久々にDr.Gunther とDr. DiekemaのAshley論文を読み返していたら
これまで見落としていた箇所に眼を引かれました。
これまで見落としていた箇所に眼を引かれました。
この論文では子宮摘出についてはほとんど前面に打ち出されず、
ホルモン療法の副作用防止のための必要悪であり、
さも何でもないことであるかのように装ってあるのですが、
それだけではさすがに気が引けたのか
「ここで子宮摘出について一言」といった書き出しで
いかにも言い訳の匂いのする一節が挿入されています。
ホルモン療法の副作用防止のための必要悪であり、
さも何でもないことであるかのように装ってあるのですが、
それだけではさすがに気が引けたのか
「ここで子宮摘出について一言」といった書き出しで
いかにも言い訳の匂いのする一節が挿入されています。
その一節の最後に
子宮摘出の決定は慎重に行われなければならない、
その倫理的法律的な議論は別のところで行っている、とさらりと書かれていて、
その「別のところ」についている注をたどると、巻末の参考文献で
Diekema医師が発表した論文にたどりつくのです。
子宮摘出の決定は慎重に行われなければならない、
その倫理的法律的な議論は別のところで行っている、とさらりと書かれていて、
その「別のところ」についている注をたどると、巻末の参考文献で
Diekema医師が発表した論文にたどりつくのです。
発表されたのはAshley事件の前年。
Diekema DS
Involuntary sterilization of persons with mental retardation: an ethical analysis
Ment Retard Dev Disabil Res Rev. 2003; 9 (1): 21-6 (ISSN: 1080-4013)
Involuntary sterilization of persons with mental retardation: an ethical analysis
Ment Retard Dev Disabil Res Rev. 2003; 9 (1): 21-6 (ISSN: 1080-4013)
この論文は今までうっかり見落としていたので探してみたところ、
以下のサイトで梗概を見つけました。
以下のサイトで梗概を見つけました。
この梗概によるとDiekema医師は
知的障害のある人自らの意思によらない不妊手術が行われてはならない条件として
・生殖に関する意思決定の能力
・子どもを育てる能力
・結婚に同意できる能力
が本人にある場合を挙げています。
・生殖に関する意思決定の能力
・子どもを育てる能力
・結婚に同意できる能力
が本人にある場合を挙げています。
そして、この3つの条件をすべて欠いている知的障害女性は
自らの意思によらない不妊手術を検討する対象になるとしているのですが、
もちろんそこには一定の条件があって、
彼が挙げている条件は以下の4つ。
自らの意思によらない不妊手術を検討する対象になるとしているのですが、
もちろんそこには一定の条件があって、
彼が挙げている条件は以下の4つ。
・その処置が必要であること
・不妊手術が知的障害のある女性本人の最善の利益にかなうこと
・より侵襲度が低く一時的な避妊方法や生理のコントロールの選択肢が使えないこと
・公正な意思決定プロセスを保障するため手続き上のセーフガードが実施されていること
・不妊手術が知的障害のある女性本人の最善の利益にかなうこと
・より侵襲度が低く一時的な避妊方法や生理のコントロールの選択肢が使えないこと
・公正な意思決定プロセスを保障するため手続き上のセーフガードが実施されていること
この4つの条件を満たす場合にのみ、
知的障害女性の不妊手術は検討されるべきだというのがDiekema医師の主張です。
知的障害女性の不妊手術は検討されるべきだというのがDiekema医師の主張です。
Ashleyに行われた子宮摘出について
同医師は「最善の利益」論によるジャスティフィケーションを繰り返していますが、
その根拠が「生理痛の除去」と「将来の病気予防」だというのでは
あまりにも無理があるでしょう。
同医師は「最善の利益」論によるジャスティフィケーションを繰り返していますが、
その根拠が「生理痛の除去」と「将来の病気予防」だというのでは
あまりにも無理があるでしょう。
つまり、2004年のAshleyの両親からの「娘の子宮を摘出したい」という要望は
その前の年にDiekema医師自身が発表した論文の条件の
いずれをも満たしていなかったということになるのです。
その前の年にDiekema医師自身が発表した論文の条件の
いずれをも満たしていなかったということになるのです。
それが倫理委員会の承認を得て実施されてしまうとは、
なんたる摩訶不思議。
なんたる摩訶不思議。
2008.08.18 / Top↑
ハリウッド映画 Tropic Thunderの知的障害者差別問題を
精力的にフォローしているジャーナリスト Patricia Bauerさんのブログに、
日曜版で‘Thunder’を批判した新聞の記事が7本挙げられています。
精力的にフォローしているジャーナリスト Patricia Bauerさんのブログに、
日曜版で‘Thunder’を批判した新聞の記事が7本挙げられています。
Sunday’s crop: ‘Thunder’ commentary
PatriciaEBauer NEWS & COMMENTARY ON DISABILITU ISSUES
August 17, 2008
PatriciaEBauer NEWS & COMMENTARY ON DISABILITU ISSUES
August 17, 2008
知的障害のある子どもの親の立場や障害者団体として書かれたものを含み
一応7本すべてを読んでみました。
一応7本すべてを読んでみました。
客観的な立場から一番簡潔に論点を突いていると思ったのは、
例えば
Words hurt. Some words can destroy lives.
言葉は人を傷つける。言葉が命を壊すこともある。
This is not a plea for political correctness. It is a demand for basic human decency.
これは政治的な正しさを求める声ではない。
人として基本的な心遣いを求める声である。
言葉は人を傷つける。言葉が命を壊すこともある。
This is not a plea for political correctness. It is a demand for basic human decency.
これは政治的な正しさを求める声ではない。
人として基本的な心遣いを求める声である。
この記事が問題を皮相的な言葉の問題ではなく、
誰かと向かい合う自分の人としてのあり方の問題なのだと書いていることは
とても正しい問題の捉え方だと思う。
誰かと向かい合う自分の人としてのあり方の問題なのだと書いていることは
とても正しい問題の捉え方だと思う。
ただ、この記事のメッセージもまた、やはり世の中の多くの人には届かない。
私が読んだ時点で寄せられていたコメント30のほぼ全部が
「たかが映画やギャグに、なにマジになってんだよ」
「この程度の言葉にいちいち目くじら立ててたら何も言えないだろーが」
「バカをバカと呼んで何が悪いんだ」
「ホントのretard だったら何と呼ばれようと気にならないだろ」
など、記事への反論・批判であり、
そこにこそヘイトが満ち満ちていることに
改めて障害者を取り巻く空気の冷たさを感じ暗澹とさせられます。
「たかが映画やギャグに、なにマジになってんだよ」
「この程度の言葉にいちいち目くじら立ててたら何も言えないだろーが」
「バカをバカと呼んで何が悪いんだ」
「ホントのretard だったら何と呼ばれようと気にならないだろ」
など、記事への反論・批判であり、
そこにこそヘイトが満ち満ちていることに
改めて障害者を取り巻く空気の冷たさを感じ暗澹とさせられます。
それから、もう1つ気になるのが、
ここに挙げられた7本は全てローカル紙の記事であり、
メジャーなメディアは概ねDreamWorks寄りのスタンスでこの問題を眺めているらしいこと。
ここに挙げられた7本は全てローカル紙の記事であり、
メジャーなメディアは概ねDreamWorks寄りのスタンスでこの問題を眺めているらしいこと。
――――――
上記記事の一部を訳す際にdecencyを一応「心遣い」としてみましたが、
なんとも日本語一言ですくいきれない言葉のような……。
今ちょっと手垢に汚れて本来の意味を失っていますが「品格」の方が近いかも。
なんとも日本語一言ですくいきれない言葉のような……。
今ちょっと手垢に汚れて本来の意味を失っていますが「品格」の方が近いかも。
この言葉は大江健三郎さんがノーベル文学賞受賞の際のスピーチで
日本語に翻訳せずに、そのまま「ディセンシー」として使われて、
(もちろん私ごときには計り知れない高度に文学的哲学的ディセンシーのことだったのだけど)
人類の未来への希望を自分は人のディセンシーに託したいと言われたような記憶があって
日本語に翻訳せずに、そのまま「ディセンシー」として使われて、
(もちろん私ごときには計り知れない高度に文学的哲学的ディセンシーのことだったのだけど)
人類の未来への希望を自分は人のディセンシーに託したいと言われたような記憶があって
そんなことを思い出しながら読むと、
実際、この記事に寄せられているのは decency の感じられないコメントばかりだなぁ。
実際、この記事に寄せられているのは decency の感じられないコメントばかりだなぁ。
さらに、そういえば、
グローバリズムだ、ネオリベラリズムだ、科学とテクノロジーで「もっと、もっと」と
急速に便利になりつつ過酷さを増していく世の中から
どんどん失われていっているのもまた、basic human decency のようでもあり。
グローバリズムだ、ネオリベラリズムだ、科学とテクノロジーで「もっと、もっと」と
急速に便利になりつつ過酷さを増していく世の中から
どんどん失われていっているのもまた、basic human decency のようでもあり。
2008.08.18 / Top↑
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