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これまで見てきたように、
Norman Fostはアシュリー療法論争に登場した他にも、
ステロイド論争で大いに有名な人物のようなのですが、

ちょっと古いところまで遡ると、
1991年にも臓器目的で子どもを産むことを巡る論争に名前が出てきます。

例えば、
子どもに白血病や腎臓病があった場合に、
その子どもを救う移植のために新たな子を生む──その是非をめぐる論争。

当時の報道からFostのコメントを拾ってみると、

(ドナーが必要だからという理由で赤ん坊を産んだ家族のケースに関わったことが何度かあると語り) 
そういうのは珍しいことではない。

(あるケースでは腎臓病の子どもが2度の移植に失敗したため、もう一人子どもを産んだ。
その子が14歳になって同意したので、移植を行って成功したというケースもある、と語り)
その家族は神様からの贈り物だと考えていた。
年下の方の子どもは、年上の方の子どもを救うために(神に)創られたのだと。

人が、ありとあらゆる理由で子どもを作ることを考えると、
これは命を救うというのだから、マシな理由のうちに入ると思う。

Cover Stories: When One Body Can Save Another
Time, June 17, 1991

(この記事では、Art Caplanも臓器目的で兄弟を妊娠することは許されるとの見解を述べています。
理由など考えずに子どもを作る人だって多いし、
とんでもない理由で子どもを作る人もいる中で、
これは少なくとも愛他的な理由からの子作りだから、
と、Fostと同じ理由を挙げています。)

ところで、ここには
出生前診断によってマッチしないと分った時に、その子どもを堕すことの是非」という、
もう1つの問題も生じてくるわけですが、それについてFostは、

女性がどんな理由で妊娠を終わらせてもかまわないと信じるのであれば、
そういう(胎児がドナーとしてマッチしない)理由で妊娠を終わらせることがいけないと
私には思えない。

More Babies Being Born to Be Donors of Tissue
The New York Times, June 4, 1991


前回のエントリーで紹介した、生命倫理カンファレンスでのPentz講演の際
会場から、

病気の子どものドナーにするために新たに子どもを作る親が実際にいるが、
その際にマッチする子どもを選別する技術として体外受精の技術が使われていることの是非
については議論しないのか、

との発言がありました。
Pentzは時間が許せば議論したいとしながら、
「(臓器目的で子どもを作ることには)個人的には問題があると思う。
でも、私はこういう問題に関しては総じて保守的だそうだから」
と付け加えていました。

15年も前に上記のような論争が既にあったことを考えると、
現在はかなり普及しているのかもしれません。

倫理上の整理も法整備も追いつかないうちに、
こうした新興技術は既成事実化していくのでしょうか。
2007.09.24 / Top↑