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ずっと気になり続けているスコットランドの自殺幇助合法化法案、議会当該委員会から、合法化するに足りる議論にならなかった、との見方。BBCも委員会は支持しない見通し、と。廃案になるか――? ……その後拾ったstvの記事では、「委員会が議会に対して廃案を勧告」。:いいぞ!
http://www.google.com/hostednews/ukpress/article/ALeqM5ijgiIeweBNMjaKU7zxP3oawLWpKg?docId=N0132631290042456897A
http://www.bbc.co.uk/news/uk-scotland-11781981
http://news.stv.tv/politics/209887-committee-recommends-mps-throw-out-legalised-assisted-suicide-bill/

前に、ある人からAshley事件の問題構造は、日本の聴覚障害児に行われている人工内耳手術に通じるものがある、と教えていただいたことがある。以来、気になりながら人工内耳について知る機会がないままできたのだけど、その人工内耳について興味深いツイッターのやり取りがあった。確かに、構図が似ている。特に今はClaireさんのエントリーを続けて読んだところだから、一番そっくりだと感じたのは、当事者らにとっては仮にうまくいったとしても、それで障害がなくなるわけでもなければ当事者の抱える困難が完全に解決されるわけでもないのに、やりたがる医師の側は、手術から先に目を向けようとせず、それで万事解決のように言いなしているらしいこと。
http://togetter.com/li/68342

ワシントン大学の法学の教授で、障害者の権利運動のリーダー的存在でありながら(本人は小人症。Obama政権の障害者問題担当顧問だかに就任していたはず)、Ashley事件で成長抑制WGのメンバーとして、Ashleyや重症児の権利を擁護することのなかった Paul Steven Millerが、10月に亡くなっていた。49歳。ガンだったそうだ。:なんか、最後に成長抑制WGに引っ張り出されたりして、内心いろいろあったんじゃないのかなぁ……。
http://www.nytimes.com/2010/10/21/us/21miller.html?hpw

オーストラリアで出生前遺伝子診断でダウン症の可能性が出たことを理由にする妊娠中絶手術が2006年までの10年間で3倍に。
http://www.patriciaebauer.com/2010/07/29/australia-ds-related-abortions-29941/

聾の関連の全遺伝子をチェックするスクリーニングが可能に。
http://www.medicalnewstoday.com/articles/208133.php

PoPublicaの特集で暴かれたことを受けてなのかどうなのか、ビッグ・ファーマがプロモに起用する医師については今後はちゃんと背景をチェックする、と。
http://www.propublica.org/article/pharma-payments-to-doctors-with-sanctions
2010.11.18 / Top↑
たまたま昨日、「これからの『正義』の話をしよう」
代理出産の契約は市場に馴染むか、という問題の下りを読んだばかりだった。

10月14日に標題の通りのニュースがあったらしい。

Abortion of surrogate fetus with DS sparks ethics debate
Disability News, October 14, 2010


カナダで、ある夫婦の精子と卵子を使って代理母が妊娠している胎児に
出生前診断でダウン症の可能性が高いことが分かった。

(こういう場合、本当は「代理母が妊娠している」という表現は、おかしいですね。
代理母は「妊娠している」というよりも「胎児をおなかの中で育てている」と言う方が、より正確。
まさにサンデル教授の言う「借り腹」。でも、それは行為全体を指す名詞だから
代理母のそういう行為を表わす動詞としては英語だったら carryingで済むのだろうけど、
日本語では……? 「育てている」というのも、やっぱり違うような気がする)

ダウン症の確率が高いなら、と、
夫婦は代理母に妊娠中絶を要求し、
代理母はそれに抵抗した。

しかし、3人が署名した契約では、
代理母が夫婦の意思に逆らって産むことを選んだ場合には
生まれてくる子どもの養育に関して夫婦には経済的な責任が全くないことになる。

やがて代理母は折れて、中絶を受け入れたという。

カナダの生殖補助医療カンファレンスでこのケースを報告した(ただし匿名)医師は
代理母契約が増えている中、このような倫理問題を考えると、
代理出産契約に法的な規制が必要なのではないかと問題提起。

生命倫理学者らから、
人間の生命は工場の物品じゃないのだから
ビジネスの契約法は代理母契約にそのまま当てはまらない、との声が出ている。

Calgary Herald紙も社説で
代理母とその他IVFの問題には決定的な議論が必要、と。


あー、でも、きっと、こういうこと、
表に出ないだけで、今までにも実際には結構あったのでしょうね……。



【追記1】
この記事をアップした際に、Yahoo!が自動的に拾ってきた記事に、
2007年の同じような話題があったので、その方のブログ記事を以下にTBしました。
「この中絶は、代理母のあなたが中絶するのではなく、
あくまで我々に代わって中絶する代理中絶」と
依頼者夫婦は主張したとか。


【追記2】
ついでに、今日の補遺に拾った気になる話題を2題、以下に。

オーストラリアで、出生前遺伝子診断でダウン症の可能性が出たことを理由にする妊娠中絶手術が、
2006年までの10年間で3倍に。
http://www.patriciaebauer.com/2010/07/29/australia-ds-related-abortions-29941/

聾の関連の全遺伝子をチェックするスクリーニングが可能に。
http://www.medicalnewstoday.com/articles/208133.php
2010.11.18 / Top↑
Claire Royさんが、Walker論文に続いて、
同じく重症児の母親の立場で成長抑制に反対するSwenson論文を取り上げている。

こちらはClaireさんも私も同じスタンスなので、
ちょっとお気楽に、論点のみを。

① 冒頭、自分が重症児の親であり、
その介護が如何に大変なものかを直接体験として知っていることを述べて、
「反対する人たちは、重症児についても介護についても知らないから言えるのだ」
との批判が当たらないことを示す。

② ちょっと論旨が明瞭でない部分もあるようだけれど、
家族支援によって、重症児も欠けるところのない満足な生活を送ることができ、
地域に暮らす一人として人権を尊重されることは可能だと
Swenson論文は論証している、とClaireさんは考えている。

③ 「成長抑制がもともとの障害を治療するものでない限り、認められるべきではない。
子どもの人権が親の権利を制限すべきである。

我が子が望むこと、将来望むであろうことを私に分かるでしょうか? 
私の勝手な解釈を超えて意思決定ができる、
支援された意思決定プロセスというものがあるでしょうか?
私の子どもの権利を守ってくれる人は? 
親のプライバシーの縦に隠れて行われた決定は、
親の利益のための決定となりがちでしょう」という個所について、

DiekemaとFostが提案しているように、
3歳児に選択肢として主治医から提示される場合には、
親のプライバシーという盾だけではなく医療という盾もある、とClaireさんは指摘。
子どもの障害に動転している親は医師の発言に誘導されやすく、
とうてい医師のバイアスをきちんと検討できるはずもない、とも。

④ Swensonの、既に成人した息子Charlieが、
一軒の家に2人のルームメイトとスタッフと暮らし始めたこと、
そこでのケアが本人主体の素晴らしいものであること、
地域に資源とサービスがあれば、重症児・者でも
このような生活が可能だと書かれていることについて、
Claireさんは、それだけのサービスはどこでもあるものではないと指摘しつつ
しかし「やはりサービスよね」とも。

⑤ 「子どもに障害がなかったら、やるかどうか、考えてみて」と
Swenson論文が「やりたい」という親に呼び掛けている点について、
障害児への介入なのだから、論点が違うと指摘しつつ、
しかしここでSwensonが言いたいのは、やはり
障害児の人権が侵害されているということなのだろう、と。

⑥ 最後のSwensonの問いは、
「これは親である自分のプライドやエゴの問題なのだろうか」。

「社会から支援を受けていることに後ろめたい気持ちになることがあるのは事実だけれど、
弱者への支援はたいていの場合は政府の当たり前の行いとみなされるはず。
支援を受ける恥ずかしさを社会の側へ理解を示そうとすることによって、ごまかしていない?
でも、他の人たちが普通に生きて暮らしているのと同じように、
障害のある人たちだって、普通に生きて暮らしていけるのです」という結論部分で、

Claireさんは、この最後の
Disabled people, too, can live simply so that others may simply live.の個所が
イマイチ、真意を読みとれないと書いています。

私はすうっと抵抗なく読めたけどな……。



Another Hasting article addressed
No More Ashley X’s: Say NO to Growth Attenuation, November 17, 2010
2010.11.18 / Top↑