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前のエントリーの続きです。

生命倫理系のサイト、BioEdgeの Caplanインタビュー。

BioEdge: How dependent are Chinese transplant surgeons on the organs of executed prisoners?
Arthur Caplan: They are heavily dependent. While there are living donors of kidneys and once in a while a lobe of liver the Chinese have no cadaver organ procurement system. So the vast majority of transplanted organs according to their own numbers of transplants carried out must come from prisoners. For hearts and livers those certainly are executed prisoners.
Are Chinese doctors and hospitals actively marketing organ transplant services?
Yes, they are. They promote transplant tourism on the internet. And they are making plans to expand their ability to do transplants and to attract more non-Chinese cash customers by creating what they call "medical cities".
How have doctors, journals, and scientists reacted to your proposal? Has there been any resistance?
It is too soon to tell. So far the reaction has been a bit disappointing--no ringing endorsements from any journals or professional societies.
How have the Chinese reacted?
No reaction at all.
The Chinese government has vowed to end the practice of using organs from executed prisoners. Why haven't they stopped? Do you think that they will stop?
I think many Chinese health care professionals do want the practice to end. But they are sceptical about whether they can get the public to support cadaver organ donation. And I believe the military, which appears to play a key role in running prisons and some of the transplant hospitals, is less concerned about execution as a key source of transplantable organs.
As in other Asian countries, there is great resistance to organ donation in China. If they cannot rely upon executed prisoners, what would you advise them to do?
They must create a cadaver organ donor system. Period. There is always resistance when these programs are launched--there was in the USA decades ago and more recently in Denmark and Israel. A strong campaign with clear explanations of rights and safeguards is the key to public acceptance.
What if a prisoner did give his consent? A prisoner on Oregon's death row recently published an op-ed in the New York Times volunteering his organs.
"Prisoners" in China come in all forms--political, religious, criminal. I doubt we can take 'consent' at face value. Nor do I think we can trust consent to donation from persons being executed in the USA. The hope of commutation of a death sentence is a hugely coercive factor even if it does not come to pass. See my just published article in the American Journal of Bioethics for more on using prisoners as sources of organs.




中国では、刑務所も移植病院も運営は軍部だとのこと。

また、まだどうこういうには早いけれど、
今のところLancetでのCaplanらの呼びかけに対して
どこかの学会や団体から賛同の声が上がったということも
中国からのリアクションもない、と。

最後の質問で話題になっている
NYTで自己決定により臓器提供を申し出た死刑囚については、こちらのエントリーに ↓

「執行後に全身の臓器すべて提供させて」とOR州の死刑囚(2011/3/6)

この時にCaplanがMSNBCに書いた論説がこちら ↓
Organs from inmates? That idea should be DOA
MSNBC, April 21, 2011


なお、最後に触れられているAJOBのCaplan論文は以下に(全文が読めます) ↓

The Use of Prisoners as Sources of Organs – An Ethically Dubious Practice
AJOB, 11(10): 1-5, 2011
2011.10.12 / Top↑
米国の生命倫理学者、Ashley事件でもおなじみのArt Caplanらが
Lancet最新号で世界の医学・科学関係者に向けて中国の移植医療へのボイコットを呼びかけている。

Time for a boycott of Chinese science and medicine pertaining to organ transplantation
Al Caplan, Gabriel Donovitch, Michael Shapiro, Jacob Lavee, Miran Epstein
The Lancet, Volume 378, Issue 9798, Page 1218, 1 October 2011


死刑囚からの移植臓器摘出の事実は中国政府も2006年11月に公式に認め、
今後は死刑囚からの摘出を禁じて、合法的な臓器提供システムをつくると約束した。
その辺りの事情については2007年1月に簡単に書いたことがある ↓

「大地震後に瓦礫の山で“臓器泥棒”」
「介護保険情報」2007年1月号「世界の介護と医療の情報を読む」

しかし、その後も中国の臓器移植件数はうなぎ上りで、
もともと臓器提供への抵抗感が強く、死体からの臓器提供システムが存在しない国で、
相変わらず死刑囚から臓器が摘出されては、外国人優先の医療ツーリズムに回されている。

CaplanらのLancetの呼びかけで、特に印象的なのは以下の一節。

Despite the continuation of organ donation by execution, the international medical and scientific community has done little to make its moral abhorrence of this state of affairs widely known. Presentations about transplantation in China continue to be made at international conferences, publications about the experience of transplantation in China appear in peer-reviewed journals, and pharmaceutical companies continue their marketing efforts and engage in sponsoring research involving various aspects of transplantation in China.
The time has come to bring normal scientific and medical interchange with China concerning transplantation to a halt. We call for a boycott on accepting papers at meetings, publishing papers in journals, and cooperating on research related to transplantation unless it can be verified that the organ source is not an executed prisoner. These steps are admittedly challenging. But the international biomedical community must firmly and boldly challenge the status quo―the barbarous practice of obtaining organs from executed prisoners.

(概要)
世界中の医療関係者は、中国での死刑囚からの臓器摘出の事実を知りながら、そのおぞましい事態に何の行動も起こさずに来たばかりか、国際会議で中国の移植医療に関するプレゼンが堂々と行われ、ピア・レビューを経ているはずの医学雑誌に報告が掲載され、製薬会社はマーケッティングを行い、中国の移植のあらゆる分野に研究費を提供している。
いまこそ、こうした中国の移植医療に関する論文の掲載や学会発表をボイコットし、それら臓器が処刑された死刑囚のものではないことを確認すべきである。生命医学の国際社会は死刑囚からの臓器摘出という野蛮な行為に、はっきりとNOを表明しなければならない。




Caplanらがここで指摘しているのは、
移植医療の国際競争や医療ツーリズムといった、実は医療ではなく経済の問題として
自国民の命にも人権にも、なりふり構わぬ「勝ち組競争」の現実を黙認・追認している、
国際科学・医学界の実態であり、

実は「このまま医療の倫理は経済の原理に引きずられっぱなしていくのか」と
科学・医学の世界の良識を正面から問うているのでは?

それなら、
中国の死刑囚からの臓器摘出と、それを黙認している科学とテクノの国際社会というのは
非常に象徴的な問題ではあるけれど、実は生殖補助医療の国際ツーリズムやワクチン、途上国支援など、
その他多くの問題にも通じていくんじゃないだろうか。


時々覗いている生命倫理系のサイト、BioEdgeがCaplanにこの件でインタビューをしており、
メルマガで届いた個所の全文を次の(後)のエントリーで。
2011.10.12 / Top↑
移植臓器を増やすために、ドナーの葬式代もNHSが出してあげたらどうか、という報告書。:いよいよ貧困層の臓器が狙われていく感じ?
http://www.guardian.co.uk/society/2011/oct/10/organ-donors-funeral-expenses-nhs?CMP=EMCGT_111011&

日本。<生体腎移植>養子縁組間で5例 臓器売買事件受け調査
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20111011-00000009-mai-soci

本土から合法化ロビーが集結し、自殺幇助合法化運動が盛り上がるハワイで、「“選択”は幻想」というタイトルの反合法化ウェブ・サイトが誕生している。尊厳死議論の“選択”が幻想であることは“無益な治療”議論が同時進行していることを考えると、一目瞭然だと私は考えている。
http://www.choiceillusion.org/2011/10/hawaii-assisted-suicide-is-still-not.html

英国で2015年までに40万人の子どもが比較的貧困状態に。絶対的な貧困状態に陥る子どもは50万から300万人も増加の見込み。
http://www.guardian.co.uk/society/2011/oct/11/children-poverty-institute-fiscal-studies?CMP=EMCGT_111011&

オーストラリア首都特別区で子どの人権侵害の訴えが急増し、当局が対応しきれない事態に。
http://www.canberratimes.com.au/news/local/news/general/rise-in-childrens-rights-complaints/2319414.aspx?src=enews

米国の反格差デモに関して、シカゴ・トリビューンにデモを「金持ち叩き」と捉えた「我々は金持ちに腹を立てるべきか?」というタイトルの記事。その中に「米国民は金持ちがその富にふさわしいかどうかを重視する。例えばビル・ゲイツやオプラ・ウィンフリーは富にふさわしいと考えられるために、金持ちであることで嫌悪されることはない」という1節がある。そう考える人は現在のビル・ゲイツとオプラ・ウィンフリーが何をしているか、ビル・ゲイツの音頭で米国の長者たちが各国政府の頭越しに世界人口抑制に取り組もうと合意(2010/6/9)を読んでみてほしい。
http://www.chicagotribune.com/news/opinion/ct-oped-1011-rich-20111011,0,5857841.story

6月に出たばかりの「日本の介護システム――政策決定過程と現場ニーズの分析」結城康博 岩波書店。
この本に、「介護保険情報」10月号の「論壇」で地域ケア政策ネットワーク研究主幹の池田省三氏が「『空想的介護保険論』からは何も生まれない」という論文を書き、噛みついている。:論文の内容についても思うところはいろいろあるけれど、一番不快なのは「こういう人を研究者とは呼びたくない」とか研究手法が誤りで研究「弱者」だとか、現場のケアマネから研究者となった結城氏に対してアカデミズムからの差別意識のようなものがチラついていること(私が勝手にそこに、アシュリー事件や医療に関する諸々について素人の私がエントリーで所感を述べると「お前なんかに何が分かる?」と逆上・反発してコメントでブッたたきにくる医療職の人や学者さんたちを重ねてしまうから、かもしれないけど)。それは、池田氏に学者として現場職員を見下す意識がある、ということでは? でも制度って、「現場を知ろうが知るまいが、論理的におかしいものはおかしいのだ」と放言し、アカデミックな高みから現場の人たちを見下してかかる学者・研究者だけが云々して作っていくものなんだろうか。さらに言えば、こんなに長年、業界の人なら誰でも知っている“厚労省の御用学者”をやってきた池田氏が「私はケアの現場を200以上は訪れている」と自慢するのを読めば、いや、しかしそれは「200以上しか訪れていない」ということなんであって、それこそ一体どういう研究者よ? と、ぶったまげるし。
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4000242814?tag=hatena-bu-22

ちなみにAshley事件を論じる学者さんたちに私が言いたいことはこちら ↓
http://blogs.yahoo.co.jp/spitzibara/61778427.html
2011.10.12 / Top↑
原発反対運動の一部から出てきている「障害児を産まないために」という声について

3月29日の補遺でtu_ta9さんの掲示板を拾って、
次のように書いて以来、ずっと頭に引っかかったまま、うまく考えをまとめられずにいる。

tu_ta9さんが原発事故に関連して「障害児を産みたくない」というような言説について興味深い掲示板的エントリーを立ち上げている。: そのやりとりで出ている「癌のリスクを言うのはよくて障害リスクを言うのはいけないというのも差別的ではないか」という指摘を、グルグル考えている。反論する理屈が見いだせないまま、ふっと頭が飛躍して、そのうち出生前遺伝子診断で発がんリスクの高い胚は障害リスクの高い胚と同じようにはじかれていく時代 がくるかもしれない……みたいなことを、先に考えてしまった。
http://tu-ta.at.webry.info/201103/article_12.html




この問題について
8月10日にSOSHIRENがアジア女性資料センターと共催で
以下のおしゃべり会を開いている。

8/10おしゃべり会 脱原発! どう考える?
「母だから」「子どもに障害が……」

おしゃべり会では最初に
福島原発事故の後おおしばよしこさんらが原発の危険性を訴えるために制作した
アニメーション「みえないばくだん」を鑑賞。

「みえないばくだん」のYouTubeはこちら(約10分)

その後のおしゃべり会の内容から印象に残った部分を、
最新号のSOSHIRENニュース(9月29日発行NO.298)から以下に。

そもそも、障害の負のイメージは真実でしょうか。脱原発運動は「原発は安全」を疑って、神話だと見抜きました。「障害は不幸」「障害はあってはならない」も、疑ってみるべきだと思います。いつの時代にも障害児は生まれるし、生まれてからの障害もゼロにはならない。でもそれは、汚染物質やウィルスで傷ついても生き延びる、人間の適応力、生命力ではないでしょうか。私はむしろ希望だと思います。
脱原発の言説に障害者差別の意図がなくても、原発の怖さを障害児の出生で表現することは、結果として差別を深める恐れがあることを知ってほしい、またそうならない方法を考えたい。障害者について、実際に障害をもち暮らす人についての情報、障害者が生きやすい状況をどうやってつくるかという情報が発信されるといいと思います。実際の障害者は泣き続けてはいません。
米津知子さん(SOSHIREN)



私が反発を覚える「お母さんだから」というのは、「母だから」と言っている当のお母さんたちではなく、それを利用してレッテル貼りをしている周りの存在に違和感があるんだと思います。
母親を持ち上げるマスコミや脱原発の人は、自分の想定内の母親像だと耳を貸しますが、そのステレオタイプから外れると急に否定的な評価をします。子どもを守る美しい母というイメージと、わがまま、感情的、難しいことは分からないというネガティブなイメージとは鏡の両面です。
大橋由香子さん(SOSHIREN)



タンポポ舎も「お母さんにもよく分かる放射能講座」を提案している。お母さんはそんなバカなのか。お父さんは何をやっているのかと言いたくなるくらい意識が20年前と変わらない。中山千夏さんが「原発推進派はみんな男、反対派も男、女はみんなお母さん」と書いていたが、男の運動はお母さんを利用している。
会場からの発言



支援活動と共に当時者運動に詳しい男性保護者の方と話をしているときに「不当に健康被害を受けないために」と言われ、自分でも腑に落ちた。
(中略)
子どもの生存に関して、行政が責任をとらず社会が関心を払わないという根本的な問題があり、今回保護者(とくに女性)が「子どもを守る」役割を無理やり担わされているのだなと思った。
(中略)
いま、必要なことは対話だと思う。表面上対立しているように見える意見でも、よくよく話していったら根本は「生きる価値がない人なんていない」「何かを押し付けられることが嫌だ」という思いで共通しているかもしれない。
そうして最低限共有して、弱者にしわ寄せがこない社会の仕組みをつくっていきたい。
疋田香澄さん(子どもたちを放射能から守る全国ネットワーク福島支援部門)





この中で語られている「"母"が利用されている」ということ、
利用されているだけだから「都合のよいステレオタイプに当てはまらないと
即座に否定の対象になる」ということが

「にもかかわらず明るく生きる姿に勇気をもらいました、ありがとう」などの言葉に象徴されるように、
メディアがそのように描き、世の中が暗黙のうちに障害児・者と家族に求めている
「社会のオアシス」役割のステレオタイプと、その鏡の表裏として、
権利を要求するや一転して叩かれる障害者。

Ashley事件、Katie事件、Angela事件などで繰り返された
「どんな苦労もいとわず、ここまでしても子を家でケアしようとする美しい親の愛」ステレオタイプと
それを批判するや、叩きに利用された「それをイデオロギーで邪魔立てする障害者運動」ステレオタイプ。

さらにいえば、臓器移植医療や生殖補助医療の分野の医師らばかりが
「苦悩する患者」にやたらと共感的であること、

その一方で
脳卒中の後遺症や重い障害に「苦悩する患者」の「苦悩」は
医療の世界から世論に向かって共感を大きな声で説かれることがないまま
そうした患者の命や生活を支えるリハビリテーションが切り捨てられ、
十分に支えることが可能な医療介入までが「無駄な延命」であるかのように
メディアに言いなされていくことにも、

これは通じていく構図なのだと思う。

強い者が強い側の利益をゴリ押ししていくために
利用するのが「美しい愛」という情緒のマジックであるならば、

それに対して弱い者の立場で異議を申し立てていく時には
いかにそれが魅力的で即効あらたかに思える戦術であったとしても、
それが問題を摩り替え、問題のありかを不分明にしてしまう手口である以上、
易々と手を出さない節度を持つこと。

その単純な分かりやすさ、伝わりやすさに安易に飛びつくのではなく、

そこにある、複雑でいろいろと絡まり合った問題のありかに
苦労して分け入り、手間をかけてあれとこれとを丁寧に選り分けて
それぞれの所在をきっちりと整理する努力が必要なのだろう、と思う。

そうした努力から出てきたのが
ここでは「不当な健康被害を受けないために」という表現なのだろうし、

コトの本質を突いて問題のありかを分明にする表現というものは
たぶん、いつだって、こんなふうに余分な湿り気を寄せ付けず、
さらりとシンプルに爽やかなんだなぁ……とも。
2011.10.12 / Top↑
カナダで進行中の自殺幇助合法化集団訴訟。原告の一人 Susan Brackenさんの主張を特集した記事。夫がガンで苦しみながら死ぬのを見てきた。そして今、自分自身がガンで闘病中。
http://www.globalnews.ca/timeline/6442457485/story.html

上の記事から、ちょっと特記しておきたい情報として、重症障害のある12歳の娘を「死ぬことが本人のため」と殺したRobert Latimerに去年12月6日にfull parole が認められた、と。以下のエントリーで拾ったように、2008年に彼はすでに仮釈放になっている。その際に、2010年12月8日までの仮釈放とされていたので、上の記事が取り上げているように「最近カナダでは自殺幇助事件の無罪放免が続いている」事例には当たらない。またLatimer事件は慈悲殺事件なのだから、もともとこの記事が扱っている自殺幇助の問題とは区別すべき。なぜ同じ扱いにするのか?

母親による障害児殺し起訴同日かつての障害児殺しの父親Latimer保釈(2008/3/7)
Latimer事件についてHendersonが批判(2008/3/10)
重症児の娘殺したLatimer「裁判所は正直に」と(2008/3/23)


来年5月31日から6月2日、シカゴで International Society of Advance Care Planning & End of Life Care カンファ。
http://www.acpelsociety.com/conference/

メディケアの高齢患者の3分の1が死ぬ直前に無用な手術を受けている、との調査結果。:医療費を高騰させている要因は、本当によく言われているように高齢患者や障害者の延命治療なのかどうか、ここでもまた「ない」情報は「ない」ことそのものが見えなくされてしまっている。
http://www.medicalnewstoday.com/articles/235680.php

【関連エントリー】
日本の尊厳死合法化議論を巡る4つの疑問(2010/10/28)

ナーシング・ホームによってインフルエンザ・ワクチンが不足している。ナーシング・ホームは事実上、白人向けと黒人向けに分かれる傾向があり、不足しているのは黒人のナーシング・ホーム。
http://www.medicalnewstoday.com/releases/235568.php

核戦争防止国際医師会議から日本政府に出された「原発災害に関する勧告」。
http://ippnweupdate.files.wordpress.com/2011/08/ippnw_pmkan082211.pdf

[WAN的脱原発](10)「難しいことはわからないけど、母は強い? 『産むのが怖い』この時代に」by 大橋由香子。「何よりひっかかるのは、3・11以降とくに、母といえば、子どもを第一に考え、自分を犠牲にすることも厭わず必死に努力、健気にがんばるというイメージが 流布したこと。現実にはいろんな母親がいるし、そもそも母という属性とは別に、さまざまな仕事をしていたり家事専業だったり、家族や子どもとの関わりも雑 多であるにもかかわらず、何か一つの鋳型に入れた感じになる。そして母性愛とセットのようにして出てくるのが「難しいことはわからない、無知な母親」というイメージなのだ。」
http://wan.or.jp/reading/?p=3964

米国の教育改革で教師にも能力給を導入すべきだという議論が出ていることに対して、それは違う、との反論。:能力給といえば米国ではビル・ゲイツが筆頭で旗振ってるけど、今朝の朝日新聞で大阪維新の会の誰ぞが「格差を受け入れてでも国際競争力のあるエリートを育てる教育を」との趣旨で、「ダメ教師がのさばらないよう」能力給に触れていたけど、教師の能力とは余人では代替えの利かない、えも言われぬ、「持ち味」とか「芸風」のようなところがあって、数値で評価できるものじゃないと思うんだけど、こういうことを言う人は、数値で評価できる能力だけを教育の成果に期待しているんだろうし。それもまた極めてビル・ゲイツ的。……というよりも、ゲイツ財団に象徴されるグローバル強欲ひとでなし金融ネオリベ慈善資本主義の世の中が、各国政府に、生き残りのためにはこうして自国民を見殺しにしてでも国際競争に生き残っていくべく、ゲイツ財団的な能力と効率至上の価値意識に乗っかっていく以外に術がない場所へと急速に変貌しているんだと思う。
http://www.washingtonpost.com/blogs/answer-sheet/post/why-merit-pay-for-teachers-sounds-good--but-isnt/2011/10/09/gIQAVb72YL_blog.html?wpisrc=nl_cuzheads

【関連エントリー】
持ち味と芸、そして「かけがえのなさ」(2007/11/17)

ゲイツ財団の米国公教育コントロール(2011/5/2)
2011.10.12 / Top↑