2ntブログ
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Dominic Wilkinsonと言えば、
去年Julian Savulescuと一緒に「臓器提供安楽死」を提唱する論文を書き、↓

「生きた状態で臓器摘出する安楽死を」とSavulescuがBioethics誌で(2010/5/8)
Savulescuの「臓器提供安楽死」を読んでみた(2010/7/5)
「腎臓ペア交換」と「臓器提供安楽死」について書きました(2010/10/19)
臓器提供は安楽死の次には”無益な治療”論と繋がる……?(2010/5/9)


今年の2月にも、やはりSavulescuと共著で
ICUでの一方的な治療停止を正当化したかと思うと、↓

Savulescuらが、今度はICUにおける一方的な「無益な治療」停止の正当化(2011/2/9)


同じく2月に単著論文でも
障害のある新生児はQOLを問わず臓器摘出のために死なせてもよいと説いていた人物。↓

「“生きるに値する命”でも“与えるに値する命”なら死なせてもOK」と、Savulescuの相方が(2011/3/2)


私は、ここ最近になって注目するようになった人物なのですが、
昨日、別の件で必要な情報を求めてブログの中をあちこちしていたら
なんと、このブログを始めてまだ間もない2007年11月に、
当ブログは既にWilkinsonの発言を拾っていました。

その時のエントリーはこちら ↓
「サルよりも人間のクローンを」とTH二スト(2007/11/18)


ちょうどサルのクローン胚からES細胞が出来たというニュースがあった頃で、
そのニュースを受けて、Wilkinsonがトランスヒューマニストたちのブログに書いた
「サルのクローン胚ではなく、ヒトのクローン胚を作れ」という文章。

その論拠が「いかにも」で、
ベースにあるのはPeter Singerと同じく種差別(speciesism)批判。

① サルにはインフォームドコンセントを与えることができないが
人間の女性は与えることができ、自己決定により卵子ドナーとなる。

② 人間のクローンから作ったES細胞の研究の成果からの恩恵を人間は受けることができるが、
サルのクローン胚から作ったES細胞の研究の成果からサルが恩恵を受けることはない。


私は2007年当時、“Ashley療法”論争で擁護に出てくる人たちの中に
トランスヒューマ二スト何人かが混じっていることに気づいて
あれこれ調べていたので、その過程で目についたものでしょう。

もうすっかり忘れていたのですが、
いま振り返って、たいそう興味深いのは
この時Wilkinsonが書いていたTH二ストのブログでは
Savulescuも執筆者の中に顔を並べていること。

2007年当時はSavulescuもWilkinsonも、
まだ仲間内のブログで地味に書いていたわけですね……。

私がトランスヒューマ二ズムと生命倫理学の距離というものを
なんとなく、ずっと知りたいと思っているのは、こういうことなのかもしれない。

つまり、いつのまにかトランスヒューマ二ストが生命倫理学者に化けていく不思議……。
2011.04.28 / Top↑
中国で脳卒中を起こし植物状態に陥ったオーストラリアの男性を巡り、
悩ましい事態が報道されている。

男性は元オーストラリア空軍勤務のThomas Barry Mooreさん。
去年の12月31日に脳卒中の発作を起こし、
その後118日間、中国の病院で意識不明のままだ。

キャンベラ在住の娘のTracy Woolleyさんは
週770ドルを治療費として病院に送金しているが、
来月以降は払い続けることができないという。

父親が植物状態から回復する見込みがないことが明らかになった段階で
生命維持装置を止めてくれと医師らに頼んだが、
倫理問題があるので出来ないと断られた。

Woolleyさんは1月4日にオーストラリア外務省に
中国に行く費用も父親を自国に連れ帰る16万ドルも出せないと
助けを求めた。

3月4日にもらった返事には
Facebookでカンパを募ってはどうかというアドバイスが書かれていた。

外務省によると、病気を理由にした国外退去への費用補助は
非常に限られた特殊な状況のもとでのみ認められるもので、
先方の医療機関が十分な治療に適さないものであるとか、
病状が重く一刻を争うような場合など。

DFAT advice to daughter of dying man: use Facebook
The Canberra Times, April 28, 2011


記事に寄せられたコメントによると、
Moore氏は脳卒中を起こす前に1年以上中国に住んでいたにもかかわらず
現地の医療保険を持っていなかった模様で、

氏の自己責任を問い、
そんな人の医療費をオーストラリアの納税者がかぶるいわれはない、
外務省のいう通りだ、という論調が主流。

ただ、Woolleyさんへの非難の中には誤解もあって、
延命中止の決断をしないのがいけない、決断しなさい、と求めている人たちがいる。

そこでは
「あんたのお父さんは、助かったとしてもどうせQOLは低いよ」とか
「ここで考えるべきはQOLだな」などと
QOLを問題にしていることが気になる。

ここにはいくつもの問題が錯綜しているので
私自身もこの事態が提起する問題をどう整理して
どのように考えたらいいのか、ちょっと戸惑ってしまうのだけれど、

まずは絡まり合ったいくつもの問題を解きほぐしてから
一つずつ整理した上で考えるべきことだと思うのに、
「どうせQOLが低すぎて生きるに値しない人だから」という一事を
持ち込んだだけで、すべての絡まりが絡まりのままで一刀両断されて終わるような
危ういものが、そこにはあるようにも思えて、

それがまた、
「どうせ重症児だから」という一事が実は唯一の正当化の根拠だった
“Ashley療法”論争の危うさに、ふと頭の中で重なった。
2011.04.28 / Top↑
Wesley Smithの以下のブログ・エントリーによると、

Bill To Make Washington Assisted Suicide Honest
Secondhand Smoke, April 27, 2011


ワシントン州の尊厳死法によって医師による自殺幇助を受けて死んだ人の場合、
現在は医師の報告書の死因の欄には元々の病気が記載されているが、

医師による自殺幇助によって死んだ場合には
死因の欄に尊厳死を目的とした自殺幇助として記録するよう求める法案が提出されている。


法案のサイトはこちら

このサイトによると、
法案の最初の審議は通常議会で1月に行われている。
2011.04.28 / Top↑