2ntブログ
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--.--.-- / Top↑
明日イギリスで発表されるらしいのですが、
すべての子どもが14歳になると一人ひとりに番号が振られ
14歳時点の個人情報と試験結果、停学や退学処分などが
その番号でデータベースに記録されて
進学や就職に際して大学や企業がオンラインでアクセスできるように……
それを毎年繰り返していくことで
14歳以上の英国民全員のデータベースを作る……
という計画があるとか。

今でも子どもには「固有生徒番号」という番号が振られてはいるらしいのですが、
そちらは卒業と同時に抹消されるもの。
今度のシステムで生徒に振られる番号は「固有学習者番号」と呼ばれ、
なんとリタイアするまで政府機関が個人を追跡するために使用するとのこと。

昨日のMicrosoftのオフィス“スパイ”システムのニュースでも
「Big Brother 式の」という形容詞を使ったTimes、
このニュースでも「このBig Brother アプローチ」と。

反対の声、批判の声が続々と上がっているようですが、
そりゃ、当たり前でしょうよ。


2008.02.13 / Top↑
今年のツアーの案内は見失ってしまったので、
こちらはユーディットが去年アクセシビリティ関連のMLに流した去年のツアー案内文の一節。

障害をお持ちの方にも、英語力に自信のない方にも、友人として以上の特別な
配慮はいたしません。事前に開設するMLで友達を作って、自力で会議に
参加してください。展示を見るだけでも充分行く価値があります。

なるほど、ここには
「障害者だからといってむやみに弱者扱いすることこそ差別」とか
「アメリカの障害者なら、それくらいのことは自力でやって自立生活を実現している」
といったアンダー・トーンがあるのだろうと思われ、
いかにも障害者を人として認め尊重しているかのように聞こえなくもない。

でも、これははっきり言って、
「自力で会議に参加」できる障害像の人以外はくるな、と言っているわけですね。

で、このツアーに受け入れてもらえる障害像というのは結局、
Kurzweilの講演が対象としているらしい
感覚障害と身体障害が中心ということになるのかもしれず、

技術が人間をパーツでできた機械のように眺めることでサポートを可能にするのだとしたら、
じゃぁ、どこまではサポートなのか、どこからは尊厳の問題になるのか、
という問題は避けがたいはずだろうと思うのだけれど、
サポートを云々しても尊厳の問題に抵触しにくい安全圏が
とりあえず感覚障害と身体障害なのかもしれない。

これが知的障害だと
脳に電極を埋め込んで云々という話などになってしまうから、
一般向けにはそういうことも書いたりしゃべったりしているKurzweilも
さすがに障害者を対象にした講演では避けておきたかったのかもしれない。

そうすれば彼らトランスヒューマニストの中にある
知能をはじめとした能力と効率重視の人間観は
本質的に障害者への軽視・蔑視・切捨ての人間観であることを隠して、
新興テクノロジーが描く障害者のバラ色の未来だけを
語って見せることができるのかもしれない。


この会議の周辺の情報をぼんやり眺めながら、
それやこれや考えていたら、
頭によみがえってきたのは
Diekema医師が「ラリー・キング・ライブ」で
障害当事者らに向かってしきりに強調していた
「Ashleyはあなた方とは違うのだ」という言葉。

さらには同じくDiekema医師の
「その人の状態によって尊厳が何かという内容は変わる」
「Ashleyには自分が尊厳ある扱いをされているかどうかすら分からない」


新興技術で障害者をサポートしようと掛け声が行き交う世界を考えていると、
一方の側からはとても熱心にサポートを考えるのだけれど、
その反対側では、まるでそれと一対のセットであるかのように
全否定してばっさりと切り捨てるような動きも起こっていて、
両方の動きが両側からじわじわと進んで出会うところには
くっきりと動かしがたいラインが引かれてしまうのではないか……という
不気味さみたいなものを感じてしまう。



2008.02.13 / Top↑
California State University of Northridgeの障害センターの主催で
毎年3月に障害者とテクノロジー会議なるものが開催されているということを
つい最近知って、

なるほど障害者支援技術の最先端ってどんなんだろう……と、
ちょっと興味を持ったものだから、
Conference 2008 Technology & Persons with Disabilities Conferenceのサイトを覗いてみたのですが、

スペシャル・イベントの講演のところで
しばらく忘れていた懐かしい名前に遭遇しました。

Ray Kurzweil
様々な新興テクノロジーの発展がある一定のレベルに達する“特異点”で
人類と人類社会は飛躍的な変貌を遂げて
ポストヒューマンの素晴らしい時代に一気に突入すると説く、
あのトランスヒューマニスト

トランスヒューマニスト(またの名をトンデモヒューマニスト)と障害者とは
天敵なのだとばかり思っていたので、ものすごく意外な気がして、びっくり。

ちなみにKurzweil講演の演題は「ハンディキャップの終わり」。
これって、フランシス・フクヤマのもじりでしょうか?
そういえばフランシス・フクヤマもT ヒューマニストらの天敵でしたっけ。

講演について短い解説があり、
Mr. Kurzweil will discuss how emerging technologies will be the great leveler in eliminating the handicaps associated with sensory and physical disabilities. Share the future with one of the field’s most respected visionaries.

新興テクノロジーというのは
障害によって生じるハンディキャップを解消して
健常者との差を埋めるスグレモノだという話をする予定で、
この分野の最も尊敬される預言者つまりKurzweilと一緒に
そういう未来を夢見よう……との特別企画だというわけですが、

ここで障害がさりげなく限定されていることに注目。
感覚障害と身体障害に限定なのですね。


この会議には毎年日本からも大勢の参加があるようで、
ツアーを企画しているユーディットという会社の当該サイトから
これまでの参加者の体験記が読めます。

一部読んでみたものはユーザーではなくメーカーの立場の人の体験談だったので、
専門的過ぎてちんぷんかんぷんではあったものの、
なかなか日頃の自分の生活の中からは想像もつかない先端技術の可能性の匂いがして、
技術が進み、それによってハンディキャップを克服できる人が増えていくことは
やっぱり素晴らしいことだと、それは素直にそう考える。
こんなに多くの人が熱心に研究開発に従事していることにも、
素直に感謝する気持ちにもなる。
実際にそういう展示を目の前にしたら、
あまりの可能性の大きさ素晴らしさに感動して、
キャアキャア言ってしまいそうだ……とも思う。

だけど、
その素直に感動したり感謝したりする気持ちの中にも、
どこか保留にしておきたい部分が残ってしまうのは、
あのKurzweilがこんなところで何をしているのだ? という違和感。

研究者や技術者、メーカーや旅行会社の関係者はともかくとして、
世界中から会場に詰め掛ける障害当事者たちは果たして
KurzweilをはじめとするT ヒューマニストらの思想がどういうものか知ったうえで
「障害の終わりというバラ色の未来」の話を聞くのだろうか……というひっかかり。

なぜか彼らは主流メディアに登場する際には
自分がT ヒューマニストであるとは名乗らないみたいなのだけど、
(Ashley論争の際にもDvorskyもHughesも、トの字も言わずに涼しい顔でテレビに出ていた。)

やはりKurzweilもこの講演では
トランスヒューマニズムとかポストヒューマンなどという言葉は使わずに
「障害の終わりというバラ色の未来」の話だけをするのでしょうか……。
2008.02.13 / Top↑