分自身のアドボケイト(権利や利益 を守るために声を上げる人)として、医療従事者とより良いコミュニケーションを図るコツを学ぶプログラム。

 またNFCAでは、家族介護者月間のポスター、パンフレット、Tシャツ、バッジなどの啓発グッズを作成し、全国の介護者がそれらを利用して、それぞれの 地域で啓発活動を展開するよう呼びかけている。同時に、記事を投稿したり、取材できそうな企画を提案するなど地域のメディアに働きかけようと、その具体的 な手順をHPで指示している。このページには、介護者月間についてのプレス・リリースのテンプレートや、NFCA会長Suzanne Mintz氏が書いたサンプル記事が通常記事用と詳しい解説記事用と2本用意されている。自分で記事を書いて投稿するのが苦手な人は、それらサンプルを ローカル・メディアに持ち込んで依頼・交渉し、掲載してもらうという作戦だ。

「家族介護者」として連帯を

 夫の介護体験からNFCAを創設したMintz氏だけあって、そのサンプル記事は、なかなか鋭く読み応えがある。特に興味深いのは、専門家によって常用 されてきた「インフォーマルな介護者」という呼び方は時代遅れで気に入らないと書いていることだ。理由は「フォーマルな介護者」である専門職との間にヒエ ラルキーを匂わせるものだから。Mintzさんは「家族介護者」という共通の言葉に統一して、その言葉の元にみんなで連帯し、介護負担を軽減する支援、医 療のあり方やメディケアの仕組みの変革を訴えていこうと呼びかける。

 また「家族介護者は外に向かって助けを求めにくいものだから、身近な人が押し付けがましくない、ちょっとした心遣いで手助けをすることが必要」だと、日 本でも専門家の間で「インフォーマルなサービス」と呼び習わされている支援について、具体的な提言を行っている。例えば週に一度食事を差し入れる、庭の芝 を刈ってあげる、ちょっとの間介護から解放してあげる、移動時の運転手を買って出るなど。いずれも介護者がアテにできるように、いつ何をしてあげるかを事 前にはっきり告げておくことが肝要。A little bit of help can go a long way. (ちょっとした手助けが大いに役に立ってくれるものなのです。)

「介護の受け手」という視点も

 日本の「介護の日」は、もともと介護専門職不足を解消する必要から生まれてきたもののようにも思えるが、検討会では樋口恵子委員から、介護従事者だけで なく家族介護者への感謝も示す日にすると同時に、「介護の受け手になる心構えも考える日としたい」との発言があったとのこと。これは英国の「介護者週間」 でも米国の「家族介護者月間」でも盲点となっている、すばらしい視点ではないだろうか。ヒエラルキーがあるのは専門職と家族介護者の間のみではない。「介 護の日」で介護する側への感謝ばかりが一方的に強調されると、介護する人・される人の間にもともと生じがちな上下関係(時には支配―被支配の関係)がそこ に塗り重ねられてしまいかねない。「介護の受け手」という視点を「介護の日」に含めることは、とても大切なことだ。

 Mintzさんが書いている言葉を、私たちの「介護の日」にも忘れてはならない警句として、挙げておきたい。

「介護はみんなの問題です。なぜなら世界には4種類の人間しかいないのだから。介護を体験したことのある人、現在介護をしている人、やがて介護者となる人、そして、いつか介護者を必要とする人。このいずれからも逃れられる人はいません」

2010.10.15 / Top↑
以下は2008年8月号の「介護保険情報」誌に
英国NHS改革と新全国介護者戦略について書いた文章です。

英国政府、今後10年のNHS改革案と初のNHS憲章草案を発表

“世界に冠たる”と英国民が誇る受診時原則無料の国営医療サービスNHS。今年で60歳になるそうだ。Brown首相は去年の首相就任時にNHSの見直し と改革を担当する保健省の副大臣として現役外科医Ara Darzi卿を起用した。6月30日、そのDarzi卿が1年間に渡る患者や医療関係者からの意見聴取を経て、“High Quality Care for All: NHS Next Stage Review final report”を発表し、今後10年間のNHS改革の方向性を打ち出した。

病院機能の集約化と成果主義

 Darzi卿は昨年、副大臣に任命されるや、ロンドンにおける思い切った統廃合と効率化による病院機能の集約案を提言。現場のGP(家庭医)や中小の総 合病院などから廃業や医療保障への不安など批判の声が上がっていた。今回の報告書でも、従来より広いサービスをGPが担う医療センター(ポリクリニック) を地域ごとに作り、看護師を中心に在宅医療も担当。また産科、救急医療や高度先進医療などは拠点病院に集約するなど、1年前のロンドンの医療改革案とほぼ 同じ方向のようだ。看護師にも非営利企業の立ち上げを推奨するのは、地域医療の底支えを狙ったものだろう。

 さらに今回の改革案では、これまでのように中央から数値目標を押し付けることをやめ、医療の質が評価されるシステムを導入。具体的には、受けた医療に対 する患者の満足度が高い病院には追加報酬が支払われ、低いと罰金が科せられる。また治療のアウトカムに関するデータも病院ごとに集積され評価の対象とな る。Darzi卿は「患者ケアの質をベンチマークとするNHSのインフラ整備ができた」と胸を張るが、野党からは「医師と看護師が中央集権的な官僚主義で がんじがらめにされたままアウトカムだけ見ても意味がない」と批判が出ている。

NHSサービス利用の「権利と責任」を明記

 またBlair前首相が提案し、Brown首相も熱心に進めていた英国初のNHS憲章の草案も、Darzi卿の報告書と同時に発表された。NHSの理念を明らかにするとともに、患者とスタッフ双方の「権利と責任」、それに対してNHSが約束する内容を明確にするものだ。

 患者の権利としてはGPを選ぶ権利、認可薬を使える権利、英国内ですぐに治療が受けられない人がヨーロッパの他国で受ける意思表明の権利などが法的に認められる。責任については自ら健康維持に努力することやGPへの登録、医療行為への協力などが謳われている。

 憲章の草案に関しては、NHSのWebサイトで詳しく解説されており、NHSは10月7日までパブリック・オピニオンを募集する(Times, 7月1日ほか)。

新「全国介護者戦略」も発表

 英国では介護者支援システムの整備も急がれている。労働党政権が1999年に定めた「全国介護者戦略」の見直しに向けて、去年は広く国民からの意見聴取が行われた(2007年8月号当欄で一部既報)。

 寄せられた意見については去年11月に暫定報告が出されたが、それらを踏まえて6月10日に新たな「全国介護者戦略」が発表された。2億5500万ポン ドの予算を組み、短期レスパイト、就労支援、健康チェックなどの介護者への直接支援のほか、GPへの研修や介護者支援専門職の養成にも配分する。また近年 社会問題化している若年介護者への支援も行う。

働きかけ強めるチャリティ

 一方、政府のこうした動きに対して、Help the Aged, Counsel and Care, Carers UKの3つのチャリティは、共同で新たなキャンペーン”Right care Right deal : The right solution for social care”を立ち上げた。家族と介護者への一体的支援や、もっと早期にもっと多くの人に手が届く持続可能なシステム作りの必要などを訴え、介護サービス改 善に働きかけを強める。

 さらにCarers UKは、介護者支援に絞った独自のキャンペーン”Back Me Up”で具体的な施策提言も行っている(Medical News Today, 6月10日ほか)。

 Brown首相は6月26日のBBCインタビューで「遺伝子診断技術が進むと保険に入れない人が増え、公的費用でまかなわれる医療制度がより重要になる」と述べた。そこまで先を見通すのか……。“世界に冠たる”日本の皆保険。その行方が気になる。

2010.10.15 / Top↑
以下は2007年8月号の「介護保険情報」誌の
連載「世界の介護と医療の情報を読む」に書いた
「英国介護者週間」についての文章です。


英国 介護者週間2007

6月号の当欄で触れた英国の「介護者週間2007」が6月11日から17日に行われた。関連の主要な動きについて紹介する。

介護者調査の結果発表

 まず「介護者週間2007」のスタートに当たって、年に一度この時期に「介護者週間」が恒例として行う介護者調査の結果が発表された。3500人以上を 対象に、英国でこれまでに行われた最大規模のものとなった今年の調査では、介護が介護者の生活に以下のような悪影響を及ぼしていることが明らかになった。

 ① 多くの介護者が精神的にも肉体的にもパートナーとの関係が変わったと述べ、これが介護における最も大きな困難の1つとなっている。

 ② 3分の2以上の介護者において、仕事に集中できない、研修や昇進の機会を逃すなどの理由により、経済事情が悪化。そのうちの28%は家族を養うにも事欠くほど困窮している。

 ③ 多くの介護者が介護者役割によりアイデンティティの喪失を訴えている。

 ④ 過去1年間定期的な介護者役割からの休息が得られていないとする人が4分の3に及ぶ。その中の38%は過去1年間に1日たりとも介護から開放されたことがないという。

例えば介護のために失業し、それがパートナーとの関係や介護者の精神状態に響き、経済状態がさらに悪くなるなど、これらの問題が複合的に絡み合って悪循環を生んでいる、と調査は指摘している。

地方紙が介護者の声を特集

 このような厳しい生活を送る介護者たちが「介護者週間」の前後には多くの地方紙で特集として取り上げられ、様々な立場で介護を担う人たちが率直に体験や思いを語った。

 パーキンソン病の夫を介護しているBrenda McFallさんは、子育てとも老親介護とも違う夫婦介護特有の苦しさを「夫は私の方が頼るはずの人だったから」という言葉で表現する。(Belfast Telegraph 6月12日)。

 離婚してフルタイムで働きながらレット症候群で全介助の娘を介護しているAnne MacLeodさんは、介護サービスに恵まれて現在はやりくりが付いているが、自分の退職後はサービスがどうなるか不安。また、常に自分に何かあったら娘 はどうなるのかとの心配にもつきまとわれている。自分が退職し娘が20代半ばになる頃までに居住型の施設を見つけたいが、自治体の資金難により難しそう だ。70代、80代で障害のある我が子のケアをしながら、さらにアルツハイマーの親の介護も担っている人もいる。それぞれ事情が違い「これが典型的な介護 者」というものは存在しない。Anneさんは「介護者役割からは退職もできない」と語り、個々の状況に応じた支援の必要を訴える。(Scotland on Sunday6月10日)。

政府が介護者の声を募集

 6月19日、ケア・サービス大臣Ivan Lewis氏は、「介護者のためのニュー・ディール」の一環として政府が検討している1999年の「全国介護者戦略」の見直しに向けて、介護者から具体的 な意見や提案を募る新たなキャンペーン「介護者のためのニューディール ? your voice couts (あなたの声が変える)」を発表した。保健省のウェブ・サイト内のキャンペーン・サイトには「アイディアの木」があり、介護者らが書き込む意見はそれぞれ が1枚の葉となる。葉をクリックすると意見を読んだり、その意見に投票することができる仕組み。サイトは9月半ばまで公開される予定。

 またその期間中、各地域の介護者センターを中心に、政府の資金援助を受けたチャリティが協力して介護者の声を直接くみ上げる催しも行われる。Ivan Lewis ケア・サービス大臣は「介護者週間」のインタビューに対して、「全国介護者戦略」の見直しは保健省のみならず政府のすべての省が関与して行われるものだと 語っている。(Medical News Today 6月20日など)

 同じく6月19日には「介護者週間」の代表者らが首相官邸隣のダウニング街11番地で次期首相(当時)のGordon Brown氏と面会。氏は今後広く介護者支援を検討するとの見解を2月に発表した財務大臣でもある。自らも若い日のスポーツで片目の視力を失うという体験 を持つBrown氏は、介護者ニーズへの理解と支援を求めた代表者らに対して、政府はもっと介護者の声に耳を傾け介護者から学ぶ努力をすべきだと答えた。

EUにも介護者支援組織

さらにCare and Health というニュース・サイトによると、6月12日、英国の介護者支援チャリティCaresUKの主導により、EUでも介護者支援団体Eurocarers ? European Association Working for Carers が立ち上げられた。9カ国から15団体が加盟。公式サイトによると、Eurocarersは次の10の指針を挙げ、これらに基づいて私的に無償で介護を担 う介護者への支援を行うとしている。

①認知、②社会参加、③機会均等、④選択、⑤情報、⑥支援、⑦レスパイト、⑧介護と雇用の両立、⑨健康増進と保護、⑩経済的安定。

若年介護者支援にも動き

 英国には現在、病気や障害を持つ親族の介護を担う子どもたちが175000人いると言われる。半数は8歳から15歳。中には5歳の子どももいる。子ども らしい生活は送れず、学校にも満足に通えない子もいるが、ソーシャルサービスに引き離されることを恐れて子どもが介護している事実を親も子も隠すため、周 囲の理解や支援が得られにくい。教師に誤解されたり、いじめにも会いやすく、子どもたちは介護負担と孤立の中で苦しんでいる。若年介護者を支援する組織や ウェブ・サイトが近年急増しているところであり、6月号で紹介したKeeley議員提出の新しい介護者法案にも、若年介護者への支援は大きな柱として盛り 込まれている。

 「介護者週間」には、若年介護者の支援でも大きな動きが見られた。YoungCarersNetというサイトを通じて若年介護者支支援活動を行っている 介護者支援チャリティthe Princess Royal Trust For Carersは、Daily Express紙と共同で6月18日に「若年介護者ライフライン・アピール」と銘打った啓発キャンペーンをスタート。それを機に同団体の創設者であるアン 王女は同紙の記者をバッキンガム宮殿に招いて若年介護者の窮状を語り、支援の必要を訴えた。

 また北アイルランドでは、宝くじ基金からの資金援助を受け、医師会と介護者支援チャリティCrossroads Caring for Carers が合同で「若年介護者プロジェクト」を開始。介護を担っている子どもたちが参加できる活動をCrossroadsが企画し、同じような仲間と接する機会や レスパイトを提供する。(Medical News Today 6月22日。)

若年介護者については、近年の英国の動きを受けて米国でも米国介護連合NACが2003年に初の若年介護者全国調査を実施。05年にまとめられた詳細な報 告によると、米国でも8歳から18歳の若年介護者が130万人程度おり、未支援のまま重い介護負担に苦しんでいると見られる。NACの報告書は、英・豪・ NZなど若年介護者支援先進国の施策に学び、早急に支援を整備すべきだと締めくくっている。

日本で「若年介護者」という言葉すら聞かないのは、わが国には介護者役割を担う子どもが存在しないからなのだろうか……?

2010.10.15 / Top↑
以下は2007年6月号の「介護保険情報」誌に書いた
「英国の介護者支援」に関する文章です。

★イタリア
QOLの低下――ALS患者本人より介護者で

 3月19日付のYahoo! News Health Dayの記事によると、イタリアの研究者らがALS(筋萎縮性側索硬化症)の患者31名とその介護者である家族を調査したところ、QOLが低下し抑うつ状 態に陥る割合は患者本人よりも介護者の方で高いという結果が出た。

   ALSは40歳以降に発病する神経難病で、運動ニューロンが侵されるため診断から2~4年で呼吸困難によって死に至る場合が多い。調査では患者と介護者 それぞれに対して別個に2度の面接を行った。初回面接と2度目の面接の間は9ヶ月。それぞれの結果を比較したところ、患者では診断当初の衝撃と動揺を乗り 越えた後は、むしろ介護者への感謝から幸福を感じるなど、比較的精神状態が安定していた。また症状が悪化していく一方で介護者も介護に慣れてくるなど、 QOLも低下していなかった。

 ところが介護者の方は、患者の病状の進行に伴って介護負担が増し、疲れ、ストレス、負担感からQOLを維持することが難しい。ウツ状態にあった介護者は 初回面接時の3人から、9ヶ月をはさんで6人に倍増した。精神状態悪化の主な理由は、無力感、孤立感、孤独、悲哀のほかにも、自由になる時間がない、家を 出られない、友人に会えないことなど。

 「多くの介護者は愛する者が苦しんでいる時に自分のことを言うのは利己的だと感じて、自分自身のニーズや気がかりを口にしないのです」と分析するのは、 カリフォルニア大ALSセンターのキャサリン・ロメンホース医師。介護者支援の必要を説くイタリアの調査報告を歓迎する。

★英国
介護者の権利――介護者ニーズのアセスメント

 充分に眠れていますか? ストレス、不安、落ち込みは? あなた自身の健康状態は? 一週間のうち介護に使う時間は? 緊急時に頼れる人は? もう続け られないと感じていますか? 仕事と介護の両立は大変ですか? 朝から晩まで自分の好きなように過ごせた日は、いつが最後でした?

   日々自分のことは後回しにして家族を介護している人の心に沁みる、こんな問いが並んでいるのは、英国の介護者支援団体Carers UK -the voice of carers のHPである。英国では2000年のCarers Actにより、各地方自治体に対して、介護者の希望があれば、介護者自身のニーズ評価アセスメントを行うことが義務付けられた。先の質問は、Carers UKの情報提供ページで、アセスメントを受ける介護者が予め整理しておくとよいと勧められるポイントの一部。

 Carers UKの解説によると、介護者が16歳以上であれば、介護される人がソーシャルサービスの利用を望んでいなくても介護者アセスメントを受けることができる。 患者の退院に備えた「介護するつもり」でも可。ソーシャルサービスに直接電話で申し込むか、GP(かかりつけ医)または保健師に連絡を依頼する。目的は、 介護と自分自身の生活のバランスをとり、介護者自身のニーズに対して支援を受けられるようにすること。例えば掃除や洗濯の手伝いがあれば、または通院や通 勤にタクシーが使えれば、または安心のための携帯電話があれば介護が続けられるのであれば、それらも介護者サービスの具体例だ。アセスメントを行う人は介 護者が介護役割を望んでいるとか、続けたがっているとの予見に立って話を聞いてはならない。地方自治体には介護者サービス提供の認否基準を明らかにするこ とが求められており、ソーシャルサービスは財源や資源の不足のみを理由に介護者サービス提供を拒むことはできない。

 日本の介護者からすると夢のような話だが、これはあくまで制度の理念を介護者の立場でCarers UKが解説したもの。現実には「アセスメントの質にもばらつきがある」。また「悲しいことに介護者がアセスメントを受ける権利は専門家の間でも周知されて いない」ので、実際にアセスメントを受けた介護者は3分の1程度。こうした現状を受けて、04年に改定されたCarers Actでは、介護者アセスメントに関する情報の周知が地方自治体に義務付けられた。

 また、同じくCarers UKのHPによると、昨年のthe Work and Families Act では、柔軟な働き方を求める権利が介護者に認められた。今年4月から施行。雇用者側にも拒む権利があるが、2年前から認められていた6歳までの子どもと 18歳までの障害児の親での実績によると、要求の8割が認められているという。

★英国
ケア財政の逼迫受け――介護者支援に新たな予算

 その一方、一連の報道によると、英国では去年から高齢者ケアそのものが破綻寸前だとの指摘が相次いでいる。去年3月にはチャリティ団体キングズ・ファン ドによる大規模な調査で、障害者の寿命が延びたことに加えて人口の高齢化によるケア財政の逼迫が報告され、今後20年間に高齢者ケアの予算は3倍に増額さ れる必要があると試算。この試算は政治家には「しょせん無理な話」と棚上げされたようだが、12月初頭には45の地方自治体の首長が連名で高齢者ケアの危 機を訴える公開書簡を発表。「政府は“問題の本当の大きさ”を認識するべきだ」と予算の増額を求めた。また中旬にはキングズ・ファンドを含む8団体が連名 で蔵相に書簡を送り、「ソーシャルケア予算の増額がなければ、多くの虚弱高齢者は孤立と依存を免れない」と訴えた。

 近年英国で介護者支援が重視されているのは、このようなケア財政の逼迫を背景に、経費のかさむ施設介護から在宅介護への移行を促進する狙いがあると思われる。

 しかし今年1月のソーシャルケア監査委員会の報告書では、在宅介護を支援するケア・サービスまでが危機的状況に陥っている現状が浮き彫りになった。英国 の3分の2の地方自治体が、高齢者ケア財政の逼迫から在宅ケア・サービスの利用を重度者に制限しており、現在比較的軽度とされる37万人に提供されている サービスは2009年までにはなくなる見込み。委員長のデイム・デニス・プラット氏は、介護支援サービスの利用を可能にし、介護者をより強力に支援するイ ンフラなしに、介護責任が移されてはならないと警告した(BBCニュース06年12月7日、The Guardian1月10日など)。

 こうした動きを受け、2月に財務大臣が今後広く介護者支援を検討するとの見解を発表したのに続いて、ケア・サービス大臣が介護者支援のための施策パッケージ「介護者のためのニュー・ディール」の詳細を発表した(Medical News Today2月24日)。

 主な内容は①介護者が危機に陥った際のレスパイトと緊急時対応のための短期在宅ケアに、地方自治体ごとに2500万ポンド。②介護者のための全国的な相 談電話整備に300万ポンド。③1999年の全国介護者戦略の広範な見直し。④介護者支援・教育プログラムの開発支援に500万ポンド。

 Carers UKでは、「介護者の抱える問題に対処する好機。仕事と介護の両立、必要なサービスにたどり着くための支援、介護者の健康と福祉といった難しい問題に対処するには、次の10年に向けて目に見える戦略が必要」とコメントしている。

Carers Act が保障する介護者の権利が、英国で本当の意味で形になっていくのは、これからなのかもしれない。しかし日本では、「介護者の権利」という言葉すら、まだ耳に新しい。

2010.10.15 / Top↑
NHKの「クローズアップ現代」が介護者支援の必要を取り上げた。

特に介護者法を制定して、介護者アセスメントを地方自治体に義務付け、
具体的な支援を行っている英国の介護者支援の実態を紹介してくれたのは、

私にとっては、胸が熱くなるほど嬉しい出来事だった。

これを機に、当ブログで紹介してきた海外の介護者支援情報エントリーと
私自身の体験やAshley事件から、介護支援の必要を訴えるべく
書いてきたエントリーを以下に。

「介護保険情報」の連載「世界の介護と医療の情報を読む」にこれまで書いた
介護支援関連の内容についても、「介護者支援シリーズ」として
次のエントリーから順次アップしようと思います。


【英国の介護者支援について書いたエントリー】
フレックス勤務を求める権利という子育て支援(2008/6/12)
英国の介護者週間から介護についてあれこれ(2008/6/12)
英国の新しい介護者戦略(2008/6/12)
「介護者としての私を支えて」キャンペーン(2008/7/4)
英国の介護者支援について思うこと(2008/7/4)
英国の介護者支援について(2009/3/10)
7月に英国リーズで、第5回国際介護者会議(2010/5/31)

【その他の国の介護者支援について】
「介護者の権利章典」訳を改定しました(2008/12/12/)
今日から豪介護者週間……because I care(2008/10/19)
You are only human: 介護者だって生身の人間なのだから(2008/10/30)
介護者も自分を大切にしましょう(2008/10/31)
自分の気持ちを理解して受け入れる(介護者のために)(2008/10/31)
自己主張をしましょう(介護者のために)(2008/11/1)

日本でも、ついに、
介護者の権利を守るための「ケアラーズ連盟」、6月7日に発足へ(2010/5/18)

【障害のある子どもの子育てや介護一般について考えたこと】
重症児ケアの負担と親の意識について(2008/1/6)
重症児ケアの負担と親の意識について 2(2008/1/6)
「障害児の母親」というステレオタイプも(2008/3/4)
「総体として人間を信頼できるか」という問い(2008/8/29)
子どものケア、何歳から「子育て」ではなく「介護」?(2008/10/18)
障害のある子の子育ては潜在的な家族の問題を顕在化させる(2008/10/20)
介護を巡るダブルスタンダード・美意識(2008/10/27)

【こうあってほしい支援の在り方について考えてみたこと】
“溜め”から家族介護を考えてみる(2008/6/5)
支援サイドから「迎えに行く支援」(2008/9/5)
上手に「小さなギブアップ」ができる支援 1(2008/10/1)
上手に「小さなギブアップ」ができる支援 2(2008/10/1)
子育て支援=母親支援・・・という国?(2008/6/12)
「大人なら誰でも基本的な家事・育児・介護ができる社会」というコスト削減策(2009/5/25)
「介護療養病床と新型老健で一人当たりの医療費の差が8万円」からボヤいてみる(2009/6/17)

【障害のある子どもの親のナラティブ(語り)として書いたこと】
親の知らない娘の知り合い(2008/8/6)
天保山のマジックアワーに(2008/8/29)
「私だけが鬼みたいな母なのだとばかり……」(2008/12/12)
ポニョ(2009/7/23)

【私が考えさせられた他の親・介護者のナラティブについて書いたこと】
介護を語るのは難しい(2008/4/14)
「自閉症の息子ケア、もうこれ以上耐えられないと思った日」(2008/4/30)
Cameron党首「これ以上話したくない……」(2009/2/26)
「どうぞ安心して先に行ってください(2009/3/17)

【Ashley事件との関連で介護について考えたこと】
Caplanの「希望」について 1(2007/7/21)
Caplanの「希望」について 2(2007/7/21)
Katie事件に見る「障害児の母親」のステレオタイプ(2008/3/4)
「介護者であるより母でありたい」と言い続けていたAlison Thorpe(2008/4/30)
もしもAshley父が「親の負担軽減」を言ってたら?(2008/3/9)
“A療法”には「親が抱え込め」とのメッセージ(2008/10/3)
親にはしてやれないこと(2008/4/28)
成長抑制を巡って障害学や障害者運動の人たちに問うてみたいこと(2009/1/28)
親の立場から、障害学や障害者運の人たちにお願いしてみたいこと(2010/3/12)
2010.10.15 / Top↑

(前のエントリーから続く)

I think there is an argument for including all humans as persons, but I don’t necessarily think that all nonhuman animals should be excluded. My reasons for including all humans is not very philosophical, it is social and psychological. Humans are social beings. We are not that impressive as single organisms, but we can do a lot as families, organizations, nations etc. We need some set of rules for dealing with each other. I believe that a set of universal human rights is a good place to start. Whether we want to include other nonhuman animals in this is an open question for me. I would extend at least some rights to nonhuman animals, and I would not be offended if we could work out a way to treat them as equals or at least more like equals. However, treating them better or more fairly does not require sacrificing the rights of others. So, Mark, I think we are pretty close on that part. I agree that there is no argument for including all humans and thereby excluding all nonhumans. However, I do say that human rights has progressed by including more and more humans as equals, with equal moral status) and that has been a good thing. If we can extend it further to other animals that will probably be good, too, but there is no reason to turn the clock back on universal human rights in order to widen the sphere.
I fact, I think that the exclusion of people with profound intellectual disabilities will hurt the cause of animal rights for a simple but important reason. People with severe and profound disabilities differ from other groups who have previously been included in one big way, they have not been able to advocate articulately for their inclusion or negotiate their own way into the social contract. Neither can apes or other mammals. If we draw the line between humans who can negotiate their own way and those who can’t, the same line will exist for nonhuman animals. The inclusion of people with severe and profound disabilities sets a precedent that individuals can be included just because it is right and not because they can negotiate their own way in. Their exclusion sets the precedent that if human or nonhuman animals can’t articulate their arguments for inclusion, they will be excluded.

私が人間をみんな包摂しようというのは、哲学的な理由からじゃない。
社会的な理由、心理的な理由からだ。だって人は個体として何が出来るという存在じゃない。
人は家族として、社会として、国民として、関係性の中にある。

そのためのルールが必要なら、
万人に等しくあるべき人権から始めるのは良いことではないのだろうか。
より多くの人間を平等な存在として包摂する努力によって人権概念は進化してきた。
それは良いことだったのではないのだろうか。

それなら、そこにさらにnonhumanな動物(大型類人猿のこと?)を包摂すればいいのであって、
これまでの努力の時計を戻して、人を排除しなければ彼らを包摂できないわけではあるまい。



なお、Sobsey氏はここで書いたことをさらに掘り下げて、
後日、What Sorts ブログにこの問題に関して以下のエントリーを立てました。

What Sorts のSinger 批判第2弾(2008/12/22)
Sobsey氏、「知的障害者に道徳的地位ない」Singer説を批判(2009/1/3)


これらの内容のまとめ方についても
今こうして読み返してみると忸怩たるものはあるのですが、
2年前の私にとってはこれが精いっぱいだったのでした。

ご寛容ください。
2010.10.15 / Top↑
Kittay氏の来日を機に、What Sorts of Peopleブログでのシンガー批判をここ数日とりあげています。

哲学者エヴァ・キティ氏、11月に来日(2010/10/12)
Eva KittayとMichael Berube:障害のある子どもを持つ学者からのSigner批判(2010/10/13)

Wilson氏のポストへのコメントでの議論の論点は、
当時の私の理解では明らかに不十分ですが、一応こちらのエントリーに。

このやりとりから、Dick Sobsey氏のコメントを以下に。(ゴシックは特に個人的「そうだ!」部分)

文字数の関係で、後半部分は次のエントリーに分かれます。
読みづらくて、申し訳ありません。

December 19, 2008 at 10:50 am
I agree that rights are socially constructed and not fundamental to nature, but they are no more socially constructed than moral status.
Maybe it would be better to say nonpersons can have no personal interests. Than no interests. Some people might say that my car, which I definitely consider a nonperson, has an interest in having its oil changed, so in that sense nonpersons can be said to have interests, but I wouldn’t say it wants its oil changed.
I know that Singer would prefer to talk about moral status than rights, but the two are inseparable. Part of the problem in this issue is that Singer uses profound mental retardation as a kind of philosophical notion rather than a clear notion of what it actually is. I want to assure you, him and everyone else that lots of people with profound mental retardation do have plans and desires. They may not be plans to design a cathedral or plans to swindle billions of dollars from investors, they may only be plans for a warm bath, or eating a piece of cake. But maybe these plans are just as important to them. The notion that these things aren’t important is like saying it is okay to rob poor people because they don’t have much to lose.
Singer’s imprecision in describing people with disabilities seems to be uniformly in the direction of underestimating their lives. In the clip used here, for example, he informs people that Ashley X cannot swallow any food, but the picture on her parents website show her eating watermelon and strawberries. For Singer, not having his facts straight about whether Ashley could swallow or whether people with profound intellectual disabilities have plans is unimportant because he is only using them as abstract philosophical devices. When shown why his reasoning may not apply to one case, he just imagines another one and says, no matter where the line is drawn it will have to be drawn someplace. The philosophical concepts are more important than the individuals. For me, I know a lot about people with severe and profound disabilities, but very little about philosophy. So, we are coming from very different places.
I disagree with the notion that abortion and weighing the mother’s rights or interest against that of the fetus is relevant here. I agree that this is a situation where the rights and interests of one may have to be given priority over another. There are many other situations where these kinds of choices need to be made and I have no problem with recognizing that reality. My concern is that trying to resolve the issue by pretending that someone is a nonperson without moral status is a dishonest rationalization. If Singer wants to argue that children with profound mental retardation should be deprived of life or subjected to treatments because we don’t have the resources to meet their needs or parents have a right to do other stuff besides take care of their kids, we can have that argument… but it is a totally different argument. 


知的障害のある人たちにも、見ようともしないキミらには分からん形かもしれないが、
ちゃんと計画や望みというものがあり、

それはキミや私の計画や望みとは違うかもしれないけれど、
本人にとっては大切な計画であり望みなのだよ。

そんな人の計画や望みなど、どうせなんてことないと切って捨てるのは、
どうせ失うものが少ない人からは全部盗んでいったって構わないと言うようなものだ。

そのことが理解できないのも、Ashleyのありのままの姿が見えないのも、
キミたちが哲学の概念としての障害の方を現実の障害者よりも重要視しているからなのだよ。

(次のエントリーに続く)

2010.10.15 / Top↑