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【デンバー子ども病院の75秒DCDルール】

ちょっと確認したいことがあって、2008年のDenver 子ども病院の75秒DCDルール(心停止から75秒だけ待って、心臓を摘出、移植するプロトコル)について調べていたところ、当該論文と、その直後に加熱した論争当時の文献があれこれと出て来たので、面白そうなものだけでも拾っておこう、と思って。

論議を呼んだ、Denver子ども病院チームのもと論文。全文が読めます。
http://www.nejm.org/doi/full/10.1056/NEJMoa0800660#t=article

2008年8月、上記論文発表時のWP記事。「Auroraの乳児心臓移植で、轟々の非難と賛辞」。
http://www.denverpost.com/ci_10195136

日付の確認ができないんだけど、Hastings Center Reportの記事。「乳児心臓移植論争により死亡提供者ルールの重要性が注目される」
http://www.thehastingscenter.org/News/Detail.aspx?id=2058

米国医師会新聞の2009年1月の記事。「死の再定義:新たな倫理のジレンマ」。
http://www.ama-assn.org/amednews/2009/01/19/prsa0119.htm

2009年10月の All Businessというサイトの詳細な記事。「細く平たい境界線:DCDにおいてはどういう患者が法的に死んでいるのか」:2008年の一般メディアの報道を見ても、法的に死亡宣告がされるためには心停止から2~5分待つことが求められているとされ、Denverの75秒ルールは違法だとの見方が目につく。
http://www.allbusiness.com/medicine-health/medical-treatments-procedures-surgery/13587710-1.html

NYT の2009年12月の記事。「死はいつから始まるのか」。移植を受けた患者と家族、ドナー家族への取材と、論争の概要。
http://www.nytimes.com/2009/12/20/magazine/20organ-t.html?pagewanted=all


【その他の話題】

Art Caplan が Lancet で、医療職のインフルエンザ・ワクチン接種率が過去10年間5割を切っているとは何事か、義務付けるべき、と。冒頭、英国のワクチン関係者と話したエピソードがあるのだけど、英国でも医師らがなかなかワクチンを打たないのに困っている、と。:たいへん興味深いデータです。たしかブタ・インフルの時にも、医療職の接種率は低いままでしたね。
http://www.thelancet.com/journals/lancet/article/PIIS0140-6736%2811%2961156-2/fulltext

兄弟姉妹が打ち揃って親の家に集まって、音楽やごちそうで盛り上がり、何をするのかと言えば、親の人生を称え、親の死後の細かいことをみんなで話し合って取りきめておく。そういうイベントをやった家族の取材記事。子どもたちがhelp their parents to celebrate life and plan for death。親が人生を振り返って寿ぎ、死に備えるのを「子どもたちが手伝ってあげる」んだと。
http://www.washingtonpost.com/national/siblings-joined-forces-to-help-their-parents-celebrate-life-and-plan-for-death/2011/05/23/gIQAzsZCZI_story.html?wpisrc=nl_cuzheads

ヘロインの覚せい効果を相殺するワクチン、ラットで開発中。:こういうのまで、いずれ開発されればリスクの高い人に「薬物濫用予防」の名のもとに?
http://www.washingtonpost.com/national/health-science/a-vaccine-against-heroin-works--at-least-in-rats/2011/07/25/gIQAm4PeZI_story.html?wpisrc=nl_cuzheads

オンブズマンとして、ナーシングホームの入所者の苦情を聞いてきた女性が、自身の怪我でリハビリを受けるために入所したところ、あまりにも尊厳のない扱いに衝撃を受けた体験談。
http://www.startribune.com/local/126150738.html

イリノイ大学の調査で、グループホームの職員の給料に補助金が出ると、職員の離職を防げて、長期的にはコスト削減につながる、との結果。
http://www.medicalnewstoday.com/releases/231604.php

子どもの入院治療については、本人を交えて話がされていないと、子どもの不安や精神的な動揺が大きい。
http://www.medicalnewstoday.com/releases/231668.php

母乳で育てられた子どもは喘息になりにくい。
http://www.medicalnewstoday.com/articles/231657.php
2011.07.26 / Top↑
1990年のナンシー・クルーザン事件とその判決については、
米小児科学会倫理委の「栄養と水分の差し控え」ガイドライン(2009)において
成人患者の場合に栄養と水分の供給をその他の医療と変わらないと判断する
法的根拠として言及されていました。

Alicia Quelletteの新刊「生命倫理と障害:障害者に配慮ある生命倫理を目指して」を読んでいたら、
第2章のあたりで、そのクルーザン判決について書かれていたので、資料として。

まずびっくりしたのは、クルーザン判決を決定づけた最高裁判事って、
何年か前に引退する際に後任人事がモメまくって
連日ニュースになったのが記憶に残っている
あの女性判事のO’Connorさんだった。

自分がこういう問題に興味を持つ以前の出来事で
リアルタイムの報道に詳しく触れていないためか、クルーザン事件も
70年代のカレン・クインラン事件とか2005年のシャイボ事件と一緒くたに、
「過去の事件」「教科書の中の出来事」みたいに感じているところがあって、

時折、こんなふうに、
「あのO’Connorさんだったのかぁ……」などと
自分がリアルタイムで触れたニュースとの繋がりに触れると、
それらの事件の現在性が妙にナマナマしく感じられてきたりする。

で、Quelletteの著書に引用されているのが
5-4でクルーザン訴訟の最高裁判決を決定づけたO’Connor判事が
特に「栄養と水分はその他医療と同じ」とする自分の見解を明確に書いている個所。

the liberty guaranteed by the Due Process Clause must protect, if it protects anything, an individual’s deeply personal decision to reject medical treatment, including the artificial delivery of food and water.

合衆国憲法のデュー・プロセス条項によって保障された自由が、なにがしかのものを保護するとするならば、それは食物と水分の人工的な供給を含めた治療を拒否するという、本人個々の非常にプライベートな決定を保護しなければならない。



さらに米国医師会の倫理見解とHastings Centerのガイドラインを引用した上で、

artificial feeding cannot readily be distinguished from other forms of medical treatment. Whether or not the techniques used to pass food and water into the patient’s alimentary tract are termed ‘medical treatment,’ it is clear they all involve some degree of intrusion and restraint. Feeding a patient by means of a nasogastric tube requires a physician to pass a long flexible tube through the patient’s nose, throat and esophagus and into the stomach…..Requiring a competent adult to endure such procedures against her will burdens the patient’s liberty, dignity, and freedom to determine the course of her own treatment.

人口栄養はその他の形態の治療と容易には区別できない。食物と水分を患者の消化管に入れる技術を「治療」と呼ぶかどうかはともかく、人口栄養は一定程度の侵襲と拘束を伴う。鼻から胃に管を入れて栄養と水分を供給するには、医師が患者の鼻から長く柔らかいチューブを入れ、喉、食道を通過して胃に至らしめる……意思決定能力のある患者に自分の意思に反してこのような処置に耐えよと求めるのは、患者の自由と尊厳、治療ついて自己決定する自由を脅かすものである。



引用はいずれも、Quelletteの著書のP.42。


たったこれだけから断定的なことは何も言えないとは思うけれど、

たったこれだけを読むと、
ものすごく複雑な気分で、わわわっと頭に浮かんでくることがあれこれあって、

うぅ~ん……。

な~んか、引っかかるんだけど、
うまく整理できない。
2011.07.26 / Top↑