1月18日のDiekema講演の際に会場内外で抗議の声を上げビラを配った
障害者団体ADAPTの地元の2つの支部から当日の活動報告が出されていました。
色んなところを経由して以下のブログに転載されています。
障害者団体ADAPTの地元の2つの支部から当日の活動報告が出されていました。
色んなところを経由して以下のブログに転載されています。
まだアドレナリンが駆け巡っているような「凱旋報告」といった趣の文章なので
「Diekema講演で起こったこと」のエントリーで紹介した地元紙の記事などと
合わせ読んだほうがよかろうとは思いますが、
気になった点のみ以下に。
「Diekema講演で起こったこと」のエントリーで紹介した地元紙の記事などと
合わせ読んだほうがよかろうとは思いますが、
気になった点のみ以下に。
①講演内容について
We were surprised at how technically he spoke of Ashley and how he said nothing of the social implications of these procedures.
我々が驚いたのは
Diekema医師がAshleyについてなんとテクニカルに語るのだろうという点と、
こうした処置が社会的にはどういう意味を持つかということに一切触れない点。
我々が驚いたのは
Diekema医師がAshleyについてなんとテクニカルに語るのだろうという点と、
こうした処置が社会的にはどういう意味を持つかということに一切触れない点。
②講演後の質疑でADAPTのメンバーが
「なぜ介護の手段を考え直すというオプションを選択しなかったのか」
と質問した際に、
「そういう選択肢がとられなかった理由は
単に両親が使いたくなかっただけだったと
認めざるをえなかった。」
「なぜ介護の手段を考え直すというオプションを選択しなかったのか」
と質問した際に、
「そういう選択肢がとられなかった理由は
単に両親が使いたくなかっただけだったと
認めざるをえなかった。」
(これは一見なんでもないように思えますが、
よくよく考えてみると相当に重大な発言なのでは?)
よくよく考えてみると相当に重大な発言なのでは?)
③講演後の討議についてかなり詳しく報告されています。
まず参加者の顔ぶれが初めて具体的に出てきましたが、
これが非常に興味深いのです。
まず参加者の顔ぶれが初めて具体的に出てきましたが、
これが非常に興味深いのです。
医療関係者が複数
Diekema医師の弟(外見から分かる軽い身体障害がある)
賛否両方の立場の一般市民
重症児の母親が2人
Diekema医師の弟(外見から分かる軽い身体障害がある)
賛否両方の立場の一般市民
重症児の母親が2人
Diekema医師の弟がここで登場していることに仰天します。
弟に軽い障害(事故によるもの)があることは
去年1月にもToronto Starの電話取材の折りに語っていました。
そのときの文脈から考えると、
今後彼が弟の存在をどういう方向で利用していこうとしているのか読めるようで、
汚いなぁ……と改めて懸念されますが
それについてはまた別エントリーで書こうと思います。
弟に軽い障害(事故によるもの)があることは
去年1月にもToronto Starの電話取材の折りに語っていました。
そのときの文脈から考えると、
今後彼が弟の存在をどういう方向で利用していこうとしているのか読めるようで、
汚いなぁ……と改めて懸念されますが
それについてはまた別エントリーで書こうと思います。
ところで討議では、
ファシリテーター(小児科医)が明らかにDiekema支持だったというのも、
重症児の母親はこのファシリテーターが自分の患者の中から選んで
いわばサクラとして仕込んだあった人たちだったというのも、
地元紙の記事から私が受けた印象と同じ。
ファシリテーター(小児科医)が明らかにDiekema支持だったというのも、
重症児の母親はこのファシリテーターが自分の患者の中から選んで
いわばサクラとして仕込んだあった人たちだったというのも、
地元紙の記事から私が受けた印象と同じ。
ADAPTのメンバーやその他障害者らは会場の後ろに陣取って声を上げたようです。
ファシリテーターが彼らの存在と声を凌いで討議を進めるために
“そこの後ろの人たち”と何度も声をかけたようですから。
ファシリテーターが彼らの存在と声を凌いで討議を進めるために
“そこの後ろの人たち”と何度も声をかけたようですから。
ADAPTのこの凱旋報告では、
会場での受け入れもよくて
「良くぞ言ってくれた」という類の声もあったということなのですが、
全体には地元記事のトーンから感じた懸念が
やっぱり当たっていたんじゃないのかなぁ……という気がします。
会場での受け入れもよくて
「良くぞ言ってくれた」という類の声もあったということなのですが、
全体には地元記事のトーンから感じた懸念が
やっぱり当たっていたんじゃないのかなぁ……という気がします。
障害者団体が来ることを想定して
周到・巧妙に作戦を立てていた
Diekeme(+Ashley父?)サイドの思惑通りに、
障害当事者らが声をあげれば上げるほど世間の偏見が増強され
Diekema(+Ashley父)に有利に作用する……
という包囲網が既に敷かれてしまったのではないか……と。
周到・巧妙に作戦を立てていた
Diekeme(+Ashley父?)サイドの思惑通りに、
障害当事者らが声をあげれば上げるほど世間の偏見が増強され
Diekema(+Ashley父)に有利に作用する……
という包囲網が既に敷かれてしまったのではないか……と。
もしかしたらこの講演自体がその作戦の一貫だったのかも。
講演の直前にDiekema医師が
「障害者団体からの嫌がらせ」を仄めかしたり
「Gunther医師がどんな目に会ったかを見たら誰も後は継がない」
などと発言していたし、
講演の直前にDiekema医師が
「障害者団体からの嫌がらせ」を仄めかしたり
「Gunther医師がどんな目に会ったかを見たら誰も後は継がない」
などと発言していたし、
これを書きながら、ふっと思い出したのですが、
直接の担当医であるGunther医師が自殺した際にも、
「同医師の自殺はヒステリックに非難した障害者団体のせいだ」という声が
トランスヒューマニストのブログから即座に出ましたね。
Ashley父が自分のブログに引用したトランスヒューマニストのブログでした。
直接の担当医であるGunther医師が自殺した際にも、
「同医師の自殺はヒステリックに非難した障害者団体のせいだ」という声が
トランスヒューマニストのブログから即座に出ましたね。
Ashley父が自分のブログに引用したトランスヒューマニストのブログでした。
2008.02.05 / Top↑
市場テロでの無責任な報道から
事実と確認されたわけでもない物語が作られて一人歩きしている件で、
それでも次から次へと流れてくる刺激的なニュースに取り紛れて
この事件も既に忘れられ始めているのが現実なのだと痛感するにつけ、
事実と確認されたわけでもない物語が作られて一人歩きしている件で、
それでも次から次へと流れてくる刺激的なニュースに取り紛れて
この事件も既に忘れられ始めているのが現実なのだと痛感するにつけ、
実は世の中にはそういう物語で作られた“事実”があふれていて
我々はそういう物語の積み重ねの中で世の中を眺めているに過ぎないのかもしれない──
我々はそういう物語の積み重ねの中で世の中を眺めているに過ぎないのかもしれない──
などと考えてしまうのは私の場合、
“Ashley療法”事件とどうしても重なって見えてしまうからというに過ぎないのですが、
その“Ashley療法”論争の際に日本で起こったことを。
“Ashley療法”事件とどうしても重なって見えてしまうからというに過ぎないのですが、
その“Ashley療法”論争の際に日本で起こったことを。
――――
去年の1月に世界中で論争が巻き起こったとはいえ、
遠い(?)米国で1人の重症児に行われた過激な医療を
日本で取り上げたメジャーなメディアはほとんどなく、
ニュースを広げたのは主にインターネット上のニュース・サイトのようでした。
遠い(?)米国で1人の重症児に行われた過激な医療を
日本で取り上げたメジャーなメディアはほとんどなく、
ニュースを広げたのは主にインターネット上のニュース・サイトのようでした。
いくつかのサイトが海外ニュースを紹介する形で報じた中で
非常に残念なことに
「(Ashleyの)知的機能は既に失われ」と書いた記事がありました。
Ashleyが植物状態であるかのような印象を与えますが、
これは明らかに事実誤認なのです。
非常に残念なことに
「(Ashleyの)知的機能は既に失われ」と書いた記事がありました。
Ashleyが植物状態であるかのような印象を与えますが、
これは明らかに事実誤認なのです。
おそらく、いくつかの英文記事を読む過程で
記者が予め持っていた重症児のステレオタイプやスティグマによって
そういう誤解が頭に植えつけられていったものでしょう。
記者が予め持っていた重症児のステレオタイプやスティグマによって
そういう誤解が頭に植えつけられていったものでしょう。
ほんの10文字──。
長い記事の全体からすると、ほんの小さな部分です。
しかし、たまたま最も早く最も詳しかったために、
この記事は多くのブログにコピペされて広まりました。
そして
「知的機能が失われているのだから、やむをえないかも」などの意見の論拠となりました。
この記述から「Ashleyには感覚がないのだから」と理解した人もありました。
長い記事の全体からすると、ほんの小さな部分です。
しかし、たまたま最も早く最も詳しかったために、
この記事は多くのブログにコピペされて広まりました。
そして
「知的機能が失われているのだから、やむをえないかも」などの意見の論拠となりました。
この記述から「Ashleyには感覚がないのだから」と理解した人もありました。
当時、私には理解できにくかったのは、
そうした議論をしている人の中に
Ashleyの写真を見た人も少なくなかったこと。
そうした議論をしている人の中に
Ashleyの写真を見た人も少なくなかったこと。
Ashleyの笑顔を見ながら、
どうして、それが「知的機能は既に失われている」子どもだとの記述を
疑わずにいられるのか……。
どうして、それが「知的機能は既に失われている」子どもだとの記述を
疑わずにいられるのか……。
それが私にはどうしても分かりませんでした。
今もよく分からないのですが、
まず多くの人は重症児の現実を直接的に知らないからかもしれない。
まず多くの人は重症児の現実を直接的に知らないからかもしれない。
その記者と同じステレオタイプやスティグマが読者の側にもあった場合には
Ashleyの表情の豊かさには注意を引かれないのかもしれない。
Ashleyの表情の豊かさには注意を引かれないのかもしれない。
それが、自分の見たいものだけを見てしまう
スティグマというものの怖さなのかもしれない、と思ってみたり。
スティグマというものの怖さなのかもしれない、と思ってみたり。
もう1つには、
私たちはニュースを読むときには基本的に内容を信頼しているということ。
だからこそニュースから受ける衝撃が大きければ、
心が波立っている分だけ余計に、
冷静に自分の頭で検証しながら読むよりも、
早く事実を知ろうとしてしまう。
私たちはニュースを読むときには基本的に内容を信頼しているということ。
だからこそニュースから受ける衝撃が大きければ、
心が波立っている分だけ余計に、
冷静に自分の頭で検証しながら読むよりも、
早く事実を知ろうとしてしまう。
(イラク市場テロの爆破犯が知的障害者だったと聞くと、
私も衝撃の方が先に来てしまって
「どうして分かったんだろう」という当たり前の疑問が
とりあえず引っ込んでしまいました。)
私も衝撃の方が先に来てしまって
「どうして分かったんだろう」という当たり前の疑問が
とりあえず引っ込んでしまいました。)
そして私たちはAshley事件でも市場テロ事件でも
メディアから受け取った物語の上に立ってそれを論じる。
強固な事実という土俵に立って自分は論じていると信じている、
その土俵が実はぺらぺらのベニヤ板でできたニセモノかもしれないなどと
疑ってもみずに。
メディアから受け取った物語の上に立ってそれを論じる。
強固な事実という土俵に立って自分は論じていると信じている、
その土俵が実はぺらぺらのベニヤ板でできたニセモノかもしれないなどと
疑ってもみずに。
でも一番怖いと思うのは、
1年前、Ashleyに行われたことに衝撃を受けて心を波立たせ、
人と話し合ったり、ブログに意見を書かないでいられなかった多くの人が、
本当はどういう事件だったのかという事実や真実を知ることもないままに、
あっという間にこの事件への関心を失ってしまったこと。
1年前、Ashleyに行われたことに衝撃を受けて心を波立たせ、
人と話し合ったり、ブログに意見を書かないでいられなかった多くの人が、
本当はどういう事件だったのかという事実や真実を知ることもないままに、
あっという間にこの事件への関心を失ってしまったこと。
けれども、その人たちの記憶の中には
英米のメディアが流した物語とあいまって、
「知的機能が既に失われて感覚すらないアメリカの重症児に
親が愛情からこんな処置をした。
病院の倫理委も本人の利益だとして承認した」
という物語が“事実”として残ってしまったこと。
英米のメディアが流した物語とあいまって、
「知的機能が既に失われて感覚すらないアメリカの重症児に
親が愛情からこんな処置をした。
病院の倫理委も本人の利益だとして承認した」
という物語が“事実”として残ってしまったこと。
その“事実”だけを記憶に残して、
まだ続いている事件には
もはや誰も感心を持たないように思えること。
まだ続いている事件には
もはや誰も感心を持たないように思えること。
このまま事実が隠されてしまったり、
巧妙に何かを進めていくことを願っている人たちにとっては、
とても都合のいいことに。
巧妙に何かを進めていくことを願っている人たちにとっては、
とても都合のいいことに。
2008.02.05 / Top↑
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