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朝、5時過ぎにパッキリ目が覚めて眠れなくなってしまったので、起きだして
自宅から徒歩10分の公園にウォーキングに行った。

広い公園内には、テニスコートや野球のグランドなどがある。
その周辺をぐるりと遊歩道が巡っていて、
中高年がウォーキングやジョギングに重宝している。

私もそろそろ足腰の衰えを感じるので、
通常はもうちょっと遅い時間だけど、時々行っては、ぐるりと歩いてくる。

さすがに今日の6時にもならない町はまだ薄暗く、人影もほとんどなかったけれど
それでも公園まで行くと、もう既に元気に歩く年寄りでにぎわっていた。

列をなさんばかりの人の多さに、ちょっと驚きつつ、
私も加わるべく遊歩道へと道を渡ろうとした時、
反対側の駐車場から、年齢も格好も場違いな男性がひょいと現れた。

紺色のビジネス・パンツ、白いワイシャツにネクタイ。
その上に紺色のジャンパーを羽織った40歳前後の男性。

見た瞬間、公園に何かトラブルでもあって役場の人が駆けつけてきたのかと思った。
でも、そういう緊張感が漂っているわけでもない。

こちらに見える右手には黒い布袋を持っていて、
向こうの手にも何か黒いものをぶら下げている。

目の前を、その男性が通り過ぎていった時に、
左手に持っているものが見えた。

堂々とした大きさと風貌のラジコン・カー。
ピカピカに磨いて黒光りする車体にオレンジ色の炎がうねっている。

この公園にはラジコンカーのレース・コースがある。
私がいつも来る朝7時半ごろだと若い兄ちゃんがそこでスケボーの練習をしている。

夕方に来ると、高校生なんかが時々すごいスピードで車を走らせているのを見るし
週末には、マニアのオッサンたちが駐車場に簡易テントを立て並べ、
それぞれ気合の入った装備で愛機のメンテナンス基地をしつらえて
レース・コースでの対戦に熱くなっていたりもする。

遊歩道を歩き始めながら見ていると、明らかに出勤前のその男性は
メンテの用具とおぼしき布袋と大きな黒いラジコンカーを両手にぶら下げて
コントロール・デッキの階段を駆け上がっていく。

その背中がハッピーな笑顔になっていた。

な~んか、いいなぁ……。

こっちまで、早朝の山並みを遠くに見やって、
思わず、にまにましてしまった。

そうなんだよなぁ。
そういうことなんだけどなぁ……。

明け始めた空の清潔な青さに、ああ、きれいな空だ~と
心が広やかになっていく感じがすることとか、

それで、思わず深々と大きく息を吸ってみたりすることとか、

風が気持ちいい~と心に呟き、
あー、花が咲いている、と目を止めることとか、

今週末にミュウが帰ってきたら約束通りに焼き肉を食べに行くのを
親の方もけっこう楽しみにしていることとか、

(この週末、親子3人で近所のコープに買い物に行ったら
駐車場の入り口のところで、ミュウがいきなり、ぬん、と顔を上げ、
断固として何かを主張し始めた。指差しているのは駐車場の向こう、
コープの向こう隣は、何度も行ってミュウもお気に入りの焼肉屋さん。
「え? もしかして焼肉を食べに行こうって?」
ミュウは顔全体でピンポーンと答えると同時に
大声で「ハ!!」と言った。「ええ~っ。分かったよ、じゃぁ
今日はもう煮物を炊いちゃったから来週でいい?」「ハ」で決まった。
で、今週、母は週末に備えて節約を心がけている)

園に次にくる研修生の中にイケ面がいたら、ニコニコして喜ばしておいて
食事介助の時には一転ちっとも食べずにイジメてやろうと
ミュウが手ぐすね引いて待っていることとか、

三度の飯よりも大好きな「おかあさんといっしょ」やジブリのDVDを
園であれ家であれ、隙あらばかけさせてやろうと狙いすませていることとか、

BBCのDisability Bitchさんが「ま、いろいろあるけど、ドーナツがあればね」と言えることとか、

そういうことなんだよなぁ……て、思うんだけど、

世の中には、能力とか地位とか業績とかお金とかで
人よりも自分の方が優越していることを証明してみせることによってしか
ハッピーになれない人が増え過ぎているんじゃないのかなぁ。

そういう人たちが「これこれこういう人でなければ生きても幸せになれない」なんて
他人の人生や幸せに対して、ゴーマンかつ愚かしく余計な差し出口を
叩きたくなるんじゃないのかなぁ。

誰に対しても、な~んにも証明する必要などなく、
誰かに優越する必要も、誰かを見下す必要も、いっさい感じないで、
そのままの自分として、ただ満ち足りて、そこにいる、ということができることくらい
幸せなことはない、と思うんだけどなぁ……。
2010.10.20 / Top↑
英国の 施策研究所 the Center for Policy Studies から
自殺幇助を合法化すると、弱者が expendable(可処分) だとみなされ、
家族や官僚から早々と死ななければならないようにプレッシャーがかかる、
との報告書。

タイトルは Assisted Suicide: How the Chattering Classes Have Got it Wrong

主著者の Cristina Odone氏が記事の中で言っているのは
これまでもだいたい指摘されてきたことで、

"Legalising assisted suicide and euthanasia will put the socially marginalised at serious risk. Attempts to change the law should be resisted," she said.

"The elderly, people with severe disabilities, the mentally unstable, and those with terminal illnesses will be presented with self-inflicted death as a natural, normal and expected final solution."

Odone went on: "For the vulnerable, once it becomes enshrined in the law, this ‘right’ might turn into an obligation.

"They may feel that, once over a certain age, or grown too dependent on others, or too fed up with life, or too ill, they should opt for death."

"Worse, many may be coerced, actively or subtly, by cost-conscious hospitals, or by intended heirs with an eye to a legacy, or by exhausted carers.

"As assisted suicide becomes embedded in our culture, investing resources in caring for these vulnerable groups will be seen as a waste."



それに対して、Dignity in Dying から
いわゆる「すべり坂」論には、オレゴンやオランダから
エビデンスが出ているわけではない、

合法化してセーフガードを設けた方が弱者は守られる、と反論。

Legalising assisted suicide ‘deems old and sick expendable’
The Examiner, October 18, 2010/10/20


そのエビデンス、下記のように、そろそろ出てきているよ、とも思うのだけど、

ベルギーにおける安楽死、自殺幇助の実態調査(2010/5/19)
英国の医療教育機関が自殺幇助合法化反対を確認(2010/7/7):ベルギーの実態調査情報あり
オレゴン州の尊厳死法、セーフガードは機能せず(2010/8/17)
WA州の尊厳死法、殺人の可能性あっても「問わず語らず」で(2010/9/16)
「やめておけ、豪の安楽死法は失敗だったぞ」と緩和ケア医がケベックの医師らに(2010/10/8)


でも、どうも、「死の自己決定権」ロビーって、
見たくないことは頑として見えないことにする、もしくは、
ヘリクツ並べて、「ある」事態も「ある」とは認めない姿勢なんじゃないのかな……とも。

だって、この場合の「すべり坂」って、
すべり坂が起こったと証明されるだけのエビデンスが揃う段階があるとしたら
それは、もう取り返しがつかない段階に至り大ぜいが死なされてしまっているわけで、

これは、そういう種類の「すべり坂」なんだから

「すべり坂」が起きるエビデンスを出せと主張することには、その発想自体に、
少々の人間が不当に死なされるということが起こったって
それはそれでやむをえないだろうという意識が織り込まれている。

つまり、
「すべり坂」を案じる人は「そういう死なされ方をする人間が
一人でも出るような社会にしてはいけない」と考えているのに対して、

「すべり坂は起こらない、起こるというならエビデンスを出せ」と言っている人は、
「そういう死なされ方をする人間が少々出るのはやむを得ないが
 そういう人が山のように出ることは防げるだろう」と考えている、ということでは?

それなら、後者の考え方自体が
すでに一定数の人間はexpendableだとかコラテラル・ダメージとみなしているわけで、
そういう人の頭の中でこそ、すでに「すべり坂」が起こっているんでは――?
2010.10.20 / Top↑

米国で“腎臓ペア交換”登録制度

最初はジェニファーさん(24)だった。5月24日に事故で帰らぬ人となり、母親が臓器提供を決めた。適合するレシピエントが見つかり、死後2日目にジェ ニファーさんの片方の腎臓はブレンダさん(44)に移植された。そこでブレンダさんの夫のラルフさん(48)は考えた。「かつて妻に片方の腎臓を提供しよ うとした際には適合せず果たせなかったが、赤の他人が妻にくれるのならば自分だって見知らぬ誰かにあげればいい」と。

ラルフさんはジョージタウン市が3つの病院と組織している「腎臓ペア」登録制度に加わった。彼の片方の腎臓がゲイリーさん(63)に移植されると、ゲイ リーさんの妻ジャネットさん(61)が片方の腎臓を見ず知らずの男性に、すると、その男性の妹が今度はまた見ず知らずの女性に……。こうして始まった チェーン移植は一般の登録ドナーからの2件を加え、最終的には5月26日から6月12日の間に14件となった。

この出来事を「チェーン移植で14人が新たな命を」とのタイトルで報じたワシントン・ポスト(6月29日)によると、現在、米国で腎臓移植を待っている 人は85000人。マイノリティには適合するドナーが見つかりにくいため、その61%がアフリカ系、ヒスパニック系、アジア系のマイノリティ(少数派民 族)だという。こうしたマイノリティへの臓器供給の手立てとして、ペア交換が有効だと今回の移植関係者は力説し、移植コーディネーターは「これはスタート です。この町でできるのだから、更にエリアを広げて続けていくことは常に可能」と意気込む。すでに今年2月に米国臓器配分ネットワーク(UNOS)がペア 交換の登録データベースを試験的に立ち上げており、この秋にもマッチングを開始するとのこと。

ラルフさんはいう。「大切な娘さんが亡くなって妻に命をくれました。それなのに私が『万が一ということもあるから私の腎臓はこのまま持っておきます』というのは、余りにも身勝手というものでしょう」。

しかし、このような物言いが「腎臓がほしければ他人にあげられる腎臓と物々交換で」というに等しい登録制度と合い並ぶ時、そこに“家族愛”を盾に取った暗黙の臓器提供の強要が制度化されていく懸念はないのだろうか。

英国では“臓器提供安楽死”の提言

一方、なにかとラディカルな発言で名高いオックスフォード大学の生命倫理学者ジュリアン・サバレスキュらは、5月にBioethics誌にShould We Allow Organ Donation Euthanasia? Alternatives for Maximizing the Number and Quality of Organ for Transplantationと題した論文を書き、“臓器提供安楽死(ODE)”を提言した。かねてより、臓器提供と安楽死の議論はいずれ繋がっていく のでは、との懸念は欧米のみならず日本でもささやかれてはいたが、ついに英語圏で「どちらも自己決定権なら、いっそ2つの自己決定を合体させれば?」と言 わんばかりの声が上がった。

保守派の論客ウェズリー・スミスが自身のブログ(5月8日)で引用している上記論文の一部と、オックスフォード大学のサイトに5月10日付で全文公開さ れている同じ著者による論文 Organ Donation Euthanasiaを読むと、その主張とは「生命維持治療の中止にも死後の臓器提供にもそれぞれ自己決定権が認められているのだから、生きたまま全身麻 酔で臓器を摘出するという方法による安楽死を選べるようにするのが合理的。そうすれば臓器が痛まず提供意思を今よりも尊重できるし、患者本人も延命停止後 の苦痛を避けることができる」というもの。「どのみち死んでいく患者だけに適用するのだ」から、意思決定能力のある患者の自己選択と、独立した委員会での 承認を条件にすれば、「死ななくてもよい患者が死ぬということは起こらない」。

その一方でサバレスキュらは、「自分は何一つ損をせずに最大9人の命を救える機会など滅多にないのだ」し、「自分が他者にしてもらいたいと望むことを他 者に行えとの倫理の黄金律にもかなう」行為だと臓器提供を称賛する。しかし、“臓器提供安楽死”の提言が道徳や倫理の問題ではなく、“移植臓器の数と質を 最大化するための選択肢”の問題であることは彼らの論文タイトルが明示している。

7月17日、日本でも改定臓器移植法が施行された。「“国際水準の移植医療”を日本でも実現するために」との掛け声で改定された法律である。その “国際水準”が向かう先が臓器の“物々交換”やODEなのだとしたら、果たしてどこまで追いかけようというのだろう……。

「世界の介護と医療の情報を読む 50」
「介護保険情報」2010年8月号




【関連エントリー】
「腎臓がほしければ、他人にあげられる腎臓と物々交換で」時代が始まろうとしている?(2010/6/30)

「生きた状態で臓器摘出する安楽死を」とSavulescuがBioethics誌で(2010/5/8)
ベルギーで2年前にロックトインの女性、「安楽死後臓器提供」(2010/5/9)
臓器提供は安楽死の次には“無益な治療”論と繋がる……?(2010/5/9)
Savulescuの「臓器提供安楽死」を読んでみた(2010/7/5)
2010.10.20 / Top↑
愛する人がターミナルになり、
例えばスイスのDignitasなどに連れて行って自殺させると
愛する人を死なせた家族は落ち込むことになります。

そういう家族自身は、もちろんターミナルどころか病気なわけでもありません。

しかし、そういう家族にも致死薬の処方を認めるべきだ、と
Dignitasの創設者であり経営者でもある Ludwig Minelli。

調査によると、
12年前にDignitasを創設した際にはほとんど一文無し状態だった彼、
07年までに100万ドルを超える富を築いたんだとか。

なお、以前にもどこかのエントリーにまとめてはいますが、
この記事にある数字の整理を以下に。

現在までにDignitasに会員登録しているのは61カ国の5700人で、
そのうち724人が英国人。

入会金は200スイス・フラン(121ポンド)で、年会費は52ポンド。
実際に自殺幇助を頼むことになると1815ポンド。

Dignitasと提携している医師は6人で、
この医師らがバルビツレイトを処方するかどうかを決める。

その他にも、あれこれ費用がかかって、
希望者が実際に死ぬまでには約6352ポンドかかる。

なかには、高額な寄付をしてから死ぬ人もいて、
ぽんと6万ポンドを寄付していった人もあるとのこと。

スイスでは、一応、自殺幇助は違法ではないものの、
個人的な利益のためにやることは違法なので、
Minelliは、自分の資産は母親の遺産だと強調している、というわけ。

Swill suicide clinic Dignitas calls for cocktail of drugs to be made available for heartbroken relatives as well
The Daily Mail, October 18, 2010


ターミナルな病状で自殺する人の
家族の自殺幇助も合法化しようと彼は言っているわけですが、

でも、Minelliは去年、すでに
健康な配偶者を末期がんの人と一緒に自殺させる行為にも手を染めているし……。

英国の著名指揮者夫妻がDignitasでそろって自殺(2009/7/14)


【その他、関連エントリー】
国別・Dignitasの幇助自殺者、登録会員数一覧(2010/3/1)
MinelliはDignitasでボロ儲けしている?(2010/6/25)
DingnitasのMinelliが「求められれば健康な人の自殺幇助も」と、またBBCで(2010/7/3)
2010.10.20 / Top↑