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“Knowing when to stop: futility in the ICU”
Dominic J. C. Wilkinson and Julian Savulescu
Current Opinion in Anesthesiology, 2011, 24:160-165


これも、前のエントリーで読んだ論文と同じく、
落ちていく先はコスト論。

無益な治療論争は定義が一定しないまま、いったん下火になったが、
Betancourt事件やGolubchuk事件などで、またぞろ再燃しているとして、

集中治療室における無益な治療をめぐる係争の周辺の文献を概観し、
ざっと以下のことを提言。

・客観性を装う「無益」から「医学的に不適切」に表現を変えて
医療職の価値判断であることを明示。

・「医学的に不適切である」理由の説明を家族にはっきりと行う。
そこには本人への害となることの説明と共に、
他者(限られた資源が他に回されると利益を受ける患者)への害も含めて。

・上記2つの害の可能性を検討して公平公正な判断を行うためには
 病院内倫理委のコンセルテーションによるテキサス型の決定過程が望ましい。

そこで著者らが引いているのは、
2003年にJAMAに報告された調査結果。

治療をめぐる係争が倫理委コンサルテーションで検討されたケースでは
致死率に影響することなく、呼吸器使用、ICU滞在、入院期間が短縮できた。

で、著者らの結論は、

…… it is ethical for doctors to decline to provide treatment that is judged to be medically inappropriate or futile either when such treatment is contrary to the interests of the patient or when there are insufficient resources to provide treatment of this level to benefit.


いつのまにか
本人利益にならない場合と、または社会資源が不足している場合のいずれであっても
治療の提供を医学的に不適切だと判断して拒否することは倫理的だと言われてしまう。

でも、少なくとも後者は「医学的に」不適切だとの判断ではない、と思う。
2013.04.16 / Top↑
A Life Worth Giving? The Threshold for Permissible Withdrawal of Life Support From Disabled Newborn Infants
Dominic James Wilkinson
Am J Bioeth, 2011 February; 11(2): 20-32

【関連エントリー】
「“生きるに値する命”でも死なせてもOK」と、Savlescuの相方が(2011/3/2)


この論文でウィルキンソンが立てる問いは、
親と医師が重症障害のある新生児を死なせることが許されるのはどのような場合か?

「その子どもの将来の利益が負担と同等である」点を「ゼロ地点」とし、
利益がそこを下回る場合にのみ生命維持の中止を認めるハリスの考え方を
「ゼロ・ライン論」と呼び、

それに対して、

Steinbockの「閾値論」を採用すべきだとし、
生きるに値する生を生きられそうな子どもでも親の選択で死なせてもよい閾値の設定を説くのが、
この論文の趣旨。

「閾値論」とは、
上記のゼロ地点ラインの上下に、それぞれ
「生きるに値する生を送る可能性はあるが、親の裁量を認めて親が決めるなら中止してもよい」上限と、
「負担が利益を上回るが、診断その他の不確実性をかんがみて親が希望するなら治療を継続してもよい」
下限を設けて、

上限を超えた治療は「やらなければならない」とされ
下限を下回る治療は「不適切」とされる、というもの。

従来の「グレー・ゾーン」と「閾値」の違いは
ゼロ地点よりも上の「生きるに値する生」を生きる可能性のある子どもでも中止を認めている点。

なぜなら
……it may be worse to allow an infant to live with an LNWL, than to allow a newborn to die who would have had a restricted life.

生きるに値しない生で新生児を生きさせるのは、
制約された生を生きたかもしれない新生児を死なせることよりも悪い可能性がある


ここまで説いて、ウィルキンソンは問いを今度は、
「では、生きるに値する生になることが確実な子どもではどうだろう?」と転じる。

例として、
重症の知的障害(知能レベルが3カ月の幼児に留まる)があるが
身体的には健康で医療を必要としない子どもを挙げる。

そして、親の、結婚生活の破たんにまで及びうる心身の負担、経済的な負担と、
子どもにかかる教育と医療の「大きなコスト」という社会の負担を挙げて、

さらに問いを
「では、他者の利益によって新生児を死ぬに任せることが認められるのは、
どのような場合か」と発展させる。

それに対して、

…… The level of impairment that a society is able to support will depend upon the resources available. In societies that are very impoverished, the threshold would potentially be higher than in societies that have ample resources.

社会がどの程度の障害までを支えるかは、利用可能な資源による。
非常に貧しい社会では、閾値は豊富な資源のある社会よりも高くなるだろう。

(資源は豊かで差別的な社会でも、閾値は高くなると思いますが)


また、
コストもかからず本人に害がないなら、続けてもよいが、
将来的に重度化してゼロ地点を下回るリスクはある、とも追加。

見込まれる反論として、ウィルキンソンが挙げているのは
① 新生児にだけ別基準を設けることになる。
② 障害のある新生児への差別である。
③ 閾値設定の恣意性。
④ 本人の最善の利益論と一致しない。


② への反論が象徴的で、
問題にしているのは将来のwell-beingであって障害ではないから差別ではない、と。

しかし、そんなふうに一定の障害像にはwell-beingの可能性を認めないことが差別なんでは?

それに、このように弁明しつつ、
Wilkinsonは、論文後半の「実際的な基準」では、
「生きるに値する生」として補助具を使えば歩ける身体障害と
IQ35-50で基本的なニーズに関する会話が可能であることを知的障害の基準とし、

知的障害が重度の場合には明らかに「生きるに値しない生」となると断定し、
身障のみが重度の場合でも将来的に重度化するリスクを挙げて、
さらにその後は具体的な損傷、障害、病気を列挙している。

その際に、ダウン症候群と軽度の二分脊椎は閾値論の対象にならないと書いているけど、
上記の親と社会の負担論が持ち出されている以上、そうとばかりは言えないでしょう、と思うし、

閾値論という他人のふんどしを持ち出して論じつつ、Wilkinsonの眼目は、
そこに、こうして親と社会の負担を持ち込んで基準化することにあったのか――??


ところで、Wilkinsonがこの論文で考察事例として挙げているのは

ヘンリー。
妊娠42週で、緊急帝王切開で生まれ、
状態が悪かったため人工呼吸器を付けて集中治療へ。
生後72時間でまだ呼吸器が外れず、脳波には異常がみられる。
集中治療を続ければ命は救えるだろうが、
重篤な四肢マヒを伴う脳性マヒと中等度以上の認知障害を追うことになる
確率が高い、と親には説明。

マイケル。
7歳。重症の四肢マヒの脳性まひ、小頭症、てんかんがある。
視覚障害と重症の知的障害もある。
親や教師の声ににっこりし、馴染んだ音楽を聞くと笑う。
苦痛や不快を感じてはいない時が多いが、言葉や補助具を使っても会話はできない。
本人仕様の車いすを利用するものの、自分では操作不能。胃ろう。
重症の出生時低酸素脳症で、生後1カ月はICUで過ごした。
その後も、けいれん発作が長引いたり、肺炎で何度も入院。
周囲とのやり取りの能力はいずれ変わる可能性はあるが、寿命は予測不能。
成人して、数十年生きる可能性もある。


たぶん、ヘンリーの数年後をマイケルで想像せよということなんだろうから、
早産と帝王切開と胃ろう以外はこの2人とそっくりだった25歳を、ちょいと追加してみる。

ミュウ。
25歳。出生時に重症の低酸素脳症で、生後2カ月近くNICUで過ごした。
最初の1か月、人工呼吸器を装着し、保育器に入る。
生後3日目に胃穿孔の手術。生後6カ月から1か月、けいれん発作で入院。
その後も頻繁に肺炎や気管支炎で入院。
重症のアテトーゼ型脳性マヒと重症の知的障害がある。
本人仕様の車いすを利用するものの、自分では操作不能。寝たきりの全介助。
今のところ滑らか食を口から食べられているけど、いずれは胃ろうになる可能性も。
言葉での会話もエイドを使った会話もできないが、音声のバリエーションと
顔の表情、指差し、全身のありとあらゆるところを使って、言いたいことは分からせる。
自己主張は非常に強い。目だけで誰かを徹底的にバカにして見せることができる。
こっちの言っていることはだいたい理解しているが、
時に都合が悪いと、分からないフリをするチャッカリした面も。
言葉はなくても、けっこう理屈っぽい。
都合が悪い話題が出てくると、いきなり別のことに話を持っていったりもする。
現在、療育園の若手男性職員に熱烈な恋をしているところ。楽しそうである。

その他、ミュウの日常については
ぱんぷきん・すうぷ(2010/8/29)
お茶(2011/1/25)
ポテト(2012/3/4)
オトナの女(2012/5/26)
ミュウの試行錯誤(2012/6/25)
2013.04.16 / Top↑
Facebookの創設者 Mark Zuckerbergが
諸々のチャンネルを握っておりカネも人気もあるビル・ゲイツなどIT長者らを結集して、

一大政治勢力となるべく、
The Political Action Committeeの創設に動いている、という噂。

組織作りを引き受けたザッカーバーグの元ルームメートの
メール内容が漏れたことから。

別情報として、
ビル・ゲイツが Human Capitalという団体の創設に加わっている、とも。

ただし、組織名は既に変わっている、とも。

で、まず手掛けようとしているのは
移民問題と教育問題なんだとか。

‘People in tech represent one of the most powerful political forces’: Arrogant beliefs of Mark Zuckerberg’s Silicon Valley Political Action Committee
Mail, April 6, 2013

Bill Gates, Marc Andreessen joining Mark Zuckerbeerg’s super PAC?
Silicon Valley Business Journal, April 6, 2013



若干28歳のザッカーバーグがこんなことを言うと、
傲慢だとか何だとか反発されているみたいなのだけれど、

でも、
IT長者と金融長者(両者はもちろん重なっている)による「世界政府」みたいなのは、
もうずっと前からできて、とっくに着々と機能しているんでは……?


【関連エントリー】
ゲイツ財団の慈善ネオリベ医療グローバリズム賛歌(2009/6/20)
人類は2040年に滅亡、でもグローバル福祉国家は通産相兼務の厚生相が御活躍だから大丈夫?(2010/3/18)
ビル・ゲイツの音頭で米国の長者たちが各国政府の頭越しに世界人口抑制に取り組もうと合意(2010/6/9)
国家的権威から市場主義的権威による超国家企業の政治制度へ(2012/1/25)
2013.04.16 / Top↑
オーストラリア the Brighton EastのBeverley Broadbentさん(83)は、
これまで充実した人生を歩んできて、病気でターミナルな状態にあるというわけではなく、
不幸だと感じているわけでもウツっぽいわけでもないけど、
加齢に伴い、健康問題があれこれと出てきたり、
これまでのように行かないことが増えてきて、

そのうちに認知症になったり、
転んで骨折でもしたらナーシング・ホームで寝たきりになると考えると、
そんなことにならないうちに静かに死にたい、と
バービツレートを手に入れた。

そして、メディアのインタビューを受けて思いを語るビデオを収録し、
2月11日に自宅ベッドでそれを飲んで自殺した。

記事によると、安楽死活動家Rodney Symeが
死の前に何度かBroadbentさんと会った、とのこと。

Symeは、
こうした希望を持って相談してくる高齢者が増えているので、
皆で議論すべきだ、と語っている。

一方、Right to Life AustraliaのKatrinaHallerは、
高齢者が、例えば病院のベッドをふさいでいると言われるなど、
社会からお荷物視されることが、自殺願望に繋がっているとして、

「どこで線を引くんですか? ベルギーとオランダでは、
年々、ドアは少しずつ大きく開いていますよ」

Rational suicide: Why Beverley Broadbent chose to die
The Age Victoria, April 2, 2013



Beverleyさんが致死薬を飲む時には
Amandaとだけ名前を明かしている看護師をしている女性が側にいた、とのこと。

女性は、comfort(安楽にすること)はしたけれど、幇助はしていない、と言っている。

Amandaさんによると、
Beverleyさんは致死量のNembutal を午後7時半に飲み、
その30分後に安らかに息を引き取った。

Suicide a calm and beautiful ending, says witness
The Age Victoria, April 3, 2013


ちょっとFEN事件を思わせる事件――。
FENが自殺する人に指南役として送り込むボランティアはExit Guideと呼ばれている。


それにしても、
英国のGilderdale事件もそうだったけれど、
こういう事件のニュースに触れるたびに私は不思議でならないのだけれど、

使われたモルヒネとかバルビツールの入手経路って、
どうして誰も問題にしないんだろう???


ちなみに、BioEdgeのMichael Cookは
先週のニュースレターのコメントでこの事件を取り上げて、
いくつか倫理問題を指摘している。

① 取材して記事を書いた記者には、人として
Beverleyさんの自殺を思いとどまらせようとする道徳的義務はなかったのか。

② 記事の書き方がバルビツールを「安楽ピル」を呼ぶなど、
Philip NitschkeのExit Internationalの無料広告みたいになっている。

③ WHOの自殺報道ガイドラインは、ジャーナリストに対して
「自殺をセンセーショナルに描いたり、正常なことと描いたり、
問題解決の方法であるかのように捉える言葉づかいを避けるよう」求めているが、
この記事はその3つ全てをやっている。

④ 文末にヘルプ・ラインの電話番号を記しているが、
自殺を美化し勧める内容の記事を書いておきながら、何の説得力もない。



【関連エントリー】
オランダで「70歳以上の高齢者には自殺幇助を」を学者・政治家ら(2010/2/10)
「高齢者がいつでも死ねるように街角ごとに“安楽死ブースを”」と英国作家(2010/2/10)
英国のDr. Death「元気な高齢者にも医師による自殺幇助を」(2010/8/16)
Dignitasで英国人がまた自殺、今度は「老いて衰えるのが怖いから」(2011/4/3)
スイスの地方自治体が高齢者施設での自殺幇助合法化巡り住民投票(2011/4/15)
スイスの自殺幇助団体Exit、高齢者の要件を緩和(2011/5/9)
スイスで「人生が嫌になった」高齢者の自殺幇助が増えている(2012/5/10)
2013.04.07 / Top↑
Dianne Ruth Whittleさん、50歳は、元看護師。
2010年9月にALSを発症。

2011年10月に
夫ともう一人の家族に付き添われてスイスのディグニタスで自殺。

飲み込みができないので、
経管栄養のチューブを通して致死量の即効性のバルビツールを胃に入れた。

そのスイッチは本人が押したことと、
それ以前にも自殺未遂をしていることから、

副検死官が自殺である、と断定。

Nurse travelled to Switzerland to end life in Dignitas clinic
BirminghamMail, April 3, 2013


スイスのディグニタスに家族が付き添って行くことは
ついこの前までは、不起訴になるにせよ警察が捜査する「自殺幇助」行為だったんだけど、

いつの間にか、
検死官が「本人が自分で命を断ったんだから、これは自殺」と宣言すれば、
それでOKということになった……ということなんだろうか、この記事の書き方は?

でも、10年のDPPのガイドラインには、確か、
すべての自殺幇助事件は警察の捜査対象であり、
自殺幇助の証拠がそろっている場合に起訴が公益に当たるかどうかを検察が判断し、
最終的には公訴局長の同意が必要だと書いてあったはずなんだけどなぁ?


そういえば、こういう話もある ↓
検死官が近親者による自殺幇助は見て見ぬフリ(英)(2011/8/25)


【関連エントリー】
警察が「捜査しない」と判断する、英国「自殺幇助起訴ガイドライン」の“すべり坂”(2011/7/15)
検死官が近親者による自殺幇助は見て見ぬフリ(英)(2011/8/25)
要介護状態の夫が、大動脈瘤で倒れた妻を病院で射殺。「慈悲殺か殺人か」論争に(2012/8/24)
「近親者の自殺幇助には温情」文化が広がっている(米)(2013/1/22)
2013.04.07 / Top↑
気になっていたコネチカット州の自殺幇助合法化法案は、
保健医療委員会で議会に送る議題から削除され、
議会での採決まで行かず廃案に。

委員長によると、
賛成が少なく、法的に自殺を認めることに対する反対が強かったため。
賛否は拮抗すらしなかった(not even close)と。

C&Cでは、来年また提出する、と。

Connecticut General Assembly will not vote on assisted suicide bill this year
New Haven Register, April 5, 2013


まずは、グッド・ニュース。
2013.04.07 / Top↑
09年のFEN事件で、先月の判決に対してミネソタ州の検察側が上訴。ここでも、以下にリンクしたGA州の訴訟と同じく、言論の自由の問題としての自殺幇助。いくつもの州にまたっがった、いくつもの事件と訴訟を含むFEN事件のまとめはこちらに ⇒ http://blogs.yahoo.co.jp/spitzibara/65805049.html
http://www.washingtonpost.com/national/health-science/minn-prosecutors-appeal-ruling-in-assisted-suicide-case-against-members-of-final-exit-network/2013/04/04/5dcbb91e-9d73-11e2-9219-51eb8387e8f1_story.html
http://minnesota.publicradio.org/display/web/2013/04/04/prosecutors-appeal-assisted-suicide-ruling

【関連エントリー】
FENが「GA州法の自殺幇助関連規定は言論の自由を侵す」と訴訟(2010/12/11)
GA州「自殺幇助の宣伝禁じる州法は憲法違反」裁判、FENの勝訴(2012/2/7)


米国モンタナ州の医師による自殺幇助を犯罪とする法案、上院委員会の投票で6対6。どうなる? 112人の医師らがPAS反対キャンペーンで動いたとか。
http://www.greatfallstribune.com/article/20130403/NEWS05/304030028/Assisted-suicide-bill-up-air-following-tied-vote

米国のメディケアの予算カットで、癌のクリニックに診察拒否されるメディケア患者が何千人も。:こうして受けたくても医療を受けられない状況が「死の自己決定権」に向けて包囲網を狭めていく。
http://www.washingtonpost.com/blogs/wonkblog/wp/2013/04/03/cancer-clinics-are-turning-away-thousands-of-medicare-patients-blame-the-sequester/

ホスピスでの代替医療をChicago Tribuneが特集しているなかに、鍼灸が入っている。
http://articles.chicagotribune.com/2013-03-27/health/sc-health-0327-dying-complimentary-therapies-in-th-20130327_1_acupuncture-nausea-end-of-life-care

3月9日から16日、英国のShare the Care Week. 介護シェア週間。障害のある子どもを月に1日か2日ボランティアで預かるレスパイト・ケアラーの活動を紹介し、参加を募る。
http://www.bbc.co.uk/gloucestershire/content/articles/2008/03/13/sharethecareweek_2008_feature.shtml
http://www.charityportal.org.uk/detail.php?id=1019478396
http://www.reading.gov.uk/pressreleases/2011/mar/share-the-care-week-march-21-to-27/

英国に介護者支援ラジオ、Cares World Radioが登場。
http://www.carersworldradio.com/

認知症患者の医療費、年間1570億ドルで、「心臓病とがんよりも高くつく病気」と。
http://www.medicalnewstoday.com/articles/258643.php

英国NICEから4月3日、認知症患者のケアのスタンダード。
http://www.medicalnewstoday.com/releases/258578.php

大金が動いた子宮頸がんワクチンキャンペーン 【日刊ゲンダイ】斎藤貴男:英米でHPVワクチンへの不信が広がっていたのも、ワクチン推進派が思わせようと狙っているような水銀によるワクチン自閉症説のためではなく、ビッグ・ファーマのあまりにもえげつないマーケティング手法への不信感だった。
http://iiyama16.blog.fc2.com/blog-entry-4083.html

……なんて書いたとたんに、米国CDCが「3種混合ワクチンは自閉症リスクとは関係ありません」と。自閉症ワクチン犯人説の発端となったウェークフィールド論文はとっくに抹消されたというのに、未だに繰り返し否定されているのも不思議といえば不思議。Wakefield論文の抹消関連については、こちらのエントリーにリンク ⇒http://blogs.yahoo.co.jp/spitzibara/63587981.html
http://www.medicalnewstoday.com/articles/258414.php

それでも、子宮頸がんなど3ワクチン、4月から定期接種の対象に:まぁ、何が起ころうと最初から既定路線だったわけなんだろうし。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130330-00000016-asahi-soci

特集ワイド:製薬会社からの資金提供公開 医師ら異論で内容後退
http://mainichi.jp/feature/news/20130403dde012040014000c.html

出生前検査 企業が妊婦にあっせんを計画。ぬで島次郎さん「出生前検査を医療行為として枠づけなければ商業的な広がりは歯止めが効かなくなる。国や自治体は関与を強めるべきだ」「商業的な広がり」の見本は08年にすでにここにあった ⇒ 出生前診断をショーバイで語るとこうなる(2008/11/21)
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130330/k10013553151000.html

日本版NIH…医療研究の司令塔、創設を検討
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130402-00001973-yom-sci

日の丸ITで中国6兆4000億円の介護市場に挑む、日立システムズが上海で交流会。
http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/NEWS/20130329/466994/

日本。東京株、終値1万2833円=1部の出来高、最多の64億株超:なんか、世の中のどっち方面に目を向けても、演出に踊らされてるばっかし……みたいな。
http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/economy/stock_market/

2013/3/31 【東京】反差別訴える市民、排外デモ隊を終始包囲―新大久保での排外デモとそれに対する抗議:日本でこういうことが現実に起こっているというのに、どうして大手メディアは報道しない?
http://iwj.co.jp/wj/open/archives/71529

日本。★「町田市による朝鮮学校生徒への防犯ブザー貸与停止に対して町田市教育委員会学校教育部教育総務課に送った抗議文」日本アジア・アフリカ・ラテンアメリカ連帯委員会常任理事の高林敏之さん。「『朝鮮学校の子どもは犯罪から守られなくていい』というメッセージ」。
http://www.twitlonger.com/show/n_1rjjeiu

日本語。ローマ法王、史上初めて少年院で「洗足式」行う:上のようなニュースの中でこれを読むと、涙が出そうになった。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130329-00000001-jij_afp-int

英国社会の社会階級は3つから今では7つに。
http://www.guardian.co.uk/commentisfree/2013/apr/03/seven-into-three-doesnt-go-maths-of-failure

英国のOffshore企業というのがイマイチ経済音痴にはよく分からないんだけれど、なにしろ居住国以外のあちこちに隠し金を持っているスーパーリッチや権力者の名前が1000人単位でリークされたらしい。
http://www.guardian.co.uk/uk/2013/apr/03/offshore-secrets-offshore-tax-haven

日本。「入試のTOEFL、理数必須」異論続出、了承先送り 自民教育再生本部
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130329-00000500-san-pol
2013.04.07 / Top↑
去年のマサチューセッツ州のPAS合法化住民投票の直前に
反対派陣営にはカトリック教会の資金が投入されているという情報が出てきて、
それを宗教からの介入操作であるかのように書く記事が沢山あったのだけれど、

ワシントン州での住民投票前のキャンペーンや、その他の州で進行してきた
合法化推進派のすさまじいキャンペーンを眺めれば、
それどころではない規模の莫大な資金が
C&CやFENに流れていることは想像がつく。

(自殺幇助を美化して描く映画やTV番組がどれだけ作られてきたことか……)

これまで当ブログが拾った情報から描いている
世界のあり方の「大きな図」で考えれば、当然のこととして、
いわゆる「1%」のカネが背景に在るのだろうと個人的には想像していた。

ただ、そういう具体的な情報に
これまで行き当たったことがなかった。

ついに、ひとつ、出てきた。

以下の記事のOp-Edタイトルは
「ジョージ・ソロスのカネで自殺を売る」

C&Cはthe Soros American Foundationsからの
2010年のグラント受給金額トップ75の中に入っている。

グラント額は100万ドル。

この資金でC&Cは大々的なキャンペーンを張り、
テレビでは痛苦に苦しむ終末期の患者が家族による自殺幇助で
穏やかな最期を迎えたエピソードを流し続けている。

しかし、OR州とWA州での医師からの報告によれば、
医師のよる自殺幇助を受けて死んだケースはすべて
長引く苦痛のためではなく、自立を失うことへの不安によるものだった。
(「すべて」と書かれているのは事実とは違うのでは、とは思いますが、
自律を失うことへの不安を理由に挙げた人が多いというのは私も拾っている情報)

また、ソロスのカネがC&Cの背景にあるということは
州の議員らにとっては、今回提出されている合法化法案に付いた方が
あと後でオイシイ(彼らの最善の利益である)という判断を促す、と記事は書く。

実際、議員らは今回法案を通す意向を表明している。

ちょっと興味深い情報として、
ソロスは緩和ケア充実にも力(カネ)を入れていて
10年にはC&Cよりもはるかに多い270万ドルをthe Partnership for Palliative Careに
提供していること。

また、370万ドルをつぎ込んで、シカゴで
Heights of Compassion: Bridge to Choice というタイトルのカンファを開催。
緩和ケアの関係者と自殺幇助合法化運動関係者とが「共通のグラウンド」を模索した、とも。

この情報は、どのように読んだらいいのか、ちょっと……。

ただ、以前から、OR州のホスピスには
C&Cが既に浸透しているのではないか、との疑惑はあるので ↓
オレゴンの自殺幇助ほぼ全員がホスピス・ケアを受けていた、という怪(2009/3/20)

うがった見方もできないことはない。

その他、この記事から注目情報として、
マサチューセッツ州の住民投票がPAS合法化を否決したのに続いて、
メイン州でも住民投票で否決された、と書かれている。
(こちらは知らなかった)

コネチカット州では現在、州民からの意見募集が行われており、
ここでは住民投票を回避して議会で法案を審議。

CT州がコケたら、
ヴァーモント、ニュージャージー、カンザス、ハワイも勢いづく。
マサチューセッツでも再チャレンジがあるだろう、と書いて、この記事は、
「ソロスにとっては使った甲斐のあるカネということになるだろう」

Op-Ed: Selling suicide with George Soros’ money
Washington Examiner, April 4, 2013


記事には、
ソロスがかねて合法化の立場で発言してきたことなども書かれているのだけど、
ちょっと書くのがうっとうしいのでパスしました。

ジョージ・ソロスについて、Wikiはこちら ↓
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%83%BB%E3%82%BD%E3%83%AD%E3%82%B9
2013.04.07 / Top↑
移送手当で障害者に車をリース
「モータビリティ・スキーム」―英国

英国のキャメロン首相が社会政策を慈善団体や社会的企業家に委ねるべく提唱した「ビッグ・ソサエティ(大きな社会)」構想を受け、独立したビジネスとして利益を上げつつも、利益追求よりも公共の利益を重視して活動するソーシャル・エンタープライズが注目されつつあるようだ。今回は、英国の「モータビリティ・スキーム」という興味深い取り組みを紹介したい。

モータビリティ・スキームとは、英国の障害者に給付される移送に関する各種手当と引き換えに、それぞれの障害に合わせて改造した車や電動車いす、スクーターをリースする仕組み。リースは、改造費用や保険費用、トラブル時の対応などを含むパッケージとなっており、手当だけでは車を購入することのできない障害者は、このスキームを利用することで資金援助を受けることができる。また車選びや改造の相談にも乗る。

スキームを担うのは、1977年に英国政府の主導で作られ、英国王室の認可を受けた全国チャリティ、モータビリティ。78年に1台目の車を届けて以来、60万人の障害者と家族がこのスキームの恩恵にあずかってきた。特に大きな改造を要するケースに利用できる政府のファンドも運営するほか、資金集めも大きな仕事だ。

実際の運用事業はモータビリティ・オペレーションという非営利企業が担っており、車をリースする障害者の手当ては全額またはその一部が、同社に直接支払われる。モータビリティのサイトには以下のように書かれている。「このスキームによって、障害のある人々が職場や大学に通い、友達と会い、家族と外出し、病院に行く自由を得ることができる。我々の多くが当たり前と考えている、自分で行動することの喜びを手に入れることができるのである」。

ところが、英国政府が昨年クリスマス前に発表した個人自立手当(PIP: the Personal Independence Payment)の基準の見直しには、移送手当分の該当者要件をそれまでの「50メートルを超えて歩けない人」から「20メートルを超えて歩けない人」に変更することが含まれていた。この変更により、移送手当の対象者は42万8000人減る見通し。

これを受け、1月に入って、We are Spartacusという障害者チャリティが、雇用年金省などのデータに基づいてPIP基準見直しによる経済的・社会的影響を試算し “Emergency Stop”と題したレポートを刊行した。レポートはモータビリティ・スキームを「多くの障害者のライフ・ライン」と呼び、同スキームの利用により通勤が可能となっている障害者や介護者が、今回の基準変更で働けなくなるなら、GDPで年間約10億ポンドの損失になると試算。今回の基準変更は障害者の就労支援という政府の方針と相いれないと批判している。

一方、キャメロン首相の「ビッグ・ソサエティ(以下BS)」構想は、ガーディアン紙の記事How not to creat a ‘Big Soceity’(1月29日)で、既に失敗だと手厳しく批判されている。

BS銀行の創設など政府の功績はあるが、年明け早々にボランティア組織リーダーの団体から「チャリティの持つ潜在的な力がほとんど活かされないままになっている」と批判が出たように、BS概念そのものが「すでに死んでいる」と書く。

ガーディアンが失敗の要因として挙げているのは以下の6点。

① 政府が唱えるBSは、そもそものスタートから間違っていた。

② 根拠もなく楽天的な予測ばかりが描かれ、却って構想に対する信頼性を失わせてしまった。

③ 民間や福祉セクターの各種団体が構想の要として活躍できるよう必要な制度改正をせず、それらセクターを批判したり地方自治体の予算を削減するなど、逆にやる気を削いでしまった。

④ 明確な計画なしにいきなり委ねようと言っても、12年間も先の政府が細かく規制してきた後では無茶な話だった。

⑤ 政府は「おいでと呼びさえすれば来る」と思っていたようだが、それは「政府が邪魔さえしなければ市民が自ら社会と未来を作る」の間違い。この誰もが忙しい時代に、インセンティブなしには関わろうとする人は少ない。

⑥ キャメロン首相のBSは、自らが主導する中央集権トップダウンでしかないが、BSとは横のつながりのリーダーシップと、それを可能とする足場のこと。それなら、英国には歴史的にその伝統は根付いているし、これからも失われないことを望みたい。

「世界の介護と医療の情報を読む」81
『介護保険情報』2013年3月号 
2013.04.07 / Top↑
『シリーズ生命倫理学 第4巻 終末期医療』
責任編集: 安藤泰至・高橋都
丸善出版 6090円


40名の編集委員と総勢約270名の執筆者による丸善の一大プロジェクト『シリーズ生命倫理学』(全20巻)の第4巻『終末期医療』が、昨年末に刊行された。編著者は安藤泰至(宗教学・死生学)と高橋都(内科学・精神腫瘍学)。

「終末期医療」と聞けば、即座に「過剰な延命治療」、その「差し控え」や「中止」、「胃ろうの是非」「リヴィング・ウィル」「尊厳死」、「平穏死」などのキーワードが浮かぶ人も多いだろう。それほど「いかに死ぬ(死なせる)べきか」は昨今すっかり国民的関心事になった。そんな時に世に放たれた(と敢えて表現したくなる)この一冊、挑戦的な書である。

読者はまず安藤による第1章「医療にとって『死』とはなにか?」で大きく揺さぶりをかけられるだろう。

そこで指摘されるのは、死を病院に囲い込む「死の医療化」への反省から生まれたホスピスやスピリチュアルケアですら「死や死にゆく人を巡るケアの医療化」に終わりかねない陥穽なのだ。それを避けるためには、「新しい医療の文化」が必要だと安藤は提案する。

第2章以下、14名の医療者や人文社会系研究者らが、それぞれ意思決定モデル、ホスピス、高齢者医療、小児科医療、植物状態患者ケア、スピリチュアルケア、グリーフケア、死の教育など多角的な視点から刺激的な考察を展開している。

印象的なのは、どの章も巷に流布する「終末期を巡る議論」への重い問い返しとなっていること。例えば、ホスピス看護師らは過剰な医療を望む家族に、素人の無知・無理解ではなく家族の辛さや無力感を読みとり、ケアへの参加を促すことを通じて家族をケアする姿勢を獲得していく。「終末期を生きる患者および家族」と捉える眼差しが温かい。植物状態患者に対する看護師らの捉え方は、関わりを深めるにつれ「何も分からない人」から「分かっている人」へと変わっていく。変わるのは医療職の方なのだ。

「自然な死」という言説の危うさも指摘される。「自然か技術か」の二項対立では、死にゆく自然なプロセスには「むしろ適正な医療技術の介入が必要」なことが看過されてしまう。

ホスピスにいると「テンションが下がる」と在宅に戻った患者のインタビューから浮き彫りになるのは、相矛盾した思いの間で揺らぎつつ終末期を生きる患者の生の複雑さと豊かさ。そして、そのような存在を「死にゆく人」と矮小化し、意思決定の問題を単に「周辺的な技術の問題へと切り詰めていく」医療の眼差しとの溝である。医療職による「洗練された管理システム」を通じた「よき死」への誘導の危険性が、そこに潜んでいる。

最後に、編著者らによる第12、13章は思い切った表現や指摘にまで踏み込んで、医療が目指すところを医療そのものが阻害するかのごとき「悪しき医療の文化」を容赦なくあぶり出す。そして患者や家族が人として尊重され、「見捨てられた」と感じることのない「新しい医療の文化」の創出に向け、多くの貴重な提言を行っている。

考えるべきは本当に「いかに死ぬ(死なせる)か」でしかないのか――。「尊厳死」や「平穏死」「自然死」を語ろうとする前に、この本を読み、もう一度しっかり考えたい。

「介護保険情報」2013年3月号 p.55


なお、この書評を書く前に、
いくつかの章ごとのメモを以下の6つのエントリーにしております。

『シリーズ生命倫理学 第4巻 終末期医療』メモ 1(2013/1/17)
『シリーズ生命倫理学 第4巻 終末期医療』メモ 2(2013/1/17)
『シリーズ生命倫理学 第4巻 終末期医療』メモ 3(2013/1/18)
『シリーズ生命倫理学 第4巻 終末期医療』メモ 4(2013/1/28)
『シリーズ生命倫理学 第4巻 終末期医療』メモ 5(2013/1/29)
『シリーズ生命倫理学 第4巻 終末期医療』メモ 6:「新しい医療の文化」とは「重心医療の文化」だった!!(2013/2/5)
2013.04.07 / Top↑
先週火曜日に以下のエントリーを書きました。

生きたいのにICなしのモルヒネ投与で死んでしまったALSの元外科医(MT州)(2013/3/26)


この事例をめぐって、某MLで
ALS患者の支援の専門家と緩和ケアの専門医の方の間で
興味深いやり取りがありました。

私はALSのことには全く疎いので
細かいことまでは分かりませんが、大筋としては、

日本でもモルヒネが保険適用となり、
ALS患者に使われるようになってきているが、
そこにはいくつかの疑問がある、という話。

門外漢の私がとりあえず、
そのやり取りから読み取ったのは以下の3点。

① がん患者の呼吸困難にモルヒネを使うことにはエビデンスがあるが、
鎮静のために、睡眠薬ではなく鎮痛剤であるモルヒネを使うことは疑問。

② 本人の苦痛緩和のためという名目で
実際は病棟の看護師の負担軽減のために使われている場合も?

③ ALS患者の緩和ケアとしてモルヒネの使用が広がるにつれて、
ALSの呼吸不全を終末期と捉える勘違いが起こり始め、
緩和ケア=終末期ケアという短絡的な構図ができていくのではないか。


私はすべての問題意識がアシュリー事件に端を発する門外漢なので
① と②はともかく、③の疑問がアシュリー事件での胃ろうをめぐる疑問に繋がった。
以下、それについて。


アシュリーには、
まだ口から食べられる状態だったにもかかわらず、
よく病気をして熱を出しては食べられなくなるので、
そのくらいだったら、いっそ普段から経管栄養にしておけばよい、との判断で
胃ろうが作られたと思われる節がある ↓

ヘンだよ、Ashleyの胃ろう(2008/12/20)
(私が当事メールをやり取りしていたのは、A療法論争にも登場する英語圏の学者の一人)

そして、実際、
アシュリーの手術を行ったシアトルこども病院の小児科医の一人、Wilfondは
重症児への健康以外の理由による侵襲をめぐる親の決定権を論じた論文で、
胃ろうについて、食事介助の時間を短縮するための技術としてのみ捉え説明している ↓

食事介助の時間短縮策としてのみ語られる胃ろう(Wilfond論文)4(2009/4/27)


ところが、
仮にアシュリーの胃ろうが、5歳の時に、
まだ口から食べられるにもかかわらず緊急時への対応のために導入されたのだとしても、

6歳時に実施された“アシュリー療法”が9歳で論争になった際には、
胃ろうであることが「飲み込みもできないほどの重症児である」ことの根拠に使われた。

上記の「ヘンだよ、アシュリーの胃ろう」エントリーに引用しているように、
08年のストーニー・ブルック大学の認知障害カンファ(Eva Kittayが企画したもの)で
ピーター・シンガーもアシュリー事件を論じた際に、アシュリーの状態について
「アシュリーには飲み込みすらできない」と発言している。

本来なら飲み込みに困難がある人だけが本人の利益判断で適用となるはずの技術が、
介護上の利便性によって、飲み込み可能な人にまで使われてしまう現実は存在している。
にもかかわらず、いったんその技術が使われてしまうと、
「利便性のために使われている現実がある」ことはカウント外となり、

「胃ろうになっている」
      ↓
「飲み込みができない」
      ↓
「飲み込みができないほど重症である」
      ↓
「したがって、他の障害児とは別基準を適用しても構わない」

と、みなされてしまう。

高齢者の場合だと、
「口から食べられなくなったら、もういい」と言われてしまう。

それは、ちょうどアリシア・ウ―レットが
アシュリー療法の正当化論について指摘した問題点の1つ、
「道徳上の害につながる社会的リスクが無視されている」に当たるような気がする。

ウ―レットが言っていることを私自身の言葉でまとめると、

本人の最善の利益というタテマエを装った「どうせ重症児だから」という論理で
本人以外の便宜のためにアシュリー療法が正当化されると
今度はアシュリー療法を実施された個々の子どもが周囲の人から
「どうせアシュリー療法をしてもかまわないような存在だから」とみなされ、
人としての敬意を値引きされることになる。

人が、人としての敬意を減じた扱いをされる時には
その扱いをされる存在であることがその扱いをさらに正当化することにつながり
その人は「道徳的な害」を被ることになる。

Ouellette論文 3:Aケース倫理委検討の検証と批判(2010/1/15)
(QuelletteはOuelletteの間違いです。あまりに多数なので、訂正できずにいます)


個々の技術や薬それ自体は、
一定の状態の患者さんへの利益がある優れた医療介入である反面、
本人の利益を装いつつ本人以外への利便性のために
本来なら適用対象にならない患者さんにまで行われていくと、
どこかで周囲の捉え方に因果関係の逆転が起こり、
その技術や薬を適用されている人であることが
「生きるに値しない命を生きている人」であることの証と捉えられてしまう。

ALSの人へのモルヒネ投与にしても、高齢者への胃ろうにしても、そして新型遺伝子診断でも、
それと同じところがあるような気がする。

            ――――――

それから、もう一つ、
オピオイド鎮痛剤については、
以下のエントリーで紹介した「ファーマゲドン」スキャンダルが出てきており、
かつてのSSRIをめぐるスキャンダルとその構図がとても似ていることと
あながち無関係でもないのかも……?

“オピオイド鎮痛剤問題”の裏側(米)(2012/10/20)
ファーマゲドン: オピオイド鎮痛剤問題のさらなる裏側(2013/1/4)


……と、実はここまでは先週書いて、寝かせたままになっていたのですが、

昨日たまたま読んだ
九州大学大学院医学研究院麻酔・蘇生学教授の外須美夫さんのインタビューで
(『談』2013 no.96 特集「痛みの声を聴く」)

この問題が ズバ―――ンと語られていて、
うおおおっ、日本の医師にもここまで見えていて
それをここまではっきりと言い切る人がいるんだ……と。

……現代の消費社会では「痛み」さえもが市場経済の道具となって、それで世界をコントロールしようとしたり、金もうけをしようとしたりする人たちもたくさんいます。
 鎮痛剤は何億円、何千億円という市場を形成し、製薬会社にとっても大きな利益が期待できる分野です。どんどん薬を使ってもらいたいし、そのために患者さんにも宣伝もするし、医師にも使用を奨励する。それに歩調を合わせるように、政治家も国民の健康と幸福を謳い、「痛みのない社会」をスローガンに掲げるといったように、痛みを忌避する流れは、より大きく、早くなっています。
(p. 46)


外氏は
米国での2001年からの「痛みの10年」で
鎮痛以外の目的での麻薬性鎮痛剤の利用者が3倍くらいに膨れ上がったと、
上記リンクのエントリーで拾った記事などが報告している実態を明かす。

そうした動きに抗うためにも、
「私たち医者は、薬だけで痛みを治そうとしてはいけないのです」(p.47)と述べて、
痛みを4つに分断しれそれぞれに向かうのではなく、
「身体と精神と同じように生と死もやはり繋がっていて、」
そこにも境界はないと考えたい」(p.43)といった境目のない捉え方で
「全人的痛み」と向かい合う必要と、そうした医師としての対応という話に向かう。

それはたぶん、以下の部分に象徴される姿勢。

 その人にはその人の人生があり、家族があり、子どもの頃からの経験があり、そうしたものを全部背負って今その人があるわけですから、その人の「痛み」には、そのすべてが含まれていると考えなければいけません。つまり、その人の幼児期の体験や育った場所や環境、親兄弟や友人との関係など、すべてがその人の痛みに投影されている。そういう「痛み」にこそ、向かい合っていかなければならないわけです。
(p. 42)


その一方で、外氏には現代社会について、
「「痛み」を排除して、快楽や便利さ、快適さの方へどんどん向かって」(p.45)いるとし、

さらに、

……痛み恐怖症になり過ぎて、痛みを避けるあまり、現に痛みをもつ人たちに手を差し伸べることができにくくなっている。痛みに対する配慮というものが欠けている。それは現代社会の病ではないかと思います。
(p.46)
2013.04.07 / Top↑
Kessel Marciasさんは数ヶ月前に
メキシコのTijuanaで痩身手術(脂肪吸引? 胃のバンディング?)を受けた。

1月30日になって、血を吐いたので、
その時の担当医に電話をすると、
「それは正常なことだし、治せるから連れてこい」と言われた。

そして、Tijuanaへ向かう途上で心臓マヒを起こしたために、
救急車でCA州のScripps Mercy Chula Vista病院に搬送された。

2カ月後の現在、昏睡状態。

27日に病院は家族に対して、
4月1日月曜日の午前8時をもって生命維持を停止する、と通告した。

家族はショックを受け、他に引きうけてくれる病院を探しているが、
「誰かの命を、家族でもない人が自分たちで終わらせますって
家族に言うなんて、そんなのおかしい」

病院のリリースは以下(全文ではない可能性もあります)。

When we have a critically ill patient, we provide all the care and services that are appropriate as ordered by the patient’s physicians. The best interests of the patient guide our physicians and caregivers in these circumstances. We recognize that these situations are always extremely difficult and sad for the families involved.
When the patient’s condition indicates that a course of treatment is medically ineffective, then the physician may determine that this treatment should not be provided or should be discontinued. Under such circumstances other effective care is continued. For example, when life-saving care is discontinued, we still provide comfort care and pain management.
One of the avenues available to the physician in these difficult situations is to seek the counsel of the medical staff’s bioethics committee, to which the physician can present the case for review. The committee serves in an advisory capacity and may help the providers explore various options available to the patient. The decision on the patient’s care is ultimately made by the attending physician.


ざっと要点のみ、かいつまんでみると、

患者の状態によって、一連の治療は医学的に効果がないと思われる場合に、
医師はこの治療は行うべきではない、または中止すべきであると決めることがある。

救命治療を中止した場合にも、緩和ケアは続行する。

医師は倫理委に相談することができ、倫理委はアドバイスをするが、
治療に関して最終的に決めるのは主治医。


『医学的に効果がない』という表現は曖昧だけど、
いったい、どういう「無益」の定義なんだろう?

Family battles hospital over taking man off life support
FOX5 San Diego, March 29, 2013


以下のPopeのブログにリンクされているニュース・ビデオによると、
病院と家族の話し合いの結果、月曜日の呼吸器取り外しは
とりあえず見送られた模様。

http://medicalfutility.blogspot.com/2013/03/new-case-kesell-macias-v-scripps-mercy.html


ちょっと背景がよく分からないのだけど、
連邦政府の下院に対して、このケースで陳情(?)が行われていて、

その趣旨は、
Macias一家が貧しくて無保険であるために、
保険さえあれば続行される医療が「治療の無益」論で引き上げられようとしている、
それは人道に反する、として生命維持の中止を止めよ、と。

http://www.change.org/petitions/scripps-mercy-hospital-stop-the-wrongful-termination-of-the-life-of-kesell-macias


怖いなぁ……と思ったのは、

記事にはKesellさんは「昏睡状態」と書いてあるだけなのにもかかわらず、
上記のFOX5の記事に寄せられたコメントで、中止を支持する意見の人が
「この人は脳死で、脳が溶けているんだから」と書いていること。


それにしても、このケースには
“科学のテクノで簡単解決”文化の象徴みたいな痩身手術と、
グローバルな医療ツーリズムと、米国の医療格差に「無益な治療」論と、
とても今日的な要素がぎっしり……。

それを言えば、FOX5の記事へのコメントで
「メキシコで受けた手術が失敗だったんなら
米国納税者のカネを使わず、メキシコで診てもらえ」というのも、
まさしく今日的といえば言えるのか……?


【4月1日追記】
今日のThaddeus Popeの「無益な治療」ブログによると、
病院側は治療継続を決めた、とのこと。

以下のニュースの家族の発言からは
メディアが報じたことで病院側の対応が変わってきた、とも。

http://medicalfutility.blogspot.jp/2013/03/scripps-mercy-changes-course-and-agrees.html?utm_source=feedburner&utm_medium=feed&utm_campaign=Feed:+MedicalFutilityBlog+%28Medical+Futility+Blog%29
2013.04.07 / Top↑
しばらく前に、どこかのエントリーのコメント欄で
話題になった新聞の話――。

我が家はかなり長くA新聞を読んでいたのだけれど、
1年くらい前にやめて、とりあえず今はM新聞を読んでいる。

去年、次の契約をとりに来たA新聞の
パパイヤ鈴木そっくりな兄ちゃんに
「A新聞が気に入らなくなってきたから
今度はM新聞にしてみようかと思ってるんだ」と話したら、

田舎のこととて
M新聞をとっている家が少ないために
なんと「ウチ(A新聞の販売店)が代行みたいな形で一緒に扱っている」という。

「じゃぁ、話が早くて助かるから、そうするわ」
即決すると、

“パパイヤ鈴木”は
いろいろぐずぐず言っては翻意させようとする。

なるほどA新聞の代理店としては
A新聞をとってくれる方がウマミは大きいわけよね。

でも、言うことがイチイチ気に食わない。

「サービスは断然Aの方が大きいですよ」

「奥さん、チラシが入る数が全然違いますよ。
Mだとスーパーの安売り情報とかクーポンみたいの、
Aほどちゃんと手に入らなくなりますよ」

……アンタ、いくらオバサンだって、
中身をちゃんと読むために新聞とってるかもしれんとは思いもよらんのん……。

余計にムカつきつつ、
「ともかくAは辞める。Aきらい。当面Mを読む」と宣言した。

まぁ、正直、Mの薄さには、最初ちょっと面くらった。

でも、特集記事にじっくり読ませる面白いのがあるし、
もともと毎日必ず隅から隅まで読むようなタイプではないから
今のところ特に不満だというわけでもない。

でも“パパイヤ”はその後も時々、
「やっぱりAの方が良くないですかぁ?」と未練がましくやってくる。

最初につい「薄いねー」と言ってしまったので
脈があると思わせてしまったらしい。

で、年末ごろだったか、またやってきて、
4月にキャンペーンか何かあるので、その1か月だけ
A新聞も一緒に入れさせてもらえんだろうか、
それで読み比べてから、再検討してほしい、と言う。

じゃ、ま、いいよ、それでも。
……と返事をして、すっかり忘れていた。

そのA新聞が、少し早く一昨日から入っている。

昨日、退屈しのぎに思いついて、、
2つの新聞を並べて置いて眺めてみた。

どははっ。笑ってしまった……。

まず1面トップ・ニュース扱いは

A新聞:2040年 都市も高齢者3割 総人口は全都道府県で減少

M新聞:原子力政策 公聴会 九電が8割動員 
    佐賀で05年 発言者7人 社員


その他、以下の2つは両紙1面とも共通。

・関電値上げ9.7%
・JR福知山線脱線 歴代3社長 禁錮3年求刑

で、1面の4つ目の話題は、

A新聞: 北陸新幹線 広域連合案
     「米原ルート」国に提示へ

M新聞: 後見人訴訟 政府が控訴
     選挙権喪失 混乱回避を理由に
(このニュース、A新聞では4面にあった)


次に1枚めくって、2,3面を開いて並べてみたならば――。

まず目についたのは、
それぞれ3面で大きく取り上げられている以下の記事。

A新聞: がんリスク 遺伝子診断に道
     配列の差、一部特定
     国際チーム、10万人ずつ比較

M新聞: 降圧剤 撤回された京都府立医大臨床論文 
     製薬社員も名連ね
     1億円の寄付金/製品のPRに利用
     研究責任者と密接な関係
     (質問コラム 利益相反って何?)


明日パパイヤに電話したろかな。

ありがとう、
再検討、終わったよー。
2013.04.07 / Top↑