前にエントリーに書いた作家のテリー・プラチェット氏がまたまた自殺幇助合法化支持で発言。とても象徴的な言葉がある。自分は「押される前に身を投げたい」と。がけっぷちで。それこそ「先取り不安」説を裏付けているのだけどな。
http://www.salisburyjournal.co.uk/news/4528182.Sir_Terry_speaks_out_on_assisted_suicide/
http://www.salisburyjournal.co.uk/news/4528182.Sir_Terry_speaks_out_on_assisted_suicide/
英国議会でいずれ自殺幇助合法化法案が出てくるのに警戒して、いかなる場合でも自殺幇助を違法とし「裏口安楽死」阻止することを求めて戦う、とNadine Dorries議員。
http://www.dailymail.co.uk/news/article-1204363/Tory-MP-moves-bolster-law-door-euthanasia.html
http://www.dailymail.co.uk/news/article-1204363/Tory-MP-moves-bolster-law-door-euthanasia.html
マウスで「これがこの病気を予防した」、とか「治した」とかって、どのくらい人間にも有望だと考えていいの?:うん。そこよ、そこのところをいつも思うのよ。人間もすぐにも治るみたいに言わないでほしい。
http://www.guardian.co.uk/lifeandstyle/2009/aug/04/medical-experiments-on-mice
http://www.guardian.co.uk/lifeandstyle/2009/aug/04/medical-experiments-on-mice
ナースが家庭訪問することで子どもの喘息が悪化するのを防げる。:こういう医療費削減の方策も、実はまだまだ未発掘の可能性があちこちにあるんじゃないかと思うのだけど。
http://www.medicalnewstoday.com/articles/159766.php
http://www.medicalnewstoday.com/articles/159766.php
これはちゃんと読んでまとめたい記事。女性の更年期ホルモン補充療法の研究論文26本が製薬会社が雇ったゴーストライターの手によるものだったことが裁判の資料で判明。思われている以上に、この慣行は広がっている、と。:例のBiederman医師とJohnson&Johnson社との癒着スキャンダルで、ゴーストライターに書かせることをB医師がJ社に承諾したメールが出てきていたけど。
http://www.nytimes.com/2009/08/05/health/research/05ghost.html?_r=1&th&emc=th
http://www.nytimes.com/2009/08/05/health/research/05ghost.html?_r=1&th&emc=th
最近ちっとも追いついていないけど、これもちゃんと読みたい記事。英国のNHSがIVFの対象者の条件をいろいろ付けるので、受けられない女性が多いとの批判は前から出ている。プライマリー・ケア・トラストによってバラツキがある不公平とか。2本目の記事はエッセイでタイトルは Women need more choice over children 「子どもについて女性が選べる選択肢もっと必要」。
http://www.guardian.co.uk/lifeandstyle/2009/aug/05/ivf-restrictions-nhs-postcode-lottery
http://www.guardian.co.uk/lifeandstyle/2009/aug/05/ivf-restrictions-nhs-postcode-lottery
ナースのストライキで安全な出産ができなくなっている医療現場の状況を訴えようと、ザンビアの独立系の新聞の女性編集長が、病院にいながら自力で子どもを出産途上の女性の写真を政治家や女性の人権団体に送ったところ、ポルノ写真をばら撒いた罪に問われ裁判に。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/africa/8185221.stm
http://news.bbc.co.uk/2/hi/africa/8185221.stm
カリフォルニアの緊縮予算で無保険の子どもが倍増する見込み。:CA州はS-CHIPほか、子どもの無保険解消には長いこと独自の努力を続けてきて、ブッシュ時代の中央との交渉でも先頭に立ってきた州だっただけに、残念。
http://www.medicalnewstoday.com/articles/159690.php
http://www.medicalnewstoday.com/articles/159690.php
連邦判事の委員会がカリフォルニア州に対して、刑務所の医療が憲法違反状態だから、15万人の囚人を4万人減らせ、と命じた。:減らせったって……。
http://www.nytimes.com/2009/08/05/us/05calif.html?_r=1&th&emc=th
http://www.nytimes.com/2009/08/05/us/05calif.html?_r=1&th&emc=th
2009.08.06 / Top↑
「介護保険情報」(社会保険研究所)という雑誌に
大阪大学大学院の堤修三教授の「パンセ - 社会保障をめぐって」という連載があって、
大阪大学大学院の堤修三教授の「パンセ - 社会保障をめぐって」という連載があって、
時には途中でドロップしそうなほど難解なこともあるのだけど、
論理的で鋭利な刃物のような批判の筆さばきを、いつも楽しみに読んでいる。
論理的で鋭利な刃物のような批判の筆さばきを、いつも楽しみに読んでいる。
昨日、仕事の都合で今年の3月号を引っ張り出したついでにめくってみたら、
前にも読んだはずの「パンセ」に改めて新鮮に響いてくる言葉があった。
前にも読んだはずの「パンセ」に改めて新鮮に響いてくる言葉があった。
この回のタイトルは「無名で有用の人々 有名で無用の人々」。
昨今の官僚バッシングについて書かれた文章で、
(ちなみに堤氏は介護保険創設に功績の大きかった元厚生官僚)
前半の文意は、
(ちなみに堤氏は介護保険創設に功績の大きかった元厚生官僚)
前半の文意は、
官僚は官僚機構の一員に過ぎず、個々の官僚にそれほどの権限があるわけではない。
通達も職名で発するのだから官僚とは本来無名の人である。
そこを勘違いする官僚がいると、世の中に迷惑が及ぶ。
官僚個人の責任を追及できるシステムを望むなら、上位者を政治任命にする方法を
官僚機能の変革として国民が慎重に選択することは可能だ。
通達も職名で発するのだから官僚とは本来無名の人である。
そこを勘違いする官僚がいると、世の中に迷惑が及ぶ。
官僚個人の責任を追及できるシステムを望むなら、上位者を政治任命にする方法を
官僚機能の変革として国民が慎重に選択することは可能だ。
でも、この文章が面白いのは後半で、
一方、大学教員は匿名で論文を書くなどありえない有名の人であるが
書いた論文が現実社会の何かの決定に直接結びつくわけではないから、
自分の仕事が無用であることに耐えなければならない。
それに耐えられない人が時に政府の審議会などに積極的に出て行って政策にコミットし、
引き換えに研究者としての自由な立場を失うのだ、と。
書いた論文が現実社会の何かの決定に直接結びつくわけではないから、
自分の仕事が無用であることに耐えなければならない。
それに耐えられない人が時に政府の審議会などに積極的に出て行って政策にコミットし、
引き換えに研究者としての自由な立場を失うのだ、と。
思わず笑ってしまったのは以下の言葉で、
自分の興味のあることを自分の名前で書いて、
それが直ちに有用であるなどという、旨い話があるわけないではないか。
それが直ちに有用であるなどという、旨い話があるわけないではないか。
大学教員も無用者の自覚を持って自在の仕事をし
それが万一、有用に繋がることがあれば、
得難い僥倖と考えるべきだろう。
それが万一、有用に繋がることがあれば、
得難い僥倖と考えるべきだろう。
ついでに、ブロガーって「無名で無用の人々」だよね……と考えて、笑ってしまった。
引用の関係で、ちょこちょこ実名は出してはいるけど、
私はまったく無名のライターだから、
このブログも無名の人がやっている無用のブログなのだけど、
私はまったく無名のライターだから、
このブログも無名の人がやっている無用のブログなのだけど、
それでも始めた当初は
自分が勝手に興味を持って調べているうちに行き当たったAshley事件の“真相”に
どうにも許せない……こんなの放っておけない……みんなに知らせなきゃ……
なんて、むちゃくちゃ肩に力を入れて気負いこんでいた。
自分が勝手に興味を持って調べているうちに行き当たったAshley事件の“真相”に
どうにも許せない……こんなの放っておけない……みんなに知らせなきゃ……
なんて、むちゃくちゃ肩に力を入れて気負いこんでいた。
Ashley事件の真相が隠蔽され、問題の本質が摩り替えられ、一般化されていくのを、
何とか、とめられるのではないか、と、どこか本気で考え、願ってもいたし。
何とか、とめられるのではないか、と、どこか本気で考え、願ってもいたし。
一方では「ペリカン文書」が頭の隅っこにチラついて、
新しいエントリーをアップするたびに胃が痛くなるほど恐ろしくて
手も震えんばかりの緊張でガチガチで。
新しいエントリーをアップするたびに胃が痛くなるほど恐ろしくて
手も震えんばかりの緊張でガチガチで。
当時このブログを読んでくれる人は1日にせいぜい5人くらいだったのだけど。
しかも5人のうち毎日1人は必ずウチの配偶者で、もう1人が心優しい編集者さんで。
(あと1は、もちろん自分で)
しかも5人のうち毎日1人は必ずウチの配偶者で、もう1人が心優しい編集者さんで。
(あと1は、もちろん自分で)
配偶者が、この前「今でこそ明かすが」という口調で打ち明けたところによると、
会社でわざわざ複数のPCからチェックしてカウントを上げてくれたこともあったらしい。
まるで「最後の一葉」みたいだ。
会社でわざわざ複数のPCからチェックしてカウントを上げてくれたこともあったらしい。
まるで「最後の一葉」みたいだ。
自分としては、それなりに、ものすごいことを書いていると思っているのに
誰にも相手にされないことに一人で鬱々していた時期もあった。
誰にも相手にされないことに一人で鬱々していた時期もあった。
ちょっとカウントが増えた日には、なんとなく気分が浮き立って、
誰も来てくれない日には、自分が無意味なことに一人で必死になっているバカに思えて落ち込み、
何かの拍子にわっとカウントが非日常的なレベルに跳ね上がると、
世の中の人たちみんなから認めてもらったような錯覚を起こして嬉しがった。
誰も来てくれない日には、自分が無意味なことに一人で必死になっているバカに思えて落ち込み、
何かの拍子にわっとカウントが非日常的なレベルに跳ね上がると、
世の中の人たちみんなから認めてもらったような錯覚を起こして嬉しがった。
そんな、いろんな体験を経て、それでも2年以上やっていれば、
日本語と英語の2つのブログを通じていろんなことを知り、いろんな人と出会った。
ブログを通じて見えてくるものが当時とは比べ物にならないほど広がった今、
日本語と英語の2つのブログを通じていろんなことを知り、いろんな人と出会った。
ブログを通じて見えてくるものが当時とは比べ物にならないほど広がった今、
他人の目にどう思われているかではなく、常に自分自身の目で、どうなのか。
問題にすべきはそれだけだ、と考えることを学んだ。
少なくとも、そう考えようと努めることを学んだ。
少なくとも、そう考えようと努めることを学んだ。
「誰にやれと言われてやっていることでもないんだからさっ」というのが
いつのまにかブログ関連で落ち込むことがあった際の口癖になった。
いつのまにかブログ関連で落ち込むことがあった際の口癖になった。
それでも今でも時々、ブログの魔力には気をつけなければ……と自戒するのは
やっぱりカウントに左右されている自分の気分に気づく時。
やっぱりカウントに左右されている自分の気分に気づく時。
このブログに何らかの役割があると考えて、
それを果たそうと力み、“がんばって”しまっている自分に気づく時。
それを果たそうと力み、“がんばって”しまっている自分に気づく時。
自分がしてきた仕事が正当に認められないとボヤく心の声に気づく時。
有名であれ、無名であれ、人はみんな、
自分のやっていることは有用な仕事なのだと考えたがっている。
自分のやっていることは有用な仕事なのだと考えたがっている。
そこへ、
自分の好きなことをやっていて、それがそのまま有用であるなどという
旨い話があるわけないではないか、と、卑しいスケベ心を見透かす、みごとな一喝……
自分の好きなことをやっていて、それがそのまま有用であるなどという
旨い話があるわけないではないか、と、卑しいスケベ心を見透かす、みごとな一喝……
――ぶははっ。 まったく、その通りだ。
無名な人が無用のことをやっている。
無名な人が無用のことをやるからこその自在さで──。
無名な人が無用のことをやるからこその自在さで──。
自在であることの得がたさと、
自在でいられることの爽快感に、
「ほら」と指差して気づかせてもらったことの爽快感──。
自在でいられることの爽快感に、
「ほら」と指差して気づかせてもらったことの爽快感──。
ブロガー、ぜんぜん悪くないかも。
2009.08.06 / Top↑
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