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中国関連のちょっと息を飲む日本語ニュース。知的障害者を「購入」、炭鉱事故装い殺害、遺族装い賠償金搾取 - 四川。
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2011&d=0714&f=national_0714_196.shtml

そういえば、こんなニュースもあった ↓
死体の闇売買のため障害者を狙って殺害(中国)(2008/9/11)

北海道で発達障害のある4歳男児を母親が殺害。
http://www.sponichi.co.jp/society/news/2011/07/14/kiji/K20110714001211030.html

09年2月に生命維持を停止してモルヒネを大量投与し、四肢まひの患者Ghulam Mohammedさんを殺したとして、オーストリア出身のドバイの医師、Dr. EEが逮捕、起訴された。シャリア法違反。
http://www.thenational.ae/news/uae-news/health/doctors-let-quadriplegic-patient-die-prosecutors-say

シャリア法については、カナダのRasouli裁判でも問題になっていた ↓
「“治療停止”も“治療”だから同意は必要」とOntario上位裁判所(2011/5/17)

コロラド州の殺人犯が囚人が、蘇生を望まないという事前指示書を書いていたのにもかかわらず、無呼吸症候群が悪化した際に記録をチェックすることなしに治療され命を救われたと、刑務所を訴えている。無実の罪で終身刑になっているので、死んだ方がマシだ、という望みだったのだとか。「ナーシング・ホームだったら緊急時に事前指示書を確認しないなんてあり得ないのに」と。
http://www.denverpost.com/news/ci_18497949

認知症の配偶者を介護している人は、そのストレスから認知症になるリスクが大きい。
http://www.australianageingagenda.com.au/2011/07/19/article/Caring-takes-its-toll/XCLDYYDVWQ.html

ナーシング・ホームの入所者への薬の処方を変えて、もっと監督をしっかりすると、転倒が予防できる、との研究結果。
http://www.medicalnewstoday.com/releases/231232.php

この話題、2009年だけでこんなにあった ↓
認知症患者への不適切な抗精神病薬投与、教育・意識改革が必要(2009/4/17)
10年間で精神科薬の処方が倍増(米)(2009/5/7)
英国のアルツ患者ケアは薬の過剰投与で「まるでビクトリア時代」(2009/6/5)
ナーシング・ホーム入所者に症状もICもなく精神病薬投与(2009/10/31)
不適切な抗精神病薬の投与、15万人の認知症患者に(英)(2009/11/15)
1人でTX州の総量をはるかに越える統合失調治療薬を処方する精神科医が野放し・・・・・・の不思議(2009/11/30)

新たな“知的障害の遺伝子”。
http://www.medicalnewstoday.com/releases/231222.php

アルツハイマー病は、高血圧、喫煙、肥満、運動不足など7つの注意で半数ほどは防げる。
http://www.washingtonpost.com/national/health-science/study-exercise-healthy-living-treating-depression-could-slash-millions-of-alzheimers-cases/2011/07/19/gIQAOsOGNI_story.html?wpisrc=nl_cuzheads

12月1-2日、上海でファーマ・イノベーション・アジア2011カンファ。中国の製薬会社は昨今急速に伸びているが、まだイノベーションの点で進展の余地がある、と。
http://www.medicalnewstoday.com/releases/231265.php

オバマ大統領が、ウォーレン・バフェットとビル・ゲイツと会談。目的については語られていないらしいのだけど、2人が始めた「金持ちはゼニ出そうよ」キャンペーン、Giving Pledgeにオバマも資産を出すのか、という憶測が流れている一方、記事に寄せられたコメントの一つが「ゲイツ財団ではなくて米国政府にゼニを出せと2人に言えばいいのに」。また、見失ったけど、どこかの記事にはゲイツが「ゲイツ財団は米国政府よりもよほど効率的で、官僚主義的でない」と言ったとかどうとか。な~んか、この人、カン違いの権化?
http://blogs.abcnews.com/politicalpunch/2011/07/obama-meets-with-buffett-gates-to-discuss-giving-pledge.html

英国で個人的に中絶に賛成しない医師らが増えて、中絶を拒否される女性が増えている。:中絶に関してだけ、命に対するこうした原理的な保守化が進む一方で、障害のある命の切り捨てだけはどんどん進んでいくことが、どのように整合するのか、よく分からない。
http://www.guardian.co.uk/world/2011/jul/18/doctors-abortion-views?CMP=EMCGT_190711&

米国の貧困層の高齢者の医療費はメディケアで余りカヴァーされていない。それでも、緊縮予算でメディケアを民間保険の助成形式に、という声も。
http://www.washingtonpost.com/national/health-science/medicare-doesnt-cover-many-health-care-expenses-for-low-income-seniors/2011/06/23/gIQAchLRMI_story.html?wpisrc=nl_cuzheads

マードック帝国の盗聴問題で、当初、メディアに盗聴を告発したNews of the Worldの記者が遺体で見つかった。:こわ~い。アル中だったとか、直前に沈み込んでいたとか、いろいろ言われているらしいけど、たぶんそんなの信じている人はいない?
http://www.canberratimes.com.au/news/world/world/general/whistleblower-dead-second-cop-resigns/2230584.aspx?src=enews
2011.07.19 / Top↑
某メーリング・リストに投稿された情報が
ちょっと聞き捨てならないものだったので。

3月10日刊行の日本移植学会雑誌「移植」46巻第1号に
自治医科大学客員研究員の ぬで島次郎氏の「シリーズ移植倫理
WHO移植指針 2010年 改訂と日本の課題」という文章が掲載されていて、

WHO改訂指針は、臓器不足に対処するため、死者からの提供を促進させる取り組みを求めているが、事務局報告書は、脳死者からの提供には限界があり、新しい提供源の開拓も必要だとしている。具体的に挙げられているのは、心停止後の提供である。通常の心肺停止後の提供だけでなく、まだ脳死状態に至らない末期の段階で、生命維持装置の停止を医師と家族が決定し、心停止に至らしめて、臓器を摘出する方式が検討対象として挙げられている(報告書13)。この方法に対しては、家族の同意だけで提供者の死期が早められる恐れが大きくなるので、強い抵抗が予想される。特に日本では、脳死を人の死とみなすことに対し、以前異論が絶えないことが、2009年の法改正の議論でも改めて示された。心停止ドナーの提唱は、脳死よりさらに前の早い段階での治療中止を想定しているので、激しい論議を引き起こすだろう。



ここで問題になっている
「まだ脳死状態に至らない末期の段階で、
生命維持装置の停止を医師と家族が決定し、
心停止にいたらしめて、臓器を摘出する方式」とは、

森岡正博氏の「臓器移植法A案可決 先進国に見る荒涼」のエントリーで簡単に書いた
「ピッツバーグ方式」、人為的(人工的)心臓死後提供(DCD)のこと。


これは、いよいよWHOが
ピッツバーグ方式による臓器移植を検討しようと公言した、ということですね。

しかし、DCDのすぐそばに「無益な治療」論が控えていることは
「無益な治療」の書庫に拾っている数々の事件や訴訟が物語っている、と私は思うし、

さらに言えば、それらの事件では、
生命維持を停止される患者は必ずしも「末期」ですらない。

当ブログではかなり前から、以下のエントリー他で、
DCDは無益な治療論と繋がるのでは、との懸念を書いてきました。

心臓を停止から75秒で摘出・移植しているDenver子ども病院(2008/10/14)
「脳死でなくても心停止から2分で摘出準備開始」のDCDを、ERで試験的に解禁(米)(2010/3/17)
臓器提供は安楽死の次には“無益な治療”論と繋がる……?(2010/5/9)
Robert Truog「心臓死後臓器提供DCDの倫理問題」講演ビデオ(2009)(2010/12/20)
ベルギーの「安楽死後臓器提供」、やっぱり「無益な治療」論がチラついている?(2011/2/7)
Savulescuらが、今度はICUにおける一方的な「無益な治療」停止の正当化(2011/2/9)
「1つの流れに繋がっていく移植医療、死の自己決定と“無益な治療”」を書きました(2011/5/14)


移植臓器が、誰かから善意によって「いただく」贈り物なのであれば
最初から移植用の臓器は不足しているのが当たり前であって、
“臓器不足”が“解消すべき”問題となる……なんてことはありえないはずでは?

それが、いつから移植臓器は「不足してはいけない」もの
「ほしい人に行きわたらせなければならない」ものに
すり替わってしまったのだろう……?



これまで拙ブログで拾った、
重症障害ゆえの“無益な治療”論が救命や治療よりも臓器を優先させた事件2つを以下に。

【Navarro事件 関連エントリー】
臓器ほしくて障害者の死、早める?
Navarro事件で検察が移植医の有罪を主張(2008/2/28)
臓器移植で「死亡者提供ルール」廃止せよと(2008/3/11)
Navarro事件の移植医に無罪:いよいよ「死亡提供ルール」撤廃へ? (2008/12/19)

【Kaylee事件関連エントリー】
心臓病の子の父に「うちの子の心臓をあげる」と約束してヒーローになった父、呼吸器を外しても生きる我が子に困惑(再掲)(2009/6/19)
Kaylee事件について障害者人権アドボケイトからプレスリリース(2009/4/14)
Kaylee事件から日本の「心臓が足りないぞ」分数を考えた(2009/4/15)
What Sorts ブログのKaylee事件エントリー(2009/4/15)

Kaylee事件から日本の「心臓が足りないぞ」分数を考えた(2009/4/15)
「Kaylee事件」と「当事者性」それから「Peter Singer」(2010/11/3)


【死亡提供者ルール廃止の主張に関連するエントリー】
脳死の次は植物状態死?(2007/9/10)
臓器移植で「死亡提供者ルール」廃止せよと(2008/3/11)
「脳死」概念は医学的には誤りだとNorman Fost(2009/6/8)

【ベルギーの安楽死後臓器提供関連エントリー】
ベルギーで2年前にロックトインの女性、「安楽死後臓器提供」(2010/5/9)
ベルギーの医師らが「安楽死後臓器提供」を学会発表、既にプロトコルまで(2011/1/26)

【Savulescu「臓器提供安楽死」関連エントリー】
「生きた状態で臓器摘出する安楽死を」とSavulescuがBioethics誌で(2010/5/8)
Savulescuの「臓器提供安楽死」を読んでみた(2010/7/5)
「腎臓ペア交換」と「臓器提供安楽死」について書きました(2010/10/19)
2011.07.19 / Top↑
NZ、オークランドで
交通事故で大けがを負った後
「無益な治療」論で生命維持を中止された女性が
鍼灸師の両親による漢方と鍼とホリスティックによって一定の回復を見せ、
それを見た医師らが家に連れて帰ることを許可。

地元の病院チームが生命維持を再開するや、一気に元気を取り戻して
事故から半年後の現在、自宅で1月間の作業療法を終え、近く大学に復帰する予定だとか。

女性はKimberly McNeilさん、18歳。
彼女が事故に遭ったのは12月27日。
重症の頭部外傷のほか、肋骨12本他が折れてAuckland City 病院に運ばれた。

生命維持装置のスイッチが切られたのは1月14日。
事故から、わずか15日後のことだった。

Kimberlyさんは生命維持を中止した西洋医学に恨みはないと言いつつも、
「お医者さんたちはただ教科書を読むだけじゃなくて、
患者を読む力を養わないと。患者は一人一人違うんだから」

Parents refused to let daughter die
Sunday News, July 3, 2011


その辺りの事情の詳細は記事にはありませんが、
両親ともに鍼灸師で、医師らの「(回復不能との)診断を受け入れることを拒否」して、
知り合いの中国人の神経専門医に相談し、医師らの許可を得た上で
娘に漢方や鍼などの治療を施したというのだから、

オークランドでは、
家族の意思に関わらず、病院や医師に一方的な生命維持を停止する権限が認められている、
ということになるのでは?

米国でも、そこまで認めている「無益な治療」法は
テキサスだけみたいなのだけど。

米国の「無益な治療」論関連法については以下のエントリーなどに見るように
テキサス以外の約10程度の州では、無益と判断した治療を拒否する権利は認めるものの
家族には転院先を探す猶予を与え、転院までは生命維持の続行を求めている……
のではないかと思うのですが。

また、テキサスでも実現には至っていないものの、一部の議員さんたちによって
転院まで生命維持続行を義務付ける法改正への努力が行われているのですが。


生命維持の中止まで免罪する「無益な治療法」はTXのみ(2011/1/21)
テキサス州議会に「無益な治療法」の廃止を求める法案(2011/5/12)
TX州の「無益な治療」法改正法案、“死す”(2011/5/25)


なお、これまで当ブログが拾った回復事例に関する話題を以下に。

【米国:リリーさん】
植物状態から回復した女性(2007年の事件)

【米国:ダンラップさん】
脳死判定後に臓器摘出準備段階で意識を回復した米人男性のニュース(再掲)(2009/7/30)

【ベルギー:ホウベン?Houbenさん】
23年間“植物状態”とされた男性が「叫んでいたのに」(ベルギー)(2009/11/24)
「なぜロックトイン症候群が植物状態と誤診されてしまうのか」を語るリハ医(2009/11/25)

【日本:加藤さん】
「植物状態にもなれない」から生還した医師の症例は報告されるか?(2011/1/19)

【米国:ゴッシオウ? Gossiauxさん】
事故で視力を失った聴覚障害者が「指示に反応しない」からリハビリの対象外……というアセスメントの不思議(2011/2/6)

【豪 Gloria Cruzさん】
またも“脳死”からの回復事例(豪)(2011/5/13)

【その他、関連エントリー】
「植物状態」5例に2例は誤診?(2008/9/15)
「脳死」概念は医学的には誤りだとNorman Fost(2009/6/8)

楳図かずおの脳死?漫画(2008/4/3)
重症障害児・者のコミュニケーションについて、整理すべきだと思うこと(2010/11/21)
2011.07.19 / Top↑
友人と久しぶりにランチでも食べにいこうという話になり
彼女の方が私よりも圧倒的に忙しいことは知っているので
「じゃぁ、場所と時間はお任せ」とメールを入れたら
とんでもない“町はずれ”を指定する電話がかかってきた。

意外なのは場所だけでなく、
その町はずれの「○○○で会おう」と言われたことで、

え? ○○○って……? あの店、まだあったの……?

まるで「奈良の“ドリームランド”がモロッコに場所を移してまだ営業している」と
いきなり誰かから聞かされた、みたいに、きょとん……としてしまう。

○○○は
私たちの思春期の終わり(もしくは20代の始め、なにしろ1970年代です)に
町に忽然と現れた、町で初めての、したがって唯一の、
本場! カリフォルニア・ピザ!! の店だった。

あの当時、ピザと言えば、このあたりでは、
今なら場末の喫茶店でしかお目にかかれない「ミックス・ピザ」のことだった。

そんな時代に、
ピザ職人(だったかどうかも今では定かではないが)の青い目・金髪のアメリカ人が
アシスタントとウェイターを兼ねた日本人のニイチャンと2人だけでやっている
小さな店のメニューは、ごくシンプルなピザが数種類と、あとは選べるトッピング――。

田舎の町では、ワクワクするほど本場!で、カリフォルニア!!で、
私たちは頻繁に○○○に出かけては、あつあつの焼きたてピザをモリモリと頬張った。

当時の私の定番は「マッシュルームとサラミのピザ」だった。

もちろん、そのうちには、ピザも大して珍しくもない食べ物になったし、
宅配店がどんどん出現したけど、○○○は何度か場所を変えながら繁盛し続けた。

何度目かに場所を変えた時に行ってみると、
アメリカ人が姿を消し(実際に青い目・金髪だったかも今では定かではない)
すっかりお馴染みの日本人のニイチャンが店主に昇格してピザを焼いていた。

主役だったアメリカ人がいなくなってみれば、
ニイチャンは結構グッド・ルッキングな優男だったし、
ピザの味だって別に落ちたりはしなかった。

とはいえ、私たちも、そろそろ
「ピザかぁ……蕎麦にする?」などと身体のニーズを感じる年齢に差し掛かり
○○○からは徐々に足が遠のいていった。

最後に○○○に行ったのは、たぶん、
米国留学中のルームメイト(日本人)が20年くらい前に遊びに来た時だったか?

その後、気が付いたら、いつのまにか、その場所から○○○はなくなっていて
あまり噂も聞かなくなったので(今にして思えば単にこっちが興味を失ったのだけど)、

だから、あたし、てっきり○○○はつぶれたんだとばかり思ってたよ……と言うと、

友人もそう思っていたけど、最近、
出産を控えて実家に戻っている娘(この子はミュウの翌日に生まれた)が連れて行ってくれて、
町はずれで健在だったことを知ったのだという。

ランチ時には女客でいっぱいだったよ、と言われて
内心「ピザかぁ……」と溜め息をつきつつ
「場所はお任せ」と言った手前、不服も言えずに出掛けてみたら、

前よりもはるかに アメリカン! カリフォルニアン! な内装の店は
以前は考えられないほどに広く、確かに女客がぎっしりで、
店内でも厨房でも沢山の店員さんがせわしなく立ち働いていた。

本当にアメリカのレストランみたいな匂いがすると思ったら、
カウンターにアメリカン・カントリーな顔つきのマフィンやパンが
無造作に並べられて甘い匂いを放っている。

私たちはピザの店でグラタン・セットを食べながら、
2時間ばかり、老親の介護をしている彼女の苦労話や
私が最近読んだ英国人の「“身勝手な豚”の介護ガイド」の話をし、

さらに追加注文したアイスクリームを
「これでまたコレステロールが……」と自虐を言い訳に、がっつり平らげながら、
同じ職場で働いた20代の頃の思い出話をしては笑いさんざめき、
気がつくと、店内には我々の他には1組しか残っていなかった。

その1組が席を立ったのを潮に我々も引き上げることにして、
レジでお金を払っていると、横手の厨房から「ありがとうございました」と声がした。

ふと、そちらに目を向けると、人気のなくなった薄暗い厨房に立っていたのは……

一瞬、それは“あのニイチャン”でありながら
同時に“あのニイチャン”ではない、奇妙な人……に見えた。

あるいは、”あのニイチャン”が
何故かジョーダンで「ヘタクソな変装」をして現れた……みたいに見えた。

それは例えば、
若い頃の三浦友和が初めて老け役を演じる姿を見た時のような、
ちょっと妙なインパクト……?

でも、もちろん、そこにいるのは、
ホンモノの白髪交じりの頭に、あちこちにホンモノの皺が刻まれて
ちょっとゆるみ、くたびれた、ホンモノの初老のおじさんなのだった。

気付いた瞬間、すぐさま、その下から、
20年以上前に最後に見た時に私たちと同じ30代だった、この人の顔が、
俄かに、思いがけない鮮明さで浮かび上がってきて、

あ、確かに私はこの人を知っている……と、奇妙な実感をもたらしてくれる。
白髪やシワを透かして見えてくるだけ、余計に懐かしい人として――。

実際、ほんの一瞬だけだけれど、
「うわぁ、元気だったぁ?」と駆け寄って肩の一つも叩きたいほどに
親しく懐かしいものが、胸を通り過ぎていった。

年齢相応に老いたその人に会釈だけして店を出ると、
バッグに財布をしまいながら友人が言った。

「ねぇ、あの人って、どこかで知り合いだったよね」

「あの人って、今の“あのニイチャン”のこと?」
店の中、厨房の辺りを指差して聞くと、

「うん。誰かの知り合いじゃなかったっけ?」

なんだ、この人も同じものを感じてたんだ……と思うと、
ちょっと、おかしかった。

ねぇ、たぶん、あの人は、“わたしたちの知り合い”なんじゃない?

同じ町の、同じ時代の空気を呼吸しながら、
それぞれに、いろんなことのあった人生を生きてきた、
私たちの若い頃からの“知り合い”なんだよ、きっと――。

なぜともなく、誰かから軽く励まされたような気分になって
これからまた老親の家に向かう友人の車に、笑顔で手を振った。

早くもお腹のあたりに胸やけの予感がうごき始めていた。
2011.07.19 / Top↑