既に成人した娘が「障害児」であった頃の体験や
親としての自分の当時のあれこれの思いを振り返りながら読むと、
いろんなことを感じ、思い、考えるのだけれど、
親としての自分の当時のあれこれの思いを振り返りながら読むと、
いろんなことを感じ、思い、考えるのだけれど、
とても素朴に、胸に響いてきたのは、
家族の形は様々であると考えられるが、障害児のいる家族にあっても、男性も女性もともに働きともに子育てをする男女共同参画の視点も踏まえた支援が必要である。
という下り。
ちょうど20年前、いろいろな事情から窮して
市役所の福祉課に電話をかけたことがあった。
市役所の福祉課に電話をかけたことがあった。
「重度の脳性まひの1歳児なんですけど
昼間の保育をお願いできるところはないでしょうか」
昼間の保育をお願いできるところはないでしょうか」
返って来た答えは
「その子のお母さんはどうしておられるんですか」
「私が母親ですが、フルタイムで働いているんです」
「私が母親ですが、フルタイムで働いているんです」
すると、相手は呆れた口調になって
「普通、子どもが障害を持っていたらお母さんが仕事を辞めて
子どもの面倒を見ておられますよ」
「普通、子どもが障害を持っていたらお母さんが仕事を辞めて
子どもの面倒を見ておられますよ」
それが当たり前だろうと言わんばかりの口調には非難のトゲがあった。
実際には、その後、個人的に掛け合ってみたら受け入れてくれる市の保育所もあったし、
それやこれやと動いてみたことが功を奏して、
知的障害児の通園施設にたどり着くことが出来たのだけれど、
「子どもに障害があるのに母親が仕事をしようなんて……」と
それだけで愛情の薄い母親であるかのように言われることはその後も多かった。
それやこれやと動いてみたことが功を奏して、
知的障害児の通園施設にたどり着くことが出来たのだけれど、
「子どもに障害があるのに母親が仕事をしようなんて……」と
それだけで愛情の薄い母親であるかのように言われることはその後も多かった。
そして、実際には
障害があっても健康な子どもしか現実には保育所には通えないし、
ウチの娘のように障害があるために言語道断なほどに虚弱で病気ばかりしている子どもは
通園施設の重症児のクラスにすら半分も通えなかった。
障害があっても健康な子どもしか現実には保育所には通えないし、
ウチの娘のように障害があるために言語道断なほどに虚弱で病気ばかりしている子どもは
通園施設の重症児のクラスにすら半分も通えなかった。
その他にも諸々の事情があって結局は私は離職するしかなかったし、
そのことのインパクトは今なお私自身の内面や周辺との人間関係に尾を引いている。
そのことのインパクトは今なお私自身の内面や周辺との人間関係に尾を引いている。
だから「報告書」の中でも
この部分はまるでゴシック体で書かれているかのように眼に飛び込んできたし、
この部分はまるでゴシック体で書かれているかのように眼に飛び込んできたし、
ああ、時は流れたのだなぁ……社会の意識がここまで変わったのかぁ……と
感慨がひとしおだったのだけれど、
感慨がひとしおだったのだけれど、
しかし、ずっと読み進んでいくと、
相変わらず「母子入園による養育方法の支援」とあって、
相変わらず「母子入園による養育方法の支援」とあって、
なんだ、障害児の親でも男女問わずに働きましょう、でも子育ては母親の仕事だよ……
というのがホンネかよ……とガクッと。
というのがホンネかよ……とガクッと。
そしたら今日、こんなニュースを見つけた。
なんだ、現実はちっとも変わってないんじゃないか……。
2008.08.23 / Top↑
顔の部分移植というと、
2005年にフランスで犬に襲われた女性が世界初の顔の移植症例として話題になりましたが、
2005年にフランスで犬に襲われた女性が世界初の顔の移植症例として話題になりましたが、
その後、中国で熊に襲われた男性と、
フランスで顔の腫瘍を患った男性で
ともに顔の部分移植が成功したとのこと。
フランスで顔の腫瘍を患った男性で
ともに顔の部分移植が成功したとのこと。
移植のお陰で、
それまで出来なかった飲食や話も普通に出来るようになったと
担当の移植医らは興奮しておられて、
この手術は既に「倫理論争から外科の現実へと移り変わった」とまで言い放ち、
それまで出来なかった飲食や話も普通に出来るようになったと
担当の移植医らは興奮しておられて、
この手術は既に「倫理論争から外科の現実へと移り変わった」とまで言い放ち、
また英国の医師らを始めとして、あちこちで
「次はフル・フェイスの移植!」と張り切っておられるようなのですが
「次はフル・フェイスの移植!」と張り切っておられるようなのですが
2005年から倫理問題となっているのは
・症状が命に関るものではない
・顔はアイデンティティに関る部分でもあり心理的な影響
・拒絶反応を抑えるために死ぬまで強い薬を飲まなければならない
その薬には癌やその他の病気のリスクがある
・ドナーの家族の気持ちの問題
・顔はアイデンティティに関る部分でもあり心理的な影響
・拒絶反応を抑えるために死ぬまで強い薬を飲まなければならない
その薬には癌やその他の病気のリスクがある
・ドナーの家族の気持ちの問題
などなどであり、
これらの倫理問題と外科技術としての成功率とは別問題なのであって、
前者から直線的にその延長で後者に移り変わるという性格のものではないのでは―――?
これらの倫理問題と外科技術としての成功率とは別問題なのであって、
前者から直線的にその延長で後者に移り変わるという性格のものではないのでは―――?
そういえば、世界初の顔移植のIsabelle Dinoireさんのその後は……?
と、気になったので、Wikipedia を覗いてみたら、
New England Journal of Medicineに担当医が2年目の報告を書いていて、
微笑むことが出来るようになったという本人の感想がある一方で、
その2年間に腎臓障害が起き、拒絶反応が2回あったとのこと。
と、気になったので、Wikipedia を覗いてみたら、
New England Journal of Medicineに担当医が2年目の報告を書いていて、
微笑むことが出来るようになったという本人の感想がある一方で、
その2年間に腎臓障害が起き、拒絶反応が2回あったとのこと。
手術の1年後にAP通信が掲載した写真というのがあって、
これは私もはっきり覚えているのですが、
驚いたことに、その後削除されています。
どうやら写真の一部に修整が施されていたことが判明したのがその理由。
これは私もはっきり覚えているのですが、
驚いたことに、その後削除されています。
どうやら写真の一部に修整が施されていたことが判明したのがその理由。
ちなみに、万が一拒絶反応を抑える薬をやめたらどうなるかというと、
新しく移植した部分がずり落ちてきて「悲惨なことになる」のだそうです。
新しく移植した部分がずり落ちてきて「悲惨なことになる」のだそうです。
そういうことが起きてしまった場合には
患者にはもちろん相当な精神的なダメージがあると思うし、
顔だけでなく身体も副作用でボロボロになっている可能性もあるのだけど、
患者にはもちろん相当な精神的なダメージがあると思うし、
顔だけでなく身体も副作用でボロボロになっている可能性もあるのだけど、
担当医らはその時に
患者をその「悲惨」から救うために、
どれほど熱心な努力を払ってくれるのでしょうか。
患者をその「悲惨」から救うために、
どれほど熱心な努力を払ってくれるのでしょうか。
こうした記事を読んでいると私の頭には聞こえてくる。
「千と千尋の神隠し」で「千ほしい…ほしい、千……」とつぶやいていた顔なしの声で
「千と千尋の神隠し」で「千ほしい…ほしい、千……」とつぶやいていた顔なしの声で
やってみたい……本当は、ただ、やってみたい……
2008.08.23 / Top↑
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