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ひょんなことから見つけた、シアトルこども病院トルーマン・カッツ生命倫理センターの開設に関する2004年12月のSeattle Piの記事。:とても興味深いことに、コメントしているのはDiekemaとNorman Fost。ある学者さんは、トルーマン・カッツセンターはDiekemaのために作られたもので、もしかしたらAshley事件へのご褒美だったのでは、と密かに考えている。私はそこまで……と思っていたのだけど、2004年段階からセンター創設の記事に、私がAshley事件のマスターマインドだったと考えるFostが顔を出しているとなると……ふむ……。
http://www.seattlepi.com/local/202318_pediatric04.html?searchpagefrom=1&searchdiff=1

今日、明日の2日間、シンガポールで臓器売買や自殺幇助、研究倫理などに関するWHOのガイドラインについて協議するべく、30カ国以上から代表が集まり、国際的な倫理カンファ、第8回Global Summit of National Bioethics Advisory Bodiesが開催される。国連やEUからも参加。前回はパリで2008年に開かれた。会議が採択する勧告はWHOに送られ、会員向けのガイドラインの参考にされる。2年ごとに開催されているもので、今回は先般大統領の生命倫理問題調査委員会の委員長に就任したGutmann氏も出席。
http://news.xinhuanet.com/english2010/sci/2010-07/26/c_13415384.htm
http://www.straitstimes.com/BreakingNews/Singapore/Story/STIStory_557947.html

Boston子ども病院に、途上国の新生児向けの感染症予防新型ワクチン開発でGates財団からグラント、240万ドル。: 最近、Billl Gates氏が、途上国の母子保健に関して、薬を特定することなく「母親と新生児に短期に薬を投与することによって感染を防ぐ」ことについて語っているのが気になっている。こういうワクチン開発の動きと関連しているのか?
http://www.childrenshospital.org/newsroom/Site1339/mainpageS1339P1sublevel637.html

英国連立政権によるNHSの改革は、中央官僚によるコントロールを地方の医療職に移して行く方向。
http://www.nytimes.com/2010/07/25/world/europe/25britain.html?_r=2&th&emc=th
2010.07.26 / Top↑
昨日のETVの胃ろう特集を見て、再掲したくなったので、
これまでの2つのエントリーの一部を、それぞれ、
前半は口から食べられる子どもを胃ろうに切り替えて「栄養補給所」を作った師長さんの話、
後半は「胃ろう検討は十分な看護ケアの後で」と主張した師長さんの話として。

もちろん、昨日のETV特集が問題にしていたのは終末期の胃ろうであり、
ここで書いているのは終末期の胃ろうではありません。

ただ、胃ろう造設が提案されたり、検討される際に、
高齢者ケアでも障害者ケアでも本質的には同じ問題があるのでは、

「口から食べられなくなったら、もういい」かどうかの議論の前に、
その問題がもっと語られるべきなのではないか、と思います。

             ―――――――

①口から食べられる子どもをどんどん胃ろうに切り替えて「業務がはかどる」と胸を張った師長さん


うちの娘は重い障害のために幼児期には、それはもう言語道断なほどの虚弱児で、
3日と続けて万全な体調が続くということがない子でした。
昼間の病院通いはもちろん、
夜中の救急に駆け込んでそのまま入院になったことも数知れず。

成人してやっと元気になってくれた今になって振り返っても情けなくなるほど
数多くの病院を体験してきたし、緊急入院では小児科以外の病棟に入ることが多かったので
いろんな病院のいろんな病棟で入院を体験してきたのですが、

その中で感じたことの1つが
「病棟というところは“婦長(当時)の王国”なんだなぁ……」ということ。

その後、娘が重症心身障害児施設で暮らし始めると、
やはりそこでも、現場は“師長の王国”でした。

細かい例えで言えば、新しい師長が来ることで
「食事前に子どもたちの手を消毒する」という取り組みが突然始まるかと思えば、
また師長が変わると、その消毒がいつの間にかなくなっていく。

どこもかしこも乱雑で、冬には加湿器がカビだらけ。
「これじゃ空中に細菌ばら撒いてるようなもんだよ」という状況が放置されているかと思えば、
師長が交代したとたんに、あちこちがきれいに整理整頓されるということも起こる。

まぁ、こういう細かいことは、人間のすることなのだから、
そうそう何もかもカンペキには行かないのが当たり前だとは思う。

しかし、もっと本質的なところで、大事なことがガラッと変わることもある。

「体調に気をつけつつ、なるべく外に出て、いろんな体験を」という師長の姿勢が浸透して、
子どもたちにもスタッフにも笑顔が多く、
全体に風通しのいい明るい雰囲気が続いていたのに、
ひどく管理的な姿勢の師長が来たとたんに、
子どもたちが外に出られなくなったばかりか
「安全と健康のため」と長時間ベッドに閉じ込められて
病棟中に重苦しい閉塞感が漂った年もあった。

この年は食事の時間になると、スタッフは無言で
子どもたちの口にスプーンの食べ物を機械的に押し込んでいました。

スタッフが子どもと笑いあうことも
スタッフ同士が冗談を言い合うこともなくなりました。

そして、この年、
デイルームの壁には経管栄養のバッグを吊るすフックがいくつも取り付けられました。
食事の時間になると、ここに特に重症の子どもたちがずらりと並べられて、
いくつものバッグが吊るされ、そこから管が垂れ下がります。

異様な光景でした。

そこには、ついこの前までは
口から食べさせてもらっていたはずの子どもたちが何人も並べられていました。

あっという間に経管栄養に切り替えられる子どもたちが増え、
夕食後は全員が早々とベッドに入れられるようになりました。

あっという間に子どもたちから笑顔が消えていきました。

この頃、師長は”王国”の様子を問われて、こう答えたといいます。
「最近はやっと落ち着いて仕事ができるようになりました。
 業務がはかどるようになって職員みんなが喜んでいます」

デイルームの子どもたちの傍にはスタッフの姿がめっきり減って、
看護師さんたちは詰め所で無言で机に向かい“業務”をこなしていました。

次の年、師長が変わったおかげで
(もちろん、その過程には色々なことがあったのですが)
壁際の「チューブ栄養補給所」は廃止され、
並べられていた子どもたちの何人かは口から食べさせてもらうようになりました。

初出エントリーはこちら


②胃ろう検討に逸る医師に「まず私たちの仕事をさせて」と言った師長さん

娘のかつての主治医は、家族全体の生活をちゃんと見てくれるし
説明もきちんとして、こちらの意見も取り入れてくれる、とてもいい先生だったのだけど、
欠点といえば2つだけあって、1つは点滴がものすごくヘタクソだったこと。
もう1つが、その時々に先生に訪れる“マイ・ブーム”。

成長ホルモン治療の研究をやっていた時は、大して低くもない重症児の親にまで
「ちょっと背が低いんじゃないかと思うんだけど」と持ちかけては、迷惑がられていた。

ウチの娘は背が高いほうなので、この時は声をかけられなかったのだけど
この先生のかなり長期にわたって続いた“マイ・ブーム”の1つが胃ろうだった。

もう、ずいぶん前のことで
ちょうど高齢者医療で胃ろうが“すばらしい新技術”として導入され広まり始めた頃。

実際に、誤嚥性肺炎をよく起こして苦しんでいた超重症の数人がやってみたら
体重まで増え始めたんだよ、すごい技術だ、と、会うたびに先生は感嘆する。
その口調には「ウチでも、もっとやってみたい……」感がにじみ出ていた。

(ミエミエに滲ませてしまうのは先生が単純な善人だからであって、
科学者としての医師の本音は、誰でも概ねそういうところにあるのでは?)

私は、先生から聞く新技術の話にも、
先生の「やってみたい」意識にも違和感と警戒感があって、
「でも、“食”はカロリーだけの問題じゃないんじゃないっすか」と反論しながら、
それでも、当時、うちの娘は、育ち盛りで、全介助で刻み食とはいえ
口からバクバク食べまくり飲みまくって何も問題はなかったので
“ブーム”がこっちに飛んでくることはないだろうと思い込んでいた。

ところが、ある年のケース・カンファレンスで
(当時、ケース・カンファには保護者も参加させてもらっていた)
「ミュウちゃんも逆流の検査をしてみたら、どうだろう」と先生が言い出した。

一見問題がなくても検査してみたら胃からの逆流が見つかることがある
すぐに胃ろうを考える必要はないが、将来の可能性を考えると
そのうち一度、逆流の検査だけは考えてもいいのではないかというのが
一応の先生の言い分だった。

私は既に、先生との会話や議論を通じて
”カロリーと栄養”だけの問題にして”食”の問題を省みない胃ろう周辺の医療文化に
大きな偏見を抱いていたので(利益になる患者さんがいることを否定するわけではありません)、
「やってみたい」への警戒の壁がするすると上がった。

その場に居合わせたスタッフが、
いかに“マイ・ブーム”でも、先生、この子にまで言うか?……と、
一瞬あきれ顔をちらっと先生に向けたのを私は見逃さなかった。

もちろん、誰も口は開かなかった。

で、私は婉曲な会話ができない「まっすぐ」な社会的バカなので、
「まっすぐ」に反論した。

議論となって、やりとりは、どんどんヒートアップ。

ついに先生と私の言い争いの様相を帯びてきたところで、
見かねた看護師長(当時は婦長だった)が割って入った。

その時に師長さんがいったことは、私は歴史に残す価値がある言葉だと思う。

先生、ミュウちゃんも将来的には重度化して摂食の問題が出てくるだろうというのは
私たちも考えておかなければならないことだと思います。

でも、今のミュウちゃんは、まだ口から食べることができています。
もうちょっと先には、問題も出てくるかもしれないし、検査も必要になるかもしれないけど、
それは、その時に考えたらいいじゃないですか。

それまでは、彼女がどこまで今のように口から食べ続けられるか、
そこにこそ、私たち看護職の仕事があるんです。

先生、経管栄養を急いで考える前に、
まず私たち看護師に、私たちの仕事をやらせてください。

私たちの看護で、どこまでやれるか、それでどうしてもダメな時がきたら、
またその時に、みんなで考えてはどうでしょうか。



私はこのエピソードを、
看護学部の授業では必ず1度は語るようにしている。
(今年の春で辞めましたが、それまで長年、
地元の大学の看護学部で英語の非常勤講師をしていました)

そして、看護職の仕事は医師のアシスタントではないし、
看護職にとって「私たちの仕事」が何であるかという原点を忘れないでほしいと、
これから看護師になろうとする学生さんたちに重症児の母親としての立場からお願いする。

そのカンファレンスは、もう10年以上も前のことになり、
師長さんは、その後、他の病棟勤務を経て総師長となり、既に退職された。

ウチの娘は、その後、体のねじれも進み、
確かに飲食の際の「むせ」が少しずつ多くなって、
いつからか、お茶にはとろみを付けるようになったし、
いよいよ経管も考えなければならない日が近いのかなぁ……と気を揉んだこともあったのだけれど、

取材先で黒田式ソフト食を知り、テキストを買ってみると
その原理は、家庭でいくらでも応用可能な簡単なものだった。

園にも導入を検討してもらえないかとOTさんに提案してみたら、
ちょうど摂食委員会でも「なめらか食」を検討しているところだということで、
数ヵ月後から「なめらか食」が導入された。

ウチの娘の「むせ」は目に見えて減り、
あのカンファから10年以上たった今でも変わらず口から食べている。

(ついでに座位保持装置のフィッティングをやりなおしてもらったら
側わんも大きく改善した)

この子は昔からハッピーな時にはバクバク食べる。
「えー、まだ食べるってか? アンタは一体バケモンかよ」などと言われても「ハ!」
大好きな白ゴハンを3回もお代わりしてみせたりもする。

親が食べているものを、箸が口に入ろうとする瞬間に横からグイっと腕を引かれて
「それ、食わせろ」と、鳥の雛みたいな大口あけて、せびられることも、しょっちゅうだ。

「ちょっとぉ、でも、これ、熱いよ」
「ハ! (でも食べたいっ)」と、さらに大口をあけて催促する娘に大笑いしながら
しぶしぶ自分の食い扶持をふーふーしながら分けてやる……そんな親子の食事の時間の豊かさを、
できる限り、長くこの子に味わせてやりたい、と思う。

それが、他になすすべもなく、この子にとって大きな苦痛になってしまう日までは。


初出エントリーはこちら


2010.07.26 / Top↑
昨夜、NHKのETV特集で胃ろうが取り上げられていた。

とても一面的な番組作りのような気がしたし、
言いたいことが山のように頭に群がり起こってきたのだけれど、
とりあえず言いたいことが多すぎて、まとまらないので、
これまで書いてきたことを以下に。


① 胃ろうには、実際には、介護の手間を省くために
まだ口から食べられる人に安易に導入されている、という問題点がある

認知症が進んだ人の胃ろう、利益と害の検証が不十分(2009/4/27)
「ケアホームのコスト削減で安易な胃ろうが強要されている」と英内科学会から指摘(2010/1/7)

その他、今年1月にはこの問題を英国のメディアが一斉に取り上げていました。
1月6日の補遺に。

これは日本でも、よく耳にする批判でもありますが、
昨日の番組では言及されていませんでした。


② 「科学とテクノで簡単解決文化」の easy fix としての胃ろう

Ashleyは、まだ口から十分に食べられるはずだったのに、
よく病気をして、そのたびに食べられなくなるから、という理由で胃ろうにされた。

ヘンだよ、Ashleyの胃ろう

 Ashley事件の舞台となったシアトルこども病院のWilfond医師は
 子どもの形成外科手術を論じる論文の中で
食事介助時間短縮策としてのみ、胃ろうを捉えている。

食事介助の時間短縮策としてのみ語られる胃ろう(Wilfond論文)4(2009/4/27)


③ 日本の高齢者ケアにおいて、安易な経管栄養の導入に反対し、
チューブはずしに取り組んでいる有吉病院のこと。

有吉先生の卵焼き


④ 「老人は口から食べられなくなったら死」は、
人間らしい死に方を保障する地域ケアの実現が前提であるべきでは?

「老人は口から食べられなくなったら死」……について(2009/11/4)
「食べられなくなったら死」が迫っていた覚悟(2009/11/5)
2010.07.26 / Top↑