近くどこぞで国際会議を開くGAVIが、「ドナー」にその会議に来いよと呼びかけている、というニュースを読んで、「途上国にワクチンを……と活動するゲイツ財団、WHO、UNICEFや世界銀行やシアトルこども病院の面々が、なんで臓器を欲しがるんだろう、もしやしてワクチンの開発研究に?」と、ほんの一瞬だけだけど、考えてしまった。当たり前ながら、ここでは本来の意味の「お金をあげるドナー」。元々はそういう意味の言葉だったんでしたよね。いつのまにか「臓器を提供する」という行為がこんなに日常的なこととして定着していることに驚くと同時に、寄付してもらう立場の方が自分たちの会議にドナーを呼びつけるのかぁ……ということにも驚いた。
http://www.medicalnewstoday.com/articles/182364.php
http://www.medicalnewstoday.com/articles/182364.php
30までに禿げ始める人は将来、前立腺がんになる確率が低いらしい。:「AとBの間には相関があるのでは」と仮説を立てた人がいるから、AだったらBになる確率が云々という調査研究がある。それを考えると、上のインポテンツも含めてこういう研究って、面白いなぁ、と思う。男性科学者の間で、どういう研究がおこなわれているかを調べることで、心理学の研究になりそうな気がする。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/health/8569826.stm
http://news.bbc.co.uk/2/hi/health/8569826.stm
グルコサミン、コンドロイチンって、研究でのエビデンスはたいして良くないらしい。でも、売れている。患者さんたちが「効く」と信じている限り、売れる、ということらしい。:重症障害児・者の親には気になるサプリではあるけど、一番気に食わないのは、こういう話はたいてい、一定の期間、売れまくった後で出てくるということ。
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2010/03/15/AR2010031502115.html
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2010/03/15/AR2010031502115.html
2010.03.17 / Top↑
(前のエントリーの続きです)
・文章の構成上の工夫に、事実を隠ぺいするマヤカシが仕込まれている。
隠ぺいまたは情報操作が試みられているのは主として以下の点。
①けいれん発作は薬でコントロールされており、重い生理によって誘発されることは「可能性」として言及されているだけなのに、あたかも「生理によって頻繁に発作が起こっている」かのように思わせようとしている。
②多量の出血は初潮から間もなく収まっているし、貧血を起こしたのも1度だけであるにもかかわらず、「いつ起こるか分からない生理の大量出血で、既に何度もけいれん発作が起きている」かのように思わせ、「けいれんと貧血を止めるために、子宮摘出が唯一の手段」だと思わせようとしている。
つまり子宮摘出を正当化するほどの「健康上の問題は実は存在しない」という事実が
判決文の全体にはりめぐらされた巧妙な仕掛けによって隠ぺいされているのです。
判決文の全体にはりめぐらされた巧妙な仕掛けによって隠ぺいされているのです。
分かりやすい個所を1点のみ、挙げます。
20. In November 2007, the bleeding appeared to have settled but Angela was anaemic and required iron treatment to bring her back into a range that was described as “normal”. Under a general anaesthetic, a medical procedure was undertaken because of the difficulty of doing anything with Angela because the Rett Syndrome. This an an Implanon procedure which was inserted into Angela but the following month showed no abatement of the problem. Various other treatments including oral contraceptive pills and Depo Provera were also tried but were found to be unsatisfactory.
2007年11月に出血は安定したと思えたが、Angelaは貧血になっており、正常と言ってもいい範囲に戻すためには鉄剤の治療を必要とした。全身麻酔での医療行為が、レット症候群のためにAngelaには何をするのも困難なため、行われた。これは、ImplanonがAngelaの内部に挿入される治療であり、その後の一ヵ月間に問題の軽減は見られなかった。その他、経口避妊薬とDepo Proveraも試みられたが、効果は不十分だった。
2007年11月に出血は安定したと思えたが、Angelaは貧血になっており、正常と言ってもいい範囲に戻すためには鉄剤の治療を必要とした。全身麻酔での医療行為が、レット症候群のためにAngelaには何をするのも困難なため、行われた。これは、ImplanonがAngelaの内部に挿入される治療であり、その後の一ヵ月間に問題の軽減は見られなかった。その他、経口避妊薬とDepo Proveraも試みられたが、効果は不十分だった。
ほとんど意味不明の、ものすごく、奇妙な文章です。
This is Implanon……という前後などは、ほとんど小学生の作文並みに聞こえる。
でも、実は、これこそが仕掛けなのです。
This is Implanon……という前後などは、ほとんど小学生の作文並みに聞こえる。
でも、実は、これこそが仕掛けなのです。
まさか判事が書いた判決文に恣意的な誘導が仕掛けられているとは思いませんから、
この判決文を読む人はそれほど論理的に厳密な注意を集中して読むわけではありません。
恐らく無意識に単語やフレーズの流れから、先を予測しつつ読んでいきます。
この判決文を読む人はそれほど論理的に厳密な注意を集中して読むわけではありません。
恐らく無意識に単語やフレーズの流れから、先を予測しつつ読んでいきます。
例えば、ここでは
「貧血になった」→「鉄剤で治療が必要だった」→「全身麻酔の治療が必要だった」
と、流れが繋がっていきます。
「貧血になった」→「鉄剤で治療が必要だった」→「全身麻酔の治療が必要だった」
と、流れが繋がっていきます。
すると「全身麻酔が必要だったのは貧血の治療だった」というふうに
たいていの人は頭の中で「貧血」と「全身麻酔の治療」とを繋げてしまう。
たいていの人は頭の中で「貧血」と「全身麻酔の治療」とを繋げてしまう。
いわば、文章のサブリミナルですね。
しかも、検査数値が「正常範囲でなかった」だけのことなのに
“ノーマル”が引用符で強調されることによって、
“ノーマルでないほどひどい貧血”というイメージが想起されて
「この子の貧血はただ事ではないぞ」とあらかじめ意識下にインプットされているので、
“ノーマル”が引用符で強調されることによって、
“ノーマルでないほどひどい貧血”というイメージが想起されて
「この子の貧血はただ事ではないぞ」とあらかじめ意識下にインプットされているので、
論理的に考えれば貧血で全身麻酔の治療なんかありえないのだけど、
ほとんど自動的に「貧血は鉄剤で一旦治ったけど、それだけじゃ済まなくて、
全身麻酔で治療するような、とんでもなく異常な貧血がその後も起ったのだ」と
読者の方で勝手に解釈してしまう。勝手に解釈してくれる。
ほとんど自動的に「貧血は鉄剤で一旦治ったけど、それだけじゃ済まなくて、
全身麻酔で治療するような、とんでもなく異常な貧血がその後も起ったのだ」と
読者の方で勝手に解釈してしまう。勝手に解釈してくれる。
だからこそ、読者のその勝手な誤解を生じさせるべく、
「貧血」について書かれた個所に、すぐ続くのは
「全身麻酔」と「医療処置」という言葉でなければならないし
「貧血」について書かれた個所に、すぐ続くのは
「全身麻酔」と「医療処置」という言葉でなければならないし
いかに小学生並みの下手くそで論理展開のおかしい文章になったとしても、
それが何の治療だったかという真実は、後ろにもっていき、見えにくくされなければならない。
それが何の治療だったかという真実は、後ろにもっていき、見えにくくされなければならない。
なぜなら Implanon は貧血の治療ではなく、「埋め込み型避妊薬」だから、です。
そこの肝心の説明をわざと省いて、
一カ月しても「問題の改善が見られなかった」といえば、
素直に読む人は「ああ、全身麻酔までして治療したのに貧血は治らなかったのだ」と読み
「問題」とは「貧血」なんだと、これまた勝手に思いこんでしまう。思いこんでくれる。
一カ月しても「問題の改善が見られなかった」といえば、
素直に読む人は「ああ、全身麻酔までして治療したのに貧血は治らなかったのだ」と読み
「問題」とは「貧血」なんだと、これまた勝手に思いこんでしまう。思いこんでくれる。
でも、避妊薬で貧血を治療することはあり得ないし、
もともと貧血は収まっていますから、貧血は「問題」ではありえないのです。
もともと貧血は収まっていますから、貧血は「問題」ではありえないのです。
ならば、ここで「改善が見られなかった問題」とは本当は何なのか。
その後に続く、経口避妊薬もDepo Proveraも
貧血の治療薬ではありません。
貧血の治療薬ではありません。
「全身麻酔までしたImplanonで解消しなかった問題」の真相とは
「貧血」でも「けいれん」でもなく「生理があるという事実」それ自体。
「貧血」でも「けいれん」でもなく「生理があるという事実」それ自体。
「全身麻酔で治療をしたけど一カ月しても軽癒しなかった」
「他の避妊薬を使っても満足な効果が得られなかった」とは、
ただ単に「生理を止めることができなかった」ということです。
「他の避妊薬を使っても満足な効果が得られなかった」とは、
ただ単に「生理を止めることができなかった」ということです。
でも、これは、とてもおかしい。
大量出血は初潮から間もなく落ち着きました。
貧血も一回だけで、治療は終わりました。
貧血も一回だけで、治療は終わりました。
それなら、生理に起因する健康上の「問題」は解決されていて、もう「ない」。
つまり、生理を止めなければならない健康上の必要などないにもかかわらず
「生理をなくす」そのこと自体を目的に避妊薬が次々に投与されたのです。
つまり、生理を止めなければならない健康上の必要などないにもかかわらず
「生理をなくす」そのこと自体を目的に避妊薬が次々に投与されたのです。
じゃぁ、全身麻酔は何のためだったかというと、
おなかに埋め込み型の避妊薬を挿入するだけなんだから
普通だったら婦人科でちょちょっとできることなのだけど、
知的障害と不随意運動のあるAngelaの場合
「レット症候群のために、この子には何をするにも困難なので」全身麻酔でやりました、と。
おなかに埋め込み型の避妊薬を挿入するだけなんだから
普通だったら婦人科でちょちょっとできることなのだけど、
知的障害と不随意運動のあるAngelaの場合
「レット症候群のために、この子には何をするにも困難なので」全身麻酔でやりました、と。
経口薬だってあるし、注射もあるのに、それらを後回しにして、
最初に試みられたのが埋め込み型で、そのためだけに、
大きなリスクを伴う全身麻酔をやったという事実が
この親と医師の感覚について、何か重要なことを物語っていると私は思う。
最初に試みられたのが埋め込み型で、そのためだけに、
大きなリスクを伴う全身麻酔をやったという事実が
この親と医師の感覚について、何か重要なことを物語っていると私は思う。
しかも、その際には感染症を起こして術後1ヵ月間、大変なことになった。
そんな娘に、それでも、まだ、大した理由も必要もなく、とにかく生理を止めるために、
子宮摘出の開腹手術をやりたい、と言うのが
「多量出血による貧血」という「問題」を解決する「治療」として
いろいろやってみたけど子宮摘出が残された「唯一の治療」となったのだと、
事実と違う「読み違え」「勘違い」を読者にしてもらうための工夫が
細心の注意とずる賢さで周到に仕込まれているのが、
一見「むちゃくちゃ下手くそな悪文」としかみえない、この一節の真実。
子宮摘出の開腹手術をやりたい、と言うのが
admirable で loving な Angelaの親であるわけです。
それらの事実を見えにくくしておいて「多量出血による貧血」という「問題」を解決する「治療」として
いろいろやってみたけど子宮摘出が残された「唯一の治療」となったのだと、
事実と違う「読み違え」「勘違い」を読者にしてもらうための工夫が
細心の注意とずる賢さで周到に仕込まれているのが、
一見「むちゃくちゃ下手くそな悪文」としかみえない、この一節の真実。
また、もう1つ、ここに巧妙に仕組まれた仕掛けとして指摘しておきたいのは、
これ以前には「Angelaの生理は9歳の時に始まった」と年齢で書かれていたのですが
ここでは「2007年11月に出血が安定した」と時期で書かれていること。
これ以前には「Angelaの生理は9歳の時に始まった」と年齢で書かれていたのですが
ここでは「2007年11月に出血が安定した」と時期で書かれていること。
Angelaは2010年の現在「もうすぐ12歳」なのですから
2007年の11月には9歳だったことになります。
2007年の11月には9歳だったことになります。
9歳で始まって、どばどば漏れて不衛生だし、けいれんを誘発するのではないかと
母親をハラハラさせ、あれこれ検査しても原因不明だった「多量の出血」は
なんと9歳のうちに「安定した」のです。
母親をハラハラさせ、あれこれ検査しても原因不明だった「多量の出血」は
なんと9歳のうちに「安定した」のです。
それでは「多量の出血」が「生理を止めなければならない理由」にはなりにくいから、
その事実に気付かれないように、敢えて始まりは年齢で書き、出血量が安定したのは時期で書く――。
その事実に気付かれないように、敢えて始まりは年齢で書き、出血量が安定したのは時期で書く――。
ちょっと考えてみてほしい。
これほど細心の注意を払って
まるで活字サブリミナルのような巧妙な仕掛けをあちこちにはりめぐらせて
事実から読者の目をそらせるための判決文を書く判事って……?
まるで活字サブリミナルのような巧妙な仕掛けをあちこちにはりめぐらせて
事実から読者の目をそらせるための判決文を書く判事って……?
――――――――
実は、06年のGunther&Diekema論文にも、これと全く同じ
誰が読んでも「下手くそで論理的にも、ワケがわからない」センテンスがありました。
誰が読んでも「下手くそで論理的にも、ワケがわからない」センテンスがありました。
そして、そこにはもちろん、マヤカシがいっぱい仕込まれていました。
通り一遍ではない興味でこの事件を眺めておられる方、よかったら、比較してみてください。
通り一遍ではない興味でこの事件を眺めておられる方、よかったら、比較してみてください。
2010.03.17 / Top↑
その冒頭で私が『絶句……』と書いたのは、
あの判決文の異様さ、「普通でなさ」に、
“Ashley療法”論争の当初、06年の主治医論文を読んで感じた「普通でなさ」と
通じていく感触があったからです。
あの判決文の異様さ、「普通でなさ」に、
“Ashley療法”論争の当初、06年の主治医論文を読んで感じた「普通でなさ」と
通じていく感触があったからです。
そこで、その後、さらに読み込んでみました。
1つ1つは、ほんの些細な言葉の挿入や、微妙な言葉の選択、
説明する事柄の順番の操作など、本当に目に見えにくい小さな工夫なのですが、
明らかにミスリードと隠ぺいの工作が行われています。
説明する事柄の順番の操作など、本当に目に見えにくい小さな工夫なのですが、
明らかにミスリードと隠ぺいの工作が行われています。
06年のAshley論文もそうだし、
07年の論争当初のDiekema医師の言い逃れもそうでしたが、
まったくもって「お見事!」と言う他ないほどの巧妙さ。
07年の論争当初のDiekema医師の言い逃れもそうでしたが、
まったくもって「お見事!」と言う他ないほどの巧妙さ。
Diekema医師には生まれながらに類まれなペテン師の才があるらしいと、
私はAshley事件では感じ入ってきましたが、ここへきて、
オーストラリアの家庭裁判所の判事さんまでが
Diekema医師に肩を並べることのできるペテン師の才を発揮されるとは……。
私はAshley事件では感じ入ってきましたが、ここへきて、
オーストラリアの家庭裁判所の判事さんまでが
Diekema医師に肩を並べることのできるペテン師の才を発揮されるとは……。
なんとも、不可解なミステリー。
2つのエントリーに分けて書きますが、
このエントリーで主な類似の工作点を挙げ、
次のエントリーでは、「貧血」と「治療目的」をめぐる巧妙な仕掛けを
詳細に解き明かしてみます。
このエントリーで主な類似の工作点を挙げ、
次のエントリーでは、「貧血」と「治療目的」をめぐる巧妙な仕掛けを
詳細に解き明かしてみます。
――――――
・あえて事実関係が分かりにくいような書き方が工夫されている。
一か所にまとめて整理するべき情報が、敢えて分散して説明されており、
特に「理由」に関わる事実関係が見えにくくされている。
特に「理由」に関わる事実関係が見えにくくされている。
(もちろん事実関係が詳細に見えれば、そこに正当な「理由」がないからです。
どのように「見えにくく、誤解を招くように」されているか、
その具体的な手口は次のエントリーで)
どのように「見えにくく、誤解を招くように」されているか、
その具体的な手口は次のエントリーで)
・「どうせ普通の大人の暮らしができるような子どもじゃないんだから」が
子宮摘出を正当化する根拠の1つに使われている。
子宮摘出を正当化する根拠の1つに使われている。
・「本人の健康上の必要」と「QOLの向上」との巧妙な使い分け。
「親の利益ではない」との説明と「親の利益は本人の利益と重なる」との説明の使い分け。
「親の利益ではない」との説明と「親の利益は本人の利益と重なる」との説明の使い分け。
・その「目的」が一度も明記されないまま、避妊薬の投与が
本人の健康上必要な治療だったと思わせるように誘導している。
(事実は、健康上の必要などなく「生理を止める」だけの避妊薬投与。詳細は次のエントリー)
本人の健康上必要な治療だったと思わせるように誘導している。
(事実は、健康上の必要などなく「生理を止める」だけの避妊薬投与。詳細は次のエントリー)
・親の愛と献身が持ち込まれている。
・Angelaの障害像の描写が誘導的で事実から目をそらせようとしている。
全文を通じてAngelaの障害について語られる際にはhas to という表現を多用。
「依存」が強調されると同時に、その依存に対してネガティブな価値評価が付加されている。
「依存」が強調されると同時に、その依存に対してネガティブな価値評価が付加されている。
また、ここでも障害像の事実が分かりにくい書き方をされて、
それによって事実よりも「重く」「異常」なように書かれている。
それによって事実よりも「重く」「異常」なように書かれている。
例えば、よくよく読めば、
自分では「ちゃんと」食べられないだけで「自分で食べることは可能」とも読めるし、
ストラップでフレームに立たせてもらえれば、「立てる」もしかしたら「歩ける」ようにも読める。
自分では「ちゃんと」食べられないだけで「自分で食べることは可能」とも読めるし、
ストラップでフレームに立たせてもらえれば、「立てる」もしかしたら「歩ける」ようにも読める。
「シャワーチェアさえあれば自分でシャワーを浴びることが可能」とも読めるのに、
まず「自分ではシャワーを浴びることができない」と書いたうえで、
「そのためには椅子が必要」と追加されて、
「椅子があれば可能」という事実が見えにくくされている。
まず「自分ではシャワーを浴びることができない」と書いたうえで、
「そのためには椅子が必要」と追加されて、
「椅子があれば可能」という事実が見えにくくされている。
一方、「協調(運動・機能)に欠けるので自分では何もできない」と書かれてもいるが
上記の誘導を排除して読むと、「何もできない」はウソだということになる。
上記の誘導を排除して読むと、「何もできない」はウソだということになる。
・「することが3カ月の赤ん坊のようである」という母親の説明が採用されている。
支えがないと自分で立てなくて、自分で「ちゃんと」食べられなくて、
椅子に座らないと自分でシャワーができなくて、
言葉もサインも使えないけど、限られた意思疎通だけはできることを指して
「することが3カ月の赤ん坊のようだ」と母親が説明し、
それを判事が意味のある説明だと受け止めて判決文に含めている。
椅子に座らないと自分でシャワーができなくて、
言葉もサインも使えないけど、限られた意思疎通だけはできることを指して
「することが3カ月の赤ん坊のようだ」と母親が説明し、
それを判事が意味のある説明だと受け止めて判決文に含めている。
この専門的なアセスメントの不在と、その不在の容認・隠ぺいと、
医学的にも、したがって法的にも意味を持たないはずなのに
世間的にはアピール力のある「赤ちゃんと同じ」イメージが先行させられていることもまた
“Ashley療法”の正当化戦略と全く同じ。
世間的にはアピール力のある「赤ちゃんと同じ」イメージが先行させられていることもまた
“Ashley療法”の正当化戦略と全く同じ。
(次のエントリーに続きます)
2010.03.17 / Top↑
脳死でなくても、心臓の停止から、わずかな時間だけを待って臓器を摘出する
心臓死後臓器提供 donation after cardiac death (DCD)と呼ばれるプロトコルが
米国の医療現場でじわじわと広がっていることについて、
当ブログでは
心臓死後臓器提供 donation after cardiac death (DCD)と呼ばれるプロトコルが
米国の医療現場でじわじわと広がっていることについて、
当ブログでは
このDCD、どんどん広がっているのだろうとは思っていましたが、
臓器を待っている間に死ぬ人が多いことから、臓器不足を解消しようと、
これまで臓器摘出は禁忌とされてきたERに広くDCDを導入するべく、
まずはERにDCDを導入した場合に、使える臓器がどのくらい手に入るものか、
その実行可能性を確認するプロジェクトが2つの病院で始まったとのこと。
臓器を待っている間に死ぬ人が多いことから、臓器不足を解消しようと、
これまで臓器摘出は禁忌とされてきたERに広くDCDを導入するべく、
まずはERにDCDを導入した場合に、使える臓器がどのくらい手に入るものか、
その実行可能性を確認するプロジェクトが2つの病院で始まったとのこと。
いよいよ、きたな……という感じのニュース。
ERに搬入される外傷患者や心臓まひの患者など、
救命不能な患者から、潜在的ドナーを早期に選別して、
腎臓、肝臓、その他とれる臓器や組織をいただけるものかどうか、やってみよう、と
救命不能な患者から、潜在的ドナーを早期に選別して、
腎臓、肝臓、その他とれる臓器や組織をいただけるものかどうか、やってみよう、と
プロジェクトの舞台は、ピッツバーグで
Pittsburgh大学メディカルセンター(Presbyterian Hospital)と
Allegheny General Hospitalの2か所。
Pittsburgh大学メディカルセンター(Presbyterian Hospital)と
Allegheny General Hospitalの2か所。
米国保健省から32万ドルの助成金が出ている。
DCDが、これまでICUや、
早くから患者の死が予測できて家族の納得も得られやすい病棟で行われてきて、
ERでの臓器摘出は禁忌とされてきた背景には、
救命行為と臓器保存行為との利益の衝突が倫理問題となることと、
ロジスティックの問題(人員の確保や移送、移送時間?)などがあった。
早くから患者の死が予測できて家族の納得も得られやすい病棟で行われてきて、
ERでの臓器摘出は禁忌とされてきた背景には、
救命行為と臓器保存行為との利益の衝突が倫理問題となることと、
ロジスティックの問題(人員の確保や移送、移送時間?)などがあった。
90年代に Washington Hospital CenterがERでDCDを導入したことがあったが、
やはりロジスティックの問題で諦めている。
やはりロジスティックの問題で諦めている。
しかし、今のままでは、
せっかく提供意思がありながら、死ぬ場所がたまたまERだったというだけで、
その意思を生かせない人が出てくるので、そういう人を help してあげるためにも、
臓器を待っている患者さんを help してあげるためにも、というのが移植医の言い分。
(順番は、記事での移植医の発言が、この通りで、ドナーをヘルプする方が先)
せっかく提供意思がありながら、死ぬ場所がたまたまERだったというだけで、
その意思を生かせない人が出てくるので、そういう人を help してあげるためにも、
臓器を待っている患者さんを help してあげるためにも、というのが移植医の言い分。
(順番は、記事での移植医の発言が、この通りで、ドナーをヘルプする方が先)
心臓が止まった瞬間から2分間待って、
臓器保存の処置に取り掛かるプロトコルだという。
臓器保存の処置に取り掛かるプロトコルだという。
記事冒頭にリンクした、Denver子ども病院の心停止後75秒での摘出プロトコルも
2008年に論文発表した際に批判が続出したため、現在は2分待っているとのこと。
2008年に論文発表した際に批判が続出したため、現在は2分待っているとのこと。
プロジェクトの担当者は
対象となるのは運転免許証にチェックがあるか州にドナー登録している人のみで、
患者がドナーかどうかは死亡宣告の後にチェックする、
治療する医師と臓器を摘出する医師は別の人間とする、など
ちゃんと、セーフガードのステップは設けるんだから心配ない、と言うが、
対象となるのは運転免許証にチェックがあるか州にドナー登録している人のみで、
患者がドナーかどうかは死亡宣告の後にチェックする、
治療する医師と臓器を摘出する医師は別の人間とする、など
ちゃんと、セーフガードのステップは設けるんだから心配ない、と言うが、
様々な疑問や批判の声が上がっており、
・救命治療中の医師の頭に「この人はドナーになるな」という考えが浮かぶことになる。
・20歳の若者が町で撃たれて運び込まれて、
連絡を受けた家族が20分後に到着したとして、その時に、
「手は尽くしましたがダメでした。ついてはドナーカードをお持ちだったので、
臓器を採らせていただきました」といきなり言われることになるが
その場合、家族は「本当に手を尽くしてくれたの?」と考えるだろう。
(これは私がわりと好きな生命倫理学者の Art Caplan)
・死ぬ前から臓器の保存が優先されてしまうことはないのか。臓器ほしさに
手を尽くさずに死なせる、または死を早めることすらあるのでは?
・ERで死ぬ患者の臓器が、はたして移植の基準をクリアするのか。
・運転免許証で「臓器を提供しますか」とだけ聞かれて「はい」と答える人は
本当にその内容を理解しているわけではないし、
その意思表示がインフォームドコンセントだとは言えない。
・ポイント・オブ・ノー・リターンと判断されるまでに
CPR(心肺蘇生)をどれくらい続けるべきかのコンセンサスがない。
生き返る可能性は? その人の死亡時刻は蘇生終了時なのか、
それとも、それから2分後なのか?
・20歳の若者が町で撃たれて運び込まれて、
連絡を受けた家族が20分後に到着したとして、その時に、
「手は尽くしましたがダメでした。ついてはドナーカードをお持ちだったので、
臓器を採らせていただきました」といきなり言われることになるが
その場合、家族は「本当に手を尽くしてくれたの?」と考えるだろう。
(これは私がわりと好きな生命倫理学者の Art Caplan)
・死ぬ前から臓器の保存が優先されてしまうことはないのか。臓器ほしさに
手を尽くさずに死なせる、または死を早めることすらあるのでは?
・ERで死ぬ患者の臓器が、はたして移植の基準をクリアするのか。
・運転免許証で「臓器を提供しますか」とだけ聞かれて「はい」と答える人は
本当にその内容を理解しているわけではないし、
その意思表示がインフォームドコンセントだとは言えない。
・ポイント・オブ・ノー・リターンと判断されるまでに
CPR(心肺蘇生)をどれくらい続けるべきかのコンセンサスがない。
生き返る可能性は? その人の死亡時刻は蘇生終了時なのか、
それとも、それから2分後なのか?
これらの批判に対して、
プロジェクトの責任者でピッツバーグ大救急医療の准教授 Clifton W. Callaway医師は
プロジェクトの責任者でピッツバーグ大救急医療の准教授 Clifton W. Callaway医師は
「これは心臓死後の臓器提供です。心臓も打たない。呼吸もない。
死んでいる。臨床的に死んでいるんです。ここにある死は不明瞭ではない」
死んでいる。臨床的に死んでいるんです。ここにある死は不明瞭ではない」
そして、2分待つとは言うけれど、実際には
摘出チームが来て準備をするのに最低15分はかかる、とも。
摘出チームが来て準備をするのに最低15分はかかる、とも。
ちなみに、まだ使える臓器は1個も採れていない。
「死亡宣告の後でドナーかどうかチェックする」というのと
「2分間だけ待ってから臓器保存にかかる」というのと
「2分では到着しないから15分はかかる」というのとは、
現場では、一体どういうふうに進行するのだろう……?
「2分間だけ待ってから臓器保存にかかる」というのと
「2分では到着しないから15分はかかる」というのとは、
現場では、一体どういうふうに進行するのだろう……?
心肺蘇生をやっている場面には、まだ摘出チームはいないはずだから
心肺蘇生をやっている救命医が
「“2分後”に備えて、免許証を探して、そこまで持ってきておいて。
でも、死亡宣告するまで、誰も見ちゃダメだよ」と誰かに命じるとか?
心肺蘇生をやっている救命医が
「“2分後”に備えて、免許証を探して、そこまで持ってきておいて。
でも、死亡宣告するまで、誰も見ちゃダメだよ」と誰かに命じるとか?
州にドナー登録を問い合わせる(それともインターネット?)だけでも
2分くらいは経ちそうな気がする。
2分くらいは経ちそうな気がする。
「ご臨終です」と同時に、一人がさっとその確認作業にかかる、
すると、もう一人はさっと動いて院内電話のそばに待機するのかな。
摘出チームに連絡を取るために。
すると、もう一人はさっと動いて院内電話のそばに待機するのかな。
摘出チームに連絡を取るために。
でも、そういう体制が組まれていること自体が死を待ちつつ救命している状況で、
そんなの人間の心理として両立するだろうか。
そんなの人間の心理として両立するだろうか。
そして、ドナー登録があるということになったら、
看護師たちは臓器保存のための処置の準備に……本当にそれから取り掛かるのだろうか。
既に部屋の隅にでも準備されている点滴セットを取りに行く……のではないんだろうか。
看護師たちは臓器保存のための処置の準備に……本当にそれから取り掛かるのだろうか。
既に部屋の隅にでも準備されている点滴セットを取りに行く……のではないんだろうか。
そういうふうに具体的に現場では何がどう進行するのか、を考えると、
「救命医と摘出医は別の人物だからOK」と、きれいさっぱりいくのかどうか……。
「救命医と摘出医は別の人物だからOK」と、きれいさっぱりいくのかどうか……。
それに、その2分間の間にかけた電話の、その瞬間に、
うまいこと摘出チームが電話の向こうでOK状態でいるためには、
病院のER以外の場所にいる移植医の元にだって、
それらしい患者が運び込まれてきたら、すぐ、その段階で、
どういう患者かというデータが送られていないわけがないような……。
うまいこと摘出チームが電話の向こうでOK状態でいるためには、
病院のER以外の場所にいる移植医の元にだって、
それらしい患者が運び込まれてきたら、すぐ、その段階で、
どういう患者かというデータが送られていないわけがないような……。
診療科間のヒエラルキーとか、医師同士の力関係とか、経営サイドの姿勢もあるだろうし、
あ、もちろん病院間の競争とか、国際競争とかもあるわけだから、
あ、もちろん病院間の競争とか、国際競争とかもあるわけだから、
そしたら、やっぱり搬入段階から
なんとなく、暗黙の了解・阿吽の呼吸で、そっちの方向に進んでしまう……
なんてことは本当にないのか……。
なんとなく、暗黙の了解・阿吽の呼吸で、そっちの方向に進んでしまう……
なんてことは本当にないのか……。
Navarro事件(冒頭にリンク)を振り返ると、
障害児・者や身寄りのない人たち、貧困層などに、どういう扱いがされるのかは
たまたま運び込まれた病院の文化次第……ということになるのでは?
障害児・者や身寄りのない人たち、貧困層などに、どういう扱いがされるのかは
たまたま運び込まれた病院の文化次第……ということになるのでは?
2010.03.17 / Top↑
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