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過去7年間に、いわゆる“更年期のホルモン代替療法”で乳がんになったとして
当該ホルモン剤発売元のWyeth社(去年Pfizerが吸収合併)を訴えた人は13000人に上る。

この7月、NY Times と Public Library of ScienceというNPOとが
それらの訴訟文書の公開を求めて、認められ、

それら訴訟の文書から、
Wyeth社がホルモン療法大流行の陰で
影響力の大きな医師や医療界の大物、雑誌や講座・広告に大金をつぎ込んで
医師や患者にメリットの情報ばかりを流し続け、
発がんリスクから人々の目をそらせることに
やっきになってきた様子が明らかになっている。

Premarinと子宮がんの関連については1970年代に、
PREMPRO(PremarinとProgestinの合成薬)と乳がんの関連については1990年代に指摘されていたが、

例えば、1996年にWyeth者の社員は乳がんリスクを指摘した論文に対して
Dismiss/distract とメモに書いている。「無視せよ。注意を逸らせるように」。

ホルモン療法の歴史を振り返ると、
まず多くの医師がわっと熱心に処方するようになり、そのうちポツポツと
リスクを指摘する声が上がり始めて、売れ行きが鈍っていく。
すると、またぞろ組成を変えたホルモン剤を使う医師が登場する……
という繰り返しだったとNYTは書いている。

確かに訴訟文書から歴史を振り返るこの記事を読むと、
70年代にヒット、子宮がんリスクが指摘されて下火に。
90年代にまたヒット。今度は乳がんリスクが指摘されて下火に。
そして、今また3匹目のドジョウを狙うキャンペーンが……?



これまでの流れを記事からまとめてみると、

70年代中期にはNEJMの2本の論文によって
ホルモン療法は子宮がんの発生率を少なくとも5倍にすると報告されていたが

1975年にFDAの委員会がPremarinと子宮がんの関連性を結論付けた際には
Wyeth社はこの懸念を打ち消そうとする手紙を医師らに送り、FDAを激怒させた。
翌76年にWyeth社はPremarinのラベルに最高レベルのブラックボックス警告を添付。

しかし裁判の文書によると、その後もWyeth社は
Premarinの子宮がん発ガンリスクについては研究していない。

71年から75年だけで米国でホルモン療法が原因で子宮がんになった人は15000人。
米国における「医師の治療によって引き起こされた最悪のエピデミック」の1つという人も。

そこで90年代にホルモン療法が再度売り込まれる時には
新しいコンビネーションのPremproに生まれ変わり、
今度のコンセプトは「ホルモン剤は心臓を守る」だった。

更年期で女性ホルモンが失われると心臓麻痺が起こりやすい、
アルツハイマーになり視力も低下する、骨粗しょう症にもなる、
だから、ホルモン剤で失われたホルモンを“代替”しましょう……とのメッセージが
テレビコマーシャルから盛大に流れた。

ここでもWyeth社は巨額のゼニを影響力のある医師や団体にばら撒き、
既に乳がんリスクが指摘されていたにもかかわらず、
心臓病などの予防効果利益の方が上回るとの見解を流し続けた。

(「少々の副作用リスクがあったとしても病気予防利益が上回る」という理屈は、
現在、あっちでもこっちでも言われている”予防医学”に引き継がれているのでは……?)

例えば2002年から2006年までWisconsin大学での教育プログラム(製薬会社の情報提供)では
NIHなどのリスク研究は女性のQOLという視点を落としている、と主張していたし、

製薬会社が共同出資しているゴースト・ライティング企業DesignWriteに
10年間で少なくとも60本の医学雑誌掲載用の論文を用意させている。

内容的には、ホルモン代替療法には
心臓病やアルツハイマー、糖尿や大腸がんの予防効果があるとするもので、

97年のDesignWrite社の起案書には
「ホルモン代替療法の多くの利益について医師らを啓発し」
「エストロゲンと癌の関係についての否定的な認識を減じる」とある。

しかし現在エストロゲンのラベルに警告されているように
ホルモンの方にこそ、心臓麻痺、脳卒中、乳がんと血栓のリスクがあった。

更年期にはホルモンが失われるから補充しなければ危ないというマーケティング・メッセージは、
ずっと補充しなければならないと思わせるが、そんなエビデンスはない。
NIHは2002年に発がん性を確認した大規模な調査(乳がんの発症例が多く、実験が中止された)以降
「ホルモン代替療法」ではなく「更年期ホルモン療法」と称することを決めた。

(2002年にFDAがホルモン代替療法を否定した日本語ニュースはこちらに)

2003年には、心臓病予防の目的で使ってはならないとPremproのラベルにブラックボックス警告がついた。

その後、更年期症状が重い人にのみ、少量で短期間に、というのが主流となり、
「いつまでも健康で美しくあるために、ホルモン療法を」という流れは消えた。

しかしNYTが指摘しているホルモン療法の歴史は、またも繰り返されており、

ある医師が
「データがないところを狙って、売り込みがかけられるのです」というように
今は少量ホルモン療法が盛んに売り込まれている。

売り込まれるホルモンも衣替えして
今度は、個々の患者さんにオーダーメイドのbio-identical ホルモン。

このホルモンの安全性も効果も未だに研究されていないし
FDAもまだ認可していないが、

Suzanne Somersという女優が広告塔となって何冊も本を書き、
更年期の嫌な症状を、このbio-identical ホルモンで撃退して
「いつまでも女性で」と呼びかけている。

いわく、
Hormons are the juice of life.
「ホルモン剤はいのちの源よ」。

ちなみに、このNYTの記事のタイトルは
「更年期、ビッグ・ファーマの提供でお送りしました……仕様で」


Wyeth社のゴースト・ライティングについてはNYTが今年8月にも記事にしており、
それについてのエントリーは、


        -------------

ちなみに私は、開始ははっきり記憶にないのだけれど、
2002年よりも後に、まだエストロゲンとプレマリンのホルモン代替療法を受けていた。

豪華レディス・クリニックのポピュリズムのエントリーで書いた、
「実はとっくの昔にやめてもよかったものだった」治療というのが
そのホルモン代替療法だった。

このエントリーを書くに当たって、
そのクリニックのサイトを覗いてみたら、
閉経後には「異常な老化」が起こるので
更年期特有の症状があったら相談するように、と書いてあった。
2009.12.14 / Top↑
日本語情報。臓器移植法を問い直す市民ネットワークが「“脳死”は人の死ではありません!!」というリーフレットを作成。
http://fps01.plala.or.jp/~brainx/abdleaflet200912.pdf

こちらも日本語情報で、米国MA州のナーシング・ホームで98歳の女性が100歳のルームメイトを殺害。で、気になったので英語情報を当たってみたのが下のリンクで、犯人の女性、認知症とパラノイアと診断されていた。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20091212-00000003-cnn-int
http://www.necn.com/Boston/New-England/2009/12/11/Woman-98-charged-in-nursing/1260584852.html

米国の成人の3人に1人は介護者で、平均して週に19時間を介護に費やしている。: 英国の介護者実態調査はこちらのエントリーに。
http://www.medicalnewstoday.com/articles/173571.php

イラクで四肢を失った米兵が人造の手足を訓練している映像とインタビュー。
http://www.guardian.co.uk/world/video/2009/dec/11/us-military-marrocco-walter-reed

オーストラリアで2001年に精神疾患の症状悪化で暴れた際に警官に首を撃たれて四肢麻痺になった男性が、それ以前に適切なケアを受けるべく病院に連れて行かなかったとして警察と精神保健サービスを訴えている。実家で70代の両親ほかの介護を受けながら、警察が通常の仕事に銃を携行することを辞めるよう訴える活動をすることが彼の生きがいになっている。
http://www.canberratimes.com.au/news/local/news/general/shattered-lives-find-strength-in-crusade/1703274.aspx?src=enews

テロリストは幼児期の子どもにまで過激的な洗脳を行っているとして、英国警察のカウンターテロリスト部局が保育所などのモニターを検討しているメモがリーク。問題となっている。
http://www.timesonline.co.uk/tol/news/uk/crime/article6952503.ece?&EMC-Bltn=HBK9N1F
2009.12.13 / Top↑
近く論文発表される、これまでで最も広範な調査で
米国のメディケアに入っている貧しい子どもたちには、
中流階級の子どもなら長期的な療法が処方されるような比較的経度の精神疾患に対して
より高い頻度で抗精神病薬が処方されている可能性があることが分かった。

アブストラクトはこちら

2001年から2004年までの子どもに対する抗精神病薬の利用について
7つの大きな州の記録を調査したもの。

メディケイドの対象となる貧困層の子どもでは民間保険に入れる家庭の子どもに比べて、
精神疾患を発症する割合がほぼ2倍になっており、
その要因としては貧困や1人親家庭のストレスなど、
さまざまに考えられるが、

一方、民間保険に入っている家庭の6歳から17歳までの患者と比べると
抗精神病薬を処方されている割合はメディケイド患者で4倍となっている。

また、FDAが小児への抗精神病薬の使用を認可しているのは
統合失調症、自閉症、双極性障害の治療に限定しているにもかかわらず、
子どもがメディケイド患者だとADHDや攻撃性などの行動障害に適応外処方される頻度が高い。

それが最善の治療方法だからという理由からではなく、
それが最もコスト効率のよい方法だからという理由から、
または中には親がそう望むから、という理由などから
使われている可能性があり、

子どもたちに及ぼす心理的な影響に留まらず、
身体上の副作用についても懸念される。

FDAでは委員会で抗精神病薬を飲んでいる子どもたち全員の健康リスクを吟味し、
全米の18歳以下の患者30万人が飲んでいるとされる薬物の
警告刷新の勧告を検討する、とのこと。



ちょっと「うぇっ」と思ったのは、文中の児童精神科医のコメントで

「メディケイドの子どもたちの方が良い治療を受けているということかもしれませんよ。
それで学校に(ドロップアウトもせず)通わせられるなら、
それはそれでいいんじゃないですか」
2009.12.13 / Top↑
「インドで考えたこと」で考えたことの中でも触れたことなのだけど、

先日の事業仕分けの際に、
スーパーコンピューターを始めとして科学研究の予算が削減と判断されたことに対して
科学者の方々から大きな批判が起こった。

あの時の、例えばノーベル賞受賞の著名科学者の方々の記者会見などで
私が一番印象的だったのは、その批判の激しさよりも、むしろ
その背景にある切迫した危機感が、生々しく丸裸のまま語られたことだった。

「熾烈な国際競争」「資源のないわが国がどうやって生き残るか」というフレーズくらいは
これまでも何度も耳にはしてきたけれど、

スパコン競争に負けるとは、最初に作った国に「隷属することを意味する」、
科学研究予算を削って「将来の歴史の審判を受ける覚悟があるのか」などの切迫感は、
これまで一般の国民に向けては、あまり語られなかった。

私は、それらの表現を誇張だとは全然思わなかったし、むしろ、
ああ、やっと本当のことが語られている……というふうに聞いた。

この「やっと本当のこと」には、私なりの伏線があって、
例えばこちらのエントリーなどで書いているように、
実現可能性からいうと、科学的事実というよりも、まだSFの領域に近いとしても、
科学とテクノのブレークスルーには、まるで来年にも「アルツもパーキンソンも治せる!」かのような
「人工臓器の実現は近い!」かのような、科学研究への期待を煽る文句が必ずくっついてくることを
莫大な研究費用がつぎ込まれることに対する免罪符であり、つまりは世間への煙幕なのでは……と、
私はこのブログをやりながら、ずっと考えてきた。

もちろん、医学研究でいえば、最終目的は病気の治療や予防を可能にすることなのだろうし、
それぞれの研究は「難病を治す、予防する」に向かっての小さなステップに違いないだろうけど、
それ自体は、今のように資金をどんどん投入して性急に成果を出さなければならないような
それほど切迫した話じゃない、本来もっと息の長い基礎研究の積み重ねの話のはずだと思う。

科学とテクノロジーの研究に、
これほどの切迫感と性急さで資金と成果が求められるのは
やはり科学とテクノの熾烈極まりない国際競争があるからで、

その熾烈な弱肉強食競争は、
遺伝子操作で作った微生物に特許が認められたチャクラバティ裁判とか
Craig Venterが、ならず者的ルール違反でちゃっかりとDNA情報に特許をとった時に、
世界中の多くの研究者の意図に反して否応なく火蓋が切られてしまったものだろうな……と
私は無知な素人の稚拙な理解で考えている。

遺伝子研究のごく初期の、
その研究成果は人類共有の財産なのだと誰もが疑うことなく信じていた時期に
卑劣な抜け駆けをした欲深い科学者(転じて企業家)によって、
最先端研究の成果は巨大な利権と結びつくことになってしまった。

(どっちにせよ時間の問題だったかもしれないけれど、加担したのが米国の裁判所だというのが……)

そして、その競争が経済や金融のグローバリゼーションとも重なり合って、
相互に拍車を掛け合っているのが今の熾烈な競争による弱肉強食の世界……なんじゃないだろうか。

よく耳にする「世界の産業構造が変わる」ということの正体とは、
要するに、そういうことなんだろうな……というのが私の個人的な理解で、

米国のNIBCレポートを読むまでもなく、ナノ、インフォ、バイオ、コグノその他
最先端科学とテクノの領域は、それぞれに重なり合って、互いに不可欠な存在になり、
(詳細は「米政府NBICレポート」の書庫に)

それだけに、またそこにつながる利権も、これまでの産業構造では想像もできなかったほどの規模に
今後ますます膨れ上がっていく一方なのだろうし、それが、つまりは
「スパコン競争で負けたら、日本は勝った国に隷属することになる」ということなのだろう。

実際に、いま現在の世界にだって既に勝ち組の国々に隷属させられている国々というのは出てきていて、
例えば先進国のITごみなど有害ごみのゴミ捨て場にされていたり、
医薬品の実験場にされている気配すらあるアフリカ。

奴隷労働のような条件の家事介護育児の労働力として国民を輸出するしかなかったり、
医療ツーリズムで富裕国の富裕層向けに自国の死刑囚の臓器を提供したり、
闇での売買も含めた臓器移植を行ったり、代理出産をほとんど一手に引き受けるアジアの国々がある。

いずれも、欧米先進国の富裕層が科学とテクノの簡単解決文化を謳歌するために、
貧困国の貧困層の人たちの身体や労働や臓器が供され、人権が踏みにじられるという構図。

私は最近、今までの経済のグローバリゼーションというのは
科学とテクノのグローバリゼーション・ネオリベラリズムの到来に向けた
地ならし・露払いに過ぎなかった……みたいなことに結局はなるのかなぁ……なんて考えてしまう。

そんなふうに、科学とテクノの競争は、そのまま世界の産業・利権の構造に直結して、
実際に、その競争に生き残れるかどうかが、今後の国益そのものに重なっている。
つまり、その国の国民が、国際社会の中で今後どういう立場に置かれるか、
ぶっちゃけていえば、科学とテクノの恩恵に預かる側に立つか、
そのための資材として使い捨てにされる側に立つかを左右するのだから、

この競争には「参加するかしないか」みたいな暢気な問いは、もはやありえなくて、
ただただ前に向かって突き進んで、勝ち残り、生き残りを目指す以外に道はない。

たぶん、現実は、もはや、そういうことなのだろうな……と、
このブログをやりながら、ずっと思っている。

そのためには、科学とテクノの研究に日本国としても最大限の資金をつぎ込むしかない。
だけど、それぞれ自分自身が”痛み”だらけであえいでいる国民の大半が
そんなことを、おいそれと理解・納得するものでもないから、
とりあえず「これで難病も治る! 人工臓器だってすぐできる!」と
「みんなの幸福のための科学とテクノ研究」の免罪符が撒かれ煙幕が張られる──。

しかし、その資金が事業仕分けで一気に危うくなった危機感で、
「こら、事態の深刻さをわかっとるのかッ」と国に向かって詰め寄った科学者の方々は
煙幕などかなぐり捨てて「勝てなかったら隷属国になるんだぞ」と
やっと本当のことを口にしてくれた……というふうに私は聞いた。

ただ、同時に、ずっと漠然と抱えてきた疑問も、いくつか、
あの記者会見のニュースから引っかかったまま、頭の中でぐるぐるしている。

私の疑問は大きく言えば4つで、

①で、日本はその競争に勝てるのか、そしてずっと勝ち続けることが出来るのか。

②勝ち続けることが出来るとして、そのために資金がどれほど必要なのか。

③その競争に負けてしまったら、日本国民は世界の中でどうなるのか。

④でも本当は科学とテクノによって構造転換した世界では、もう国家という装置は機能できず、
科学とテクノそのものが、これまで人類の歴史に存在したことがないような1つの強大な勢力となり、
世界のありようを既に組み替え始めている……というのが現実なのではないのか。

①のところでは、私は何も知識がないので、
誰か専門家が「スパコンでは勝てる」と言ってくれれば素直に信じるだろうけど、
でも「勝ち続ける」の方は、無知な素人なりに到底ありえないような気がしていて、
よほどの説得力のある説明をしてもらわないと、ちょっと信じられない。

②で知りたいのは、もちろん金額ではない。
そんなものは聞いたって、どんな形であれ私に“わかる”金額のはずはない。

それに、今後も長い年月に渡って加速度的に進むはずの
科学とテクノ研究競争に「勝ち続ける」ために必要な予算規模なんて、
きっと誰にも試算できないんじゃないかとも思うし。

私が知りたい「どれほどの資金が必要か」というのは金額ではなく、
今でも、地方の産業は成り立たなくなり、まともに働いても食えない人が沢山出てきて、
医療も福祉も教育も、どんどん崩壊している状況で、今後、勝ち続けるために必要な予算を確保するとしたら、
日本国民の生活が例えば具体的にどういうものになれば賄えるのか、ということ。

まずは足手まといの障害者と高齢者には死んでもらって、
さらに働いているのに食い詰めてしまう人にも死んでもらって、
それで医療費と社会保障費がいくらかは浮くにしても、それで勝ち続けられるのか、
その程度で高度化する一方の国際研究競争に追いつけるとも思えず、
本当はもっと必要になってくるんじゃないのか、ということ。

仮に国際競争に勝ち伸びて隷属国になることを避け続けることが可能なのだとしても、
いま世界規模でアフリカと一部アジアの国で起こっているようなことの縮図として、
日本国内での都会と地方の格差や、また国民間の財力・能力による格差、さまざまな差別が
もっと酷薄な形をとって現実になっていくのではないのか、ということ。

③については、知識がないので本当に想像ができない。
④については、そのまんま。

もちろん何の専門家でもない私が無責任に夢想することに過ぎないけど、
このブログをやりながら、科学とテクノの周辺のニュースや情報を当たっていると、
こんなふうにしか思えなくなっている。

そして、もう言っても詮ない繰言なのかもしれないけど、
でも、それは、誰も幸せになれない世界じゃないのか……とやっぱり考えてしまう。

このブログを始めた頃には、私はまだ米英の科学とテクノの専横に対して、
英国以外のヨーロッパ諸国がその思慮深さで抵抗しようとしているような
印象というか希望的観測を持っていたのだけれど、やはり、利権が現実に絡むと、
結局はヨーロッパ諸国も巻き込まれざるを得ないのだろうな……と、この頃、感じ始めている。

だから、日本も同じところに置かれているということなのだろうな、とも思う。

そして、そのことを思うと、
「インドで考えたこと」で堀田善衛氏の書いていた
「悪ずれした日本人」という言葉が、いつも頭によみがえる。



2009.12.12 / Top↑
今頃になって、ひょっこりと、Diekema医師が5月に書いた共著論文を見つけた。

掲載誌は、2006年に最初のAshley論文が掲載されたのと同じで
Archives of Pediatrics & Adolescent Medicine。

タイトルは
Social Marketing as a Strategy to Increase Immunization Rates
ワクチン接種率を向上させる戦略としてのソーシャルマーケティング

アブストラクトはこちら

アブストラクトを読む限りでは
メディアとインターネットで流れる情報で社会にワクチンへの不信が広がり、
子どもへの接種を親が拒否するケースが増えているので、接種率を上げるために
Washington州で行っているsocial marketing という手法が有効……と提言する内容。

Social marketingというのがイマイチよく分からないので検索してみたら
ソーシャルマーケティングそのものの日本語解説は こちらにあった。
ただ、これはビジネスの世界でのソーシャルマーケティングの解説。

これを保健医療における人々の行動変容に利用しようという話に関しては英語で
The Basics of Social Marketing という資料が引っかかってきた。

25ページくらいの資料なので、時間と気力がある時に、ちゃんと読んでみたい。
今のところ最初の部分をちょろっと覗いてみただけど、これ、かなり怖い話かもしれない。

なにしろ、
マーケッティング技法を使って
特に保健医療における行動変容を社会規模で起こそうという話。

それって”薬とテクノで何でも簡単解決・予防医学万歳”文化の蔓延では
既に駆使されているのよね、きっと……という気がしないでもないけど、

ここでは、その技法で特にワクチンの接種率を上げようという論文のわけで、
そこにDiekema医師が噛んでいるというのも“いかにも”なんだけれど、

(なにしろシアトル子ども病院は生命倫理カンファを始めるに当たって、
第1回にわざわざワクチンをテーマにしたくらいゲイツ財団のワクチン推進シンパのわけだから)

この技法がワシントン州で既に導入されているというのが、また“いかにも”で。

(去年の尊厳死法を巡る住民投票ロビー活動でも、この技法が使われたのかしら……?)

なにしろGates財団はすでにワシントン大学のIHMEを通じて、
ビジネスモデルのコスト・ベネフィット計算(具体的にはDALY)で、
世界中の保健医療の施策を組み替えつつあるわけだから、

そこへ、今度はマーケッティング技法を導入して
社会の人々の医療に関する気に入らない行動を自分たちの望む方向に変容してしまおうという。

それは、つまるところ、
ワシントン州はゲイツ財団のビジネスモデルによる医療施策の実験場と化しているということ?

もちろん、それを担っているのが、シアトル子ども病院とワシントン大学で
そこで行われる数々のキャンペーンで提携しているのはWHO、UNICEFF、世界銀行……。

(詳細は「ゲイツ財団・UWとIHME」の書庫に)

これ、やっぱり、相当にコワい話なのでは……?



2009.12.11 / Top↑
日本語情報。日本ALS協会副会長・橋本操さんのインタビュー記事(中日新聞・2009年11月27日夕刊)「死の尊厳」よりも、まず生きること。生きたいのに呼吸器をつけないことを選択させられて死んでいくしかない人がいる、という事実。特に女性が……というところが、ものすごく痛い。前に多田富雄さんと柳澤桂子さんの「いのちへの対話 - 露の身ながら」という対談を読んだ時にも、柳澤さんの方は女が介護を受ける身になった時の申し訳なさや肩身の狭さ、辛さをしきりに訴えているのだけど、その言葉が、奥さんの介護を当たり前と受け取っている多田さんには、まったく響いていっていないことが、とても痛々しかったのを思い出した。
http://www.arsvi.com/2000/091127hm.htm

不況とそれによる地方自治体の事業カットにより、米国で地方在住の高齢者が困窮している。
http://www.nytimes.com/2009/12/10/us/10rural.html?_r=1&th&emc=th

蔓延する薬物のトラフィッキングがアフリカを犯罪のハブにしている。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/africa/8402820.stm

アムネスティからナイジェリアの警察が恣意的に殺人を犯している、と。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/africa/8403336.stm

女性アスリートにテストステロンを与えると、よりフェアで友好的な姿勢で試合に臨むようになるんだそうな。ただし、自分がテストステロンを打たれたと気づいていない場合のみ。偽薬じゃなくて男性ホルモンのほうを打たれたと知っている場合には、欲深くて自分勝手なプレイをするようになる。実験は女性でのみ行われたけど、男性でも同じ結果が出るだろう、と。つまりホルモンよりも意識によって変化が起こっているというのが結論らしい。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/health/8400172.stm

タミフルの豚インフルに対する有効性の治験で、製薬会社がエビデンスを隠蔽していた疑い? BMJに。
http://www.guardian.co.uk/world/2009/dec/08/tamiflu-swine-flu-roche

中絶するために英国まで行かなければならなかった女性3人が、ヨーロッパ人権裁判所に対してアイルランドの中絶を禁じる法律の違法性を訴えた。
http://www.guardian.co.uk/lifeandstyle/2009/dec/09/ireland-abortion-ban-european-challenge

早産の兆候があった時に、あるタンパク質を検査することで、本当に早産になるのかどうかを見分けることのできることがわかった。:早産撲滅はゲイツ財団とシアトル子ども病院のキャンペーン課題。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/health/8399087.stm

Guardianから「これは必見」100のウェブサイト。
http://www.guardian.co.uk/technology/2009/dec/09/best-websites-internet
2009.12.10 / Top↑
「介護保険情報」に隔月で椋とんびさんが書く「とんびの目」という書評があって、
独特のしなやかな視点を楽しませてもらっている。

12月号の「とんびの目」で
もう私のことはわからないのだけど」という本が紹介されている。
著者は姫野カオルコさん。

家族を介護している人の、いわく言いがたい気持ちの陰影が
いろんな介護者の境遇やキャラクターに託して書かれている作品のように思えたので、
さっそく図書館に行ってゲットしてきた。

書かれているのは13人の介護者の独り語り。
すべてフィクション。

抜き差しならないところまで追い詰められている介護者というのではなく、
まぁ、なんとか多少は余裕を持って介護を続けていられる状況にある介護者たち。

そういう人たちが、短く、数行ごとに、ポツリ、ポツリと語る言葉が
ものすごく抑圧されたところから搾り出されて、並んでいる。

1行の言葉に涙が出そうになる。
その言葉を語っている人の目つきがありありと見えてくる。
1行の言葉にホラーのような寒気を覚える。

事情ってもんが各家庭にはあるんだってことを、何ひとつ想像してみようともせずに、無神経な単純さで「お母さんのこと、大切にしてあげて」「家族ってあたたかい絆よ」なんて言う偽善者たち。
(p.88)

大事に、大事に。
日本全国の人がそう言います。
みんなです。
みんな、みんな、言う。

みんなは、きついです。
押し寄せて来る。
みんなの波がきついです。
(p.37-8)

だってね、事情ってね、いっぱいあるからさ。
いろんな事情があるから。
地球上の人のぶん、ある。
ものすごい数の事情があるんだよ。
(p.12)

同窓会、するんだったら、教えて。
どこでするのか教えて。

…… (略) ……

欠席だけどね。
欠席するんだけどね。

…… (略) ……

同窓会、するんだったら、教えて。
なにかするんだったら、するんだよって言って。
誘って。
(P.2-6)


読んでいて、
たぶん、文学の言葉でしか表現できないものって、あるんだろうなぁ……と思った。

そして同時に、
科学とテクノの論理だけで、ものごとを、
ばっさばっさと簡単に片付けてしまう人たちが語る言葉に
決定的に欠落しているものって、あるんだろうなぁ……と、ぼんやりと思った。

(そういえば、トランスヒューマニストって、文学には一切触れないよね……)

で、その欠落している部分というのが、
実は人間の一番複雑で、微妙で、深遠で、一筋縄ではいかないところじゃないのかなぁ……。

ちょうど Norman Fostが代理母について語る
酷薄・粗雑なものの言い方に触れて

なんだか、とても肌理細かくなめらかな砂をすくうのに、
まるで3センチ四方の網の目のザルでもってすくってかかるみたいな粗雑さだなぁ……と
感じたばかりだったせいもあるかもしれないのだけど。


        ――――――――

私自身が言葉にして訴えたいと感じているものの大半は、きっと
こんなふうに小説・創作という形でしか表現できないものなのだろうと
前から感じているのですが、

小説を書く創作の才を持ち合わせていないことは、いかんともしがたく
それゆえ私は私の能力の範囲で、

理屈をこねてみたり、直接体験を自分なりに描いてみたり、
あれこれとやってみている。

例えば、以下のようなエントリーなどで。


2009.12.09 / Top↑
二分脊椎などの障害で車椅子生活を送る Alice Davis さんが、8日、
最高裁に対して訴えを起こし、

Debby Purdy さん訴えを受けてDPPにガイドラインの作成を命じた
7月の法務卿らの決定の取り消しを求めました。

当時のニュースなどはこちらの7月31日のエントリーに。

DPPのガイドラインは暫定案で、
12月16日までコンサルテーションが行われています。
その結果を受けて来年、最終的に内容が決まる予定。

Davisさんは、No Less Humanという障害者のアドボケイト団体所属。

法務卿の1人Lord Phillipsが自殺幇助に対して個人的に賛同しているために
法務院の最終決定はそれに大きく影響されており、不当。

これまで障害のある人にも障害のない人と同等の法の保護が存在していたが、
このたびのガイドラインは不明瞭であるだけでなく、
障害者に健常者と同等の保護を保障しないものであり、不当……として
最高裁の決定の取り消しを求めている。

(最高裁が英文でHouse of Lords と上院議会と同じ名称で書かれているので紛らわしいのですが
これは最高裁の判事に当たる法務卿が上院議員の身分を有して、組織上も議会の一部になっているためで
英国では近く、最高裁が上院から独立した組織に改組されるとのこと。)




私も7月に報道で法務卿らの発言を読んだ際に、
Lord Phillipsの発言に「うわぁ、露骨だなぁ……」という感想を持ったのは記憶しています。

上記リンクの7月のエントリーから、他の法務卿の発言もたどれますが、
他の法務卿の中からは、慎重を求めるニュアンスの発言もありました。

今回の記事から、Lord Phillipsが当時 Daily Telegraphに語った言葉を抜くと、

I have enormous sympathy with anyone who finds themselves facing a quite hideous termination of their life as a result of one of these horrible diseases, in deciding they would prefer to end their life more swiftly and avoid that death as well as avoiding the pain and distress that might cause their relatives.

ああいう恐ろしい病気の一つにかかって、そのためにおぞましい死に方に直面している人たちが、早めに人生を終わりにして、そういう死を避けたい、それと同時に家族にも辛い思いをさせないようにしたいと決めるということに、私は大きな共感を持っている。

a quite HIDEOUS termination of their life
as a result of one of these HORRIBLE diseases ……


以下のリンクにも拾っているように、
このところガイドラインへの批判の声は続いていましたが、
ついに障害当事者が法的な行動を起こしました。

勇気ある行動に、エールを――。



2009.12.09 / Top↑
Norman Fostのことを知ったのはAshley事件がきっかけだった。
たぶん、日本ではほとんどノーマークの倫理学者なんじゃないかと思うのだけど、

私は2007年の2~3月頃から
Norman FostこそがAshley事件の筋書きを裏で書いた人物ではないかと睨んでいるので、
それ以来ずっとFostのメディアでの発言は目に付く限り追いかけている。


そして今では、Norman Fostについては、
Ashley事件で現在も果たしている大きな役割に留まらず、
科学とテクノのイデオロギー装置としての生命倫理を先導する
危険極まりない人物だと考えている。

多くの人がPeter Singerの過激な発言に目を奪われているけれど、
実は米国の医療倫理界、FDAの委員会内部で直接的に影響力を及ぼしているFostの方が
もっと危険な存在なのではないのか、とも思っている。

そのNorman Fostが今度は代理出産について語っている。

まず、この記事でNorman Fostは、
倫理学者によって指摘されている代理出産を巡る懸念は以下の3つだと解説します。

・代理母には医療的な(つまり健康上の)また心理的なリスク
・子どもには「商品化される」可能性
・依頼者(彼はrequesting parentsと称します)には
「有り金をはたいても望みどおりに子どもが得られなかったり、
子どもが生まれた後で親権を失う可能性」

そして、小児科医として、彼は
代理出産だからといって子どもにネガティブな心理的な影響があるという
説得力のあるエビデンスは知らない、と語ります。

「ちゃんとしたデザインの長期の研究はないと思いますが、
現在あるデータと、私が知っているエピソードなどからすると、
子どもが幸福になるか、健康になるかということに代理出産は影響しません」

子どもの幸福と健康で最も重要なのは、他の家族の場合と同じく、
子どもが育つ環境であり、安定した家庭で愛されて育つことだ、というのです。

また、代理母になる女性への搾取だという批判に対しては

It’s paternalistic to tell a competent woman how she can use her body, whether it’s to work in a coal mine or as a surrogate mother.

意思決定能力のある女性に、自分の身体の使い方についてどうこう口を出すのはパターナリズムでしょう。炭鉱で働こうと、代理母になろうと(自分の体の使い方は自由だ)。

「子どもは消費される商品じゃない。iPodみたいに売買すべきじゃない」という批判には

It’s not clear why that would even be of any great consequence to the child if he or she is raised in a loving home.

愛のある家庭で育てられさえすれば、子どもにとって
商品として売買されることが重大な影響を与えるかどうかは不明である。

代理出産についてFostに懸念があるとしたら1つだけで、
それは米国やその他の国々の夫婦が代理母を求めてインドに出かけていくこと。

代理母の健康状態にせよ代理母が受ける医療にせよ法律的な問題にせよ、
インドではコトが起きる可能性が高い、というのだけが彼の懸念。

もっとも海外にも、ちゃんとしたプログラムがないわけじゃない……とも言って終わり。

(それに、ほら、何が起きたって、
それもこれも意思決定能力のある人がやることだから自己責任だしね)

Debating the ethics of surrogacy
ISTHMUS, The Paper, December 3, 2009


これまでも、Fostの発言はあまりにもぶっ飛んでいるので、
読むなり、絶句してしまうことが多かったのですが、

今回も、まずは、あまりの不快感で「なっ……ばっ……」状態。
とりあえず論理的に批判する言葉が出てきません。

1つだけ、言葉として頭に浮かんだのは、
なるほど、「炭鉱で働く」ことを代理母と並べたか……。



【関連エントリー】



2009.12.08 / Top↑
英国で肥満のために保護プログラムに入れられていた子ども2人について、肥満の原因は遺伝子の問題であり、親のネグレクトでも食べすぎでもないことが判明。2人は保護プログラムから外された。
http://www.timesonline.co.uk/tol/news/uk/health/article6946615.ece?&EMC-Bltn=FCKCJ1F

米国で5人の患者に病気腎を移植。今のところ5人のいずれも癌を発症していない。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/health/8398770.stm

日本のニュース。東京医大八王子医療センターで生体肝移植受けた52人のうち20人が1年以内に死亡。ほとんどが敗血症で。
http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00167679.html

コペンハーゲンの温暖化会議の開催に合わせて、45カ国の56の新聞がいっせいに同じ論説を一面掲載し、温暖化防止への行動を呼びかける。
http://www.guardian.co.uk/media/2009/dec/06/50-papers-leader-climate-change
2009.12.07 / Top↑
癌や喘息など多くの病気が増加している原因は、身近な環境に潜んでいる化学物質にある可能性を、Mount Sinai 医大のセミナーで。NYTのNicholas KristofのOp-Ed。面白い箇所があって、「アジア女性は乳がんの発症率が低いのだが、米国で生まれ育ったアジア女性にはこれが当てはまらない」。これ、とても興味深いのでは?
http://www.nytimes.com/2009/12/06/opinion/06kristof.html?th&emc=th

米国議会での医療制度改革議論によって、メディケアがカットされれば訪問医療・看護を受けられなくなる人が沢山出る見込み。
http://www.nytimes.com/2009/12/05/health/policy/05home.html?_r=1&th&emc=th

オーストラリアのthe national Aids Action Councilという団体が主として同性愛者を対象に、ネットを通じて性交渉のあった相手に性病に感染している可能性があることを知らせるメールを無料で送れるサービスを始めた。ところが、いたずらや嫌がらせに使われるケースが多く、問題に。
http://www.canberratimes.com.au/news/local/news/general/anger-at-sex-infection-texts/1697191.aspx?src=enews

コペンハーゲンでの地球温暖化に関する国際会議を前に、英国の研究所から盗まれた匿名メールがインターネットに公開された。科学者らが地球温暖化に関するデータの操作を相談している内容。温暖化そのものがでっち上げだとする温暖化懐疑派がこれで勢いづいているらしい。
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2009/12/04/AR2009120404511.html

カナダ・ケベック州が来年秋に自殺幇助合法化のコンサルテーションを行う、と。:……ってことは、現在カナダの議会に提出されている合法化法案は通らないと見越して?
http://www.examiner.com/x-30051-Montreal-Headlines-Examiner~y2009m12d4-Euthanasia-Quebec-will-launch-public-consultations
2009.12.06 / Top↑
牛肉から人に感染しないように、肉牛に打つE coliバクテリア・ワクチンの実験が始まったんだとか。:人はワクチンを打たなくても、こうやって肉を通じて知らない間に摂取させられる化学物質が増えていく……。去年、E coliで人がたくさん死んだのは、たしかホウレンソウだったんだけど、そうすると、野菜にはワクチンではなく、それなりの薬品が使われるんだろうし。そういうものの総合的な人体への影響については、一体、誰が確認・調査してくれるのか? ……というか、ここまで来て、そんなものを調べることが、そもそも可能なのか?
http://www.nytimes.com/2009/12/04/business/04vaccine.html?_r=1&th&emc=th

ちゃんと記事を読んでいないから、何とも言えないといえば言えないのだけど、「IQの低い殺人犯、処刑される」というニュースのタイトルと、11歳の少女をレイプし殺害した犯人のIQが68から89の間だと書いた冒頭部分に、ちょっとびっくりした。アメリカ社会、知能がどんどんオブセッションになっていく?
http://www.nytimes.com/2009/12/04/us/04execute.html?th&emc=th

英国の国営銀行がこんな時なのに堂々と高額のボーナスをもらっている、との批判。
http://business.timesonline.co.uk/tol/business/industry_sectors/banking_and_finance/article6943583.ece?&EMC-Bltn=PNYEH1F

銀行に限らず、民間セクターでもエライサンたちのサラリーがうなぎ上りしている。ついでに金持ち番付で、NHSのエライサン80人のサラリーが首相より高いことまで判明してしまった。
http://timesonline-emails.co.uk/go.asp?/bTNL001/mPNYEH1F/qZWP5H1F/uM9ZZ6/xNRMQH1F

NY州上院議会が同性婚の合法化法案を否決。
http://www.nytimes.com/2009/12/03/nyregion/03marriage.html?_r=1&th&emc=th
2009.12.04 / Top↑
「国際的水準の移植医療」ですでに起こっていること

7月の国会で脳死・臓器移植法の改正が決まった。最も大きな改正となるA案を支持してきた移植医療の専門家や患者団体からは「これで日本でも国際水準の移植医療が実現される」と喜ぶ声がしきりだった。

しかし、ここ数年、海外の医療ニュースを追いかけてきた私は「本当に実現させるの……?」と、むしろ背筋が冷える思いがした。それまでの議論でも「国際水準に追いつくために」との掛け声を聞くたびに首をかしげたのだけれど、その「国際水準の移植医療」で実際に起こっている諸々が、なぜ日本では、ちっとも報道されないのだろう。いくつかの事件と議論を簡単にまとめて、「国際水準の移植医療」ですでに起こっていることの一端を提示してみたい。

◎ナヴァロ事件
2006年、米国カリフォルニア州で起きた事件。重症の心身障害があり施設で暮らしていたルーベン・ナヴァロさん(25)の呼吸が止まり、病院に搬送された。脳死には至っていなかったにもかかわらず、母親から臓器提供の同意を取り付けた医師らは、臓器移植ネットワークから臓器保存チームを呼び、ナヴァロさんの呼吸器を外した。ところが予想に反して彼は死なない。臓器が使えなくなると焦った医師らは救命治療よりも臓器の保存処置を優先し、患者本人には有害となる薬剤を多量に投与する。結局ナヴァロさんは翌日まで生き、臓器は摘出されなかった。

一部始終を目撃した看護師が警察に通報。しかし逮捕された医師は、裁判で“心臓死後提供(DCD)”という新方式を用いたのだと主張し、無罪となった。

DCDとは、脳死に至っていない患者の呼吸器を外して心臓死を起こさせ、数分だけ待って摘出するプロトコルである。臓器不足解消の方途として米国で広がり始めている。通常、最後の拍動から2~5分で、もはや蘇生がありえない“ポイント・オブ・ノーリターン”とされるが、去年、デンバー子ども病院の医師らは論文を発表し、心臓の機能不全による死亡宣告がされた乳幼児から75秒だけ待って心臓摘出するプロトコルを報告。「両親が蘇生を望まない以上、その子どもの心臓は死んだのだ」と書いた。

◎ケイリー事件
今年4月、カナダのトロント子ども病院で、ジュベール症候群のケイリー・ウォレスちゃん(生後2ヶ月)の心臓が、同じ病院に入院中の心臓病の女児に移植されることが決まった。父親同士が病院で知り合って合意したという。メディアや世論がケイリーちゃんの父親をヒーローに祭り上げる中、家族がベッドサイドに集まってお別れをし、呼吸器が取り外された。しかしケイリーちゃんは自力で呼吸し続けた。

父親は「助かっても障害のためQOLが低いと、医師がそればかりを強調するので、それなら人のためになる死に方をさせてやりたかった。でも心臓を採れないとなると、医師は当初の診断が間違いだったと言い、今になって治療の選択肢を並べてみせる……」と困惑した。公表された写真では、ケイリーちゃんは開眼し、意識も清明であるように見える。

◎死亡者提供ルール見直しの声
これらの事件に見られるように米国・カナダでは脳死提供ルールが揺らいでいる。脳死概念は間違いで、脳死者は死んでいないと明言する生命倫理学者もいる。しかし、彼らは「だから脳死者からの臓器提供はやめよう」というわけではない。「我々は既に人為的に死を操作しているのだから、本人の提供意思さえあれば、生きている人間からも心臓などの臓器提供を認めよう」と主張するのだ。“深刻な臓器不足”解消のために──。

欧米で認められている“救済者兄弟”

着床前遺伝子診断と生殖補助技術を用いて、病気の子どもの治療ために臓器ドナーとして適合する胚を選別し、弟や妹を生むことが、英・米・仏・スウェーデンなどで認められている。英語ではsavior sibling“救済者兄弟”と呼ばれる。

生まれてくる子どもが、その生い立ちのために自分は兄や姉ほど愛されていないとの思いに苦しむ弊害も指摘されているが、米国では概ね生命倫理学者らが説く「家族全体の利益は、その子どもの利益でもある」との論理で正当化される。英国医師会は“救済者兄弟”の心理的負担を「仮想的な害」とし、病気の子どもの苦しみや死の可能性を「リアルな害」として対置させて、正当化している。

「介護保険情報」2009年11月号
「世界の介護と医療の情報を読む 41」
児玉真美 p.81


書ききれなかった情報や上記事件の詳細はこちらのエントリーにまとめてあります。
2009.12.04 / Top↑
「私の中のあなた」を見る・読む

ニック・カサヴェテス監督、キャメロン・ディアス主演のハリウッド映画「私の中のあなた」が日本でも10月9日に公開された。主人公の11歳の少女アナは、白血病の姉ケイトの治療に必要な臓器のドナーとして遺伝子診断と体外受精によって作られたデザイナー・ベビー。すなわち、左ページで簡単に紹介した“救済者兄弟”である。

アナは出生時の臍帯血に始まり、姉の治療に必要な血液や骨髄を提供し続けてきた。が、病状は悪化し、ついに腎臓移植が必要となる。両親は、これまで通りアナがドナーとなることを信じて疑わない。しかしアナは弁護士を雇い「自分の体のことは自分で決めたい」と訴訟を起こす。アナが訪ねていく冒頭の場面で「この国では提供意思のない人間から臓器がとられることなどありえない」と原則論を述べる弁護士。それに対して「でも誰も私に(意思を)尋ねてくれたことはない」というアナの答えは、ドナーとしての生を背負わされた“救済者兄弟”の倫理問題の核心をずばりと突いて、衝撃的である。

物語は、訴訟の展開と、ケイトが急速に終末期に陥る過程とを平行して描いていく。その合間に織り込まれるのは、これまでの経緯と、娘の看病と介護に全身全霊を注ぎ込んできた母親サラの献身的な姿である。しかし、訴訟をきっかけに、ケイトのために一丸となって闘ってきたと見えた家族の間には、いくつもの亀裂が生じていたことが明らかになっていく。それでもサラは諦めない。「私が細胞2つになっても、ママは電気ショックをかけるわ」とケイトに言わせるほどに深い母親の愛情と、その愛情ゆえの偏狭さとを、キャメロン・ディアスが見事に演じてみせる。

病気を美化せずリアルに描こうとする監督の姿勢も清しい。ケイトの短く切ない恋のエピソードは、問題なのは彼女の“生”なのだと感じさせて光った。子どもたち3人が親にはできなかった深さで互いを理解しあう姿が徐々に浮かび上がってくる展開にも妙味があった。サラはアナの意思だけでなく、自分が最も懸命に守ろうとしたケイトの意思をこそ、最も手ひどく踏みつけていたのだ。そのことに気づいてくず折れたサラを、幼子を抱く母親のようにケイトが抱いて横たわるシーンが印象的だった。

話題作とあって、封切り前からこの映画を取り上げたメディアは多かった。しかし、なぜか、アナのようなドナー・ベビーが既に生まれている現実を語る記事はほとんどない。そのため、日本ではアナの生い立ち部分がSF的想像や映画的創作と捉えられ、「難病もの」、「美しい家族愛の物語」と理解して終わる人が多いようだ。しかし、この映画はやはり、生命の操作が可能になった時代性の中で「親と子の関係性」、「親であるということ」、「子の権利」を問う作品ではないだろうか。

原作であるジョディ・ピコーの小説“My Sister’s Keeper”(邦訳は「わたしのなかのあなた」)の刊行は2004年。世界で初めての”救済者兄弟“は、その4年前にコロラド州で生まれている。ファンコニ病の姉の幹細胞移植ドナーとして30個の胚の中から選別された。

ピコーの長編小説は、”姉の臓器庫“として生きてきたアナの肉体的、精神的な痛みや、親子、夫婦の間の亀裂や溝を、多くのエピソードを重ねつつ丁寧に描いている。弁護士や法定後見人など周辺的な人物設定に込められたメッセージも多彩だ。原作がアナの年齢を13歳(医療決定において”成熟した未成年“と見なされ本人意思が尊重される)に設定し、移植医療における子どもの自己決定権の問題として描こうとしたのに対して、映画ではアナの年齢を11歳に引き下げ、親権の問題に一般化したように思われる。その違いを象徴するように、映画は小説とはまったく逆の結末を用意する。ある意味、テーマをより一般化したことによって、映画は親と子の関係性の問題に、より深く迫ることに成功しているとも言えるのかもしれない。

小説と映画の両方を通じて最も印象的だったのは、let go という表現だった。映画ではサラの妹がサラに向かって言う。「最後まで諦めまいと必死で、それ以外のことが見えなくなっているけど、今のあなたに必要なのは let go することよ」。ゆこうとするものを無理にも手元にとどめようとせず、しがみついていく手を緩め、放してやること。戸田奈津子さんは「受け入れること」と訳していた。科学とテクノロジーの力で生命のコントロールが可能となり、欲望を果てしなく満たせるかのような夢が描かれる時代において、この小説と映画が投げかける問いは重い。

アナの訴訟が家族の亀裂を明らかにしたように、科学とテクノロジーの発展は、親と子の間に潜む「支配―被支配」の関係を浮き彫りにする。欧米の生命倫理学者たちは、愛の名のもとに、テクノロジーによる親の支配を擁護するが、それでは、アナの弁護士が言ったように、いったい誰が被支配の子どもの側に立つというのか──。

「介護保険情報」2009年11月号
「世界の介護と医療の情報を読む」
児玉真美  p. 80


また、これを機に、本来の連載部分では
「国際水準の医療」ですでに起こっていること、と題して
当ブログで追いかけてきた移植医療に関連する情報をいくつかまとめました。

上記文中の「左ページ」がそれに当たります。こちらのエントリーに。


また、この小説と映画に関連するエントリーは以下に。




2009.12.04 / Top↑
前のエントリーで触れている英国保健省のグリーンペーパーについては
いつもの「介護保険情報」に書いていたのを思い出したので、
とても簡単なまとめですが、これを機に以下に。

英国保健省から「社会ケア緑書」
ナショナル・ケア・サービス創設を提言

英国保健省が今年の春に予定していた社会ケア緑書=グリーンペーパー(3月号の当欄で一部既報)が、7月14日に Shaping the Future of Care Together とのタイトルで発表された。

緑書はまず英国の成人(高齢者と障害者)の介護サービスの現状について、地方自治体ごとの施策に負うため、限られた資源が最もニーズの大きな人に集中して多くの人がサービスを受けられていない、ケアホームに入所すると持ち家を売らなければならない事態も生じている、などと問題点を整理。今後、高齢化に伴って2026年には介護の必要な成人が170万人に達する見込みであることから、抜本改革として英国初のNational Care Service(NCS)創設を提言する。

国民の様々な権利を保障し、一人ひとりが自分のニーズに応じた介護と支援を受け、自分の望むところで望むとおりの暮らしを営めるようにエンパワーするべく、掲げられるNCSのサービス理念とは以下の6つ。①介護予防サービス、②全国同一アセスメント、③多様なサービスの連携、④情報とアドバイス、⑤本人が選択できる個別のケアと支援、⑥公平な財源。

緑書は、これら理念の実現に向け、他職種協働を可能にする作業班を作りサービス統合に向けた制度を見直すなど、具体的な施策方針をいくつか挙げた上で、万人に公平でシンプルで財政的に維持可能なNCSの創設に向けて、財源の選択肢として3つのモデルを提示する。

(1)パートナーシップ。介護と支援コストの3分の1を政府が負担する。所得の低い人には負担割合を上げる。

(2)任意加入の保険制度。介護と支援コストの4分の1から3分の1を政府が負担し、残りを支払いやすくするために希望者が保険に入れるようにする。

(3)強制加入の保険制度。国民全員が費用を負担する代わりに、介護と支援が必要となった人は支払い能力に関わりなく無料でサービスを利用する。保険料は資産額に応じて決まるが、資産の限度額までは基本保険料とし、65歳以上の保険料は下げる。

現在、65歳以上の高齢者1人当たり介護費用の平均は3万ポンド。これを基準に試算すると、任意保険の場合でも、強制保険制度の基本的な負担額でも、だいたい2万ポンド程度になる。なお、全額自費方式はサービスを受けられない人が出て公平を欠くとの理由で、全額税方式は現役世代への負担が大きすぎるとして、ともに選択肢から外された。

これら理念、施策方針、財源モデルについて保健省は7月14日から11月13日の間、国民から広く意見募集(コンサルテーション)を行い、その結果を来年、白書によって発表する。

「介護保険情報」2009年9月号
「世界の介護と医療の情報を読む 39」(p.81)
2009.12.03 / Top↑
こちらのエントリーで紹介したように、英国では4月に
社会ケア監査コミッション(CSCI)、医療コミッション、精神医療法コミッションが一本化されて、
ケアの質コミッション(CQC)が誕生しました。

CQCとして初めてのソーシャル・ケアの質評価報告書が
12月3日付で発表されています。

報告書は4本立てで、
こちらのプレス・リリースに概要と、それぞれ4本へのリンクがあります。

またCQCの責任者 Cynthia Bower氏のインタビュー・ビデオも。(約4分)
それによると、来年10月に新しいソーシャル・ケアのスタンダードが定められるとか。

詳細は、また改めてエントリーを立ててまとめたいと思いますが、
とりいそぎ、それらについて簡単に報じているTimesの記事を以下に。

CQCの報告書によると、
改善がなければ閉鎖というほど酷い施設が400もある。
3500ものケアホーム(入所者は約7万人)が下から2番目の「適切」評価。

これでは、英国はこれから高齢化に対応できないのでは、と懸念される。

特にケアの質が酷いとされたのは8つの自治体で、
大臣に対して事情を説明するように求められているが、
そのうちの1自治体は新しい監査方法に問題があると反発している。

先週、Essex州の病院があまりにも不衛生だったことが判明して
それまで対応していなかったCQCに批判が集中したばかり。

また、今回の報告書で特に問題が多いことが判明したのは、
職員の監督、入所者の健康と安全、服薬管理。

それから5施設に1つで
適切なアクティビティや人と関わる機会が十分に提供されていなかった。



政府からも地方自治体からも独立した監督機関があって、
そこが毎年1回、政府が定めた7項目について
地方自治体と、各事業所のサービスの質を評価する仕組み。

「非常に良い」「良い」「適切」「悪い」の4段階評価の模様。

評価の方法にもよるし、
また、評価が一人歩きしたり、評価のための仕事になると
却って介護される人がないがしろになる面もありうるかもしれないけど、

でも、やっぱり、政府からも自治体からも独立、ということに
意味が大きいようにも思う。

実際、今回の4本立ての最後は
保健省が7月に出したソーシャル・ケア緑書に対するCQCとしての意見書。

ざっと目を通してみたところでは、
「緑書にはこの視点が欠けている」などとズバリと指摘していて、
いかにも頼もしい感じがする。

「不況だからといって、予算を引き上げるなどはあってはならない」とも
ちゃんと書いてあるし。


【10日追記】
その後、CQCの報告書の内容について看護師・助産師協会(NMC)からコメントが出ています。
ケアホームの4分の1もが、十分なケアを提供できていない現状はあってはならない、
ケアホームで働く看護師は責任をきちんと果たすべきだ、と。

2009.12.03 / Top↑
代理出産 生殖ビジネスと命の尊厳
大野和基 集英社新書 2009年

米国の代理出産の実態をルポしたもの。著者は冒頭、
2007年に厚労省が行った意識調査で国民の約半数が代理出産を認めてもいいと答えたことに触れて、
どれほどの知識や情報を持ち、その実態をどれほど知ってのことなのか、と疑問を呈している。

おそらくは、脳死・臓器移植の議論でも、着床前遺伝子診断の議論でも、
終末期医療の法制化問題でも、それから”Ashley療法”論争でもパーソン論でも、
みんな同じことが言えるんじゃないだろうか。

特に日本では、海外で起こっていることの実態が報道されにくい特殊な事情の中で、
私たちは自分が立っているところから見える範囲で安易な「感想」を抱いて終わりにするのではなく、
事実をきちんと知る努力をしながら、じっくり、しっかり考えてみる必要がある、と改めて思った。

この本から私が知った米国の代理母に関する事実関係などを以下に。

ベビーM事件(1986)
米国の代理出産関連事件で最も有名。人工授精で代理出産した母親が赤ちゃんを渡さず法廷闘争になった。
代理母契約の内容の差別性は言語道断。代理母はメアリー・ベス・ホワイトヘッド。

この事件の事実関係をまとめたものとしては、
立岩先生のところのサイトに詳しいので、そちらを。

障害児が生まれ、依頼者と代理母のどちらもが引取りを拒否(1982)
ミシガン州で生まれた子どもが矮小脳症だったため、依頼者夫婦だけでなく代理母までが親権を拒否。

パティ・ノワコウスキー事件(1988)
代理母のノワコウスキーさんが双子を妊娠。
出産1週間前に依頼者夫婦が「欲しいのは女の子だけなので
男の子は養護施設に入れるか養子にしてくれる人を探してくれ」と要求。
既に3人の母親だったノワコウスキーさんは、強い憤りを感じて
2人とも自分で育てる決心をして、裁判で養育権を勝ち取った。
NY州の代理出産規正法審議の公聴会でも証言。

人助けの気持ちもありましたが、もし報酬がなかったら、代理母をやりませんでした
多くの罪もない子どもが代理出産で犠牲になっている。子どもの権利を真っ先に考えるべきだ

NY州では代理出産を巡って論争が繰り返された後の1992年7月、
有償代理出産を赤ちゃんの売買に当たるとして禁止する法律ができた。

著者は
子どもが欲しい、という不妊カップルの希求にだけ目を向けると、生まれてくる子供のことを忘れがちになる。大人の都合で振り回され、ときにたらいまわしにされたあげく、引き取り拒否という悲運を背負わされるのは子どもたちなのだ。(p.59)

赤ちゃんブローカー「代理出産の父」ノエル・キーン
ベビーM事件、ノワコウスキー事件を始め多くの代理出産契約に関わっていたのが弁護士のノエル・キーン。
97年に58歳で死去。70年代、80年代に200人以上の代理出産に関与したと言われる。
著者が息子から聞いたところでは世界中で600人とも。

著者が直接インタビューした際のキーンの発言として
必要なのは、いい子宮だけだ(All we need is a good womb.)

ロリ・ルコア事件(1986年)
子どもが4人いる妹が、子どものできない姉に頼まれて代理出産したものの
姉妹間に溝が出来て、子どもの親権が裁判で争われた事件。

代理母が死亡したケース(1987)
デニス・マウンスさんが妊娠8ヶ月で死亡。死因は肥大型心筋症。
斡旋業者がマウンスさんの健康状態に十分な注意を払わなかったことが疑われるケース。

マウンスさんの母親は
犠牲になったのは娘です。依頼した夫妻にとっては娘は単なる赤ちゃん製造機だったのです。失敗すれば、また次の製造機を探せばいいのですから。

マンハッタンのパークアベニューに住んでいる裕福な女性が、どれほど利他的な気持ちを持っていても、赤の他人のために代理母をやることはありません。(P.118)

……代理母をやる女性は、平均収入以下の人です。表面的に見ると、善意の美しい行為に見えますが、代理出産を依頼するということは、人に命を危険にさらしてくださいというのと同じですから、それはもっとも厚かましい行為なのです。超えてはいけない一線を既に越えています。(p.119)

ブザンカ事件(1997)
ドナーの生殖子で体外受精、代理母が出産する前に依頼者夫婦が離婚。
生まれてきた女児は裁判所によって「法律上の親がいない」ことになった。

代理母がエイズに感染していたケース(1986)
姉のために妹が代理母になったが、
薬物濫用でエイズに感染していたことが妊娠中に判明、
生まれてきた子どもの引取りを姉妹双方が拒否した。

著者は
どんな些細なことであれ、代理母と依頼者夫婦の間で揉め事が起こると、犠牲になるのは、あきらかに生まれてくる子どもである。実際、障害のある子どもや病気の子どもが生まれて、依頼者にも代理母にも引取りを拒否されたケースは多々あるのだ。そうなれば業者はさっさと子どもを児童養護施設に送ってしまう。

斡旋業者ノエル・キーンに関するものだけみても、代理出産によって生まれた子どもを児童養護施設に送った数は、少なくとも5件あるという。

彼らは本当に「いらない子ども」「価値のない子ども」なのか。そんな生い立ちを背負った子どもたちは、どう生きていけばいいのか。(P.148-149)

3人の子どもすべて代理母に生んでもらったマーケル家
NYの銀行頭取とその妻は、3人の子どもをすべて代理母に産んでもらった夫婦。
斡旋業者は上記のノエル・キーン。

第1子は1986年に人工授精で生まれた。
(4日後に米国初の体外受精による赤ちゃんが生まれている。英国では78年)
次は体外受精。代理母は4つ子を妊娠したので、減胎手術で双子にした。
かかった費用は5万5000ドル。そのうち代理母の報酬は1万ドル。

著者はこの家庭で夫婦それぞれと、3人の子どもたちにインタビューを行っている。
特に子どもたちに、自分の生い立ちへのこだわりが影を落としていることが印象的。

著者がこの本の中で何度も繰り返しているのは
生まれてくる子どもには自己決定権もなく、権利を主張することも出来ないということだ。

         ――――――

その他、個人的に印象的だったこととして、

・ワシントンDCに全米代理出産反対連合(NCAS)という団体があって
ベビーM事件を受けて1987年にこれを立ち上げたのがジェレミー・リフキン。

リフキンは私にとっては忘れがたい人物で、
世の中で起こっていることの恐ろしさに決定的に目を覚ましてくれたのは彼の「バイテク・センチュリー」だった。
あの本を読んだ10年近く前の衝撃は、今でも忘れられない。

・一方、英国で82年に体外受精に関する委員会を提唱したのはメアリー・ウォーノック。
去年の「認知症患者には死ぬ義務がある」発言の、あの人だ。

84年に「ウォーノック報告書」が出され、
それを受けて85年に「代理出産取り決め法」
90年に「人間の受精および肺の研究に関する法律(HFE法)」が成立。
(後者は当ブログで「ヒト受精・胚法」と称してきたものと思われます)

・ヨーロッパでは全体に規制が厳しく、代理出産は禁止されているが、
フランスでは解禁に向けた働きかけも見える。
また、インドを中心にアジアで生殖ツーリズムが広がって、
欧米の需要の受け皿として巨大ビジネスを形成している。

著者いわく
グローバリゼーションのつけは必ず弱者が払う仕組みになっているのだ。途上国を巻き込んで膨張する代理出産ビジネスの行く末を考えると、暗澹たる気持ちになる。(p.172)

著者は触れていないけれど、ここにあるのも
親子の間の権利の不均衡と同じ構図で、

依頼者の「親になる権利」「幸福を追求する権利」が言われても、
代理出産を請け負う側の人権がそれによって侵される事実が言われることはあまりない。

本当は、それ以前に、
そうでもしなければ生きていけない境遇に追いやられてしまっている彼らの状況が
グローバリゼーションそのものによる権利の侵害であるという
2重の差別構造があることも、見えないところに隠しこまれたままだ。

それから、ついでに
日本で代理出産を実践している根津八紘医師への取材で
ちょっと思いがけない事実が指摘されている。

かつては姉妹間の代理出産を手がけていた同医師は以下のように言っている。

妊娠・出産が命がけの行為であることは、医療の発達した現在でも変わりません。妊娠中何が起こるかわかりません。ですからいま現在は、娘のために死んでもいい、という実母だけに限っています。実際に代理母をするにはそれくらいの覚悟が必要です。(p.185)

2009.12.03 / Top↑
オランダの尊厳死法を巡って、民俗学者であり弁護士である女性がさまざまな立場の人たちにインタビューを重ねて、医師の責任と患者の自己決定権の間にあるジレンマについて考察した本、に関する長文記事。目を引いたのはオランダで去年1年間に医師らが報告した安楽死と自殺幇助が2331件もあったということ。
http://www.nrc.nl/international/Features/article2425897.ece/Euthanasia_law_is_no_cure-all_for_Dutch_doctors

レイプされたとの女性の訴えを警察が軽視して、書類をなくしたり、まともに相手にしないために、事件としてきちんと捜査されていない英国の実態。
http://www.guardian.co.uk/society/2009/dec/01/rape-case-cctv-footage-destroyed

女性の白髪はストレスや生活習慣ではなく、遺伝子で決まるんだとか。:遺伝子決定論は、一体どこまでいくのだろう……。とりあえず「遺伝子も関係している」くらいの理解で、というわけにはいかないのかな。癌だって遺伝子だけが決めるわけじゃないという声もあるのなら。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/health/8386476.stm

米国でフード・スタンプ(食料購入助成券)をもらう人が急増。8人に1人。子どもでは4人に1人。グローサリー・ストアでは、スタンプで買い物をする人が当たり前の光景になりつつある。そのおかげでスティグマは解消されているものの……。
http://www.nytimes.com/2009/11/29/us/29foodstamps.html?_r=1&th&emc=th
2009.12.01 / Top↑
米国のティーンが処方薬や薬局で買える薬を濫用して
オーバードースで病院に運び込まれるという事例が増えている。

偽の処方箋をもって病院の裏にある闇の薬局に行けば、自由に買えるんだとか。

こちらの記事では
怪我をした際に処方された痛み止めで味を占めたという
少年のケースが取り上げられている。

子どもたちが薬パーティにみんなで集まって、
いろんな薬を試してみるんだとか。

家庭内の薬については親がちゃんと在庫量を確認して管理して欲しい、とFDAの関係者。

US prescription drug abuse ‘growing’
BBC Radio, December 1, 2009


「なんでも薬で簡単解決で、みんなハッピー」説を唱えるトランスヒューマニストさんたちは、

そういう価値観が子どもたちに及ぼす影響については
どのように考えているのでしょうか。
2009.12.01 / Top↑
今日のNHKクローズアップ現代が英国の精神医療のアウトリーチを特集していて、
その中で危機解決チームが取り上げられていたので、

前に仕事の関係でちょっとだけ調べてみたことがある米国の危機介入チームのことについて書いた
2008年12月9日のエントリーを以下に再掲。

去年11月、NYブルックリンで
精神障害のある18歳の黒人少年Khiel Coppinが
取り囲まれた警官から20発もの銃弾を受けて死亡するという
痛ましい事件が起きました。

当時、精神科で処方されていた抗精神病薬を飲まなくなって不安定になっていた少年は
母親と揉めて極度の興奮状態に陥り手がつけられない状態。
母親が911に通報した際のテープにも背後でわめいている声が入っています。
駆けつけた警官らは、玄関先でシャツの下に隠し持った銃を向けてきたので撃った、と。

しかし、倒れた少年が手にしていたのは黒いヘアブラシでした――。

Man, 18, Is Fatally Shot by Police in Brooklyn
The NY Times, November 13, 2007

A Troubled Man and 20 Police Bullets in Brooklyn
The NY Times, November 14, 2007


ブルックリン、黒人少年……とあって、
警察の対応に人種差別があったのではないかと問題になったのはもちろんながら、
もう1つこの事件で注目されたのがNY市の機動危機チームの存在。

Khielの母親は911に通報する前に
近郊のInterfaith 医療センターから機動危機チームを呼んでいたのでした。
たまたまチームの危機対応カウンセラーが尋ねてきた時に本人が不在だったのだけれど、
もしも会えていたら彼は死なずに済んだかも……。

この事件をきっかけにNY市の機動危機チームを取り上げた以下のNYTimesの記事によると、

Police Shooting Puts Focus on Mental Crisis Teams
The NY Times, November 15, 2007


現在23のチームがあり、
警察と病院が連携して活動。
費用は全額、市の保険精神衛生局が負担。
メンバーは心理学者、精神科医、看護師、ソーシャルワーカー、中毒の専門家、ピアカウンセラーなど。

患者の地域生活を支援し、病院から地域へ、との理念で作られたもの。
電話を受けるとチームは家に行ってストレス反応を評価し、
必要な場合は外来受診が可能となるまでサポートする。
各種サービスや施設への紹介も投薬も可能。
フォローアップも行う。
強制入院が必要な場合には機動危機チームの判断で
警察の協力を仰ぐこともできる。


NY 市の危機介入チーム一覧はこちら。

Kheil Copper事件で呼ばれていたInterfaith 医療センターの情報はこちら。
Behavioral Health Services → Emergency Services の中に
Mobile Crisis Team and Emergency Servicesについて説明があります。

精神科医とその他精神医療の専門家が毎日朝9時から夜10時まで
地域の患者と家族に対応。
精神科のERは別立てで毎日24時間対応。

米国とカナダの機動危機チームの実態をまとめた論文がこちらに。
Mobile crisis teams partner police with mental health workers
Anita Dubey,
Cross Currents; Spring 2006; CBCA Reference pg. 14



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以上は去年Coppin事件を機に調べてみたもので、
当時、同種のチームをインターネットで検索してみたのですが、
地域によって名称も整備状況や形態も様々、整備途上という印象でした。

警察のコールセンターが中心になって病院に繋いでいるところも
精神医療の危機介入が警察や行政の危機管理体制の一環と位置づけられているところもあって
強制入院の権限を持つ機動危機チームが
過剰な公安的危機管理に傾斜する可能性も気にならないではなかったのですが、

日本でも累犯障害者の問題や
障害者自立支援法で精神障害者の退院促進の方針が打ち出されていることを思えば、
地域での危機に対応するための各種専門職の協働体制作りと共に
危機的な状態に陥ってしまった本人と家族への支援、
さらに、そこまで追い詰められないような早期介入の支援システムが必要なのでは?

早めに細かく有効にお金を使うことで
先行きの大きな出費を抑制できる工夫の余地がまだまだあるのに、
そういう工夫も努力も検討せずに
ただ漠然と「社会的コスト」をまるで呪文のように繰り返しては
人間を切り捨てることによって全ての出費をカットしてしまおうとする声には
十分に警戒しておきたいと思う。

一旦「社会的コスト」を云々することに加担すれば
それは社会保障そのものを否定し、あらゆることが個々人の自己責任とされる社会への
滑り坂に脚を踏み出すことではないのか……という気がするから。

ここではコピペでリンクが消えてしまいましたが、
元の去年の記事に行ってもらったらリンクが生きています。


なお、アウトリーチは番組では「積極的な訪問」と訳してありましたが、

私は必ずしも訪問するかどうかという形として捉えるよりも、
支援する側が支援を必要とする側に向かって手を差し伸べ積極的に働きかけていく姿勢、
例えば、このブログで何度か書いてきた「支援する側から迎えにいく支援」という姿勢と
このアウトリーチという言葉を重ねたいように感じました。

そうすれば、このアウトリーチという概念は必ずしも精神医療に限ったことではなくて、
もっと広く、例えば介護支援を必要とする人の掘り起こしや、
障害児・者、高齢者、生活困窮者や諸々のニーズのある人を支えていく地域づくりにも
そのまま当てはまるのではないでしょうか。


2009.12.01 / Top↑